オカルト哲学 3-52

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第52章 神託の確実な力を持つ、くじや徴について


 また神託の神力を持つ特別なくじもあり、それらは神の判断の指標として、祈りの始めに行われたり、時には神自身による命によりなされたりした。それらについて聖書では、レビ記で2匹の山羊を主への生贄と贖いにする際に行われたり*1、民数記にあるイスラエルの12部族の杖についてで記されている*2
 またモーセとヨシュアの両方とも、主の御前でくじによって土地を分割し、イスラエルの12部族に神の命に従って分配していた*3。キリストの使徒らも祈りの前に、裏切り者ユダによって空いた座を、くじによってマティアを選んでいた*4。預言者ヨナも神の御前から逃げてタルシスへ向けて航海をしていた頃、嵐に襲われた。船乗りらはくじを引いて、嵐の原因であるヨナを海へ投げ捨てたら、嵐は収まったという*5
 カエサルもガイウス ウァレリウス プロキッルスという男が敵のゲルマン族に捕まった時に、即座に火炙りにするか、後に取っておくかを蛮族はくじをして*6、後に取っておく事になり、結果として脱走に成功したと報告している。また古の時代のギリシアのアカイア地方の町ブナで、チェスボードによって行うヘーラクレースの神託というものがあり、何か尋ねたい者がいたら、祈りを神々に捧げてから、4個のサイコロを振って、預言者がそれを観察し、チェスボードの上のサイコロの形から、何が来るかを判断していた。今では、そのようなサイコロ全ては、生贄の骨によって作られている。
 次に汝が知るべき事は、古人は些細な事でくじを引いたりはせずに、必要な場合か、何らかの有利な目的のためであり、それらは大いなる献身や、崇敬、高揚、断食、浄化、祈り、招聘、誓約、生贄、聖別、さらに宗教の聖なる諸神秘も伴って行われていた。これらの聖なる命令は我々の働きの前に起こる傾向があり、特にそれが神の意志や喜びに叶っていたりするとそうで、神的な霊らがそこにいると、それらによってくじが動かされて、求めていた物事の真の判断を我々は受け取るのである。
 そのため、くじをしようとする全ての者らは、良い精神を持ち、苦しんでいたり取り乱したりせず、強い望みと堅固な思慮を持ち、常に望む事を知りたいと意図せよ。さらにその者は純粋さと慈悲深さを持ち、神と天へ向かって聖性を抱き、疑い無き望みと堅固な信仰、聖なる祈りとともに神的な霊らを招聘するなら、それを受け取り、神的な喜びを知る価値ある者とされよう。汝がこれらの条件に適うならば、くじの性質によって、最も偉大な秘密を見つけ、汝は真の預言者となり、過去、現在、未来において汝に要求された時の真実を語る事が出来るであろう。
 次に、私がくじについてこれまで語っていた事は、全ての洞察力のあるアウグリア(鳥占師)によっても観察されている。すなわち、恐ろしいことが何時起きるかといった事だが、堅固な期待とともに、我々は自らの魂を預言のために準備し、ある種の作業や、徴を見る事によって行える。それらは聖書でもアブラハムの仲間のエリエゼル*7や、イスラエルの士師ギデオン*8が行っていたと記されている。
 また古の時代にアカイアのパリスという町では、市場の真ん中にメルクリウスの神像があり、神託を望む者はそこでフランキンセンスを焚いて、ロウソクを灯して神像の前に置き、神像の右手にその地方の硬貨を置いて、神像の右耳に向かって知りたい事を囁いたら、すぐに両耳を手で覆って、市場を走り去る。それから両手を耳から離して、最初に聞こえた言葉が神託だという。
 この種のくじは、大衆には馬鹿げていて、ただの運試しで、何ら根拠が無いように思えるかもしれないが、これらは神により定められたものであり、特有の理由からの高い性質があり、適切な目的のためならば失敗する事は無いのである。サウルをイスラエルの王に選ぶことになったくじ*9は、偶然にすぎないと考えるのか? だがサウルは主によって先に王として定められており、預言者サムエルにより油を塗られているのだ。そして神は彼を王として定めていたので、くじを動かして彼の所に落ちるようにした。よって、これらには多くの価値があるのである。


オカルト哲学 3-53
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 レビ記 第16章8節。
*2 民数記 第17章2-5節。
*3 民数記 第26章55節とヨシュア記 第13章6節。
*4 使徒言行録 第1章26節。
*5 ヨナ書 第1章7-15節。
*6 おそらくルーン文字だった可能性が高い。
*7 創世記 第15章での幻視の事かと思われる。
*8 士師記 第6章17節。
*9 サムエル記上 第10章17-21節。