オカルト哲学 3-50

ページ名:オカルト哲学 3-50

第50章 病や卒倒や感情の激発にある者らに起きる忘我、恍惚、未来予知について


 忘我(rapture)は、抽象的、異質で、神から魂へと伝えられるものであり、神は再びそれを獲得する。天から地獄へと落ち、地獄から天へと帰るのである。これらの原因は、深遠な事柄への継続しての黙想であり、精神の最も深遠な意図とともに行うならば、魂は霊的な知恵と親しみ、感覚や肉体から莫大な刺激をされ、プラトンが言うように、時には魂が肉体から飛び出し、解消されたように感じられる。アウグスティヌスすら、カラミアの司祭についてで報告しており、私はそれについては先の書でも述べているが、この司祭は死者のように横たわり、息すらしておらず、そして火で燃やされて傷つけられても、何の感覚も無かったのである*1
 そのため、魂の命令はかくも強力なもので、自らの性質を獲得し、感覚の刺激によって抑えつけられていない時には、自らの力により突然に上昇し、肉体に留まらないだけではなく、時には束縛からも解かれて、肉体から超越天の世界へと飛び立ち、魂は今では神に最も近く、最も似ており、神的なものの容器となり、神の光と神託で満たされるのである。
 これらについてゾロアスターは、汝は自らの光、父なる神の放つ光線へと上昇すべきで、そこで汝の魂は高貴な精神に包まれると述べている。またトリスメギストスは、天とそこに住む霊らの集まりを超えて上昇するのは不可欠だと述べている。そしてピュタゴラスは、汝が肉体から離脱したら、広大な諸天を通過せよ。さすれば、汝は不死の神となろうと述べている。
 私が読んできた書によると、ヘルメース、ソクラテス、クセノクラテス、プラトン、プロティノス、ヘラクレイトス、ピュタゴラス、ゾロアスターらは、忘我により自らを抽象化させ、多くの事柄の知識を学んだという。また、私が読んだヘロドトスの書によると、ローマの地方総督にアテウスという名の驚異的な知識を持つ哲学者がいて、時にはこの者の魂は肉体から出て、遥か遠くの場所の幻視を見てから、その知識を伴って肉体に再び戻っていたという。プリニウスも同じ事を述べており、ハルマン クラゾメニウスという男の魂が彷徨う癖があり、肉体を離れて、遥かに遠くにある真の知らせをもたらしていたという。
 そして今日においてすら、ノルウェーやラップランドには、肉体から3日間も自らを抽象化させられる者らが多くいて、肉体に戻ってきたら遠くにある多くの事柄を告げるという。だが、離脱中は彼らの肉体を保護する必要があり、何らかの生き物が近くに来たり触れたりしないようにさせた。さもなければ、彼らは肉体に帰れなくなるという。
 ゆえに我々が知る必要があるのは、古代エジプト人の教義によれば、魂が肉体の束縛から緩められたら、魂は特定の霊的な光を見て、あらゆる時空を理解するという。それは、ランタンの蓋の中に灯りが閉じ込められていて、蓋を開けたら全ての方向に光を放ち、あらゆる場所が暗くならないようなものである。光は世界全体に偏在して永遠にあるからである。そしてキケローが神託に関する書で言うには、人の魂は通常は神託を受けないが、肉体から緩められ、ほとんどが全く肉体について活動しないならば、この状態に到達し、これは完全な理解の段階であり、全ての被造物の種から超越し、種が獲得したものではなく、イデアの啓示によりそれらを理解し、イデアの光によって万物を知るのである。この光についてプラトンは一生においてごく少数の者のみが経験するが、神々の手においては全てであると述べている。
 また、卒倒に悩まされ、病に落ちている者らの中には、同様に忘我のような状態になり、そのような病者は時には忘我とともに、預言をもたらすという。この種の預言について私は、ヘーラクレース(の賛歌)の書で読んでおり、また多くのアラビア人の良書がある。
 また、別の種類の予知もあり、これは自然な予測と超自然的な神託の中間である。これらは、過剰な愛、悲しみ、しばしばの溜息、死の怒りといった過剰な感情によって来るものである。これらについて、スタティウスはアキレウスの母についての詩で詠っている。


「――彼女は愛する両親も無く、
 どんよりとした湾の下で、(ボートの)オールは恐れた。」


 これらの原因は、我々の精神は特定の明瞭な力があり、万物を知る能力があるが、肉体と死すべき定めの闇によって阻害されているからである。だが死後には精神は不死を獲得し、肉体から自由となって、完全な知識を持つようになる。ゆえに、(病により)死に近くなった者らや、老いによって弱められた者らは、時には異常な光を見る。なぜなら魂への感覚の妨害が少し弱められ、非常に正確に理解し、そして今ではその束縛から少しリラックスし、肉体へと従属する事も無いからである。魂は赴きたい場所へと行き、啓示を知覚するが、それらは苦悩と混ぜられて与えられるものである。
 これらについて、アンブロジウスは復活の信仰についての書の中でこう述べている。風の動きに自由な魂は、それがどこへ行き、どこから来るかは知らない。だが、肉体の中で生きる魂が自由となり、感覚の鎖が切り落とされ、肉体の中にいた前には見た事の無い物についても自由に見分けると私は知っている。それらについて眠っている者で私は検証している。その精神は静かであり、肉体は(死者として)埋められたようであり、自らの精神を高次の世界へと高め、肉体に戻った後には、遠くの事柄や天の事柄についてすらの幻視を語るのである、と。


オカルト哲学 3-51
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 これらは確実に体外離脱体験(幽体離脱)の記録である。またインドのヨーギはサマーディの深い瞑想状態に入ると呼吸が止まると言われている。