明かされたカバラ 序説

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カバラ序説


1. カバラを知らない読者がおそらく最初に抱くであろう質問は以下のものだろう。カバラとは何か? 誰がその著者なのか? その細分は何か? その一般的な教えは何か? そして、なぜその翻訳が現代必要なのか?


2. 私は最後の質問からまず答えよう。現在において、強いオカルト思想の波が社会全体に広がっている。思想家らは「この天地の間には彼らの学問では夢にも思わないものがある」*1事実に気づき始めている。さらに重要な事は、現在感じるのは聖書は、おそらくこの書は世界で最も誤解されている書物だが、数えきれないほど古びて神秘的な文章を含んでいて、それらは意味を開くある種の鍵が無い限り、ほとんど理解出来ないのである。「カバラはその鍵を与えるのである」。それゆえ、本書はあらゆる聖書と神学の学徒らの興味を惹くであろう。あらゆるキリスト教徒はこの質問を自らに問うと良い。「もし旧約聖書が作られた国が用いた構造に無知ならば、私はこの聖なる書を理解したといえるだろうか? さらに、旧約聖書の意味を知らないのなら、私は新約を理解できると期待できようか?」この聖書の真にして崇高な哲学が良く知られるならば、狂信者や宗派争いは減るであろう。人々の教師となった頑迷な狂信者らにより、感受性の強い人々に対してどれだけの危害を与えてきたかを、誰が数えられようか? 宗教の狂気と憂鬱の結果、どれだけの自殺が行われただろうか! 聖書の預言者と黙示録の書の真の意味とは関係ないナンセンスな神聖冒涜の寄せ集めがどれだけあろうか! 興奮してバランスの取れていない精神の者による、聖なるヘブライの書の無数の誤訳がある翻訳を基礎として与えられて、結果としてどのような体系が期待できようか? 私は現在の狂信者らと偏見を持つ者らに敢然と告げたい。諸君らは至高にして無限の御方を玉座から引きずり降ろし、その代わりにアンバランスの力の悪魔*2を置いたと。諸君らは不和と嫉妬の神格を、秩序と愛の神と置き換えたと。諸君らは十字架にかけられた御方の教えを邪道に歪めたと。それゆえ、現在においてカバラの英訳はほとんど必要不可欠なのである。ゾーハルはこの国の言語に、そして私の知る限りにおいて現代ヨーロッパのどの国にも訳されていなかったからである*3


3. カバラとは、秘教的なユダヤ教の教義と定義できるだろう。これはヘブライ語のקבלה、QBLH、Qabalahから来ており、その語源はקבל、QBL、Qibelでその意味は「受け取る」である。この名は口承による秘教知識を伝えてきた慣習を表しており、ほとんど伝承と同義語として用いられてきた。


4. 本書の文章内には多くのヘブライ語やカルデア語の単語が使われている。そしてセム語派の学者の数は限られているので、私はそのような単語には、正確な綴りを慎重に保ちつつ、通常のローマ文字で表すのがより適していると考えた*4。私はそれゆえ、通常のヘブライとカルデアのアルファベット(両言語では共通である)と、それに対応して私が本書で用いる事にしたローマ文字の図を付記する事にした。さらに、文字の名前と、発音、数の値もである。ヘブライ語とカルデア語には特別な数字の文字は無い。またギリシア文字の場合も同様である。それぞれの文字には自らの特別な数値がある。そしてこのため、「あらゆる言葉は数であり、あらゆる数は言葉である」という重要な結果となる。これは黙示録で記された「獣の数」に暗示されている。そしてこの言葉と数の関連はゲマトリア(いわゆる文献カバラの第一の部分)が基礎とするものである。私はこの主題を後にまた語るとする。私はローマ文字のQをヘブライ文字のק(クフ)の代わりに使うことにした。続けてmを使わない先例は、マックス ミューラー著の「東方の聖なる書」に見つけられるだろう。読者はヘブライ文字はほとんど完全に子音アルファベットであり、母音は小さな点で与えられ、通常は文字の下に置かれると知る必要がある。ヘブライ文字の別の難点は、特定の文字が非常に似たものになっている事である。例えば、ו(V)、ז(Z)と語末形のן(N)などである。


ヘブライとカルデア文字の表

発音数値ローマ文字名前名前の意味ヘブライとカルデア文字
a1Aアレフ雄牛א
b,bh(v)2Bベートב
g(硬音),gh3Gギメルラクダג
d,dh(thを低く)4Dダレットד
h(帯気音)5Hヘーה
v,u,o6Vヴァウ杭、釘ו
z,dz7Zザイン武器、剣ז
ch(喉音)8Chヘット囲い、フェンスח
t(強勢)9Tテットט
i,y(yesのy)10I*5ヨドי
k,kh20 語末形500Kカフ手のひらכ 語末形ך
l30Lラメッド牛の突き棒ל
m40 語末形600Mメムמ 語末形ם
n50 語末形700Nヌンנ 語末形ן
s60Sサメフ支柱,支えס
O,aa,ng(喉音)70Oアインע
p,ph80 語末形800Pフェーפ 語末形ף
ts,tz,j90 語末形900Tzツァディ釣り針צ 語末形ץ
q,qh(喉音)100Qクフ後頭部ק
r200Rレーシュר
sh,s300Shシンש
th,t400Thタウ十字の印ת
  • 普通よりも大きく文字を書く事で1000を表す。例えばא(アレフ)が他の文字よりも大きく書かれていたら、1ではなく1000となる。
  • 語末形の文字は常にその値が増大するとは限らない。

5. カバラの著者と起源については、私は以下に記すギンズバーグ博士の「カバラのエッセイ」の引用より良い答えは与えられない。まず最初の前提として、この言葉は様々な風に記される。――Cabala、Kabalah、Kabbalaなどである。私はQabalahを使うことにした。これはこの言葉のヘブライ文字の子音により合っているからである。


6.「この宗教哲学の体系、より適切に言うならば、神智学の体系は、数百年の間実践され、ユダヤ教の賢者らの精神修養に極めて影響を与えてきたのみならず、16、7世紀の一部のキリスト教の思想家らも魅了し、哲学者と神学者らの両方に最も注目されたという。それらの中には、高名な形而上学者、錬金術師のラモン リュイ(1315年に死亡)、高名な学者にして東方文献のヨーロッパでの再興者、ヨハンネス ロイヒリン(1455年 - 1522年)、有名な哲学者にして古典学者ピコ デッラ ミランドラ(1463年 - 1494年)、名高い哲学者、神学者、医師のコルネリウス ハインリヒ アグリッパ(1486年 - 1535年)、非凡な化学者にして医師、ヤン ファン ヘルモント(1577年 - 1644年)、同様に我々の国では、有名な医師にして哲学者のロバート フラッド(1574年 - 1637年)とヘンリー モア博士(1614年 - 1687年)がいる。これらの人々は神的なものの「深淵の深み」を明らかにする科学的な体系と、万物をともに繋げる本物の紐を示すものを休むことなく探し求め、彼らの精神の熱望を満足させるものをこの神智学により見つけたのだった。カバラが文芸や哲学の学徒らからの注目を受けたのは容易く認められるだろう。カバラはしかし、文学者や哲学者からのみ注目されたのではなく、詩人もまたその高遠な詩想の充分な材料をこの中に見つけたのだった。この神智学が、我々が確信するに、楽園で神より生まれ、天の選ばれた天使らに育てられ、地上の人の子らの中でも最も聖なる者らとのみ対話した以外に可能だろうか? 信奉者らにより語られるその誕生、成長、成熟の物語を聞くべきである。」


7. 「カバラは最初に、神自らから一部の天使らが秘密裏に教えられ、それらは楽園エデンにて神智学の学派を形成した。失楽園の後、天使らは地の不服従の子らに、彼らの汚れなき高貴さと至福を取り戻す方法として、畏れ多くもこの天の教義を伝えた。アダムよりこの知識はノアに伝えられ、それから神の友アブラハムに伝えられた。この父祖はそれをエジプトへと持ち込み、そこでこの神秘の教義を漏らす許可を得た。それにより、エジプト人はこの知識の一部を得た。また他の東方の国々も彼らの哲学体系に組み込んでいる。エジプトの全ての知恵を学んだモーセは、その産まれた地で最初にカバラの秘儀伝授を受けたが、放浪の時期に最も熟達した者となった。モーセは40年の放浪の余暇にこの学に献身するのみならず、天使らからも教授を受けていた。この神秘的な学の助けにより、この民の放浪、戦争、しばしばの不幸にも関わらず、この律法を与えられた者(モーセ)はイスラエル人の指導で直面した様々な困難に対処することが出来た。モーセはこの秘密教義の諸原理を、モーセ五書の最初の四書のうちに埋め込んだが、申命記には保留することにした。モーセはまた70人の長老らにこの秘密教義の秘儀伝授をし、彼らは再び弟子らへと伝えていった。この途切れない伝統の系譜の中、ダヴィデ王とソロモン王は最も深くカバラの伝授を受けた。だが、シモン ベン ヨハイまで、誰にせよそれを文章としてあえて書く事は無かった。シモンは第二神殿の崩壊*6の時代に生き、その死後は、その息子ラビ エリアザルと秘書ラビ アッバと弟子らがラビ シモン ベン ヨハイの文献を集めて、名高い書、זהר(ZHR、ゾーハル、光輝の書)となった。この書はカバラの偉大なる宝庫なのである。」


8. カバラは通常4つの分野に分けられている。


 (a) 実践カバラ
 (b) 文献カバラ
 (c) 書かれざるカバラ
 (d) 教義カバラ


9. 実践カバラは護符や儀式魔術を扱い、それらは本書の守備範囲には無い。


10. 文献カバラは(本書の)様々な場所で用いられており、それゆえ、その原理となる知識は不可欠である。これはגימטריא(GMTRIA、ゲマトリア)と、נוטריקון(NVTRIQVN、ノタリコン)と、תמורה(ThMVRH、テムラー)の3つの部分に分けられている。


11. ゲマトリアはギリシア語のγραμματειαの音位転換であり、私が先に述べたように、これは文字に関連する数値を基礎としている。似た数値を持つ2つの言葉は、お互いに説明的と見做され、この理論はまた句にも拡張された。ゆえに、ש(Sh、シン)の文字は300で、רוח אלהים(RVCh ALHIM、ルアフ エロヒム)、神の霊の言葉の文字の値を全て足していった合計と同等である。それゆえ、シンは神の霊の象徴である。R=200、V=6、Ch=8、A=1、L=30、H=5、I=10、M=40の合計は300である。同様に、אחד(AChD、エハド、統一)の言葉と、אהבה(AHBH、アハバー、愛)は、それぞれが13である。A=1、Ch=8、D=4の合計は13で、A=1、H=5、B=2、H=5の合計も13である。さらに、天使の名前 מטטרון(MTTRVN、メタトロンあるいはメトラトン)は、神の御名 שדי(ShDI、シャダイ)とは、それぞれが314を作る。それゆえ、お互いが象徴とされる。天使メトラトンは荒野を旅するイスラエルの子らの案内人と呼ばれ、彼について神は言った。「我が名は彼である」。ゲマトリアでは句も解釈でき、創世記 第49章10節のיבא שילה(IBA ShILH、イェバ シイロ、「シロの来る」)= 358で、これはמשיח(MShICh、メシアフ)の値と同じである。また創世記 第18章2節にある言葉、והנה שלשה(VHNH ShLShH、ヴェヘナー シェルシャ、「見ると、三人の人が」)は、אלו מיכאל גבריאל ורפאל(ALV MIKAL GBRIAL VRPAL、エロ ミカエル ガブリエル ヴェ=ラファエル、「これらはミカエル、ガブリエル、さらにラファエル」)と同値で、どちらの句も701である。私はこれらの例でゲマトリアの性質を明らかにするには充分だと思う。特に、本書の以下において多数の他の例も見つけられるだろうからだ。


12. ノタリコンはラテン語の言葉ノートーリウスから来たもので、短縮法である。ノタリコンには2つの形態がある。第1のものは、言葉のあらゆる文字が別の言葉の頭文字や略語として解釈される。それにより、言葉の文字列から句が形成されるだろう。ゆえに、בראשית(BRAShITh、ベラシート)、創世記の最初の「初めに」の言葉の全ての文字から、בראשית ראה אלהים שיקבלו ישראל תורה(BRAShITh RAH ALHIM ShIQBLV IShRAL ThVRH、ベラシート ラヒ エロヒム シェイクィベロ イシュラエル トーラー)、「始まりにおいて神はイスラエルは律法を受け入れるだろうと見た」となる。これと関連して、私は同じבראשית(BRAShITh)からノタリコンにより導かれる6つの非常に興味深い別の見本も述べよう。これらはユダヤ人カバラ学者ソロモン メイル ベン モーゼスによるもので、この人物は1665年にキリスト教に改宗してプロスパー ルガーと改名している。これらはキリスト教の傾向があり、これらの方法により、プロスパーはかつてはキリスト教に激しく対立していた別のユダヤ人を改宗させている。第1のものは、בן רוח אב שלושתם יחד תמים(BN RVCh AB ShLVShThM IChD ThMIM、ベン、ルアフ、アブ、シャロシェテム イェカド テミム、「息子、霊、父、これらの三位一体、完全な統一」)。第2のものは、בן רוח אב שלושתם יחד תעבודו(BN RVCh AB ShLVShThM IChD ThOBVDV、ベン、ルアフ、アブ、シャロシェテム イェカド タウボド、「息子、霊、父、これらの三位一体を汝は同様に崇拝せよ」)。第3のものは、בכורי ראשוני אשר שמו ישוע תעבודו(BKVRI RAShVNI AShR ShMV IShVO ThOBVDV、ベコリ ラシュニ アシェル シャモ イェシュア タウボド、「汝は我が長子、我が初め、その名はイエスを崇拝せよ」)。第4のものは、בבוא רבן אשר שמו ישוע תעבודו(BBVA RBN AShR ShMV IShVO ThOBVDV、ベボア ラッバン アシェル シャモ イェシュア タウバド、「その名はイエスという師が来たならば、汝は崇拝せよ」)。第5のものは、בתולה ראויה אבחר שתלד ישוע תאסהרוה(BThVLH RAVIH ABChR ShThLD IShVO ThASHRVH、ベトゥラー ラヴィアー アバチェル シェタレド イェシュア トラシュロー、「私はイエスを産む乙女を選ぶだろう。そして汝は彼女を祝福された者と呼べ」)。第6のものは、בעוגת רצפים אשתתר שגופי ישוע תאכלו(BOVGTh RTzPIM AShThThR ShGVPI IShVO ThAKLV、ベアウゴト ラツゼフィム アッサタル シェゴピ イェシュア タケロ、「私は自らをパン(それで焼く)炭に隠すだろう。汝は我が体イエスを食べよ」)。キリスト教の教義と関連するこれらの句のカバラの重要性は、決して過大評価ではない。


13. ノタリコンの第2の形態は、第1の正反対である。句の最初か最後か両方、あるいは中間の文字から、単独か複数の言葉を作り出す。ゆえにこのカバラはחכמה נסתרה(ChKMH NSThRH、ホクマー ネセトラー、秘密の知恵)と呼ばれる。そしてノタリコンの第2の形態の方法でこの2つの言葉の頭文字ח(Ch)とנ(N)を取ったら、חן(ChN、ヘン、恩寵)の言葉を得られる。同様に、申命記 第30章12節のמי יעלה לנו השמימה(MI IOLH LNV HShMIMH、ミ イアウラー レノ ハ=シャマイマー、「誰が我々のために天に上るか?」)の最初と最後の文字を取ると、מילה(MILH、ミラー、割礼)とיהוה(IHVH、テトラグラマトン、神名の4文字)が導け、それにより神は天への道として割礼を命じたと示唆する。


14. テムラーは文字の並び替えである。特定のルールに則り、1つの文字はアルファベットの次か前の別の文字へと取り換えていく。それにより、1つの言葉は完全に違った綴りの言葉へと変わるだろう。まずアルファベットは正確に半分ずつに分けて、2つ目の半分を下の行に置く。最初の文字か最初の2つの文字を2行目のものと変換していき、22の交換が作られる。これらはצירוף(TzIRVP、ティルパの組み合わせの図)と呼ばれる。


1110987654321
KITChZVHDGBA
MNSOPTzQRShThL

 例として、私はאלבת(ALBTh、アルバト)と呼ばれる方法を使うとする。それぞれの方法は最初の2つの組み合わせより名前が付けられている*7。言葉の文字一つ一つを、関連するペアのもう1つの方へと変えていく。よって、アルバトにより、רוח(RVCh、ルアフ)はדצע(DTzO、デザウ)となる。他の21の方法の名前は、ABGTh、AGDTh、ADBG、AHBD、AVBH、AZBV、AChBZ、ATBCh、AIBT、AKBI、ALBK、AMBL、ANBM、ASBN、AOBS、APBO、ATzBP、AQBTz、ARBQ、AShBR、AThBShである。これらにABGDとALBMのモードも加えねばならない。これにより、別の22の組み合わせの集合の「ティルパの比の図」が作られる。他に右、反対、不規則として知られている3つの「交換の図」がある。これらを作るためには、484の正方形を含んでいる正方形を作り、文字をその中に書いていく。「右の図」では、アルファベットを右から左へと書いていき、正方形の2行目からも同じようにするが、今度はר(R)の字から始めてא(A)で終える。3行目はג(G)から始めてב(B)で終わる、という風に続ける。「反対の図」では、アルファベットを右から左へと逆順に書いていく。1行目はת(Th)から始めて、א(A)で終わる。2行目はש(Sh)から始めてת(Th)で終わるなど。「不規則な図」を説明するのは長くなりすぎるので割愛する。これらの全ての他に、תשרק(ThShRQ、テシュラク)と呼ばれる方法もあり、これは単純に言葉を逆順に書いていく。また非常に重要な形態もあり、「9つの部屋のカバラ」あるいは、איק בכר(AIQ BKR、アイク ベカル)と呼ばれている。それは以下のように作られる。


300303200202100101
000000000000000000
ShLGRKBQIA
600606500505400404
000000000000000000
語末MSV語末KNHThMD
900909800808700707
000000000000000000
語末TTzT語末PPCh語末NOZ

 私は各部屋の文字の間の類似性を示すために、各文字の数値を上記の図に置いた。時にはこれは暗号として使われる。図の場所により含まれている文字を示していき、1つ目を最初の文字、2つ目を2番目の文字と続けていく。よって直角にאיק(AIQ)があれば、そこに3つの点があるなら答えはק(Q)となる。また正方形なら、その中に1つ、2つ、3つのいずれかの点があるなら、ה(H)、נ(N)、ך(K語末文字)のいずれかが答えとなる。また、他の文字も同様である。だが、この9つの部屋のカバラは他にも様々な方法があり、それら全てを記す余裕は本書には無い。私が例としてわずかに記したいのは、אתבש(AThBSh、アタバス)と呼ばれるテムラーのモードにより、エレミヤ書の第25章26節の言葉、ששך(ShShk、シェシャク)はבבל(BBL、バベル)の象徴とされる。


15. これらのルール全ての他にも、ヘブライ文字の形には隠された意味合いがある。文字列の最後に置かれる文字が、通常は語末文字として使われる形とは違うものがある。または文字列の半ばで通常は語末でのみ使われる文字が置かれる事もある。また、任意の文字や文字列が他の文章よりも大きく書かれたり小さく書かれたりする。あるいはある文字が逆さまに書かれる。特定の言葉の綴りが変種し、ある場所により多くの文字がある。点やアクセント記号が特有の場所に置かれる。省略されたり過剰だったりする特定の表現などである。


16. ヘブライ文字のא(A、アレフ)(図1 参照)の例でいえば、י(I、ヨド)とד(D、ダレット)の間のו(V、ヴァウ)で象徴化され、文字そのものはיוד(IVD、ヨド)の言葉を表すとされる。同様に、ה(H、ヘー)の文字は、ד(D、ダレット)にי(I、ヨド)が左下の端に書いて表されるなどがある。


17. イザヤ書 第9章6-7節の言葉 לםרבה(LMRBH、レマルバー)は掛けるの意味であるが、語末文字のם(M)が、通常のמ(M)の代わりに途中で書かれている。この結果、この言葉の合計の数値は30 + 40 + 200 + 2 + 5 = 277の代わりに、30 + 600 + 200 + 2 + 5 = 837となり、ゲマトリアでの同値の言葉として、תת זל(ThTh ZL、タット ザル、豊富に与える者)となり、通常の代わりに語末形のם(M)の文字を入れる事により、この言葉は違ったカバラ的意味合いを持ったのである。


18. 申命記 第6章4節などには、「シェマ イスラエル」として知られる祈りの言葉がある。これは「שמע ישראל יהוה אלהינו יהוה אחד(ShMO IShRAL IHVH ALHINV IHVH AChD、シェマ イスラエル テトラグラマトン エロヒノ テトラグラマトン エハド、聞けイスラエル、テトラグラマトンは我らの神、テトラグラマトンは唯一(の我らの神)である)」この言葉でשמע(ShMO)の語末の文字ע(O)と、אחד(AChD)のד(D)が文章の他の文字よりもずっと大きく書かれている。カバラの象徴学はこれをかく説明する。ע(O)の文字は70の値をもつが、律法は70の違った方法で説明できるのを示す。そしてד(D) = 4 = 東西南北の4つの方角と、神の御名の4文字である。最初の言葉 שמע(ShMO)は、410の値を持ち、第一神殿が存続した年数を表す、などである。他にも多くの考える価値のある点がこの祈りにはあるが、それを語るだけの時間が無い。


19. 他の例の足りなかったり過剰だったりする綴りや、独特のアクセントや点の使用などは、本書の以下において様々な場所で見い出せるだろう。


20. 更なる注記として、聖書の最初の言葉、בראשית(BRAShITh、ベラシート)、この最初の3つの文字ברא(BRA)はבן(BN、ベン、息子)、רוח(RVCh、ルアフ、聖霊)、אב(AB、アブ、父)の三位一体の3つのペルソナの御名の最初の文字でもある。聖書の最初の文字はב(B)だが、これはברכה(BRKH、ブラハ、祝福)の最初の文字であり、ארר(ARR、アラル、呪い)のא(A)ではない。再びベラシートの文字に戻ると、この数値は天地創造とイエスの誕生の間の年数を表わし、B = 2000、R = 200、A = 1000、Sh = 300、I = 10、Th = 400。合計で3910年間となる。ピコ デッラ ミランドラは、בראשית(BRAShITh、ベラシート)に以下の作業をした。――3番目の文字א(A)を最初のב(B)に加え、אב(AB) = 父の言葉が得られる。最初の文字ב(B)を2倍にして、第2の文字ר(R)を加えたら、בבר(BBR、べバル) = 息子を通じてとなる。最初の文字を無視して読んだら、ראשית(RAShITh、レシート) = 始まりとなる。4番目の文字ש(Sh)と最初のב(B)と最後のת(Th)を繋げたら、שבת(ShBTh、シャバト) = 終わりあるいは休息となる。最初の3つの文字のみなら、ברא(BRA、バラー) = 創造されたとなる。最初を無視して、続く3文字を取ったら、ראש(RASh、ロシュ) = 頭となる。最初の2つを無視して、次の2文字を取ったら、אש(ASh、エシュ) = 火となる。4番目と最後の文字を足したら、שת(ShTh、シェツ) = 基盤となる。再び、第2の文字を最初の文字の前に足したら、רב(RB、ラブ) = 偉大なとなる。3番目が5番目と4番目と足したら、איש(AISh、イシュ) = 人となる。最初の2つに最後の2つを足したら、ברית(BRITh、ブリット) = 契約となる。そして最初の文字を最後の後ろに足したら、תב(ThB、タブ)、これは過去ではטוב(TVB)として使われ、トブ = 善を表す。


21. これらの神秘的な並び替えを適切な順序で全体に行い、ピコは以下の文章をבראשית(BRAShITh)の言葉1つから導いた。――息子を通じて、彼の正しい契約により、父は始まりにして終わりであり、火の生命にして、天の人間(アダム カドモン)の基礎の頭を創造した。これは「隠された神秘の書」の教えを短縮した内容である。この文献カバラの注釈は、すでに適切な限界を超えてしまっている。だが、本書の先において応用に入るためには、ここまでの形而上学的思弁を明白にするのは必要な事であった。


22. 「書かれざるカバラ」という概念は、カバラのある種の知識は決して書物に任せられる事は無く、口承によってのみ伝えられるのを意味する。私はこれ以上これについて語る事はせず、私がそれを受け取ったか否かすら述べられない。無論、ラビ シモン ベン ヨハイの時代まで、カバラは決して書かれる事は無かった。


23. 教義カバラは、教義の部分を含んでいる。書かれたカバラを構成する様々な時代の様々な価値ある文献があるが、それらは4つの部類に分ける事が出来る。


 (a) セフェル イェツィラーと、その関連する書
 (b) ゾーハルとその発展と注釈
 (c) セフェル セフィロトとその拡張
 (d) エシュ メッアレフとその象徴主義


24. ספר יצירה(SPR ITzIRH、セフェル イェツィラー、形成の書)は父祖アブラハムが書いたとされ、世界全体を10の数と22のアルファベットの文字、それらは「32の小路」と呼ばれるもので象徴化している。後に、ラビ アブラハム ベン ディオルがこの書の神秘的な注釈を書いている。この「小路」という用語は、カバラ全体で使われ、象形文字的な考え、あるいは、様々な象形文字や象徴に当てはめる考えの圏を表す。


25. זהר(ZHR、ゾーハル、光輝の書)は多くのやや重要性の低い文書らのほかに、以下の最も重要な書らを含んでいる。その中の3つを本書では翻訳している。


 (a) ספרא דצניעותא(SPRA DTzNIOVThA、セフェラ デツェニオウタ、隠された神秘の書)。ゾーハルの基礎にして源である。
 (b) אדרא רבא קדישא(ADRA RBA QDIShA、アドラ ラバ クァディシャ、大聖会の書)。これは隠された神秘の書の発展である。
 (c) אדרא זוטא קדישא(ADRA ZVTA QDIShA、アドラ ズタ クァディシャ、小聖会の書)。これは大聖会の書の補遺といえる内容である。これら3冊は、神の創造が徐々に進展する様を扱っている。これらの書の文章はマントヴァ、クレメネンシアン、ルブリネンシアン写本から、クロル フォン ローゼンロート(カバラ デヌダタの著者)により注釈をつけられたものである。その中でもマントヴァ、クレメネンシアンが最古のものである。特別な注釈も記し、それらはカッコ内で元の文と区別している。
 (d) בית אלהים(BITh ALHIM、ベイト エロヒム、エロヒムの館)と呼ばれる霊に関する論書で、ラビ イツハク ルーリアの教説よりラビ アブラハム コヘン イリラにより編集された。これは天使、悪魔、エレメンツの霊らと魂を扱っている。
 (e) 「魂の循環の書」は奇妙で散漫な文書であり、ラビ ルーリアの考えを拡張させている。


26. ספר ספירות(SPR SPIRVTh、セフェル セフィロト、流出の書)は、否定から肯定的存在への言わば神性のゆるやかな進化について記している。


27. אש מצרף(ASh MTzRP、エシュ メアレフ、清める火)は、ヘルメース的、錬金術的な書で、ごく僅かしか知られておらず、いつ頃の作かも僅かしか知られていない。


28. カバラの主な教義は、以下の問題を解決するために作られている。


 (a) 至高の存在、その性質と属性
 (b) 宇宙論
 (c) 天使と人の創造
 (d) 人と天使らの宿命
 (e) 魂の性質
 (f) 天使、悪魔、エレメンツの性質
 (g) 明かされた律法の意味
 (h) 数の形而上学的な象徴主義
 (i) ヘブライ文字に含まれた特別な神秘
 (j) 対立物の調和


29. 「隠された神秘の書」は以下の言葉から始まっている。「隠された神秘の書は天秤の均衡の書である。」この「天秤の均衡」とはどういう意味であろうか? 均衡とは対立物の類推の調和である。その中心では対立する力は抑制され力は均等となり動きが止まる。ここは中心点である。そこは古代の象徴主義では「円の中の点」と呼ばれた。それは力を平衡させる生ける総合である。ゆえに、光と影の均衡として記す事も出来よう。両方の要素を取り、形態は見えなくなる。この天秤の用語は、セフィロトのそれぞれの三角形の2つの対立する性質に当てはめられる。この均衡により、それぞれの3つ組で第3のセフィラが形成される。私はこの問題を、セフィロトの説明の部分で再び取り上げる。この均衡と天秤の教義は、カバラの基礎となる考えである。


30. 「隠された神秘の書」は続いて、この「均衡は否定的に存在する領域に存在する」と述べる。この否定的な存在とは何であろうか? 肯定的な存在は何であろうか? これら2つの区別は、カバラの別の基礎の考えである。否定的な存在を明らかに定義するのは不可能である。「明白に定義した瞬間に、それは否定的な存在で無くなるからである」。それは否定的存在から安定した状態へと向かう。それゆえ、カバラ学者らは賢明にも、原初のאין(AIN、アイン、否定的に存在するもの)と、אין סוף(AIN SVP、アイン ソフ、限界無き拡張)、さらにאין סוף אור(AIN SVP AVR、アイン ソフ アウル、限界無き光)は、一般的な理解は不可能で、ただ曖昧な概念としてのみ形成できるとした。だが我々が深く考えるならば、不可知で名前無きものは、神として語られるより明かされた存在の原初的形態だと理解できるだろう。神は絶対者である。だが、絶対をどのように定義できるだろうか? たとえ我々がそれを定義しても、それは我らの手から逃れるだろう。それが絶対者として定義された瞬間に存在しなくなるからである。それゆえ、否定的なもの、限界無きもの、絶対的なものは、論理的に語るならば、これらは我々の思索では定義できないのならば、不合理であろうか? そのとおり。我々がこれらを定義できるなら、我々はこれらを造る事も出来なくてはならない。言うなれば、我々の思索により制御されるので、ゆえにそれは上位者ではない。定義可能な存在なら、それに特定の制限を加えられるのが前提条件である。どのように、限界無きものに限界を作れようか?


31. カバラの第一の原理と公理は、神の名である。我々の版の(英語)聖書に翻訳されたのは「我は在りて在りし者」、אהיה אשר אהיה(AHIH AShR AHIH、エヘイエ アシェル エヘイエ)である。だが、より良き翻訳は、「存在する存在」あるいは「我は存在する者である」である。


32. 今日の偉大な哲学者にしてカバラ学者のエリファス レヴィ ザヘドは、著書「魔術の歴史」(第1の書の第7章)の中で、こう述べている。「カバラ学者らは偶像崇拝やそれに似たもの全てに対して嫌っている。しかし彼らは人間の姿を神からのものと見做すが、それは純粋に象形文字的な形としてである。彼らは神を知的で生きていて愛のある無限の存在と見做している。彼らには、神は他の存在の集まりでもなく、存在するものの抽象化でもなく、哲学的に定義可能なものでもない。神は全ての中にあり、全てから離れていて、全てよりも偉大である。神の大いなる御名は言葉に出来ず、同時にこの御名はその神性への人間の理想の表現のみである。神とは何かは神ご自身の中にあり、人間が知るよう与えていないのである。神は信仰の絶対者であり、存在は思弁の絶対であり、存在は自らにより存在する。なぜならそれは存在するからである。存在が存在する理由は自らに存在する。我々は問うことが出来よう。「なぜ特定のものは存在するのか?」すなわち、「なぜそのような物は存在するか?」だが、我々は不合理に入るのではなければ「なぜ存在者は存在するのか?」と尋ねる事は出来ない。これは存在の前に存在すると仮定する事になるからである。」さらに、レヴィは(同書、第3の書の第2章で)述べる。「『私はこの教義の真理が私に科学的に証明されたならば信じる』という言葉は、こう言うのと同義である。『私は信じる以上のものが何も無くなって、この教義が科学理論となる事で教義として破壊されたなら信じる』。別の言い方をするならば、『私は無限が私の利益のために説明され、決定され、境界線が出来、定義されたなら、唯一認める。一言で、それは有限となる。私が無限が存在しないと確信したなら、無限を信じる。私は広大な海を、それがボトルの中の水として入っているのを見たならば信じる』。だが、この概念があなたに明らかに証明され説明されたならば、あなたはもはやそれを信じない――あなたはそれを知るのだ」。


33. 「バガヴァッド ギータ」*8の第9章で、神は言う。「私は不死であり死である。アルジュナよ、私は存在し、存在しない者である。」そして第9章で再び、「そしてバーラタの子孫よ、未だ見ぬ数々の驚異を見よ。我が体の中に、グダーケサよ、動くもの、動かざるもの全てを含む今の宇宙全体を一度に見よ。」そしてアルジュナは言う。「神々の無限の主よ! 宇宙に浸透する御方よ! 御身は不滅なり。それは在り、無く、それらを超えている。御身は原初の神、古き御方。御身はこの宇宙の至高の保護者。御身により、この宇宙は満たされる。無限の形の御方よ……御身は無限の力、測られざる栄光。御身は万物に満たされ、ゆえに御身は万物なり!」


34. 否定的な存在のこの概念は、概念としては存在出来るが、定義は出来ない。なぜなら定義という考えは、この性質とは完全に相入れないからである。「でも」読者の一部はおそらく言うだろう。「あなたの用語の、否定的な存在(existence)は、確実に不適切な名前だ。あなたが記すような状態は、否定的な実存(subsistence)として表現する方が良い。」だがそうではないと私は答える。否定的な実存は否定的な実存以外の何者にもなれないからである。それは変化出来ず、進歩も出来ない。否定的な実存は、真に文字通りに何も無いのである。ゆえに、否定的な実存は全く何にもなれない。それが存在してなかったなら、今も存在しないし、未来においても存在しないだろう。だが否定的な存在は、自らの中に隠れる肯定的な生を産める。その否定性の限界無き深淵の深みの中に、自ら生み出す力が隠されている。思考の微細な部分を完全なものへと放出する力、体系的集成(syntagma)を内なるものへと再び巻き込む力である。包まれヴェールを被せられているのは、拡張の広がりの中心無き渦に、激しく吸収されたものである。ゆえに、私は用語の「sub-sto(実存)」ではなく「ex-sto(存在)」を用いるのである。


35. だがこの否定的と肯定的存在の2つの考えはあまりに違いすぎるので、繋げるためのリンクが必要となる。ゆえに、ここで潜在的な存在と呼ばれる形態へと我々は到達する。これは、より肯定的存在に近いが、なおも明白な定義をほとんど認めない。それは可能性の形態として存在する。例えるならば、種の中に未来の木の形態が隠されているようにである。それは可能性の存在の条件としてある。そこにはあるが、定義を認めない。種は後に育つだろう木よりも遥かに小さい。だが木は条件としてあり、それは潜在的な存在とどこか似ているが、ほとんど状態を発展させていない。これはまだ否定的な存在なのである。


36. だが一方では、肯定的な存在は常に定義を可能とする。これは動的なものであり、特定の明白な力を持ち、それゆえ否定的な存在のアンチテーゼである。それは木であり、もはや種の中には隠れておらず、外側へと育った。だが肯定的な存在は始まりと終わりがあり、それゆえ、依拠するための別の存在を必要とする。この別の隠された否定的な観念が背後に無ければ、これは不安定であり、不十分である。


37. それゆえ、私は今までかすかに、そして全ての敬意ある努力とともに、無限の御方の概念を我が読者の心に示唆してきた。そして、この概念の前に、この概念によって、私はこれのみを言える。古代の神託の言葉で「この御方は、栄光の無限の深淵、そしてこれより小さな火花が太陽と月と星々の全ての栄光を作る。常命なる者よ! 我がいかに神について僅かしか知らないかを見よ。神をより知ろうとする莫れ。それは汝の理解力を遥かに超えているからだ。だが賢くあれ。神の僕たる我らは、その部分として我々はいかに小さい事か!」


38. 否定的な存在には3つのカバラのヴェールがある。そして、この中では、これらはまだ存在と呼ばれていないセフィロトの隠された概念を形作っている。そしてこれらはケテルに集中している。これはこの感覚では、セフィロトの隠された概念のマルクトである。私はこれについて後に説明する。否定的な存在の第1のヴェールはאין(AIN、アイン) = 否定性である。この言葉は3つの文字が含まれており、それは最初の3つのセフィロト、あるいは数を示唆している。第2のヴェールは、אין סוף(AIN SVP、アイン ソフ) = 限界無きものである。この名には6つの文字が含まれており、それは最初の6つのセフィロトあるいは数を示唆する。第3のヴェールはאין סוף אור(AIN SVP AVR、アイン ソフ アウル) = 限界無き光である。これも9つの文字で構成され、最初の9つのセフィロトを象徴する。だが、無論これらはまだ隠された概念のみである。だが我々がこの9にたどり着いた時、我々は統一、あるいは言葉では言えない一つへ帰らない限り、さらに先に進む事は出来ない。10の数は否定性より新たに導かれた統一への繰り返しであるが、それはアラビア数字の通常の表現を一瞥すれば充分である。ゼロの円は否定性を表し、1は統一である。ゆえに、否定性の限界無き光の海は中心が無いゆえに、中心からは進まないが、ある中心へと集中する。それはセフィロトでは1の数、ケテル、王冠、第1セフィラとして発現する。これはまた、それゆえ隠されたセフィロトのマルクト、10の数としても呼ぶ事が出来よう(図2参照)。ゆえに、「ケテルはマルクトの中に、そしてマルクトはケテルの中に」と呼ばれる。あるいは、高名な錬金術師(トーマス ヴォーン。あるいはよく知られている名のエウゲニウス ピラレテス)が云う、おそらくプロクロスからの引用として、「天は地の中にあり、だが地のやり方により、また地は天の中にあり、だが天のやり方による」。だが、私が先に示したように否定的な存在は定義不能なように、カバラ学者らからはそれ自体を分離して考えるよりも、統一の数に属すると考えられてきた。彼らはしばしば無差別に、両方に同じ用語と形容辞を当てはめた。そのような形用辞の例は「隠された中の隠された者」や「古き中の古き者」「最も聖なる日の老いたる者」などである。


図2 隠されたセフィロトを形成し第1セフィラ、ケテルに集中するアインの雲、ヴェール


明かされたカバラ 序説2
↑ 明かされたカバラ


*1 シェークスピアのハムレットの一節。
*2 カバラではエドムの王たちと呼ばれる。
*3 実際にはフランス訳がマサース訳の前にもあったようである
*4 本訳では、ヘブライ語単語も併記しておいた。
*5 ヨドはYの字で表される事も多い。YHVHのYなど。
*6 70年のユダヤの反乱でローマ軍にエルサレムごと滅ぼされたこと。実際のシモン自体は2世紀の人。
*7 図の右から1列目のAとL、2列目のBとTh。
*8 インドのヒンドゥー教の聖典の一つ。神の詩。