ユダヤの魔術と迷信 9

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 9

第9章 魔術の手順


 魔術の実行では、聖書の句や幾つかの御名を唱えるといったようなシンプルな行いは稀であった。通常は魔術師やその助手たちの質、働く魔力の数によって決められ、特定の規則による呪文を唱える、単数か複数の伝統的に認められた行動、共感的な道具の使用といったような様々な行動によって構成されていた。実践では様々に組み合わされていた、これらの要素を調べるのは、この術の働きの理解のためには不可欠である。


 魔術の活動は軽く行える類ではなかった。それは不用心な実践者に悲惨な結果を返す危険な試みであった。超自然の領域の諸力との関係を確立しようとして、自らの肉体と精神をこの作業に適応させなかった者は、自らの命を支払う羽目となった。そのため、魔術師は3日以上続く困難な前行の儀式を行う事が多かった。それらの期間、断食や特定の食物を禁じたり、性的な禁欲をしたり、清めの儀式をしたり、祈りと聖書の学習に専念したりして自らを清めていた。自らの敬虔と博識の評判と相成って、それらで充分だと信じていた。


 時間の要素も、魔術の試みの成功にとって非常に重要であった。魔術の術式は通常はいつ行うかを規定している。占星術の考慮はその大半を占めており、新月や満月も最も適切な機会としてよく用いられていた。だが安息日の終わりと新しい週の始まりが、最も幸先の良い時期として好まれ、当然ながら魔術のまじないは、ハヴダーラ(安息日の終わりを告げる)の間か直後に唱えるのが最良であった。また日の出前に魔術を行うのが一般的であった。日の出は魔力を損ない、霊たちを隠れ場所へと追い払うからである。別によく行われていた事は、儀式の間は沈黙を守る必要があるというものだった。呪文は囁きより大きくは唱えられなかった。


呪文


 呪文はユダヤ魔術で最も主要な要素だった。時には呪文の他にも様々な行動が伴う事もあったが、ほとんどの場合では呪文のみで望んだ効果を生みだすのに充分だと考えられていた。その術式の多くはバドゥク ウメヌセー、「試みて、証明された」と標記され、言い伝えよりも体験によるものと主張していた。この句は非ユダヤ人の用語を思い起こさせる。ガレンの魔術や医学の処方の例では、「これは体験され、確実に働いた」や「この医薬は多くのケースで試された」という表現が付け加えられていた。


 呪文は様々な成分で構成され、全ては概ね一定だった。それらは以下のようなものである。知力のための呪文で、「我らの師モーセがヨシュアのために行った」という文のような、魔術の古代の師たちが行ったという主張。聖書の詩句の引用や仄めかし。天使たちの招聘。聖なる御名の発音。最後に、特別な要求や命令である。時にはこの最後の部分は祈りの形式となっており、その天使たちや特定の神秘的な御名などによって、あれこれの行動をなすのは神の意志だと懇願していた。また霊たちは、このような御名を唱える師の意志に、儀式無しでも率直に従うよう命じられていた。この術式の中心である命令は、望む行いへのあらゆる様相を含んだ法的文書のように読める事が多く、霊の解釈や想像が入る余地を無くしていた。


 呪文の対象の人物の識別の方法に、ある奇妙な特徴があった。タルムードでは「全ての呪文は母の名の下で行う」という文があり、一般的に人々は母ではなく父の子として識別されていたにも関わらず、この時代の呪文はこの規則に従っていた。霊界では人間界とは違った原理で認識していたようである。この概念はユダヤ人に限ったものではなかった。マンダ人*1の間では人の「聖なる」名には母の名前も含んでおり、同じ規則がギリシアとアラビアの魔術でも当てはめられていた。タルムード後のアラム語の呪文書や中世の文書でも、多くがこの規則に従っており、父の名前は稀にのみ使われていた。この実践はpater incertus, mater certa(父は不明でも母は確実)の原理に基づいていた。


 ゾーハルはこの観点を、祈りや呪文での超自然的な存在全ての識別についても当てはめており、主要な要求であった。そのため母の名前は特定する必要があった。だがこれらが母の性質への意識的な中傷がその根源にあると考えるのは、ほとんどあり得そうにない。それより遥かに可能性が高いのは、魔術の呪文の極端な継続性と、その伝統の始まりの古さから来ている。この実践は、元の母系社会、父親ではなく母親を通じた継承関係があった時代を反映しているように思える。勿論、中世のユダヤ人は、その起源について何も考えておらず、ゾーハルの理論や、メナヘム レカナーティの「全ての魔術は女から来る」という説明や、詩篇 第116篇16節の「私はあなたのしもべ、あなたのはしための子です」の慣例を基にしていた。


 魔術でよくある特徴は、物事を逆に行う命令であった。逆に歩いたり、衣服を逆さまに着たり、自らの背中に物を投げたりといったものである。そして同じ原理が呪文にも当てはめられ、タルムード時代と中世のまじないは、その唱える際に充分に示していた。聖書の引用は順と逆向きの両方で唱えられたり、神秘的な御名は逆向きにされたりする事が多かった。時には、これらの言葉は唱えられるように、最初から逆向きに書かれる事もあり、不自然な順で唱える事に意識を取られる事が無いようにしていた。両方から同じように読める句は、特に高い価値があるとされた。その目的は恐ろしくも未知の神秘を用いる事であり、その力は物事の自然の秩序を逆向きにする能力と関連づけられていた。


 その力が内容ではなく、その形から導かれた呪文の類は、一般的に悪魔を祓うのに特に適していると考えられていた。そのユダヤでの典型は、タルムードの悪魔シャブリリ(Shabriri)を祓う呪文に見い出せる。それらは、以下の様に書かれていた。


Shabriri

briri

riri

iri

ri


 ラシはその効果について、「悪魔は自らの名前が1文字ごとに減っていくのを聞くとともに、縮んでいって最終的には消え去る」と説明していた。この説は、個をその名前と同一視する原始的な考えを基にしている。ウェルムスのエレアザルが述べた熱病の悪魔に向けられた呪文では、Ochnotinos、chnotinos、notinos、tinos、inos、nos、osと並んでいた。ペール氏によると、安息日の終わりや子供が学校へ行く時に唱えられた、忘却の悪魔ポテフあるいはプラフに対しての呪文も、元はこの種類によるもので、Armimas、rmimas、mimas、imas、mas、asと読んでいた。


 セフェル ラジエルにもこの術式の2つの例が含まれており、一方は雅歌 第7章6節の9つの言葉が徐々に減っていくもので、おそらくはこの選んだ節が含む9つの言葉が示す悪魔に対する、一般的な守護のまじないを意図したものであろう。もう片方は、「夢の質問」ために、M’abritの名前に同様に働くものである。これは通常は霊へのエクソシズムではなく召喚が求められるものであり、またプテフの術式が歪んだ形であるのは、呪文のこの種類の特別な使用の意味合いは、中世になると忘れ去られていて、一般的な目的にも用いられるようになったのを示唆している。一方でこの方法を逆にして、名前を作っていく方法は、召喚の力を強めるために、たまに用いられていた。そのような例の1つは、有名なソロモンの鍵のヘブライ版にあり、テトラグラマトンの言葉を神秘的な御名として用いて、ton、ramaton、gramaton、ragramaton、tragramatonと読んでいき、最後に高らかとtetragrammatonと終わらせていた。



 数の神秘的な価値と力は、古代世界の思索で好まれた主題であり、セフェル イェツィラーや、後の中世のカバラでは、このテーマは非常に洗練されたものとなっていた。だがピュタゴラス哲学とカバラ神智学がこの概念を思想体系へと高める遥か前から、人々はその迷信の高い場所へと置く事で、数の中のオカルトの力を認識していた。中世の御守と魔術のレシピはこの普遍的な傾向を反映している。何度も大鎚で打ったくさびが、頑固な木材にもやがては容赦なく入って行くように、何度も繰り返して呪文を唱える事で、その力を強めて、霊がその命令から逃れるのを難しくすると考えられていた。この繰り返しは慎重に従うようにされていた。「定められた回数の無い呪文は、41回唱える必要がある」とタルムードでは述べている。だが同時に、不適切に選んだ数で繰り返していたならば、呪文の力を台無しにするとも考えられていた。魔術には否定的な影響がある数や、肯定的な影響のある数があるからである。同様に、用いるものの数や、唱える聖書の節の数も慎重に考慮して選ぶ必要があった。さもなければ魔術は望んだ反対の効果となるとされた。


 一般的な迷信の「奇数は幸運」のユダヤ版はタルムードの中にもあり、偶数は単に不幸なだけではなく、実際に危険とされた。この信念はバビロニア ユダヤ人の方が、パレスティナ ユダヤ人よりも優勢であった。この概念では、偶数、「2つ組」は、悪魔の襲撃を招くとされた。ラビ サムエル ベン メイルは、この迷信はタルムード後の時代には忘れ去られたと述べているが、13世紀の著者、ロンドンのヤコブ ベン イェフダー ハザンは、過越の祭りのセーデルの儀式で飲むワインの杯の数で、このタルムードの迷信の残存がなおもあると報告している。この儀式では4杯飲むと定められているが、それは過越しの夜は悪魔に対して「守護のある夜」だからである。もっとも「病人や弱者」は、5杯飲むのが最良とされた。そのような状態は悪魔の襲撃に特に弱く、「守護の夜」でも充分な盾とならないと考えられていたからである。


 中世の書には、2つの事を同時に行ったり、1つの行動を繰り返す事への多くの警告が含まれている。例えば「家に病人がいたり、出産してから9日まだ経っていない女性がいる時に、炉床から2回火を取ったりしてはならない」とされた。2組のカップルが同じ日に結婚する(勿論、同じ共同体の話である)のは不吉とされた。その理由として、「2つの喜びの機会を混ぜる」事への禁止を無視したのに、天が罰を与えるためとされたが、これは根拠を条件に合わせていたと主張していた注釈者たちによって叩かれていた。無関係の2つの家で結婚が起きたら、どうこれを当てはめるのか? と彼らは尋ねていた。


 同時に2人の子供を結婚させたり、2人の姉妹や2人の兄弟が1週間ごとに結婚したり、1週間以内に2つの結婚を祝ったりしたら、トラブルを招く事であり、そのカップルの片方は貧困、逃亡、早すぎる死を経験するとされた。これは「2つ組」が含まれる結婚すべてに当てはまっていた。1つの家族に2人の継子がいる。2人の兄弟が姉妹と結婚する。1人の男が2人の姉妹(片方が死んでから、もう片方とも)と結婚する、2人の兄弟が母娘と結婚する。2人の姉妹が父子と結婚するなどである。簡潔に言うと、2つの家族の2つ組全てを避けるべきとされた。また1人の男は2人の兄弟の名付け親もすべきではないとされ、さもなければ片方は死ぬと考えられていた。


 3はあらゆる時代で神秘的な数として好まれていた――1の後の最初の奇数だからである。宗教でも迷信や魔術と同様にこの数を尊重していた。それには、3つ組の神々の人気や、聖書の3つの祝祭、避難する3つの町についてを思い起こすだけでよいだろう。だが3の数は、他よりも魔術書に多く現れていた。呪文や行動は日の出の3時間前や、新月の3日前、あるいは連続で3日間行う。前行の儀式は3日前に行う。魔術の活動は3つの段階で構成されたり、3つのものが求められる。神託者は同時には3つの質問のみに答えられる。大いなる語られざる御名は72組の3文字で構成される。3回繰り返した行動は常に力があるとされる。呪文はほとんどの場合に3回唱えるなどである。そのため3の数は魔術の徴と見做されるようになり、「3回繰り返すものは魔術的」は、よく引用される規則であった。


 ミドラーシュでは「全ての7は愛されている」と述べ、ユダヤ教の数についてで、この7が聖なる関連を多く持っているのを思い起こすならば、その判決をよく受け入れられよう。魔術では7は3の次に人気があった。魔術書には何度となくこのような指示があった。呪文は7回繰り返せ。床に7つの円を描け。これを7日間行え、などである。だが魔術での7の数の古典的な描写として受け入れられると私が想像するものは、タルムードでの三日熱を癒す以下の命令である。「7本のヤシの木から7つのとげを、7本の横梁から7つの欠片を、7つの橋から7本の釘を、7つのオーブンから7つの灰を、7つのドアの受け口から7すくいの土を、7隻の船から7つの黒色のかすを、7つのクミンの実を、老犬の髭から7本の毛を取り、白い曲がった紐でシャツの首の部分にこれら全てを結びつけよ。」中世の魔術では大袈裟な表現はよくあるが、1つのレシピにこのように多くの7があるのは珍しい。


 9の数もまた長い神秘的な歴史があり、これが3の3倍の特別な性質から来ているが、カバラがこの数に幻想的な光を当てるまでは、ユダヤ思想ではほとんど現れる事は無かった。だが北欧のユダヤ魔術と迷信では、9はこれまでユダヤの伝統に無かった重要性を突然に得ていた。悪魔は特にこの数を好むとされ、これらは9つのグループや、枝に9つの葉のあるナッツの木に集まる。呪文は9回唱える必要がある。悪魔を見たならば、9日間誰にも話してはならない。9つの種類のハーブで治癒はなされ、9日間で成功する。「悪魔(の憑依)から癒したいと望むならば、ドイツで行われているように、エクソシズムの呪文を9回唱える必要がある。この国では9つのノットを数えたり、Stilletiと呼ばれる9つの町の門の9つの橋から得る9つの木片によって癒している。」この「ドイツで行われているように」は、ユダヤ人の9の数への偏愛の鍵である。現地のチュートン魔術は9つの教義による特徴があり、中世ドイツ魔術では9の数はよく現れていたからである。他のドイツの民間信仰と共に、この力ある9は、ユダヤ人の迷信へも流れ込んでいた。


 無論、これらの3つの数のみが、我々がユダヤ魔術で出会うものではない。時にはこれらの数が増やされたり、偶数が迷信により行われていた検閲を不注意にも通り抜ける事もあった。だがこれらの他の数は、特別なオカルトの諸力を得ていると見做されるほどには多く現れていない。3、7、9は、ユダヤ魔術では並ぶもの無き力ある数であった。


魔術の行動


 魔術の本質は、神秘的で不可思議な行動にあるという一般的な考えは、事実からというよりも、手を振ってホックス ポックスを唱えるといった、我々の(おとぎ話での)疑似魔術の産物である。中世ユダヤ魔術は、その効果を主に語られた言葉に拠っていた。だが呪文を唱えるのに、付属的な行動が伴う事も多く、その意味合いは象徴的、暗示的な価値にあり、それらは数千年という時が過ぎるとともに、魔術的な重要性を得るようになった。


 呪文を唱える前や後に唾を吐くのは、普遍的に知られる行動であり、単に行うだけでも、それらの言葉に魔術的な意味合いが無かったとしても、魔術の意図を示しているとされた。人間の唾、特に断食をしている者のものは、反悪魔と反魔術、すなわちそれらから守護する力を持つと信じられていた。ガレンは蠍を3回呪文を唱える事で殺そうとした男について述べている。そして呪文を唱えるたびに、この男は唾を蠍に吐いていた。そしてガレンは後の実験で呪文を唱えなくても唾だけでも殺せ、さらに断食している男の方が普通の男よりも速やかであったと主張していた。マイモニデスは医師として、断食している者の唾は解毒となると書いている。この信念の結果、病を癒したり、悪魔を祓ったり、魔術に対抗するには、3回唾を吐く行動が通常は好まれていた。


 円は、別の古代からある普遍的な魔術の象徴である。悪魔召喚は危険な作業であり、魔術師は召喚した霊が暴走した時に自らを守るための手段も取る必要があった。それに対して、自らを周囲の環境から分離する以上にシンプルで明白な方法はあろうか? メナヘム ジユニは「悪魔を呼ぶ者は自らの周囲に円を描いていた。なぜなら、霊は公的な場所から私的な場所へと侵入する力を持たないからである。」と説明していた。この円を描く魔術の行動によって、魔術師の周囲の床と環境は私的な場所、禁止区となった。古代ユダヤの奇跡の働き手たちの中でも目立つ人物に、紀元前1世紀のホニ ハ=メアゲルがいるが、天から雨を降らせるために円の中で立って行う好みから、「円を描く者」と呼ばれるようになっていた。


 中世になると、悪魔と共に働く占術家は、まず最初に床に守護の円を描く事から儀式を始めていた。悪魔の襲撃があるのではと信じる者は、似たような不可視の防御によって身を守ろうとした。ドイツ ユダヤ人の間で広まっていた風習の中には、出産したばかりの女性が寝るベッドの周囲に円を描くものがあった。そして瀕死の人物に伴う危険について述べる中で何人かの著者たちは、そのベッドは魔術の円と同じ目的で用いられており、もしその手足がベッドから出たら、悪魔は即座に乗っとるだろうと述べている。この繋がりで興味深いことに、オリエントのユダヤ人の間では葬儀の時には弔問客は棺桶の周囲を7回廻って、「反悪魔の詩篇」を唱える風習があった。似たように東欧のユダヤ人(またオリエントでも盛んであった)の間では、花嫁は天蓋の下で花婿の周囲を3回か7回廻る習慣があったが、元は襲い掛かろうと待っている悪魔から防ぐ意図があった可能性が高い。魔術師の円は通常は剣かナイフによって彫られて、時には3つか7つの同心円を描くのが求められ、金属や数によって、この道具の防御力を強めさせていた。


 似たような魔術的な重要性があるものは、新しい物を用いる主張であり、これは魔術の世界では普遍的な規則であった。預言者エリシャがイェリコの人々から汚染された水を清めるように尋ねられた時、「新しい皿に塩を盛って持ってきなさい」と答えた(列王記下 第2章20節)が、中世のまじないの多くにも、同じような規定があった。妖術師の弟子は、新しい杯や鉢に煎じ薬を入れるように指示されていた。呪文は新しいナイフによって金属板に彫られた。円は新しい剣によって床に彫られた。処女土は像を形作るために用いられていた。水は常に自らを再生させる川や泉から取られていた。魔除けは処女羊皮紙の上に描かれていた。「初子の中の初子」の動物は、魔術の生贄で最も高い力を創り出していた。魔術に定められた物は、市場で最初に見たものを、最初に要求された値段で買う必要があった。朝に初めて会った人物、週、月、年で初めて行った事は、その期間全体で影響を持っていた。このような例は豊富に造られよう。神託で少年少女が最良の霊媒となるように、新しい物、最初の行動は純潔無垢であり、繰り返し用いたり、何年もの経験によって汚染されていないとされ、そのためこれらは魔術師の目的のために最良に用いられる。これらは自らの中の最大の潜在性を働かせられるからである。だがこのテーマの興味深い例外は、これらのまじないによく「古いワイン」が用いられていた事である。おそらく、ワインは古い方が新しいものよりも自然と上位であり、自分たちがそうであるように霊たちもそれを好むだろうと考えられたからであった。あるいは、これもまた「ファースト」だからかもしれない。


 原始的な人々が魔術に対して示す普遍的な敬意と恐怖に関わらず、全能の御言葉をさらに強めるために、逆説的で懐疑的な説明もあった。御言葉を肉体へと転移させ、作業の対象である人物との物理的結合をもたらし、超自然のもので肉体を強化するのを助けるために、全くの世俗的なものとして説明する事があった。この魔術の最良の例は医療の分野にあるだろう。ここでは病をもたらす悪魔を祓うために、呪文や神秘的な御名が、下剤のように飲み込まれていた。同じように、理解と知恵を得たり、記憶力を鋭くするためのまじないでも用いられていた。この飲み込むものは、御名や聖書の詩句を書いた紙や、呪文を書かれたケーキ(その準備の多くは洗練されていた)や、殻を取ったゆで卵に書かれていた。ゲオーニーム時代のある文書では、「イスラエルの全ての学者とその弟子たちは、」このような呪文が書かれたケーキや卵を食べていて、「それによって彼らは成功した。」とある。また有名な詩人、エレアザル カリルは、その名前の由来がコリルム(ケーキ)から来ており、その父が少年時代にこのケーキを与え、それによってその詩才は負っていると言われている。中世の間、このような美味が学業の始めに学生に「その心を開くために」与えられていた。魔術のケーキは、花嫁にも多産になるようにと与えられ、幸運のために様々な機会にも用いられていた。


 呪文はまた、リンゴやシトロンや他の食べ物の上にも書かれて食べられたり、飲み物の中に溶かされたりしていた。理解力を得るためには、古いワインの杯に7つの御名を7回唱えてから飲むので充分であったが、通常はそれよりもナイーブな方法で行われていた。まじないの処方の一部では、呪文を葉や紙切れに書いて、それからワインか水に溶かしたり、杯の内側に蜂蜜で書いて、それから水で溶かしてから飲むのを求められていた。これは中世で大きく流行っていた媚薬の本質的な性質であった。これらの成分は奇怪なものであったが、その目的は物理的な形態にしたまじないを、望んだ相手の体の中へと運ぶ事にあった。


 魔術的に充填させた液体も、多く用いられていた。恩寵を得るために、様々な詩篇をオイルに向かって唱えてから、顔と手に塗るのが勧められていた。酔っ払いを覚ますのに効果が疑いないものとして、呪文を冷水の椀に唱えてから、それを飲ませるというものもあった。「大いなる驚異を見るため」に、浴槽に香水を注いで呪文を唱えてから、それに沐浴するというものもあった。最後に、まじないの力を入れた物も用いられ、魔術の動者となり、その死後も働くようになった。敵の力を滅ぼすために、まじないをワインや水に唱えてから、その液体を敵の家のドアに注いだ。「だが1滴といえども、自らにかからないように慎重にせよ」とある。また、山賊によって行く道が塞がれていたならば、一つまみの塩か土を素早く掴み、それに呪文を囁いてから、攻撃者の方角に向けて投げると、山賊はもはや力を無くすとされた。また敵が航海中であり、帰ってきてほしくないならば、土器の欠片に呪文を書いて、犠牲者の船であるように海の底へと投げ込むというシンプルな方法が用いられた。海の嵐を静めるためには、似たような土器の御守や、薔薇油、水、塩の混合物に、呪文を囁いてから海に投げ込むのが勧められていた。このような例は多数あり、その全ての目的は、御名の魔術をその目的に向かって転移させる、物理的な動者を与える事にあった。


ユダヤの魔術と迷信 9-2
↑ ユダヤの魔術と迷信


*1 メソポタミア南部に住むグノーシス系のマンダ教を信じる少数民族。