高等魔術の教理と祭儀 2-8

ページ名:高等魔術の教理と祭儀 2-8

第八章 軽率な者への警告


 この学の作業は、私が何度も言っているように危険が無いわけではない。最上、絶対、不落の理性の基礎を堅固に確立していない者は、狂気に陥る最期もあろう。過剰な神経の刺激により、恐るべき不治の病が起きることもあろう。脳のうっ血による卒倒と死も、想像力が過剰に印象を受け、恐れさせられた結果として起きよう。私は神経質な者、感情が高揚しがちな者、女子供、恐怖への完全な自己制御と命令に慣れていない者全てには止めるように強調してしすぎる事が無い。同様に、魔術を暇潰しや、ある者らがするように、夜のエンターテインメントの一種にする以上に危険な事は無い。磁気の試みですら、そのような条件で行われたならば、患者を疲弊させるのみで、意見を誤解へと導き、この学を誤らせるであろう。生と死の密儀は、不浄な娯楽にはできず、真剣に取られるべきものは、真剣にのみならず、最大限の備えとともに扱われなくてはならない。この超常現象を見せて他者を説得させようなどと決して考えてはならぬ。既に納得していない者に対しては、何事も証明とはならないだろう。それらは常に一般的なトリックと見做されて、魔術師は多かれ少なかれ、ロベール ウーダン*1の技量のある信奉者の一派に含まれさせられよう。あるいは、この学を信じるための根拠として超越的現象を求めるのは、その者のこの学への価値の無さや無能さを示している。サンクタ サンクティス(聖なるものは聖なる者らのためにある)。タロットの鍵の12番目の絵について考えてみよ。プロメテウスの大いなる象徴と沈黙すべき事について思い起こすのだ。自らの作業を漏らした魔術師の全ては暴力的に殺されており、カルダーノ、シュレーファー、カリオストロ伯爵らのように、多くは自殺へと追い込まれている。魔術師は隠遁生活をしなくてはならず、接触が困難な場所にいるべきだ。これがタロットの9番目の鍵の意味合いであり、衣で完全に包まれている隠者として秘儀参入者は記されている。だがその隠遁とは孤立を意味するのではなく、親交と友情は不可欠である。だが、友人は慎重に選び、ともかく保持するのだ。また魔術師は魔術以外に別の職業も持つべきである。魔術は商売の対象では無い。
 儀式魔術に自らを捧げるためには、我々はその他の世俗の不安から自由でなければならず、この学の全ての道具を手に入れられる立場にあるべきで、必要な時にそれらを造れるようにすべきである。さらに、我々は他人が入れず、驚かされたり邪魔されたりしない書庫を持つべきである。この不可欠な条件を満たしたら、我々は諸力を均衡させ、自らの手始めの熱意を抑制する方法を知る必要がある。これはヘルメス(タロット)の8番目の鍵*2、女性が二本の柱の間に座り、片手には上向きの剣を、もう片手には天秤を持つ絵の意味である。諸力を均衡させるには、それらは同時に保持し、さらに交互に活動させなくてはならない。天秤を用いるのは、この二重の行動を表している。同様の奥義は、ピュタゴラスとエゼキエルのペンタクルの中にある二重の十字によって表されており、それらは教理篇の200ページ*3にある図を見よ。それらは十字架はお互いに均衡しており、惑星の印は永遠の対立にある。それにより金星は火星の作業と均衡し、水星は太陽と月の作業を調和させて満たし、土星は木星と均衡する。この古代の神々の対立により、プロメーテウス、すなわちこの学の精霊が、オリンポス山へと入りおおせ、天から火を盗んだのである。より明白に語る事は必要であろうか? きみが温和で落ち着いているほど、きみの怒りはより効果的となろう。きみが情熱的であるほど、きみの忍耐は貴重となろう。きみが技量があればあるほど、きみの知性と徳すらも、より利益となろう。きみが無頓着であるほど、きみは容易に愛されるようになろう。これは倫理秩序の経験の問題であり、活動の圏で文字通りに現実化する事である。人間の情熱は、方向付けられずに活動するならば、盲目的にその抑制の無い対照物を生み出す。過剰な愛は反感を刺激し、盲目の憎しみは反作用し自らを傷つけ、虚栄は権威の失墜と最も残酷な屈辱へと導く。ゆえに大いなる師イエスは、「汝の敵を許し、汝を憎む者らのために善を成せ。それにより、汝は燃えさかる炭火を彼らの頭に積むだろう*4」と言った時に、肯定的な魔術の学の神秘を明らかにした。この種の許しは偽善的に見え、洗練された復讐に強く似たものを抱くかもしれないが。だが、魔術師は尊厳ある者であり、尊厳者は決して復讐はしないと心に留めておく必要がある。なぜなら、彼には懲罰する権利があり、その権利を行使する際には彼の任務を実践し、それは正義とは宥められないからである。誰も我が意味合いを誤解しないように、これはより詳しくいう必要があろう。これは善により悪を罰し、温和さにより暴力と対立する事である。徳の実践が悪徳への鞭打ちならば、後者を惜しんだり、その恥や損失を憐れむべきだと要求する権利は誰にも無いだろう。
 自らをこの学に捧げた者は、中庸の日々の実践を行い、長い徹夜を避けて、健康的で定期的な生活態度に従うべきである。彼は腐敗の気体、澱んだ水の近くや、消化しにくかったり不純な食べ物を避けるべきである。何よりも彼は魔術の没頭からのリラクゼーションを、物質的な配慮あるいは通常の仕事、それが工芸にせよ工場勤務にせよ商売にせよ、とともに求めるべきである。良く見る道は、常に見続ける事ではなく、生涯全てを一つのことに費やす者は、それを得ずに終わるであろう。別の用心も同等に観察せねばならず、病の時には決して魔術を試んではならない。
 儀式は私が前に述べたように、意志の習慣を作るための人工的な方法であり、習慣が確定したならばもはや不要である。この意味で、自らを完全な達人と見做していたパラケルススは、彼のオカルト哲学の書で儀式の作業を禁止している。だが、儀式の進行は、それを完全に廃止する前に、我々が力を獲得し、超自然的な意志の実践の中で習慣を確立した比率に応じて、徐々に単純化させるべきである。



高等魔術の教理と祭儀 2-9
↑ 高等魔術の教理と祭儀


*1 1805年 - 1871年。フランスの高名な手品師。近代奇術の父。
*2 ウェイトタロットでは11番目にされている「正義」のカードのこと。
*3 教理篇 十八章を参照。
*4 ローマ人への手紙 第12章20節。