古今の秘密の教え ピュタゴラスの数学

ページ名:古今の秘密の教え ピュタゴラスの数学

ピュタゴラスの数学


 数の意味の秘密に関して、多くの推測がなされてきた。今まで多くの興味深い発見はなされてきたが、ピュタゴラスの死をもってこの学の偉大な鍵は失われたと言っても問題ないだろう。これまで2500年近く全ての国の哲学者らが、ピュタゴラスのもつれを解こうとしたが、明らかに誰も成功しなかった。ピュタゴラスの教えを全て消し去ろうとする試みがなされたものの、残された断片から彼の哲学の最もシンプルな部分いくつかの手がかりは与えられる。大いなる秘密は決して書に書かれる事はなく、選ばれた少数の弟子に口頭で伝授する。彼らは明らかに大衆に秘密を漏らす事はなく、結果として彼らの死とともに彼らの知る奥義も死んでいった。


 今日の世界の秘密の学派は、古代密儀を受け継いできたものであり、彼らがオリジナルの数の公式を保有している可能性は極めて高いが、過去五百年においてこれらの集団から出された書の中にある何の証拠もない。これらの書の中で、しばしばピュタゴラスを議論しているが、ピュタゴラス後のギリシアの思弁家らが持っていたものよりも、彼の複雑な教義の完全な知識は示されずにいる。これらの思弁家らは多くの事を語り、少しのみ書き、さらに少ししか知らず、神秘的なヒントや約束の中に彼らの無知を隠していた。古代の著者らの書のあれこれでは、謎めいているが、何の解釈の効果も作れない文を見つけられる。以下の例はプルタルコスからの引用である。


「無論、ピュタゴラス学派は、これらよりも進んでおり、数や幾何学図形すらも神々の名と称号とともに称えていた。よって、彼らは正三角形を頭から生まれたミネルウァやトリトゲニアと呼んだが、それは各角から垂直に引いた線により、均等に三つに分割できるからである。同様に、一つを彼らはアポロと名付け、二つを争いや大胆さの名前と関連づけ、三つを正義と繋げた。傷つける者は端の一つが行い、傷つく者はもう一方の端となり、傷つける行為はその中間となる。同様に、三十六の数は、彼らはテトラクティス、聖なる四元数は、最初の四つの奇数を足して、さらに最初の四つの偶数を足したら、彼らは最も荘厳な誓いとともに、これらをコスモスと呼んだと言われている。」(「イシスとオシリス」)


 また同書でプルタルコスは注記している。「三角形の力はプルートー、バッコス、マールスの自然の表現である。そして正方形の性質は、レア、ウェヌス、ケレス、ウェスタ、ユーノーである。十二面体はユーピテルである。また、エウドクソスによれば、56度の図はテュポーンの性質の表現である。」プルタルコスは、この象徴の内なる意味合いについては説明しようとはしなかったが、これらのピュタゴラスが立てた幾何学体と神々との関連は、この偉大な賢者がエジプトの神殿の中で見た像の結果だと信じられている。


 偉大なメイソンの象徴主義者アルバート パイクは、これらの多くの点で信用できる情報が保証されないのを認めていた。彼の32と33階級メイソンのための「象徴主義」の中で、彼は記す。「私はなぜ七がミネルウァと呼ばれなければならないのか理解できないし、立方体がネプチューンなのもだ。」後に彼は加える。「ピュタゴラスが違った数に与えた名前は、それ自体が謎めいて象徴的なのは疑いなく、プルタルコスの時代にはこれらの名前に隠された意味が失われたのもほとんど疑いない。ピュタゴラスは彼の象徴をヴェールに隠すのに成功しすぎて、口承の説明無しには到達不能となっていた。」


 この不確実性はこの主題の全ての真の学徒らに共有されている。そのため、現在得られるピュタゴラスの数学哲学体系に関する不明瞭で断片的な情報のみから、確定的な断言をするのは賢くない。以下に続く内容は、ピュタゴラスの弟子らと彼の哲学と接した者らが残したわずかな記録から少数の顕著な点を集めた努力を表している。


言葉の数値を得る方法


 言葉の数値を得る最初のステップは、オリジナルの言葉へと復元する事である。ギリシア語と派生のヘブライ語の言葉のみが、この方法により成功裏に解析できる。そして全ての言葉は最も古く完全な形で綴られねばならない。そのため旧約聖書の言葉は初期ヘブライ文字へ、新約聖書の言葉はギリシア語へと変換されねばならない。この原理を明確にするのに二つの例が助けとなるだろう。


 ユダヤのデミウルゴスは、英語ではイェホヴァと呼ばれる。だがイェホヴァの数値を探すには、この名をヘブライ文字に戻す必要がある。これはיהוהとなり、右から左へと読む。ヘブライ文字は、ヘー、ヴァウ、ヘー、ヨドで、英語の順番にして左から右へと読むなら、ヨド・ヘー・ヴァウ・ヘーとなる。後に示す図によって文字の値を調べると、この聖なる御名の四文字は以下の数値を持つ。ヨドは10、ヘーは5、ヴァウは6、第二のヘーは5。よって、10+5+6+5 = 26、イェホヴァの別名である。英語の文字を使っていたとしたら、答えは明らかに正しくなかっただろう。


 第二の例は、グノーシス派の神秘的な神格アブラクサスである。この名ではギリシア文字の図を用いる。アブラクサスのギリシア文字では、Αβραξαςであり、Α= 1、β = 2、ρ = 100、α = 1、ξ = 60、α = 1、ς = 200で、合計は365となり、一年の日の数となる。この数は、アブラクサスの密儀への鍵を与える。この神は365のアイオーン、日々の霊らの象徴であり、これらが集まり一つの神格を構成する。アブラクサスは五つの創造物の象徴である。年を表す円は実際には360度で構成され、それぞれ流出する神はその力の五分の一、すなわち72度で、この数はユダヤの旧約聖書と彼らのカバラの体系では最も聖なる数であった。この同じ方法は、ギリシアとユダヤの神や女神の名前の数値を見つけるのに用いられる。


 全ての大きな数は、元の10の数の中の一つまで減少でき、10そのものも1にされる。それゆえ、神々の名前から変換した全ての数の集まりも、最初の10の数の中の一つと同等とされる。この体系により、数の桁をお互いに足していく事により、666は6+6+6 = 18、さらに、1+8 = 9となる。ヨハネの黙示録では、144,000人が救われるとあるが、この数は1+4+4+0+0+0となり、イコール9である。よって、黙示録のバビロンの666の獣と救われた者の数は人そのものを表し、その象徴は9の数である。この体系はギリシアとヘブライ文字の値の両方で用いる事が出来る。


 オリジナルのピュタゴラスの数の哲学の体系は、現在流行っている名前や苗字の文字の値を変えることで、性格や経済状況の改善を期待する実践を何も正当化しない。


 また、英語で流行っている計算の体系もあるが、その正確さには議論の余地がある。これは完全に現代のもので、ヘブライのカバラ体系ともギリシアの体系とも何の関係も無い。ある者らが主張するのは、ピュタゴラス学派がこれらを支持したどのような具体的な証拠も無く、これらの説を擁護できない多くの理由がある。ピュタゴラスは10を計算の基底にしていたが、この体系は9――不完全な数――にしているのは、ほとんど決定的な違いである。さらに、一つの言語の数の連なりを別の言語のものに使うのを許すには、ギリシアとヘブライ文字の配置は、英語と充分に近くは合わない。以下の説明は有益を示すかもしれないが、古代に何の基盤も無い。文字と数字の配置は以下のようにする。


123456789
ABCDEFGHI
JKLMNOPQR
STUVWXYZ

 各数の下の文字は、その列の一番上の数の値がある。よって、manの言葉は、M = 4、A = 1、N = 5で、合計で10になる。この数値は実質的に、ピュタゴラスの体系で得られるのと同じである。


ヘブライ、ギリシア、サマリア文字の数値

ヒギンズの「ケルトのドルイド」より



1 ヘブライ文字の名前
2 サマリア文字
3 ヘブライとカルデア文字
4 文字の数値
5 ギリシアの大文字と小文字
6 印のついた文字は、カドモスによりフェニキアからギリシアにもたらされた
7 ギリシア文字の名前
8 ヘブライ、ギリシア、サマリア文字の最も近い英語の同等物


注記。言葉の終端で使われると、ヘブライのタウは440の値、カフは500、メムは600、ヌンは700、フェーは800、ツァディは900となる。点の突いたアルファやダッシュのあるアレフは1000の値となる。


ピュタゴラスの数論入門


(以下のピュタゴラス数学の簡潔な説明は、トーマス テイラーの「理論的算術」の序章を言い換えたものである。この書はピュタゴラス数学の断片で最も希少で重要な編集物である。)


 ピュタゴラスは、算術を数学の母と宣言した。これは幾何学、音楽、天文学は算術に依拠しているが、算術はこれらに依拠していないので証明される。よって、幾何学を取り除いても、算術は残るだろうが、算術を取り除いたら幾何学も消える。同様に音楽も算術に依拠しているが、音楽を取り除いても、算術はその表現の一つが消えるのみである。またピュタゴラスは、算術は天文学の前に来ると論証した。天文学は幾何学と音楽に依拠しているからである。天体の大きさ、形、動きは幾何学を用いる事で決定される。これらのハーモニーとリズムは音楽の使用による。天文学が失われても、幾何学も音楽も失うものは無い。だが幾何学と音楽が失われたら、天文学は破壊される。天文学に対して幾何学と音楽の優先はそれゆえ確立された。だが算術はこれら全ての優先であり、主要で基礎である。


 ピュタゴラスは弟子らに、数学は大きく二つに分けられると教えていた。第一のものは数の多さ、ものの構成要素の部分であり、第二は大きさ、ものの相対的な大きさや濃度である。


 大きさはさらに二つに分けられる――止まっている物の大きさと、動いている物の大きさである。止まっている物は優先がある。多さにも二つの部分に分けられ、自らと関連するか、他と関連するかである。自らに関連するものに優先がある。ピュタゴラスは算術を自らと関連する多さと、音楽を他と関連する多さと関連づけていた。同様に幾何学は止まっている大きさに、球面幾何学(天文学で部分的に用いる)を動く大きさと関連づけた。大きさと多さは精神によって取り囲まれていた。分子論は物のサイズを数の結果と証明していた。物質は細かい無数のものによって構成されるからである。もっとも無知な者は、それを単独の形質と誤解している。


 現存するピュタゴラスの記録の断片の状態からして、用語の正確な定義を得るのは難しい。だが、彼が言葉、数、モナド、一者の意味を与えているので、ある程度は光を当てるのは可能である。


 モナドの意味は、(a)全てを含む一者。ピュタゴラス学派はモナドを「高貴な数。神々と人々の父祖」と呼んでいた。モナドはまた別の意味として、(b)あらゆる数の組み合わせの合計。よって、宇宙はモナドと見做され、宇宙の個々の部分(たとえば惑星やエレメンツ)もまたモナドとされた。なぜなら、それ自体が部分の集まりだからである。それらが集まって大モナドが構成される。モナドの別の意味合いは、(c)樹の種。それが育ったら、多くの枝(数)を作る。言い方を変えると、数とモナドの関係は、樹の枝と樹の種である。ピュタゴラスのモナドの密儀の学習から、ライプニッツは彼の世界分子論を成長させた――古代の密儀の教えに完全に従った理論であり、ライプニッツ自身が秘密の学派の秘儀参入者だった。あるピュタゴラス学派は、モナドを(d)一者の言い換えと見做していた。


 数は、全ての数とその組み合わせが含まれる用語である(厳密に言うならば、ピュタゴラス学派では1と2は数には含まなかった)。ピュタゴラスは数を、モナドの中に含まれていた種子のエネルギーと拡張と見做した。ヒッパソスの弟子らは数をデミウルゴスが宇宙を創造する時に使った最初のパターンと公言した。


 一者は、プラトン学派により「多数の極致」と定義される。一者はモナドとは違い、モナドは単位として部分の合計に使われるが、一者はそれぞれが統合された部分のそれぞれに用いられた用語である。


 数には二つの序列があった。奇数と偶数である。なぜなら、統一の数1は常に分割不能であり、奇数は均等に分割出来ないからである。よって、9は 4+1+4で、中央の統一は分割不能である。さらに、どの奇数も二つに分割されると、一つは常に奇数で、もう一つは偶数である。よって、9は 5+4、3+6、7+2、8+1のいずれかとなろう。ピュタゴラス学派は奇数を――モナドをそれらの基底として――確定的で男性的な数とした。だが1を統一の性質とは彼ら全てが同意したわけでは無く、ある者達はこれを肯定的とした。なぜなら、これに偶数(否定的)を足したら、奇数(肯定的)を生み出すからである。他の者らは、奇数に統一の数を足したら、奇数は偶数とり、男性原理を女性原理へと変えるので、ゆえに統一の1は、男性原理と女性原理の両方に参加する両性具有の数とした。結果として、1は偶数と奇数の両方とされた。この理由からピュタゴラス学派はこの数を偶数的奇数と呼んだ。ピュタゴラス学派では、高位の神々には奇数の生贄が捧げられ、女神らと低位の霊らには偶数の生贄が捧げられる習慣があった。


 あらゆる偶数は二つの均等な部分に分けられる。それらは常に両方とも奇数か偶数となる。よって、10を均等に分割したら 5+5を与え、両者とも奇数となる。10を不均等に分割しても同じ法則は成り立つ。例えば、6+4 では、両方は偶数で、7+3 では、両方は奇数である。8+2 では、両方は再び偶数となり、9+1 では、両方は再び奇数となる。よって、偶数は分割しても、その部分は常に両方が奇数か両方が偶数となる。ピュタゴラス学派は偶数――2の数ドゥアドをそれらの基底とする――不確定的で女性的とした。


 奇数は数学的な工夫――「エラトステネスの篩(ふるい)」と呼ばれる――により分割すると、非合成数(素数)、合成数、非合成・合成数の三つの部類に分けられた。


 非合成数は3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43、47……といった、自らと統一(1)以外の数で割れない数である。例えば、7は7によってのみ割れ、それは自らを再びと統一数の答えを与える。この統一数に七回掛けると7に戻る。


 合成数は、9、15、21、25、27、33、39、45、51、57……といった、自らと統一数(1)だけでなく、他の数でも割る事が出来る数である。例えば21は、自らと統一数のみならず、3や7でも割れる。


 非合成・合成数は9と25といった、それぞれは割れるが公約数の無い数である。例えば、9は3で割れ、25は5で割れるが、どちらももう片方のものでは割れない。よって、公約数は無い。それぞれは割れる数を持っているので、合成数と呼ばれる。そして、彼らは公約数を持っていないので、非合成数と呼ばれる。そのため、これらの性質を記すのに、非合成・合成数という言葉が作られた。


 偶数は三つに分割される。偶数的偶数、偶数的奇数、奇数的奇数である。


 偶数的偶数は、統一数から二倍比になる全ての数である。よって、1、2、4、8、16、32、64、128、256、512、1024である。完全な偶数的偶数の証明は、それらを半分に割っていけば、いずれは統一数に戻る事である。よって、64の1/2 = 32、32の1/2 = 16、16の1/2 = 8、8の1/2 = 4、4の1/2 = 2、2の1/2 = 1。この統一数を超えて先には進めない。


 偶数的偶数には特別な性質がある。これらの最後の項を除いたどの項の数の合計も、常に最後の項 - 1となる。例えば、第一項と第二項を足すと(1+2)イコール第三項(4)-1となる。また、第一、二、三、四項を足したら(1+2+4+8)、第五項(16)-1となる。


 偶数的偶数の級数で、第一項を最後の項で掛けたら、最後の項が答えとなる。第二項を最後から二番目の項で掛けたら、最後の項となる。と続き、最後には奇数の項の数が一つ残った場合、それを自らで掛けたら、最後の数となる。あるいは、二つの偶数の項の数が残った場合、お互いを掛けたら、最後の数となる。例えば、1、2、4、8、16は奇数の級数である。第一の項(1)を最後の項(16)で掛けたら、最後の項(16)となる。第二の項(2)を最後から二番目の項(8)で掛けたら、最後の項(16)となる。奇数の級数なので、最後には中央の4が残るが、それを自らで掛けたら、最後の項(16)となる。


 偶数的奇数は、半分にしたら、さらに半分には出来ない数である。これらは奇数の級数を作り、それを二倍にして作られる。この方法により、奇数の1、3、5、7、9、11は、偶数的奇数の2、6、10、14、18、22を作る。よって、あらゆる4の倍数に2を足したものは偶数的奇数である。それぞれの偶数的奇数は2によって一回は割れて、二つの奇数となりその後はさらに割れない。例えば6は二つの3となり、それ以上は割れなくなる。


 偶数的奇数の別の性質は、割る側の数が奇数なら、答えは常に偶数である。また、割る側の数が偶数なら、答えは常に奇数である。例えば、18を2(偶数で割る)で割ったら、答えは9(奇数)である。18を3(奇数で割る)なら、答えは6(偶数)である。


 偶数的奇数はまた、それぞれの項がその両方の側の項の合計の半分である珍しい性質がある。例えば、10は6と14の合計の半分であり、18は14と22の合計の半分であり、6は2と10の合計の半分である。


エラトステネスの篩(ふるい)

テイラーの「理論的算術」より


 この篩は、紀元前230年頃に非合成数の奇数と合成数を振り分けるためにエラトステネスが開発した数学の道具である。その理論に熟達した後には、使用は極めてシンプルである。まず底から二番目のodd numbersと書かれた行で示すように、全ての奇数を自然な順番で並べる。それから、あらゆる3の倍数(3から始める)は3で割れる。あらゆる5の倍数(5から始める)は5で割れ、と続き、7の倍数、9の倍数、11の倍数と無限に続く。この体系は最終的にはピュタゴラス学派が言う「非合成数」が残され、それらは自らと統一数(1)以外では割れない数である。それらは一番底のPrimary and Incomposite Numbersと書かれた行で見つけられる。「数学の歴史」でデビッド ユージーン スミスはエラトステネスはアレキサンドリアの最大の学者の一人で、その信奉者らは「第二のプラトン」と彼を呼んでいたと伝える。エラトステネスはアテネで教育を受け、彼はこの篩のみならず、非常に巧妙な方法で地球の円周と直径を計算した事でも高名だった。彼の地球の直径の推測は、現代の科学者が受け入れる極直径より50マイル(80キロメートル)少ないのみだった。エラトステネスのこの事や他の数学的到達からして、キリストが生まれる三世紀前には古代ギリシア人は地球が球状であるのを知っていただけでなく、驚くべき正確さで、その実際の大きさや太陽や月との距離も推測できたのは疑えない証拠がある。紀元前250年頃に生きた別のギリシア人の天文学者、数学者のサモス島のアリスタルコスは、哲学的演繹法とわずかな単純な科学の道具を用いて、地球は太陽のまわりを回っていると推測した。コペルニクスはこれを最初に発見したと信じていたが、実際には1700年前のアリスタルコスの発見を言い換えたのにすぎないのである。


 奇数的奇数あるいは反偶数的偶数は、偶数的偶数と偶数的奇数の折衷である。偶数的偶数と違い、これらは統一数(1)に戻す事は出来ない。また、偶数的奇数とも違い、これらは一回以上半分にする事が出来る。奇数的奇数は2より多い偶数的偶数を1より多い奇数で掛けたものである。奇数で1より多いのは、3、5、7、9、11と続く。偶数的偶数で2より多いのは、4、8、16、32、64と続く。最初の奇数の級数は、3で、それに4(最初の偶数的偶数の級数)を掛けたら、最初の奇数的奇数の数12を与える。5、7、9、11……を4で掛けたら、さらに奇数的奇数を得られる。他の奇数的奇数は、3、5、7、9、11と続くのに、別の偶数的偶数(8、16、32、64と続く)を掛けて得られる。奇数的奇数を半分にする例は以下の様にである。12の1/2は6で、6の1/2は3であり、もう半分には出来ない。なぜなら、ピュタゴラス学派は統一数(1)で割らなかったからである。


 偶数はさらに三つの別の区分けもあった。超完全、不完全、完全である。


 超完全あるいは超過剰数は、その分数の合計が元の数より上の数である。例えば、24の1/2は12で、24の1/3は8、24の1/4は6、24の1/6は4、24の1/12は2、24の1/24は1。これらの部分(12+8+6+4+2+1)の合計は33で、元の数24を超えている。


 不完全数は、分数の合計が元の数よりも少ないものである。例えば、14の1/2 = 7で、14の1/7 = 2で、14の1/14 = 1である。これらの部分(7+2+1)は10で、元の数14よりも少ない。


 完全数は、分数の合計が元の数とイコールのものである。例えば、28の1/2 = 14で、28の1/4 = 7で、28の1/7 = 4で、28の1/14 = 2で、28の1/28 = 1である。これらの部分の合計(14+7+4+2+1)は28と同値である。


 完全数は極めて稀である。1から10までの間には一つのみ、つまり6しか無い。10から100の間には一つ、つまり28のみである。100から1,000の間にも一つ、つまり496のみである。1,000から10,000の間にも一つ、つまり8,128のみである。完全数は以下の法則により見つけられる。偶数的偶数の級数(1、2、4、8、16、32と続く)の最初の数に、級数の二番目の数を足す。それが不完全数ならば、それらの合計を作り出した偶数的偶数の級数の最後で掛ける。結果は最初の完全数である。例えば、最初と二番目の偶数的偶数の数は、1と2である。合計は3で、不完全数である。3を偶数的偶数の級数で用いた最後の数の2で掛けたら6、最初の完全数を与える。偶数的偶数の足し算で答えが不完全数にならなかったら、不完全数になるまで次の偶数的偶数の数が加えられ続ける。二つ目の完全数は以下の方法で見つかる。1、2、4の偶数的偶数の合計は7となり、不完全数である。これに(これを生み出すために使われた偶数的偶数の級数の最後のもの)4を掛けたら、第二の完全数28となる。この計算法は無限に続ける事が出来よう。


 完全数を2で掛けたら超完全数を生み出し、2で割ったら不完全数を生み出す。


 ピュタゴラス学派は、この数の学から彼らの哲学を発展させた。以下の「理論的算術」からの引用は、この実践の素晴らしい例である。


「それゆえ完全数は美徳の美しい像であり、過剰さと不足を中和させ、ある古代人らが考えたような頂点ではない。そして悪は無論、別の悪と対立し、両者は善とも対立するが、善は別の善とは対立せず、同時に二つの悪と対峙する。よって、臆病さは厚かましさとは真の勇敢さにおいて対立しているが、両者は不屈さとも対立している。狡猾さは愚鈍さとは知性において対立しているが、両者は分別とも対立している。濫費は貪欲に対してケチさにおいて対立しているが、両者は気前のよさとも対立している。他の美徳でも同様に行われる。これら全ての証拠により、完全数は美徳と非常に似ている。だが別の面でも美徳と類似がある。これらは少数なので稀にしか見つけられないのと、非常に不断の秩序によって作られる事である。一方では、超過剰数や不完全数は無数に見つけられ、それらはどのような秩序だった級数の傾向もなく、どのような特定の終わりからも作られない。よって、これらは悪意と非常に似ており、それらは無数にあり、非秩序的で、未定義である。」


10の数の表


(以下のピュタゴラス数の要約は、ニコマコス、スミュルナのテオン、プロクロス、テュロスのポルピュリオス、プルタルコス、アレクサンドリアのクレメンス、アリストテレス、その他の初期の権威らの書からの言い換えである)


 モナド――1――は、常に同じ条件で残るのでこう呼ばれる――すなわち、掛け算をしても増えたりしない。その属性は以下の様にである。これは精神と呼ばれる。なぜなら、精神は安定しており卓越しているからである。両性具有、なぜならこれは男性原理と女性原理の両方を持つからである。奇数と偶数、偶数に足したら奇数となり、奇数と足したら偶数となるからである。神、これは全ての始まりにして終わりだが、自らは始まりでも終わりでも無いからである。善、それは神の性質だからである。物質の入れ物、これは2、ドゥアドを作り出すが、それは本質的には物質だからである。


 ピュタゴラス学派はモナドを以下の様に呼んでいた。カオス、不明瞭、割れ目、冥府タルタロス、スティクス、レーテ、アトラス、軸、モルフォ(ウェルスの名前の一つ)、ユーピテルの塔か玉座、宇宙の中心に留まる偉大な力で、その周囲の惑星の円運動を支配するからである。モナドはまた未発達の理性とも呼ばれるが、これは宇宙の全ての考えの源だからである。他の名前は以下の様である。アポロ、太陽との関連からである。プロメテウス、人に光をもたらしたからである。ビュラリオス、火の中に存在するからである。誕生、これ無しにはどの数も存在できないからである。形質、形質は根本だからである。真理の原因、シンフォニーの構成、これは根本的なものだからである。


 大きいものと小さいものとの間でモナドはイコールであり、意図と緩和の間で中間であり、大勢の中でこれは平均であり、時間においては今である。永遠なるものは過去も未来も知らないからである。これはユーピテルと呼ばれるが、彼は神々の父で頭だからである。家庭の火の神ウェスタ、宇宙の中心に位置し、円の中心点として他の場所へ行きたがらないからである。形態、これは周囲を取り囲み、理解し、終えさせるからである。愛、和合、哀れみ、これは分割不能だからである。モナドの他の象徴的な名前は、船、戦車、プロテウス(自在に変化可能な神)、ムネモシュネ、ポリオニモウス(多数の名を持つ)。


 ドゥアド――2――には、以下の象徴的な名前を持つ。これは分割され、一つではなく二つだからである。そして二つの時は、それぞれはお互いに対立する。天才、悪、闇、不同、不安定、動性、大胆さ、不屈、論争、問題、相違点、モナドと多数の間を分割するもの、欠点、形無きもの、不確定、未定義、調和、寛容、根、泉の源、豊富な考え、頂上、諸界、意見、虚偽、違い、内気、衝動、死、動き、創造、変化、分割、経度、拡張、構成、霊的交渉、不幸、維持、賦課、結婚、魂、学問。


 W.ウィン ウエストコットは彼の著「数」で、ドゥアドを「これは大胆さと呼ばれる。これは神の一から最初に分離した数だからである。『神の与える静けさからの大胆さ』とカルデアの神託が述べる。」


 モナドが父であるように、ドゥアドは母である。ゆえに、ドゥアドは以下の女神らと多くの共通点がある。イシス、レア(ユーピテルの母)、フリギア、リュディア、ディンディメネー(キュベレー)、ケレス、エラトー(詩の女神の一柱)。ディアーナ、月が分かれているからである。ディクテュンナ、ウェヌス、ディオーネ、サイセリア、ユーノー、彼女はユーピテルの妻にして妹だからである。メルクリウスの母マイア。


 モナドは知恵の象徴であるが、ドゥアドは無知の象徴である。分離の意味において存在するからである。――この意味において無知の始まりである。しかしこのドゥアドはまた知恵の母でもある。無知は――自然そのものから出たので――常に知恵を産み出すからである。


 ピュタゴラス学派では、モナドを崇めていたが、ドゥアドは嫌っていた。これは多極性の象徴だからである。ドゥアドの力により、天に対しての深淵が作られた。深淵は天の鏡であり、幻影の象徴となった。下は上の反射にすぎなかったからである。下はマーヤー、幻影、海、大いなる虚無と呼ばれ、ペルシアのマギ僧らからは鏡として象徴された。ドゥアドより、論争と矛盾が生まれた。それはドゥアドの間にモナドがもたらされるまでであり、この均衡は救世主神により確立する。彼は自らを数の形となり、人の罪のために二人の盗賊らの間で十字架に架けられた。


 トライアド――3――は、実際に奇数である最初の数である(モナドは常に数とは見做されるとは限らなかった)。これは統一の最初の均衡である。ゆえに、ピュタゴラス学派は、アポロ神は神託を三脚から与えると言い、三回献酒を捧げるのを勧めていた。トライアドの性質のキーワードは、友情、平和、正義、豊かさ、敬虔、節制、美徳である。以下の神々はトライアドの原理に共にある。サターン(時の支配者)、ラトナ、コルヌコピア、オピオン(大蛇)、ゼティス、ヘカーテ、ポリュムニア(詩の女神)、プルートー、海の支配者トリトーン、トリトゲニア、アケローオス、ファケス、フュリウス、グラケスである。この数は知恵と呼ばれるが、人が過去、現在、未来を組織化させ、それにより利益を得るからである。これは知恵と理解の原因である。トライアドは知識の数である――音楽、幾何学、天文学、天と地の学である。ピュタゴラスはこの数の立方体には、月の周期の力があると教えていた。


 トライアドとその象徴――三角形――の神聖性は、これがモナドとドゥアドから作られている事実から導かれる。モナドは神の父の象徴であり、ドゥアドは太母である。これらの二つから生まれたトライアドはゆえに、両性具有で神が自らの世界を己自身から生み出した事実の象徴である。この神の創造的な相は常に三角形により象徴される。モナドがドゥアドへと入るのは、ゆえに子供の両親となる事が出来る。なぜならドゥアドはヒンドゥー教のメールの子宮であり、この中に世界は取り囲まれ、胎児として存在するからである。


 テトラド――4――は、ピュタゴラス学派から根本数、万物の源、自然の泉、最も完全な数と見做されていた。全てのテトラドは知的である。これらは秩序の現れで、光輝がそこを通り過ぎるとして、世界を取り囲む。ピュタゴラス学派が神をテトラドとして表現していたのは、ピュタゴラスに帰する聖なる講話で説明されており、そこでは神は数の中の数と呼ばれている。なぜなら、世界デカド、10は、1 + 2 + 3 + 4で構成され、その中でも4は最大なので、神の象徴であった。さらに、テトラドは1から7までの真ん中なので一週間の中心である。テトラドはまた最初の幾何学の立体である。


 ピュタゴラスは人の魂は四つの力、精神、知、意見、感覚のテトラドで構成されると主張していた。テトラドは全ての存在、エレメンツ、数、季節を繋げており、テトラクティスに属していない何物も無い。これは万物の原因にして創造者であり、理解できる神、天と感覚善の創造者である。プルタルコスはこのテトラクティスを、彼はこれを世界とも読んだが、36と解釈した。最初の四つの奇数に最初の四つの偶数を足す事によってである。


 1 + 3 + 5 + 7 = 16
 2 + 4 + 6 + 8 = 20
 合計 36


 テトラドに与えられたキーワードは、熱烈、力、生命力、二つの母、自然の主な維持者、これ無しには普遍的な構造は維持できないからである。また調和や第一の深遠とも呼ばれる。以下の神々がテトラドと関連する。ヘーラクレース、メルクリウス、ウゥルカーヌス、バッコス、ウラーニア(詩の女神の一柱)。


 トライアドは主要な色と惑星を表していたが、テトラドは第二義の色と惑星を表している。第一の三角形から三角形と正方形で象徴される七つの霊らは生まれた。メイソンのエプロンにはこれらが共に集う。


 ペンタド――5――は、奇数と偶数(3と2)の統一の数である。ギリシア人の間では、ペンタグラムは光、健康、生命の聖なる象徴だった。これはまた第五のエレメント――エーテル――を象徴した。なぜなら、これは四つの低位のエレメンツの騒動から自由だからである。これは均衡とも呼ばれるが、完全数10を二つの均等な値に分割したものから導かれるからである。


 ペンタドは自然の象徴であるが、それは自らで掛けたら、自らに戻るからである。小麦が種から始まり、自然のプロセスを通じて、小麦の種を最生産し、自らの成長を作るようにである。他の数は自らで掛けたら、別の数を生み出すが、5と6のみが自らを掛けたら、同じ数を最後の桁で残している。


 ペンタドは全ての高位と低位の存在を表している。時にはこれはハイエロファント、密儀の祭司を表しているが、霊的なエーテルとの関連からである。これにより神秘的な進歩は達成されるのである。ペンタドのキーワードは、和解、交替、結婚、不死、真心、神の摂理、公正である。ペンタドの性質と関連する神々は、パラス、ネメシス、ブバスティア(バスト)、ウェヌス、アンドロギュニア、サイセリア、ユーピテルの使者達である。


 テトラド(エレメンツ)にモナドを足せば、イコール ペンタドである。ピュタゴラス学派は地水火風のエレメンツはエーテルと呼ばれる生命の基礎の形質により充満していると教えていた。そのため、彼らは五芒星、ペンタグラムを生命、健康、相互作用の象徴として選んだ。


 地のエレメントを竜の象徴の下に隠すのは、哲学者らには慣用であった。そして古代の多くの英雄らが竜の元へ行き倒す話がある。ゆえに、彼らは剣(モナド)をもって竜の体(テトラド)を刺す。この形態の結果、ペンタド、霊的な性質の物質の性質への勝利の象徴となる。四大エレメンツは初期の聖書において、エデンの園から流れる四つの川として象徴された。エレメンツそのものはエゼキエルの複合ケルビムの支配下にある。


 ピュタゴラス学派はヘキサド――6――を世界の創造を表す数とした。アレキサンドリアのクレメンスによれば、預言者らや古代の密儀の両方とも同意した。これはピュタゴラス学派からは全ての部分の完成と呼ばれた。この数はオルペウス密儀では特に聖なるものとされ、また運命の三女神、ラケシスと詩の女神タレイアとも関連する。この数は形態の中の形態、宇宙の関節、魂の創造者とも呼ばれた。


 ギリシア人において、ハーモニーと魂は似た性質を持つと考えられた。全ての魂はハーモニックだからである。ヘキサドはまた結婚の象徴とされたが、これは男性原理と女性原理の二つの三角形の組み合わせで構成されるからである。ヘキサドに与えられたキーワードは以下である。期間の単位なので時間、健康は均衡から来るので万能薬、そしてヘキサドはバランスの数である。世界、ヘキサドと同じく、これは二つの対立するものの調和から来るから。全能の充分性、この部分(3+2+1 = 6)は全面性に充分だから。無疲労、これは不死のエレメンツを含んでいるから。


 ピュタゴラス学派には、ヘプタド――7――は、「崇拝される価値あるもの」と呼ばれていた。これは宗教の数と呼ばれてきた。なぜなら、人は供犠を捧げるに適切な七つの天の霊らに支配されているからである。これは生命の数とも呼ばれているが、母体に七ヶ月いた者は通常生きるが、八ヶ月いた者はしばしば死産になると信じられていたからである。ある著者はこの数を母無き処女ミネルウァと呼んだが、それはこれは母から産まれずに、代わりに父モナドの頭頂か頭から産まれたからである。ヘプタドで表される神々は、アイギス、オシリス、マールス、クレイオー(詩の女神の一柱)。


 多くの古代の国々で、ヘプタドは聖なる数だった。ユダヤのエロヒム(神々)は、七の数があったとされている。彼らは夜明けの霊らで、より一般的には諸惑星を支配する大天使らとして知られている。七つの大天使らに、太陽の三面を支配する三つの霊を加えたら、聖なるピュタゴラスのデカド、10を形成する。1から4へと四行の点で構成される神秘的なピュタゴラスのテトラクティスは、創造の段階の象徴だった。自然の万物はデカド10を通じて再生されるという偉大なピュタゴラスの真理は、両手の指の10本を統一させ取っ手に影響させるのを通じて、微細な形でフリーメイソンリーにより保持されてきた。


 3の数(霊、精神、魂)は4(世界)へと降りて、その合計は7の数、3つの霊的な体と4つの物質的な形態の人の神秘的な自然となる。これらは六つの表面と内部の神秘的な点の立方体によって象徴された。六つの表面は、北、東、南、西、上、下の方向があった。あるいは、前、後ろ、右、左、上、下。あるいは、地、水、火、風、霊、物質である。これらの中心に人が立った姿の1がある。この立体の中心から、六つのピラミッドを放出する。ここから、偉大なオカルトの格言が来る。「中心は、方向、次元、距離の父である。」


 ヘプタドは法の数である。なぜなら、宇宙の法の創造主、御座の前の七つの霊らの数だからである。


 オグドアド――8――は、聖なる数とされた。なぜなら、これは八つの角があるので立方体の数であり、10以下では最大の偶数的偶数の数(1-2-4-8-4-2-1)だった。よって、この8は二つの4に分けられ、それぞれの4も二つの2に分けられ、それぞれの2も二つの1に分けられる。それによりモナドは再構成される。オグドアドに関するキーワードは、愛、助言、分別、法、快適さである。この性質のある神々は、パナルモニア、レア、キュベレー、カドマエア、ディンディメネー、オルキア、ネプトゥーヌス、テミス、エウテルペー(詩の女神の一柱)。


 オグドアドはギリシアのエウレシス密儀とカベイロス密儀と関連する神秘的な数である。これは小聖数と呼ばれ、部分的にはヘルメースのカードゥーケウスの絡みつく蛇から、また別の部分的には天体の蛇のような動きからもたらされた。おそらくはまた、月の白道からもであろう。


 エネアド――9――は、奇数の最初の平方数である(3 x 3)。この数は失敗と不足と関連づけられているが、それは完全数10に1つ足りないからである。これは人の数とも呼ばれるが、それは人の胎内での9ヶ月からである。このキーワードは、大洋、地平線、古代人らにはこれらは限界が無いように思えたからである。エネアドは限界無き数とされたが、それはこの数を超えては無限の10以外は何も無いからである。これは境界や限界とも呼ばれたが、それは自らの中に全ての数を集めているからである。風の圏とも呼ばれたが、風が地を覆うように、数の周りを取り囲むからである。この性質に多かれ少なかれ関連する神々や女神は、プロメテウス、ウゥルカーヌス、ユーピテルの妹にして妻ユーノー、パエアン、アグライア、トリトゲニア、クレテス、ペルセポネー、ヒュペリーオーン、テルプシコラー(詩の女神の一柱)。


 9は悪の数とされた。なぜなら、これは6の逆さまだからである。エレウシス密儀によれば、意識が誕生するために通過する圏とされた。その精子との形の類似性から、9は胚種と関連づけられた。


 デカド――10――は、ピュタゴラス学派からは、全ての数で最大のものとされた。これはテトラクティス(10の点)だからのみならず、全ての算術的、調和的比例を含んでいるからである。ピュタゴラスは10は数の自然と呼んだ。なぜなら、全ての国がこれを計算し、彼らがここに到達したら、モナドに戻るからである。デカドは天と世界の両方で呼ばれた。前者は後者を含むからである。完全数として、デカドはピュタゴラス学派から年齢、力、信仰、必要性、記憶力と関連する事柄に当てはめられた。これはまた、疲れない数とも呼ばれた。神に似て、これは疲れ知らずだからである。ピュタゴラス学派は諸天体を10の秩序に分割した。彼らはまたデカドは全ての数を完全にし、その内側に奇数と偶然、動くものと不動のもの、善と病んだものの全てを含むと述べた。彼らはこれを以下の神々と関連づけた。アトラス(その肩に数を抱えているから)、ウーラニアー、ムネーモシュネー、太陽、パーン、一者の神。


 デカド系は、人々が指で数える慣習の時代まで遡れる可能性が高い。これらは最も原始的な計算道具であり、現在でも多くの原住民が使っている。


古今の秘密の教え 象徴主義における人体
↑ 古今の秘密の教え