古今の秘密の教え 十字と十字架刑

ページ名:古今の秘密の教え 十字と十字架刑

十字と十字架刑


 十字についての最も興味深い伝説の一つが、ヤコブス デ ウォラギネの「黄金伝説」の中にある。物語はアダムが老年に達した所から始まる。余命もはや無いのを感じたアダムは、息子のセトにエデンの園へと巡礼し、入り口を守護する天使から、神が人類に約束した恵みの油をもらってくるようにさせた。セトは道を知らなかったが、父は園は東の方角にあり、道は容易に従えるだろうと述べた。アダムとエバが主の楽園から追放された際に、彼らの足が触れた道の大地からは、以後は草が決して生えなかったからである。


 セトは父の教えた方向に従い、苦労せずにエデンの園を見つけた。門を守護していた天使は、彼に入る事を許し、園の中央でセトはその枝が天まで届く大きな樹を見つけた。樹は十字の形をしており、地獄の底へと繋がっている崖の縁に立っていた。樹の根の辺りで彼は兄のカインが、絡みつく根によって捕えられているのを見つけた。天使はセトに恵みの油を渡すのは拒否したが、代わりに生命の樹(ある者らは知識の樹と呼ぶ)の3つの種を渡した。セトは父のもとに帰ると、アダムはこれ以上生きずに済む事に大喜びし、その3日後にアダムは死に、セトは天使が指示したように彼の口に3つの種を入れた。種はすぐに育ち、3つの幹が1つになって伸びていき、それは根からアダムの血を飲んで、アダムの命は樹へと取り込まれた。(ノアの時代になると)ノアは樹を登っていき、そこから箱舟へと乗り込んだ。大洪水が収まってから、彼はアダムの頭蓋骨をゴルゴタの丘に埋めて、レバノン山の山頂に樹を植え直した。


 モーセはこの樹(燃える柴)の半ばで神の幻視を見て、これから魔術の杖を伐り、それにより岩から水を吹き出させることが出来た。だが彼は2度目に岩を叩いた時に主を呼ぶのを怠ったので、この杖を約束の地へと運ぶのを許されなかった。そのため、モーセは杖をモアブの丘に埋めた。後にダビデ王は多くの探索の末にこの樹を見つけた。そしてソロモン王は自ら作っている神殿の柱のために用いようとしたが、大工らは短すぎたり長すぎたりして、適切に伐る事が出来ずにいた。やがて彼らは頭にきて、この丸太はエルサレムと周囲の丘を結ぶ橋に使うことにした。シバの女王がソロモン王を訪問しに来た時に、この橋を渡るように期待されたが、彼女は足を付けるのを拒否し、樹に跪いて祈り、サンダルを脱ぐと、川を素足で渡っていった。この彼女の行いはソロモン王を大いに感嘆させ、王は丸太を黄金の板で覆って、神殿の扉に付けるように命じた。この樹はそのまま置かれていたが、やがてソロモン王の強欲な孫が黄金に目がくらんで盗み、この犯罪が見つからないように樹も燃やしてしまった。


 樹の燃え後が埋められた土地から、すぐに泉が湧き出てきて、これはベセスダの泉と呼ばれるようになった。ここには全シリア地方から病者が癒しを求めて来るようになった。泉の天使は樹の守護者となり、何年もの間、泉は平穏なままにあった。だがやがて、泉の表面に丸太が浮かんできて、再び橋として使われたが、今回はゴルゴタの丘とエルサレムの間だった。そしてここをイエスが十字架に架けられるために渡った。ゴルゴタの丘には適当な木材が無かったので、この樹が2つの部分に切られて十字架が作られ、この上に神の子は架けられた。この十字架はアダムの頭蓋骨が埋められた場所に置かれた。後に皇后ヘレナ*1により十字架は見つけられ、この木材は1つの樹の中に4つの違った部分があった(エレメンツを表している)。そして以後はこの十字架は触れる事を許された病者全てを癒すようになったという。


 十字架への崇敬はキリスト教世界に限られているという一般的な考えは、宗教的象徴主義の最も表面的な研究においてすらも反証されている。原始キリスト教徒は、彼らの新宗教の象徴、教義、儀礼の多神教の起源を、あらゆる可能な方法を用いて隠そうとした。彼らは他の宗教の聖典を燃やしたり、関連する哲学の学徒らが読めないようにし、それによって彼らの教義のキリスト教以前の起源の全ての記録を消し去れると信じていたようである。ある場合には、様々な古代の著者らの書が改竄され、一部の文が消し去られたり、別のものに取り換えられたりした。フラウィウス ヨセフスの歴史書の中のイエスに関する偽造の疑いのある文はその一例である。


聖十字架の歴史

ベルジェアウの「聖十字架の歴史」より


 (1)アダムがセトにエデンの園へと向かうように指示する。(2)セトが生命の樹から得た3つの種を死んだアダムの舌の下に植える。(3)シバの女王が、足を聖なる樹に触れさせるのを拒否し、徒歩で川を渡る。(4)聖なる樹がソロモン王の神殿の扉に置かれる。(5)聖なる樹から作られた十字架の上にキリストは架けられる。(6)死者を蘇らせるその力の試みにより、真の十字架を他の2つから区別する。


アレクサンドリアの失われた図書館


 キリスト教の時代の前に、古代世界のあらゆる場所から巻物、パピルス、蝋、石版、焼き物、木板に書かれた最も価値のある70万冊もの書が、アレクサンドリアのそのために建てられた建物に集められた。この知識の偉大な貯蔵庫は、3回の放火により滅ぼされた。ユリウス カエサルが紀元前51年に港湾の敵艦隊を滅ぼすべく点けた大火から逃れた部分も、389年のテオドシウス帝の勅令に従うキリスト教徒により破壊された。帝はセラピス神殿のあるセラペウムの破壊を命じ、ここに書庫が保存されていたからである。この大火では、マルクス アントニウスがクレオパトラに紀元前51年の放火により燃やされた部分の補償として贈った図書館も破壊されたと考えられている。


 これらに関して、H.P.ブラヴァツキーは「ヴェールを剥がれたイシス」の中でこう書いている。「パレスティナのラビと賢者らは、全ての巻物や文書が、歴史が記録するカエサルや、389年のキリスト教の群衆や、アラブ将軍オムルによって滅ぼされ、一般に信じられているように消え去ったのではないと告げる。彼らが語る物語は以下の通りである。紀元前51年、クレオパトラと弟のディオニュシウス プトレマイオスの(エジプト)玉座を巡る闘争の中で、この図書館の70万冊もの木片と不燃性の羊皮紙により包まれた巻物は修復され、オリジナルの文書の多くの部分、最も貴重なものと考えられ、複製されていなかったものらは、司書らの一人の家に保管された。(中略)カエサルの命令により放たれた火により艦隊が燃やされてから数時間後に、沿岸部にあった最初の建物が火に包まれた。(中略)司書らは、何百人もの奴隷の助けとともに、図書館から最も貴重な巻物を救った。」おそらくここで救われた書らは、エジプトかインドの地下に埋められ、これらが再発見されるまで、現代社会は多くの偉大な哲学的、神秘的な諸真理に対して無知なままであろう。古代世界はこれらのミッシングリンク――キリスト教の中で継続する多神教の密儀――について、より良く理解していた。


多神教象徴の中の十字


 ブリタニカ百科事典の十字と十字架刑の記事の中で、トーマス マッコール ファロウはこの表意文字の古さについて多くの光を投げかけている。「キリスト教以前の時代に、非キリスト教の間で十字を宗教的象徴として用いるのは、ほとんど普遍的なものと見做されており、そして多くの場合には自然崇拝の何らかの形と関連していた。」


 十字そのものは、世界中の芸術で親しまれている対象だったのみならず、人類の大半の宗教生活で本質的な部分として崇拝されていた。これは北、中央、南のアメリカ原住民の間でも一般的な象徴であった。ウィリアム W. セイモアはこう述べている。「アステカ族の雨の女神は、その手に十字を付け、トルテカ族は彼らの神、ケツァルコアトルが十字の印と儀礼を彼らに教えたと主張している。そのため、この神の杖、力の錫は十字架杖に似ており、この神のマントには赤い十字で覆われていた。」(「伝統、歴史、芸術の中の十字架」より)


 この十字は日本人と中国人も高く崇めている。ピュタゴラス学派は、全ての数の中でも最も聖なるものは10とし、その象徴をX(斜め)十字とした。そして日本語と中国語の両方とも、10の数の文字は十字なのである。仏教での法輪は2つの十字が組み合わさった形をしており、この8つの軸は、キリスト教でも今なお、特にテンプル騎士団の十字として用いられているが、これらは本質的には仏教的なものである。インドでも十字は用いられており、その彫刻や絵画のみならず、その建築においてもである。多くの数の神殿――キリスト教の教会や司教座聖堂のように――十字の基盤の上に建てられているのである。


 チベットの曼陀羅では、天は十字の形で示されており、その4つの門に明王らが置かれている。ボンベイ沿岸のエレファンタ島の洞窟で、太古の見事な十字が発見されている。カルデア、フェニキア、エジプト、アッシリアの芸術では様々な十字は好まれたモチーフだった。ギリシアのエレウシス密儀の秘儀参入者らは、秘儀参入の時に鎖か紐で首から吊るす十字が与えられていた。薔薇十字団、錬金術師、イルミナティでは十字は光の象徴だった。ラテン語の光を意味するLVXの文字は、いずれも十字の一部分から導かれるからである。


タウ十字


 タウ十字は預言者エゼキエルの書によれば、エルサレムの住人に主が額に記すようにと語った印である。またこれは、犯罪で捕まった後に釈放された者らの解放の象徴として記されてもいた。


タウ十字


 十字には3つの違った形がある。第1のものはタウ(TAU。より正確に言うとTAV)十字である。これは現代のTの文字とよく似ていて、水平の線が垂直の線の上に乗っていて、両方の腕は同じ長さである。オークの樹を大地の数フィート上で伐って、上の部分を下の部分の上に横たわらせたのは、ドルイド教の神フーの象徴だった。この象徴はエジプト人が、雄牛や雄羊の角を広げたものと、その顔の垂直線から考えたのが起源だと見做されている。この十字は時にはハンマー十字と呼ばれるが、これは基盤の垂直の部分が、木槌や小槌に似てなくもないからである。カバラのメイソンリーの伝説の中で、ヒラム アビフは先祖のトバルカインからタウの形をした金槌を貰ったというものがある。このタウ十字は近代メイソンリーでも、丁字定規の象徴として残されている。これは現存する十字の形の中でも最古のもののように思える。


 このタウ十字はミトラス儀礼で認められたあらゆる人物の額に刻まれていた。ある王がエジプト密儀で秘儀参入を受けた際に、タウ十字が唇に置かれた。アメリカ原住民の密儀の一部でも、これは志望者の体に刺青として彫られていた。カバリストには、タウは天を意味し、ピュタゴラス学派には10つ組テトラクティスである。ヘルメース神が持つカドケウスの杖は、タウ十字が伸びたものである(アルバート パイクの書を参照)。


クルックス アンサタ


 この十字と円の両方とも性器の象徴である。古代世界では、自然の生成力は神の創造の属性の表現と考えられていたからである。このクルックス アンサタでは、男性原理のタウ十字と女性原理の楕円が、生成の諸原理を表している。


アンク十字


 十字の第2のタイプは、Tあるいはタウ十字の上に円が載せられたもので、しばしば垂直の楕円形の形で描かれている。これは古代人からクルックス アンサタ、生命の十字と呼ばれていた。これは古代密儀の鍵であり、より後の物語である聖ペトロが天国で持つ黄金の鍵の原型となったものであろう。エジプト密儀では志望者は、実際のものと想像上のものの両方の危険のある通路を通過する必要があり、その時に彼らは頭上にアンク十字を掲げて歩いていた。そして、その前には闇の諸力も恐れて後ずさった。その間、学徒はIn hoc signo vinces(この印によりて汝勝利を収めん)の言葉を唱えていた。このアンク十字は金星の印と似てなくもないと、リチャード ペイン ナイトは注記し、こう述べていた。「この形の十字は、時には硬貨にも彫られて、それらの幾つかはテオドシウス帝の勅令によって壊されたセラピス神殿跡でも発見されている。そしてこの時代のキリスト教徒の古物収集家により、これらは未来の生を表すと言われていた。」


 オーギュスト ル プロンジョンは、「マヤ族とキチュ族の聖なる密儀」において、アンク十字についても記しており、彼はこれをナイル川の鍵、象徴の中の象徴と呼んでいた。この完全な形態か、シンプルなタウ十字の形態の両方とも、パレンケ、コパンの大都市やその他の中央アメリカ全体の神像や薄浮彫の胸に刻まれているのが発見されている。またこのアンクは常に水と関連づけられていると彼は注記している。バビロニア人の間では、これは水の神の紋章であり、北欧人の間では天と不死を表し、マヤ人の間では若返りと肉体の苦悩からの自由を表していた。


 この象徴と命の水との関連について、エウゲネ ゴブレット ドアルヴィエラ伯爵は、「象徴の伝播」の中で、古代エジプトではナイル川の水位を測るためのナイロメーターと呼ばれる、アンク十字と似た形の道具が使われているのに注目した。この形とナイル川との関係から、命の象徴となった可能性も高いと思える。エジプトは充分な穀物を得るのにナイル川の氾濫に完全に頼っていたからである。パピルスの巻物で、アンク十字はエジプトの王らが敵に恩赦を命ずる時に、口から放たれるように描かれている。そして、これは王らが埋葬される時に一緒に入れられていたのは、魂の不死を表していた。これは多くの神々や女神らが手に持った姿で描かれており、これらの神の慈悲と、命を与える力を表していた。カイロ博物館には、多くの形、大きさ、デザインの十字が展示されており、これらは古代エジプト人の間で十字が一般的な象徴だった事を示している。


イースター島の彫像の背後に示されるアンク十字


 このアンク十字が地球の多くの距離を旅してきたのは、これが背中に彫られているのが南太平洋のイースター島で見つかった神秘的な石像である事からも証明されている。この石像――グループの中でも最小のもの――は帆船によってロンドンへともたらされ、今では大英博物館が所有する事になった。背中にあるアンク十字ははっきりと見える。


ラテンとギリシア十字


 十字の第3の形は、良く知られているラテンとギリシア十字のタイプで、これらはイエス キリストの十字架刑と密接に関連している。最も実際に使われた十字架が、より近代での形と似ていたかには疑いがある。これらの十字には数えきれないサブバラエティーがあり、これらの垂直と水平の棒の比率が違っている。様々な時代の秘密結社の間では、複合された十字を見つける事が出来る。例えば、フリーメイソンリーのロイヤルアーチの三重のタウ十字や、メイソンリーやローマカトリック教会の象徴にある二重や三重の十字架などである。


 キリスト教徒にとって十字には2つの意味合いがある。第1に贖罪者の死の象徴であり、殉教者らはこれらを通じて、神の栄光に参加すると感じる。第2に、謙虚さ、忍耐、生の重荷の象徴である。十字が生と死の両方の象徴であるのは興味深い。多くの国々では宗教の占星術的側面を深く考えており、ペルシア人、ギリシア人、ヒンドゥー教徒は十字を冬至、夏至、春秋分点の象徴と見做していた。これらの1年の中の期間に太陽は象徴的に、想像上の角度での十字架刑に処されるのである。


 多くの国々で彼らの救い主を太陽の擬人化と考えていた事実は、十字が多神教の寓意において占星術的な要素として存在している説得力のある証拠となっている。オーギュスト ル プロンジョンは、十字崇拝の理由の一部は、毎年の雨の直前に起きる南十字星の星座の上昇にあると信じていた。これらの緯度に住む住民は穀物を育てるのに雨に依存しているので、この十字を来るべき嵐の約束と見て、それは彼らにとって命の約束の意味があった。


 (古代哲学と現代科学の両方で)宇宙には4つの基礎的なエレメントがあり、古代人はそれらを十字の4本の腕で表し、それぞれの末端には神秘的なカバラの生き物を置き、それらの要素の1つの力を表していた。よって、彼らは地のエレメントを雄牛で、水を蠍、蛇、鷲で、火を獅子で、風を翼で取り囲まれている人間の頭で象徴していた。イエスが十字架刑に処される際に、羊皮紙(ある者らは木板と考えている)に刻まれ、十字架の頂点に置かれた4文字「INRI」は、4大エレメントを意味するヘブライ語の4語の頭文字であった。「Iammin 水の海。Nour、火。Rouach、風。Iebeschah、乾いた地。」(アルバート パイク著「倫理と教義」を参照)


 十字は正六面体に折り畳んだり開いたりできるので、この象徴が地エレメントと関連づけられる原因となった。もっとも円の中にある十字の象徴は、(占星学において)長い間地球のサインであったが、これは地球の4つのエレメントの混合物の象徴と見做すべきである。これはエレメンツの4つの三角形で構成されているからである。数千年の間、十字は人類の救いの計画と同一視されてきた。錬金術で哲学者の石を造るために用いられたエレメンツ――塩、硫黄、水銀、アゾット――は、しばしば十字によって象徴されていた。また東西南北4方の十字には秘密の意味合いがあり、メイソンリーの4組の3人仲間らは、失われた言葉を探求するため、コンパスの4つの方角へとなおも進む必要がある。


 十字が作られる材質もまた、その象徴主義にとって本質的な要素と見做されていた。金の十字は啓明を、銀の十字は浄化を、卑金属の十字は謙虚さを、木製の十字は大志を象徴していた。また、多くの国々で祈りで両手を広げる仕草の習慣が、十字の象徴に影響を与えてきた。この形から、十字は人体を表象すると見做されるようになった。人間の構造の4つの主な部分――骨、筋肉、神経、動脈は、十字の象徴にも大きく影響したと考えられている。これは特に、脊柱の基底にある神経の十字と、「我らの主もエジプトで十字架に架けられた」*2のも思い出させる。


 人には表現の4つの乗り物(あるいは媒体)、肉体の性質、生命の性質、感情の性質、精神の性質があり、それらにより霊のエゴは外部の世界と接触している。それぞれは主要なエレメンツの1つの原理と関連しており、さらにカバリストらにより割り当てられた4つの生き物らは、十字を人の複合的な性質の象徴にさせた。


十字架刑――宇宙的な寓喩


 数えきれない救い主らが、人の罪のために、人の手により殺されている。そして、彼らの死を通じて、これらの処刑者らの魂のために天で取り成しがなされている。神人の殉教と、その血を通じての世界の贖いは、多くの大宗教の本質的な教義であった。これらの物語のほとんど全てが、太陽崇拝と関連している。この栄光ある昼の天体は、彼の宇宙の中にあるあらゆる生き物のために毎年死んでおり、毎年真冬の墓から勝利とともに蘇っているからである。これらの十字架刑の教義が、古代の知恵の秘密の伝統が基礎にあるのには疑う余地が無い。人の中の神的な性質は、動物的オーガニズムの下に常に十字架刑にされているのを思い起こさせる。一部の多神教の密儀では、秘儀参入儀礼で志望者が十字架に架けられたり、十字型の祭壇の上に横たえさせられたりしていた。ティアナのアポロニウス(反キリスト教的な人物である)が、エジプトの大ピラミッドで奥義の秘儀参入を受けた際に、意識を失うまで十字架に架けられ、それから3日間墓(棺桶)に入れられたと伝えられている。アポロニウスの肉体が意識を失っている間、その魂は不死の領域(死の場所)を通っていたと考えられており、やがては(命は永遠であると認識する事により)死を滅ぼし、魂は再び肉体に戻り、棺桶から立ち上がり、その後に彼は神官らから兄弟として敬礼され、彼らはアポロニウスが死の国から帰還したと信じた。この概念は、本質的には、密儀の教えであった。


ティアナのアポロニウス

「神の預言の歴史」より


 アポロニウスとその驚くべき力について、フランシス バレットは「古代の伝記」で、アポロニウスが暴動を言葉を話す事無く沈めた記述の後に、こう書いている。「彼は多くの旅をし、自らを立法者として働き、全ての言語を学ぶ事なく理解していた。彼は遠くで起きた出来事を知る驚くべき力があり、ドミティアヌス帝が暗殺された時にも、アポロニウスは離れた場所の市場にいたが、急に「刺された! 刺された! もはや暴君はおらず」と宣言した。彼は鳥の言語も理解していた。また踊りや他のこの種の娯楽を非難し、慈善と敬虔さを勧めていた。彼は世界のほとんどの国々を旅しており、非常に高齢になってから死んだ。」


十字架に架けられた救い主達


 人々のために受難に遭い、それにより永遠の生として再び生まれる、死から解放された死すべき者のリストは膨大なものがある。それら中で特に十字架刑と歴史的、寓話的に繋がっている者らは、プロメーテウス、アドーニス、アポローン、アレース、バッコス、仏陀、クリシュナ、ホルス、インドラ、イクシーオーン、ミスラ、オシリス、ピュタゴラス、ケツァルコアトル、セミラミス、ユーピテルである。現存する断片の記録から、これら英雄達全ては人類のために自らの命を捧げ、少数の例外を除いて、人類の進歩のための殉教者として死んだ。多くの神秘的な方法によって、彼らの死に様は意図的に隠されているが、彼らのほとんどが十字架か樹に架けられた可能性が高い。人類の最初の友、不死のプロメーテウスも、コーカサス山の山頂で十字架刑にされている。プロメーテウスはゼウスの命令に従わず、火と不死を人類にもたらしたからである。そのため、ヘーラクレースが助けに来るまで、彼は人類のために懲罰に苦しめられる事となった。


 ペルシアのミスラ神の十字架刑について、J.P.ランディはこのように書いている。「デュピュイが我々に伝えるところによると、ミスラ神は十字架刑により殺され、3月25日*3に再び蘇るという。ペルシアの密儀では、一見して死んでいるように見える若者の体が展示されるが、それは偽りであり、再び蘇るのである。その受難によって、この神は人類の救いのために働いたと信じられており、その意味でこの神は彼らの救い主と呼ばれる。この神の神官らは、3月25日の深夜に大きな叫びと闇の中で墓を監視し、やがて一気に全ての灯りが点されて、神官は喜びとともに叫ぶ。聖なる秘儀参入者よ、汝の神は再び起き上がる。その死、その苦しみ、その受難は汝の救いのために働いた、と。」(「不朽のキリスト教」参照)


 仏陀のように一部の場合には、十字架の刑の神話は文字通りの意味というより、寓話的に取るべきである。仏陀の死は弟子らによって「大般涅槃経」で記録されているからである。だが樹とこれらの英雄らの死が象徴的に関連づけられている事実は、十字架刑の物語の普遍性を示すのに充分である。


 インドでのキリストの同等物は、森の中でフルートを吹き、その音で鳥や獣らを魅了していた不滅のクリシュナである。この神性の啓明を受けた人類の救い主は、敵らによって十字架刑にされたと思われるが、それらの証拠を徹底的に破壊するために、大いに注意が払われている。ルイ ジャコリオは「インドの聖書」の中で、クリシュナの死をこう記している。「クリシュナは地上を去り、彼を送り出した神の御元へと帰る時が来たのを理解した。ある日、弟子らについて来るのを禁じて、彼は一人沐浴のためにガンジス川の畔へと歩いていった。(中略)聖なる河に到着すると、彼は3回中へと入り、それから跪いて天を仰いで祈り、死を予期した。その姿勢のまま、彼は矢を受けた。矢を放った者らの一人は、かつて犯罪を彼に暴かれ恨みに思っており、クリシュナがガンジス川へと向かうのを聞いて、強力な軍隊とともに待ち伏せしていたのである。(中略)神人の肉体は殺人者どもによって樹の枝へと吊るされ、禿鷹の餌にされた。クリシュナの死の知らせはインド全土に広がり、クリシュナの最愛の弟子アルジュナに指揮された人々は、師の聖なる遺骸を取りに行った。だが、この贖罪者の現世の肉体はすでに消え去っていた――疑いなく、それは天にて再生していたのである。(中略)そしてクリシュナが結び付けられていた樹は、突然に全面に赤い大きな花に覆われ、甘い香りを発するようになった。」他のクリシュナの死の物語では、矢の照準が向けられる時に、クリシュナは十字の形をした樹に結び付けられていたと記されている。


 ムーアの「ヒンドゥー教のパンテオン」の挿絵にある、クリシュナが手のひらと足首に釘の傷を受けている絵や、インマンの「古代の信仰」で、この東洋の神が足首の一つに釘の穴がはっきりと見える絵は、この主題に対して偏見のない者らが研究をする動機には充分である。これらの発見について、J.P.ランディは、「不朽のキリスト教」の中で以下の情報を与えている。「十字架に示されているキリストとその哀れみと愛と解釈されるこの預言を、ペルシア人はどこで手に入れたのだろうか? 両方とも象徴的なものと実際の十字架刑があるのを、これらの出来事全てにおいて我々は見ている。これがインドから来たのならば、原始的、純粋な全ての宗教の共通で原初の中心があったという解釈以外にどう可能だろうか? この主題全体を描いた驚くべき絵があり、それは私が信じるにキリスト教時代以前からあると言われている。私はこれをムーアの『ヒンドゥー教のパンテオン』から複写したが、それはただの好奇心からではなく、十字架刑の最も顕著な例としてである。私はこれには『宇宙の十字架刑』以外の名前を与えるつもりは無い。(中略)このヒンドゥー神話で、これは犠牲の人、あるいは祭司と犠牲者の両方が一つとなっているのか、自らを世界の前に生贄に捧げた人だろうか? これは宇宙において十字架の形に自らを形作った、プラトンの言う第二の神だろうか? あるいは、これは鞭打たれ、痛めつけられ、足枷をつけられ、両目を燃やされ、あらゆる悪しき方法で苦しめられた後に十字架刑にされた彼の神人だろうか? プラトンはこの神学をエジプトとオリエントで学び、クリシュナ、仏陀、ミスラなどの十字架刑についても知っていたはずである。いずれにせよ、インドの宗教には、キリスト教時代の遥か昔から、現実の者として神秘的な十字架刑にされた犠牲者がいたのである。そして私は、この驚異的な絵にそれが示されていると考えたい気になっている。」


 現代社会は、いわゆる多神教の神々に対して誤解をしており、それらの真の性質と意味合いの光の下では、これらへの観点は完全に違ったものとなるだろう。多くのキリスト教徒によるクリシュナやバッコスへの嘲りや中傷は、これらの寓話の中にある秘密の意味合いを感じるのに完全に失敗した者らによる、不死の諸原理への迫害の顕著な例である。ギリシアで十字架刑にされた男について、曖昧な噂が流れたのは誰か? ヒギンズは、それはピュタゴラスと考えており、この死の物語は原始キリスト教徒の著者らにより抑圧されたが、それは彼らの教えと対立していたからである。またローマ軍団が戦場で靡かせていた軍旗には、十字架刑にされた太陽の人(ミトラス)が描かれていたのは事実では無かったか?


ケツァルコアトルの十字架刑


 世界の十字架刑にされた救い主の中でも最も注目すべき例の一つは、中央アメリカの風と太陽の神、ケツァルコアトルであり、メキシコと中央アメリカの原住民らの神官らが長い間秘密を保持してきた事についてである。この奇妙な不死者の名前は、羽根のある蛇を意味し、海から現れて、神秘的な十字架へとこの神は架けられた。また、この神の衣は雲と赤い十字によって装飾されていた。この神を称えるために、メキシコの様々な場所で石の上に大蛇が彫られている。


 ケツァルコアトルの十字はやがてはマヤ人の間で聖なる象徴となり、現存するマヤ神話の御使いの記録によれば、これらは様々な色で額に十字を描かれていた。また彼らの密儀での秘儀参入者の眉間にも、似たような十字が描かれていた。征服者コルテスがメキシコに到着した時、彼は十字架を持って上陸し、それを見た原住民は彼をケツァルコアトルの再来と信じた。ケツァルコアトルは無限の未来に帰還し、民を救うと約束していたからである。


 ゴッドフリー ヒギンズは「アナカリプシス」で、アメリカの十字の象徴主義についての光を投げかけている。「インカ文明では非常に美しい大理石や碧玉の十字があり、肘の4分の3の長さに、指3本分の幅と厚みがあった。これは王宮の聖なる部屋に保持され、大いに崇拝されていた。スペイン人はこの十字を奪うと黄金と宝石で飾り立てて、クスコの司教座聖堂に飾った。メキシコの神殿は十字の形をしており、その面は東西南北に正確に向き合っていた。ケツァルコアトルはボルジア文書にある絵では、十字架に釘付けにされた姿で描かれていた。時には、左右に十字架刑にされた2人の盗賊すら描かれていた。第2巻の図75では、この神は天国で十字架刑にされており、メトン周期の数である19の円の中に描かれていた。そして蛇が、この神の生成力を奪っている。ボルジア文書(pp.4,72,73,75)では、このメキシコの神は十字架刑にあい、十字架に釘付けにされ、その衣は色が塗られ、顔と手は漆黒になっている。これがドイツのネストリウス派の布教の結果だとしたら、十字架刑にされた救い主が黒人だと教えたであろうか? この十字架刑にされた神の名はケツァルコアトルである。」


 御言葉の受肉や鳩が十字架刑にされるのは、宗教の象徴主義の中でしばしば見られる――これら両者とも、失われた多神教の残存物である。鳥が翼を広げるとその体が十字の形をするのは、古代エジプト人が鳥を人の不死の性質の象徴とし、しばしばミイラ化した死体の上を鳥が飛び、その片足の爪で命の徴を、もう片足の爪で息の徴を運んでいる姿で描かれる理由の一つである。


ケツァルコアトルの十字架刑

キングズボローの「メキシコの古代史」より


 キングズボロー卿は、こう書いている。「ボルジア文書の73ページを私は引用していないが、ここでは、ケツァルコアトルが十字架刑にされていたり、鍋の中で細切れにされている。これらは同様の理由からであるが、新世界のユダヤ人(キングズボロー卿はメキシコ人がユダヤ人の子孫であるのを証明しようとしていた)が彼らのメシア(ケツァルコアトル)を、旧約聖書でキリストに関連した全ての預言のみならず、福音書でキリストについて記されている多くの事件と関連づけようとしていたと思わざるを得ない。」


受難の釘


 受難での3本の釘は、多くの民族や信仰の象徴の中に見つけられる。これらの釘に関しては多くの伝説があるが、その中の一つでは、元々は4本の釘だったが、この釘がまさに師イエスの足首に打ち付けられようとした瞬間にヘブライのカバリストと魔術師らによって非物質化された。そのため、1本の釘で両足首を繋ぐ必要があったという。別の伝説では、釘の1本はイエスの頭頂に打ち付けられ、それは現在でもあるヨーロッパ王室の帝冠の中で存在するという。さらに別の物語では、コンスタンティヌス大帝の持つ馬の拘束具の一片は、この受難の釘だというのがある。だが、この釘が鉄製であるのはあり得そうにない。この時代の習慣では、鋭くした木製の止め釘が使われていたからである。ハーグレイブ ジェニングスは「薔薇十字団、その儀礼と神秘」で、イングランドで王室所有物であるのを示すのに使われていた太やじり印と呼ばれる印やサインは、3本の釘を集めたもの以外の何物でも無く、これらの尖端を繋げていくと、古代エジプトのタウ十字の象徴が作られると述べている。


 フランク C. ヒギンズは「古代フリーメイソンリー」で、グアテマラのキリグア遺跡の巨大な石像が付けていたメイソンのエプロンを再現している。エプロンは中央の装飾は、3つの受難の釘であり、英国の太やじり印と同じように配置されている。この3本の釘はキリストを十字架刑にするのに使われ、3人の殺人者がヒラム アビフを殺し、メキシコ版のオシリスであるコー神を殺した3つの傷であったのが、その意味合いである。


 C.W.キングは「グノーシスとその残存物」で、グノーシスの珠玉について記している。「グノーシスのプレローマあるいは全てのアイオンの組み合わせは、巻物を持つ人の姿で表現されていた。(中略)左手は3本の曲がったスパイクあるいは釘のような形にするが、それはバビロニアの神ベルス(ベル マルドゥーク)が伸ばした手で同じ印をするのを見まがう事は無い。後にはユダヤのカバリストらによってシンの文字の3つの点の中に見つけられ、中世の神秘家らは十字架の3本の釘とした。」この観点からハーグレーブ ジェニングスはキングの思索を続けて、釘とオベリスクあるいは柱の類似性にも気づき、またヘブライ文字のシンのカバラの値は300であり、すなわちそれぞれの釘に100があるとした。


 この受難の釘は、非常に重要な象徴であるが、この文化の秘教的体系では、両手の手のひらと両足の裏には特定の秘密の諸センター*4がある事実に気づいたら尚更である。


 釘を打ち付け、傷口から血と水が流れるのは、古代神殿での特定の秘密の哲学的実践の象徴である。多くの東洋の神々は、両手や両足首に神秘的な象徴が描かれている。俗にいう仏陀の足跡には、ある一点に輝ける日輪が描かれるが、そこはキリストに釘が打ちつけられた場所だった。


 ヤコブ ベーメの神学への注記において、フランツ ハルトマン博士は十字架刑の神秘的な象徴主義を要約している。「十字は地上的な生を表し、茨の冠はエレメンタルの肉体の中にある魂の苦しみと、また霊の闇のエレメンツに対しての勝利を表している。裸にされた肉体は、不死を目指す志願者は、全ての地上的な事柄への欲望を捨て去る必要があるのを示す。十字架に釘づけにされた人は、自己意志の死と放棄を象徴し、それは自らの力により何かをなそうとはせず、ただ神の意志の実現の道具として仕える事である。頭上の銘に記された文字「I.N.R.J.」の最も重要な意味は、In Nobis Regnat Jesus(我らの中にイエスは君臨する)だが、この銘文の真の意味合いは、この欲望の相対の世界から実際に死に、個人的存在の誘惑を超えて蘇った者のみが知る事が出来る。あるいは別の言葉を用いるなら、キリストとともに生きる者、イエスの王国(神の心から放たれる聖なる愛)が自己の中に確立した者である。」十字架刑の寓話の最も興味深い解釈の一つは、人間イエスの個人意識と同一視するものである。個人意識こそが、分離の感覚の中で考え、住まうものであり、大志ある魂が永遠にして全てに満ちている父と再統合する前には、この個人性は生贄にする必要があり、それにより普遍的意識は解放されるであろう。


空間への十字架刑

ヒギンズの「アナカリプシス」より


 このオリエントの珍しい絵について、J.P.ランディはこう書いている。「多くの部分でキリスト教の十字架刑と似ているが、ある部分は違っている。この絵では、姿勢、手と足首の釘痕はキリスト教の起源を示している。一方で、7つの先端のあるパルティアの宝冠は違い、木の十字架や通常の銘文は欠けている。頭上の栄光の光線は、何らかのキリスト教起源を示しているように思える。これはヒンドゥー神話での犠牲の人、あるいは祭司と犠牲者の両方が一つとなっているのか、自らを世界の前に生贄に捧げた人だろうか?」


古今の秘密の教え ヨハネの黙示録の密儀
↑ 古今の秘密の教え


*1 コンスタンティヌス大帝の母、聖ヘレナ。246年 - 330年。慈善、巡礼でキリスト教の発展に尽くす。十字架を発見した伝説は320年頃のエルサレム巡礼時とされる。同時にイエスを刺した聖釘も見つかっている。
*2 ヨハネの黙示録 第11章8節。
*3 キリスト教の復活祭に近い。復活祭は3月22日から4月25日までのいずれかの日曜日になる。
*4 中医学でいう「経穴」のことか?