オカルト哲学 3-45

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第45章 予言と熱狂について


 予言とは神官やその他の者らが、同時に(霊感に)打たれ、物事の原因を見分けたり未来を視るものである。すなわち、神々やダイモンからの神託や霊らが降りてきて、もたらされるものである。これらを後のプラトン学派は、上位の魂らが我々の魂に降りてくると呼んでいた。そしてメルクリウスは、これらをダイモンの感覚、ダイモンの霊らと呼んだ。この種のダイモンについて、古人らはエウリクレスやパイソナエと呼び、人の体へと入ってきてその声と舌を用いて未来について語ると古人らは信じていた。これらについてプルタルコスも「神託の欠点の原因について」の対話篇で記している。
 だがキケローはストア派の伝統に従い、未来を知る事は神々にのみ属すると確言していた。また占星術師のプトレマイオスは神に啓明された者のみが特定の事柄を予知すると述べている。また使徒ペトロはこれらについて、預言は人間の意志から出たものではなく、聖霊に動かされた聖人が語るものだと述べている*1。次に、何の未来の事柄を見るかは、降りてくる神々と適切に対応している。それらついて預言者イザヤは、こう確言し述べている*2。そして我々に来るべき事柄を伝えよ。(と言う王への返答として)そして我らは語ろう。なぜなら汝らは神々だからだ。だが、これらは何か別の事に意識を向けている時には我々の魂には来ず、心を空虚にしている時に来るのであると。
 次に、この空虚な精神状態には、熱狂、恍惚(エクスタシー)、夢の3つの種類がある。それぞれについて以下の章で順に述べるとしよう。


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↑ オカルト哲学 第三の書


*1 ペトロの手紙第二 第1章21節。
*2 イザヤ書 第41章23節。アグリッパの引用している聖書はギリシア70人訳から来ているので、通常のとは少し違う。