古今の秘密の教え 序文 哲学の歴史

ページ名:古今の秘密の教え 序文 哲学の歴史

序文 哲学の歴史


 哲学とは価値を推定する学である。他に対するあらゆる状態や実質の優位性は哲学により決められる。全ての二義的なものを取り除いた時に、残ったものに第一の重要性の場所を与える事により、哲学は思弁の領域における主要性や重点の真の指標となる。哲学の第一の目的は、顕現されているものと、その背後にある不可視の究極の原因あるいは自然との関係を確立する事である。


 ウィリアム ハミルトン卿は記す。「哲学は様々な哲人らから以下のように定義されてきた。神と人に関する事柄、それらが含む原因についての学。 [キケロー]。原因と結果の学 [トマス ホッブス]。充分な理由の学 [ライプニッツ]。これらが可能なのと同様に可能なものの学 [クリスティアン ウォルフ]。第一原理から明らかに演繹される物事の学 [デカルト]。真理と分別と抽象の学 [ドゥ コンディヤック]。その合理的な対象への思弁の応用 [テンネマン]。人間の思弁に必要な全ての知識の関連の学 [カント]。エゴ、精神自身の原型の学 [クリュッグ]。諸学の学 [フィヒテ]。絶対者の学 [フォン シェリング]。理想と現実の絶対的な一致の学 [フォン シェリング]。認識と非認識の認識 [ヘーゲル]。」(「形而上学と論理の講義」を参照)


 哲学の学科の下にある六項目は一般的に以下のように区分される。
(形而上学)これは宇宙論、神学、ものの自然といった抽象的な主題を扱う。
(論理学)理性的な思考、あるいは「誤信の教義」と呼ばれるものを支配する法則を扱う。
(倫理学)これは倫理性、個人的な責任、特質――善の性質を決定する主な要因の学。
(心理学)精神を起源とする現象の諸形態の研究と区分化。
(認識論)知識自身の性質と絶対的な形態としてそれらは存在するか否かの疑問に主に関連する学。
(美学)美、調和、優雅さ、高貴さを喚起させる性質と反応の学。


 プラトンは哲学を神々から人へと授けられた最大善と見做していた。だが二十世紀に入ると、哲学は重々しく複雑な恣意的な構造と調和しない記法となった。――さらに、それぞれはほとんど議論不能の論理により実証されていった。イアンブリコス*1が神々のネクターやアンブロシア*2に例えた古代のアカデミアの高遠な原理は、ヘラクリトゥスが精神の病と宣言した諸意見によりかくも腐敗させられた。天の食物は今では、この偉大な新プラトン主義者にも認識できなくなるまでに落ちぶれた。現代科学と哲学的思考の増大する浅薄さの説得力のある証拠は、その絶え間なく物質主義へと向かう傾向である。高名な天文学者ラプラス*3が皇帝ナポレオンに「なぜ卿の『天体力学概論』には、神が記されていないのか?」と尋ねられた時、この数学者はナイーブに答えた。「陛下、私にはさような仮説は必要ありませんので!」


 無神論に対する論文で、フランシス ベーコン卿*4はこの状況を簡潔に要約している。「卑小な哲学は人の精神を無神論へと傾けさせる。だが深遠な哲学は人の精神を宗教へと向けさせる。」アリストテレスの「形而上学」は以下の言葉から始まる。「全ての人は自然と知りたいと望む。」この一般的な衝動を満たすために、開かれた人間知性は想像可能な外側の空間と自己の内側の末端まで探索し、何かのものとその他全て、原因と結果、自然と自然の元となる働き、精神と精神の源、霊と霊の形質、幻影と現実との関係の推定を探っていった。


 古代のある哲学者は言った。「常識の知識すら知らない者は、人の中では獣である。だが知的なエネルギーにより知る事の出来る事柄全てを知る者は、人の中での神である。」よって、自然界での人の地位は、彼の考える質により決定される。動物本能に精神を支配されている人は、哲学的には獣から大差はない――理性能力が人間の問題を熟考する者は人である。そして知性が神の現実の思索へと向けられている者は既に半神である。思索により彼を近づかせた光輝を共有するからである。彼の「諸学の学」の賛辞の中でキケローは高らかと告げる。「哲学よ、人生の保護者よ! 探究者よ――徳より出でて、悪意を駆逐する者よ! 汝ら無くて我らもあらゆる世代の男らも何が行えようか? 汝は都市を作り出し、散りばめられた人々を生の社会的喜びへと集めた。」


 今の時代、哲学という言葉は他の限定的な用語と共に無い限り、小さな意味しかない。哲学の体は様々に矛盾する無数の「主義」に切り離され、お互いの誤謬を指摘し合うのに努力を集中しすぎて、神の秩序と人間の宿命の深淵な問題は嘆かわしくも無視され続けた。哲学の理想の機能は、人間の思考の中に安定した影響として仕える事である。その本質的な性質により、哲学は人から不合理な人生の規則を建てる事を防ぐであろう。だが哲学者自身は理性的思考の直接で狭い道へと導くようにする人々の訓練されていない精神の取り留めなさの過剰さにより、哲学の目的に苛立っていた。それらの哲学の学派のほとんど全てを並べて区分する事もできようが、それは本書の扱える限界を超えている。哲学が扱う思弁の膨大な領域については、過去二十六世紀の間に思考界を揺さぶらせた少数の素晴らしい哲学体系を簡潔に考えるのが最良であろう。哲学のギリシア学派はまず初めに七人の不滅の思想家らから来て、彼らがまずソフォス、賢者の名を与えられた。ディオゲネスによれば、彼らはタレース、ソロン、キロン、ピッタコス、ビアス、クレオブロス、ミュソンである。タレースは水を万物の原初の原理あるいはエレメントと考え、その上に地は船のように浮かんでおり、地震はこの普遍的海の騒動が原因だと考えた。タレースはイオニア人だったので、この学派はイオニア学派と呼ばれるようになった。彼は紀元前546年に亡くなり、アナクシマンドロスが跡を継ぎ、さらにその後をアナクシメネス、アナクサゴラース、アルケラオスらが継ぎ、彼らによりイオニア学派は終わった。アナクシマンドロスは師タレースと違い、万物が生成された源は計測不能で定義不能な無限からとした。アナクシメネスは風を宇宙の最初のエレメントとし、魂や神々すらもこれらから成るとした。


図はバビットの光と色の諸原理より*5


 デモクリトスの原子論仮説以来、原子の構造体とどのような方法でそれらが様々なエレメンツを統一させるかを推測するのに多くの努力がなされた。現代科学すら推測の領域に入り、これらの小さな物質の最も詳細で入念な表現物を与えるのを止めていない。十九世紀の間に発展してきた、この原子の最も非凡な概念はエドウィン D. バビット博士の天才性によるもので、それが上記の図である。この図は自明である。注意すべきことは、この巨大な構造体は実際には解析も不能なまでに極小なのである。バビット博士は原子の形態を作ったのみならず、彼はこれらの粒子を集めてグループ化させ分子にする方法も考案している。


 アナクサゴラース(その教義には原子論の匂いがある)は、神を無限に自己移動する精神とした。この神の無限の精神はどのような体の中にも閉ざされておらず、万物の動力因となるとした。小さな部分から成る無限の形質より、神の精神により万物はその種に応じて生成され、万物は最初は共に混ざり合い、やがては離れて秩序へと落ち着いていった。アルケラオスは万物は二つの原理によりなると宣言した。精神(これは形が無い)と風(これは形がある)であり、後者の希薄化と濃縮により、火と水がそれぞれ作られる。アルケラオスは星々は燃える鉄の塊だと考えた。ヘラクリトゥス(紀元前536年 - 紀元前470年に生き、時にはイオニア学派の一人に数えられる)の変化と永遠の流れの教義では、火こそが最初のエレメントであり、世界は最後には再び火に飲み込まれると述べた。彼は世界魂をその湿気のある部分からの蒸発と見做し、海の潮の流れは太陽が原因と公言した。


 サモス島のピュタゴラスがイタリア学派あるいはピュタゴラス学派を開いた後、その中でも卓越した者らは、エンペドクレス、エピカルモス、アルキュタス、アルクマイオン、ヒッパソス、フィロラオス、エウドクソスである。ピュタゴラス(紀元前580年 - 紀元前500年前後)は数学こそが全ての学の中で最も聖にして正確なものだと考え、彼の学院に来る入門希望者に、算数、音楽、天文学、幾何学に親しんでいるのを求めた。彼は哲学的生活は知恵の前提条件と強調した。ピュタゴラスは、高い学を達成するために学徒らがお互いに助け合う共同体を設立した最初の教師の一人であった。彼はまた霊的精神の開発に不可欠として追想の訓練を導入した。ピュタゴラス学派は、数と存在の原因体との関連性に対する形而上学的推察の体系と要約できよう。この学派はまた、天のハーモニー、あるいはヨハンネス ロイヒリンが言う「圏の音楽」の理論の説明した。彼は弟子らが沈黙の訓練を達成するまでは何も教えなかった。沈黙は黙想の基礎だからである。アリストテレスは「詭弁論駁論」においてエンペドクレスを修辞学の発見者として称賛している。ピュタゴラスもエンペドクレスも魂の転生説を受け入れていた。エンペドクレスは言う。「私が子供であった。また乙女でもあり、植物、鳥、魚であり、広大な海を泳いだ」。アルキュタスはネジとクレーンの発明者として称えられている。彼は快楽を疫病と述べたが、それは精神の節制と対立しているからである。彼は虚偽をしない人を骨の無い魚ほど稀だと考えていた。


 クセノパネス(紀元前570年 - 紀元前475年)は、宇宙論と神の起源の寓話に関してホメーロスとヘーシオドスを攻撃した事で有名だが、彼はエレア学派の創始者となった。クセノパネスは神は「一つにして形は無く、その形質は宇宙全てに広がり、人とは似てもいない姿であり、全てを見て聞くが呼吸をすることはない。神は万物であり、精神と知恵であり、創造されたものではなく永遠に存在し、無感覚で不変な理性である」と述べた。クセノパネスは万物は永遠に存在し、世界に始まりも終わりも無く、創造されたもの全ては腐敗に属すると信じた。彼は長生きし、自らの手で先に死んだ己の子らを埋めたと言われる。パルメニデスはクセノパネスの下で学んだが、彼の教義に完全に従わなかった。パルメニデスは感覚は不確かなものであり、思索のみが真理の基準だと述べた。彼は最初に地球は丸いと主張し、その表面を熱い場所と冷たい場所で分割した。


 エレア学派に含まれるメリッソスは、パルメニデスと多くの意見を共にしていた。彼は宇宙は動くことが出来ないと述べた。なぜなら、全ての空間を占めているので、動かせる部分が無いからである。彼はさらに空間に虚無が存在する論を拒否した。エレア学派のゼノもまた、虚無は存在出来ない意見を保持した。さらに動きの理論も拒否し、彼は一つの永遠の生まれざる神のみが存在すると考えた。クセノパネスと似て、彼は神は球状をしていると考えた。レウキッポスは宇宙は二つの部分からなると唱えた。一つは満たされたもので、もう一つは虚無である。無限なるものから砕片となった体の集まりが虚無へと降りていき、そこで刺激を受け続けて自らを物質の球へと組織化するのである。


 偉大なるデモクリトスはレウキッポスの分子論をある程度拡大させた。デモクリトスは万物の原理は二重であり、原子アトムと虚無だと公言した。両方とも無限だと彼は考えた。原子はその数において無限であり、虚無はその大きさにおいて無限である。ゆえに、全ての体は原子か虚無によって構成されている。原子には形と大きさという二つの性質があり、両方とも無数の多様性がある。デモクリトスは魂も原子により構成され、肉体の中へと溶け込むと考えた。彼は精神は霊的な原子によって構成されると信じた。アリストテレスはデモクリトスは彼の原子論をピュタゴラスのモナド論から受け取ったと仄めかしている。他にエレア学派で著名なのはプロタゴラスとアナクサルコスである。


 ソクラテス(紀元前469年 - 紀元前399年)は、ソクラテス学派の祖で本質的には懐疑主義者であり、自らの意見を他人に押し付けようとはしなかったが、その質問の方法により、彼らが自らの哲学を自発的に表現するようにしていた。プルタルコスによれば、ソクラテスは世界全体は徳の学校であり、あらゆる場所はその到達に相応しいと考えていた。彼は魂は肉体の前に存在し、肉体の中に浸透し、全ての知識を与えられていると考えた。そして魂が物質の形へと入った時にそれは麻痺するが、賢明なものに話しかける事で魂は再び覚醒し、その原初の知識を思い出すとした。これらを前提として彼は皮肉や帰納法を通じて人々の中の魂の力を刺激しようと努めていた。ソクラテスの哲学の主題はただ人のみだと言われる。彼自身も哲学は真の幸福への道であり、その目的は二つで、(1)神を熟考すること。(2)魂を肉体的な感覚から抽象化させることと公言していた。


 彼が考えていた万物の原理は三つ、神、物質、イデアであった。神について彼は述べている。「神は私が知らないもの。神は私が知る事で無いもの。」彼が定義した物質は生成と腐敗の対象となるものだった。イデアは、腐敗しない形質――神の知である。彼は知恵とは徳の集合と考えていた。ソクラテス学派の中でも著名な者らは、クセノポン、アイスキネス、クリトン、シモン、グラウコ、シミアス、ケベスである。古代哲学史の権威、ツェラー教授は、クセノポンがソクラテスについて書いた文書は贋作だと最近述べている。ソクラテスの理論をおちょくる喜劇「アリストパネスの雲」が最初に公演された時、この偉大な懐疑家自身も演劇を観たという。劇の最中に、戯画化された彼がバスケットの上に座って太陽を観察していた時に、彼自身も静かに立ち上がり、グロテスクなマスクをつけた役者の無味乾燥とした姿と自らとをアテネ市民の観客らに比較させたという。


 エーリス学派はエーリスのパイドンを祖とする。元は高貴な家の出身で、戦争の捕虜で奴隷状態にあったのをソクラテスにより解放され、以後は熱心な弟子となった。プラトンは彼の精神性を高く尊敬していたので、彼は自らの最も有名な論説書の一つをパイドンと名付けた。パイドンの学派の後を継いだのはプリステネスで、その後を継いだのはメネデモスだった。エーリス学派の教義はごく僅かしか知られていない。メネデモスはスティルポーンとメガラ学派の教えに傾倒していたと考えられている。メネデモスが自らの見解について求められた時、自分は自由だと述べた。それは、ほとんどの人間は自らの見解の奴隷だと暗に示唆している。メネデモスはどこか怒りっぽい気質だったようで、しばしば酷く喧嘩をしたまま講義から帰っていた。彼の最も有名な主張は以下のようである。「同じでないものは、同じでないものからは違っている。」この点を受け入れたら、メネデモスは続ける。「利益を得るという事は、善であるのとは違う。ゆえに、善は利益にはならない。」メネデモスの後には、エーリス学派はエレトリア学派として知られるようになった。この学派は全ての否定的な提案と全ての複雑で難解な理論を攻撃し、肯定的でシンプルな教説のみが真理となれると公言した。


 メガラ学派はソクラテスの大いなる崇拝者であったメガラのエウクレイデス(ユークリッド。だが高名な数学者の方ではない)を祖とする。アテネ議会はメガラ学派の者がアテネ市内に見つけたら死刑にするという法を通過させた。しかしエウクレイデスは女装して夜にソクラテスの下へ行き学んでいた。彼の師が悲惨な死を遂げた後に、弟子らは同じ運命が自らに来るのではないかと恐怖し、メガラへと逃亡した。そこで彼らはエウクレイデスを中心に大いなる名誉をメガラ市民らから与えられた。メガラ学派はソクラテスの徳とは知恵であるという教えを受け入れ、さらにエレア学派の善は絶対的な統一であり、それら全ては感覚の幻影全てを変えるという概念も加えた。エウクレイデスは善に対抗できるものはなく、悪は存在しないという考えを保持した。神々の性質について尋ねられた時、彼はそれらの気質は知らないと公言する事で質問者を救った。神々は好奇心の強い人物を嫌うからである。


 メガラ学派は時には弁証法哲学者らを含んでいた。エウクレイデス(紀元前374年前後に死亡する)の後を継いだのはエウブリデスで、その弟子にはアレクシヌスとアポロニウス クロヌスらがいた。エウブリデスの後を継いだエウパントゥスは長生きし、多くの悲劇を書いた。ディオドロスは通常メガラ学派に入れられているが、エウブリデスの講義を聞いていた。伝説によれば、ディオドロスはメガラ学派の師の一人だったスティリポーの問いに即答する事が出来なかったので悲痛のあまり死んだという。彼は何物も動かす事は出来ないという説を唱えていた。動くには、元の場所から新たな場所へと移動させないといけないが、万物は既にあらゆる場所にあるのでそれは不可能であると。


プラトン

トーマサインの「彫像、集団、瓶、噴水、他の模様についての記録」より


 プラトンの本名はアリストクレスであった。父がソクラテスの講義へと彼を連れて行った時、偉大な懐疑家は前夜に白鳥の夢を見て、それは彼の新しい弟子が世界を照らす光となる予兆だと告げた。また、不滅のプラトンはシチリアの王により奴隷として売られたという伝説もある。


 キュニコス派はソクラテスの弟子だったアテネのアンティステネス(紀元前444年 - 紀元前365年前後)を祖とする。その教義は究極の個人主義として記されよう。人は自らのためにのみ存在し、周囲を不調和、損失、悲惨に囲まれ、それゆえ自らの自然の中に完全に隠遁しなくてはならないと唱えた。キュニコス派は全ての保有物を捨て去り、荒野の隠れ家に住み、最も単純で粗末な食事を取っていた。神々は何も望まないので、それらを欲しがる者らは神からは遠いとキュニコス派は確信していた。この哲学の生により何を得たのかと尋ねられたアンティステネスは、自らをどのように説得するかを学んだと答えた。


 シノペのディオゲネスは、樽の中に何年も住んでいた事で主に記憶されている。アテネ市民らはこの乞食哲学者を愛しており、若者が樽にイタズラで穴を開けたら、市はディオゲネスに新しい樽を与えて、若者を罰したという。ディオゲネスは努力無しに正当に達成するものは無いと信じていた。彼は世界の万物は賢者に属すると考え、以下の論理によりそれを証明した。「万物は神々に属する。神々は賢者らの友である。万物は友の間では共通で用いられる。それゆえ、万物は賢者に属する。」キュニコス派の他に著名な者は、モニムス、オネシクリトゥス、クラテス、メトロクレス、ヒッパルキア(彼女はクラテスと結婚した)、メニップス、メネデモスである。


 キュレネ派はキュレネのアリスティッポス(紀元前435年 - 紀元前356年前後)を祖として、快楽主義の教義を広めていた。高名なソクラテスに学ぶため、アリスティッポスはアテネへと赴き、この偉大な懐疑家の教えに自らを当てはめた。ソクラテスはこの肉欲に溺れ、金銭のために動く彼の傾向に心を痛めて、この若者を改善しようとしたが無駄だった。アリスティッポスは原理と実践に矛盾しない事で卓越していた。彼は生の目的とは快楽の追求であるという自らの哲学と完全に調和した生活をしていた。キュレネ派の教義は以下に要約できよう。あらゆる物や状態で実際に知る事が出来るのは、人の自身の性質で目覚めている感覚のみである。倫理においては、最も喜ばしい感覚を与えるものこそ、結果的に最大善と見做すべきである。感情的反応は喜び、温和、苦しみ、悪意として区別される。快適な感情の目的は快楽であり、苦しみの感情の目的は悲しみであり、悪意の感情の目的は無である。


 ある人々には快適な精神のために、快楽の欲望を求めないが、快楽(特に肉体によるもの)は存在の真の目的であり、あらゆる精神的、霊的な満足を超える。さらに快楽は瞬間の時に完全に限定されている。過去は後悔無しには振り返られず、未来は不安無しには向き合えない。それゆえ両者とも快楽の助けとならない。誰も悲しんではならない。悲しみは全ての病の中で最も深刻なものだからである。自然は人に望む事を全て行う事を許している。彼は自らの属する法律と習慣によってのみ限定している。哲学者は妬み、愛、迷信から解放された者であり、彼らの日々は快楽を長く巡るものである。耽溺はゆえにアリスティッポスから美徳の主要な位置として認められた。彼はさらに、もし法律が全て取り払われても、哲学者らのみはその人生の生き方を変えたりはしないと、哲学者らと一般人とを区別した。キュレネ派の教義に影響された主な哲学者らはヘゲシアス、アンニケリス、テオドロス、ビオンである。


 アカデメイア学派の哲学者らはプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)を祖とし、古典、中期、新アカデメイアの三つの部分に分けられる。古アカデメイア学派に属するのは、スペウシッポス、クセノクラテス、ポレマン、クラテス、クラントルである。アルケシラオスが中期アカデメイアを創始者となり、カルネアデスが新アカデメイアの祖となった。プラトンの師らの中で主な者はソクラテスである。プラトンは広く旅をし、エジプト人らからヘルメース哲学の深遠へと秘儀参入を受けた。彼はまたピュタゴラスの教義から多くを受け取っている。キケローはプラトン哲学の三つの要素として、倫理、物理学、弁証法を挙げている。プラトンは善を三つの要素として定義した。魂への善は徳を通じて表現され、肉体への善は対称性とその部分の持久力をもって表現され、外世界への善は社会的地位と親交を通じて表現される。スペウシッポスの書でプラトンは神を定義している。「自らの方法によってのみ永遠に生き、自らのみで幸福には充分であり、永遠のエッセンス、自らの善の原因となる。」プラトンによると、一者という呼び名が絶対者を定義するのにもっとも相応しいという。なぜなら、個々の部分や多様性は統一に依存しているが、統一は多様性に依存していないからである。一者はさらに、存在する前にあり、「なるべき者」は一者の属性や条件である。


 プラトン哲学は存在の三つの階級を基底としている。不動のもの、自ら動くもの、動いているものである。動かないものだが動くのは、自ら動くのとは別に扱われている。これは動くものより先とされる。その受け継いでいる運動力は動力とは分離できないからである。それゆえ、これは消滅も出来ない。そのような性質は不死である。他から運動力を与えられたものは、その動力の原理から分離させられるが、これは消滅に属し、それは死すべき定めの存在の性質である。不死者と常命者の上にあるのは、継続的に動くが、それ自体は不動のものである。この状態のためには、永久の力を受け継いでいる。それゆえ、神の永久は造られた万物がの上にある。自己動者以上に崇高な存在として、不動の動者は全ての威厳の中で第一のものである。プラトンの鍛錬の基礎となっている理論は、学習とは実際には想起である、あるいは存在する前に魂により獲得した知識をもたらす事である。アカデメイアのプラトン学院の入り口には、以下の言葉が書かれていた。「幾何学を知らざる者、入るべからず。」


 プラトンの死後、彼の弟子らは二つのグループに分かれた。片方はアカデメイアに続けて留まり、もう片方のアリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年)を筆頭とする逍遙学派はリュケイオンに集まった。プラトンはアリストテレスを自らの最良の弟子と認め、ピロポノスによれば、彼を「学院の精神」と呼んでいた。アリストテレスが講義の場に居なかったら、プラトンは「ここには知は無い」と言ったであろう。このアリストテレスの莫大な天才性について、トーマス テイラーは「形而上学」の序文で以下の様に書いている。


「彼は著書により豊富な証拠を示しているように、あらゆる学について良く達成していたのみならず、人間の知識の圏にある、ほとんど全ての主題について書いているので、我々は彼の精神を貫き広がっているもののうち、そのどれを最も感服すべきかわからない。」さらに、アリストテレスの哲学について同じ著者は言う。「アリストテレスの倫理哲学の目的は、徳を通じて完成し、彼の黙想哲学の目的は、万物の原理である一つと統一する事だった。」


多様性の問題

キルヒャーの「世界に知られる術」より


 上記の図でキルヒャーは二つの列に分かれた十八の行を描いて、それぞれの可能な組み合わせを描いた。同様の方法により、五十の行で行えば、1,273,726,838,815,420,339,851,343,083,767,005,515,293,749,454,795,408,000,000,000,000の組み合わせがある。これらから明らかである事は、無限の多様性は可能である。世界の数えきれない数の部分はお互いに計算不可能な道で関連し合っているからである。存在の限界無き細分化の様々な組み合わせにより、無限の不可分と無限の多様性は必然的に結果とならざるを得ない。ゆえに、これは人生は決して単調となったり多様性の可能性が尽きる事は無い更なる証拠ともなる。


 アリストテレスは、哲学を二つに分類した。実践的なものと理論的なものである。実践哲学は倫理学と政治学を受け持つ。理論哲学は物理学と論理学である。彼は形而上学は動作の原理があり、残りは自らからなる形質に関する学と考えた。アリストテレスにとって、魂は人がそれにより生き、感じ、理解するものであった。そのために彼は魂に栄養、感受性、知性の三つの機能を与えた。彼はさらに魂は二つの要素――理性魂と感性魂――があると考え、ある特別な者らにおいては感覚器官が精神の上にあるとした。アリストテレスは知恵を第一原因の学として定義した。彼の哲学の四つの主な分野は、弁証法、物理学、倫理学、形而上学であった。神は第一動者、最良の存在、不動の形質、感覚のあるものから分離され、肉体的な性質の虚無、部分も無く分割不可として定義された。プラトン主義は演繹思考を基礎とし、アリストテレス主義は帰納思考の上にある。アリストテレスは彼の弟子、アレクサンドロス大王に、もし彼が善行をなさなければ、彼は支配者となれないだろうと感じるように教えた。彼の信奉者らのうちの著名な者は、テオプラストス、ストラトン、リュコン、アリストン、クリトラオス、ディオドロスである。


 エリスのピュロン(紀元前365年 - 紀元前275年)とティロンにより懐疑論が提起された。セクストス エンペイリコスは求める者は、それまでに見つけたもの、見つける可能性のあるものを受け入れるか拒絶するか、疑問のために取っておくべきと述べた。真理を見つけたと考える者らは、教条論者と呼ばれ、それは人には不可能だと考える者は観念論者、そしてなおも真理を求める者は、懐疑論者と呼ばれる。知識に対する懐疑論者の態度はセクストス エンペイリコスの以下の言葉で要約される。「懐疑論の主な基礎は、あらゆる理論にはその対称となる理論があり、それにより我々が教条化させるのを控えさせる。」懐疑論は教条論と強く対立しており、神に関しては自己矛盾と実証不可性の論を受け入れていたので不可知論者でもあった。懐疑論者は尋ねる。「どのようにして、我々は疑い無き神の知識を得るのか? その形質も姿形も居場所も知らないのに。哲学者らはこれらの点について矛盾して不同意しているが、彼らの結論は疑う事なき真理として受けられられないのではないかね?」彼らには絶対的知識は到達不能と考えられていたので、懐疑論者らは講義の最後を以下の言葉で締めていた。「意見においては、騒擾が無く。感情においては、中庸であり。(真理を知らないことの)不安においては、未決定とする。」


 ストア派はゼノン(紀元前340年 - 紀元前265年)を祖とする。彼はキプロス島キティオン人でストア派の源流である犬儒学派のクラテスの下で学んだ。ゼノンの後を継いだのは、クレアンテス、クリュシッポス、タルシスのゼノン、ディオゲネス、アンティパトロス、パナイティオス、ポセイドニオスである。ローマ人で最も有名なストア派はエピクテトスとマルクス アウレリウス帝である。ストア派は本質的には汎神論であった。なぜなら彼らは世界以上に良いものは無いと考えていたので、世界は神なのである。ゼノンは世界の存在理由は、種として放散する事だと公言した。ストア派は物質主義的哲学であり、自然法に自発的に忍従するのを好んだ。クリュシッポスは善と対立する悪も、お互いに維持するために必要であると考えていた。魂は物理的な肉体を通じて分布され、その中に溶け込んでいると見做された。ストア派の中には知恵は魂の存在を長引かせると考えたが、彼らの信条には実際の不死は含まれていなかった。魂は八つの部分により構成されていた。五感と創造力、声の力、それらを支配する部分である。自然は神が世界の形質全体に混ざり合っているものとして定義された。万物は物質と非物質のいずれかの体と見做された。


 柔和さはストア派哲学者の態度として著しい。ディオゲネスが怒りを持つべきでないという講話をしていた際に、聴衆の一人が唾を彼の顔に吐いた。この侮辱に対して、偉大なストア哲学者はこう言い返した。「私は怒ってはいない。だが、私はそうすべきか否か疑問にある!」


 サモス島のエピクロス(紀元前341年 - 紀元前270年)はエピクロス学派の祖であり、多くの部分で快楽主義のキュレネ学派と意見を同じにするが、倫理面ではより高かった。エピクロス学派もまた快楽を最も望ましい状態としたが、それを墓と考え、悲しみと痛みを産み出す不安定な感情と精神を捨て去る事によって到達すると考えた。エピクロス学派は魂と精神の痛みは肉体のものよりも重く、精神と魂の喜びは肉体のものを超えると考えた。キュレネ学派は快楽は行動や動作に依存すると見なしたが、エピクロス学派は休息や行動の不足は同等に快楽を産み出すと主張した。エピクロス学派はデモクリトスの原子論の哲学を受け入れていた。エピクロス学派の哲学は以下の四つの規範で要約できよう。


「(1)感覚は決して欺かない。それゆえ、外観へのあらゆる知覚と感覚は真実である。(2)意見は感覚に従い、感覚により支えられる。それにより真か偽かを判断できる。(3)感覚による証拠によって証明され無矛盾なもの全ては真である。(4)感覚の証拠により矛盾したり、証明されない意見は偽である。」エピクロス学派で著名な者は、ランプサコスの小メトロドロス、シドンのゼノン、パエドロスである。


 折衷主義は敵対する哲学の諸学派の明らかに調和しない教義をそれぞれ選び、折衷の信念そのものによる調和の複合哲学体系を作り出す実践と定義されよう。折衷主義はほとんど哲学や論理学として見做されていなかったが、それは個人個人の学徒がそれぞれ違った思考方法で結論に到達していたからである。そのためこの学派の哲学的教えの断片は闘争する根拠の上に建てられざるを得なかった。よって折衷主義は素人のカルトと呼ばれてきた。ローマ帝国内ではごく少数の思想家のみが一つの哲学理論に専念していた。そのため、思想家のほとんどが、多かれ少なかれ折衷的であった。キケローは初期折衷主義の際立った例である。彼の書いたものは、初期の思想学派の貴重な断片の真の混ぜ合わせだったからである。折衷主義は人が究極の真理を見つけ出す可能性に疑いを持った時点から表れている。全ての所謂「知識」を最良でも一つの意見にすぎないとし、学ぶのは少なくし、それによっての結論は、賢い選択はあらゆる学派や個人の教えから最も合理的なものを受け入れる事とされた。しかしこの実践からは、真の論理や哲学の中に見つけられる正確さの要素が欠けている疑似包容力が湧き上がる。


 新ピュタゴラス学派はキリスト暦1世紀のアレキサンドリアで花開いた。二人の名前のみが、この学派との繋がりを示している――ティアナのアポロニウスとガデスのモデラトゥスである。新ピュタゴラス学派は古い多神教哲学と、新プラトン主義との間の架け橋である。前者のように、この学派はピュタゴラスとプラトンから導かれた多くの思想の要素を含んでいた。そして後者のように、この学派は形而上学的思弁と禁欲主義の傾向を強調していた。何人かの著者らは新ピュタゴラス学派とエッセネ派*6の教義の間に極めて類似性があると指摘している。数の神秘に対して特に強調され、新ピュタゴラス学派は現代よりもピュタゴラスの真の教えの幅広い知識を持っていた可能性がある。一世紀においても、ピュタゴラスは人というよりも神と見做され、明らかに彼の哲学のリバイバルは、この学習の深い体系への大衆の興味を刺激するのを目的としていた。だが、ギリシア古典哲学の黄金時代は既に過ぎていた。大衆は肉体の生と現実の出来事の重要性に目覚めていた。ここで始まった地上の事柄への強調は、二十世紀になっての物質主義とコマーシャリズムで表現の成熟に到達する。新プラトン主義が介入し、この強調が明確な形態を取るまでに多くの世紀がかかったとしてもである。


アエネーイスと地獄の門

ウェルギリウスのアエネーイス(ドライデン訳)より


 ウェルギリウスはシビュラ*7の保護の下、地獄の門へのアエネーイスの降下のシーンの中で、ギリシア密儀――おそらくはエレウシス密儀――の儀式の一部を描写する。この儀式について、不滅の詩人は以下のように描く。


 地獄の道の中を満たし、
 ニレの枝が広がるのを見せ、
 眠りの神は彼の思い頭の中に隠れ
 ニレの葉の上の空虚な夢が広がる。
 様々な形で、さらなる数えきれない亡霊が
 ケンタウロスと二重の形が扉を抑えていて、
 通路の前には恐ろしいヒドラが立ちはだかる。
 そして百の頭のあるブリアレオース、
 三角の炎を吐くゴルゴン、ゲーリュオーン、
 空虚な炎を飲み込むキマイラも。
 頭領は輝く鋼鉄の剣を抜いて戦いの準備をし、
 守護者への突然の恐怖を持つも向き合い、
 振り回した武器をそれらの顔に与え、
 シビュラは彼の怒りの面を止める事無く、
 彼にこれらの空虚な亡霊が何であるかを語った。
 体無き形、通り抜けられない風。


 長い間、アンモニオス サッカスが新プラトン主義の祖と信じられてきたが、学派の真の始まりはプロティノス(204年 - 269年前後)からであった。アレキサンドリア、シリア、ローマ、アテネの新プラトン主義者の中でも著名な者は、ポルピュリオス、イアンブリコス、サッルスティウス、ユニアヌス帝、プルタルコス、プロクロスである。新プラトン主義は退廃的な異教圏で最大限の努力をして、その秘密の(あるいは書かれざる)教義を世に出し、それゆえに後世に保存する事となった。その教えの中に、古代の理想主義の最も完全な表現が見つかる。新プラトン主義は高い形而上学の問題に対してほぼ専念していた。学派は文明の初期からの秘密と最重要な教義の存在を認めていた。その教義は儀式、象徴、宗教や哲学の寓話によって成り立っていた。その本質的な信条に到達していない精神の者らから見れば、新プラトン主義は空想の世界を無駄に飛び回っている憶測家の集まりに見えるだろう。だがそのような観点は、密儀の組織への無知である。――そのような秘密学派の深遠な理想主義の中で、古代最初期のほとんどすべての哲学者らは秘儀参入を受けていたのである。


 この多神教精神の慣習が崩壊した時代、その密儀の真理を明らかにし、新たな生命をそこに吹き込む事で蘇らせる試みがなされた。この試みは明らかにほとんど結果を出せなかったが。原始キリスト教と新プラトン主義はお互いの敵意に関わらず、後者の多くの基本信条が前者により受け入れられ、教父哲学の織物を織った。簡潔に記すと、新プラトン主義とはあらゆる肉体、物質体の教義は霊的な真理の殻に過ぎず、それは密儀の自然の特別な実践や瞑想を通じて発見されると考える哲学的規範であった。これらが含む秘教的な霊的真理と比べれば、宗教や哲学の世俗的な組織体は比較的小さな価値しかないと考えられた。同様に、物質科学に対しても何の重点も置かれなかった。


 教父学という用語は、原始キリスト教教会の教父らの哲学を示すのに用いられる。教父哲学は二つの時代に分けられている。前ニカイア公会議時代と後ニカイア公会議時代である。前ニカイア時代のこの哲学の主題は多神教への攻撃と、キリスト教の護教である。多神教哲学全体の構造は猛攻され、信仰勅令*8の後には、それらの考えより上にキリスト教は置かれた。ある部分では多神教の真理とキリスト教の啓示とを和解させる試みもなされた。前ニカイア時代の著名な教父は、聖エイレナイオス、アレキサンドリアのクレメンス、殉教者ユスティノスである。後ニカイア時代はよりキリスト教哲学のプラトン学派や新プラトン学派の線で広がらせる重点が置かれ、結果として多くの長く意味不明で曖昧な性質の奇妙な文書が書かれ、ほとんど全ては哲学的には根拠の薄弱なものだった。後ニカイア時代の哲学者に含まれるのは、アタナシオス、ニュッサのグレゴリオス、アレクサンドリアのキュリロスである。教父哲学学派は宇宙全体での人の優位性の強調が目立つ。人は他とは違う神の被造物である――神の誉れある達成であり、自然法の主権の例外である。教父哲学にとって、人以外でこれほど高貴で幸運で可能性のある存在は無いとされ、人のためにのみ宇宙全体は最初に作られたのである。


 教父哲学はアウグスティヌス神学において絶頂に達する。この学はキリスト教プラトン主義として定義するのが最良であろう。ペラスギアン派による、人は自らの救い主であるという教義に反して、アウグスティヌス神学では、教会の価値を重んじ、その教義を絶対的不謬の位置に置いた――この位置は十六世紀の宗教改革の時代まで成功裏に保持された。グノーシス主義、流出説の体系はキリスト教をギリシア、エジプト、ペルシアの形而上学により解釈し、キリスト教1世紀後半から既に現れている。前ニカイア教父らに異端扱いされたグノーシス主義に関する全ての現存する情報は、事実上、彼らに敵対する摘発者、特に聖エイレナイオスの書からのものである。三世紀にはペルシアのゾロアスター教の二元論を源とするマニ教が現れ、その教えは善と悪は宇宙の支配を巡り永遠に戦い続けているというものである。マニ教では、キリストは善を贖罪する原理とされ、逆に人間イエスは悪の人格として見ていた。



古今の秘密の教え 序文 哲学の歴史2
↑ 古今の秘密の教え


*1 245年 - 325年。新プラトン主義哲学者を代表する一人。神動術テウルギアを重視した。
*2 ギリシア神話での神々の飲物と食物。
*3 ピエール=シモン ラプラス。1749年 - 1827年。天文学者、数学者。宿命論者で、万物の時の根源にある仮説存在「ラプラスの悪魔」で有名。
*4 1561年 - 1626年。英国の哲学者、神学者、法学者、錬金術師。「知識は力なり」の名言がある。
*5 本書では、このように挿入の絵図と、その説明文が本文とは別に途中に入っている。
*6 紀元前1世紀前後のユダヤ教の宗派の一つ。霊性を重んじ、キリスト教との類似点が多く、若い頃のイエスがいたという説もある。教義の断片が記された死海文書で有名。
*7 古代ギリシアのアポロ神の巫女。予言の託宣で有名。
*8 313年のコンスタンティヌス大帝のキリスト教公認のミラノ勅令のこと。