ユダヤの魔術と迷信 11

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 11

第11章 霊との戦い


 魔術はプロフェッショナルのみによって実践されていたとか、これは常に意識的、計画的な行動だったと見做すのは間違っている。カール ゴルトマルクが述べたように、「文明社会の人々はその宗教を容易に失うが、その迷信は滅多には失われない」のである。かつて、よく知られていた女優が、懐疑論者の記者から、あなたの好みの迷信は何ですかと尋ねられると、「ありがたいことに、私にはありませんの!」と言い、喋っている間に無意識に「木を叩いていた」という逸話がある。どれだけ多くの人間が、賞賛の言葉を聞いたり喋ったりしている時に「木を叩く」習慣を、それが嫉妬深い霊の注意を逸らしたり払ったりするための、古代の魔術的な行動であると気付かずに行っているだろうか? 超自然的なものへの恐れは、膨大で様々な魔術的な防御手段を生み出した。この世界への恐怖が人の心を染めるとともに、それらの手段は自然な反応となった。この意味では、魔術は過去と同様に、現在もなお社会的な慣習の織物に結び付いたパターンであり、民衆の習慣のみならず、宗教的な儀礼や儀式の中でも深く影響している。


宗教的な防衛


 霊を払いのけるための方法は3つのカテゴリーに分けられる。1. 特定の承認されている方法によって霊を追い払うか、少なくとも力無き状態にする。2. 贈物で買収する。賄賂を使って怒りを宥める。3. 霊が意図した犠牲者のフリをしたり、状況がすでに終わったかのように見せかける事で欺く。これらの方法のそれぞれが、また2つや3つ全てが組み合わされ、ユダヤ人には知られていて用いられ、ユダヤ教の儀礼の部分となった特別な儀式の中にそれらの表現が見い出させる事すらある。


 第1のカテゴリーは最も多く、多様な行いを含んでいる。それらの中でも主要なものは、宗教生活の守護の力である。敬虔さと個人的な浄化は、いかなる悪魔や魔術も貫けない鎧であった。先祖たちの利益もまた、守護として用いられていた。これらには多数の逸話があるが、その中でも以下にあるものが、敬虔さが悪を防ぎ治癒となる性質を描くのに最良であろう。ある義と敬虔さのあるユダヤ人が亡くなろうとしていた時、ある男が来て、妖術師によって自分の妻が不妊にされたという話をしてから、この義人が天国へと行ったらすぐに神の御座の前で、妻のこの呪文からの解放を懇願するように頼んだ。そして賢者はそうすると約束した。それから1年で呪文は取り除かれ、妻は子供を生んだという。このように真に宗教的な人は、自らを安全にするだけではなく、その子孫や友らも安全にする力があるとされた。その生を聖職に捧げた人は、時にはその死体も有徳があるとされ、その例としては割礼で切った皮を、この対象者から「あらゆる悪魔や破壊者を払うために」この切った聖職者の墓へと共に埋める風習もあった。また、学者が研究で用いていたテーブルの木で棺桶を造る習慣も、おそらくは似たような目的があったのだろう。


 また様々な宗教的な祝日には、悪の諸力の影響を受けなくなる信じられていた。ヨム キプル(贖罪の日)には「サタンは無力となり」、この日の終わりに吹くショファー(角笛)は、「悪霊どもを払い」、悪魔をうろたえ混乱させるとされた。無論、後のカバリストたちは、祝日にショファーを吹くのに伴う聖書の句の朗読について、その内なる神秘的な意味合いと、この目的のためにさらに役に立つ「御名」を研究していた。一部のラビたちは、安息日について、「我々は宗教的な義務を全て満たしているので」、この日の利益以外には「何の守護も必要としない」という意見があった。聖書の句(出エジプト記 第12章42節)の解釈を基礎に、過ぎ越しの祭りも悪魔どもからの「夜の守護」と見做されていた。そしてこの信念は、人々に稀な安全にあると感じさせるようにして、守護にあるという様々な習慣の迷信が生まれた。この日は確信の徴として、ワインを4杯飲むなどの偶数を用いる事も許され、眠る前に唱える祈りの多くが省略され、家や部屋のドアはこの夜には鍵をしないままにされた。この聖日が安息日に起きたならば、集会に遅れた者が間に合うようにと入れられた夕の祈りは除外された。過ぎ越しの祭りの直前で死んだ者がいて、マッツァー(過ぎ越しの祭りで食べる種なしパン)の準備のために水を撒く際にも、この水を撒く必要はないと考える者たちもいた。「今は守護の夜であり」霊たちはなにも悪意をなせないからである。


 (聖書の)研究はユダヤ教のユニークな崇拝の形であり、その宗教生活の主な特徴の1つは、学者としての生活であった。そのため、研究も守護の別の形だった。これまで見ての通り、聖書そのものも反悪魔の性質を持っていた。シナゴーグの宗教儀礼で聖書を規則的に読むのは、悪魔の企みからイスラエルを守護すると信じられていた。「イスラエル人がトーラーを研究する限り、サタンは彼らに及ぶ何の力も無い」ので、「トーラーへの喜びの」祝日に申命記の最後の句を読んだらすぐに創世記の最初の句が読まれるのは、神の法のリハーサルは瞬時といえども途切れないので、サタンは介入するチャンスを持たないと説明されていた。人が「トーラーの御言葉」を唇で唱えつつ亡くなったならば、天国行きは保障されるだけではなく、その道中も安全だと信じられていた。そして研究の守護の力は、聖書に対してのみに限らず、ユダヤ人の全ての宗教書、特にタルムードにも拡張されていた。また2体の悪魔がラビ ベンジャミンを襲おうとしたが、ラビは常に研究に没頭していたので果たせずにいたという伝説もある。この学者の安全の信念から、悪魔は常に挑戦をし、その研究から意識を逸らそうとして、それにより襲えるようにするという考えが起きるようになった。


 崇拝での最も重要な特徴として、この面で祈りは特に強力だと期待できよう。そのため、死の天使を含んだ破壊の天使たちは、3日の祈りの儀礼に参加している者、ヨゼル オル(18の祝福)を唱えている者、食後の感謝の祈りを唱えている者には何の力も持たないとされた。これらの祈りの文の中に破壊の天使の名前を表すフェー(פ)の文字が無いのが、その証拠とされた。この文字が無いのは、その天使の不在も暗に意味していた。


 人が悪魔や何らかの魔術に襲われていると信じたら、神への懇願はその安全を勝ち取るであろう。そして極端な状況ならば、極端な祈りの手段があった。予期せずに悪魔と向き合った者には、最も直接的な手段が勧められていた。「逃げずに、その前で地面に倒れよ。伏している限り、悪魔はお前を傷つけたりはしないだろう。そして、神の御名に祈っていれば、悪魔はお前を傷つけたりはしまい。」だが用心深い者は、そのような必要のために作られた多くの懇願の祈りのうちの1つ、2つを用いて自らを堅固にしていた。これらの祈りは、悪魔、病、魔術、邪眼、その他の迷信の中にある危険のカタログ全体から守護する懇願であり、これらの危険のうちの1つのみを扱う祈りや、それよりも多かったのは、これら全てに対して共に扱う、長ったらしい反復の懇願の祈りであった。中世の後期のカバリストは、そのような祈りを特に多く作っていた。既にタルムードの中で、「悪魔は、寝る前にシェマーの祈りを唱える者から逃れる」という文を読める。この夜のシェマーの祈りに加えて、守護の力を増強するために、洗練された祈りが育っていき、「夜に危険をもたらす恐るべき者たち」から救われるための直接的な懇願も加えられ、それらは力ある聖書の詩句、詩篇、魔術の御名、天使への懇願を3回から7回繰り返したり、曖昧で神秘的な暗喩のある祈りなどであった。権威者たちは、この祈りの目的を隠そうとはせず、「これが存在するのは、悪魔に対してのみ」と何度となく率直に認めていた。


 この夜の祈りは、魔術と迷信の形の粘り強さを興味深く示している。この構成要素の1つは、「我が右にミカエル、我が左にガブリエル、我が前にウリエル、我が後ろにラファエル」と天使の守護を呼び起こしている*1。これは古代バビロニアの呪文「我が前にシャマシュ、我が後ろにシン、我が右にネルガル、我が左にニニブ」、あるいは「良きシェドゥが我が右に、良きラマスが我が左にあらん事を」などのユダヤ版以外の何物でも無い。そして2000年を超えて、アイルランドでも粗雑なカトリック版もある。


 おお、聖なるマリア、温和な母よ。
 この小さな子供の私を見降ろし、
 私が寝る時には傍にいたまえ。
 良き聖ヨセフは我が頭に、
 我が守護天使は我が右にいて、
 夜全てを通じて私を守りたまえ。
 聖ブリギットよ、甘い祝福を与えたまえ。
 聖パトリックよ、我が足の傍で見守りたまえ。
 温和な母よ、私に良くありたまえ!
 なぜなら私は小さな子供なのだから。


 罪の結果としての悪を避けるための罪滅ぼしの方法であった、断食や寄付といった敬虔な行いの中にある迷信と宗教を分離するのは困難であるが、これらは超自然的な諸力に及ぼす力があると信じられていた事には疑う余地が無い。箴言 第10章2節の「寄付は死を免れさせる」の文は、人々がこれらを文字通りに解釈するよう信じるのに充分なだけ繰り返されていた。また「1年に4回、すなわちテベトの月の10日の前、タンムーズの月の17日の前、ローシュ・ハッシャーナー(新年祭)の前、悔悛の10日間に、3日連続で日夜断食する者全ての罪を神は許される」とも言われていた。そして第1次十字軍の間でのユダヤ人虐殺を避けようとする無駄な努力の中で、トリーアの町のユダヤ人は、ほとんど全ての保有物を貧者へ寄付していたと伝えられる。これは中世ではよく行われていた実践であり、重病や他の苦しみから解放されるために、時には自らの服も脱いで与えたりしていた。個人的な断食や施しは、旅に出る前、病を癒すため、不運を変えるため、不妊を癒すため、死の予兆や不吉な夢を変えるためなどの、様々な状況で勧められていた。また雨を望む時や、ポグロム(ユダヤ人虐殺)が迫っている時や、ユダヤ人共同体に極端な重税が課せられた時などには、共同体全体の断食も行われていた。


魔術的な防衛


 無論、守護の最も明白な手段は、危険にある人の傍に守衛を置く事である。これは夜に1人で外へ出る事が警告された理由だった。また子供の割礼の儀式の前夜に、断食と祈り、聖書の学習を行うWachnacht(夜の監視)のドイツ ユダヤ人の有名な習慣は、悪魔の襲撃に対しての監視であった。霊に容易に餌食にされる人々に対して述べる中で、ある著者は「これらを慎重に監視する多くの行いを私は知っている。特に、妊娠した女性と喪に服している人には、瞬時といえども1人にはせず、大人か少なくとも子供を伴わない限りは外には出させなかった」と述べている。


 だが物理的な護衛は、全ての恐怖から解放されるのを保証しておらず、超自然の諸力はほとんどの場合働いていた。悪魔はそれ自身の世界で対処する必要があった。そして反悪魔の手段の中でも主要なものは魔術の方法、エクソシズムであった。今やお馴染みの全ての方法――天使や聖なる御名の招聘、聖書の詩句を唱える、魔術の数などが用いられていた。そして守護の御名の中でも最も強力なのは、シャダイ(全能者)だった。この御名はメズーザーの裏側に彫られていた。聖句箱の革ひもも、シャダイの頭文字のシンの文字(ש)のある場所で結び目を造っていた。またシャダイの御名は旅に出る前に唱えられていた。コハニム(祭司階級の末裔)も祭司の祝福を唱えている間、その指でシャダイの文字を描いていた。またならず者の襲撃がありそうな時に防ぐためにも行われていた。死者すらもこの御名の守護を得ていた。幾つかの地方では、死体の指をシャダイの3文字(שדי)を造る形で縛られていた。


 以下の呪文は、感染していると信じられていた場所から悪魔を祓うために定められたものである。「その場所の四方を測り、紐で境界線を造れ。それから別の紐でその場所の一辺に伸ばして、(これを領域全体を包むまで繰り返し、)それからトーラーの巻物を運ぶ10人がこの紐を通るようにせよ。そして第1の線の印象に彼らの足跡が触れるように、少し進むようにせよ。それから、第2の線に従うようにせよ。そしてこの領域全体が中に含まれるまで、これを繰り返せ。各線では、トーラーを彼らの前で進ませるようにして、祭司の祝福(民数記 第6章24-26節)、「反悪魔の詩篇」(詩篇 第91篇)、レビ記 第26章42節、エゼキエル書 第45章12節、申命記 第11章12節、イザヤ書 第62章4節、イザヤ書 第45章18節、詩篇 第85篇2節、詩篇 第67篇2節、申命記 第28章8節を唱えるようにせよ。これらは各線で唱えて、領域全体の周囲を歩く必要がある。これらが終わったら、10人は『この地を守護する神、トーラー、イスラエルとの同意により、あらゆる悪魔、男だろうとも女だろうとも、この場所には今から永遠に入ることは能わず』と述べよ。」この種の呪文やまじないは豊富に見つける事ができる。


 また旅に出る前には、天使の守護を呼ぶのは一般的な実践だった。そして悪魔の招かれざる訪問から逃れるには、「新しい土器に、新鮮な川の水を満たして、幾らかのオリーブオイルも注いでから、詩篇 第10篇と、この詩篇から導かれた神秘的な御名を9回そこに囁く。それから犠牲者をこの水で沐浴させる」必要があった。邪眼に対して普遍的に用いられていた聖書の詩句は、ここでも悪魔を祓う為に、ユダヤ文献でよく勧められていた。それらの詩句の中でも最も多かったのは、先に述べた祭司の祝福と創世記 第49章22節だった。


 そしてユダヤの迷信は、普遍的に信じられていた反悪魔の性質のある物や行動の多くに親しんでいた。その膨大な内容については、以下の簡潔な要約が充分であろう。


 光は守護の手段の1つであったが、それは疑いなく悪魔が光を避ける習性と、光の源である火の浄化と償いの力の性質からであった。タルムードでは、「(悪魔を近づかせないために)夜に松明を用いるのは、1人の仲間を持つのと同様に良い。また月の光の下で歩くのは、2人の仲間を持つのと同等である」と述べている。またセフェル ハシディムでは、「悪魔の脅威にある者は、火に近づいて、その悪魔についての言葉を唱えるならば、傷つけられる事も死ぬ事も無いだろう」と助言していた。この信念は、宗教、半宗教の実践、特に危機の時と関連づけられたものの中で光は常に用いられていたからだと、部分的には説明できる。もっとも、光と関連づけられた象徴的、儀式的、迷信的な他の重要性のために、おそらくより多く用いられていたのを否定するのは馬鹿げているであろう。


 水は火と同様に浄化と償いの力があり、結果として似たような守護の性質を持っていた。蛇にかまれた人が、いち早く川に到着したら蛇は死ぬが、蛇が先に到着したら人は死ぬと言われていた。流れる水は魔術の行動を中立化させ、物の中の魔術の性質を破壊した。また水は悪魔によって作られた幻影を払い、霊そのものも祓うとされた。悪魔が家に入ってこないために、魔術のレシピに従って準備した水を、家の敷居に撒く必要があった。憑依された人から悪魔を祓うための多くの規定で、水への沐浴を求められていた。また迷信的な薬でも水は良く使われていた成分だった。


 だが最も強力な液体は、先に述べたように、唾、特に断食をしている人のものだった。そのため、霊が彷徨う不浄な場所で自らを守るために、3回唾を吐くのを勧められ、また悪魔が作り出した悪い考えも、同様に消え去るとされた。


 霊への正面攻撃も一部の人々により実践され、霊を祓うために空中に物を投げたり、叫んだりしていた。そのような実践はユダヤ人の間では未知ではなく、戦争で起きるようなノイズは、物理的な接触の代わりに用いられていた。タルムード時代には、よく現れる悪魔を恐れさせて逃げさせるために、瓶に入れたナッツをガラガラと鳴らす習慣があった。また、水を飲む時に悪霊を一緒に飲み込むのを避けるために、飲む前に瓶に鋭い音を出すように叩く実践があった。中世ドイツ人は鞭を叩く音と教会ベルの鳴る音には、同じ効果があると信じていた。またポルテラベンド(結婚式の前日)に、新郎新婦に脅威を与えていた悪魔に対して、大きな叫びや土器を割る音を出す事で追い出していた。同じような風習「ベリン」は、ケンタッキー山脈の結婚式で今もなお行われている。後に見るように、ユダヤ人の結婚式でも、ノイズを作るのは守護の手段として行われていた。


 他の民族と同様にユダヤ人も、金属、特に鉄を反悪魔の物としてよく用いていた。ウォルムスのエレアザルはその説明をしていて、それは現代の迷信の研究家たちのお気に入りだった。悪魔と魔女から身を守るためには、鋼鉄で作られた道具を叩くべしとラビは述べた。「なぜならば、金属は文明の生産物だから、」原始的な金属以前の時代の社会にいた霊の支配者たちには、結果的に相性が悪いからである。だがこれは、現代まで多くある説明の1つにすぎない。魔術の円は剣かナイフで描くようにされ、水の中に入れていた鉄片は、テクファー(四季の特定の期間)での悪魔的な汚染に対しての守護となった。雷嵐の間に鶏が窒息したり逃げ出すのを防ぐために、鉄を巣の中に入れておいた。妊娠した女性は、1人でいる時にはナイフを身に付けていた。シナゴーグの扉の鍵は、死にそうな人間の枕の下に(病魔を祓うために)置かれたりもした。


 塩はヨーロッパの人々の民間伝承で顕著に現れてくる別の物質だった。そのため、魔女のサバトの祝祭の料理の中には塩は決して見つからないと信じられ、魔女裁判では被告の魔女から身を守るために、異端審問官とその助手たちは、聖別された塩を含んだバッグを身に付けていた。そしてユダヤ人の民間伝承でも塩は同様に高く評価していた。エゼキエル書 第16章4節で、新生児に塩を塗る習慣を読む事ができ、この実践はオリエントのユダヤ人は今もなお行っている。中世の権威者たちによると、塩は食事を始める前にテーブルに置く必要があった。「なぜなら、サタンの告発に対しての守護となるからである。」カバリストたちは、それ以上に説明している。「塩は霊たちを追い払う。なぜなら、これはYHVHのうちの3文字と同じ値だからである。そのため、祝福を唱えている間に、パンのひと切れを3回、塩に浸すようにせよ。」「各食物を食べるごとに、幾らかの塩も食べよ。さすればあなたは傷つけられないだろう。」またこれらの理由から、塩は誕生、結婚、死と関連した多くの儀式や医療で用いられていた。


 霊と魔術師の策略を破るために、塩とパンを共に用いる事が非常に多かった。魔女が襲ってきたら、そのパンと塩を幾らか得る事で彼女を殺す事ができた。人殺したちは、犠牲者の霊が復讐するのを防ぐために、犯罪を犯したらすぐにパンと塩を食べていた。シュットはあるユダヤ人の女性が近づいてきて、自らの娘を損傷から保護するために、その首にパンと塩を吊るした出来事を報告している。「彼女はこれを全ての子供達に行い、結果として、子供達全ては繁栄した。」新築の家に移る前に塩とパンを置く風習もあり、一般的には食物が欠ける事がないようにという望みの象徴と説明されているが、元は家を霊から守るための手段でもあったろう。


 塩と同様に、一般的に鋭い味のハーブや調味料も幅広く反悪魔の物質と見做され、浄化の宗教儀式で重要な場所を占めていた。ユダヤ人のこの実践は明白に記されているわけではないが、そのような材料がたまに薬の処方で現れており、霊を祓うその力は、それらのより自然な医療の性質と共に勧められてきた。


 ヨーロッパで最も幅広く用いられた反悪魔の手段は、fig(ドイツ語ではこれはdie Feige weisen、フランス語では faire la figue、イタリア語では far la fica、スペイン語では hacer el higoと呼ばれる)と呼ばれたしぐさであり、古代と近代の両方で反抗と侮辱の徴とされた。これは拳を握ってから、人差し指と中指の間から親指を出すしぐさである。この人と霊の両方で特に不快な性質は、もとは猥褻な性行動を表していた事から来ている。マナセ ベン イスラエルの、このしぐさの意図についての説明と、「邪眼から身を守るためには、右親指を左手の拳に、左親指を右手の拳に当てよ」というタルムードの推奨との関連への考察は両方とも正しかった。これらのしぐさは形としては違っていたものの、その意味合いは同じであった。


 また中世のユダヤ人は権威のある「fig」に馴染んでいた。「悪魔と向き合ったならば、自らの親指を指の間で曲げよ。」あるいは、より説明があるのは、「自らの親指を、妊娠した女を真似るように拳で取り囲むならば、これら(霊たち)は傷つけたりは出来ないだろう。」だが、このしぐさを用いる人々に対して、これは悪魔を無力化すると同時に、その悪魔を激怒させると警告されていた。そのため、弱い人物、「特に重病にあるならば」用いるのを控えた方がよいとされた。霊たちは後に復讐しようとするだろうからだ。このバリエーションもまた用いられていた。旅の安全のために、右手の小指を左手の拳に当てて、まじないの術式を唱えるというものもあった。指は同じ目的のために男根の象徴としても用いられ、人差し指と親指を上げて、「ウリエル」の御名を7回唱えたら、魔女は退かれるというのや、親指を地面に押して「ピピ」を9回唱えてから唾を吐いたら、「悪しき衝動」は破られるというものもあった。


策略


 これまで述べた方法は、霊との戦いで用いられていた武器庫を構成していた――概ね直接的な攻撃の武器をである。だが戦略家は敵を無力化させる、より悪辣な手段を知っている。贈物――あるいは賄賂と見るかは観点に拠る――は人と同様に悪魔を宥めるのにも効果的であるのは容易に証明されてきた。セフェル ハシディムではこう記してある。「妖術師や魔女があなたに何かを要求したならば、1、2枚のコインを与えるのを恥じなくてよい。それにより彼らはあなたにまじないをかけないだろう。それは悪魔や狂人があなたを傷つける前に贈物を与えるのと同様である。」魔術では、これまで見たように、贈物は顕著で、しばしば計画的な役割を演じていた。世界中の人々の数えきれない習慣で、霊への友好のための供犠を巧みに行ってきた。そして今日でも、ユダヤ人、非ユダヤ人の両方とも、不可視の諸力への平和の贈物を何気なく続けている。かつては普遍的に行われていた建物での厳しい生贄、元は建物の安定と安全のために(霊を宥めるために)人間を埋めていた風習*2は、時代が過ぎるとともに動物犠牲へと移っていった。中世になってもドイツ人は自分の家を守る必要を感じたら、家禽や動物をその壁の中に埋めていたが、私は中世のユダヤ人が似たような事を行っていたかは知らない。


 霊への贈物は、多くの姿を取っていた。獣や家禽が皿や他の家庭用品をひっくりかえしたら、それは悪しき予兆と考えられ、すぐに生贄の動物を殺す必要があった。この動物の生贄は、霊を宥めるであろう。ある意味では、この供犠は本来意図した犠牲者の代わりを表しており、たとえ意図的で無くて偶然差し出されたものであっても、霊は受け入れるとされた。「(死の)天使が人の命を取るべく派遣されたなら、同じ惑星の影響のもとで別の生き物が生まれたならば、最初の人間に定められた死の運命を変える。」この死の天使が町に来たならば、犬はすぐに気づいて、歩くのを止めて硬直する。そして犬の飼い主が無理に進ませるならば、この犬は死ぬだろう。「そしてこの犬は、死の天使が殺すために送られた人間の代わりとして用いられるであろう。」


 生き物の不自然な行いへの迷信的な恐れは、それ自身が行った生き物の破滅となった。双子を産んだ雌牛や、1日に2つの卵を孵した雌鶏は処刑された。1年に2度果実を作った木は切り倒された。一つの例として、2つの歯の集まりを持って、極端に背の高い赤子が生まれたら、「賢者」の活発なとりなしによってその命が救われるのは稀であった。タルムードでは時を告げる雌鶏を殺す実践を「異教徒の迷信」として非難していたが、この異常な行動が不運を招くのではという恐怖は続き、この不幸な家禽には速やかな死が与えられた。これは単に女性は自らの場所にいるべきだという男性の非難の比喩的な表現にすぎないのかと議論されてきた――もし妻が夫の権威を脅かしたなら、彼女は危険となるからだ。イタリアのある格言も、同じ比喩を用いている。In quella casa non è mai pace, dove la gallina canta ed il gallo tace(雌鶏が歌い、雄鶏が沈黙する家には平和が無い)。だがこの推測は巧みに作られているが、この内容への平明な意味合いについての注意を僅かしか払っていなかった。この実践は文字通りに行われており、それは不幸を招く諸力を宥めるためであった事に疑いはない。「雌鶏の頭は家の敷居で切り落とせ」という指示は、これが霊への供犠以外の何物でも無いのを示している。


 カッパロットの儀式は、有名な「スケープゴート」の供犠の興味深い派生であり、多くの人々の間で様々な形で行われていた。これは初期ゲオーニーム時代に初めて文献に記され、おそらくはタルムード時代の終わりにその起源があったろう。以下の内容はラシがゲオーニーム時代のある情報源から引用したもので、中世の間にはもはや行われなくなっていた儀式の形を記している。まずローシュ・ハッシャーナー(ユダヤ暦の新年祭)の2、3週間前に、家長は小さなバスケットに家族のメンバーそれぞれを表す豆を植える。そして、新年の前夜に芽が出たら、家長はこのバスケットを持ったまま、メンバーそれぞれを7回まわりながら、「これはこの者の場所。これはこの者の代理。これはこの者の(不幸の)代わりとなる」と言い、それから川に投げていた。


 中世で主流となったこの儀式の進行も、ゲオーニーム時代の文献で少し違った形で記されていた。そこでは、ヨム キプル(贖罪の日)の前夜に、男性用には雄鶏を、女性用には雌鶏を殺す行為も含まれていた(ゲオーニーム時代には、雄羊や子羊、あるいは山羊もまた用いられていた)。それらは以下の儀礼が先に行われていた。家禽を対象者の周囲に3回まわらせて、その間に様々な聖書の詩句が唱えられた。それから「この家禽は我が代わり。これは我が代理。これは我が贖い」と宣言された。一部の古い文書では、さらに重要な文「これが死に定められ、私は生に定められますように」も追加していた。ある例では、家禽が殺された後には、「その内臓は天の鳥たちのために屋根にばら撒かれた。」通常の進行では、聖書にある言葉「寄付は死から逃れさせる」に従って、家禽全体が貧者へと寄付されていた。


 だが一部のラビたちは、この方法に眉をひそめて不承認し、むしろ家禽の値の金を配るのを好んでいた。「この家禽を貧者へと渡すと、貧者は人の罪を移された雄鶏を私に渡すのでは、私の価値を僅かとしか見ていないのだろう、と思うだろうからだ。」スペインでは、この儀式は何人かの指導的な権威者たちの承認を受けなかった。13世紀のラビ ソロモン ベン アドレトは、この儀式はドイツでは拒否されずに行われていて、自らも少しだけ知ったが、別の地方の迷信的な風習と混同したと注記している。近代ユダヤの権威ある法典のシュルハン・アルーフの初期の版では、パレスティナの著者、ヨセフ カロの「これは酷い習慣」で、その行いは「調べられるべきだ」という意見が含まれていた。だが、16世紀のポーランドの注釈者、モーゼス イッセルレスの影響下で、後の版ではこの最初の言葉の部分は削除された。またこの儀式はアンジュー家のイングランドでは行われていなかった可能性がある。なぜなら、この地域で編纂された法典の著者は、この儀式について「私はこれをラビ アメラムのセーデル(晩餐)の説明でのみ見つけており」と述べており、自らの経験で得ていないのを暗に示しているからだ。


 この儀式の意図は、対象者の罪を家禽へと転移させ、この代理を超自然の諸力に捧げる事で、天からの懲罰の命令から救われるためだった。この儀礼に目立つ様々な特徴は、迷信的であり、魔術的ですらあった。ユダヤ人と非ユダヤ人の民間伝承では、家禽は霊と密接に関連しており、霊への一般的な供物であった。雄鶏のヘブライ語の言葉はゲベル(この言葉はタルムード時代以後に幅広く用いられるようになったのは注記する必要がある)であり、これはまた「男」をも意味し、そのため男の明白な代理とした。多くの魔術の儀式で、雄鶏は男の代理として用いられ、雌鶏は女の代理であった。対象者の周囲をまわるのや、その回数である3や7の数は、良く知られた魔術の要素であった。効果をもたらすために唱える言葉には、典型的な呪文の全ての要素を備えていた。初期の文では、「これは我が代わり」という言葉は無く、後に加えられたものである。そのため、残りのヘブライの言葉の各頭文字を拾うと、ハタクの言葉を作り、「これに割り当てられた天使の御名である」とされた。


 悪霊らは、屋根にある止まり木(タルムード時代には、これらは家の軒に置かれていた)に現れるという信念が多く、ドイツを含めた多くの民間伝承では、屋根にいる霊に供犠を置く習慣があった。これらの観点から、生贄の内臓が屋根に投げられるのに特別な意味合いを与えた。これらを検討すると、現在すら行われているこの儀式の真の意味については、ほとんど疑いが無い。これはユダヤ人の宗教慣習に入ってきたものの中でも、最も図々しくも迷信的な実践であろう。他のそのような実践の意味合いは、長い時間が経つにつれて消えていったが、この儀式の目的は、最も頭の悪い者にすら明白だったからである。この儀式の詳細の意味合いは理解されなくても、家禽と人とを取り替えるのは逃れようも無かったからである。


 これと無関係とはいえないのは、ローシュ・ハッシャーナーの初日に行われたタシュリクの儀礼であった。この言葉はミカ書 第7章19節の「あなたは我々の諸々の罪を海の深みに投げ入れ(タシュリク)、」から来ている。この儀式の近代的な形の最初の引用は、ラビ ヤコブ モリン(略称はマハリル。1425年没)によるもので、そのため一般的な印象では、この儀礼は14世紀のドイツ ユダヤ人より古くはないと見られていた。だがローターバッハ教授は、この儀礼は遥か古代にまで遡れる、水の中にいる霊への信念を中心とした迷信の実践の複合体の、最新版を表しているのにすぎない事を示している。マハリルの注釈は、この儀礼とカッパロットの最初の形との繋がりを示唆している。人々は「川の魚へパンを投げていた」と述べているからだ。これは明らかに、この儀礼の本質的な特徴であり、そのため後の時代には、新年の最初の日が安息日ならば、タシュリクの儀礼は延期された。パンを運ぶのは、安息日の規則の違反だったからである。


 この起源はどこから来ているかについては、様々な説明があった。マハリルはこれを信仰の象徴的格言と見ていた。ミドラーシュのある言い伝えでは、アブラハムが息子イサクを神への生贄にしようと山へと向かって行く中、サタンはその道に激しく流れる川で塞いだ。だが父祖は神は我が懇願に応えると確信をしつつ渡ったという。そのため、モリン(マハリル)は川を訪れるだけでも重要であり、事実、パンをそこへ投げる実践には反対している。他の権威者は、水の深淵は天地創造を見ていたので、新年に川を訪れるのは、創造主の力を最も印象深く思い起こす行為だと述べていた。あるいは別の者は、常に自らを新しくする川を真似て、人は自らの悪しき行為を流して、新しい人として家に帰れという意味だと主張していた。また他の者は、パンを食べる魚は「魚のように悪しき網に捕らわれる」(伝道の書 第9章12節)人の苦境を示しており、悔い改めの心を刺激するためとした。また別の者は、魚は目を閉じないので、瞬きもしないイスラエルの守護者(神)を表しているとした。だがこれらの説明は全て、主な問題である霊へのパンの供犠を明らかに避けていた。


 カバラの影響下で、川岸で衣服を振り(纏わりつく罪の悪魔たち、「クリポトを払うため」)、様々な祈りや「これらの秘密の意味合いは深遠な」聖書の詩句を唱えるのに儀式を限定しようとする試みもあった。だがこの儀式の目的の人気のある概念は、ラビたちの非難を買っていた。「これらの者たちは女のように愚かで、『私は自らの罪を取り除くために川へ行こう』といい、その岸辺で服を激しく振って、これによって、1年全体の罪は取り除かれたと想像している。」だが大衆にとってこの意味合いによって、この儀式は生き残ってきたのである。


 これよりも儀礼的でない食物の供犠も一般的だった。タルムードはラビ エレアザル ベン ペダトの「パンくずをテーブルに置いておく者は、異教の神々を崇拝する者と見做される」の意見を引用している。そしてこの議論から明らかなのは、「パンくず」だけではなく、時にはパン全体も食後にテーブルに置かれていたようである。同じ性質のある別の使用もタルムード時代には人気があり、ラビたちは根絶できずにいた。結局ラビたちは、食物を残したり散らしたままにするのは、「駄目にするだろうから」禁じるというレベルで妥協し、これによって実践は受け入れつつも、その目的を曖昧にした。中世になってもタルムードのこの習慣は粘り強く行われていた。「パンの一口でない」パンくずはテーブルに置かれたままにして、旅行者や貧民への寄付への象徴的な表現であるという説明もなされていた。だが特定の時期、特に割礼の前夜には、霊を歓楽させるためにテーブルが準備されているのを見い出せる。


 金曜日の夜も、パン切れとワインの1杯が、食事中やその夜の間に置いたままにされた。一部のラビたちはこれは「マナの奇跡の記念」という疑わしい合理化を主張し、安息日の前夜の二重の意味合いに当てはめた。もっとも他のラビたちは、そのような浅い言い抜けを見抜いて、これを「悪魔に対してテーブルを準備する」カテゴリーに入れるのを恥じなかった。だがこの実践は行われ続けて、時には「これは一週間全体に祝福を満たす」と率直に認められていた。過ぎ越しの祭りのセーデル(最初の夜の晩餐)の間には、この時に全てのユダヤの家に訪問してくると信じられていた預言者エリヤのためにワイン1杯が満たされ、招くためにドアが開かれていた――この時には、供犠は悪霊ではなく善霊に対してである。だが同じ時に、ドイツ ユダヤ人の間で広まった後の風習では、10の災いを述べつつ、それぞれでワインの1滴を零しており、それらは祝祭の参加者にこれらの災いを訪れるように望む悪霊たちを宥めるためであった可能性が高い。イスラエル イッセルリンの伝記作者は「彼は常に飲む前に、その杯から幾らかの水を零していた」と記しており、この普遍的なユダヤ人の風習はタルムード時代にまで遡れるのを観察できる。この水は悪魔によって汚染されていたからだという説明も与えられているが、明らかにその一部を零すのでは、全体を浄化する事はできない。この意図は水の悪しき影響を中立化させるために、供犠とする事で悪魔を宥めるためであった。


 土曜日の夜の新しい週の始まりを告げるハブダラーの儀礼の間、その一部として霊たちに別の供犠がなされていた。「週全体の幸運と祝福の良い予兆のため」に、ワインが幾らか大地に注がれた。タルムードに「家でワインが水のように流れない者は、真に祝福された者たちの間にいない」と書かれていなかっただろうか? だがこの習慣はゲオーニーム時代以前には記されておらず、タルムードの支持は完全に恣意的なものである。なぜなら、この言葉の真の意味は、ここで解釈されたのとは全く逆だからである。タルムードでワインが流れると述べているのは、来るべき祝福の象徴としてではなく、既に楽しんでいる祝福の徴であった。ゲオーニームでは、これを迷信の実践のリストに含めている事で、立派な実践ではないと認めていた。だが数世紀後には、その真の意味合いを承認する内容に出会い、大衆にいかに人気があったかを思い起こさせる。16世紀のモーゼス マットは、この実践は「コラーの仲間たち――すなわち、悪の諸力――に、ワインの一部を与える」と記している。そしてこの「一部」は、僅かなものではなかった。シレジア地方のあるラビが「もしハブダラーの間にオーストリアの大地に注がれたワインを私が持っていたら、1年間私の喉を潤すのに充分だったろう!」と記しているようにである。この幾らかのワインを注ぐ間に、祝福の文が唱えられ、それはまた結婚式でも現れている事は、一部の人々には、これは霊への供犠ではなく、それらを追い払うためと考えられていた。この時代、キリスト教徒は聖水にはそのような力があると信じており、ユダヤ人もまた「祝福の杯」のワインには同じ効果があると信じていたのであろう。


 反悪魔戦略の最後の武器は、欺きであった。これは未開人の通過儀礼、結婚、葬儀で顕著にあり、ヨーロッパの民間伝承でも、その例は少なからず見い出せる。だが中世のユダヤ人は、この方法を稀にしか用いずにいた。後に引用するつもりの誕生と結婚の幾つかの例を別にすれば、そのほとんどは病人の名前を変える事で、その死を命ぜられた霊が見つけられないようにするために用いられていた。またこの欺きは、悪運に苦しめられている人にも行われていた。犯罪者が警察を欺くために幾つもの偽名を用いるように、中世のユダヤ人も追跡する霊を欺くために幾つもの新しい名前を用いていた。住居を少し変えたり、別の町へと移るのも、悪魔を混乱させて逃れる別の手段であった。この療法は、悪運に苦しめられている人々や、子供が若いうちに亡くした夫婦や、愛のまじないを通じて心の平和を失った者たちに勧められていた。


ユダヤの魔術と迷信 11-2
↑ ユダヤの魔術と迷信


*1 この四方の天使の招聘は、黄金の夜明け団のLBRPの儀式にも形を少し変えて受け継がれている。
*2 日本でも、城を建てる時の人柱の風習である。