古今の秘密の教え ヨハネの黙示録の密儀

ページ名:古今の秘密の教え ヨハネの黙示録の密儀

ヨハネの黙示録の密儀


 エペソスのディアーナ神殿の存在は、この街を密儀宗教の聖都とした。この神殿は深遠な知識の貯蔵庫として古代世界の七不思議の一つにも数えられた。エペソスについて、H.P.ブラヴァツキー夫人は記す。


「ここは、普遍的な『秘密の』教義の要点だった。その奇妙な図書館には、優雅なギリシアの用語に満たされ、たまに仏教、ゾロアスター教、カルデア哲学の精髄もあった。アルテミス女神、神智学的多神教の抽象の巨大にして強固な象徴、多数の胸を持つ太母、両性具有者にして「エペソスの諸書」の保護者は聖パウロに征服された。この狂信者から改宗した使徒は全ての「興味深い術」の書を焼き払ったが、この最初の熱狂が冷めた後に人々が学べるだけの充分な書は残された。」(「ヴェールを剥がれたイシス」参照)


 多神教の学習の大きな中心であったので、エペソスは多くの初期ギリスト教神話の場所であった。この町は聖母マリアの最後の住居だったと主張されている。また、聖ヨハネの墓もここにある。伝説によれば聖ヨハネは通常の方法により死去せずに、自らの地下墓を選び、生きているうちに入って、入り口を自ら閉じ、普通の人間の目から永遠に消えたという。古代エペソスで流れた噂では、聖ヨハネは救い主の帰還まで墓で眠り続け、その時には使徒は自らの墓の休み場をベッドの上掛けのように地上へと持ち上げるという。


 新約聖書に含まれている諸書でこれ以上に批評されている物は無いのは、ヨハネの黙示録――多くの者が使徒聖ヨハネが書いたと考える――であり、これは最も重要でありながら最も理解されていないグノーシス派キリスト教の書である。殉教者ユスティヌスは黙示録の書を「キリストの使徒の一人ヨハネ」が書いたと述べているが、キリストの死後2世紀ですでにその著者は議論の的になっていた。3世紀には、この論争は激しくなり、アレキサンドリアのディオニュシオスやエウセビオスすら聖ヨハネ著者説を攻撃し、ヨハネの黙示録もヨハネによる福音書の両方とも1世紀に自らの教義をこっそりとキリスト教に含ませるために、偉大な使徒の名前を借りた何者かにより書かれたとする。後にヒエロニムスが黙示録の著者に疑問を抱き、宗教改革の時代にルターやエラスムスによって、彼の異議は蘇った。かつてはヨハネの黙示録の書は、パトモス島へ島流しにされた使徒聖ヨハネが見た「神秘体験」の実際の記録と一般的に受け入れられていたが、現在ではより批判的な学者らによって、この説は分が悪くなっている。それゆえ、他の解釈者らは、この書に浸透する象徴主義に関してと、その著者の元の意図について研究している。より理性的なこれらの仮説は、以下の様に要約されよう。


 第一の仮説は、黙示録の書の内容自身による多くの証拠が示唆しているのは、この書は多神教の書――エレウシス儀礼かピュタゴラス密儀の聖典の一つと明らかに同等である。結論として、この書の真の著者はエジプトとギリシアの神秘主義に精通しており、彼自身が秘儀参入者である可能性が高く、結果として密儀の象徴的言語によってのみ書くよう努めている。


 第二の説は、黙示録の書は初期キリスト教徒と多神教宗教哲学者らの不和を解消するために書かれた可能性がある。原始キリスト教会の狂信者らが多神教をキリスト教化しようと努め、多神教の秘儀参入者らがキリスト教を多神教化させようと激しく努めつつ言い返した。キリスト教徒らは失敗し、多神教徒らは成功した。多神教の衰退の中、秘儀参入を受けた多神教の高祭司らは自らの作業の基盤を、この原始キリスト教の新しい乗り物に移し、この新興カルトの象徴の中に、賢者らの永遠の真理を隠した。黙示録が明らかに示すのは、多神教とキリスト教の象徴主義の融合の結果であり、よって原始キリスト教の中で秘儀参入を受けた精神が活動していた疑いない証拠を生み出している。


 第三の説はさらに過激で、黙示録の書はある俗悪な宗教結社のメンバーらが、その哲学を風刺する事によりキリスト教密儀を徐々に弱らせる試みを表す。何度もキリスト教をコケにして、その自らの象徴を軽蔑へと向けさせる事によって、彼らはこの新興宗教が古代多神教教義のただの言い換えだと示す事でこの悪行の目的が得られると望んだ。例えば、地へと落ちる星(黙示録 第8章10-11節)はベツレヘムの星*1と対称し、この星の苦さ(苦よもぎと呼び、それにより人類に毒を与える)はキリスト教会の「偽り」の教えを意味するなどである。この説はそこそこ人気があるが、黙示録の内容の深淵さから、洞察力のある読者はこの三つの仮説のうちで最も可能性が低いと疑いなく結論付けるだろう。その象徴主義を見抜くことが出来る者には、この文書の啓明された源から、それ以上の裏付ける証拠は不要であろう。


 最後の分析は、真の哲学は信条にも派閥にも制限されない。事実、人間の思考のあらゆる人工的な制約にもそれは両立しない。結果として、黙示録の書が多神教とキリスト教のどちらが起源かは大した問題ではない。この書の本質的な価値は、普遍的密儀の華麗な縮図の中に横たわっている。この書を熟読した聖ヒエロニムスは、この書は七つの完全に違った解釈が出来ると述べた。古代の思考を洞察するよう訓練されていない現代の神学者らは黙示録の複雑性を掴むことが出来ず、この神秘家の書は神の直観の幻影としてしか解釈できずにいる。ここでの限られたスペースでは、パトモス島の預言者の幻視の少数の顕著な特徴について、わずかに簡潔な描写をするのみが可能である。読者は様々な多神教密儀を慎重に考慮する事により、これらの解釈の助けとなり、この要約の行間を満たすことが出来よう。


 黙示録の序章で、聖ヨハネはアルファとオメガと名乗る者が七つの金の燭台の真ん中に立っていると記している。彼の周囲には燃える惑星的な摂政らが取り囲み、よってこの崇高な者は人間の進化的な成長――過去、現在、未来――の全体を清める印象的で神秘的な人物の典型である。


 ルドルフ シュタイナー博士は記す。「人類の初期の進化の最初の諸段階において、地がなおも『火的』な時にその軌道を走っていた。そして最初の人間の化身は火のエレメントにより作られていた。地上の生活の終わりに、火エレメントの力により人は内なる存在を外側へ創造的に放出する。この最初から最後までの地上の進化は『予言者』がアストラル界に人の進化のアーキタイプを見る時に明らかにする。(中略)地の進化は火の足から始まり、火の顔つきで終わり、『創造の御言葉』の完全な力は最終的に勝利し、口から放たれる火の源の中に見られる。」(「秘められた印と柱」を参照)


神と子羊の玉座

ヤーコプ ベーメの書より


 神の御座の前には、シャマイム、天の上にある生ける水として表される水晶の海がある。御座の前にはまた4体の生き物――雄牛、獅子、鷲、人がいる。これらは創造された世界の四隅を表し、これらの体中にある無数の目は、天空の星々である。24人の長老らは大エレウシス儀礼のケレス女神像に集まった祭司らであり、またペルシアでの24時間の精霊、神々である。彼らは王冠を投げ出して、聖なる御方を賛美する。時の分割の象徴として、長老たちは中心にある時間の無き永遠の霊を崇める。


 彼の復元した新約聖書で、ジェームズ モルガン プライスはアルファとオメガの様々な部分を古代の七つの聖なる惑星と関連づけている。引用すると、


「このロゴス(御言葉)の人物の姿は、七つの聖なる惑星で組み合わされている。彼はクロノス神(時の父)の雪の様に白い髪、「広く眺める」ゼウス神の燃える目、弓状の剣、ヘリオス神の輝ける顔、アプロディーテ女神のヒザラガイと腰ひもを持つ。彼の足は水銀、ヘルメース神の聖なる金属で、その声は海の轟きの様(多くの波)で、波と季節の月の女神セレネ神を連想させる。」


 この計り知れない存在が右手で運ぶ七つの星は、世界の支配者達である。彼の口から放たれる燃える剣は創造の命令、あるいは力の言葉であり、それにより物質の永遠性の幻影は殺される。ここでまた表されているのは、その象徴的な光輝により、ピュタゴラス密儀の高祭司でもあり、神の属性の様々な象徴である。ランプを運ぶ七人の祭司らは彼の随行であり、彼の手で運ぶ七つの星は彼が支配する密儀の七学派である。霊的な闇から完全な知恵へと再び生まれたので、この大魔術師は言う。「私は生きている者であり死んだ者である。そして見よ、私は世々限りなく生きている、アーメン。そして地獄と死の鍵を持っている。」


 第二、三章で聖ヨハネは「アジアにある七つの教会」へアルファとオメガから受け取った命令を伝える。ここでの教会はミトラの梯子の七つの格の類似である。そしてヨハネは「霊が中に入り」、七つの聖なる惑星を上昇していき、最高天の内なる表面へと到達する。


 「人類:その起源と宿命」の匿名の著者は記す。「この預言者の魂は恍惚状態に入り、七つの圏を通り抜け、月の圏から土星へと向かう。あるいは巨蟹宮の人の門から磨羯宮の神々の門を通って、最高天への新たな門が彼の前で開き、黄道へと到達する。そこからは七つの惑星が回るのが見え、古代人はこの天空を水晶天と呼んだ。」


 形而上学の東洋の体系との関連では、これらの七つの教会は七つのチャクラ、脊柱の神経節を表している。「天国への扉」ブラフマランドラ、頭蓋骨(ゴルゴタ)の頭頂を通じて、脊髄の霊の火は解放へと進む。エペソスの教会はムーラーダーラ、仙骨神経節と関連し、他の諸教会は黙示録で記された順番でより高い神経節と関連している。シュタイナー博士は七つの教会とアーリア人種の七民族との関連も見つけた。エペソスの教会はインドアーリア人を表し、スミルナの教会はペルシアアーリア人、ペルガモンの教会はカルデア・エジプト・セム系人で、テアテラの教会はギリシア・ラテン・ローマ人で、サルディスの教会はチュートン・アングロサクソン人で、フィラデルフィアの教会はスラブ人で、ラオデキアの教会はマニ教徒である。七つの教会はまたギリシア語の七母音を意味し、アルファとオメガはその最初と最後である。違った意見が存在するのが、七つの惑星との関連である。ある者らは、最初の土星がエペソスの教会と関連しているとするが、この街は月の女神の聖都とされており、また月の圏を地上より上の第一とする事も可能であり、魂は自然と月から土星へと上昇し、そこから最高天の扉へと向かう。


 第四と第五章で聖ヨハネは神の御座とそこに座る聖なる者「昔いまし、今いまし、やがて来るべき者」を描写する。御座の周りには二十四の小さな座があり、そこに白い衣を着て黄金の冠をかぶった二十四人の長老らが座る。「そして御座より稲妻と、もろもろの声と、雷鳴とが発していた。また、七つの灯火が、御座の前で燃えていた。これらは神の七つの霊である。」御座に座る者の右手には巻物があり、それは天と地の中で誰も開ける価値の無い七つの封印で閉じられていた。そして、生贄として殺された子羊(白羊宮、黄道十二宮の第一にして首領)が現れ、それは七つの角(光線)と七つの目(光)があった。子羊は御座に座る方の右手から書を取り、四体の獣らと全ての長老らは跪き、神と子羊を崇拝した。初期数世紀のキリスト教会では子羊は通常キリストの象徴として認められていた。第五次コンスタンティノープル公会議(西暦692年)でキリストの象徴は、神の子羊アグルス デイから十字架に架けられた男の姿と変えられた。この主題についての研究家の一人が記すに、子羊を用いる事は、キリスト教のペルシア起源を示している。古代においてペルシア人は黄道の最初のサインを羊としていた唯一の民だからである。


 古代の多神教徒らに子羊は罪の生贄として使われていたので、初期のキリスト教神秘主義者らはこの動物を世界の贖罪のために生贄とされたキリストに相応しい象徴と見做していた。ギリシア人とエジプト人らは子羊や雄羊を崇拝し、その角を彼らの神々の額に付けていた。スカンジナビアの神トールは雄羊の二つの角で造られたハンマーを持っていた。雄羊よりも子羊の方が好まれたが、明らかにそれは純粋さと温和さからである。また創造主自身が白羊宮で象徴されていたので、その息子は結果として小さな雄羊あるいは子羊となる。フリーメイソンが体に着ける羊皮紙のエプロンはテュポーンやユダを表し、真の霊性の前提条件である生殖のプロセスを表した。子羊の類推は純化された志願者を意味し、その七つの角は啓明された理性の要素を表し、その七つの目はチャクラか完成された感覚器官を表す。


ヨハネの黙示録の密儀からのエピソード

クラウバーの旧約と新約聖書の歴史より


 前景の中心に、聖ヨハネが七つの光の中央に立ち、火のオーロラと煙で囲まれたアルファとオメガに跪いている。その上の天では二十四人の長老らが古き御方の御座の前で竪琴やつり香炉を捧げている。御座の方の右手から子羊が七つの封印がされた巻物を受け取る。神の七つの霊は杯の形となり、そこから炎の舌が放たれ、御座の御方の頭の周囲にあり、さらに四匹の獣(ケルビム)らが御座へ向かって跪く。左上では、七人の天使らがトランペットを鳴らし、また神の祭壇と香炉を持つ天使がいる。右上は風の霊らであり、その下には乙女が太陽を纏い、その翼が彼女を荒野へと運ぶ。彼女の右には神の霊らが悪しき蛇を底なしの穴へと投げ込む。左下では聖ヨハネは足が火の柱でその顔は輝く太陽の天使から巻物を受け取り、これを食べたら霊的な生の密儀を理解できるだろうと語られる。


 この絵にはまた他のエピソードの象徴もいくつか含まれており、その中には世界の破滅や神の御座から流れる水晶の海などがある。そのような象徴的な概念を儀式やドラマ化する事で、ピュタゴラス密儀の秘密は永続化された。これら聖なる式典が全ての人類に無差別に明かされ、人の魂それぞれが哲学的な生の聖なる儀式の秘儀参入者へと定められたら、人類に限りない恩恵は与えられるだろう。だが、それらは人々がより成熟し、霊の密儀に対してより繊細にならない限り、その真価は理解できないだろう。


 第六と七章では、子羊が持つ巻物の七つの封印が解かれる。第一の封印が解かれたら、王冠をかぶり弓を持ち白い馬に乗った騎士が現れる。第二の封印が解かれたら、大剣を持ち赤い馬に乗った騎士が現れる。そして第三の封印が解かれたら、片手に天秤を持ち黒い馬に乗った騎士が現れる。第四の封印が解かれたら、青白い馬に乗った死神の騎士が現れ、地獄がそれに続く。この四人の黙示録の騎士らは人間の生の四つの期間と解釈されよう。誕生は征服する白い馬の騎士により表わされ、若者の熱烈さは世界から平和を奪う赤い馬の騎士であり、成熟はあらゆる物を理性の天秤によって測る黒い馬の騎士であり、死は地上の四分の一の命を奪う力を与えられた青白い馬の騎士である。東洋哲学において、これらの騎士らは世界の四つのユガ、時代を表す。それぞれの変化の時に、新たな創造の支配者の時期となる。


 聖クリュソストモスの二十四の訓戒のコメントで、「全ての宗教崇拝の起源」の著者ドゥプイスが記しているのは、四大エレメンツそれぞれは「エレメントを定めた」神の名を持つ馬により表わされていた。第一の馬は火を表し、ユーピテルと呼ばれ、エレメンツの位階の最高の場所を占める。この馬には翼があり、非常に早く、最大の円で示され、全ての他のものを取り囲む。純粋な光で輝き、その体は太陽、月、星々、エーテルの領域にある全ての体の像である。第二の馬は風を表し、ユーノーと呼ばれ、ユーピテルの馬よりも劣っていて、より小さな円で表される。その色は黒いが、太陽に照らされた部分は輝く。これは風の昼間と夜の状態を意味する。第三の馬は水のエレメントを象徴し、ネプトゥーヌスに捧げられている。これは重い足取りで、非常に小さな円で表わされる。第四の馬は地の固定されたエレメントを表し、不動でくつわをがちゃがちゃと噛む、ウェスタの馬である。その気質の違いにも関わらず、これらの四頭の馬は共に調和されて生活し、それは世界はそのエレメンツの共同と調和によって保持されると告げた哲学者らの諸原理に従っている。だが時には、ユーピテルの馬が地の馬のたてがみを燃やし、ネプトゥーヌスの稲妻の馬も汗で覆われて、ウェスタの不動の馬に流れ込み、デウカリオーンの洪水となった。最後にはユーピテルの火の馬が休息をし、三つの劣ったエレメンツ――火のエーテルの再吸収により浄化され――は再生し、「新しい天と新しい地」を構成する。


 第五の封印が解かれると、聖ヨハネは神の御言葉のために死んだ死者らを見た。第六の封印が解かれると、そこで大きな地震があり、太陽は暗くなり、月は血の様になった。風の天使らが来たりて、さらに別の天使が来て、イスラエルの子らの144,000人の額に神の印がなされるまで、恐るべき裁きの日は留まらねばならないと告げた。ピュタゴラス数哲学体系により、この数の桁を足し合わせていけば、144,000は9に減らされる。これは人の神秘的な象徴であり、秘儀参入の数である。密儀の9つの階級を通り抜けた者は、十字架のサインを受け取るが、これは彼自らの地獄の、あるいは低位の束縛からの解放と再生の象徴である。3つのゼロを元の聖数1.44に加えると、第3球の密儀への上昇を示す。


 第七の封印が解かれると、半時間その場に沈黙があり、それからトランペットを持つ7人の天使らが来た。7人の天使らがトランペットを吹く――ロゴスの7文字の名を発すると――大いなる災害が発生する。ニガヨモギと呼ばれる星が天から落ちるが、この意味は古代の秘密教義を与えられた人類がそれを冒涜し、神の知恵が破壊的動者となるようにした。そして別の星も現れ――秘儀参入者の神の理性から区別される人間理性の偽りの光を意味する――天から落ちて、それ(物質主義的理性)は底なしの穴(自然)への鍵を与えられる。それが開かれると、あらゆる悪しき生き物が出てくる原因となった。また雲に包まれた力ある天使が来た。その顔は太陽で、その足は火の柱であり、足の一つは水に、もう一つは地に置かれた(ヘルメース的人智学)。天の存在は聖ヨハネに小さな巻物を与え、彼に食べるよう伝えたので預言者はそうした。この巻物は秘密の教義を表す――この霊的な食べ物は霊を養う。そして聖ヨハネは「霊の中へ」食べ、神の知恵に満たされ、魂の飢えは和らいだ。


 第十二章では天で起きた大いなる驚異を扱う。太陽を纏い、月を踏みつけ、頭に12の星の冠をかぶった女性である。この女性は処女宮の星座やイシス女神を表す。この女神はホルス神を産み、この子は悪しき霊テューポーンを殺すと神々に予言されていたため、テューポーンにより子供のうちに攻撃された。この天の戦いは、ラグナロクの破滅や天使らの堕天とも関連する。この乙女は秘密の教義そのものと解釈されよう。そして彼女の息子は「密儀の子宮から」生まれた秘儀参入者らである。悪しき霊はゆえに、世界を救済するために絶え間なく働く、これらの啓明された魂らの母を殺す事により、人類を支配しようとする大いなる竜を表わす。密儀(乙女)に翼が与えられ、荒野へと逃れる。そして悪しき竜は洪水(偽りの教義)により破壊しようとするが、地(忘却)がそれら偽りの教義を飲み込み、密儀は耐え抜いた。


新しいイェルサレムの聖ヨハネの幻視

クラウバーの旧約と新約聖書の歴史より


 左上にはバビロンの破壊が示される。また大きな岩を海へと投げ込む天使が述べる。「このように大いなる都市バビロンは倒され、二度と見つからなくなるだろう」。その下には忠実にして真実なる者と呼ばれる騎士が、獣を底なしの穴へと投げ込む。右下には、底なしの穴への鍵とサタンを千年の間縛る鎖を持つ天使がいる。その上の天では人の子のようなものが大いなる鎌をもって世界の収穫を刈り取る。中央の聖都、新しいイェルサレムでは、十二の門とそれらの真ん中に子羊の丘がある。子羊の御座より水晶、あるいは生ける水の大川が流れており、これは霊的教義を意味する。この水を見出し飲んだ者は不死を得られる。崖で跪いて聖ヨハネはこの完全な文明の原型である神秘的な街を見下ろす。新しいイェルサレムの上には栄光の太陽が輝き、それは古き御方の御座であり、霊の至上の力に住む光である。その背後には秘儀参入を受けていない世界があり、そこには霊的に選ばれた常に増大する民が集まっている。彼らは一般の死すべき定めの者らと同じように地を歩くが、彼らは別の世界に属しており、そして彼らの絶え間ない努力により、神の王国はゆっくりと、しかし確実に地上に確立する。これらの啓明された魂らは新しいイェルサレムの建築家らで、彼らの体はその壁の生ける石である。真理の灯により照らされ、彼らは作業を続け、彼らの働きにより黄金時代は再び地に復活し、罪と死の力は破壊されよう。この理由から、徳と啓明された者らは、天へと昇るのではなく、天を地そのものの中心へと下して確立するだろうと宣言する。


 第十三章では、七つの頭と十の角を持つ大いなる獣が海から起き上がる様が描写される。フェーバーはこの水陸両生の怪物をデミウルゴス*2、混沌の海から起き上がる世界の創造主と見た。黙示録のほとんどの解釈者らは、ここに記されてる様々な獣の要素を悪の働きの典型として考えているが、その観点はこの書の象徴主義の元である古代教義への無知からの避けられない結果である。天文学的には、海から起き上がる大いなる怪物はケトゥス(クジラ)座である。なぜなら、宗教的禁欲家らはこの宇宙そのものを悪と偽りの世界と見做し、彼らはこの創造主を欺きの紡ぎ手と見做していたからである。よって、大いなる海獣(世界)とその創造主(デミウルゴス)は、その力は宇宙的力の竜からもたらされ、恐怖と破壊の獣の権化として、人の自然の不死の部分を飲み込もうとする。この怪物の七つの頭は北斗七星の七つの星々(霊たち)を表し、それらはヒンドゥー教徒らからはリシ、宇宙的創造の霊らと呼ばれていた。十の角はフェーバーはイスラエルの十の初期の族長らと関連すると考えている。また、古代の十のサインの黄道とも関連しよう。


 獣の数(666)は、新約聖書と原始キリスト教神秘主義の中でカバラが使われる興味深い例である。以下の図は、キルヒャーによる聖イレネオが与えた反キリストの諸名と、その数値である。


 ティターン Τ(300)ε(5)ι(10)τ(300)α(1)ν(50) = 666
 太陽神の娘ランペティス Λ(30)α(1)μ(40)π(80)ε(5)τ(300)ι(10)ς(200)= 666
 敵対者アンテノス*3 Α(1)ν(50)τ(300)ε(5)μ(40)ο(70)ς(200)= 666
 ラテン人*4 Λ(30)α(1)τ(300)ε(5)ι(10)ν(50)ο(70)ς(200)= 666


 またジェームズ モルガン ブライスは、この計算法によれば、ギリシア語のηφρην、低い精神も666の数値を持つと注記している。またカバリストの間で良く知られているのは、イエス Ιησουςは別の聖なる秘密の数――888の数値を持つ。この数に666の桁を足して、次に桁を加えた合計は聖なる数――9が得られ、これは人の罪深い状態と復活の道の象徴である。


 第十四章では、子羊がシオンの山(東の地平線)に立つ所から始まる。子羊の周囲には神の名が額に書かれた144,000人が集う。そこで天使はバビロン――混乱や世俗の都市の陥落を告げる。ここで世俗を乗り越えられず、霊――肉体ではなく――が不滅だと悟る事が出来なかった者らは滅びる。物質以外に何の関心も持たなかったので、彼らは物質世界とともに滅びるのである。そして聖ヨハネは人の子(ペルセウス)が雲(不可視の世界の形質)の上に立っているのを見る。その手には鋭い鎌があり、それにより輝ける者は地を刈り取る。これは秘儀伝授者の象徴であり、現実の圏に熟れた小麦として象徴される解放の点へと到達した者らの高い自然を解放するのを表す。そして別の天使(うしかい座)――死――が来て、持つ鎌(カルマ)により、地(偽りの光により生きていた者達)の葡萄を刈り取り、これらを神の怒り(煉獄の圏)の葡萄搾りの樽へと投げ込む。


 第十五から第十八章は地に神の怒りの鉢を傾ける七人の天使(プレアデス星団)について記されている。その鉢(宇宙的雄牛の緩められたエネルギー)の中身は七つの最後の災いと呼ばれる。ここでまた「バビロンの大淫婦」と名付けられた象徴的人物が現れ、七つの頭と十の角のある赤い獣の上に座る女として描写される。この女は紫と赤い衣を着て、黄金、宝石、真珠で身を飾り、その手には忌わしさに満ちた黄金の杯を持つ。この人物はおそらく、古代の太母女神のキュベレーやアルテミスの悪口(おそらくは後に時代に改竄されて)の結果であろう。多神教徒らは太母を女性器の原理を通じて崇拝していたので、原始キリスト教徒らから娼婦崇拝として非難されていた。古代のほとんどすべての密儀では、新参者の倫理のテストが含まれており、その誘惑者(動物魂)は多神教の女神として表されていた。


 第十九と二十章では、子羊の婚姻と呼ばれる神秘的な秘跡の準備がなされる。花嫁は新参者の魂であり、自らを己の霊的な源と合一する事により意識の不死を得る。天は再び開いて、聖ヨハネに白い馬と忠実にして真実なる者と呼ばれるその騎士(啓明された精神)を見せる。彼の口から鋭い剣が放たれて、天の軍勢は彼に続く。天界では神秘的なハルマゲドンの戦い――光と闇の最終決戦――が起きる。ペルシア神話のアーリマンの下にある悪の諸力は、アフラ・マズダの下の善の諸力と戦う。悪は駆逐され、獣と偽預言者は火と硫黄の池へと投げ込まれる。サタンは千年の間縛られる。そして最後の審判が続き、生命の書を含めた諸書が開かれる。死者らは生前の働きに応じて審判され、生命の書に書かれていない者らは火の海へと投げ込まれる。新参者にとって、ハルマゲドンは肉と霊との内的葛藤を意味し、最終的に世界を乗り越え、啓明された魂は霊的な自己との合一を果たす。この審判は魂を測るのを意味し、オシリス密儀からもたらされたものである。墓と幻影の海から蘇る死者らは、人間の再生のプロセスの成就が表わされている。秘儀参入の試練に失敗した者らが投げ込まれる火の海は、動物界の火の圏を表している。


 第二十一と二十二章は、アーリマンの統治の終わりに確立される新しい天と新しい地の描画である。聖ヨハネの霊は大きく高い山(脳)へと運ばれ、新しいイェルサレムが花嫁が彼女の夫のために着飾るように降下するのを見る。聖都は再生され完成した世界を表す。メイソンリーではこの聖都を真の切り石と呼ぶが、それはこの都市は「長さも高さも幅も同じ」と記された完全な立方体だからである。聖都の基盤には、144の石が12行で構成され、これは新しいイェルサレムが大宇宙の模倣である小宇宙を表す証拠である。この象徴的十二面体の十二の門は黄道十二宮のサインであり、これらを通じて天の波動は低位の世界へと流れる。都市を飾る宝石は、黄道のサインの宝石であり、透明な黄金の街路は秘儀参入者が太陽へ向けて進む霊的な光の流れである。この街には神殿は無いが、それはそこにいる神と子羊が神殿だからである。また太陽も月も無いが、神と子羊が光だからである。栄光を得て霊化された秘儀参入者はこの聖都として表される。この都市は最終的には神の霊と合一し、神の光輝に吸収されるだろう。


 そして聖ヨハネは子羊の御座から流れ出る生命の水の川を見る。この川は万物の生命であり、全ての創造の原因である最初のロゴスからの流れを表す。ここにはまた、生命の樹(霊)が十二の種類の果実を生んでいる。これらの葉は人々を癒す。この樹はまた年を表し、各月には存在する万物を維持するための善を産み出す。イエスは聖ヨハネに彼は始めであり、ダビデ王の若枝であり、輝く明けの明星(金星)であると告げる。聖ヨハネは「我らが主イエス キリストの恵みが皆さんにありますように。アーメン」という言葉でこの書を閉じる。


黙示録の四人の騎士

ソリスの聖書物語より


 四人の騎士の寓喩は――哲学の密儀に従うならば――人の存在の状態を表す。彼の最初で霊的な状態で彼は王冠をかぶる。そして経験の領域へと降下し、彼は剣を運ぶ。物理的な表現――ここは彼の最小の霊的状態である――に到達し、彼は秤を運ぶ。そして「哲学的な死」により、至高の圏へと再び解放される。古代ローマの戦車競技では、太陽の戦車は違った色の四体の馬により引かれ、黙示録の四騎士らは、四大エレメンツに乗ったこの太陽のエネルギーを表すと解釈されよう。これらのエレメンツはこの太陽のエネルギーの表現の媒体として奉仕するのである。


古今の秘密の教え イスラームの信仰
↑ 古今の秘密の教え


*1 東方の三賢者マギが、この星を追って生まれたばかりのイエスの馬小屋へと到達し、祝福した。
*2 グノーシス派の物質世界の創造主。正統ユダヤ・キリスト教と違い、自分を全能だと思い込んでいる悪しき神としている。真の神は不可視の霊的世界に隠れている。
*3 サタンは敵対者という意味を持つ。
*4 当時キリスト教を弾圧していたローマ帝国のラテン人らが反キリストというのは、そのままの意味である。