高等魔術の教理と祭儀 2-16

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第十六章 魔女術と呪文


 妖術師と降霊術師らが、彼らの不浄の霊の召喚で何よりも求めていたものは、真の達人が持つ磁力であるが、彼らはそれを恥ずべきも自らの悪用のためにのみ欲していたのである。妖術師どもの愚行は悪しき愚行であり、彼らの主な目的の一つは、呪いをかける、あるいは悪しき影響力である。私は教理篇でこの呪いをかける主題についての私の考えと、どれだけこれらが危険で現実の力であると思えるかを述べている。真の魔術師は非難し懲罰が必要と考える者に対して、儀式も無しに呪いをかけられる。寛大にも彼に悪しき行いをした者らにかける呪いとは、秘儀参入者の敵が決してそれらの不正な不純さを再び行えなくなる類のものであった。私自身何度となくこれらの運命の法の例を見てきた。殉教者を殺した者らは常に悲惨に滅び、達人らは知性の殉教者である。神の摂理は彼らを見くびる者らを嘲り、彼らの命を奪う者らを殺すように思える。彷徨えるユダヤ人の伝説*1は、この奥義の有名な例である。ある賢者は国家により彼の悲運へと追いやられ、彼がしばらく休むのを求めた時に国は「行け!」と彼に命じた。すると何が起きただろうか? 似たような非難が国自身に起きたのである。これは具体的な禁止である。人々はその国に何世紀も「急げ! 急げ!」と叫び続け、その国は何の哀れみも休息も見つけられずにいる。
 ある学者が親密に広く情熱的に愛する妻を持っていた。彼は彼女を盲目の信頼とともに名誉を与え、彼女を完全に信用していた。彼女の美と知性の虚栄心により、この女性は夫の上位性を嫉妬するようになり、憎み始めるようになった。少ししてから彼女は彼と離婚して、年老いて醜く愚かで卑しい男と共に暮らして自らを貶めた。これは彼女の懲罰の始まりであったが、ここで終わりはしなかった。学者は以下の事を彼女に厳粛に告げた。「私はあなたの知性と美を取り戻す」と。一年後、彼女はもはや彼女を知る者らにも見分けがつかなくなっていた。彼女は肥満により体型が崩れ、彼女の顔つきはその新しい影響の醜さを反映するようになっていた。三年後には彼女は醜くなり、七年後には彼女は気が狂った。これは我々の時代に起きた事で、私は両者からこの話を聞いているのである。
 魔術師は技量のある医者の方法により非難をし、この理由から、罪ある人物へ告げる時には、彼の内容からはそれらを察する事は出来ない。儀礼も召喚も無く、彼は単に同じテーブルで食べるのを控えたり、もし強制されたとしても、塩を与えたり受けたりはしないのである。だが妖術師が呪いをかけるのは別の類のものであり、それはアストラル光のある流れに実際の毒を入れるのと比較されよう。距離を離れていても毒性となるまで儀礼により彼らの意志を高めるが、我が教理篇で述べたように彼らは自らを晒し、この地獄の機械によって最初に殺される場合が多い。これらを非難するために、その罪ある進行の一部を紹介しよう。彼らは滅ぼそうと望む人の髪や衣服を手に入れ、その人物の象徴に思える動物を選び、この髪や衣によって、彼/彼女との磁気的な繋がりを動物に置く。彼らは動物に犠牲者と同じ名前をつけて、それから魔術のナイフの一撃で殺す。彼らは動物の胸を開き、心臓を取り出すと、なおも鼓動しているものを磁気化された物の中に包み、三日間かけて、一時間ずつに釘、赤熱にしたピン、長い針を心臓の中に突き刺し、犠牲者の名前によって呪いを告げる。この悪名高い作業の犠牲者は、あたかも自らの心臓が全ての点で突き刺されているような多くの責め苦を経験するだろうと彼らは確信をもっているが、しばしばそれは正しいのである。
 別の呪いをかける方法は、田舎者らが用いているものであるが、この憎しみの作業は聖別された釘、土星の悪臭ある気体、悪しき精霊の招聘から成っている。彼らは懲罰したい人物の足跡に従い、土や砂に残っている足跡全てに釘を十字状に走らせる。別のより忌わしい実践もある。太ったヒキガエルを選び、洗礼を授け、呪うべき人物の名前と名字を与え、聖別された聖体パンを飲み込ませるが、このパンには先に呪いの形式を唱えておく。それから動物は磁気化されたもので包み、作業者が先に取っておいた犠牲者の髪によって縛ってから、犠牲者の家の玄関の敷居か、彼が日々通らなくてはならない場所に埋める。カエルのエレメンタルの霊は悪夢や吸血鬼となり、無論犠牲者がそれを作業者に戻す方法を知るまで、彼の夢の中で追い続ける。
 次に蝋人形を用いた呪いについて語るとしよう。中世の妖術師らは、彼らがマスターと見做した者からのこの冒涜の品を熱狂的に求めていたが、これは洗礼の油と聖別された聖体パンの灰に少々の蝋を混ぜたものである。背教した司祭は、これらを教会の宝物庫へは決して送りたいとは望まなかった。集めた蝋により、彼らは呪いをかけたい人物になるべく似た人形を作った。像に犠牲者が着るのと似た衣服を着させて、犠牲者が受けた秘跡を像にも授けた。それから像の頭に向かって、妖術師の憎しみを表現するような呪いを浴びせ続け、この像が表す人物に共感により伝わり苦痛が与えられるまで、日々想像の懲罰を加えた。この呪いは、犠牲者の髪、血、そして何よりも良いのは歯を得ていたら、より効果がある。これは諺にある、あなたは私に対しての歯を持つ――つまり、あなたは私をそねんでいるの意味であるが、起こった原因である。また視線による呪いもあり、イタリアではこれはイェッタトゥーラ、邪眼と呼ばれている。我々の内戦の時代*2に、ある小売店主が彼の隣人の一人を告げ口をする不幸があり、この人物は一時的に牢獄へ入れられた後に解放されたものの職を失った。この者のただ一つの復讐は、告げ口をした店を一日に二回通る事で、この店主をじっと見て挨拶をしてから去っていった。少ししてから店主はもはやこの視線に耐えられなくなり、自らの店を底値で売り払い、住所を誰にも告げずに引っ越しをした。言い方を変えれば、彼は破滅した。
 脅迫は真の呪いであるが、これは想像力に強く働くからであり、特に被害者がオカルトと無制限の力を容易に信じる場合には尚更である。地獄の恐るべき悪意、何世紀にもわたる人類の呪いは、全ての悪徳と過剰さを組み合わせたものよりも多くの悪夢、名も無き病、荒れ狂う狂気を造り出してきた。これは中世のヘルメスの彫刻家らが大聖堂の入り口に刻んできた驚くべき聞いた事もないような怪物らが表していたものである。だが脅迫による呪いは、脅された人物のもっともなプライドからの怒りを引き起こし、その結果彼の抵抗を喚起したら、あるいは最後にはその悪趣味から馬鹿げたものとなれば、作業者の意図と反した効果を引き起こし、結果として虚しい脅しとなる事がある。地獄の宗派の者らは天を信じずにいた。均衡とは動きと生の法であり、かの自由は倫理の均衡であり、真と偽、善と悪の間に永遠にして不変の区別にて休むと、理性のある人物に言おう。彼は自由意志を授けられているので、自らの行いによって、真理と善の帝国の中に己を置く必要があり、さもなければシーシュポスの岩のように偽りと悪の混沌の中へと永遠に転げ落ちるだろうと告げよ。それにより彼はこの教義を理解し、きみが真理と善を天国と、偽りと悪を地獄と呼ぶならば、彼はきみの天と地獄を信じ、神の理想は静かで完全に休み、怒りや罪にも至るまい。なぜなら地獄の原理が自由にして永遠ならば、魂にはそれは一時的な苦悩以上のものとはなれず、それは贖いとその概念は悪の賠償と破壊を必要条件とするからであるが、それらを彼は理解するだろうからだ。これは教義的な意図、それは私の範囲外であるが、から言っているのではなく、生を超えた恐怖による意識の呪いへの倫理と理性の救済策を示すためであり、私に人間の怒りの有害な影響から逃れる方法について語らせて頂きたい。まず何よりも重要なのは、理性的で公正な生き方をし、誰の怒りも招く機会や動機を与えない事だ。正当な憤りは大いに恐れるべきであり、そのためなるべく早く、きみの過ちを認めて償うことだ。その後も怒りが続くならば、それは確実に悪徳から来たものだ。それが何の悪徳かを探して、自らを強く反対側の美徳の磁気の流れと合一させるのだ。呪いはもはやきみにそれ以上の影響を与えないだろう。衣服を他人に与える前には慎重に洗い、さもなければ燃やすようにせよ。また、未知の人物が使っていた衣服は、水、硫黄、樟脳、香木、琥珀といった香料によって浄化せずに、決して使わないようにせよ。
 呪いに対しての強力な抵抗の方法は、それを恐れない事である。呪いは伝染病のように働く。伝染病が流行っている時期には、恐怖はまず最初に攻撃すべきものである。悪を恐れない秘密はそれを考えない事であり、我が助言は完全に無関心になる事である。私は著者として魔術の書に与えたゆえに、神経質な者、弱っている者、軽信する者、ヒステリー者、迷信的な崇拝者、馬鹿、エネルギーや意志無き者は、決して魔術書を開かず、既に開いていたらすぐに閉じるようにして、誰かがオカルト学について語っていたら耳を塞ぎ、彼らを嘲笑して決して信じず、かつてある偉大なペンタクル魔術師が述べたように、水を飲むのは素晴らしい呪いの治癒となると、強く主張したい。
 賢者にとっては――愚者らのための手当をした後には、今度は彼らの方に向ける時である――彼らの運命に対して恐れるべき妖術はほとんど無いが、彼らは祭司にして医者であり、呪われた者を治癒するために呼ばれる事もあるだろうから、以下の方法を行うべきである。彼らはそのような人物には彼を苛む者への何らかの善行をするように説得すべきで、彼が断われない何らかのサービスを与え、彼を直接的か他の方法により、塩の聖体拝領へと導くべきである。ヒキガエルの呪いや土葬により自らが呪われていると信じる者は、角箱の中にいれた生けるヒキガエルを常に身に着けておくべきである。心臓を貫く呪いに対しては、影響を受けた者は子羊の心臓をセージと玉ねぎで調理したものを食べ、樟脳と塩で満たした鞄の中に入れた金星か月のタリズマンを身に着けるべきである。蝋人形の呪いには、より精巧な蝋人形を造り、それに属する人物に出来るだけ近くに置いて、七つのタリズマンをその首にかけ、この像を五芒星ペンタグラムを表す大ペンタクルの中心に置く。そして毎日、この像に油と香膏を混ぜたものを少量塗り、それからエレメンタルの霊らの影響を取り除くべく四大エレメンツの召喚文を唱える。七日目の終わりに、像は聖別された火で燃やすなら、妖術師によって作られた像はこの瞬間に全てのその力を失うと確信できるだろう。
 私は既にパラケルススの同種療法については記しているが、彼は蝋の四肢を用いて、負傷者の血を排出する事で負傷そのものを癒していた。この体系は通常の暴力的な療法よりも活用するのを許し、その主な特徴は昇華と硫酸であった。私は現代の同種療法はパラケルススの理論に基づき、彼の賢明な実践への回帰だと信じている。だが私はこの主題については、オカルト医療に専念した特別な書を後に書くつもりである*3
 両親が子供の未来を先んじる契約も呪いの一種であるが、それらを強く非難する事は出来ない。例えば子供らが白に捧げられたら、滅多には良く成長しない。 昔に禁欲を誓った者は、一般的に堕落したり、あるいは絶望と狂気に陥る末路となる。人は宿命への暴力をなす事は許されておらず、ましてや自由の法的な使用への制約は尚更である。
 本章の補足あるいは付録として、私は何人かの魔術書の著者らが呪いの目的に仕える蝋人形と混同している、マンドラゴラや人造人間アンドロイドについて幾つか付け加えたい。自然のマンドラゴラ草はその根が人かその男性の部分の姿にやや似ている糸状植物である。この草はやや麻薬性があり、性の刺激の性質があると古代人は記し、テッサリアの妖術師らは魔薬の要素として求めていたという。ある魔術の神秘主義が示唆するように、その根は我々の地の起源の臍の痕跡なのだろうか? 私は真剣にはそれを確言はしないが、人は地の単細胞から出発し、人の最初の見た目は粗雑な形であるのは確かである。自然の類推は我々にこの内容か、少なくともその可能性を認めるよう強いている。この場合、最初の人間は巨大で感受性の強いマンドラゴラの家族であり、太陽により動かされ、自らを大地から引き抜かれた。そのような仮定は創造的な意志と、我々の理性が神と呼ぶ第一原因との神的な共同作業を、否定する事なく逆に肯定的に支持している。
 一部の錬金術師らはこの考えに印象付けられ、マンドラゴラの文化の幻想に溺れ、先に述べた根が人間化するための充分に豊かな土壌と活動性のある太陽の人工的な再現をし、それにより女性との一致無しに人を造るのを試みた。人は動物らの総合と見做していた他の者らは、マンドラゴラの活性化については絶望していたが、彼らは怪物的な一線を越え、人間の種子を動物の大地へと埋めたが、それらは恥ずべき犯罪と不毛な奇形を生み出すのみであった。アンドロイドを造る第三の方法は、電気による機械工学である。それらのほとんど知性のある自動人形の一つは、アルベルトゥス マグヌスが作ったもので、弟子の聖トマス アクィナスがその返答に困惑したために杖の一撃で破壊したと伝えられている。この物語は寓話であり、アンドロイドは初期のスコラ哲学の事であって、それは聖トマスの「神学大全」によって破壊された。この大胆な革新者は、それまでの恣意的な神に対して理性の絶対の法へと取り換え、それらは原理の形式化によるもので、我々は容易に再現できないが、それはこのような偉大な師から来たものだからである。「神が意志したから正しいのではなく、正しいから神は意志したのである」
 古代人の現実の真剣なアンドロイドは、大衆の目からは隠された秘密であり、メスメルは大胆にも暴露しようとした最初の者であった。それはエレメンタルの霊によって組織化され仕えられた別の物への魔術師の投射であった。より現代的で知的な用語を用いるならば、それは磁気化した物の事である*4



高等魔術の教理と祭儀 2-17
↑ 高等魔術の教理と祭儀


*1 イエスが処刑場へ送られる時に、あるユダヤ人が「とっとと行け!」と言うと、イエスは「私は行くが,お前は私が帰ってくるまで待っていなければならない」と言い、そのためそのユダヤ人はイエスが再臨する世界の終末まで生き続ける呪いをかけられたという話。
*2 おそらくはフランスのユグノー戦争(1562年 - 1598年)のこと。
*3 ウェイト注。エリファス レヴィは以後も幾つかの別の書も出版し、残りは文書の集まりにしているが、上記に特化したような論文はそれらには無い。
*4 ウェイト注。メスメルの実験での磁気化した物は、エレメンタルの霊が持つ物では無く、レヴィのこの言葉はほとんどナンセンスである。彼の意味合いが、エレメンタルの霊が古い魔術の作業で磁気化した物に憑依するというのならば、その証拠を見つけるのは難しいだろう。それらの知られている記録は何も無いのである。