薔薇十字団の信条

ページ名:薔薇十字団の信条

ヨーロッパの学者らへ向けた薔薇十字友愛団の信条


(ウェイト注)この「薔薇十字団の名声」に続く、高名なトーマス ヴォーン(エウゲニウス ピラレテス)が認めた、この版の声明書の翻訳は冗長で不注意が目立つ。これはラテン語の原典からではなく、後のドイツ語版から訳されたものである。英国の薔薇十字文献の遺品として、私はこれを保存したく思い、全般的に改訂を行い、その結果、全ての実践的目的のためには充分に原典に忠実なものとなった。この「友愛団の信条」は1615年頃に「Secretioris Philosophiæ Consideratio Brevio à Philippo à Gabella, Philosophiæ studioso, conscripta; et nunc primum unà cum Confessione Fraternitatis R. C.」という題名のラテン語版で現れた。これにはまた、以下の宣伝も付属していた。


「ここにて、親愛なる読者よ、我々の目的と意図の37の理由からの信条を含んだ内容を見つけるであろう。これにて汝の好みに応じて、汝は調べ、お互いに比較し、汝がこれらに充分に魅力を感じるならば、汝自身で考えてみよ。まことに、本書は誰にせよまだ現実化していないものを信じさせるために強制したりはしない。だが、これら全てが完全に燃え上がり明らかになった日には、我々はそのような疑問を持った事に恥じ入るであろう。そして我々は今、確実に教皇を反キリストと呼ぼう*1。彼はあらゆる場所で死刑に値する人物だったので、それゆえ我々が秘密にしていることにより、確実に未来において神の怒りの声が彼に落ちるだろうと知るのである。そして読者よ、我々は心の底からそれらが速やかに来るのを望むのである。

兄弟 R.C.」



ヨーロッパの学者らへ向けた薔薇十字友愛団の信条


第一章


 死すべき定めの者よ、我々の友愛団について「薔薇十字団の名声」のトランペットの音により何を汝が聞いたにせよ、速やかに軽信しようとしたり、逆に勝手に疑ったりするなかれ。イェホヴァの神こそは世界が腐敗へと落ち、その終わりに近いかを見る者であり、その始まりの時へと速め、自然の流れを逆転させ、これまで準備してきたものを、考えもしない者らに示し、望む者に与え、望まぬ者に突き出し、良き者には人生の艱難は避けられ、予想もしない不運の暴力を破ろうが、悪しき者は彼らの罪と罰が増大されよう。


 我々は「名声」で充分に我々自身について汝らに明らかにしたと信じている。我が団の性質、そこで我々が従う最も偉大な父の遺言、それらは異端ではなく、社会に対して何ら損害も与えないこと、我々は東と西の者(これは教皇とムハンマドを意味する)を、我らが主イエス キリストへの神聖冒涜の罪に対して非難していること、(神聖)ローマ帝国の主要な頭らに、我々の祈り、秘密、大いなる金の宝を提供することなどである。だが我々は、「名声」の中でより深く隠されて闇の中に沈んでいるものがあれば、あるいは我々の特別な理由から、述べなかった事もあれば、学者らにさらに加えたより良い説明をするのも良いと考えていた。それにより、学者らはより我々に熱中し、我々の提案を容易に受け入れられるだろうと期待している。


第二章


 学問の改善について、我々は(現在において必要な限りにおいて)公言する。現在のものは弱く不完全であり、多くの者は(私はどうやってかは知らないが)学問は健全で強いと主張するが、我々の目にはそれは最後の吐息を漏らしている。


 だが病が広まった場所では、それに対する薬が見つけられるように、学問の多くの病が広がる中でも、正しい方法が現れ、我らが祖国に充分に与えられ、それにより再び学問は健全となり、新しい刷新が、刷新された世界に現れよう。


 我々が持つ学問は、才能、学、術全ての頭で、(我々の時代を見ると)多くの神学と医学はあるが、法学はわずかのみである。天と地を優れた解析とともに研究し、それらは簡潔に語り、それらは人の小宇宙に充分に現れる。充分な数の学者らが我々の友愛団に招かれたら、彼らは信じがたいまでに偉大な驚異を見る事だろう。


第三章


 ここでは我々の意義について簡潔に述べよう。我々の挑戦で汝らが驚かないよう、我々は慎重に語るよう努める。そのような秘密は我々は軽々しくは考えず、一般大衆に我々の考えを広めようとも思わない。彼らが考えるのは愚かしいことばかりだからである。我々の予想外の恩恵により、人々が混乱し圧倒されると考えるのは不合理ではない。彼らは第六の時代の驚異について(まだ)知らず、現在の影響により、未来も現在と変わらないと予測し、これらの時代の障害により目を曇らされ、正午の光の中で盲目な生活をし、感覚から何も区別がつかないようなものである。


第四章


 次には、第一の部分に関してであるが、我々は万物への我々の父クリスティアンの黙想を保有する。それらは創造の時から人間の発明の才により発明され、もたらされ、増やされてきた。それらは神の啓示を通じてや、天使らや霊らの助けによったり、賢者の理解や、長い観察の結果によるもので、大いに力のあるものであり、たとえ神の全能の力により全ての書が滅び、学者らが消え去っても、後世の者らは諸学の新しい基盤がここから生まれ、真理の要塞を建てられよう。それらはおそらくは、さほど難しくないだろう。あたかも、古くくたびれた建物を破壊し、地面をまず広げて、それから部屋を作っていき、扉、重要な部分、他の部分を直観に従って作っていくようなものである。


 それゆえ、新入りは我々の深遠な秘密全てを一度に学ぶと予想すべきではない。彼らは少しずつ小さなものから大きなものへと学んでいき、難行から途方に暮れるようにすべきではない。


 唯一の真理を得られずに、かくも多くの書や迷宮を求める中、六枝の燭台を我々の内に灯すのは神の喜びではなかろうか?*2 そこに恐れも飢えも貧しさも病も老衰も無いなら? 汝が世界の始まりから終わりまで生き続けるのは素晴らしい事ではないか? 一つの場所に住んでても、ガンジス川を越えた場所の人々が何も汝から隠せず、ペルーに住む人々が秘密の相談を汝から隠せないならば? 一冊の本のみを読めば、世界のこれまでの、そしてこれからの全ての書を識別し、理解し、記憶し、学者となれるならば? 石ではなく真珠を引き寄せ、野獣の霊らや冥府の神プルートーではなく、汝が世界の力ある君主らを和らげられるなら、唄い踊れるのではないか? 死すべき定めの者よ、神の助言や汝の利益のため、我々はここに、友愛団の数を増やし拡大すると布告する。汝が加わるならば、喜びがあるのを保証する。我々が、価値ない者でありながら、さらに希望も期待も無いのに、この大いなる宝をこれまで得てきたようにである。また、これにより、我々は自らの子供達(我ら友愛団にもいる)に慈悲も哀れみも与えないよう信念を実践へと移せよう。このような良き物は親子相続や無差別な贈与によって得るべきではないと我々は知るからである。


第五章


 ある者らは我々の裁量へ不満があるかもしれない。我々は自らの宝を自由に無差別に提供し、より神に近く、賢明で、高潔な人物を大衆よりも優先していない事を。我々はそれらの批判には何の怒りも感じない(この告発には何の重要性も無いからだ)が我々は確証するのは、我々の奥義を一般人の持ち物にするつもりは無い事だ。たとえ五か国語で大衆の耳に送り届けても、我々が良く知っているのは、彼らは鈍い知恵を働かさないだろうという事と、我々の友愛団への同意は彼らの好奇心ではなく、我々の布告の法則とパターンによるからである。価値無き者らは千回喚くだろうが、彼らは千回自らを差し出すだろうが、神は我らに一切聞き入れるなと命じ、神の雲が神の僕たる我らを取り囲むのだ。暴力は一切我らには行えない。今や、我々は人間の目には、鷹からの鋭い視線を借りない限り、見えなくなる。


 残りの価値ある者らに対しては、「名声」は誰の母国語にも翻訳しなくてはならず、皆が漏れずに知るようにする。彼ら(まだ学んでいないが)を神はこの友愛団の幸福から除外しないようにし、他のアラブ人社会とは大きく違っていたダムカルの住人らのように、階級ごとに分けるであろう。支配者は人間を理解している者がなり、王の許可のもと、特定の法を作る。それらの政府の例もまた、(我々の父クリスティアンの説明に従いつつ)ヨーロッパに設立されなければならない。それらが起きる前に、我々のトランペットが大声で偽りなく鳴り響くであろう。すなわち、今は少数の者が謎めいた闇に沈んで囁いている事が、地上で大っぴらに語られるようになり、教皇の暴君ぶりに対して、多くの敬虔なる秘密の首領らが立ち上がり、臆病な非難の後、彼は大きな暴力、大襲撃とともに、その座から放り出され、何度も床を転げ回るだろう。彼が釘によりバラバラに引き裂かれ、彼のロバの喚き声が最後の唸り声を漏らすのは予約済みである。ドイツの多くの学者らには、これらの徴として既に現実化しつつあり、その目撃人としてこっそりと祝い合っているのを我々は知っている。


第六章


 我々はここで、1378年(我らの父クリスティアンが生まれた年である)から現代までの時代に何が起きたのか、その106年の彼の生涯で世界で何を見てきたか、彼の幸運な最期の後に父祖や我々に何を残してきたかを関連づけ宣言できるだろう。だが、我々はそれを留め、現在において再現するのは許可されていない。我々の宣言を侮らずにいた者らに、団に触れさせ、それにより我々とのより緊密な同一と繋がりの方法を準備するので充分である。世界のメカニズムの中に、諸国の興亡の中に、主なる神が記した偉大な特徴を見て、読み、その後に自らで学習するのを真に許可する。彼自身はまだ知らないが、我々が知るようにである。そして、彼は我々の勧誘を無視しないのを我々は知っている。同様に、我々は全ての欺きを捨てると誓おう。秘密の印の下で我々の友愛団への参加願望を我々が知るようにした者らに、我々はその率直さも希望も欺かれないと約束しよう。だが偽りの者や詐欺師、知恵以外のものを望む者には、我々は本書で公的に、彼らが我々を追跡する事は出来ないと公言しよう。神の意志なくして彼らは我々を知る事は出来ず、彼らは「名声」で述べたような恐ろしい威嚇に巻き込まれるであろう。彼らの不純な策略は彼ら自身の頭へ降りかかり、我々の宝はなおも触れられずにいよう。獅子が起き上がり、彼の正統な権利として、彼の王国を確立するために受け取り用いられるまでである。


第七章


 ここで、死すべき定めの者よ、我々により確立すべき事は、神は世界が終わるまで、それらは現在に続けて起きるが、真理と光と栄光が流れてくると定めている。神の命令は楽園からアダムに就き従い、人の悲惨さを和らげてきた。ここで、全ての偽り、闇、束縛は鎮まったが、少しずつ地球の回転とともに、それらの悪は人の技芸や仕事や政府の中にと入り込み、それらの大半を闇にしてしまった。それにより、数えきれない教派、虚偽、異端が蔓延り、賢者の選択を難しくし、一部分を視るのを哲学者の評判により、別の部分は経験の事実により防げられた。もし(我々が信用するに)ひとたびそれらが取り除かれ、代わりに単独で同一の規則が定められたら、我々はこれまで労苦をしてきた者らに感謝するが、大いなる作業の全体は我々の時代の恵みに帰されなくてはならない。我々はここで多くの高い知者らが書いたものにより、この宗教改革を大きく進ませるだろうと告白する。これらが来ても、我々はこの栄光を自らによってのみ行えたという傲慢さは持つまい。だが、我々は救い主キリストの名によって証言する。早く石を持ち上げ奉仕した者は、神の執行人となるのも適おう。


第八章


 勿論、神はその意志、知恵の証人となる使者を既に送っており、蛇使い座と白鳥座に新たな星が現れたが、それは天の大会議が示す強力な徴であるが、それは巧みな人間が見つける方法であった。あたかも自然の書は誰の目にも見る事が出来るが、ごく少数の者のみが読み理解できるように、神はその隠された知識を示すのである。


 人間の頭に二つの聴覚、二つの視覚、二つの嗅覚が器官あるが、唯一喋る器官があり、耳から喋ったり、目から聞いたりするのを期待しても無駄であるように、何世代においても、一部の者のみが見て、一部の者のみが聞いて、嗅いで、味わってきた。ところで、短く速やかに来るべき栄光の時は、同様に舌に与えられ、先に見て、聴いて、感じたものが、最終的に語られよう。だがその前に世界から毒で麻痺させる杯の酩酊を薙ぎ払わねばならぬ。そして、開かれた心、帽子を被らずに裸足の者は、新時代の日の出を陽気に喜びながら出会うであろう。


第九章


 神が聖書のあちこちで示す文字は、最も明らかな天と地と全ての獣の創造の驚異的な働きをそれらに含んでいる。数学者らが日食を予測するように、我々は教会の暗黒化と、どれだけ長くこれらが残るかを予知する。これらの神の言葉から我々の魔術の書が導かれ、また我々の新しい言語も作られており、それらには物事の自然が表現される。そのため、我々が別の言語にそれほど巧みで無いのも驚く事ではない。それらの中でもラテン語は最も上手くないが、それは我々がこの言語がアダムやエノクのものとは同意しないもので、バベル*3の混乱により汚されたものであるのを知っているからである*4


第十章


 また無視してはならないのが、我々への道に我らが目的を阻む鷲の羽根があるが、我々は単独で熱心に継続しての聖書の学習をするのを熱心に勧める。全ての喜びをその中に取る者は、自らが我らの友愛団へと向かう素晴らしい道であるのを知るであろう。これは我々の法の完全な集成だからである。聖書に書かれていない世界の大いなる奇跡は一文字も無いからであり、聖書を自らの生きる指針、彼らの学習の目的、世界の要約とする者は我々に最も近く似ている者である。我々は彼らにただ言葉としてのみならず、その真の解釈により自らの行動も世界のあらゆる時代で修正するのを望みたい。我々は神託について議論する習慣は無い。ある者らはその説明者で、ある者らはその集団の意見に忠実であり、ある者らはあたかも神学者、哲学者、博士、数学者らが蝋のタブレットを無造作に用いるように、聖書をからかっている。世界の始まりより、人に聖書以上に貴重な書は与えられなかったと我々は証言する。恵みある者は、聖書を持つ者であり、読む者であり、最も恵みある者はそれを理解する者であり、神から最も愛されるのは、それを理解し、従う者である。


第十一章


 次に、「名声」に対して様々に言われてきたが、詐欺師と憎まれたり、金属の変容と世界の至高薬に対して反対されたりしたが、我々が理解してもらいたいのは、この神からの偉大な贈り物を我々は無価値なものに用いず、自然の知識のみを得るのみならず、この知識は他の自然の無限の奇跡をももたらした。我々は正しく熱心に哲学の知識を得ようとし、自然の観察よりも金属の変容への機智を早く得ようと誘惑はされなかった。彼は貧しさや病を他者に与えるのを望んではならず、危険を与えず、全ての人間の上に立つ者として、怒りや苦しみ、痛みを他者へ与えないようにし、自らに無益なものを建てたりせず、戦争を起こさず、威張らないようにする。なぜなら、彼は尽きぬ泉の銀と充分な金を持つからである。さもなければ神の裁きは降りていよう。神は貧しき者らを上げ、奢れる者を忘却へ投げ込む。沈黙する者には神は天使らを対話のために送り、お喋り者は荒野へと放り出す。これはローマの詐欺師*5がキリストに対して口にした冒涜の言葉への神の裁きである。やがて完全な光のもと、ドイツは彼の洞窟や地下通路を見つけ、彼がそこに隠れるのを防ぎ、そこで彼は自らの罪を測られ、斧で叩き切られるであろう。ゆえに、いずれこの毒蛇の口は止められ、教皇の三重冠は無と帰すであろう。それらは我々が共同するならば、より早く起きるであろう。


第十二章


 この信条の結論として、我々は汝に熱心に忠告する。汝は偽化学の価値無き書*6を持っていたら、放り出すのだ。それは最も聖なる三位一体を空しい事柄へと当てはめる冗談だからだ。あるいは人を怪物的な象徴や謎で欺いたり、軽々しく信じる者の好奇心を商売のタネにしているものである。我々の時代には、最も偉大な役者のものや、ペテンのための充分な才能のある者の悪書が満ちていている。そのような人間の幸福の敵は、良き種と混ぜられ、それによって真理を信じるのをより難しくしている。真理は裸でシンプルであるが、偽物は自慢気で傲慢で神や人間の知恵がある者と見られる欲望で塗られている。そのような書は避けるのが賢明で、我々に頼るなら、汝の金を取ろうとはせず、我々の偉大な宝を喜んで提供するだろう。我々は嘘のチンキの発明で汝の持ち物を探し求めたりはせず、我々の持ち物を分け与えたいと望むのだ。我々は例え話を拒否しないが、汝に全ての秘密の明白でシンプルな説明をする。我々は汝の下へと向かうのを求めず、汝を我々のより温和な家と宮殿へと招待したい。我々は自らは動かないが(汝は以下は知らないようにしたい)、我々の偉大な父の遺言から、そして現在でも我々によって駆られる、神の霊の力によって運ぶであろう。


第十三章


 ゆえに、死すべき定めの者よ、我々が求めるものは、キリストへの誠実な告白、教皇を呪い、真の哲学へと我々を熱中させ、価値ある生へと導き、日々懇願し、更に神の同じ光が照らされる多くの者を我が友愛団へと招待する事である。汝自身の中にある富を考え、神の御言葉をどれだけ理解しているか測り、全ての技芸の不完全さと矛盾について熟考しなかったか? 汝は未来において我々ととともに、これらの治療について考え、神の作業に共に動き、汝の時代の制定に仕えないか? これらの作業には利益も伴おう。自然が地上のあらゆる場所に分散させた全ての物は、太陽と月の中心として、集まって汝に与えられよう。それから汝は世界から無益な(天文学的な)周転円や偏心円のような人間知識を闇にし、行動を隠すものを追い払えよう。


第十四章


 汝が好奇心で動くような者や、金の輝きに目を晦ましている者や、今は正直でも、予想外の富により柔和で怠惰で贅沢で横柄な生活へと腐敗する者は、我々の聖なる学を汝が喚くことで乱さないで頂きたい。考えてみよ、全ての病を癒す薬はあるが、神が罰するのを望む者に、そのような薬を与える機会で扇動すべきでない。我々が世界全体を豊かにし、教え、数えきれない苦難から解放できたとしても、神がそれを許すまで、我々は行うわけにはいかない。また神の意志に反して我々の富を共に分けてもらおうと考える者は、我々を発見して幸福になるよりも先に、自らの命をすぐに失うであろう。


FRATERNITAS R.C.(薔薇十字友愛団)



化学の結婚
↑ 薔薇十字団


*1 著者アンドレーエはルター派神学者なので、敵のカトリックのローマ教皇は大罪人扱いである。
*2 ここでアンドレーエはメンバーの勧誘を行い始める。薔薇十字団に入ったら、これだけいろいろ御利益がありますよ、と列挙する。
*3 ウェイト注 原典では、バビロンと混同している。
*4 アンドレーエは、自分がドイツ語以外の外国語で書くのが上手くない言い訳をしているが、あまり説得力のない話である。
*5 ローマ教皇のこと。
*6 錬金術の象徴絵の書の事を言っているようである。