オカルト哲学 3-37

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第37章 人の魂と、どのようにして肉体と結びつくかについて


 人の魂は特別な神の光であり、世界の像に基づいて造られ、諸原因の原因、神の形質であり、印による形があり、それらの性質は永遠の御言葉である。また人の魂は特別な神の形質であり、分割不可能であり、肉体のあらゆる部分に臨在し、形無き創造主により造られ、この創造は第一動者の力によみ拠り、肉体の胸によるものではないのである。
 魂は実在する数で、均等であり、自らと対話し、理性的で、全ての肉体と物質的なものから遠く離れている。魂の分割は物質によるもの、低位で粗雑なものから来るのではなく、優れた原因から来るのである。魂は量的な数ではなく、全ての物質の法則から離れたものであり、その部分によって分割されたり増やされたりはしないからである。そのため、人の魂は特別な神の形質であり、神の泉から流れ出たもので、自らの数とともに運ばれる。それは神的な1の数、創造主がそれにより万物を配置した数のみならず、万物の比率のある有理数でもあり、そのため魂は万物を理解できるのである。
 そのような人の魂は、プラトン学派の意見によると、神から直接流れ出たものであり、粗雑な肉体と適切な方法により繋がっている。まず最初に魂は降下する際に、天上にて風的な体を用いており、彼らはそれを魂の天上の乗り物と呼び、他の者らは魂の戦車と呼んだ。この中間状態では、世界の中心にいる神の命により、まず最初に人の体の中心である心臓の中心点へと影響を与え、そこから自らの肉体全体に満たされていく。魂が自らの戦車から自然な熱へと加わったら、心臓より霊が熱により生み出される。これにより、魂は気質へと自らを飛び込み、それにより肉体の全ての部分を受け継ぎ、これらは次々と部分的に影響をされていったものの、全て均等に近いものとした。それは火の熱は風によって水に変換されるものの、この熱は風と水に近く繋がっているようにである。よってこれらが、どのようにして魂が発現するか、不死の魂が不死の体、つまりエーテルの乗り物によって、粗雑で死すべき定めの肉体へと含まれるかの全てである。
 だが病や何らかの事故によって、これらの中間物が解消されたり活動を止めたら、魂自身はこれらの中間物によって自らを再び集めて、魂の最初の入れ物だった心臓へと戻っていくが、熱の霊は活動を止め、熱が消え去り、魂は肉体を離れ、人は死に、魂は天上の乗り物により飛び去り、彼を保護していた守護神とダイモンは共に去っていき、神の審判へと運ばれる。そこで神は判決を下し、良き魂は栄光に、悪しき魂には恐ろしい悪魔が地獄へと引きずり込んでいくのである。


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↑ オカルト哲学 第三の書