オカルト哲学 3-51

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第51章 予知夢について


 次に私は予知夢について語ろう。これらは幻覚の霊と知性が混ざり合ったものや、我々の魂の上にいる知性体の動者が示すものや、静かで浄化された精神に何らかの神的な力による真の啓示によって与えられるもので、これらによって我々の魂は真の神託を受け取り、豊富な預言を我々にもたらすのである。
 これらの夢の中では、我々は質問をし、返答を読むという両方があるように思える。また多くの疑わしい事柄、固定観念、未知の事柄、望まないものもあり、我々の精神によって起こすつもりの無いものも、夢の中で発現したりもする。また、行った事の無い場所が見えたり、生きている者や死者の姿が現れたり、未来に起きる事を予知したりする。また過去に起きたが知らなかった事柄が明らかにされたりもする。これらの夢は、第1の書で私が述べた予知ではなく占術に属している、どのような解釈術も必要ではない。
 また重要な事に、これらの夢を見た者らは、ほとんどの部分を理解していない。アラビア人のアブダラが言うように、夢というのは想像力から来るもので、そのため深い眠りにある時には知的機能は多くの肉の交渉に圧倒されたり、想像的、あるいは幻覚的な霊が不明瞭で粗野すぎて、上位の知性から流れる種や現れを受け取れない場合、それらを受け取ることが出来ず、そういう者は夢による予知には適していないのである。
 そのため真の夢を受け取れる者は、純粋で、妨害されず、落ち着いた霊を保持する必要があり、それにより精神や理解から価値ある知識が作られ、制御されるだろう。そのような霊は預言に最も適しており、シネシウスが言うように、全ての像の最も明瞭な鏡であり、万物をいずこにも反射するのである。
 ゆえに、我々の体が健康であり、精神を阻害するものが無く、飲食によって鈍くなっておらず、貧しさによって苦しんでおらず、どのような欲望や怒りの悪徳も起きておらず、純潔なままベッドへ入って眠ったら、我々の純粋で神的な魂は全ての悪しき考えから緩められて、夢の中で自由に動くようになり、この神的な霊を道具として授けられ、天からや神的な精神より注がれる光線や現れを受け取り、神的な鏡であるかのように、より確実で明瞭で効果的に万物を見て、それから知性体による世俗的な問いや、理性による対話がある。神的な力は魂に教え、夜の孤独さの機会によって、神々の社会へと招かれるが、彼が目が覚めた時には、神々はもはや彼の活動を支配するのを望まないのである。
 さらに、静かで宗教的な瞑想によってや、適切な食事と中庸な生活によって、自らの霊を純粋に保つならば、非常に多くの(予知夢を見る)準備をされるようになり、それによって彼は神的な者となり、万物を知るであろう。だが反対に、幻覚的な霊に苦しめられている者は、正確ではっきりとした幻視を受け取らず、たとえ神的な視野があったとしても、その弱さによって、混乱と不明瞭に判断する。また我々はワインや酔いによって圧倒されると、我々の霊は毒気によって抑圧され、かき混ぜられた水が様々な形を取るように、欺きと曖昧なものとなるのである。
 それゆえ、フィロストラトスの書の中で預言者アムピアルスは神託を受ける者は、その前日は一切肉を食べるのを避けて、3日前からワインを断つように命じていた。魂は肉とワインから離れていない限り、正当な預言を行えない。素面で宗教的な精神の者で、神への崇拝を行う者らに、神々は神託を与える傾向があるからである。これらについて、オルペウスは以下の様に詠っている。


「――汝、預言の大霊よ、
 完全に静かに眠る魂らに向かい、
 神々の知識を啓発したまえ。
 そして彼らに未来を告げたまえ――」


 ゆえに、古人らは、神託を受ける者は、特別な聖なる高揚とともに、まず最初に神々への生贄を捧げ、神への崇拝の儀式が終わったら、聖別された部屋の床の上か、少なくとも生贄の皮の上に横たわる習慣があった。これらの儀礼についてウェルギリウスは以下の詩で記述している。


「――ゆえに、彼らは疑いへの返答を求め、
 神官らがもたらした贈物を捧げると、
 彼は殺した羊の皮の上に横たわって、
 沈黙の夜の中、眠りに入ろうとする。」

 また、少しの後にも彼は詠う。

「――だが今や、
 ラティヌス王は知るために神託を行い、
 100匹の選ばれた羊らを生贄にし、
 これらの毛皮を床に広げて、その上に横たわった。」


 そしてキケローが言うには、ラケダエモニア(スパルタ)人の君主らは、パーシパエーの神殿に横たわって夢を見る風習があった。同様の事はアスクレーピオスの神殿でも行われており、この医神より真の夢が送られると考えられていた。また(南イタリアの)カラブリア人は、アスクレーピオスの息子のポダレイリオスに拠り頼み、この神像の近くで羊の毛皮の上に横たわって眠っていた。それによって、夢の中で望む事が見れると言われたからである。
 夢のために最も良い時間は夜で、感覚が様々な物に向かって彷徨う事や、昼間の過ちや、悪しき影響から離れており、精神には怖れも無く、心配な考えも無く、最も静まっており、神々への確固とした崇拝を行う場合である。
 ラビ ヨヘナンが集会の書で述べているように、真の夢には4つの種類がある。第1の夢は早朝のもので、眠りと覚醒の中間で起きる。第2の夢は、別の者についてを見るものである。第3の夢は、それらの解釈は夜の幻視において同じ夢を見た者に示される。第4の夢は、同じ夢見る者に何度も繰り返されるもので、それはヨセフがファラオに、汝は同じ夢を2度見たが、それは確実な徴であるからだと述べている*1。だが、最も確実なものは、それについて黙想し、心の中でその事が離れない状態で眠りに入るならばである。それについて聖書では、王よ、何がこれらの事に起きるのかを心で思いつつ眠りたまえと書かれている。
 だが他人の夢を解釈しようとするなら、万物の類似性を区別し見分けられる知識を持っており、全ての国々の風習と、どの法によって神と天使らから彼らが受け取るのかを知る必要がある。さらにどの夢にせよ、何らかの虚栄がほとんど常にあると知るのも不可欠であろう。父祖ヨセフの夢にすら、畑の彼の束以外には何も無くなった内容を見ており、それについて彼の父ヤコブが解釈し*2、汝が見たこの夢には何の意味があるのか? わしや妻や汝の兄弟らが汝に跪いて崇めるのか? と述べた。この妻はその後にすぐに亡くなったので、この夢に従う事は無かった。
 また先に述べたラビ ヨハナンの書の中でも、これらの事は述べてある。また、ラビ レヴィも、どのような預言の夢も22年間以上は長くは保てないと確言している。そのためヨセフは17歳で予知夢を見て、それが39歳になって達成されているのである。
 そのため、神的な夢を受け取りたい者は、肉体が良く働いており、脳が毒気から自由であり、その精神は動揺から離れていて、夕食は避けるようにして、酔っぱらうような酒も飲まず、清潔で綺麗で聖別された部屋で横たわるようにせよ。また香も焚いて、自らのこめかみに油を塗って、夢を引き起こす物を指にはめて*3、天を表すものを頭の枕の下に置いて*4、眠りに入るならば、彼の知性の真の啓明のある、最も真実で確実な夢を見るだろう。
 そのため、私がこれらの主題についての諸書のあちこちから持ってきた、これら事柄を合わせて知るならば、神託や夢の賜物を容易に得られるだろう。


オカルト哲学 3-52
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 創世記 第41章32節。
*2 創世記 第37章10節。
*3 おそらく見たい夢についての文字を彫った指輪など。
*4 枕の下に物を置くのは、夢魔術では良く用いられる。この天を表すとは、占星術のチャートや、関連する諸惑星の印を書いた紙などであろう。