オカルト哲学 3-22

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第22章 人の3体の守護者らと、それぞれがどこから現われたか


 あらゆる人間は3体の良きダイモンを適切な守護者あるいは保護者として持っており、その中の1体は聖なるもの、1体は出生時のもの、1体は職業のものである。
 聖なるダイモン*1は、エジプト人の教義によれば、理性魂に星や惑星からではなく、至高の原因者、神自身、ダイモンらの支配者、普遍的存在、自然を超えた者より授けられるという。このダイモンは魂の生を導き、心に常に良き考えをもたらし、我々を啓明させるために常に活動しているが、我々は滅多には気付かない。だが我々が浄化され、平和な生活をしていたら、これらは我々に知覚され、話しかけてくる事もあり、声により対話し、沈黙する前に、我々に聖なる完成をもたすために日々教授を与える。
 また、このダイモンの助けにより、出生時からの宿命を我々は避ける事ができ、ソクラテスがしていたように、正直かつ敬虔に宗教的に崇拝する事でそれらはなされる。ピュタゴラス学派は夢のお告げや徴によって、悪運を避け慎重に幸運を獲得する事により、我々はこれらから大いに助けを受けると考えていた。ピュタゴラス学派はユーピテルに祈るのに集中するのを好み、それにより彼らを悪から守ったり、ダイモンが何をするのかを彼らに示したりするようにしたという。
 次に、出生時のダイモンは、守護神(Genius)と呼ばれており、世界の気質や星々の円環の中でも彼の出生時に強力な星々から降りて来た者らである。そのため一部の者らが考えるのは、人の魂が(産まれる時に)肉体へと降りて来た際に、魂はダイモンの中から守護する者を自然と選ぶが、そこでは魂を導くのみならず、守護する事を望む者を選ぶのだという。これは命の実行者にして守護者であり、肉体に魂が行う事を助け、世話をし、肉体と対話をし、人の機能が良くなるように助ける。人は産まれた時に天の星々の代理者としてダイモンが与えられる。そのため、幸運な守護神を持つ者は、彼らの仕事で有徳となり、効率的で、強く、繁栄するようになる。そのため、このような者らは哲学者らから、幸運の星の下の者あるいは幸運な生まれの者と呼ばれている。
 次には、職業のダイモンは、星々から与えられ、人の仕事が属する職業、派閥に関連した者である。これらは魂が肉体へと降りてくる時に、秘密裏に望む事から選ばれる。人が職業を変えたら、このダイモンも変わり、職業の中での威厳が高まるほどに、より優れて深遠なダイモンを我々は得るようになり、彼がある性質から別の性質へと進むごとに、これらは継続的に人の世話をし、職業の守護者として働く。
 そのため、職業が自らの気質に合ったものならば、我々の職業のダイモンは我々に似た者となり、我々の守護神とも調和し、我々の生活はより平和的で幸福、繁栄したものとなる。だが、我々が自分に合わなかったり、守護神と対立する職業を選んだら、我々の生活は苦難に満ち、パトロンらとの不同意のトラブルに遭うものとなる。これは、ある学問、術、職能が、わずかな時間、努力で利益となり、一方で別のものらはより過酷で、厳しく学ぶ必要があり、全てが無駄になる理由である。
 どのような学問、術、美徳も私は軽蔑はしていないが、汝がまず良き守護神とその性質について知るならば、その生涯は豊かで幸福なものとなるだろう。それらは天の星々の配置と、これら全ての分配者である神が汝に与えたものである。神はそれぞれに喜びとともに分配し、始まりの時よりこれらに従い、これらを公言し、その性質にも精通していた。これらにより、いと高き分配者は汝を高め、導くであろう。神はアブラハムに義と情け深さで卓越するようにし、イサクに神への畏れを、ヤコブに力を、モーセに柔和さと奇跡を、ヨシュアに戦争の術を、ピネハスに熱心さを*2、ダビデ王に宗教心と勝利を、ソロモン王に知識と名声を、使徒ペトロに信仰を、使徒ヨハネに博愛を、使徒ヤコブに献身を、使徒トマスに分別を、マグダラのマリアに黙想*3を、マルタにお節介さ*4で優れた者とした。
 そのため、汝が最も容易に得られると考える性質を考え、その高みを得ようと努めるなら、たとえ多くの他のもので行えなくても、その分野で卓越した者となろう。そして残りの部分も、汝が行えるだけ熟達するようになろう。だが、汝が自らの性質の監督を持ち、宗教が同意できるものならば、汝はその性質や職業で2倍の進歩があるのを見出すであろう。だが、(出生と職業のダイモンの)これらが不同意ならば、汝は良い方に従うのだ。なぜなら汝は出生のものよりも優れた職業の保護者を、やがてはより良く理解するだろうからだ。


オカルト哲学 3-23
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 守護天使のような存在の古代版を、アグリッパは考えていたようである。
*2 民数記 第25章11節。
*3 おそらくアグリッパは、ルカによる福音書 第10章39節のイエスを黙想するマリアとマグダラのマリアを混同している。
*4 ルカによる福音書 第10章40節。