高等魔術の教理と祭儀 2-12

ページ名:高等魔術の教理と祭儀 2-12

第十二章 大いなる作業


 常に豊かで不老不死であるのは、錬金術師らの夢だった。鉛、水銀、その他の金属を金へと変容させ、普遍的医薬と生命のエリクサーを保有する――それが、この願いを達成し、夢を現実化させるために必要であった。全ての魔術の密儀と同様に、大いなる作業の秘密には宗教的、哲学的、自然的な三つの意味合いがある。宗教における哲学的な金は絶対者にして至高の理性者であり、哲学においては真理であり、見える自然においては太陽であり、地下の鉱物界では最も純粋で完全な金である。ゆえに、大いなる作業の探求とは、絶対者の探求と呼ばれ、この作業自身は太陽の作業と呼ばれている。この学の全ての師らは二つの上位の次元での普遍的医薬と哲学者の石の完璧な類似を見つけない限り、物質次元で結果に到達するのは不可能だと理解していた。それらに到達していたなら、作業は単純で軽く安く行われよう。そうでなければ、ふいご吹き(錬金術師)の人生と幸運には何の役にもなるまい。
 普遍的医薬とは、魂のためには至高の理性と絶対的正義であり、精神のためには数学的、実践的真理であり、肉体のためには金と光の組み合わせによる精髄である。至高の世界では大いなる作業の第一原質は情熱と活動性であり、中間の世界では知性と勤勉さであり、低位の世界では労働である。この学において、これは気化して別の形に固体化したら賢者のアゾットを構成する硫黄、水銀、塩である。硫黄は火のエレメンタルの形態と照応し、水銀は風と水、塩は地である。大いなる作業についての書を記している錬金術の全ての師らは象徴的、比喩的な表現を用いており、それらは正しい事であった。この作業から、もしも関わっていたら危険な事になっただろう大衆を除外するためのみならず、ヘルメスの教義の一つにして至高のものである類似の世界全体を啓発する事で、彼ら自身を達人の境地へと高めるためでもあった。そのために、金と銀は太陽と月あるいは王と王妃となり、硫黄は飛ぶ鷲で、水銀は翼と髭のあり立方体の玉座に座り炎を王冠としてかぶる両性具有者で、形質あるいは塩は翼ある竜で、溶けた金属は様々な色をした獅子で、最後に作業全体はペリカンと不死鳥によって象徴された。そのためヘルメスの術は同時に宗教、哲学、自然科学であった。宗教として考えると、これは古代のマギと全ての時代の秘儀参入者のものであり、哲学としてはアレキサンドリアの学派とピュタゴラスの理論の中に見つけられるであろう諸原理であり、科学としてはパラケルスス、ニコラス フラメル、ライムンドゥス ルルスらから求められるであろう諸原理である。この学はこの哲学と宗教を受け入れ理解した者らのみに真理であり、至高の意志を獲得し、ゆえにエレメンタル界の君主となった達人のみが、このプロセスを成功させられる。なぜなら、太陽の作業の大いなる動者とは、エメラルド板のヘルメスの象徴で記された力であり、普遍的な魔術力であり、火のような霊的なモーターであり、ヘブライでのオドであり、私が本書で用いた表現ではアストラル光だからである。秘密にして生ける哲学的な火が存在し、それについては全てのヘルメス哲学者らは最も神秘的な制限の下でのみ語ってきた。それは普遍的な精液であり、彼らが守護してきた秘密であり、ヘルメスのカドケウスの杖の記章の下でのみ表されてきた。そしてここにも大いなるヘルメスの奥義があり、この神秘的な像について私は初めて明白で完全に明かすとしよう。達人らが死んだ形質と呼んだものは、自然で見つけられる物質であり、生ける形質とはこの学と作業者の意志により消化され磁性化させられた物質である。そのため大いなる作業とは化学の作業以上のものである。これは神自身の御言葉の力の中に秘儀がある人の御言葉の実際の創造である。


 חמידי
 המכחיב חשמש רהירה
 הברבבים רהצרדרת בל
 מהם בבלבלר רנרחו
 הנבראים
 והצורוח


 このヘブライ文は、我が発見が本物であり権威ある証拠であるが、ニコラス フラメルの師であったユダヤ人ラビ アブラハムが、カバラの聖なる書セーフェル イェツィラーへの秘密の注釈書の中で記したものからである。この注釈は極めて稀なものであるが、我が鎖の共感力が私をルーアンのプロテスタント教会で1643年から保管されていた版を発見するに至った。この最初のページには、Ex dono(から与えられ)その次に、読めない名前があり、それからDei magni(大いなる神の)とある*1
 大いなる作業の金の創造は、変容と増殖により始まる。ライムンドゥス ルルスは金を生成するためには、我々は金と水銀を持つ必要があり、銀のためには銀と水銀が必要だと主張する。それから彼は付け加える。「水銀により、鉱物霊はかくも洗練し浄化され、金には金の種子を、銀には銀の種子を与えると私は理解した。」彼が言っているのは オドあるいはアストラル光の事であるのは疑いない。塩と硫黄は水銀の準備のためにのみ必要であり、水銀こそが全てにまさり磁気動者を吸収させ、それと一体であるかのようにする必要がある。パラケルスス、ライムンドゥス ルルス、ニコラス フラメルのみが、この神秘を完全に理解していたように思える。バジル バレンタインとトレヴィザンは不完全な方法でこれを示しており、それらは別の解釈も可能であろう。だが私がこの主題で見つけた最も興味深いものは、ハインリヒ クーンラートの「永遠の知恵の劇場」という題名の書の中にある神秘的な図表と魔術的な伝説で示されている。クーンラートはグノーシス派の最も博識な学者として知られ、シネシウスの神秘主義と象徴学的に繋がっている。彼はキリスト教の表現と象徴で書いているが、彼のキリストとはアブラクサス、天空の十字架へ放出される輝く五芒星、ユリアヌス帝が祝した王権ある太陽の化身であるのを容易に認識できる*2。これはモーセによると世界の創造時に水の面で漂い働いていたルアフ エロヒムの生ける発現である。これは太陽の人、光の君主、至高の魔術師、蛇の支配者にして征服者、四福音記者に記されたものであり、クーンラートは大いなる作業の寓話的な鍵を見つけているのである。彼の魔術書のペンタクルの一つでは、十二の非実用的な門のある壁に覆われた要塞の中央に立つ哲学者の石を表している。これのみでも大いなる作業の聖所へと導く。石の上には、翼ある竜の体の上に三角形があり、石にはキリストの名前が彫られており、自然全ての象徴的な像として適している。彼はこう述べる。「このキリスト単独により、汝は人、動物、植物、鉱物のための普遍的医薬を見つけられるであろう。」そのため三角形により動かされる翼ある竜は、クーンラートのキリスト――すなわち、光と命の主権ある知性を表している。これは五芒星ペンタグラムの秘密であり、伝統魔術の至高の教義的、実践的密儀である。大いなる永遠に言葉に出来ない格言まではあと一歩の所まで来ている。
 ユダヤ人アブラハムのカバラ的図形は、フラメルにこの知識を求めるように刺激したものだが、これはタロットの22の鍵以外の何物でも無い*3。この鍵はバシル バレンタインの12の鍵でも同様に用いられている。ここでは、皇帝と皇妃の人物の下に太陽と月が再び現れており、水銀は大道芸人として、大高祭司は精髄の達人あるいは抄録者として、さらに死神、審判、愛、竜、悪魔、隠者あるいは足が不自由な長老の絵があり、最後には残りの象徴全てもそれらの主要な属性とともに、ほとんど同じ順序で見つけられる。タロットはオカルト学の主要な書であり要石なので、他の可能性はほとんど無かったであろう。これはカバラ的、魔術的、神智学的ゆえに、ヘルメス主義でなければならぬ。また私はこの12番目と22の鍵を組み合わせ、一枚を別の一枚の上に置いていく事により、大いなる作業とその神秘への解決のヒエログリフ的啓示を見つけるに至った。タロットの12番目の鍵は、三本の木あるいは柱による絞首台に片足から吊るされ、ヘブライ文字のתタウの形となっている男で表されている。この男の腕と頭は三角形を形成し、彼のヒエログリフ的な姿全体は十字架が上にある逆三角形となるが、これは大いなる作業の達成を表すと全ての達人と代表者には知られている錬金術の象徴である。22番目のタロットの鍵には――愚者の札には何の数も無いので――21の番号が与えられているが、この「世界」の札は若き女性神格を表していて、わずかにヴェールをかぶせられ、花々を走り、カバラの四匹の獣が四隅にある。イタリアのタロットでは、この女神の片手には杖を持っており、(フランスの)ブザンソン地方のタロットでは女神は片手で二本の杖を持ち、もう片方の手は太腿に当てている。両者とも同様に磁気活動の素晴らしい象徴であり、対立と伝導によるその極性の変化や同時進行を表している。
 そのためヘルメスの大いなる作業は本質的には魔術作業であり、その至高のものである。この学と意志における絶対者を前提とするからである。金の中に光があり、光の中に金があり、万物の中に光がある。星々の知性体は光を吸収し、実体の形態の作業をこの方法により導くので、化学は副次的な道具としてのみ用いる。自然の作業への人間の意志と知性の影響はその働きの部分に拠り、さもなければこの事実はかくも現実であり、全ての真剣な錬金術師らは、彼らの知識と信念に応じて成功しており、金属の融合、塩化、再構成の現象で彼らの考えを再現していった。アグリッパは広大な学識と公正な天才だったが、純粋な哲学者、批評家だったので、金属の解析と総合の限界を超えることは出来なかった。エッテイラは、混乱し曖昧で妄想的だが根気強いカバラ学者で、錬金術では彼の誤って造られ欠陥のあるタロットの奇抜さの再現をなした。彼のるつぼの中で金属を極めて異常な形へと変えられ、それは全てのパリ市民の好奇心を刺激させ、彼の家を訪問する者への料金で大金持ちとなった。我々の時代にも、ある忘れられたふいご吹き(錬金術師)もいる。狂気の中で死んだ哀れなルイ コンブリエルは、彼の隣人らを現実に治療し、彼の教区にある全ての証拠によると、彼は友人だった鍛冶屋を生き返らせたという。彼にとって金属の作業は最も理解しがたく、見たところ非合理的な形で行われていた。ある日、彼は神そのものの姿をるつぼの中で見た。それは太陽のように光を放ち、水晶のように透明で、その体は三角の集まった多面体のように見え、彼はナイーブにもそれを小さな桃の集まりと比べている。
 私の友人の博識あるカバラ学者だが、私が間違っていると見なしている秘儀参入に属する者は、大いなる作業の化学作業を最近行い、炉の強い輝きを見て目を損なう結果となった。彼は金に似ているが金では無く、そのため何の価値も無い金属を造り出した。ライムンドゥス ルルス、ニコラス フラメル、さらにハインリヒ クーンラートも可能性が高いが、真の金を造っており、彼らはその秘密を明らかにはせず、それらを象徴の中に隠した。さらに、その発見と効果の現実化のために彼らが導いた情報源もである。それは私自身が今、明らかにしているのと同じ秘密である。



高等魔術の教理と祭儀 2-13
↑ 高等魔術の教理と祭儀


*1 ウェイト注。エリファス レヴィはこの権威ある証拠とされるものを後に別の本でも繰り返しているが、それは(1)彼は大いなるヘルメスの奥義を何も見つけていないこと、(2)実際には彼は何も示していないこと、の豊富な証拠を与えている。(略)
*2 ウェイト注「クーンラートは16世紀後半のキリスト教神智学者で、彼のキリストはナザレのイエスとしての神の受肉であった。」つまり、アブラクサスうんぬんは、レヴィの思い付きとウェイトは言いたいようだ。
*3 ウェイト注。先に示したように、レヴィの言うフラメルの「ユダヤ人アブラハムの書」はラテン語の小論文集であって、どのような「図形」も無く、またタロットの鍵とはほとんど全く繋がっていない。