オカルト哲学 3-19

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第19章 悪魔の体について


 天使らの体については、後世の神学者や哲学者らの間で大論争があった。トマス アキィナスは、全ての天使らは霊的なもので、堕天使らすらそうであり、それでいて時には物質の体を身に纏うが、しばらくしたら再び脱ぎ捨てると確言していた。(偽)ディオニュシウスは神名に関する書で天使らは霊的なものだと強く主張していた。
 一方、アウグスティヌスは創世記の注釈において、天使は風的で火的な生き物と言われるが、それは風的な体を持つからで、死によって消え去る事が無いが、それらの中で主要なエレメントが活動的だからであると述べている。また他の箇所でも、全ての天使らは創造された時より風の体を持ち、より純粋に形成され、風の中でも上質なものであり、損失を受けるよりも活動に適しており、これらの体は良き天使らは堅固に保持しているが、堕天し悪へと変わった者らはより粗雑な風の性質へと変わり、そのため(地獄の)火により痛めつけられているようになったという。
 さらに 大バシレイオス*1は、悪魔のみならず純粋な天使らの体も、特別な厚い、風的で、純粋な霊のものとし、ナジアンゾスのグレゴリオスもそれに同意していた。アプレイウスは、全ての天使らは体を持たず、ソクラテスのダイモン*2についての書で彼が言うには、より幸運な種の霊らもおり、常に物質の束縛から自由であり、特別な祈りにより、(その体を)獲得したという。
 だがプラトン学派のプセルロスと、クリスティアヌスが考えるのは、霊らの性質は体を持つが、天使らはそうではなく、悪魔は同様に体を持つという。それらは物質によるものではないが、悪魔の体は影のような形質のもので、情熱に属し、ゆえに叩かれたら痛みを感じ、火によって燃やされるとはっきりとした灰となるが、それらはトスカナ地方で記録されている。この体は霊的なものではあるが、最も感覚的なものでもあり、叩かれたら損傷を受ける。もっともバラバラに離れても、風や水のようにやがては元に戻るが、その間は痛みを受ける。そのため、これらは剣やあらゆる武器の尖端を恐れるのである。
 そのため、ウェルギリウスの詩の中で、アイネイアスに対してシビルの巫女はこう述べた。


「汝はこの道を進み、汝の剣を抜け」


 これらについて、セルウィウスは彼女はこの時にアイネイアスの剣を聖別しただろうと述べている。
 オルペウスも、悪魔の体の類について記している。これらは無論、一つの体しか無く、火の中に住んでいるが、損傷を受けているようには見えない。これらについてオルペウスは火的で、天上のダイモンと呼んでいる。他の者らは火と風の混合物により構成され、これらはエーテル的、風的と呼ばれている。そして、何らかの水的なものが加えられたら、これらは第3の種類のものとなり、水的と呼ばれ、時には常人の目にも見られる。さらに地的なものが加えられたら、これらは非常に濃いものではないが、地のダイモンと呼ばれ、より目に見えて感覚のあるものとなる。
 次に卓越したダイモンの体は、最も純粋なエーテルの要素によって養われ、神から派遣されたのではない限り、常人の目には容易には見られない。これらの体は繊細で輝く糸により織りなされているので、我々の視野の光線*3を通過し、その光輝の中に反射し、その微細さにより我々の目を欺くのである。これらについて、カルキディウスが言うには、これらのエーテル、風的なダイモンは、その体は目に見えるほどの火も無く、触れられるほどの地も無いので、これらの体は空の清澄さと、風の湿気により構成され、これらが混ざり合って、分解されない体となるのである。
 他の悪魔らは、目に見えるのでも不可視でもなく、時には様々な姿で見えて、影のような体、血の通わない像、不潔で粗雑な体へと自らを表し、これらは(古人らが邪悪な魂のと呼んだ)世界と多く交流しており、地や水との親和力により、これらはまた地的な喜びや快楽を取るのである。この種の者らはホブゴブリン、インキュバス、サキュバス*4であり、その数についてメリュジーヌ*5についてと同様と考えるのは不当ではない。
 また、マルクス ウァレンティニアヌスが言うように、悪魔には男性や女性の違いがあるとは誰も考えておらず、これらの性は複合された体に属するが、悪魔はシンプルな体だからである。また、全ての悪魔が望む姿に変えられるわけではないが、火的や風的な者には容易であり、すなわちこれらが想像する何の姿であれ変われる。だが地下の闇の悪魔らは、これらの性質は重くて非活動的な体により構成されているので、他の者らが行えるように姿を様々に変えたりは出来ない。
 水的な者や、地上の湿気のある表面に住んでいるような者らは、エレメントの湿気によって、ほとんどの者らは女性のような姿をしている。この種の者らは川のフェアリー(妖精)や、森のニンフである。だが、乾いた土地に住む者や、乾いた体を持つ者らは、男性の姿で自らを示し、サチュロスや、ロバのケンタウロス、ファウヌス、インキュバスといった者らである。これらについてマルクスが言うに、経験によって学んだのは、これらは多くおり、その一部は人間の女と寝るのを望み、そのような契約を結ぶ。またフランス人(古代ケルト人)がドゥシイと呼ぶ悪魔らは、この種の欲望を常に試みようとする。


オカルト哲学 3-20
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 カイサリアのバシレイオス。330年 - 379年。ギリシア教父、4世紀の最も重要なキリスト教神学者。カイサリアの主教を務めた。
*2 ソクラテスには善と悪の守護神ダイモンが常に肩にいて、助言をしたり囁いていたという。古代ギリシアのダイモンは中世キリスト教のデーモン(悪魔)とは別物だが、アグリッパはいずれも悪魔として、ここでは区別していない。
*3 アグリッパの時代、目から透明な光線が放たれて、その反射によって物が見えると考えられていた。
*4 インキュバス、サキュバスは夢魔であり、性的な夢を引き起こし誘惑する悪魔と考えられていた。インキュバスは男の姿で女の夢に出て、サキュバスは女の姿で男を誘惑する。
*5 フランスの水のニンフの民話で、我が国の鶴の恩返しに似た話であり、ある男と恋に陥るが、その姿を見てはならないのを男は見てしまい、去ってしまう。