クンダリニー タントラ 1-13

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第十三章 クリヤー ヨーガの道


 クンダリニーの覚醒は非常に難しい。あなたは何千年もの間に開発されてきた様々なヨーガや宗教的な実践を試みる事が出来るが、それらは実践者に多くの規律と禁欲を要求する。多くの「為すべき事」と「してはならない事」があり、普通の人には受け入れ難いように思えるだろう。そのため、タントラ伝統のリシ(賢者)らは志望者がどのような生活スタイル、癖、信念などがあっても容易に行える技法の集まりを作り上げていった。勿論、タントラには多くの実践があるが、その中でもクリヤー ヨーガは最も強力でこの物質世界に囚われている現代人に向いていると考えられている。


 長い間、このヨーガ体系の知識はごく少数の者のみに明かされてきた。この実践はタントラの経典に記されていたが、それらは決して明白に定義されてこなかった。この伝統を通じて、実践の知識はグルから弟子へと口承で伝えられてきた。これらは在家の行者と隠遁者の弟子らの両方に与えられ、これらの技法により、クンダリニーは現実となり、彼らの生活で現実の経験となるのをすぐに見つけた。


 クリヤー ヨーガの最終目的は、各チャクラを覚醒させ、ナーディを浄化し、最後にクンダリニー シャクティーを覚醒させる事である。クリヤーはクンダリニーを不意にではなく段階的に覚醒させるのを意図していた。クンダリニーが不意に覚醒したならば、その経験を扱うのは非常に難しく、あなたは自分に何が起きたのかを理解できないだろう。クリヤー ヨーガの技法は、あなたの意識を拡張させ、脳の眠る領域を目覚めさせる、スムーズで比較的リスクの無いものである。また、クリヤー ヨーガの体系は、あなたが心を直接的に扱わなくてもよい方法を与える。この実践はプラーナの制御を目的としたハタ ヨーガを基にしている。心とプラーナは相互干渉しており、そのためプラーナを制御する事により、心の制御を我々は得られるのである。


クリヤー ヨーガはユニークなアプローチを与える


 クリヤー ヨーガは実践、動き、活動のヨーガを意味する。心の制御を求める様々な宗教的、神秘主義的、ヨーガ的な実践と違い、クリヤーヨーガの体系の特別な指示は「心を気にするな」である。あなたの気が散っていたり、心の中に散乱があり、数秒すら集中出来なかったとしても、何の問題も無い。あなたがしなくてはならない事は、心に立ち向かおうとしたり制御しようとしたりバランスを取ろうとしたりせずに、ただ実践を続ける事のみである。あなたはそれでも進化できるだろう。


 これは霊的生活の完全な新しい概念であり、ほとんどの人は決して考えすらしなかったろう。彼らが宗教に入ったり、霊的実践を始めたり、グルらの下へと行くと、最初に彼らが語るのは心を制御する事である。「あなたはこう考えなくてはならない。このように考えてはいけない。このように行いなさい。このように行ってはならない。これは良いものです。これは悪いものです。あれは悪であり、罪を犯してはなりません」などである。


 人々は心は霊的生活での最大の障壁と考える。だが、それは非常に悪く危険な考えである。心は二つの世界を繋げる橋であり、これがどのように障壁となれるのだろうか? 愚者はこれが障壁と考え、橋を破壊しようとする。そして橋を破壊した後、どうやって向こう岸へと渡るかと迷う。これはほとんどの人々の皮肉な運命であり、不幸にもこれは宗教、倫理、モラルに責任がある。倫理やモラルに対してさして注意を払わない人は、何の心の問題も無い。彼らは非常に幸運で能天気な人々である。


 クリヤー ヨーガの予言者とリシ(賢者)らは「心の制御は必要ない。ただクリヤーの実践を続け、心が望むままにさせよ。時が過ぎるとともに、意識の進化は心がもはやあなたを悩ませない地点へとあなたを運ぶだろう」と言ってきた。


 心の問題は、心の過ちにのみ責任があるとは限らない。ホルモンの不調和、悪い消化作用、神経系での低いエネルギーの流れ、その他多くの理由から心の散乱は起きる。その休まらなさから決して心を非難してはならないし、心があらゆる場所を飛び跳ね、否定的なことを考え、あなたが悪しき考えとみなすものを考えるからと、自らを不純、駄目な人、低位の人だと考えてもいけない。


 誰もに否定的な考え、心の散乱はあり、それは慈悲深い人や平和的な人、純潔で純粋な人物にもある。心の散乱には何十もの原因要素がある。心を何度となく抑圧し続けるのは、心の集中の道ではなく、精神病院への道である。結局のところ、誰が誰を抑圧しているのか? 二つの人格や二つの心があなたの中にあるのだろうか? 一つが常に彷徨い続ける悪い心で、もう一つは悪い心を元に戻そうとする良い心だろうか? 否。心は一つのみであり、あなたは心に拮抗させて分割させるべきではない。あなたがそうしたら、心の一方は独裁者、制御者となり、もう一方は犠牲者となる。そしてあなたは自分の心と人格の二つの様相の間に大きなギャップを作り出し、非常に短期間であなたは完全に精神分裂するだろう。


 この点をよく理解するのは不可欠である。なぜなら、我々の宗教、哲学、思考の方法は心へのアプローチにおいて系統性や愛や優しさが欠けているからである。我々は心は非常に悪意があると常に信じるように仕向けられているが、それは致命的な間違いである。そのため、心について再定義し科学的にアプローチするようにしてほしい。


 心は心理学的なものでもなければ、思考のプロセスでもない。心はエネルギーである。怒り、愛欲、貪欲、野心などは、エネルギーの波である。クリヤー ヨーガを通じて、あなたは心のエネルギーを統御する。だが、このエネルギーを抑圧しようとすべきではない。それは爆発するだろうからだ。そしてあなたが抑圧すればするほど、最終的な爆発は大きくなるだろう。


 クリヤー ヨーガは心へのアプローチが非常にはっきりとしている。あなたは心に対して何をすべきでもないと強調する。あなたの肉体が固定した姿勢を維持する事に抗議していたら、それを変更する。あなたの心が目を閉じる事に反対していたら、目を開けたままにする。だがあなたはクリヤー ヨーガの実践は続けなくてはならない。なぜなら、これらはあなたの精神状態に責任がある肉体の深いプロセスに、直接的な効果を与えるからである。肉体は心に影響し、心は肉体に影響するのを思い出そう。


 私はクリヤー ヨーガの技法を集中の実践や瞑想とは見做さない。これらの目的は精神の制御では無いからである。クリヤー ヨーガの美しい所は、あなたはただリラックスし、心が自然に自発的に動くのに任せれば良い事である。やがて内なる気付きが覚醒し、時と共にあなたの心は自動的に一点に集中するようになるだろう。


万人のための道


 あなたも知っての通り、我々は皆、違った才幹を持つ志望者である。我々の内のある者らはタマス的で、ある者らはラジャス的で、非常に少数のみがサットヴァ的である。勿論、我々は純粋にサットヴァ的、ラジャス的、タマス的ではない。これらのうちの一つが主流なのであるが、他の二つのグナも我々の中には残っている。タマス的な心にラジャス グナは見つけられ、それが拡大していけば、タマスの流れを抑えて、今ではラジャスが主流となる。またサットヴァの流れも変わっていく。さらに進んでいけば、よりラジャス的となり、タマスやサットヴァの流れがあったり無かったりするだろう。次に、サットヴァが主流となっても、タマスやラジャスのグナはそこここにあるだろう。だが、進化の第五段階で、心は完全にサットヴァとなれば、ラジャスやタマスの発現は非常に稀となる。


 これらは五つの段階は、梯子の格(こ)のようなもので、チッタ、心の進化を表している。最低位の格は不活発な心と呼ばれている。二番目の格は散りばめられた心で、三番目の格は振動する心、四番目は一点集中する心で、五番目は制御された心である。


 ところで、あなたが最初の三つのカテゴリーのどこかに属するなら、実際ほとんどの者らはここになるが、ハタ ヨーガの実践に熟達してから、あなたはクリヤー ヨーガを行うべきである。あなたが最後の二つのカテゴリーに属するなら、ハタ ヨーガの後に、あなたは望むならばクリヤー ヨーガを実践してもいいし、ラージャ ヨーガの道を進んでも良く、あるいは意志を通じての集中を求める他の道に進んでも良い。あなたがサットヴァのレベルにあれば、心を通じて心に対処する事が出来る。だが、あなたがラジャスやタマスのレベルならば、心を通じて心に対処しようとすると、あなたは精神的な危機に直面するだろう。


 この世界では、サットヴァの人は非常に少数である。ほとんどの人は休みなく散乱した心を持っており、非常に長い間、一つの物やテーマに集中するのは不可能なのに気づかされる。ロウソクに火を灯して強い風が吹いてきたらどうなるだろうか? 同じ事が、ほとんどの人々が集中をしようとすると起きる。心の機能は完全に一点集中する機能を消滅させる。そのために、クリヤー ヨーガの実践は心を制御、集中、安定させることや、長い期間、一つの姿勢で座り続ける事が出来ない人々のためにデザインされている。


 あなたがサットヴァ的、ラジャス的、タマス的などれであろうと、ハタ ヨーガの実践はまず最初に行わねばならない。タマス的な人はハタ ヨーガを彼の心、肉体、個人性を目覚めさせるために必要とする。ラジャス的な人には、ハタ ヨーガを彼の肉体と心の中の太陽と月のエネルギーのバランスを取るべく必要とする。気質がサットヴァ的な人は、ハタ ヨーガをクンダリニーの覚醒させる助けとして必要とする。ハタ ヨーガは万人のためにある。そしてあなたが、アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラー、バンダの実践を定期的に2年間以上続けていたら、あなたはクリヤー ヨーガの準備が出来ている。ハタ ヨーガはクリヤー ヨーガの基礎である。


実践


 クリヤー ヨーガの実践は多くあるが、20の組み合わせが非常に重要で強力だと考えられている。これらの20の実践は二つのグループに分けられる。一つは、目を開いて行われるもので、それは最初の9つの実践である。残りの11の実践は目を閉じて行われる。最初のグループの実践では、中心的な指示は「目を閉じてはならない」で、たとえあなたがとてもリラックスした気分になって、そうしたくなっても、あなたは目を閉じてはならない。あなたは瞬きは出来るし、休む事も出来るし、数分は実践を止める事も出来るが、それぞれの実践は目を開けて行われねばならない。これはクリヤー ヨーガの実践で非常に重要な指示である。


 クリヤー ヨーガの最初の実践は、ヴィパレータ カラニ ムドラーと呼ばれる。ヴィパレータは逆向きを、カラニは行動を意味する。そのため、ヴィパレータ カラニ ムドラーは逆向きの行動を作る技法である。経典「ハタ ヨーガ プラディーピカ」とタントラの諸経典では、この逆向きの行動に関して驚異的な説明がある。


「月から甘露が滴り落ちる。太陽がこの甘露を飲み込むと、ヨーギは年寄りとなる。彼の体は弱まり、彼は死ぬ。そのため、継続した実践によりヨーギはこのプロセスを逆向きにするよう努めるべきである。月(ビンドゥ ヴィサルガ)から太陽(マニプーラ チャクラ)へ滴り落ちる甘露を逆向きにし、高い諸センターに戻さねばならない。」そしたら何が起きるのだろうか? 「ハタ ヨーガ プラディーピカ」はさらに続ける。「汝がこのアムリタ、甘露の流れを逆向きに出来たら、太陽により消費されない。それは汝の純粋な体により吸収されるだろう。」


 あなたの体がハタ ヨーガ、プラーナーヤーマ、純粋食により浄化されたら、この甘露は肉体により吸収され、その結果、あなたのは高い精神状態を経験する。甘露が脳の高い諸センターに帰り、太陽により消化されなければ、あなたは静けさを感じるようになる。あなたの心がそれまで散らされ、混乱して、彷徨い、ゆらいでいたとしても、突然全てのこれらの活動は止まり、あなたは完全な聡明さを感じる。あなたの目は開き、音を聴き、周囲の全てを視るが、あなたの心は動かない。時間や空間が静止し、世界全体が機能を停止したように感じる。


 この主な仮説や論点は、あなたは肉体の構造に影響を与えられ、エネルギーの諸力に変化を作れる。そして肉体の分泌の変化、肉体の化学的比率、エネルギーの比率の変化により、あなたは心にシャクティー、ダラーナ、ディヤーナ、サマーディと呼ばれる効果を作り出せる。これはあなたの心は完全に規律が取れず、一秒といえども扱えなかったとしても、肉体/心の違った領域に正しい比率の分泌を作り出せるならば、高い状態に到達できるのを意味する。


 ある種の実践により脳波がシータからベータ、アルファからデルタへとゆっくりになる。突然、あなたは静けさを感じる。あなたの心に何が起きたのか? あなたはそれと戦ってはいない。これはクリヤー ヨーガによりあなたの心に何が起きるのかの粗雑な例である。ある種の実践により、肉体の化学構成は変わり、心臓はゆっくりになり、呼吸のレートは変わり、脳波は変わり、心は静かになる。クリヤー ヨーガでも同じ点に到達するのか可能なのか? 可能である。これは正確にクリヤー ヨーガによって達成するものである。


 クリヤー ヨーガの様々な実践、特にヴィパレータ カラニ ムドラー、アムリタ パン、ケーチャリ ムドラー、ムーラ バンダ、マハー ムドラー、マハー ベーダ ムドラーなどにより、神経系は調整され、肉体内のプラーナは調和するようになり、プラスとマイナスのイオンの効果と特質は均衡化される。それだけではなく、心を殴ったり蹴ったり暴行を働かなくても、平和な状態を獲得する助けとなる。これら全ては、肉体内の使われていない自然な化学物質の流れを導入した結果である。アムリタはそれらの化学物質の一つで、ケーチャリ ムドラーとして知られている実践を続ける事で流れるようになる。


ケーチャリ ムドラー


 ケーチャリ ムドラーは、ほとんどのクリヤー ヨーガの実践で用いられる、シンプルだが非常に重要な技法である。これは舌を上向きに後ろに曲げて、上口蓋の奥に付けるのが含まれる。何度も実践しているうちに、舌は延長され、鼻孔内に挿入できるようになる。それにより、頭蓋の管とビンドゥ ヴィサルガとを繋げている特定の腺が刺激され、結果としてアムリタ、甘露が滴り始める。アムリタが放出されると、あなたは特別な「ハイ」や酩酊を経験する。


 ケーチャリ ムドラーを完成させ、アムリタの流れを刺激するには数年はかかるだろう。だがその努力に値する。あなたが瞑想のために座ると、心は完全に落ち着き、動くことが出来ず、あなたは考えられない。これはショーンヤタ、完全な無の経験である。あなたがマントラを唱えても、それは誰か別人が行っていて、あなたはただそれを眺めているように感じる。これは非常に重要な経験と考えられている。なぜなら、これはあなたを外側と内側の経験を同時に触れさせ、あなたは自らに完全に気づいているからである。あなたは、心、感覚、客観の世界と、内なる平和、静けさ、リラックスの世界を同時に知覚する状態を達成する。神経系に完全な調和に入り、心臓の働きは緩慢となり、肉体の体温は低下し、脳ではアルファ波が主流となる。これでどのように心が動けよう? これがクリヤー ヨーガの哲学である。


クリヤー ヨーガのための準備


 ヨーガの実践を通じて、あなたが集中に到達し、内なる平和を経験し、肉体、心、霊の完全な静けさを長い間維持できるレベルに到達したが、それでもあなたが何かより到達したいと感じたら、あなたは確実にクリヤー ヨーガの準備が出来ている。


 心の平和、リラックス、適切な理解は霊的生活の果実であるが、それ自体が目的ではない。ヨーガの究極の目的は、経験の質、心とその知覚の質を変える事である。人がヨーガを通じて到達しようと願うのは、心の拡張とエネルギーの解放であり、本質的にはそれはタントラであり、クリヤー ヨーガの究極のゴールでもある。



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