召喚魔術の実践 1-1

ページ名:召喚魔術の実践 1-1

第一部


魔術


 魔術とは我々のこの星に存在する最高位の学である。これは全ての界で有効なメタ物理とメタサイキックの法則を教える。この学は人類の発祥より魔術と呼ばれてきた。だが、主に高位の神官と宗教者の特別な集団にのみ隠されてきた。彼らのみが真理を知っていたが、それを秘密にし続けた。彼らは自らの宗教の精髄のみならず、全ての他の宗教についても精通していた。一方では大衆には宗教を象徴的にのみしか教えられてこなかった。この学のわずかな断片が人類に理解可能な形でベールをかけられて知られるようになるまで、何世紀もかかった。なぜなら、大多数の人々は法則によるどのような魔術訓練も耐えられなかったからである。彼らは自らの個人的視点からのみ、これらの断片を理解し、結果として、不完全で一方的にのみこれらの知識を継承したからである。これが魔術学が、誇張無しに、現在まで秘密の学であり続けた理由である。真に魔術の法則を理解するのは、個々の霊的成熟にかかっていたのである。


 この成熟に到達するためには、特定の前行が絶対的に不可欠である。読者はそれゆえ、高等魔術の実践に成功を望むならば、第1のタロットカード*1を少なくともステップ 8まで完全に精通しておくと、この書も自然に感じるようになろう。


 奇跡というものも、超自然というものもこの世には無い。事実と効果はなおも世に知られていない。人々はそれらをじかに知覚できないからである。


 魔術は自然の最低位の法則から、霊の最高位の法則までの実践的応用を教える学である。魔術を学ぼうと志す者は、まず最初に自然の最低位の法則の機能を理解するのを学ばねばならない。それにより少しずつ下から積み上げていき、最終的に最高位の法則の理解が可能となるのである。読者が既に到達したか、現在対処している法則に応じて、良き概観を得るために、3つの魔術学のグループのうちの1つの段階に入れられよう。低位の魔術学では、自然の法則とその作業、作用、制御を理解する。これは自然魔術学と呼ばれよう。さらに、魔術の中間位の段階では、人間の中の普遍的法則、小宇宙で作業し、作用し、制御するのを理解する。最終的に高位の魔術学では、大宇宙、すなわち宇宙全体の法則で作業し、作用し、制御するのを理解する。私は第1の書ですでに何度か、低位、中位、高位の魔術学は繋がっていると類推による説明で記していた。私はまたこれらの諸力の作業と作用の完全な説明も与えている。


 魔術学は学校制度と比べる事ができよう。低位魔術は小中学校で、中位魔術は高校で、高位魔術は大学の講義である。ヘルメースの石板にあるように、魔術にも普遍的格言「上にあるものは下にあるがごとし」、さらに逆もまた真なりは当てはまる。厳密に言うならば、これは低位、中位、高位魔術について語ったものではない。実際には、唯一、ひとつの魔術のみがあり、ここでいう魔術師の成熟の位階は、個々の開発を測るためなのである。普遍的法則は、たとえ応用されたその意図が善にせよ悪にせよ関係なく、常に同じなのである。法則の応用は、個人の人格と意図に拠る。魔術師が彼の力を善の目的のために使うならば、彼は自らを「白魔術」として表現するだろう。彼がその能力を悪しき目的のために使うなら、彼は「黒魔術」を語ろう。だが、魔術師がモラル的に善であろうと悪であろうと関係なく、彼らは完全に同じ法則から力をもたらしているのである。


 勘の鋭い読者はこの世には白魔術も黒魔術も無いと納得したであろう。この違いは、神秘主義、宗教の宗派によって一般に知られるようになったのである。彼らは自分たちが好まない個人を黒魔術師と呼んでいたからである。顕著な比較として、昼を善と呼び、夜を悪と呼ぶのは、普遍的な視点からは、同等にナンセンスだと考えてみよ。昼も夜も、もう片方無しには存在出来ないし、両者の極は、それぞれに違いを与えるために、大宇宙と小宇宙が創造された時には存在していなくてはならない。


 神、宇宙の創造者は不明瞭なものや悪の何物をも創造してはいない。これは人間は善も悪も行うべきだと述べているのではない。この2つの違いが存在するのは、その反対側からも真理を語ることと、熟達することを可能とするためなのである。真の魔術師はそれゆえ、否定性を決して過小評価はしないが、それを避けもしない。彼は常に否定性が起きるのを許すし、その否定性は彼には肯定性と同じくらい有用なのである。要点を言うならば、魔術師は否定的諸力を悪の諸力とは決して見なさない。魔術師は宗教の視点から善悪を見るのではなく、普遍的視野から見るのである。


 魔術は一般には妖術や魔女術と誤解されている。私はそれゆえ、魔術と妖術の違いについて簡潔に説明したい。真の魔術師は常に普遍的法則に従い、これらの原因と結果について知っていて、意識的にこれらの諸力を用いる。一方で妖術師は自らが起源を知らない力を使っていて、これらの諸力が原因となる結果には完全に気づいているが、これらの実際の繋がりを何も知らない。妖術師には普遍的法則の知識が無いからである。1つ2つの部分的な知識は知るかもしれないが、まだ必要な成熟に達していないので、これらの普遍的法則の働きと開発と機能の真の繋がりについて知ることは無い。


 真の魔術師は一方では、妖術師として扱われるのは望まない。彼は何を行うかの完全な知識を得る前には何もしないのだ。妖術師は善や悪のために肯定的か否定的な諸力のどちらにせよ、魔術の知識の断片あれこれを使うかもしれないが、自らを魔術師と名乗る権利は無いのである。


 詐欺師(chalatan)は他の人々を騙そうとする人物である。彼は妖術師でも魔術師でもない。彼は実際には、一般的な用語を使うならば、ぺてん師(swindler)なのである。詐欺師は高い魔術能力を自慢するのを好むが、現実には、彼らは何も使えずに、秘密の神秘のベールで自らを包んで、彼らの愚かさを隠そうとするのだ。


 これらのカテゴリーの人々に、魔術学が悪名を以て語られるようになった責任がある。真の魔術師の性格には秘密めいた事も虚栄も無い。反対に、彼は中庸で、常に人々を助け、成熟した人々には魔術の秘密を説明しようとするだろう。一般に魔術師は彼の秘密をまだ充分に成熟していない人々に明かすのは、聖なる学を堕落させないために、避けようとするだろう。真の魔術師は自らの魔術学の知識を外部の振る舞いで表そうとは決してしないだろう。真の魔術師は一般的な市民とほとんど違いが無い。彼は他のどんな人々、どんな状況にも自らを順応させようと努めるからだ。彼の魔術的権威は内側のものであり、外側を着飾る必要は無いのである。


 また別の魔術の低位の派生についても語ろう。しばしば、真の魔術と間違われるが、何の関係も無いものだ。いわゆる大道芸ジャグレリィーの事である。大道芸人の手先の熟練と彼の能力は見ている人々に幻影の印象を与え、普遍的法則からもたらした正当な魔術師の起こせる現象をある程度は真似る事が出来る。事実、これらの大道芸人らが常に彼らのトリックを魔術という言葉を使うのが、この言葉の意味を落としている原因となっている。読者に大道芸やステージマジックのトリックの詳細を述べるつもりはない。たとえその偉大な手先の熟練により最も有名になったとしても、実際は大道芸人は魔術師でも妖術師でもない。


 この書で、現代まで決して明かされることが無かった魔術学の領域、召喚魔術についての、総合を与えようと思う。これは理解するのが最も難しい魔術の領域だからである。古代の時代より現在まで、霊的存在を招聘する方法や悪魔と契約する方法などを含んだ何百という書が世に出ている。だがこれらの書のどれを以てしても、読者に正当な知識を与えることも無く、教授の実践的応用が確実に成功する事は無かった。もっとも時には才能のある個人によって、彼の生まれながらの気質と才能によって成功する事もあったが。召喚魔術の問題の本質を掴もうと望む正当な魔術師は、部分的な成功しかしないか、まったく成功しないかを恐れる必要は無い。すぐにここに与える召喚魔術の総合により、召喚の成功をもたらすと確信を持つだろう。


 魔術の他のカテゴリーは、例えば、ミイラの魔術、共感魔術、共感の方法による呪文などは、この書では扱うことは無いだろう。それらは興味があるならば魔術師自身によって容易に探究出来るからである。これらについての解説ならば、一般の書の中でも見つけられるだろう。



召喚魔術の実践 1-2
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*1 前著Initiation into Hermeticsのこと。