オカルト哲学 2-54

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第54章 いつ、どこで占術の性質がくじに起こるかについて


 くじによって人間の出来事の占断や予知をする際には、くじそのものの他にも、ある種の微細なオカルトの原因があるのが不可欠である。無論、それらはアリストテレスが幸運について記したような偶然による原因では無い。プラトン学派によると、原因の連なりにおいて偶然は決して主要で充分な原因とはならないからである。我々はさらに高次のものを調べ、その結果について知るであろう原因を探さなくてはならない。また、これらは世俗の物質的な自然の中にあるものではなく、非物理的で非世俗的な形質であり、無論それらがくじを支配し、人の魂や、分離された霊や、天の知性体や、神自身の中にあるものとして、真実の意味合いを表す。
 次に、人の魂の中には、この種のくじを方向づけ、ゆえに発現させる充分な力と性質がある。なぜなら、我々の魂の中には神的な性質、類似、理解があり、万物への力があるからである。そして私が第1の書で述べたように、万物は自然に服従し、魂が強く望むならば、必然的に動きと効果もあるからである。そして自然と人工的なものの全ての性質と働きは、魂の強い望みによって動かされるならば従い、どんな種類のくじにせよ、そのような心の欲求を助け、前兆の驚異的な性質を自ら得て、それらは天の機会でいつの時間が富むかなどの情報と同様である。
 そしてこれは全ての占星術の問題の基盤であり基礎である。心が何らかの望みの過剰さへと高められる際に、それらは最も都合がよく効果のある時間と機会に起きるのであり、それらは天の形象が造るもので、占星術師らはそれらを観測し、何を望むのかについて明白に知るのである。
 だが、くじは常に人の心によって動かされるわけでもなく、また先に述べたように、他の霊らの助けによっても方向付けられる。また預言者の心は常に私が先に述べたような情熱の過剰さに向けられるわけでもない。ゆえに古人らの間では、くじを投げる前に準備をする習慣があった。ある者らは聖なる儀礼をし、彼らはそれらによって神的な知性体や霊らを召喚し、くじを正しく方向付けるようにした。
 くじが前兆を示すように、どの種類の準備をするにせよ、偶然や幸運によるものではなく、霊的な原因による必要があり、その性質により、想像力、あるいはくじを投げる者の手が動かされ、作業者の魂から彼の影響力の大きな過剰さを通じて力が投射されるか、天の影響や機会からか、特定の神々や霊らの助けによるか、高次からの動きにより、羊の骨やサイコロを投げたり、瓶の中で混ぜ合わされたくじが配置された。それらは古においてはホメーロスやウェルギリウスのくじで、それらについてはスパルタのアエトリウスや、ハドリアヌス帝の過去の探究や、トロイの没落についての書で私は読んでいる。


「オリーブの枝で彼が今捧げるものは何か?
 我らが知る、彼の白い顎
 ローマ王よ、その法を最初にローマに定めた者よ。
 この貧しい土地への小さな治癒より、
 大いなる支配が来るであろう――」


 これらの詩によって、(ローマが)やがて巨大な帝国となるだろうという望みは空しいものでは無かった。またヘブライ人の間や、キリスト教徒の間(一部の神託は否定されてはいなかった)ですら、詩篇の中の詩を用いたくじが使われていた*1
 さらに他の種類のくじもあり、人間のくじで古人らの間では無かったものであり、権力者を選ぶ時に嫉妬を防ぐために行われているのを我々は見ている。それらについて、キケローはウェッレスに対する書の中で記述している。だがこれらは私の目的とは関係ない。私が述べたいのは、神的で聖なるくじで、神託や宗教を重んじているものであり、それらについて私は次の書で記すつもりである。だがここで私が汝に助言したい事は、くじの中で前兆、占断、未来予知をどれだけ多く見つけられても、これらはくじだから起きたのではなく、それらに加わる高次の働きの性質が理由なのである。


オカルト哲学 2-55
↑ オカルト哲学 第二の書


*1 これはビブリオマンシー。聖書占いと呼ばれる古くからある占術で、詩篇(や聖書全体)を無作為に開いて、最初に見た文や節を神託と考える。