高等魔術の教理と祭儀 2-21

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第二十一章 預言者らの学


 この章は神託*1に捧げられており、その広い意味において、そしてこの言葉の言語学的な意味合いに従うならば、神力の実践であり、神の知識の実現である。これは魔術師の祭司職である。だが神託は一般的な意見では、隠された物事の知識とより緊密に関連している。人々の最も秘密の考えを知る事であり、過去や未来の神秘を貫く事であり、正確な原因の知識により正確な結果を啓示し万世において呼び起こす事である。これらが一般的に神託と呼ばれるものである。ところで、自然の全ての神秘の中でも、人の心ほど深遠なものは無い。だが、自然はその深みへは到達不能なように禁じた。深遠なる偽装、最も技量ある深慮にも関わらず、彼女自身は輪郭を描き、具象では明白にし、一瞥の光において、動きにおいて、身のこなしにおいて、声において、千の暴露が示されている。完全な秘儀参入はここでは必要とされず、彼は光の下で真理を読み、人全体に知られるようになった印象を感じ、彼の一瞥は他者の心を貫く。もっとも彼が良く知る邪悪な者の恐怖や憎しみを和らげるために愚者を装うだろう。悪しき考えの者らは常に自らが告発されたり容疑者であるように感じ、集合的な皮肉に自らが触れているのを認め、自らを全て当てつけ、自らが罵られたと大声で叫ぶのである。魔術師の面前では常に疑わしく、それでいて不安と好奇心もあり、彼は例え話のサタンのようであり、誘惑を問う筆写者らのようである。常に頑固で弱い彼が最も恐れるのは、彼が悪者だと認められる事である。過去は彼を不安にさせ、未来は彼を警戒させる。彼は自らを作ろうとし、彼は善人で気立ての良い者だと信じようと努める。彼の時代の全ての腐敗、彼自身も行っているものを必要だと見做す時、彼は自らをアリスティッポス*2やホラチウスのような哲学者だと考える。彼自身はウェッレスやトリマルキオの居候のような単なる穀潰し者ではないと自らに言い聞かせるために、自らを何らかの哲学的暇潰しで気晴らしをしたり、マエケナスのような自己防衛の笑みを決め込んだりするのだ。そのような連中は最良の場合でも常に雇人なのである。彼らは公共の慈善のために何らかの贈物をしようと決めて、それを安売りの時期のために遅らせたりする。私がここで記したような類の者は、ある個人の事ではなく、魔術師がよく接触する人々、特に今の時代の典型である。これらの例の者は信用しないようにせよ。彼らは常に最も名誉を傷つける友か最も危険な敵となるからだ。
 神託の公的な実践をすると、現在では真の達人すらも軽蔑される。彼が顧客を保持し、社会に印象付けようとしたら、誤魔化しや奇術を使わざるを得ないからである。一般に認められている占者は男女両方とも常に秘密のスパイらを抱えており、顧客の個人情報や癖を探るようにさせていた。占断の部屋と控えの間との間でのシグナルの暗号が確立しており、未知の志願者が最初に訪問した時には、予約の日の数を受け取った。そして帰宅する彼の後をスパイらが尾行し、門番、隣人、従者らが噂話に関わり、それにより得た情報で志願者の詳細を当てる占者に単純な精神の彼は驚かされ、この偽物に真の学と正当な神託が受けるべき崇拝をつぎ込むようになるのである。
 未来に起きる出来事を神託するのは、それらの原因の中に、ある意味実現化が含まれている場合にのみ可能である。魂は神経系全体を通じて、人に影響を与えたり人から影響を受けるアストラル光の円を視る。神託者の魂は、私は繰り返すが、単独の直観により想起した人物の愛する者ら憎む者全てを理解できる。彼の思考の中から意図を読み、彼が出会うだろう障害を予知し、それらは彼を待っている暴力的な死かもしれない。だが相談時以降の彼の個人的で自発的、気まぐれな決断を予知する事は出来ない。勿論、神託者自身が予言の自己成就のために策略を準備していた場合は別である。例えばあなたが、夫を得るのを望みつつも弱って不安な女性にこう言ったとする。「あなたは今夜か明日の夜にあれこれの場所へ行き、そこであなたの好みの男を見るでしょう。この男もあなたを観察していて、興味深い偶然の組み合わせにより、結果は結婚となるでしょう。」
 あなたはこの婦人がその場所へ行き、ある男を見て、彼が彼女に気づくと信じ、結婚を予期すると見込む事はできよう。このような結末にならないかもしれないが、彼女はあなたを非難したりはしまい。なぜなら彼女は別の幻影のために機会を諦めるだろうからだ。反対に、彼女は懸命にあなたとの新たな相談をすべく戻ってくるだろう。
 私はアストラル光は神託の偉大な書だと先に述べたが、それらを読む能力は生まれつきか修行により獲得したもので、そのため見者には直観者と秘儀参入者の二つの種類がある。これは子供、教育を受けていない人々、羊飼い、愚者すらも、学者や思考家らよりも自然な神託の才能を持っている理由である。単純な牧童のダビデは、カバラ学者とマギの王ソロモンよりも預言者だったのだ。直観による知覚は、この学のものと同様に確実であることが多く、アストラル光を霊視できない者ほど、理性が高いのだ。夢遊病は純粋な直観状態であり、ゆえに夢遊病者はこの学の見者により導かれるよう求められていて、批評家や思考家は単に彼らを迷わせるのみなのである。神託の幻視は恍惚状態に入っている時にのみ働き、この状態に入るためには、疑いや幻影が鎖につないだり思考を眠らせるなどして、心に湧き起らないようにする必要がある。そのため神託の道具は自動磁気の方法と外的な光から遮断する口実を作る事で、内なる光のみに注意を払えるようにする。この理由から、アポロニウスは自らを完全に羊毛のマントで覆い、闇の中で自らの臍へと視線を固定させていたのである。ドゥ ポテーの魔術の鏡はアポロニウスが使った道具に似たものである。水占いと親指の爪の中の幻視は、よく磨かれて闇の中で行うならば、魔術の鏡の派生である。香や召喚はなおも考慮すべきで、水や黒色は可視光線を吸収し、自然な才能を持つ者や、適切に方向付けられた者のある種の眩惑や眩暈は成功を保証し、それに明晰さが続く。土占術やカード占いは、同じ目的の別の方法であり、象徴と数の組み合わせが、同時に偶然と必然を導き、このような象徴の下に想像力がリアリティーを知覚するためには、これらは宿命の偶然と充分に似せているのである。興味が刺激され、見たいと強く望み、直観が確信に満ちるほど、幻視は明瞭になっていく。土占術の点を偶然に組み合わせたり、ふざけた目的でカードを配置するのは、子供じみた冗談である。くじは知性により磁気化され、信仰により方向付けられる事によってのみ神託となる。
 全ての神託の中でもタロットはその答えが最も驚くべきものである。なぜなら、このカバラの普遍的な鍵の全ての可能な組み合わせは、その返答としてこの学と真理の神託を与えるからである。タロットは古代のマギの独占する書であり、私が以下の章で証明するように原初の聖書であり、古代人はタロットを後の原始キリスト教徒が偶然に聖書の章句を選び、数を考える事で定めた聖なるくじとして用いたように使っていた。マリアン ルノルマン嬢は我々の現代の占い師の中でも最も高名であるが、タロットの学については学べずに、あるいはエッティラ由来のもののみを知っていたが、彼の説明は光を照らされたものの背後の影に過ぎなかったのだ。彼女は高等魔術もカバラも知らず、その頭に占めていたのは間違って解釈した学識であったが、彼女は直観の人であって、それは滅多には彼女を欺かなかった。彼女が残した書は、正当にくだらない冗談で、古典の引用で飾り付けられていたものだったが、相談者の生体磁気により啓明された彼女の神託はしばしば驚くべき正確さを示した。彼女は放縦な想像力のある女性で、その取りとめも無い精神は、女性の自然な疾患として差し引く必要があろう。彼女は古代のセイン島の女ドルイドらのように、処女のまま生涯を終えた。彼女は美人だったので、メリュジーヌやヴェレダの大昔の伝説のように、望むならば容易に男らと遊ぶことが出来ただろう。
 神託の実践で儀礼を多く用いる程、我々と相談者の両方の想像力を刺激するであろう。その場合、四大エレメンツの召喚、ソロモン王の祈り、亡霊らを散らす魔術の剣といったものが成功裏に用いられよう。また我々は作業の日と時間の精霊も召喚しなくてはならず、それらに特別な香を供犠する。次に、相談者との磁気的、直観的な照応に入らなくてはならない。そのために何の動物に彼が共感を持ち、何を嫌っているかと、また彼の好みの花や色を尋ねていく。花、色、動物はカバラの七つの精霊と類似的な区別で繋がっている。青を好む者は理想主義者で夢想家である。赤を愛する者は物質的で情熱的。黄色を好む者は幻想的で気まぐれである。緑を崇める者はしばしば商業的や職人的である。黒の友は土星に影響されている。薔薇は金星の色などである。馬を愛する者は良く働き、高貴な性格をし、同時に柔順で温和である。犬の友は愛情深く忠実である。猫好きは独立心があり放蕩者である。気さくな人物は蜘蛛を特別に恐れる。傲慢な性格の者は蛇を嫌う。高潔で潔癖な人はネズミを許しておけない。官能的な者はヒキガエルを酷く嫌う。なぜなら、これは冷たく、孤独で、醜く、惨めだからだ。花にも動物や色と同様に類似的な共感があり、魔術とは普遍的な類似の学なのである。検討する人物の中の単独の味わい、一つの傾向で、残りの全ては神託することができる。これは倫理秩序の現象へのキュヴィエの類似的解剖学の応用である。
 顔や体の観相術、表情のしわ、手のひらの線も、魔術師に多くの正確な兆候を与える。人相学と手相学はそれぞれ別の学問となったが、それらの発見、純粋に経験的、推測的なものは、ゴクレニウス、ベロット、ロンフィルス、インダジン、テニエらの教義の体系と比べられ、調べられ、組み合わされていった。最後に述べた著者の書は最も重要で完成されており、彼は観察と推測を組み合わせ評論した。現代の研究家の騎士ダルパンティニは、人物の性格とその手の形の全体としてや詳細な部分で、これらの間に真に存在する類似への彼の注記により、手相学に新鮮な確実性を与えている。この新しい学は同様に文人である独創性と技芸に豊かな技芸家により、さらに発展し検証された。この弟子は師を超えていて、我らの愛すべき気高いデバロール、我らが大文豪アレクサンドル ドゥマが世界主義のロマンスで付き合うのを喜んでいた旅人らの一人は、既に手相学で真の魔術師として引用されていたのだ。
 また相談者には彼の良く見る夢についても質問する必要がある。夢は内側と外側の両方の生の反映である。これらは過去の哲学者らから真剣な注意とともに考慮されてきた。ヘブライの長老らはこれらを特定の神の啓示と見做しており、ほとんどの宗教啓示は夢の中で与えられてきた。地獄の怪物らはキリスト教の悪夢であり、スマッラの著者が巧みに観察したように、これらが夢の中で見なかったとしたら、ペンや彫刻刀は決してこのような驚異物を創ったりはしなかったろう。我々は想像力が常に奇形を反映する者らには気をつけねばならぬ。誘惑は同じように夢によって発現し、それにより生へ常に影響するので、我々が運命を確実に推察したいならば、それらについてよく理解する必要がある。血、楽しみ、光の夢は、快活な気質を示す。水、泥、雨、涙は、より粘液質の配置である。夜の火、闇、恐怖、亡霊は胆汁質と憂鬱症に属する。初期の最も偉大なキリスト教司教の一人だったシュネシオスは、美しくも純粋なヒュパティアの弟子の一人であった。ヒュパティアはアレキサンドリア学派を栄光と共に統括した後に、狂信者らに虐殺されたが、この学派の遺産を共有したキリスト教徒――シュネシオス、ピンダロスやカリマコスのような抒情詩人、オルペウスのような司祭、トレミゾンテのスピリディオンのようなキリスト者――は夢に関する文献を我々に残し、カルダンがそれに注釈を加えている。この心の壮大な研究について今では誰も考慮しなくなったが、それは続いて起きた狂信主義が世界に科学的、宗教的理性主義をほとんど絶望させるようにしたからである。聖パウロはトリスメギストスの書を燃やし、ウマル*3はトリスメギストスの弟子らと聖パウロの書を燃やした。迫害者どもよ! 放火魔どもよ! 嘲る者どもよ! いつになったら汝はその闇と破壊の作業を終わらせるのだ?
 キリスト教時代の最も偉大なマギの一人であるトリテミウス*4は、あるベネディクト修道院の申し分のない修道院長で、博識ある神学者、コルネリウス アグリッパの師だったが、軽んじられているがこの上なく貴重な書を幾つか残しており、その中には「DE SEPTEM SECUNDEIS(七つの二次原因について)」と名付けられた文献がある。これは第一原因である神の動きの後の知性体あるいは惑星霊の事である。これは新、旧約聖書の全ての預言の鍵であり、卓越した預言者イザヤやエレミヤに全ての未来の出来事を見させた、数学的、歴史的で単純な技法である。この著者は歴史哲学の大胆な輪郭を描いており、世界全体の存在をカバラの7つの精霊らによって分割している。これは「ヨハネの黙示録」の7体の大天使らが、トランペットの音とともに次々と現れては杯より御言葉を零し、それが地で実現化する幻視の、最も壮大にして幅広い解釈である。それぞれの天使らが支配する期間は354年4ヶ月で、土星の天使オリティエルの時代が、トリテミウスによると世界の創造の日である3月13日より始まり、彼の支配は野蛮で闇の時代であった。次に来たのは金星の霊アナエルの支配で、354年6月24日より始まり、愛が人類の教授者として始まり、それは家族を創り出し、この家族は組織と初期の都市となった。その最初の市民らは愛に啓明された詩人らで、その詩の高揚は宗教、狂信主義、放蕩を生み出し、その頂点に達した時に大洪水が起きた。この状態はA.M.708年の8月である10月25日まで続き、木星の天使ザハリエルの支配が始まると、彼らの指導の下に人々は知識を求めるようになり、土地と住居を巡って争うようになった。またこの時代は都市の基盤と帝国の拡張の時代でもあった。その結果は文明と戦争である。さらに水星、学問、言葉、知性、工業の天使ラファエルが就任するA.M.1063年2月24日から、商業の必要を感じるのが始まった。この時に文字が開発され、ヒエログリフで普遍的であった最初の言語が生まれ、この時にエノク、カドモス、トート、パラメーデースの書、後にソロモン王が用いたカバラの鍵、テラフィム、ウリム、トンミムの神秘書、ゾーハルやウィリアム ポステルの原初の創世記、エゼキエルの神秘の輪、カバラ学者らのROTA、マギとボヘミアのタロットが保存された。技芸の発明が始まり、始めて航海が試みられた。人々の関係が拡張され、増大するのを望み、その後に急速に全体的な腐敗の時代が起きて、その後にはA.M.1417年6月26日に火星の天使サマエルの支配の下で普遍的な大洪水となった。長い疲弊した時代の後に、世界は月の天使ガブリエルの支配の下で新たな誕生を望むようになった。この時代はA.M.1771年3月28日より始まり、ノアの子孫らは増えて世界全体に広がった。そしてバベルの塔の混乱が起きて、それらはA.M.2126年2月24日からの太陽の天使ミカエルの支配まで続いた。この時代は最初の支配、ニムロドの子供らの帝国、科学と宗教の誕生、専制政治と自由の間の最初の闘争が起きた。トリテミウスはこの興味深い学習を歴史全体で追い、関連した時代は、廃墟の再現を示し、それから文明が詩と愛により新たに起きて、家族により諸帝国が再編され、商業により拡張し、戦争により破壊され、普遍的進歩的な文明により修復され、その後にさらに巨大な諸帝国によって飲み込まれる。これらが歴史のあらましである。トリテミウスの書はこの観点から、ボシュエ*5のものよりも包括的、独創的であり、歴史哲学の絶対的な鍵である*6。彼の正確な計算は、1879年11月にミカエルの支配が来ると導き、三世紀半の怒りの時代の後に希望に満ちた新たな普遍的な王国の基盤がなされる。現実と正確に重ね合わせると、16、17、18世紀と19世紀の前半は黄昏の月と期待の時代であり、14、13、12世紀と11世紀後半は試練と無知、全ての自然の苦しみと懲らしめの時代であった。それゆえ、この計算によるならば、1879年――あるいは、それから24年以内に――普遍的な帝国が設立され、世界に平和をもたらすであろう。この帝国は政治、宗教的なものであり、我々の時代に起きている全ての問題への解決を与え、354年4ヶ月続くであろう。その後には、オリフィエルの支配、沈黙と夜の時代に戻ろう。来るべき普遍的帝国は、太陽の支配の下で、東の鍵を持つ者に属するであろう。この鍵は今は世界の四方の君主らによって争われている。だが、知性と活動性は至高の領域で太陽を支配する諸力である。そして今、知性と命の主導権を握る国が、東の鍵を得て、普遍的王国を確立するであろう。そのためには、神人イエスと相似した十字架と殉教の下へ進まねばならぬ。だが生きようが死のうが、その霊は国々の間で打ち勝とう。全ての民はフランス標準で24年以内に新帝国を認め従い、常に勝利するか、死者から奇跡的に蘇ろう*7。これこそがトリテミウスの預言であり、全ての我らの予見により確証され、全ての我らの希望に根差しているのである。



高等魔術の教理と祭儀 2-22
↑ 高等魔術の教理と祭儀


*1 divination。この言葉には占いの意味もある。
*2 ソクラテスの元弟子で快楽主義派の祖。
*3 ウマル イブン ハッターブ。592年? - 644年。2代目正統カリフで、エジプトを征服しアレキサンドリア図書館を燃やした。
*4 ウェイト注。ヨハンネス トリテミウスは1462年にトリッテンハイムに生まれ、1516年にヴュルツブルクで亡くなった、魔術の文献と歴史にとって考慮に値する重要性のある人物であるが、彼のいわゆる「全ての預言の鍵」の書は決してエリファス レヴィの熱狂を受けるには値せず、1879年以降の出来事により、充分に間違っているのが示されている。トリテミウスは錬金術、魔術の印、暗号術、カバラの書を記しており、彼はドイツのベネディクト会士により妖術の疑惑から守られたが、彼のオカルト学への耽溺には疑う余地が無い。彼はまた修道院の年代記の膨大な双書を編纂している。
*5 ジャック ベニーニュ ボシュエ。1627年 - 1704年。フランスのカトリック司教、神学者。「哲学入門」「世界史叙説」「棺前説教集」の著書がある。
*6 ウェイト注。結局のところ、我々はボシュエの方を好む。「七つの二次原因について」は、トリテミウスの名誉に僅かしか貢献していない。一方で、レヴィの賛辞は、キリスト教のラテン教義を信じる者のものと多かれ少なかれ同様に、預言を信じる者にとっての預言の価値を正確に示している。
*7 「ウェイト注。だが、この預言の後に起きた事は、1870年のセダンの戦いでの大敗であった。」普仏戦争(1870年 - 1871年)のセダンの戦いで、フランス軍はプロイセン=ドイツ連合軍に大敗し、皇帝ナポレオン3世も捕虜となりフランス第二帝国は崩壊する。