高等魔術の教理と祭儀 2-19

ページ名:高等魔術の教理と祭儀 2-19

第十九章 太陽の熟達


 我々は今やタロットで太陽のサインに帰せられる数へと到達した。ピュタゴラスの十組と、三つ組が自らにより掛け合わされたものを足したこの数は、絶対者への知恵を表す。それゆえ、私はここでは絶対者について考える事にする。無限、不定、有限の中からそのような絶対者を見出すのは、賢者の大いなる作業であり、ヘルメスにより太陽の作業と名付けられている*1。真の宗教的信仰、哲学的真理、金属の変容の不動の基盤を見つけるために、ここにはヘルメスの全ての秘密と哲学者の石がある。この石は一つにして多数である。これは分析により分解され、総合により再構成される。分析においては、これは粉末であり、投入の錬金術の粉である。分析の前と総合においては、これは石である。哲学者の石は空気にも、大衆の目にも晒してはならぬと師らは言う。この石は隠し場所に保持し、作業場の最も秘密の入れ物の中で慎重に保つ必要がある。その部屋の鍵は常に身に帯びるようにせよ。
 大いなる奥義を保有する者は、真の王にして諸王を超えている。彼には全ての恐怖と全ての虚しい希望が近づけないからである。魂や肉体のあらゆる病に対しては、この貴重な石から割った一つの断片、神の粉末のひと掬いは、それらの治癒のためには充分以上である。師イエスは「耳ある者は聞け」と述べた。
 塩、硫黄、水銀は大いなる試みの付属要素で受動的な道具にすぎない。私が述べてきたように、全てはパラケルススのいう内なる磁気にかかっている。この作業は完全に投入から成り、投入は単独の御言葉の効果的で実現可能な知により完全に達成される。わずか一つのみの重要な作業があり、それは昇華で、ゲベールによれば、適切な瓶へ入れた乾燥した物質を火により高める事と同様だという。大いなる作業の理解に到達し大いなる奥義を得た誰にせよ、我が教理篇の諸原理を学んだ後に、慎重にヘルメス哲学を読むならば、疑う事無く彼は他の者らが到達したように、秘儀参入に到達するだろう。だが、それらの類似の鍵を得るためには、彼はエメラルド板に記されたヘルメスの一つの教義を得なくてはならず、知識を区分化させ、作業を導くために、彼はタロットのカバラ的アルファベットで示された順序に従う必要があり、それらは本書の最後の章で絶対的で完全に説明するであろう。
 大いなる奥義の密儀が含まれている稀で値を付けられない文献群の中でも、パラケルススの「化学の小道あるいは手引書」は、例証的な物理の密儀全てとカバラのほとんどの秘密から成るので、最上の位置に置かれねばならない。この特別な文書はヴァチカン図書館に保存されており、錬金術師のセンディヴォギウスにより筆写され、トゥーディー男爵が「輝ける星」と名付けた書に含まれたヘルメスの教理問答を構成する際に用いられた*2。この教理問答は、私は学習したカバラ学者らにパラケルススの不完全な文献の代用として指し示したいが、大いなる作業の全ての不可欠な原理をかくも明白で完全に説明し、それゆえに読者がそれまでの学習により絶対的な真理に到達できなかったならば、このオカルトを包含した質ある内容を絶対的に望まねばならぬ。私はこの作業について、次に十分な分析と注釈として幾つかの言葉を与えなくてはならぬ。
 ライモンドゥス ルルスは、この学の大いなる深遠なる師らの一人であるが、我々が金を造る前に、我々は金を持つ必要があると述べた。無からは我々は何も造れず、富は絶対的には造れないのである。それは増大させ増殖される。ゆえに志望者はこの知識を理解し、奇跡も大道芸人の手先の技も達人には要求されないと悟らねばならない。ヘルメス学は他の全ての真の学と同様に、数学的に示す事が可能である。その物質的な結果すらも、よく検討された方程式と同等なのである。ヘルメスの金は真の教義、影無き光、虚偽を含まない真理であるのみならず、これはまた物質であり、実際の純粋な金であり、地下の鉱床から見つけられる最も貴重な金属なのである。だが生ける金、生ける硫黄、あるいは哲学者の真の火は、水銀の家にて探さねばならぬ。この火は風を養い、その引き寄せて拡張する力を表現し、稲妻以上にそれを例えられるものは無いだろう。それは主に乾燥した地の蒸発物が湿気の気体と混ざり合い、その後にその高揚の性質における火の自然が起き、自らの性質へと引き寄せ変容させ継承した湿気の働きをなし、自らに似た固体の性質へと引き寄せられ、この稲妻は大地へと急速に落ちるのである。これらの言葉は形としては謎めいているが本質は明らかであり、哲学者らが彼らの水銀が硫黄により結実し、塩の師にして再生者となる事で理解したもの大っぴらに表現する。これはアゾット、普遍的なマグネシア、大いなる魔術の動者、アストラル光、命の光、アニマの力と知のエネルギーにより養われたものであり、それは硫黄と神の火との親和性と比較されよう。塩としては、これは絶対的な物質である。物質の全ては塩を含み、全ての塩は硫黄と水銀を組み合わせる事で純粋な金へと変えられ、時にはそれらは速やかに活動するゆえ、変容は即座にか一時間ほどで、作業者が労働する事もなく、ほとんど何の費用もかからずに起きる。別の時、周囲の環境が対立していた時には、作業は数日、数ヶ月、時には数年かかる。
 私が述べてきた通り、二つの主要な自然の法則――二つの本質的な法則――があり、お互いに調和を保ち、万物の普遍的均衡を生み出している。それらは固定と動きであり、真理の相似で哲学の発見であり、神の極めて本質である必要性と自由の絶対的な概念である。ヘルメス哲学者らは重みがあり、中央で休み不動である傾向のある万物に対して固体の名を与えている。動きの法則により自然で従う物に対しては、彼らは気体と名付けた。そして彼らは哲学者の石を分析により構成したが、それは気体の固体化であり、固体――彼らが塩と呼ぶもの――に硫黄化させた水銀あるいは命の光を当てはめる事で効果をもたらし、秘密の作業により全能性へと導いた。彼らは全ての自然のこの種の師となり、彼らの石は塩のあるいずれでも見いだされるが、それは大いなる作業においていずれの形質も未知のものではないと言うのと同等であり、見たところ最も卑しく価値無い物質も金へと変えられ、その真の意味合いは私が今まで述べてきたように、万物には本質的な塩が含まれており、バジル バレンタインの鍵の書の象徴的で普遍的な口絵で見る事が出来るように、それらは立方体によって我々の象徴では表されている。万物から隠された純粋な塩を摘出する方法を知るのは、石の秘密を保有する事と同じであった。そのため塩を含んだ石、オドとも普遍的なアストラル光とも呼ばれるものは、分解されたり再構成される。それは一つにして多数である。通常の塩のようにそれは分解され他の物質に組み込まれるからである。分析により得たならば、これは普遍的昇華と呼ばれ、総合により回復したならば、これは古代人らの真のパナケア(万能薬)と呼ばれ、魂にせよ肉体にせよ全ての病を癒し、全ての医薬の中でも卓越したものと呼ばれる。絶対的な秘儀参入により我々が普遍的な動者の諸力を配置できる時には、この石は常に我らが手にある。投入や金属の物質化とは大いに違い、この摘出は単純で容易な作業となるからである。この昇華した状態の石は空気には晒してはならない。それは石を溶かしてその性質を失わせるだろう。さらに、石から発する大気を鼻で吸う事も、危険が無いわけではない。賢者はこれを自然な包みに入れて保存し、カバラ学者らが殻と名付けたこの包みから、彼の意志の一つの努力と普遍的動者の一つの適用により摘出できると知っていた。ヒエログリフ的に表現するならば、この慎重な法則、賢者らが彼らの水銀に帰したものはエジプトではヘルマヌビス神、犬の頭を持つ神へと擬人化され、彼らの硫黄はテンプル騎士団のバフォメット、サバトの君主、中世のオカルト結社らにかくも非難をもたらした山羊の頭とされたのである。
 鉱物の作業としては、第一原質は完全な鉱物ではあるが金属ではない。これは金属化した塩である。この物質は野菜と呼ばれるが、それは果実に似ているからで、また動物とも呼ばれるが、これは乳や血のようなものを生み出すからである。これは自らの中に火を含んでおり、それによって分解する必要がある。



高等魔術の教理と祭儀 2-20
↑ 高等魔術の教理と祭儀


*1 ウェイト注。「未創造の無限と無限に創造された有限は、二つの並行する直線のようなもので、お互いに出会う事無く永遠に近づこうとする。」「賢者の書」64ページ。「無限に創造された有限」は形而上学的ナンセンスであり、愚者の帽子を整えようとする行為であると見做さねばならない。
*2 ウェイト注。トゥーディー男爵の書の中には、レヴィが示唆するような情報源から導かれた部分は何も無く、さらに私が調べる限り、ヴァチカン文書からセンディヴォギウスが筆写したという何の証拠も無い。たとえ彼が行ったとしても、この筆写が「輝ける星」の著者の保有となった記述は確実に無いのである。