占星術入門 ウィリアム リリーの生涯

ページ名:占星術入門 ウィリアム リリーの生涯

ウィリアム リリーの生涯


 この天才占星術師の最も価値ある書の摘要を世に問うのに際して、彼の個人的な歴史についても記しておくべきだと思っている。そして幸運なことに、これは想像力によって作り上げ、少数の知られている事実に、多数の推測で膨らませたものではない。我々がこの天才的な人物について知ることは、最良の証拠を基にしているのである。リリーは自らの66年の生涯の歴史を、彼の「価値ある友」イライアス アシュモール*1に捧げて書いている。氏は自らの名を冠する高名な博物館の創設者である。アシュモール氏はその余白に注記をし、それは我らが著者に対する彼の意見を表している。そして占星術の根拠には幸運なことに、この紳士は本書の後に記している天の惑星の正しさを立証している。我々は、131ページの彼の注記にそれを見つけられる。「私は幾つかの体系の形と流儀を考案している。E.A.」この注記は、リリーのこれらの観察の後に書かれたものである。「私が後世の人々と我が祖国に利益を与える願望により、ようやく全ての困難を乗り越える事が出来た。ゆえに、1年では行えない事も、翌年1647年の初期に完成させられた。そしてこの年に、私は出生図の第3の書を終え、それらを編集する7週間の間に、私は流行りの疫病から家を閉ざして、この病で亡くなった2人のメイドを埋める事になった。だが、この年の11月になって、キリスト教占星術と呼ばれる入門の書が出版される運びとなった。」


 このような彼の目の前で死が速やかに起き、疫病が彼自身のメイドらも襲っていた恐ろしい環境下で本書が編集されている事実は、著者は自ら書いているものに真摯であった証拠といえよう。そして彼は全能の神の厳粛な下で真理として他人に教えているものを真に信じており、それは彼の序文で美しい言葉で示している。だが現代の批評家らは何の根拠も無いにも関わらず、恥じ入る事無くウィリアム リリーを「熟達した偽物、不正な占い師」と呼ぶ。そのようなものは、読者よ、偏見によるものである。そのような偏見は、非難する前に真摯に検証する事を防ぐ。正しく検証したならば、彼は即座に著者が以下のページにおいて記した教義の現実性を認めざるを得ないだろう。


 ウィリアム リリーは、1602年5月1日、ダービーの町の7マイル南にあるディスワースの村の正直な小地主の家に生まれた。11歳になるとリリーはアシュビー デ ラ ザウチの町で、ジョン ブリンドレイ氏の教育を受けた。ここでは以下の著者らを学んだとリリーは述べている。センテンティアエ プエリレス、カトー、コルデリウス、アイソープス(イソップ)寓話、キケロー、オウィディウス、ウェルギリウス、さらに後にホラティウスも学んだ。またカムデンのギリシア文法、テオグニス、ホメーロスのイーリアス、それからユーダルのヘブライ文法に入った。18歳になった時、リリーの師は「主教区の迫害により学校から追い出されて」、我らが著者は「学校を離れるのを強制された」。それから3か月ほど学校に残ったが、1620年4月3日の月曜日にディスワースを離れてロンドンへと行った。ここでリリーは従者となるのを強制された。彼の父は「借金によりレスター牢へ入れられて」おり、無論息子へ多くのことを行えなかった。リリーがロンドンに到達した時には、7シリングと6ペンスのみしか持っておらず、この仕事につくしかなかった。1624年には、リリーの女主人が亡くなり、彼に「古金貨の5ポンド」を与えた。その後、リリーは「非常に心地よく」生活し、主は優しく扱っていた。1626年にリリーの主は再婚し、我らの著者に、1年で20ポンドの固定給を与え、リリーは生涯それを楽しんだ。1627年10月、リリーは製塩業の会社を建てて、1627年9月8日には、主の未亡人と結婚した。そして彼らは1633年10月の彼女の死まで「非常に仲良く生活した」。


 1632年、リリーは占星術の学習を始め、エヴァンスという平凡な才のウェールズ人から基本を教えられた。リリーはこれらの興味深い学習を「長い時間をかけて、1日に12時間、15時間、18時間」学び続けたと述べている。加えて、「この術には真理があるのか無いのかを探るのに興味があった」。リリーの最初の妻の死で「ほとんど1,000ポンド」の遺産を彼に残していた。1634年に、リリーはストランドの13の家々の半分を530ポンドで購入した。この時の天の図は後のページで見つけられるだろう。1634年11月18日に、リリーは再婚し、この新妻から500ポンドの持参金を貰った。「彼女は火星の性質があった。」そしてリリーの彼女の死についての記述を読む限り、彼女とはそれほど仲が良くなかったようである。リリーは今ではホラリー占星術を成功裏に実践するようになり、多くの者にこの術の教授を与えていた。1640年には他の者らと同時に、ジョン ハンフリーズに教え、リリーは40ポンドを授業料に貰った。また、リリーは1639年に5月22日に起きるだろう日食についての文書を書き、現実に的中させた。この頃にリリーは多くの関心をマンデーン占星術に向けた。リリーはかく述べている。「私は1642年か1643年に、王と議会の間で起きたあらゆる出来事*2を慎重に記録し、全ての現実の出来事は天の影響を受けており、それらを調べる事により未来を予測できる可能性があると徐々に信じるようになった。この方法により、この2年の間にいくつかのエッセイを書き、私はさらに進めるように勇気づけられ、そう行った。私は様々な古代の書を熟読したが、これらは沈黙を保っていたか、満足いくものではなかった。最後には私が従っている技法で、未来において私よりも優れた人物によりこの術が完成されるのを願うようになった。」


 リリーは魔術も少し試してみていたようである。だが彼はすぐに「そのような使用に疲れてしまい」、関連する書を全て焼き捨てた。リリーの優れた感覚は、どのような術が、正直で知的な人物の追求する価値があるか否かについて彼を導いたのである。


 1644年4月頃、リリーは最初の書「メルリヌス アングリクス ジュニア(イングランドの小マーリン)」を出版した。この書には、リリーの最も目覚ましい予知がいくつか含まれており、長い間売られていた。この書は多くの人々の注目を浴び、我らが著者に占星術師としての名声を与えた。この年にリリーは「白王の予言」を出版し、「3日のうちに800冊が売り切れた。」また「マーリンの予言」など、他の書も売られた。


 1645年にリリーは2度、その書「星のメッセンジャー」に関して、議会の委員会へ召喚された。だが、リリーは友人らの助けと彼自身の機智により逃れるのに成功した。


 1647年に、リリーは本書を出版する。その序文で彼はフェアファックス将軍への賛辞を述べている。将軍はリリーとその術を褒め称えていたからである。この年にリリーはチャールズ1世王に王家の安全な隠れ場所について意見を求められる。だが王にとって不幸なことに、王はリリーの助言を無視して、結果として破滅した。再び、1648年に王はリリーに相談する。今度は王は占星術師の助言を守ると約束し、ロンドンへと委員らとともに向かうとしたが、またしても王は自らの言葉を守らず、その悪しき宿命から逃れる良い機会を再び失った。


 リリーは言う。「この年は、非常に良い報酬があった。議会は私に50ポンドを与え、さらに毎年100ポンドの恩給を与えるという。もっとも、私は2年間受け取ったが、それ以上は貰えなかったが。」1649年1月、リリーは元国王チャールズの裁判に臨席した。「彼は非常に巧みに演説した」と述べている。


 1651年、リリーは「君主制か非君主制か」を出版する。この書にはいくつかのヒエログリフが含まれていた。中に加えて、ロンドンの疫病と大火についての予知もあり、読者は本書の中にその抜粋を見つけられるであろう。


 これらの高名な予知は、リリーの発言から明らかに、恒星の動きによるものである。「惑星とサインと星座らは素晴らしい光を与えた」。牡牛座の北の角の星、プトレマイオスが言う「火星の如き」星は、1666年のロンドン大火が起きた年には♊双児宮 17度54分であったが、これこそロンドンの正確なアセンダントだったのである。疑いなくリリーはこの方法により、この町が火によって損害を受けると占断した。彼の1666年用の天体暦で、双児宮の19度は、ロンドンのホロスコープであると述べている。我らの著者は計算は得意では無かった。6分以内で19度と言えなくも無いが、現実には、♊ 17度54分こそが真のロンドンのアセンダントなのである。新しいロンドン橋の最初の束が運ばれたのが、このアセンダントの時だったのである。


 牡牛座の北の角の黄経は、1834年1月1日には、♊ 20度15分
 ロンドンのアセンダントの黄経は、♊ 17度54分
 その差は、2度21分
 この2度21分の違いはイコール、8460秒の黄経であり、それを50と1/3(これは、恒星が年間に進む距離である)で割ると、168を与える。
 この年は1834年
 そこから168を引くと、1666年となる。


 これは、この邪悪な星がロンドンのアセンダントのサインを通過する年を与える。そして、火星の火の性質として、我々はこのような恐ろしい結果を生み出した事に驚く必要は無い。高名な予言者ノストラダムスも、この年の出来事について111年前に同様に予知していた。以下のとおりである。


「ロンドンの公正な者の血が流れる。
 火によって20が3回と6、埋められよう。」


 公正な者の血、これはロンドンで流された。火によりそれが埋められるのに66を必要とした。ノストラダムスはこの予知を「星々の影響により」得たと述べている。


 1651年、リリーは再び議会に彼の予知について召喚され、守衛官のもとで13日間の拘置を受けた。議会に不快感を与えた予知、「議会はよろめく土台の上に建っている。そして、平民と兵士らは彼らに対して共に立つであろう」は、後に護国卿オリバー クロムウェルの蜂起により充分に当たったのである。


 1654年、リリーの2人目の妻が亡くなり、10月には3人目と結婚した。リリーの出生チャートにも「天秤宮に木星があることで」表れている。「そして彼女は我が大いなる伴侶として最適である。」とリリーは記している。


 1655年にリリーはある若い愚かな女にヒックスホールで起訴された。その理由は、盗まれたものについて占断をし、2シリング6ペンスを受け取ったというものである。それはジェームズ王の御代に作られた法令に違反していた。


 リリーは記す。「私は盗みに対しての占断で半クラウンを受け取っていたが、盗まれたものは返らないだろうという占断しかしていないし、それが全てだ。私は法廷で自らを弁護し、我が祖国や外国の利益となる書を数年前に出版し、それらは権威から認められ、聖界俗界両方の学者らからも良く受け入れられていた。占星術の学習は法的に問題なく、聖書のあらゆる箇所に違反してもいない。そして私は未だかつて、告訴状に関連するどのような呪具も妖術も呪文も使っていないなどである。そして陪審は私を無罪とした。」


 我らが著者は述べる。「1666年、ロンドン市で恐ろしい大火災が起きた。4日間で、街のほとんどの部分は火に飲み込まれた」。そしてリリーは以下の召喚状をもって下院に呼び出された。


「1666年10月22日、月曜。
 委員会は、近頃の火災の原因を問い合わせるために、貴殿に以下の命に従うように求める。すなわち、リリー氏は次の金曜日、1666年10月25日の午後2時に下院議場の委員会に出頭し、尋ねられた必要な質問に答えよ。 ロバート ブルック」


 この状況について、リリーはこう述べている。「私はこれ以上丁重さは無いかと思うように扱われた。そしてかなりの議員がそこには居た。彼らは私がここにいると聞いて集まってきたのだ。ロバート ブルック卿はこの目的について述べた。
『リリー殿、当委員会は近頃の火事の原因について、あるいはその中に何らかの策謀があるかについて、貴殿が何か言える事があるか知りたく、それゆえ貴殿をここに呼ぶのが相応しいと考えた。貴殿がここに呼ばれたのは、貴殿の過去の書の中で、ヒエログリフの一つでこの火事を暗示していたからである』
 私は答えた。『名誉ある代議員諸君、先王の処刑以来の3年の間、議会はこの国の平和を確立するために何もせず、人々は不平を抱き、ロンドン市民らは不満で、兵士らはしばしば反乱を起こしていた時、私は神が私に与えた最良の知識により、私が学んだ術により、何が、いつ、議会と祖国一般で起きるのかを問いただしたく願いました。最終的に、私は可能な限りにおいて満足する結果を得て、そこに私の占断も完成しました。私は、我が意図と概念を姿形、型、ヒエログリフなどで示し、そこにどのようなコメントも加えないのが最も良いと考えました。それにより、我が占断は、愚かな大衆からは隠され、賢者のみが理解できるようになろうと。私はそれゆえ、過去の同様の事をした多くの賢い哲学者らの例を真似ました。閣下、ロンドン市が悲しくも大いなる疫病と、さらに遠くない時期に途方もない大火に襲われた今、この書の中に記したこれらの2つのヒエログリフは、実際、非常に真実であったと証明されたのであります』
 ある委員が言った。『貴殿は他に今年の事を予知したのか?』私は答えた。『いいえ。私は過去も今も。そのような記録は探してもありますまい』私は続けた。『さて閣下、この街を燃やすどのような陰謀があったとしても、その目的のために誰かが使われたとしても、私は喜んで閣下に協力するつもりであります。事実、この大火以来、私はこれらの調査に多くの労を費やしてきましたが、私はその結果にほんの少しの満足もしておりません。私はこれは神の指によるものと考えますが、そのためにどのような道具が用いられたかは私には到底思いつきませぬ』
 委員会は私の返答に満足したようだった。そして非常に丁重に私は帰された。」


 この後、我らが著者に何らかの目立った事件が起きる事は無かった。リリーはロンドンを離れて独立を得たので、1665年の疫病があった年にハーシャムに居を構えた。そして医学を熱心に学び、1670年10月11日に医師免許を得た。リリーは医師として大いなる成功をしていたが、占星術をそこに応用していたのは疑う余地が無い。また彼は健康のアドバイスと処方箋を患者らに無料で与え、金を取る事は無かった。リリーのこの技量と慈悲深さは、彼に大いなる名声と尊敬を与えた。


 リリーは1674年8月まで健康であったが、その後には健康と視力は非常に弱くなった。リリーはなおも、毎月の星の観察と占断書を書いていたが、晩年は秘書(ヘンリー コリー氏。後にリリーの占星術の後継者となる)の助けを借りてだった。だが、それも1681年までだった。


 1681年の始めに、リリーは下痢になり、それらは回復したものの完全に盲目になってしまった。この年の5月30日にリリーは致死的な中風に罹り、何日も苦しんだ後に1681年6月9日の朝3時に「どのような苦悶や激痛も示さずに」亡くなった。


 リリーはウォルトン教会の墓地に埋葬された。彼の友人、イライアス アシュモール卿がその遺骸を墓に納める手助けをした。そこは「聖餐台の左側」であった。
 その上から黒大理石が友人により置かれ、そこには以下のように彫られていた。


「この墓は決して崩され忘れ去られる事は無い
 ウィリアム リリー
 卓越した占星術師
 ここに眠る
 ユリウス・キリスト暦 1681年6月15日
 ここに遺骸を安置したのは、
 イライアス アシュモール
 アルミゲル」


占星術の学徒らへの手紙


 わが友よ、汝が誰であろうとも、私の苦心の研究からの利益を容易に受け取り、天の星々の知識を追求すべきだ。まず最初に、汝の創造主を敬い、主に感謝を捧げ、謙虚であれ。自然の知識が、どれだけ深淵で超越的であろうとも、汝の心から神の摂理を無視しないようにせよ。神は天地にある万物全てを見通す。汝の知識がより深まるにつれ、汝は全能の神の知恵と力に気づくであろう。汝自身が神の利益となるように望め。汝が聖となり、神に近づけば近づくほど、汝に正しい占断が出来るようになろう。


 プライドと自惚れに気をつけよ。思い出すのだ、はるか過去にどの獣も人、マクロコスム*3を襲おうとはせず、彼が自らの思考と情熱の主であり、語られざる御方に対して自らの意志を捧げる限り、心から従い仕えた事を。だが、何たる哉! 彼が不正に満ちた時、人は自らを破滅させ、思考は捨てられ、あらゆる獣、生き物、外界の恐るべきものは彼の命令に反抗するようになったのだ。汝の神に対して固守せよ。そして汝自身の高貴さを考えよ。現在のも未来の万物も、全て汝ら人の為に作られているのだ。それどころか、汝のために神自らが人となった*4。汝はかように偉大な存在なのだ。キリストに親しみ、天国の上に生き支配し、全ての力と権威の上に座す。どれだけ多くの卓越、特権、利益を神は汝に与えたであろうか。汝は星々の重要さと動きを考え黙想する事で、天の上に及ぶ。汝は天使らや神自らとも対話し、汝の領域に全ての生き物を持ち、悪魔を服従させ続ける。ゆえに汝は自らの性質を損ったり、そのような賜物に値しない者とならず、そのような偉大な力、栄光、祝福、神が汝に許したものを、汝が少ない不完全な喜びを得るために、拒絶しないようにせよ。


 汝の神についてや汝自らについて考え、神の従者としての自覚を持ったならば、次にはどのように自ら実践するかの教授を受け取るのだ。汝が天の星々と日々親しめば親しむほど、汝の精神に神の像に従って教授され形作られるだろう。美徳の装飾全てを学び、それらを充分に教授され、慈悲深く、全てに熟達し、容易に近づくようにせよ。悪しき占断結果に恐れないようにせよ。神に祈り、差し迫った悪しき占断がそれるようにせよ。礼儀正しくあれ。酒を飲み過ぎるな。財産を欲しがるな。金にせよ占断にせよ無料で貧しい者に分け与えよ。多く占断して莫大な富を作ろうとするな。そのような行いは、この術の名誉を損なうだろう。汝が住む場所の隣人らに占断するのは控えるようにせよ。違法行為と論争を避けよ。刻苦して学ぶならば、汝はこの術で卓越するであろう。浪費しないようになよ、またあらゆる学を学ぼうとし、全てを得ようと望むな。信仰深く、揺るがなく、誰の秘密も明かして裏切らないようにせよ。誰もに良く生活できるように教えよ。汝の生活が良き模範となるようにせよ。汝の祖国を愛せ。悪評が立っても落ち込むな。多くの知識を試すようにせよ。罪びとが罰せられず、嘘つきが報復されないと神は不快に感じよう。イングランドの高潔な者のために祈り、ジェントルマンとヨーマン(子地主)らに名誉を与えよ。議会の命令に対して堅く立つようにせよ。我らが富裕な法曹家らに敬虔な意見を持て。彼らの刻苦の学習と、真に優れたジェントルマンらのお互いに助け合う精神が無ければ、我々は今なお奴隷の身であったろう。だが我々はそうではない。我々は今では聖職者らと同様に光を見る。神の意志に適うならば、この王国の君主政治、陛下とその子孫の支配が続くように祈れ*5。またスコットランドを忘れないようにせよ。彼らと我々の必要のための相互援助と、彼らの名誉ある反逆を*6。輝かしいフェアファクス将軍*7と彼の全軍兵士に神の祝福があらんことを。そして偉大な街ロンドンと、その全ての価値ある市民らに永遠の祝福があらんことを。

ウィリアム リリー


占星術入門 1
↑ 占星術入門


*1 1617年 - 1692年。17世紀の英国を代表するオカルティスト、占星術師、錬金術師、魔術師、古物収集家。
*2 1641年から1649年の清教徒革命で、チャールズ1世の王党派とクロムウェルらの議会派は内戦に突入した。最後にはチャールズの処刑で劇的に終結する。
*3 楽園のアダムのこと。
*4 イエスの受肉のこと。
*5 この頃、リリーは王党派についていたからである。
*6 スコットランドが内戦で王党派について反乱した事を指している。
*7 おそらく、第2代フェアファクス卿ファーディナンド(1584年 - 1648年)のこと。皮肉にも、議会側の将軍となるが。なお息子の第3代フェアファクス卿は、クロムウェルと共に有名なニューモデル軍を設立している。