ユダヤの魔術と迷信 12

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 12

第12章 自然と人


 医療への大衆のアプローチや、無論、魔術と半魔術の行い全体の下にあるものは、世界やそこに住む者たちの自然への面白い誤解からであった。そこには霊の原因の概念と共に、多くの奇妙でしばしばグロテスクな観念があった。ユダヤの文献では、自然への中世の観点の全体図を与えていないが、そのアウトラインを示唆し、医療――と魔術――の奇妙な実践の一部を理解する助けとなるのに充分な、迷信や独断の例を我々に提供している。


自然の驚異


 古代での世界に関する幻想的な記述と荒々しくも不思議な民話を継承した中世ヨーロッパに住む中で、ユダヤ文献にそれらの考えや物語が多く主張されず、ごく僅かしかないのは驚きである。彼らが住むヨーロッパの人々が、奇妙で不思議な現象に強い興味を抱いていたのと比較すると、ユダヤ人はこれらの主題をほとんど無視していたと言えよう――ユダヤ文献の法的、解釈的な傾向がそれらを許し、大衆の信じやすさを完全に反映していなかった。にも関わらず、これらからが集めていた「諸事実」は、充分に奇妙なものであった。


 ヨーロッパで馴染みの神秘的な土地や生き物の説話は、(ユダヤ文献でも)完全に表されていた。全てが男である地域や、全てが女たちで栄えている地域があるとされ、その説明は深く「科学的」である。万物は地水火風の四大エレメンツによって構成され、性はそれらの調和された組み合わせに拠っている。そしてこれらの土地のバランスが崩れた環境では、いずれかの性に適していないからである、と。他にも、ある山の頂上には奇跡の泉があり、その水を飲んだ後に話した者はすぐに死ぬ。また、激しい飢えを作り出す奇跡的なハーブが存在し、それに触れた者は、すぐに食べる必要があり、さもなければ死ぬだろう。奇妙な生き物については、怪物たちの動物園全体が一望される。犬の頭を持つ人間、角や嘴があったり、獅子、蛇、牛の体や頭を持つ人間、2つや3つの頭を持つ人間、4本の腕を持つ人間――ある権威者は、世界には365種類の人型怪物があると保証していたが、それらを数え挙げようとはしなかった。そして無論、口から火を噴く蛇や、極端に複合的な動物たちもおり、さらに有名な不死鳥フェニックスもいて、その千年目の誕生日には卵の大きさに縮まり、それから別の千年の命として再生した(ちなみに、フェニックスはキリスト教教父やラビたちから、死者が復活する決定的証拠としてよく引用されていた)。


 ユダヤ人と非ユダヤ人の中世の文献で多く出てきた伝説的な生き物は、人型の植物、マンドラゴラの根であった。これはよく人間の形をして、その頭から葉が生えている姿で描かれていた。そしてシェイクスピアはロミオとジュリエットでこう引用している。


 そして、マンドラゴラが大地から抜かれるように叫び、
 生ける定命の者たちが、それらを聞くと、狂ったように走る。


 タルムードの注釈者のフランス・ドイツ学派では、タルムードや聖書の一部の曖昧な用語を説明するために、この奇妙な生き物を用いていた。12世紀後半のセンスのラビ サムソンはシュパイアーのラビ メイル ベン カロニモスをこの説明の権威者として引用していた。「長い糸のような類が大地の根から生えていて、生き物に付いたこの糸について、ウリやメロンのようなものであるから、ヤドゥアと呼ばれている。だが、このヤドゥアは頭、体、手、足のその全てにおいて人の形をしている。この糸の範囲に誰も近づくべきではない。それを引き抜くならば、届く全てを滅ぼすからだ。その糸に向かって遠くから矢を射く事のみによって、この生き物を捕まえられる。そして矢が糸を千切ったならば、この生き物は死ぬ。」この内容は後の注釈者たちからも引用されていった。


 動物界のより通常のものについても、その情報を照らす集まりを拾えよう。自発的な生成の信念は、ユダヤ人、非ユダヤ人の両方で堅固に信じられていた。ネズミ、ウジ虫、その他の虫は、塵、泥、汚物から生まれるとされ、ブヨと蠅は大気を父としていた。さらに人の汗や体熱は、ある種の虱やウジ虫を生み出すとされ、その頭から生み出される種を慎重に区分していた。


 これら自発的な発生についての話の中でも最も奇妙なものは、中世の間普遍的に信じられていた「カオジロガン(Barnacle-goose)」の物語である。この鳥は曲がった茎の上に育ち、木材や船の底などに付着するフジツボ(Barnacle)から生まれると信じられていた。この変容は、多くの著者たちを刺激し、当時の科学的とされた多くの書で厳粛に記されていた。ユダヤ文献でもこの概念は、起源説を伴っていた。それは鳥が果実のように実る木があり、この鳥は嘴から吊るされているが、やがては腐った木や海などへと落ちるとされた。 そして、この鳥の真の性質を判断するのには、充分な律法上の重要性があった。この鳥は家禽なのか、魚なのか、果実なのか? 食物としては(律法では)禁じられているのか、認められているのか? 儀式的な殺害が必要なのか否か? これらの疑問には、権威者たちが受け入れた起源の版に従って、様々な答えがあった。またこれはキリスト教の聖職者の間にも似たような問題――この鳥は待降節の間に食べるのは許されているのか?――があったのが興味深い。これもまた、この鳥が魚なのか家禽なのかの問題に帰していた。


 この説話は、教会の権威者たちによって「頑固な」ユダヤ人に対する良い例とされた。12世紀のウェールズのゲラルドは、こう記している。「哀れなユダヤ人よ、賢明なれ。たとえ遅くとも、賢明なれ! 父母なく塵から生まれた人の第1の誕生(アダム)も、女(イヴ)無しに男から生まれた2つ目の誕生も、汝らが崇める律法でも否定されていまい。3つ目の誕生は男と女から生まれたものだが、それは通常だからであり、汝らの硬い心でも受け入れられ、断言されよう。だが4つ目の誕生は、男なしに女から生まれたもの(イエス)――これのみが救いであり、この御方への汝らの頑固な悪意によって、自らの破滅へと定めたのだ。恥じよ、哀れな者どもよ、恥じよ。少なくとも自然に向き合え! 自然はこの信仰を主張し、日々、雄や雌無しに生まれる動物らによって我らは確信しているのだ。」ユダヤ人はこの説話を受け入れるのに甘言を必要としなかったが、この説教は(イエスの)無垢な受胎の真理を受け入れるのに、「その硬い心」を動かすのには失敗した。


 昼間に交尾をする動物は、決して夜に子供を生まないとされた。また、犬、猫、ネズミなどの夜に見る律法で不浄な動物は、生後に9日経つまでは目が見えないとされた。一方で、律法で食べる事が許されているコシェルの動物は、それらに手を通過させるとすくむが、不浄な動物はそうではない事から認められていた。またこの時代の文献に読める内容では、「多くの」鳥は心臓無しに生まれて生きているとし、犬は胃に3日間食物を留まらせ、そのためこれらの動物は食べなくても長く行動できるとしていた。我々の無知から、犬は大地の動物の匂いを追うと信じているが、「真の探究」では、匂いではなく、大地にある動物の息を犬は拾っているのを明らかにするとされた。一部の優秀な野兎はこの事に気づいていて、隠れ家へと急いでいる時に自らの鼻を空中へと上げる事で、犬を出し抜いていた。一部の貝はバラバラにしてから川に戻すと、それらの部分は再結合し、何事も無かったかのように泳いでいく。また休んでいる時に乳房が守られていない雌牛は、ヒルの一種(フランス語のsangsueが用いられる)によって乳を吸われるとされた。


 また毒への強迫観念があった時代では、以下の様な用心が高い評価を得ていた。「疑わしい毒殺者たちが近くにいるのに気づき、彼らが自らの飲食物へ毒を注ぐのを恐れたならば、蛇の骨の柄のついたナイフを作り、テーブルにそれを刺すのだ。近くに毒があるならば、この柄は震えるだろう。蛇は毒に満ちており、類は友を呼ぶからだ。」教皇クレメンス5世(在位1305年 - 1314年)やヨハネス22世(在位1316年 - 1334年)も、そのような蛇の骨から作られた柄のナイフを所有していたという。


(つづく)


ユダヤの魔術と迷信 13
↑ ユダヤの魔術と迷信