オカルト哲学 3-40

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第40章 あらゆる人には神的な印が植え付けられており、その性質により人は奇跡の働きを得られること


 自然により人の中には支配し卓越する特別な力が植え付けられている事は、多くの例により示されている。プリニウスが述べるに、砂漠で彷徨っている人に出会った象は、温和で丁寧に道を示したと言われる。また同じ生き物は、人を見ずともその足跡を見ると、懲罰への恐怖から、恐れ、立ち止まり、周囲を見渡し、震えるという。同様に虎も、全ての獣の中で最も獰猛であるが、人を見たら仔を隠そうとするという。この種の事は他にも、生き物について大いに記している様々な著者らの書で私は読んでいる。
 だが、動物らは人を見た事も無いのに、どこから人を恐れるよう知るのだろうか? また、動物らが人を知っていたら、自分は彼らよりも力と素早さで上回っているのに、なぜ恐れるのだろうか? 野獣らを恐れさせる人の性質とは何だろうか? 全ての動物の歴史家らは、これを見つけ出して認めているが、その理由と証明については他者に委ねている。
 これらについてフィロストラトスが記す話では、ティアナのアポロニウスが、小さな子供が巨大な象を率いているのを見て、なぜこうも巨大な生き物が子供に従うのかとダムス神に尋ねた。すると神の返答は、創造主により人に植え付けられた特定の活動する恐怖からで、それらを低位の生き物と全ての動物らは知覚し、人を恐れ崇めるようになると。それは恐るべき文字で、神が人に植え付けた印であり、それにより万物は人に従い、従者にせよ動物にせよ人を上位者と認めるのである。さもなければ、子供が家畜や象を支配する事は出来ず、王が臣民らを、裁判官が被告人を恐れさせられないのである。
 それゆえ、人には神聖なイデアから植え付けられた文字があり、カバラ学者はそれをパハド פחד と呼び、これは神の左手あるいは剣の意味である。さらに、人は恐れられる印のみを持つのではなく、愛される印も持っており、神の計算法におけるこのイデアは、ヘセド חסד と呼ばれており、神の右手あるいは王錫を意味する。
 これらの神的な計算法により、知性体と星々により、我々の上には自らの限界と清浄さに応じた印と文字が植え付けられている。最初の人間アダムが造り出したこれらの印は、疑い無く全ての総合と完成を得ていただろう。全ての生き物が、秘密の優しさにより引き寄せられ、恐怖により従い、アダムを主として近づいていき、アダムはこれらに名前を付けていったのだ*1。だが、知恵の樹の実を食べた罪の後、アダムはこの威厳を失い、それは子孫全てに及ぶようになった。
 これらの印は我々の中で完全に失われたわけではないが、誰もがアダムと同じく罪を背負っているゆえ、これらの神的な印はわずかのみを受け取っている。そして友情と崇敬を受け取るべきが、獣や人間、悪魔らの奴隷と恐怖に堕ちてしまうのである。そのため、カインが(荒野へと追放されるのを)恐れ、神に対して自分を見た者は殺そうとするだろうと言ったのだ*2。彼は人に加えて獣や悪魔も恐れたのである。当時は人は非常に少数だったからだ。
 だが古き時代には、多くの者らが罪なく暮らし、非常に良い生活をしていたので、服従と力を楽しんでいたのである。士師サムソン、ダビデ王、預言者ダニエルは獅子に対して持っており、預言者エリシャは熊に、使徒パウロは毒蛇に、また多くの隠者らが荒野や洞窟や獣らの巣に住んでいたが、恐れる事も無く、傷つけられる事も無かったのである。罪により神の印が曇らさせたので、罪が浄化され贖われたら、印は再び輝くようになるからである。


オカルト哲学 3-41
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 創世記 第2章19節。
*2 創世記 第4章14節。