高等魔術の教理と祭儀 1-18

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第十八章 צ S 魅惑の呪具と惚れ薬


正義と神秘の犬


 我々は次に、魔術の学が行える中でも最も犯罪的な悪用、すなわち毒の魔術、あるいはむしろ妖術と対処する。私はこれらを書くのは教授のためではなく警告のためだと理解するのだ。人間正義が達人らではなく、黒魔術師と毒の妖術師のみを迫害していれば、すでに話した通り、正義は良き場所にあり、そのような犯罪者らへの厳しい罰は決して過剰で無いのは確実である。同時に、秘密裏に魔術師に属する生と死の権利が、ある不名誉な復讐やさらに不名誉な金銭欲のために常に実践されてきたと考えてもいけない。古代同様に中世でも、しばしば魔術結社は明らかにしようとした者や密儀の冒涜者らを倒すかゆっくりと破滅させており、魔術の剣で刺すのを好まない時、流血が危険な時は、トファナ水、毒の花束、ネッソスの布といった他の知られずにいる毒の危険な道具が、遅かれ早かれリンチの恐るべき判決のために用いられた。私が先に述べたように、魔術には大いにして語られざる奥義があり、それらは達人の間でも話してはならず、特に大衆には推測させてはならない。過去において、明らかにした者は、あるいは至高の秘密の鍵を偶然にも他者に知られる原因となった者は、即死ぬべきと非難され、しばしば自殺させられた。ラ アルプによって示されたカゾット*1の予言の晩餐は、これまで理解されてこなかった。ラ アルプは彼の物語の詳細を拡大させて読者を驚かせる誘惑に自然と速やかに負けた。この晩餐会にラ アルプ以外の誰もが臨席した時、彼らは秘密を漏らすか、少なくとも密儀を汚していたため、秘儀参入の中でも最も至高のものであるカゾットは啓明主義の名の下で死の宣告を発し、この宣告はバラバラに、だが確実に執行された。これらは数年前、数世紀前にも似たような様々な裁きが、ヴィラール修道院長や、ウルバン グランディエや多くの者にも行われているのだ。革命期には哲学者らはカリオストロが異端審問官の牢獄に入れられたように、カトリーヌ テオスの神秘家の仲間らが受けたように、軽率なシュロエッファーが魔術的勝利と普遍的酩酊のさ中に自殺させられたように、逃亡者コッチェブーがカール サンドに刺されたように、迫害された。また多くの者が死因がわからないまま突然の流血の死体が発見されている。カゾット自体が革命裁判所裁判長により非難された時、彼に奇妙な勧告がなされたのは、覚えておく必要があろう。1793年の恐るべきドラマのゴルディオスの結び目は、なおも秘密結社の闇の聖域に隠されたままである。
 一般人の解放を望む良き信仰の達人らは、より古い伝統に従う別のセクトと対立しており、お互いに戦い合っている。大奥義の実践はその理論に熟達していない者には不可能に出来ている。大衆は何も理解しておらず、全てを誤って疑っており、その勇気の無さで、起き上がっている者達よりも下へと落ちる。大奥義はこれまで以上に秘密になっており、達人らは秘儀参入されていない者らを支配したり、自らを曝したりするために彼らの力を使わないように、お互いに監視している。彼らはお互いに裏切り者への死を罵り合い、亡命や自殺、ナイフや絞首台へと送っている。
 私は今日でもオカルトの聖域への侵入者やその秘密を裏切った者に恐るべき危険はあるかと尋ねられるであろう。そのような詮索好きの疑い深さに、私が答える義理があろうか? 私が彼らの質問のために暴力的な死のリスクを取っても、確実に彼らは私を救わないだろう。彼らが、彼ら自身の問題で恐れているなら、軽率な探求を慎むようにさせよう――私が言えるのはこれが全てだ。さあ、毒の魔術へと戻ろうか。
 小説「モンテ・クリスト伯」で、アレクサンドル デュマはこの不吉な学のある実践を明らかにした。この犯罪の憂鬱な理論をここで繰り返すつもりは無い。植物を毒にする方法。それらを食べた動物の肉が影響され、それが人のための肉となった際に、あらゆる毒殺の証拠を残さずに人を殺す方法。家の壁に植え付ける方法。セントクロイのガラスマスクが作業者に必要となる空気に毒に満たす方法。古代ローマの魔女カニディアと、忌わしい密儀については、これくらいにして、サガーナの地獄の儀式がロクスタ(毒殺)の術を行っていた事は、これ以上は詮索すまい。この悪党らの中でも最も忌わしい連中は、伝染病ウィルスと爬虫類の毒と毒の植物の液を蒸留させていた。彼らは毒キノコの致死性で麻薬的性質を摘出し、チョウセンアサガオからは窒息させる原理を、桃と苦扁桃から、一滴を舌か耳に垂らすことで、あたかも稲妻の一撃のように、最も強く健康な生き物も即死させる毒を作った。アオサの白液は、毒蛇が溺れ死んだ牛乳を煮込む。マンチニールやジャバ島の致死性の果物は長い航海によって持ち帰ったか、高額の郵送費とともに輸入したものだ。キャッサバの液や似たような毒も同様である。彼らは粉状にした火打石に、不浄な灰、爬虫類の乾燥させた粘液で忌わしき飲み物を作った。雌馬のウィルスと似たような雌犬のものを混ぜた。彼らは人間の血に不名誉なドラッグを混ぜ、オイルに致死的な悪臭を混ぜ、パニュルジュのブルボンのパイを思わせた。彼らは錬金術の用語で毒の成分を隠しすらした。何冊ものヘルメスの古書の中にある放出の粉の秘密は、実際には連続の粉*2なのだ。大グリモアは金を作る技法という題名の下で隠したものを示している。これは緑青、砒素、おかくずの酷い混ぜ合わせで、これらを適切に準備したら、即座に枝を入れて、鉄の釘を速やかに飲ませる。ジャンバッティスタ デッラ ポルタは、彼の自然魔術の書の中で、ボルジアの毒*3の見本を示している。だが想像の通り、彼は大衆を欺いており、あまりに危険な真実は伝えておらぬ。私はそれゆえ読者の好奇心を満たすべく引用しても安全だろう。
 ヒキガエル自体は毒性でないが、毒のスポンジであり、動物界のマッシュルームなのだ*4。ポルタが言うには、丸々太ったカエルを捕まえ、球状のボトルの中に毒蛇とエジプトコブラとともに入れる。毒キノコとジギタリス、ドクニンジンを数日ほど餌として入れる。それから、これらの生き物を叩いたり、火で炙ったり、考えられるあらゆる手段で虐めつつ、これらが怒りと飢えの中で死ぬまで続ける。これらの遺体に粉末状にしたハツユキソウと粉末ガラスを蒔く。これらをよく封印された蒸留器の中に入れる。そして火によって水分を全て抜く。ガラスが冷えるのを待ち、死体の灰を蒸留器の底に残っている不燃性のゴミと分離する。きみはそれにより、二つの毒を得るだろう――一つは液体、もう一つは粉末だ。液体の方は、恐るべきトファナ水と同じほど効果的だ。粉末の方は、それを飲み物に混ぜられ飲まされたどんな人間も、数日で萎み年を取り、結果として恐ろしい苦悩や完全な崩壊とともに死ぬ。このレシピは最も暗く、反逆的な種類の魔術的な観相術と、カニディアとメデアの忌わしい菓子の再現による病んだものがあると認めざるを得ない。中世の妖術師らはそのような粉をサバトで貰ったというフリをしつつ、高い金で悪人や馬鹿に売り付けていた。似たような密儀の言い伝えが広まり、呪文という行動で人を殺せる話となった。想像力がひとたび強まると、神経系がひとたび悩まされると、犠牲者は急速に衰退し、親族や友人らの恐怖が伝播して彼の損失を確実なものとする。妖術師や魔女は長く耐えてきた恨みつらみで膨れ上がったヒキガエルのような連中である。彼らは貧しく、皆に冷たく扱われたため、憎しみに満ちている。彼らが広めた恐怖は彼らの慰めであり復讐である。彼ら自身が社会から拒絶と悪意のみを経験し毒されており、それを転じて充分に恐怖に弱い人たちを毒するようになり、若さと美に対して彼ら自身の老いと酷い醜さへの報復をする。彼らの悪事と忌わしき密儀の集成が、いわゆる悪魔との契約の構成と確認となっている。この作業者は自らの肉体と魂を悪に与え、地獄の寓意により表わされる普遍的で取り消せない神からの拒絶を正当に受けるのは確実である。この人間の魂はそのような犯罪の深淵へと落ち、その狂気は確実に我々を驚かせ影響させるであろう。だが最も深遠な徳の高みのために、そのような湾は基底として必要ではないかね? 地獄の深みは、天国の無限の高みと偉大さの反証を示していないかね?
 北方では、本能はより抑圧され生命力があり、イタリアでは肉欲はより放出され火のようであり、誘惑の呪具や邪眼はいまだに恐れられている。ナポリの邪眼持ちイェッタトゥーラは、不浄さに大胆な者ではなく、不幸にもこの力を先天的に持って生まれた者であり、特定の外的なサインによって差別されてしまう。彼の力から身を守るためには、角を持っているべきと経験者は確証する。そして一般人は、彼を見たら速やかに小さな角を自ら指で作るのだが、全てを文字通りに解釈して、寓話の感覚について夢にも思わない。神話のユピテル アモン、バッカス、モーセが角を持っていた特徴は、倫理や情熱の力を彼らが持っていた象徴である。イェッタトゥーラに立ち向かうためには、大いなる大胆さ、熱意、思考により、本能の致命的な流れを制御しなくてはならないという意味を魔術師らは言う。同様に、ほぼ全ての主な迷信は、オカルトの知恵の大いなる格言や不思議な秘密を大衆が誤解したものである。ピュタゴラスは素晴らしい象徴により、賢者らには完全な哲学を、大衆には新しい一連の空しい行いと馬鹿げた実践をもたらさなかったか? よって、彼が言う「テーブルから落ちた物を拾ってはならない。大公道の樹を伐ってはならない。自らの庭に落ちてきた蛇を殺してはならない」は、社会的、個人的な慈悲心を透明な例え話で教えていたのではなかったか? 彼が言う「松明の灯りにより鏡の自分を見てはならない」は、真の自己認識は人為的な光や社会の先入観と合わないという例え話をしているのではないか? ピュタゴラスの他の言葉も同様であり、頭の悪い弟子らと大衆が文字通りの意味で従ったのは良く知られている。いやはや、我々の田舎の迷信の慣習の中には、ピュタゴラスの例え話の原始的な誤解によるものが多くあるのだ。
 迷信superstitionとはラテン語の言葉で「生き残ったもの」superstitioから来ている。これは古代の概念が生き残った印であり、その宗教儀式の死体である。迷信と秘儀参入の関係は、悪魔と神の関係のようなものである。この発想から偶像崇拝が禁止され、元は最も聖なる教義がその心と直観を失った時に迷信と不信となったのである。そして宗教は至高の理性、神のように、その衣を変え、悪意と無知により大道芸人らと詐欺師らへと変わった僧侶らの金銭への貪欲と悪行により古き儀式は捨てられた。私はアミュレットやタリズマンに偶然に彫られた、もはや意味も理解されない魔術的象徴や文字も迷信の中に含める。古代の魔術の像はペンタクル、すなわちカバラの総合であった。よってピュタゴラスの車輪は、エゼキエルの車輪と類推するペンタクルであり、二つの象徴は同じ秘密を含んでおり、同じ哲学に属し、全てのペンタクルの鍵であるが、私は既にこれらについては話している。


アッダ ナリ


 預言者エゼキエルの四匹の獣、というより四つの頭のスフィンクスは、大いなる奥義の参照として本書に含んだインドの素晴らしい象徴アッダ ナリと同等物である。ヨハネの黙示録において、聖ヨハネはエゼキエルに従って同様に作った。無論、彼の驚異的な書の怪物的な像らの多くは、魔術のペンタクルであり、それらの鍵はカバラ学者により容易に見つけられる。一方では、キリスト教徒らは信仰を広めるために、この学を不安がって拒絶し、後にこれらの教義の起源を隠そうと努め、全てのカバラと魔術の書を火の中へと投げ込んだ。原本を破壊することで、複製本へのオリジナリティーを与えるためであり、聖パウロが疑うべくもなく高尚な意図からであるが、エペソスでこの学の書を燃やしていった。同様に、六世紀後にイスラームの真の信仰者ウマル イブン ハッターブはコーランを原本にするためにアレキサンドリア図書館を破壊した。いつ未来の使徒が、彼らの新興宗教の狂信を煽り、新たな伝説を作るために、図書館や博物館を燃やし、印刷所を抑えるか、誰が知ろうか?


エゼキエルのケルビム


 タリズマンやペンタクルの研究は、魔術の最も興味深い分野の一つであり、古銭学の歴史にも繋がっている。古代から伝わるインド、エジプト、ギリシアのタリズマン、カバラのメダル、現代のユダヤ人、グノーシスのアブラクサス、秘密結社のメンバーの間で使われるオカルトの印、時にはサバトの貨幣と呼ばれるものが存在する。また、テンプル騎士団のメダルやフリーメイソンリーの宝石もある。コグレニウスは自然の不思議についての文書で、ソロモン王とラビ ハエルのタリズマンについて記している。他の最も古代のものは、ティコ ブラーエとドゥシェントーの魔術カレンダーに見つけられ、さらに巨大にして学問的なラゴン氏が集めた秘儀参入の古文書を読者は参照すべきである。



高等魔術の教理と祭儀 1-19
↑ 高等魔術の教理と祭儀


*1 ジャック カゾット。1719年 - 1792年。作家、神秘思想家。晩年で予知能力が目覚め、1788年の晩餐会に集めた客らの未来の死(自分自身の革命テロでの処刑も含めて)を予言し、ほとんど的中させた。
*2 ウェイト注。この連続の粉はレヴィの発明品のように思える。少なくとも私は白や黒の何であろうとも、魔術の記録で見つけた事が無い。また、この言葉が何を表すかも何も言えない。
*3 ルネッサンスイタリアの君主チェーザレ ボルジア(1475年 - 1507年)が父の教皇アレクサンデル6世とともに政敵を毒殺していた伝説の毒のこと。
*4 ウェイト注。これはポルタのレシピのレヴィの前口上であり、オカルト動物学の中でも最悪の類に属すると見做さねばならない。