オカルト哲学 3-20

ページ名:オカルト哲学 3-20

第20章 悪霊の不快さについてと、善霊により我々が持つ保護について


 神学者らの共通の意見として、全ての悪霊らの性質において神と人間を憎んでおり、そのため神の摂理は我々により純粋な霊らを与え、それらは羊飼いや統治者のように我々を保護し、日々我々を助け、悪霊を払い、拘束し抑圧し、これらが我々を痛めつけないようにしている。それらについてトビト書で、天使ラファエルがアスモデウスと呼ばれる悪魔を拘束して、上エジプトに縛ったとあるようにである*1。またこれらについてヘーシオドスが言うには、ユーピテルの不死の霊らが30,000体は地上に住んでおり、死すべき定めの人らを保護し、正義と慈悲ある行いをなし、風を自らに纏い、地上のあらゆる場所へと赴くという。
 これらの善霊の保護が無かったり、悪霊らが人に対して望む事が(神に)認められていたら、どの君主も高位聖職者も安全ではなく、どの女性も清純ではいられず、この無知の谷に住むどの者も最後に神に迎えられる事は無い。そのため、善霊らの間には、人々の適切な維持者、保護者、人の善を強める霊らがいる。悪霊の中には、敵対者として肉とその欲を掻き立てようとするように、善霊は我々のために、この敵と肉の欲望に対して保護者として戦っている。
 次に、これらの対立者らの間にある人は中間に位置し、勝利へと導く彼自身の助言者の手に委ねられている。そのため、我々は国々を委ねさせ、真の神の知識、真の敬虔さをもたらす事が出来なかったり、過ちに陥ったり、信仰を防げられたとしても、天使らを非難出来ない。それらは正しい道を進む(天使らの助言を)拒否し、過ちの霊らを崇め、悪魔に勝利を与えた自らの責任なのである。誰を崇拝するか、誰に支配されるかは、人の手に委ねられているからである。敵対者の悪魔がひとたび支配するようになったら、針を失ったスズメバチのように、もはや彼は戦うことが出来なくなる。オリゲネスは「諸原理について」の書でこれらの意見を述べ、結論として聖人が悪霊らと戦って打ち破ったならば、それらの軍勢を弱め、もはや支配されることも、苦しめられる事も無くなるという。
 そのため、あらゆる人間には善霊が与えられており、またあらゆる人間には悪しき悪魔的な霊も与えられ、それぞれは我々の霊と合一し、自らの側へと引き寄せ、水とワインのように混ざり合おうと望む。善霊の場合は無論、全ての善行を通じて、合一する事により我々を天使へと変えようとする。それらはマラキの書での洗礼者ヨハネが、見よ、私はあなたの面前に天使を送ると書いてあるようにで、また別の箇所でもそれと合一すると書いてある。主を崇拝する者は、主と霊を一つにするのである*2。悪霊もまた、悪しき行いの学びを通じて、我々を悪となじませて合一しようとする。それはキリストがユダについての言葉で、私は12人を選んだが、あなた達の中の1人は悪魔とともにあると言ったようにである*3
 さらにヘルメースが言うには、霊が人の魂に影響を与えると、霊自身の要素の種を撒き、そのような種が植え付けられた魂が怒りに満ちるならば、そこから驚異的な事柄を引き起こし、それらは霊の権能に応じたものだという。善霊は聖なる魂に影響し、知恵の光へと高めるが、悪霊は邪悪な魂に影響を吹き込み、盗み、殺人、誘惑、その他その悪霊の権能のものを刺激しようとするのである。
 イアンブリコスが言うには、善霊は魂らを最も完全に清めて、他の良き事柄も授けるという。これらは肉体には健康を、魂には美徳や安全を、我々の中から死すべき要素を取り除き、大事に温めて、より命には効果的なものにし、調和によって、心の知性に常に光を投げかけるのである。
 だが人の中に多くの保護者がいるのか、それとも1体のみなのかについては、神学者らの間でも多くの意見がある。私は多くいると考えるが、預言者が言うように*4、主は汝のために天使らに命じ、汝の歩む全ての道で守らせるとあるからである。ヒエロニムスは、キリストについてと同様に、これらも人は理解すべきだと述べている。
 そのため、全ての人間は様々な天使らにより支配されており、これらに価値ある行いをする者らに、徳、恩恵、威厳を与える。だが、価値無き行いをする者らは退けられ、投げ捨てられる。悪霊も同様であり、悪の行いが必要なように、最底辺の惨めさへと沈める。だが、崇高な天使らに帰する者らは、これらは世話をし、高め、特別なオカルトの力により他者を従わせる。この力は知覚も出来ず、服従した者らは支配の軛を感じる事も無い。これらの力から、服従者は自らでは容易に逃れられず、この力を畏れ、敬い、上位の天使らはそれを上位者の間へと流し、それにより特別な恐怖が低位者らに、支配の畏れをもたらすのである。
 これについてホメーロスは、ユーピテルが自らが生んだ王らを常に支える分離できない仲間らとしてムーサイらを生み、それにより、王らは荘厳で威厳を持つようになったと述べる時に、感じていたようである。また私が読んだ本では、マルクス アントニウスがオクタウィアヌス アウグストゥス*5と友情を結び、常に共にスポーツを楽しんだが、アウグストゥスは常にこの征服者を先んじていた。そして、ある魔術師がアントニウスに助言した。アントニウス殿、あなた様はあの若者と何をしているのですか? 彼を離れ避けるべきです。あなた様は彼よりも年長であり、より技量があり、家柄も良く、より多くの皇帝らとの戦いに耐えてきていますが、あなた様の守護神は、この若者の守護神を多く恐れており、あなた様の幸運の女神は彼の者を褒めています。どうしても避けられない限り、あなた様は彼を完全に拒否したほうが良いと思われます、と。
 この君主は他の者らと似た者ではないのか? 神の畏れが彼を高め、他者に畏怖を与え、抑圧し、彼を君主として崇めざるを得なくなる以外に、どのように他の者らは彼を畏れ、崇めようか? そのため、我々は自らを善行により清め、崇高な事柄に従い、適切な時と季節を選ぶようにすべきで、それにより、より崇高で力ある天使らの信頼を得たり、献身されるようになり、これらは我々の世話をし、他者よりも正当に好まれるようになるであろう。


オカルト哲学 3-21
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 トビト書 第8章3節。
*2 コリント人への手紙一 第6章17節。
*3 ヨハネによる福音書 第6章70節。
*4 詩篇 第91篇11節。
*5 二人とも古代共和制ローマ末期の政治家、将軍。カエサル暗殺後にアントニウスは第2次三頭政治でオクタウィアヌスと同盟を結ぶが、やがては対決し、再びローマ内戦となり、敗北したアントニウスはクレオパトラとともに自殺し、オクタウィアヌスは初代ローマ皇帝アウグストゥスとして即位する。