召喚魔術の実践 1-3

ページ名:召喚魔術の実践 1-3

魔術の円


 儀式魔術を扱った書の著者らは、あらゆる種類の霊的存在を呼び寄せたり招聘する時には、魔術の円マジックサークルが最も重要な役割を果たすと記している。何百という教授で、様々な目的のために、どのように魔術の円を作るかが書かれている。例えば、アルベルトゥス マグヌス、ソロモンの鍵、ゴエティア、アグリッパ、自然魔術の書、ファウストの自然魔術の書、最古のグリモアらの中にである。霊的存在を招聘したり呼び寄せる時には、魔術師は円の中に立たなくてはならないと何処でも書かれているが、この魔術の円の秘教的な象徴主義についての解説はほとんど見当たらない。それゆえ、私は学徒と熱心な魔術師に、普遍的法則と類推に従い、魔術の円の完全な満足できる説明を与えようと思う。


 真の魔術の円は、大宇宙と小宇宙、すなわち完全な人間の象徴的なレイアウトを表している。アルファとオメガは始まりと終わり、あるいは始まりも終わりも無き永遠を意味する。魔術の円はそれゆえ、小宇宙、すなわち真の達人、完全な魔術師により理解できる無限あるいは神性の全ての相の象徴的図形といえる。魔術の円を描くというのは、神とコンタクトするために、その神の完全性を象徴化するのを意味する。魔術師が魔術円の中央に立つときに、それは起きる。この行動は神性とのコンタクトを視覚的に表現しているからである。最高の意識に到達した魔術師が大宇宙とコンタクトするのである。それゆえ、真の魔術の視点からは、魔術円の中央に立つのは、意識が普遍的な神性と合一するのと同等と考えるのは極めて論理的である。ここから魔術の円は望まない否定的な影響から守るための図形のみならず、安全性と不可侵性は至高の存在との意識的、霊的コンタクトからもたらされる事も、読者は明らかに見る事が出来るだろう。魔術の円の中央に立つ魔術師はあらゆる影響力、それが善であろうとも悪であろうとも守られている。彼自身は宇宙の神性として象徴化されているからである。さらに、魔術の円の中央に立つという事は、魔術師は大宇宙の神性であり、全体主義的な方法で宇宙の存在を制御し支配する事を表している。


 魔術の円の中央に立つ魔術師の秘教的なエッセンスは、それゆえ、召喚の様々な書で通常書かれている事とはきわめて違っている。魔術円の中央に立つ魔術師が、彼は今この瞬間には神性と永遠の神の象徴化であると意識しなかったとしたら、彼はどんな霊的存在に対しても何の影響力も発揮できないであろう。


 魔術師は、この瞬間には、どのような諸力も存在も絶対的に服従しなくてはならない、完全な魔術的権威となっている。その意志と命令は、無限、神性の意思と命令と同義であり、それゆえ魔術師が呼んだ霊的存在や諸力は無条件で尊重しなくてはならないのだ。魔術師がこのような作業の最中に、自らが行う事への正しい態度で無ければ、自らを妖術師、詐欺師へと貶めるであろう。彼らは単純に真似するのみで、至高者との真のコンタクトは無いのである。魔術師の権威はこのような場合にはやや疑わしくなる。さらに、このような霊的存在や諸力への制御を失う危険もある。それどころか、彼らによって遊ばれたり、ここで語るのも憚られる目に遭う事もある。特に、否定的な諸力が関連している場合にはである。


 魔術の円をどのように描くかは、魔術師個々の成熟と個人的な考えに拠る。神性の概念を円の内側で表現した図形は、魔術師個人の宗教的な概念の問題である。東洋の魔術師らによる魔術円の製造法は、西洋の魔術師には使えないであろう。西洋魔術師の神性や無限の概念は東洋の魔術師とは極めて違うからである。西洋の秘儀伝授者が東洋の教授に従って円を描いたとし、全ての神名も東洋の伝統によるものなら、それは目的のためには非効果的で完全に失敗するだろう。キリスト教徒の魔術師はそれゆえ、不必要な努力を望まないとしたら、決してインド人や他の宗教による魔術円を描いてはならない。


 魔術の円の製造は、最初から、円で図形として象徴化する神性についての個々の考えと信念と個人的な概念に拠るのである。これはなぜ正当な魔術師はまだ個人的な実践として慣れていないうちに、魔術円を描いたり、儀式を実行したり、儀式魔術に関する教授に従ったりしない理由である。これは、東洋の衣服を西洋人が着るのに例えられよう。


 これらの事実を心に留めるなら、魔術の円は魔術師の人生観と成熟に応じて描かねばならないのが自然な結論となろう。宇宙の調和とその序列に意識的な秘儀参入者は、もちろん、それらの知識を魔術の円を描くのに利用することもできる。そのような魔術師は、自らが望み、環境がそれを許すならば、宇宙の序列全体を表した魔術の円を描くことにより、宇宙と自らの意識の認識を速やかにコンタクトする事が出来るだろう。必要ならば、魔術師は神名、守護神(genii)、大公、天使、その他の諸力の宇宙の序列を表すために、複数の魔術の円をそれぞれ離して描くことも自由である。勿論、円を描く際に相応しい瞑想をして、問題の神性の様相の概念を理解する事も出来よう。真の魔術師は神名は神の性質と諸力の象徴的な名称であると知らねばならない。同様の理由から、円と神名を描いているときに、魔術師はまた問題の力に関連する類推、例えば色、数、方向といったものも、宇宙へのその完全な類推を与えなかったことにより、その意識への侵害が起きるのを避けたいならば、考慮しなくてはならない。


 各魔術の円は、それが単純なものであれ、複雑なものであれ、常にその目的に奉仕する。もちろん、その目的とは魔術師の意識を普遍的、宇宙的意識へともたらす能力である。たとえ大きな樽を留める輪っかであろうとも、魔術師に関係する精神状態へと導き、円の中心に立つ事で自らを神の現れとして宇宙が反応すると確信させるならばその仕事を果たせる。


 魔術師がより多くの書を読み、知的能力が高まり、多くの知識を得るにつれ、円の中心で彼の霊的意識を支え、容易に小宇宙と大宇宙を繋げるために、彼の儀式や魔術の円はより複雑なものとなるだろう。


 円そのものに関していえば、環境、現在の状況、目的、可能性に応じて、単純なものにせよ、複雑な序列体系に従うにせよ、様々に描かれるであろう。野外で作業する際には、魔術武器、短剣、剣により地面に刻んで作られねばならない。室内で作業する際には、円はチョークによって床に描く事が出来る。また大きな紙の敷布を代わりに使う事も出来よう。しかし最も理想的な円は、布やフランネル、シルクの上に描かれたもので、これは室内でも野外でも使える。紙の上に描かれた円は簡単に濡れたり、破ける欠点がある。ともあれ、円は魔術師が自由に中を移動できるくらいには大きくする必要がある。円を描く時には、適切な精神状態と完全な集中が不可欠である。円が必要な集中無しに描かれたなら、確実に円は描かれるが、それは魔術の円ではない。布やシルクの上に描かれた魔術の円は、使うたびに指か魔術の杖、他の魔術武器により、象徴的に再描画しなくてはならない。また、必要な集中、瞑想、精神状態も忘れないようにする。魔術師はその場合、魔術武器が円を描くのではなく、魔術道具に象徴化された神性の機能がするのだと認識しなくてはならない。さらに、彼は魔術の円は集中の瞬間に描くのではなく、神の霊が実際に彼の手をガイドして、円を描くよう教えるのだと悟らねばならない。それゆえ、魔術の円を描く前に、至高者、無限との意識的なコンタクトを瞑想や識別によってもたらさなければならない。


 訓練された魔術師、我が最初の書「Initiation into Hermetics」で説明した第1のタロットカードの指示に従ってきた者は、書のステップの1つにて、霊性に意識的に気づくのと、霊として意識的に行動するのを学んできたであろう。彼にとっては望む魔術の円を彼ではなく、最高の様相の神の霊が描くと想像するのは難しくないだろう。魔術師はまた、不可視の世界では、2人の人物が物理的に同じことをしたとしても、同じ結果とはならない事も、学んでいるだろう。必要な成熟に達していない妖術師は、決して真の魔術の円を描く事は出来ないのである。


 カバラに熟達した魔術師はまた、蛇のような円と、その内側の円を描き、それを72の部分に分割し、それぞれに守護神の名前を与える事も出来る。これらの守護神の名前は、その類推とともに、正しい発音とともに魔術的に描かれねばならない。円が布の上に描かれている場合、様々な場所に書かれる名前はラテン語かヘブライ語にしなくてはならない。私は守護神とその類推、使用法、効果の詳細について、次の我が書、「The Key to the True Quabbalah」で与えよう。布に描かれた円は、容易に敷いて、使うたびに新たに描いたり充填させる必要が要らない利点がある。中央の蛇は、内側の円の複写のためだけでなく、蛇の力、想像力などといった知恵の象徴でもある。これら全てについて完全な説明は不可能である。それはこの書の範囲を超えてしまうであろう。


 仏教の行者は自らの曼荼羅を描き、その五仏を関連する方角に置いていき、同時にその試みようとする招聘へ影響を与える各仏について瞑想する。この魔術儀式は私の意見では魔術の円を描くのと同等の効果がある。もっともこれらは実際には諸仏への正当な祈りではあるが。この書にてこれ以上言うのは不要だろう。この種の魔術的実践を扱った東洋の文献は、顕教も密教も充分に出版されているからである。


 魔術の円は様々な目的に奉仕する。霊的存在の召喚にも使えるし、不可視の影響力から防御する方法としても用いられる。全ての場合において、床に描いたり布を置いたりする必要は無く、魔術師が防御などの普遍的質に完全に意識的であるなら、魔術の剣や杖といった魔術武器により空中に描いたりも出来る。魔術武器が身近に無い時には、正しい霊性の下で、神との同意に基づいて、円は指や手のひらで記す事も出来るだろう。さらに想像力のみで円を描く事すら可能である。そのような円の効果はメンタル界やアストラル界にあり、物質界にも間接的に与える。この場合、想像力の程度と強さに拠る。円の縛り付ける力は、一般的に磁気魔術として知られている。さらに、魔術の円はエレメンツや光の蓄積から作り出す事も出来よう。霊的存在の招聘や召喚の実践をする際には、魔術師が立つ円の中心で別の小さな円や人間を表す上向きの五芒星を描くのを勧める。これは正当な魔術師として小宇宙、人間の象徴化を表すのである。


 魔術の円を作るのを扱う様々な書物は、招聘の行動の最中に、魔術師は円を去ってはならないとはっきりと示している。魔術の常識において、これは絶対(すなわち大宇宙)との意識の繋がりは決して阻害されてはいけないのを意味する。言うまでも無い事だが、魔術師は魔術の円を用いている魔術作業の間には、儀式が終わって関連する霊的存在を退去させるまでは、肉体を円の外へと出してはならない。


 真の魔術の円は儀式魔術の実践の最良の方法である事が、これら全ては明らかに示している。魔術師は魔術の円をあらゆる意味において彼が持つ至高の象徴だと常に気づくだろう。


 魔術の円の例を示すのは、ほとんど不要である。私がこれまで述べた事により、あらゆる魔術師はどのように作るかを自ら悟るだろうからだ。だが決して重要な事を忘れてはならない。魔術の円で作業する際の必要な適応についてである。瞑想や想像力により必要な宇宙との繋がりに到達したら、つまり自らの神との個人的な繋がりを得たら、円に入り内部で作業をする資格を得られるだろう。


召喚魔術の実践 1-4
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