ヘブライ語の諸神名について

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ヘブライ語の諸神名について


Hiro著


序文


 中世、近世のカバラの本やグリモアの魔術書を読んでいると、そこには様々なヘブライ語の神名が出てくる。そのためカバラやユダヤ教について知識が無い読者は、意味不明のヘブライ語の理解に苦労する事になる。
 この記事は、その労を減らす事を目的に書かれた。代表的なヘブライの神名を以下に並べ、その綴りと意味合いについて簡潔に述べている。
 なお、カバラ全般の理論や歴史については、イスラエルのベングリオン大学のBoaz Huss教授による、オンライン講座(英語)が良く出来ていて、受講を勧めたい。


YHVH יהוה 語れざられし神名


 まず、最も重要な神名、ヨド ヘー ヴァウ ヘーの四文字、YHVH(יהוה)から説明する。
 これはテトラグラマトン(ギリシア語の「四文字の言葉」)とも呼ばれる事もある*1
 古代ヘブライでは、神の名を唱えるのは実質的に禁止されていた。これはトーラー(モーセ五書)の中の「出エジプト記」で、モーセがシナイ山で受け取った神からの律法(いわゆる十戒)の中の、「汝は神の名をみだりに唱えてはならない」から来ている。これは3番目の律法であり、「主のみを神とする」「偶像を作って崇拝してはならない」の次に来るものであり、後の殺すな、盗むな、父母を敬えといった社会法規よりも上位に置かれている事でもわかるように、古代ヘブライ社会では重要視されていた。その理由として、古代ギリシアのテウルギア(神動術)などの古代魔術では、神々の「真の名」を知る事によって、自在に操れる(と称する)術師らがいた事から、神は先手を打って禁止した為だと推測されている。
 そのため、敬虔なユダヤ教徒は旧約聖書タナクを読む時に、YHVHの文字があると、主を意味するアドナイの言葉を代わりに唱えるのが決まりとなった*2。例外として、「アドナイ YHVH」(日本語訳の聖書では「主なる神」と訳される)では、神々を表すエロヒムの言葉を用いて、アドナイ エロヒムと唱えていた。これは翻訳された聖書でも適用され、Godの言葉をそのまま書かずに、一文字を略したり違ったスペルにしたりする。英語のカバラの本を読む読者は、よくG-dと書かれているのを見かけるだろう。
 そして神の名が唱えられるのは、古代では一年に一度の祭日に、エルサレムの神殿の大祭司によって、神殿内の至聖所で密かに小声で唱えられ、その発音は絶対の秘密とされ*3、大祭司の後継者にのみ密かに伝えられてきた。だが70年のローマ軍によりエルサレム神殿が破壊された後、大祭司職とともにこの秘密も永遠に失われてしまった。そのため、以後現在まで、YHVHの正確な発音は謎のままである。
 よく「イェホヴァ」をYHVHの発音と考えられているが、これは間違いで、古代の誤訳が原因である。へブライ語では(ほぼ)母音の文字は無く子音のみであり、母音を表現するためにはニクダーという点を文字の特定の場所に追加する。ローマ文字で表現すると、アドナイはADNYとなり、これに小文字で母音点を付けると、

AeDoNaY

となる。このアドナイの母音点をYHVHに加えると、

YeHoVaH

となるが、旧約聖書タナクの中でこのように書かれているのは、暗に読者に対して「神の名は唱えてはならず、このニクダーにあるように、『アドナイ』を代わりに唱えよ」という注意喚起の意味合いでしかない。だがヘブライ聖書をギリシア語に翻訳していた訳者がその習慣に無知で、YeHoVaHを「イェホヴァ」とそのまま訳してしまった。それがキリスト教徒の間で定着して、この誤解は現在まで続くようになった。
 現在の研究者らは、YHVHの発音は「ヤハウェ」、「ヤーウェ」に近いものだったのではないかと推測している。だがこれも現状で最も可能性の高い推測でしかない。カバラ学者の間では、神名の真の発音は、未来においてエルサレム神殿が再建され、ユダヤ教のメシアが来た時に再び明らかにされると信じられ、それまではYHVHをどうしても唱えなくてはならない時には「ヨド・ヘー・ヴァウ・ヘー」と一文字ずつ唱えていた*4


 追記:最近読んだ本「Correct Way to Pronounce and Use the Name Y-H-W-H」( Ariel Bar Tzadok著)に興味深い意見があったので追記しておこう。
 このラビによれば、預言者エリヤ(אליהו 古代へブライ語でのより正確な発音ではエリヤフ)の名前は、ヤー(YAH)は我が神という意味であり、そこから神名の少なくとも最初の3文字の発音は分かるという。最後のHはそのまま発音する。
 無論、口に出して唱えるのは禁物だが、心の中で唱えるのは著者によれば古代では逆に推奨されていたという。そのため、著者は最後に神名を心で唱える瞑想を説明している。


エル אל 神 / エロヒム אלהים 神々


 神を表すもう一つの主要な言葉は、エル(複数形でエロヒム)である。ユダヤ教(と、その派生のキリスト教、イスラーム教)の天使は、ミカエル、ラファエル、ガブリエルと、よく最後にエルの言葉がついているが、これは「神の」を意味する*5
 単独の唯一の神がなぜ「エロヒム」という複数形で呼ばれるかには様々な説があるが、主なものは神は偉大なので単独でも尊称として複数で呼ばれていたからだとされる。
 生命の樹では、エルはヘセドのセフィラの神名である。


ツァバオト צבאות 万軍


 これは天使の万軍を表す形容詞で、エル ツァバオトや、YHVH ツァバオト(万軍の神)として、よく使われる。生命の樹では、YHVH ツァバオトはネツァフの、エロヒム ツァバオトはホドのセフィラの神名である。


エヘイエ アシェル  エヘイエ אהיה אשר אהיה 在りて在りし者


 出エジプト記でモーセがシナイ山で神と出会った時、神はモーセに対して、自分の事を「エヘイエ アシェル  エヘイエ」であると述べた。これは在りて在りし者。過去、現在、未来に永遠に存在する者を意味する。生命の樹では、エヘイエはケテルのセフィラの神名である。


ヤー יה 神


 YHVHの短縮形。生命の樹では、ホクマーのセフィラの神名である。有名な祈りの言葉のハレルヤは、ヤーを褒め称えよ、という意味である。


YHVH エロヒム יהוה אלהים 主なる神


 生命の樹でのビナーのセフィラの神名である。


エロヒム ギボル אלהים גבור 力ある神、戦いの神


 生命の樹でのゲブラーのセフィラの神名であり、裁きの力を表す。


YHVH エロアー ヴェ=ダアト יהוה אלוה ודעת 知識と主なる神


 生命の樹でのティフェレトのセフィラの神名である。


エル シャダイ אל שדי 全能の神


 単にシャダイ(全能者)と呼ばれる事もある。生命の樹では、シャダイ エル ハイ(全能の生ける神)はイェソドのセフィラの神名である。


アドナイ ハ=アレッツ אדני הארץ 地の主


 生命の樹では、マルクトのセフィラの神名である。天の神の流出の影響が最終的に大地マルクトに到達しているのを表す。


アグラ(AGLA) אגלא 御身、主は常しえに強し


 これはカバラのノタリコンの技法による、Atah Gibor Le-olam Adonaiの頭文字によるもので、ユダヤ教の日々の祈りアミダーの第2の祝福の文から来ている。マクレガー マサースは、この略語を「A 初めにして、A 終わりにして、G 三位一体にして、L 大いなる作業を完成する」という別解釈もしていた。


アラリタ אראריתא 初めより統一され特別であり変わり無き者


 こちらも、ノタリコンによって、אחד ראש אחדותו ראש ייחודו תמורתו אחד のそれぞれの頭文字を拾って作られた言葉で、実践カバラの護符でもよく使われる神名だが、アレイスター クロウリーが特別な意味合いでよく用いていた。


リッボノ シェル オラーム רבונו של עולם 世界の主


 この言葉は、もとはアラム語で、初期タルムード時代の古くから知られ*6、カバラで伝統的にマントラのように唱え続ける瞑想が行われていた*7。ハシディズム(敬虔主義)の高名な師ブラーツラウのラビ ナフマン(1772年 - 1811年)は、このマントラを唱え続けると、神に近づけ対話へと至るとし、実践を勧めた。


アルファとオメガ


 ヘブライ語とは全然関係ないが、この言葉も様々なグリモアでよく出てくるので説明しておく。これは新約聖書の「ヨハネの黙示録」で、聖ヨハネが幻視で出会った神人(イエスとされる)が、「私はアルファでありオメガである。初めであり終わりであり、世々限りなく生きている」と自己紹介した所から来ている。世界の時の最初から最後までを表し、この言葉が書かれた魔術円は世界全体を表す曼陀羅であり、その円の中心に立つ魔術師は世界の中心であると宣言し、その権威の下で霊に現れるように命ずる。


シェム ハ=メフォラシュ שם המפורש 神の72の御名


 また、カバラでは伝統的に72の神名、シェム ハ=メフォラシュもよく知られていた。この「シェム」は名前、「ハ」は英語のTheのような定冠詞、「メフォラシュ」は明白な、あるいは明らかにされたを意味する。つまり(神の)明白にされた名前という意味になる。
 旧約聖書の出エジプト記 第14章19節から21節は、モーセが紅海を神力により割って、エジプトから脱出するヘブライ人が無事にシナイ半島側へと渡った有名な箇所であるが、ヘブライ語ではそれぞれ72文字で構成されている。最初の19節を右から左へと並べて(ヘブライ語の語順である)、20節はその下に左から右に、さらに21節をまた右から左へと並べると、上から縦に3文字が72列並ぶことになる。カバラ学者はこれら72個の3文字を神の秘密の名前と考えていた。


アグリッパのオカルト哲学より


 さらにロイヒリン、アグリッパ、キルヒャーといったルネッサンスオカルティストらもこの考えを継承し、さらにそれぞれの最後に「el」や「iah」(あるいはyah)を追加することで、72の天使の名を見出した。これをShem Angels、神名天使と呼ぶ。たとえば最初の1列目はヴァウ ヘー ヴァウだが、それぞれ母音を追加して(二番目のヴァウは発音されない)神名Vehuとなり、最後にiahを追加したら、第1神名天使Vehuiahとなる。


42文字の神名とカバラの祈り


 また他にも、42文字の神名のヴァージョンもあり、
אבגיתץ קרעשטן נגדיכש בטרצתג חקבטנע יגלפזק שקוצית
聖書の最初の文をカバラ的に変換(その方法は今では不明)したもので、1世紀の代表的な神秘家のラビ ネフニア ベン ハカンナーが作者といわれ、カバラ学者の間で口承で伝えられてきた。
 またラビはノタリコンによりこれらの7つの6文字のそれぞれを頭文字にした言葉に増やして、音楽とともに歌う詩、アナ ベコアフ(Ana B'Koach。אנא בכוח 主への懇願)という祈りの文も作った。これは別名をカバラの祈りともいい、本来は聖人の域にまで自らを浄化しないと神名を唱えるのは危険とされるが、誰でも「安全に」42文字の神名を唱えられるようにするために作られたという。
 昔から、信心とともにこの祈りを唱え続ける事で、多くの奇跡が起きたという話がある。


 訳文は以下の通り。
 主に懇願します(アナ ベコアフ)、その右手の力と偉大さにより、我らのもつれた運命を解きたまえ。あなたの民の歌を受け入れたまえ。我らを高め、清めたまえ、偉大なる方よ。勇敢なるあなたに従う者を目の瞳孔のように守りたまえ。彼らを祝福し、浄化し、憐れみを与え、あなたの義が常に彼らに報いられるようにしたまえ。力あり聖なる方よ、あなたを信じる者を優しく導きたまえ。特別で誇り高き方よ、あなたの民をあなたの聖性へと思い出させたまえ。我らの叫びを受け入れ、我らの叫び声を聞きたまえ、諸神秘を知る方よ。その御名が祝福され、その栄光の王国は世々限りなく続きたまえ。


バアル シェム בעל שם 神名術師


 最後に、実践カバラ(カバラ マアシト קבלה מעשית‬)*8の行者として中世、近世で有名だったバアル シェムについても少し説明しておこう。
 バアルは「師」を、シェムは先に述べたように「名前」を表し、バアル シェムは名前の師を意味する(複数形ではバアレイ シェム)。そして彼らはよくバアル シェム トヴとも呼ばれていたが、トヴは「良き」を意味する形容詞で、「良き名前」はカバラでは神名を表すので、神名の術の師と訳する事が出来る。
 ユダヤ教のカバラは大きく分けて、思弁カバラと実践カバラに分けられ、思弁カバラが主流、正統派であって、実践カバラの術師らは、やや評判が悪く、実践を禁止される事もあった(代表的なカバラの師の一人である「アリ(獅子)」イツハク ルーリアの実践カバラ嫌いは有名である)。これは、バアル シェムらが、神名を世俗の欲望のために魔術的に用いていたので、ほとんど呪術師か妖術師のように思われていたからである。罰当たりな連中という訳である。だがユダヤ人が危険に陥った時期には彼らの活動は正統派からも大目に見られたようである*9


 バアル シェムらは、主に神名が書かれた護符セグラ סגולהを作ったり、悪魔祓いをしたりして生活していた。有名な人造人間ゴーレム גולם‎の作製も、この派の得意としていた*10
 また面白い事に、この術師らは瞬間移動の術「小路の跳躍」も取得していたとされる。例えば、中世ドイツのウォルムスの老ラビ エレアザルはスペインの弟子のもとに訪問するために、この術を用いて瞬時に移動したと記録されている。


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*1 このテトラグラマトンも、もともとは単なる説明の意味でしかなかったが、時代が下って中世、ルネッサンス時代になると、あたかもこの言葉自体が聖なる意味があるように考えられるようになり、様々なグリモアの呪文でよく書かれるようになった
*2 しかし後には、アドナイの言葉自体も聖性を獲得し、「みだりに唱えない」言葉の仲間入りをした。そのためカバラ学者らは、祈りやトーラーを朗読する時以外に「神」や「主」の言葉を言う必要が出たら、代わりに「ハ=シェム」(あの方の御名)と唱えるようになった。
*3 その発音を知る者は、神に等しい力を得、世界を滅ぼす事も出来るようになると信じられていた。
*4 黄金の夜明け団などのカバラを取り込んだ魔術結社も同様の習慣に従っている。
*5 また宗教学では、もともとはこれらは地方の神々だったのが、多神教だった古代ヘブライ宗教が一神教の神学に固まっていく過程で、天使へと取り込まれた結果と見ている。
*6 さらにタルムードでは旧約聖書時代から、この言葉は祈りで使われていたと記されている。
*7 Jewish Meditation(Aryeh Kaplan著)参照。
*8 実践カバラやバアル シェムについての本は、英語圏でも極めて少ない(無論、日本語では皆無である)。この記事の参考文献としては、Qabbalistic Magic: Talismans, Psalms, Amulets, and the Practice of High Ritual(Salomo Baal-Shem著)を主に用いた。また、Jacobus G. Swartの実践カバラ4部作と、kabbalah.fayelevine.comのサイトも参考にした。
*9 20世紀のイスラエルの何度かの中東戦争の時にも、バアル シェムらは周辺敵国に呪いをかけていたという。
*10 このために、セフェル イェツィラーを用いた特殊な儀式を行っていたという。この儀式は、手足の一本ずつと頭、胴体に対して、それぞれかなりの長い時間、神名を唱え続ける事で成り立っている。