召喚魔術の実践 1-17

ページ名:召喚魔術の実践 1-17

 アストラル界のこの地球を取り巻く帯では、物理世界と同じ諸力が存在し働いている。だがこれらは、より微細なものである。また、火のエレメントではサラマンダーあるいは火の霊らが、水のエレメントではウンディーネあるいは水の霊らが、風のエレメントではフェアリーあるいは風の霊らが、地のエレメントではノームあるいは地の霊らが支配している。この地球の帯のアストラル圏での全ての存在は、彼らの関連するエレメンツの中を移動している。地球の水の中の魚が、関連する水のエレメントの中を移動するようにである。それぞれのエレメントには肯定的と否定的な存在があり、そのため私は善と悪のサラマンダーについて語れるだろう。


 他のエレメンツの存在においても同じことが言える。だが実際のところ、これらは善や悪として存在してはいない。神の摂理は悪しきもの、不調和なものを創造せず、ただ人間の理解力がそう解釈しているからである。ヘルメース主義的観点からは、存在の一つの種は良く、別の種は悪しき影響力があり、よって善や悪の結果がある。これらのアストラル界の存在は、我々の物理世界で起きる事柄のための道具である。これらはそれぞれの存在、それが秘儀参入者であろうとそうでなかろうとも、彼らのアストラル体への全ての影響の原因となる。


 風と火のエレメントがアストラル圏での行動は、アストラル電流の原因となる。水と地のエレメントの行動は、アストラル磁気流の原因となる。霊的存在は、効果を作り出すために、あるいはより良く言うならば、我々の物質世界に影響を与えるために、これらを用いる。アストラル圏のアカシャ原理は全てのエレメンツの調和的均衡を保させている。アストラル圏の霊的存在が我々の物理世界に影響を与えたいならば、それがエレメンツの霊であろうとも人間であろうとも、電流と磁気流の両方の流体を物質世界で実体化させるために蓄積できなくてはならない。エレメンツと流体を命令するのに熟達した魔術師は、自身のために想像力を用いて、この蓄積の行動を上手く行える。作業で自ら働かない場合、媒体、この場合では霊らにより、あたかも吸血鬼のように、望む効果をもたらすのに充分なだけ電磁気流を取りだし蓄積を行わせる。


 よく知られているように、エレメンツの霊的存在と人間との違いは、エレメンツの霊的存在は1つのエレメントのみにより構成され、一方で人間は全ての4大エレメンツと、第5のアカシャ原理により構成されている事実にある。


 エレメンタルの存在は自らのエレメントと関連する流体とのみ作業できるが、人間は全ての力を獲得でき、それらを制御するのを学べるだろう。だが、両方のケースで、エレメンツの存在であろうとも人間であろうとも、神の摂理あるいはアカシャ原理が、決定要因となる。だが人間存在は転生が可能だが、エレメンツの存在は自らではそれが行えない。霊的存在のアストラル体は、そのエレメンツへと解体され、人間のアストラル体は四大エレメンツへと吸収される。別の違いは、死の瞬間にエレメンタルの存在は消滅する。その霊は死すべき定めだからである。人はある意味では小さな大宇宙であり、神の似姿より作られたため、不滅の個体の霊を持っている。それぞれ一つのエレメントからなる霊的存在より、四大エレメンツの存在を特別な魔術作業により作り出し、不滅の霊を与える事も可能であるが、真の魔術師は滅多には行わず、神の摂理の前で正当化できる特別な理由が無ければ決して行わない。


 またアストラル圏のアカシャ原理は、アストラル界に住む人間存在の物理世界への新たな転生も決定する。光のアストラル形質、通常はアストラル光と呼ばれるものは、アストラル界の中で最も神的な流出である。アストラル界の神的原理を見る秘儀参入者には、この光の原理は太陽の輝く光や太陽そのもののように輝いて見える。彼は物理世界にいながらも、彼の神を特定の形に変容しなくても、この光の中に神の摂理を見る事が出来る。宗教人は、アストラル界のこの光に、物理世界での彼の宗教信念に基づいた彼の神の特定の形と名前をつけている。無神論者はたとえアストラル界でも神の必要を感じないので、そのためここで神の概念を形成する事は出来ない。にもかかわらず、喉が渇いた人が水を求めるように、彼らも何か高い存在を求める。生前に複数の宗教や神々を信じていた者らは、ここで混沌とした条件を見つけるだろう。彼らはここでは自らの心を特定の形へ従うよう作り出せないならば、厳しい時を味わうだろう。だがアストラル界での彼らの開発が進むとともに、神の概念は明白なものとなり、最終的には彼らにとって最良の神を信じるだろう。そして、この神の概念は通常は彼らの転生の先を決定する。


 生前に地球を取り囲むこのアストラル圏の探索を続けた魔術師は、その諸力と霊的存在はどう働くか、彼らは何を行うかについて、自らの経験から知るだろう。だが、また魔術作業で共に働いたこれらの霊的存在からも、それらも学ぶだろう。


 物理世界でまだ完成していない魔術師が、訓練と教授のために、受容的対話や自動書記などを通じて霊のガイドを用いるように、まだ完成していない人間もアストラル界で自らのガイドを見つけるだろう。これらのガイドは時折教授をし、必要な時には援助をするだろう。地球を取り巻く圏の高く進化した霊的存在は、自らを相応しいアストラル圏で濃縮させ、個々の、あるいは個々の集団のガイドとなり、低位のアストラル存在らに高位の法の伝授をする。そのようなガイドらはアストラル界の彼らの作業を強制されていない。彼らは神の摂理により、その成熟と完成の度合いに応じて、アストラル界のあらゆる存在を助けるよう任命されている。


 アストラル界では、ガイドはまたゲニウス ロキ(土地の守護霊)とも呼ばれ、被保護者に法を教えるのみならず、その開発全体を支える諸存在である。時にはアストラル界の人が自らのために何かを行おうと望む事もある。だが、瀬戸際でそのガイドや守護霊からどんな恣意的な事もすべきでないと忠告する。特に低位の開発段階にあるアストラル人が神の摂理に反する事を行おうとすると、守護霊は介入するだろう。ガイドは被保護者に対して、物理世界の法則と、自らの生まれ変わりの準備について教えるだろう。人間が物理世界で生きている間の魔術開発が、高い諸圏の生へと準備するよう導くのを、これらは明白に示している。


 全ての運命の流れは、物理世界に住む人の霊を清め、その霊性開発のために必要な経験を与える助けとなろう。それらはアストラル界の神の摂理により、個々の成熟と開発段階に応じて準備され定められている。人間は生まれる前に既にその物理世界での教授の内容を知り、それに同意するのみならず、それらを切望すらする。この霊は物理世界への再生とともに、神の摂理が彼に計画した知識全てを失う。もしも誰にせよこれから自分に起きる事全てを知っていたならば、物理世界でその自由意志は無くなるだろう。そのような者はロボットや自動人形のようなものとなり、地上で果たすべき役割は非実践的となるだろう。高位の秘儀参入者で、カルマ、つまり原因と結果の法則を支配する者、物理世界とアストラル界を同等に親しんでいる者のみが、自らの自由意志への悪影響を被る恐れなく全てを先に知るのに充分に成熟しているのである。


 アストラル界から我々の星の物理世界へと転生してきた者は、霊性開発のために時間と空間に縛られる事となる。なぜなら、この世界の物理的法則はアストラル圏の場合よりも、あらゆる個人に足枷となるからである。物理世界の障害は、霊を強め、その開発をアストラル界で可能なものよりも急速に進ませられる。そのため、アストラル界の人間存在はこの世界に可能な限り早く転生しようと熱望し、彼らの霊性開発を継続できるために、たとえ最も過酷な条件でも受け入れるつもりなのである。


 あらゆる人は完成へと到達できる。なぜなら、この人類全体の進化がそこへと向かっているからである。神の摂理により霊的ガイドはそれぞれの個々に与えられている。彼らのアストラル界での秘儀参入で、その被保護者を霊性開発へと導き制御するためであるが、多くの場合、被保護者が物理世界へ転生した後も、継続して支え続けている。そのため魔術師はその開発の最初期から自らの守護霊と接触しようと努めるべきである。そのための方法については、既に「Initiation into Hermetics」で説明している。時には、この地上で既に高い完成の段階に到達した者が、アストラル界で完成へと向けて霊性開発を継続できる場合もあるが、多くの場合は神の摂理によって、1つ以上のこの地上で果たすべき使命が定められる。そのような霊的指導者らは生まれながらの魔術師や秘儀参入者であり、人間の肉体の成長の特定の段階、通常は思春期から少し後に、突然に自らの霊性開発の状態に目覚め、神の使命を果たすために、あとわずかな成熟のみが必要となる。そのような使命は魔術や霊的な性質である必要性は無く、この世界の他の様相を行う事もある。


 これは物質科学の全ての領域で、天才や発明家が生まれるのを説明する。魔術師はこれら全てはアストラル界のアカシャ原理の神の摂理により計画され制御されているのを知る。そして魔術師の観点からは、普遍的法則により説明できないものは存在しないのである。


 これは我々の物理世界のすぐ隣にある、いわゆる地球の帯、地球を取り巻く帯のアストラル圏の最も重要な様相のラフスケッチである。地球帯は人から見れば、我々のすぐ上に位置するにもかかわらず、最も濃度の高い形態ではない。この中では、個々の人間存在の成熟度に応じた光、波動の様々な濃度があるからである。この地球帯はその名に関わらず制約は無く、地球の球の周囲にとどまらず、宇宙全体に広がっている。


 この帯を支配する諸法則は、空間の概念とはかかわりが無く、小宇宙と大宇宙全体とそれらの類推の繋がりと関連する。これは、人は自らの完成、最終的な魔術的成熟、神との正当な繋がりを、地球を取り巻く帯でのみ到達できる理由である。これは魔術的観点から、地球帯は最も低い圏であるが、同時に神の原理の至高の流出とともにある圏であるのを明らかに示している。魔術師が接触出来る、この階層のさらに先にある諸圏も私は示すつもりだが、彼は完成した存在、神の似姿としてこの地球帯に住む事も出来る。この地球を取り巻く帯では、神の至高の完成から、低位で粗雑な発現までの創造全てがある。人間存在は、この地球帯の上にある全ての種類の諸圏と接触が出来るだろうが、これらの圏へ定住する事は出来ない。なぜなら地球帯は創造全ての反射鏡だからである。ここはあらゆる濃度の発現された世界である。古いカバリストらは、この真理を知り、そのためこの地球帯を「マルクト」と呼んだが、これは地球の事では無く王国であり、高い世界から低い発現までの全ての表現を意味する。カバラの生命の樹によれば、ここは進化の始まりを表すカバラの10の数を含んでいる。カバラの達人らにとって、この10の数は最も微細な形態、すなわち神である1の数の反映である。10の数は0を取り除くことで1となるからである。直観力のある魔術師は、創造と自らの個との真の関連を即座に見て、自らに10の手の指と足の指があるのには故無しではないのを理解するだろう。だが読者は我が3部作の第3の書「The Key to the True Quabbalah」で、より詳しくこれらについて読むだろう。


 また直観的な魔術師は、この地球の帯とムーラーダーラ チャクラとの特別な関連についても知覚するだろう。だが私はこの主題については自らで瞑想するよう委ねる事にする。


 3. 地球を取り巻く帯の次にあるのは、月の帯である。魔術師はこの世界を、地球の帯の後にすぐに精通するだろう。


 4. 月の帯を超えた場所には、水星の帯がある。


 5. さらにその先には金星の帯がある。


 6. 魔術師が次に学ぶべきなのは、太陽の帯である。


 7. そこを超えて、火星の帯がある。


 8. さらに次には、木星の帯がある。


 9. 最後に土星の帯がある。


 そこから先にも多くの帯はあるが、魔術師は諸惑星と照応する帯を知り制御できるなら充分であろう。各帯の類推と階層は以後の章で扱う。それぞれの圏は、地球を巡る帯の上に、月から土星まで存在し、3つの効果を持つ。まず第1に、メンタル界に、第2にアストラル界に、第3に物理世界にである。地球の帯のどの圏で、諸現象の原因となるかについては、これらの帯が原因となると考えるべきである。なぜなら、先に述べた上位の諸帯は地球の帯に特定の個々の影響を与えているからである。魔術師がこの帯の霊的存在と作業をする際に、自らの小宇宙と作業と関連する他の者の小宇宙に関する各帯の相似の法則について熟知しておく必要がある。小宇宙と大宇宙の各帯のそれぞれの相似について、はっきりと理解すべきで、霊的存在の助けを借りつつ、相似と関連する原因を作る方法について知る必要がある。魔術師の各帯の概念は、地球の帯を超えた限定された空間のみならず、全ての帯はお互いに小宇宙と大宇宙において関連し合っている。各帯は占星術の名前を持つが、宇宙の星々の諸星座とは直接的に行うものではない。しかし、星々とこの星座らとはある程度の関連性は存在し、占星術師らに占術の目的での結論を導いたり、望まない影響力を見つけたりさせる。私は占星術の総合については既に幾つかのヒントを書いている。


 各帯には、我々が既に知る地球の帯と同じような方法で住人らがいる。この諸帯の霊的存在らは特別な任務が与えられており、原因と結果についてのこれらの帯の法に従う。私の意見では、各帯には何百万もの霊的存在らがいる。これらの存在を区分化するのは不可能である。これらの霊的存在それそれが、霊性開発の特定の段階にあり、特定の段階の成熟性を持ち、それぞれの段階に応じた使命が与えられている。


 どのような魔術開発もしておらず、必要な成熟に達していない人は、アストラル界の存在と接触するために、この物理世界を超えて先に進む事は出来ない。いわんや、至高の諸圏の霊的存在との接触については語るまでも無い。


 我々の物理世界には、ごく少数の者のみが、その霊により、人間存在の限界を超えて、他の帯へと進むことが出来る。これを意識的に行える人々は、ヘルメース主義の観点からは秘儀参入者と呼ばれる。


 秘儀参入者は選ばれた人であり、何年にも渡る霊性開発の末に、その使命に必要な成熟段階に達している。真の秘儀参入者は、ただ理論知識によって成熟に達した哲学者ではない。絶え間ない熱心な修業の末に、平均的な人間を超え、実践により知識を得ている。ここでは、以下の格言がよく当てはまるだろう。多くの者らは呼ばれるが、少数が選ばれる。だが誰も限界を負わせられる事を恐れる必要は無く、魔術の勤勉な弟子は、意識的な訓練の後に完成に到達し、達人となれる。この地球の誰もが、完成の至高の段階へと到達できる。


 先に述べたように、ごく少数の人々のみが、地球を取り巻く一般の帯から先の圏へと向かうために、霊的に通過する事が出来る。これらの人々は魔術の指導的な立場にある。彼らは自分よりも霊的に劣った者らを助ける聖なる使命と任務を持つ秘儀伝授者であり教師である。この地球の帯を超えた7つの諸帯の中でも、普遍的法則により同じ事が当てはまる。これらの帯でも、何百万という民の中のごくわずかな選ばれた者らが、その霊性開発において指導者や秘儀参入者としての必要な完成に達している。また、他の諸帯の頭領らも、彼らのランク、地位、称号があるが、それは地球を取り巻く帯の秘儀参入者らが、彼らの成熟と知識に応じた地位と、男爵、伯爵、騎士、公爵らの称号を与えられているのと同じである。


 魔術師はこれらの称号や地位の名前は、霊的存在の成熟の度合いの象徴しており、世俗の地位とは何の関係も無いのを悟るだろう。そのため、個々の帯の指導者、秘儀伝授者のみが、メンタル、アストラル、物理界のどこであろうとも、それらの原因と結果に影響を与えられるのである。これらの個々の霊的存在が我々の世界にどのように影響を与えるかは、それらの霊的存在の階層を扱う後の章で、相似とともに詳細に説明するつもりである。地球の帯に良き者も悪しき者も存在するように、私の意見では、他の諸帯でも同様に存在する。善や肯定的な諸力や諸存在は、一般的に天使や大天使と呼ばれ、否定的なものらは悪魔や大悪魔と呼ばれる。また否定的な諸存在にも同様に階層が存在し、それらは平民の悪魔、男爵、伯爵などである。


 普通の人間は自らの理解力に応じたこれらの霊的存在の概念を持っているだろう。その想像の中では、天使や大天使は翼を持ち、悪魔や大悪魔は角を持つ。だが、良く象徴主義を理解している者は、これらを真のヘルメース学に従って解釈できる。魔術師には、天使は言葉の文字通りの意味での翼を持っていないのを知っており、この翼についての類推を見るだろう。翼は我々の上にある、空を自由に飛ぶ鳥の類推である。翼は我々より上位にあるものの象徴であり、素早さや自由の象徴であり、同時に我々の上を流れる風、すなわち最も軽く、万物を貫いているエレメントの原理である。否定的存在、悪魔は通常は角や尻尾を持つ動物、あるいは半分人間で半分動物の生き物として表されている。これらの象徴は対称的に、低級、不完全、欠陥などの、善であるものへの反対を表す。これらの圏の霊的存在は、肯定的であろうとも否定的であろうも、実際には人に似た姿を持ち、それらの姿で出会ったとしても、秘儀参入者で無い者には区別が出来ないだろう。これらの帯へメンタルやアストラルの旅で訪問でき、自らの振動をこれらの圏と同調でき、それによりこれらの圏の住人のように留まれる魔術師は、実際の姿はまた違うのを見つけるだろう。魔術師がここで個体性を失う事が無いならば、極めて違った形をここで見つけて、それらは言葉では説明出来ないだろう。魔術師は人格化した存在やそれらの指導者は見つけられず、これらの名前と特質とに類推する諸力や振動を見つけられるだろう。特定化しようと努めるなら、その個人的観点からは、これらの諸力は、肯定的な諸力、つまり天使や、否定的な諸力、つまり悪魔であろうとも、自らの象徴の理解力と同等の姿を見せる。これらの霊的存在と作業する魔術師は、影響力を与えたい帯の原因に作用するよう霊的存在を働かせるだろう。


 カバリストの作業はこれとはまた違うものである。特定の原因と結果を引き起こすために、自らの魂を帯へと向かわせる。自身もこの帯の法則に熟達しているものの、自らの目的のために霊的存在の仲介を必要とせず、カバラの言葉の助けを借りつつ、自らで全てを行う。これらについての詳細は、私の次の書「The Key to the True Quabbalah」で記すであろう。


 カバラの作業の諸原理は極めて異なっている。だが魔術師は現在の開発段階では、霊的存在の助けを借りない限りこれらは行えない。カバリストは作業を違った方法で行え、また後により進歩するために、まず最初に魔術師となる必要がある。


 魔術師が地球の帯や物理世界へ別の帯から霊的存在を呼ぼうとするが、その姿を知らない場合、その霊的存在が見える姿を取りたいと願うならば、その特質に相応しい姿を形作らねばならない。だが平民の悪魔は、これを行え事が出来ない。これらは自らの圏から地球の帯や物理世界で濃縮化して形作るための霊的な成熟が足りないからである。そのため、召喚魔術を扱うほとんどのグリモアでは、平民の悪魔については記しすらせず、特定の階級と称号の悪魔らのみを語っている。だが、それらすら詳細については扱っていないのである。


 この繋がりについて、別の帯に住んでいる霊的存在は、秘儀参入者や霊的な高い階級の者を自らの帯へと呼べるのか疑問があろう。そのような疑問はヘルメス学的観点からは否と言わざるを得ない。なぜなら、人間存在、特に秘儀参入者はその姿、小宇宙により象徴される神の如き生き物であり、その小宇宙と大宇宙に完全な権威があるからである。そのため、魔術師は決して外部の存在が、どれだけ高い完成の度合いにあったとしても、何にせよ強制される事は無い。例外は神の摂理のみである。


 どのような階級にあろうとも、どこの帯から来たにせよ、善だろうと悪だろうと、全ての頭領らは大宇宙、神の部分的な様相のみである。神の摂理の許可がない限り、どのような存在も、神との繋がりを得て、完成した魔術師を自らの意志に従わせる事は出来ない。これもまた魔術師に対して、再び人の価値を明らかにする。特に神との繋がりを得て、創造物の中で自らの重要性を得た者に対してはである。


 別の帯の霊的存在が、神の摂理の命令や個人的な望みにより地球帯や我々の物理世界へ入りたいと望むなら、メンタル、アストラル、物理的な方法にせよ、そのような存在や頭領は、その階級とは関係なく、自らの圏の特質に相応しい姿を取らなくてはならない。例えば、その主な特質が愛である天使は、完全な美として現われるだろう。その特質が峻厳さや厳格さである存在は、それらの特質に相応しい姿で現われる必要があるだろう。これは否定的な存在でも完全に同様である。彼らが地球帯や物理世界に現れる時には、彼らを表す否定的な特質に相応しい姿で現れる必要がある。これらの存在の姿から、それが善であろうと悪であろうと、どの帯から来た者にせよ、象徴主義に熟達した魔術師はそれらの特質を語る事が出来るだろう。霊的存在の特質、その姿と象徴的な表現は、類推の法則に従い、それらの名前に完全に相応しいものであり、たとえ最高の階級の存在といっても、自らの特質に向いていない名前を名乗る事は出来ない。


 魔術師、特にカバラに熟達した者は、類推の法則に従ってそれらの類推を完全に調べる事ができ、霊的存在の主張が真か偽かを決める事が出来る。どんな存在にせよ、たとえ最も邪悪で偽りに満ちた存在でも、それが真に持っていない特性の名前を正当な魔術師に対して名乗る事も、また自らの特質と関連しない姿で現れる勇気も持たない。だが正当な魔術師は、自らの真の姿で現れた霊的存在に、彼が望む姿へ変化するよう自由に命令でき、彼は常に呼んだ存在に従われるだろう。なぜなら、正当な魔術師は、先に何度も述べたように、完全な権威を持ち、神人だからである。


 それぞれの霊的存在は、それが天使、大天使や悪魔、大悪魔であろうとも、どの帯から来た者にせよ、その特質に特定の制約がある。それらは神の摂理により定められ制御されたり、その帯の特質に拠る。そのため魔術師はその霊的存在が行える特質に応じた任務を与えると良いだろう。そのために魔術師は、霊的存在の範囲外の事を尋ねる失敗を避けるために、それぞれの帯の特質、機能、原因と結果、力、影響についてよく知り、彼の制御下に置く必要がある。魔術師がこれらを考慮せずに、結果として、彼は霊的存在にその力が無い事柄を尋ねたら、そのような霊的存在が行える最良の事は、別の帯へと赴き、別の例的存在に魔術師の意思と欲求を満たすようにする事である。この場合、実際の効果は魔術師により召喚された霊的存在によるものではなく、別の存在によるものである。よって、結果は彼の知識の範囲外によって行われるので、魔術師の絶対的意志は直接的に表現されない。私は階層の章で、霊的存在が通常現れる様々な姿についての詳細を述べようと思う。


 魔術師はまた、別の帯の存在が我々の物理世界に、メンタル、アストラル、物理的に望む効果をどのようにもたらすかにも興味があるだろう。魔術師の意思と願望は、彼が対処する帯と類似するので、霊的存在は電磁気の助けを借りつつ、自らの帯の結果に影響を与えるよう命ぜられる。「Initiation into Hermetics」で記したボルト化と似たような方法や、力の言葉(宇宙の言語)で直接的に行い、関連する原因の世界を通じて、地球帯の原因の世界へと導き、想像力により凝縮され、効果の種類に応じてメンタル、アストラル、物理圏に影響を与える。だが霊的存在は我々の圏に自らの意志や望みによって影響を与えたりは出来ない。魔術師の絶対的な権威の下での厳密な命令によってのみ、霊的存在にその帯から我々の圏へ効果的に影響を与えられる。そうする事で霊的存在が行った事に責任は取られない。すべての責任は魔術師にある。さらに明白に述べるなら、霊的存在によって行われた作業は、従者が主のために行った作業と同じ種類なのである。


 無論、真の魔術師は霊的存在、特に否定的な存在に、否定的な効果を与える事を求めたりはしない。彼は生と死の主、諸法の主となったものの、神の摂理はなおも彼を支配しており、悪しき行いをしたら大いに償わねばならず、そのため行う理由が無いのである。


 さて、なぜ魔術師は望む結果を出すために、我々の世界、圏や、あるいは他の圏のエレメンタル、エレメンタリー、アストラルや物理的な存在をメンタル的、アストラル的、物理的に用いて、自らで獲得した力を使わないのかと尋ねる者もいよう。魔術師は実際の所エレメンタルやボルト、すなわち電磁気流を用いて、メンタル圏で作業する事で、望む魔術効果を引き起こすことが出来る。また彼はエレメンタリーを用いる様々な作業によって、特定の物理的な力を作り出せ、ある程度の物理的な効果ももたらせる。これらの作業の違いは、諸力、存在、エレメンタル、彼によって作られたエレメンタリーらは、独立して行動出来ない。なぜなら、これらには知性が無いからである。一方で、他の帯の霊的存在は知的生物なので、ある程度の知性が必要な仕事を行わせられる。魔術師がそのような存在らの力を借りなくても彼の目的を達成できるならば、彼の目的を満たすために他の帯から霊的存在を雇うのは普通に望まないだろう。魔術師が霊的存在を召喚する理由は、1. 霊的存在に対して自らの権威を示したい場合、2. 霊的存在が来た帯の完全な情報を得たい場合がほとんどであろう。


 メンタルやアストラル体により物理世界から離脱し、地球帯の様々な圏や、他の帯すらも訪問できるだけの経験のある魔術師は、全ての帯の霊的存在は、それらの特質や機能とは関係なく、「隠喩言語」と呼ばれる普遍的な言語、すなわち想像力の言語を用いているのに気づくだろう。これは全ての霊的存在が他の帯の者を理解できる理由である。さらに、平均的な人間も肉体を離脱したら、経験するだろう。なぜなら彼は死者の中の、生前にどんな国に住んでいた人々とも対話できるからである。魔術師が我々の物理世界の外側にある圏で何かを喋り、考えをそこで形成したいなら、口を用いて行う事も出来るだろうが、彼の口から音はしないだろう。音の振動の場所に自ら絵が現れ、どのような霊的存在でも知覚出来るのである。


 だが霊的存在が我々の物理世界に出現し、視覚可能で聴覚可能なまでに凝縮されたならば、隠喩言語は魔術師が知っている言語へと自動的に翻訳されるだろう。これは魔術師が地球帯から物理世界へと凝縮させることで死者を召喚すると、生前で中国人やインド人や他の国籍であったとしても、魔術師が喋る言語で完全に命令する事が出来るのを意味する。ここで宗教的な人は、キリストの使徒らと弟子らが、救い主が帰天した後、聖霊に満たされ、地上の全ての言語で喋る事が出来た話を思い出すだろう。この聖書での「聖霊に満たされ」という表現は、使徒、キリストの弟子らが、聖霊の啓明により、その時にはアストラル界にあり、そのため、隠喩言語をどのような望む言語へも翻訳できたのを明らかに意味している。これは奇跡ではない。誰もがこの能力を持っているからである。ヘルメース学についてある程度知っている者なら、隠喩言語は宇宙の言語であり、古代人らはこの隠喩的、普遍的言語を豊富に用いていたのも知っているだろう。古代エジプトのヒエログリフでは、この事実の顕著な例である。隠喩言語により表現された言葉には強い魔術効果があるのは疑う余地がない。そして、オリエントや他の世界の人々が、この隠喩言語を多く用いたのも故無しではない。なぜなら、これらの国々は全てのヘルメース学の揺り籠だったからである。


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