オカルト哲学 3-42

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第42章 どのような魔術師や降霊術師の方法によって、死者の魂を呼べると彼らは考えるか


 私がこれまで語ってきた事により、死後の魂は離れた肉体にまだ愛着があるのは明らかである。これらの魂は墓に埋められた肉体から出たり、暴力的な死によって離れざるを得なくなったりするが、それでもな苦悩と悲しみにある霊は、これらとの愛着する何かに影響されたかのように、死体の周囲を彷徨うのである。
 そのため、過去に魂が肉体と加わっていたのを知る者により、気体、液体、匂いや、特定の灯り、また歌や音楽といったものにより、容易に呼び出され引き寄せられる。これらは魂の中の想像的、霊的な調和を動かすのである。また、宗教に属する聖なる招聘といったものも無視すべきではない。理性魂の位置にある理性は、自然の上にあるからである。
 このようにして士師サムエルは呼ばれたと言われ*1、またルカンによるとテッサリアの女預言者が死体を起き上がらせたという。私がこれまで読んだ詩人らやその他の者らの書によると、死者の魂は血か死体が無い限りは呼び出せないという。だが、これらの影は、卵や牛乳、蜂蜜、油、ワイン、水、小麦粉の匂いにより容易に誘い出される。それらは魂が肉体を再び獲得する医薬に適しているかのように感じられるようである。ホーメロスが詠う魔女キルケーがウェルギリウスに教授する内容で、汝もそれらを読むであろう。
 またこれらの物は、死者の魂が最も親しんでいる場所でのみ効果を発すると彼らは考えている。それらは何らかの親和性から、死者の魂が引き寄せられるか、あるいは生前に印象付けられた影響により、魂自身をその場所へと引き寄せられるか、その場所の何らかの地獄のような性質から、懲罰されたり浄化される魂らに適しているのである。
 この種の場所は、夜の幻視や侵入で出会う事や幻覚といったものにより、最も良く知るだろう。また一部の場所は、墓場や処刑場や最近に虐殺された場所や、ここ数年以内に殺されて、まだ浄化されずに正当に死体が埋められていない場所といったような、これら自身によって充分に知られている。なぜなら、浄化やエクソシズムが行われた場所や、死体に聖なる正しい葬儀がなされたならば、しばしば魂が来るのを禁じ、最後の審判の場所へと追い払うからである。
 ゆえに、降霊術ネクロマンシーという名前があり、それは死体(ギリシア語でネクロ)において働くからであり、幽霊や死者の現れや冥府の霊らにより返答を得て、これらを特殊な地獄的な呪具や地獄の招聘、死の生贄、悪しき奉納により死体へと誘い出すのである。そのようなものについて、ルカンの詩の中で、魔女エリクトーが死者を呼び、セクストゥス ポンペイウス*2にファルサルスの戦い*3で起きる全ての出来事について予言する場面を私は読んでいる。また、ギリシアのアルカディア地方のフィガリアの町には、聖なる儀礼と死者の魂を呼び戻す術に長けた魔術師、祭司らがいた。また聖書でも、ある女が士師サムエルの魂を呼んでおり、聖人らすらも、自らの肉体への愛着があり、そこでは嘆願をさらに聞くので、多くの聖遺物のある場所で信者の嘆願がなされるのである。
 だが降霊術には2つの種類があり、1つは通常の降霊術(necyomancy)で、血を用いる事なく死体を起き上がらせる。もう1つは、影の託宣(sciomancy)で、影を呼ぶのみである。要約すると、殺された死体や、その骨や部分を用いたら、全ての試みは成功する。これらの中では、霊的な力が彼らに友好的だからである。
 そのため彼らは容易に悪霊らを類似性や親しみから引き寄せられる。これらの霊により、降霊術師らは強められ、それらの助けによって、地上的で人間の問題を行え、不法な欲望を刺激し、夢、病、憎しみといった情熱の原因をなす。またこれらの魂の諸力をも彼らは授けられる。困難と悲しみにあり、抜け出した死体の周囲を彷徨う霊らも、悪霊がなすのと同じ事が行えるからである。
 そのため彼らが経験的に見つけた事は、邪悪で不純な魂が、暴力的に肉体から切り離されたり、まだ浄化されておらずに葬儀を望み、死体に留まる魂は、親和性により引き寄せられ、魔女らはそれらの魂を魔女術の効果のために悪用し、これらの不幸な魂らをその肉体の同等物によってや、その部分を用いる事で呼び寄せ、魔女らの悪魔的な呪具で強制し、これらに懇願し、形の崩れた死体の断片を野にばら撒く。(彼らが呼ぶのは)葬儀を望む彷徨う影や、アケロン川(の死者の国)から呼び出された幽霊らや、早死にして地獄に早く来た客人らや、邪悪な者らの恐ろしい欲望や、傲慢な悪魔、邪悪な復讐者らからである。
 だが、魂を真に肉体へと回復させるのを望む者は、魂の適切な性質、どこから魂は来たのか、どれだけ多くの偉大な完成で満たすべきか、何の知性体がこれらを強めるか、何の方法によって魂は肉体へと満たされるか、この中に何の調和が作られるべきか、神、知性体、諸天、エレメンツ、それらの像と類似性がある全ての他の物との間に、魂が何の親和性があるかついてまず最初に知る必要がある。
 結論として、死者を起き上がらせるために、その肉体へ魂を再び縛り付けるのは、人に属するものではなく神のみであり、神が対話しようと望む者らに対してのみである。これらにより、預言者エリシャがシュネムの子を蘇らせ*4、アルケースティスもヘーラクレースにより蘇り、さらに長生きしたと言われており、ティアナのアポロニウスもローマで死んだメイドを蘇らせている。
 また時にはある者に起きる事だが、生命力を与える霊が離れ去り、死者のように見え、感覚も失われるが、知的機能はなおも肉体に残り、同じ形のまま、同じ肉体に留まり、生命力はその肉体には拡張しないものの、知的機能は肉体と結びついたままにあるのである。そのため、この者は真に死者と言えなくも無いが、まだ死んだわけではない。死者は生命の霊を大いに望み、それらはまだ分離されている訳ではない。そのため、肉体は再び起き上がり生きる事もある*5
 よって、多くの奇跡がこれらに起きており、これらは古の時代の異教徒やユダヤ人の間でも見られていた。それらについて、プラトンは「国家」の第10の書で列挙している。その中の1つの話では、小アジアのパンフィリア地方のペレウスという男が戦場での死者の間で10日間横たわり、それから片付けられて2日間火の上に横たわっていたが、そこで蘇り、彼が死んでいた間に見た多くの驚異的な事柄を語ったという*6。また、これらの事柄について私は第1の書で部分的に語っており、私が神託について述べる後の章でも語るつもりである。それらは、死のうとする人間の狂喜、エクスタシー、感情の爆発の中にある時に起きるものである。


オカルト哲学 3-43
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 サムエル記上 第28章11節。
*2 有名なローマ三頭政治の将軍グナエウス ポンペイウスの次男。父の死後もスペインに割拠し、カエサルに抵抗した。
*3 ギリシアでの、カエサル軍とグナエウス ポンペイウス軍との決戦。
*4 列王記第二 第4章32-35節。
*5 アグリッパは植物人間状態について言っているようである。
*6 明らかに、古代における臨死体験のケースである。