オカルト哲学 3-13

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第13章 神の部分と、我々の部分へのこれらの影響について


 我々は聖書の様々な箇所で神の様々な部分や装飾品について読んでいる。神の部分は神自身の中にある最もシンプルで永遠にある多様な諸力として理解され、それらは神の御名により区別される。だが神の衣や装飾品は、特別な道、関連、流出、導水管のようなもので、それにより神は自らを拡散させるのである。その衣服の縁に我々の心が触れるたびに、その部分の神力が流れ出てくる。福音書(マルコ 5章30節)にあるように、イエスすらも血の問題のあった女に触れられた時に、誰かが私に触れ、私の性質が流れ出たと叫んでいるのである。
 そのため、これらの神の部分は、我々のものと似ているが、理想的で模範的なもので、我々が正しく自らの肉体の部分を見るならば確証できるが、人は神の像であり、神の真の息子らであり、神に似た者であり、神の仕事を働くのである。
 そのため、神の部分については聖書の多くの箇所から読み取れる。我々がソロモン王の雅歌*1に読むように、神の頭はカルメルのように飾られ、髪の毛は王のように紫色をしているとある。だがここでのカルメルとはシリアの海岸部にある山の事ではなく、紫色をした小さな生き物の事である。また神の目、瞼、耳については、詩篇(34篇15節)で読むように、主の目は正しき者に向けられ、その耳は祈りを聞くとあり、その目は貧しき者らに注がれ、その瞼は人の子らを尋ねるとある。また神の口、舌、喉、唇、歯については、イザヤ書(30章2節)で彼らは我が口を求めずとある。また、雅歌(7章9節)でも、汝の喉は我が愛する最良のワインのようで、甘く降りていき、眠っている者の唇を語らせるとある。また鼻の孔については、律法の書で何度も見つけられるように、神は生贄を甘い香りとして嗅ぐとある(創世記 8章21節)。
 神は肩、腕、手、指があるが、それらについてイザヤ書(9章6節)で読め、まつりごとはその肩にあり、主の腕は誰に現れたか? とある(53章1節)。また王の預言者が詠うには、主の手により私は形作られ(詩篇 8篇6節)、私はその指の技たる天を見るとある(詩篇 8篇3節)。また神には右と左手を持つが、それは詩篇作者らが言うように(110篇1節)、主は私の右手に座せよとあり、左手については福音書(マタイ 25章33節と41節)で我々は読むように、そこに悪しき者らは最後の日に留まるとある。
 さらに神の心臓、胸、背中についても読むと、サムエル記(上13章14節)では神はダビデを神自身の心にかなって見つけたとあり、また福音書(ヨハネ 13章25節と21章20節)でも、主の胸によりかかる使徒(ヨハネ)に神秘を明かすとあり、詩篇作者らも、神の背中を純粋な黄金として記しており、神自身が預言者エレミヤ(18章17節)に、私は滅びの日に彼らに背を向けて、顔を向けないと述べている。また(出エジプト記 33章23節)神はモーセに、汝は私のうしろを見るとあり、足については詩篇作者(詩篇 18篇9節)が暗闇がその足の下にあったと述べ、創世記でも、神は南へと歩くと述べている。
 同様にして、神の衣や装飾品についても読むと、詩篇作者(93篇1節)は主は威光の衣をまとわれると述べ、別の箇所(104篇1節)でも誉と威厳とを着とあり、また(104篇6節)海の深淵を衣でおおうようにおおわれとある。またエゼキエル書(16章8節)でも、主は我が衣を汝の上に広げ、汝の裸を覆うと述べている。
 さらに、神の杖、剣、丸盾バックラーについても読むと、詩篇作者(23篇4節)は、主の杖は私を慰めるとあり、別の箇所(5篇12節)では、主の真理は盾のように恵みをもって守られるとある。また、申命記(33章29節)では、主の威光の剣について読める。
 そしてこの種の多くの聖なる言葉は我々を定め、これらの神の部分や装飾品から、疑い無く我々の体の部分や、全てのもの、全ての我々の働きは、支配され、方向付けられ、保存され、動かされ、とがめられている。それらについて預言者が言うように(詩篇 40篇2節)、主は我が足を岩に置き、我が歩みを確かにされたとある。また別の箇所(144篇1節)でも、戦する事を我が手に教え、戦う事を我が指に教える主なる神はほむべきかな、とある。また口についても、別の箇所(40篇3節)で、主は新しい歌を我が口に与えたとある。また別の部分(ルカ 21章15節)でも我らが救い主は汝に言葉と知恵を与えるだろうと述べ、髪については、汝らの頭から髪の毛一すじといえども去らないと主イエスは述べている(ルカ 21章18節)。また別の箇所でも、汝らの髪の毛までもみな数えられているとある(マタイ 10章30節)。
 我々は全能の神の像であり、似たようなものとされるので、その枠組みの部分も手足も形も、その隠された性質や、同じ序列と比例に従って、多くの方法により我々の部分に表されているのである。
 そのため、ヘブライの賢者らは、神の影響を受けられる者が、その肉体のどの部分も、清浄で不潔でないようにするならば、神の秘密の四肢の住居、適切な座となり、その名に帰する同じ性質を受け取ると述べている。そのため、体の一部で何かをしたい際には、その関連する御名が招聘される。それらが効果的に唱えられるならば、神はその御名を知っている者に対して救おうとするので、聞き届けられるであろう。それらは大いなる密儀であるので、ここでそれらを明かすのは適法とはいえないであろう。


オカルト哲学 3-14
↑ オカルト哲学 第三の書


*1 雅歌 第7章5節。実際にはこの恋愛歌の女の頭の描写である。