高等魔術の教理と祭儀 2-11

ページ名:高等魔術の教理と祭儀 2-11

第十一章 三つの鎖


 意志と魔術師の個人的創造を学んだ後の実践魔術の大いなる作業は、磁気の鎖の形成であり、この秘密は真に祭司と王のものである。磁気の鎖を作るとは、概念の流れを起こす事であり、これにより活動的な発現の圏において信念と巨大な意志が生み出される。良く形成された鎖とは、全てを飲み込み吸収する渦巻のようなものである。この鎖は印、言葉、接触の三つの方法により確立されよう。第一の方法は、力の現れとするある種の印を用いる考えである。よって、全てのキリスト教徒は十字架の印によって一致し、メイソンは太陽の下にある正方形により、魔術師は五本の指などを広げる事での小宇宙の象徴による。ひとたび受け入れられて普及したなら、これらの印はそれ自身の力を得る。過去の時代では、十字架の印を視たり作るのはキリスト教に改宗者をもたらすのに充分だった。俗に言う不思議のメダイは同様の磁気的な法則により、我々の時代でも多くの改宗者を作っている。若いユダヤ人アルフォンス ド ラティスボンヌの幻視と啓明はその最も劇的な例である。想像力とは我々自身の心の内部のみならず、流体の放出により外側にも創造をもたらし、コンスタンティヌス大帝の軍旗やミーニュの十字架の超常現象は、疑い無く他の原因はあるまい。
 言葉による魔術の鎖は、古代人らからはヘルメスの口から放たれた黄金の鎖として典型化されていた。雄弁の電気性には何も比類するものはない。この発言は、最も世俗的な大衆らにも高次の知性を作り出した。たとえ、実際に聞くには遠すぎた者らにも、共感と群衆により運ばれたものにより理解した。隠者ピエール*1は、「神はそれを望む!」の叫びによってヨーロッパを震撼させ、皇帝ナポレオンの単独の言葉は軍団全体に電気ショックを与えて、フランス大陸軍を無敵とした。プルードンは彼の高名な逆説「資産とは強盗だ」により社会主義を破壊した。時には権力を滅ぼすのには一言で充分である。ヴォルテールはこれを良く知っていた――彼は皮肉により世界に衝撃を与えた。また彼は教皇も王も、議会もバスティーユ監獄も恐れなかったが、冗談を恐れていた。私は繰り返していると言うこの男の意図を満たす縁に立っている。
 魔術の鎖を確立するための第三の方法は接触によるものである。実際によく出会っている人物同士の間では、この流れはすぐに発現し、強固な意志の持ち主は他者の意志を吸収するのにそう長くはかからない。直接的で肯定的な握手はお互いの気質を調和させ、その理由からこの握手の形は共感と親密さの徴となった。自然本能により守られている子供らは、地下室や周囲での遊びにより魔術の鎖を自然と形成し、快活さを広げ、それから笑いの輪を広げる。円形のテーブルは、他の形のものよりも陽気な会合には向いている。サバトでの大いなる円の踊りは、中世の達人らの神秘的な集団により造られたものだが、魔術の鎖でもあった。これにより参加者全ては同じ意図と行動により一つとなる。これは参加者がお互いに手を繋いで自らは円の外側へと向く事で造られた。これは古代の聖なる踊りの模倣であったが、オリジナルの方は古い神殿跡の彫刻でなおも見つけられる。オオヤマネコ、豹、さらに室内猫の電気を帯びさせた皮は、古代の饗宴の模倣として衣にされた。ゆえに言い伝えでは、サバトでの悪党どもはそれぞれが猫を腰紐から吊るして身に着け、その恰好のまま踊っていたという。
 傾いたり対話する図表*2の超常現象は、この円環の鎖の方法による流体の交流が、偶然に起きた結果であった。これは後に神秘主義化され、教育を受けた知的な者らすらも、この珍しい現象にのぼせ上り、自己欺瞞に陥り、この戯言のカモと化した。図表の神託での答えは、多かれ少なかれ自発的な示唆あるいは偶然の産物である。これらは夢の中で見たり聞いたりする対話に似ている。他の似たような奇妙な超常現象も、一般の想像力の現実化の産物であろう。私はカードや夢占いの出来事の中でのエレメンタルの霊らの介入の可能性について否定はしないが、それらはあらゆる意味で証明されてはおらず、そのためそれらを受け入れる必要もないと信じる。
 人間の想像力の最も並外れた力の一つは、意志の望み、あるいはその不安や恐怖を満たす事である。我々は自らが恐れたり望んだりする何事をも容易に信じると諺にあるが、それは事実である。なぜなら欲望と恐怖は想像力に現実化される力を授け、その効果は測り知れないからである。例えば、人々が神経質に感じていた病をどれだけ被ってきただろうか? この点に関するパラケルススの意見を私はすでに引用しており、教理篇にてそれらのオカルトの法則が試みにより確認されていると述べている。だが磁気流において、この鎖による仲裁により、その現実化はより奇妙な形となる。なぜなら、ほとんど常に期待しない形となるからで、少なくとも知的で共感的で力強い指導者により鎖が確立していない場合にはそうである。大衆は図表で13の数を見つけた時に、迷信の恐怖に捕らわれ、彼らの中でも幼稚で弱い者らを襲った何らかの不幸からの、それらの影響への確信は、ほとんどの迷信と同様に、魔術学の残滓である。12の数は、自然の普遍的な類推での完全数にして円環数であるので、悪意のあり余分な数と見做されてきた13を常に引き寄せて吸収していた。水車小屋の碾き臼が12の数で表されるならば、13はそれらが碾かれる麦である。似たような考えから、古代人らは幸運と不幸の数の区別を確立させており、それらは良かったり悪かったりする兆しの日の観察から来ている。それらは何よりも想像力の創造の産物であって、日々にせよ数にせよ、幸運だと信じる者にはそうなり、不幸だと信じる者にはそうなるのである。そのためキリスト教が占学を禁止したのは正しかった。それにより盲目な者を減らし、心の自由を与える機会を増やしたからである。
 印刷は発言の拡張として魔術の鎖を形成するのに素晴らしい道具である。どのような書も失われたりはしない。事実、書く事は常に著者が望む方向に正確に進み、思考の大望は発言を引き寄せる。私はこれを我が魔術の秘儀参入の過程で百回証明している。希書はそれらが絶対不可欠となったなら、求めずともに自らを差し出してきた。よって、我々は多くの学者らが、社会の大変動の繰り返しの中に飲み込まれていったと見做してきた普遍的な学を完全なままで受け取ってきた。よって、我々はヘルメスやエノクから始まり、世界の終わりとともに終わる偉大な魔術の鎖の中にある。そして我々はアポロニウス、プロティノス、シネシウス、パラケルスス、カルダーノ、コルネリウス アグリッパ、その他のより有名だったり無名だったりするが、それらを軽く呼ぶにはあまりに宗教的に著名人らの霊を召喚して向き合う。我々は彼らの大いなる作業を継続し、後の世の者らも我々の後に続くだろう。だが、誰がそれを完成へと導けるだろうか?



高等魔術の教理と祭儀 2-12
↑ 高等魔術の教理と祭儀


*1 11世紀のフランス北部アミアンの司祭で、第一次十字軍を扇動した。
*2 ウィジャ盤(西洋版コックリさん)のようなものをレヴィは言っているようである。