ユダヤの魔術と迷信 7

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 7

第7章 「……の御名により」


名前の力


 宗教迷信の普遍的な特徴の信念の中でも圧倒的なものは、「人の名前はその存在の本質である」という確信である(あるヘブライ文書では「人の名前はその人格である」と述べ、別の文書では「人の名前はその魂である」と述べている)。この考えは、子供に名前をつけるのを重要な行為に高めた。名前は歴史の中で集めてきた関連する概念全てと共にあり、古い持ち主の概念を新しい持ち主へと押し付ける。そのため、どの名前を選ぶかには重い責任が伴っていた。過去に豊かな財産を持った人物の名前を子供につけて祝福したい望みは、その先の持ち主の魂が赤子の肉体へと移ってくるのではないかという恐怖――名前をつけた子供と両親との間に立ち塞がり、その魂や命を奪うのではないかという恐怖――とでバランスが取れていた。この恐れは、ある場合には死んだ祖先の名前すらも使うのを拒否する迷信へと導いた。これは過去の魂を、その天の住居から生の領域へと再び入らせるだろうからである。この思弁――これが思弁だとして――から、敬虔者イェフダーは「その子孫にイェフダーやその父のサムエルの名前を付けてはならない」という遺言を残している。だがここまで極端な迷信は稀であった。通常は子供は祖先の名前を付けられていた。


 その名前は自らの人格の源泉であるだけではなく、その運命も表すと考えられていた。ある特定の名前は幸運をもたらし、別の名前は悪運をもたらす。その名前と関連する「天命」が、いずれかを決めていた。この見えない運命は、その名前を持つ過去の人物の人生を密接に調べる事によってのみ見つける事ができた。生まれた子供に、不幸な人生だったり、若くして死んだり、殺されたりした者の名前をつけるのは軽率の極みとされた。この前の持ち主の不幸の原因となった名前は、新たな持ち主にも悪運をもたらすであろう。この同じ理由から、寡婦や男やもめは亡くなった先の伴侶と同じ名前の持ち主と再婚してはいけなかった。ある著者は「これら全てはただの迷信と見做すべきではない」と厳かに宣言し、自らの幅広い体験から真実であると証言している。


 霊が同じ名前の2人と出会ったら、その望まない注意を惹いた側を選ぶとされた。病や死をもたらす天使は、名前を呼んで答えた側に訪れるとされた。そのような事が起きるのは、幾つかの逸話が証言している。結果として、まだ生きている人物の名前を子供につけるのは避ける迷信が強められ、1つの家族で同じ名前を持つのも避けられた。結婚でも花嫁、花婿が相手の家に同じ名前の者がおり、2つの家族が合わさると同じ名前を持つ事になるならば、軽率だとして敬遠された。また同じ名前を持つ幾つかの家族が同じ家に住むのも避けられた。この場合、霊はどちらなのか完全に分からなくなるであろう。人々は同じ名前の病人がいる家に入るのを可能な限り避けていた。本来は病人に定められた死の運命が、健康な方に間違って降りかかるかもしれないからだ。これらの用心は気遣いながら行われ、世間に不安をもたらす事が無くもなかった。先に「これは迷信ではない」と述べた著者は、以下の申し訳程度の事を述べている。「人は迷信を信じるべきではないが、これらには用心に越した事は無い。」確かに、信じる信じないに関わらず、その読者は「用心」深かった。


 物や人の本質的な特徴は、その名前の中にあった。そのため名前を知る事は、その持ち主の秘密を知り、その運命を支配する事であった。多くの未開部族の住人は2つの名前を持ち、その1つは公的に用いるもので、もう1つは慎重に隠しており、持ち主のみが知る名前であった。親密な家族の間でも、それらを知る事は無かった。敵がそれを見つけたら、その持ち主の命は危険となった。最古の時代から現代まで、未開部族から文明社会の住人まで、名前の中にあるオカルトの力は認められており、名前そのものも魔術師が手に持てる強く優れた力とされた。


 人の名前を知る事は、それのみで力を及ばす事であり、より高い超自然的存在の名前を知る事は、その存在が司る領域全体を支配する事であった。魔術師がそれらの名前を知るほど、自らの召喚と命令に従う霊の数は多くなった。このシンプルな理論は魔術の基盤であり、魔術は神秘的な名前や言葉を通じて働き、それらの名前は我々の世界を動かしている諸力をさらに動かすと信じられていた。霊たちは、未開部族と同様にその名前を慎重に守っていた。(旧約聖書で)ヤコブは格闘した天使に対して、「あなたの名前を教えてください」と要求しているが、天使は答えるのを避け、自らの名前を秘密のままにし、ヤコブが魔術の呪文で召喚して、服従する羽目にならないようにした。だが天使の名前の膨大な神秘的伝承は、中世のユダヤ人も継承し、自らも拡張していた。そして多くの神秘家はこれらの神秘を伝授され、霊たちを召喚する力を有していた。だが何よりも高いのは神であり、ユダヤ人が巧みに発明(あるいは発見?)した神の御名がユダヤ魔術師の手に渡るならば、神の世界を操る無限の力を与えるであろう。


 この信念は、想像できるだろうが、大きな神学的な不安の源であった。その最大の信奉者、すなわち敬虔にして神を畏れるドイツのユダヤ人は、全能の神も、この考えだとその御名の疑い無き諸力に自ら従う事になるという矛盾を解決するのは困難であった。神学とこの迷信を調和させるために、彼ら全てが行えた事は、同時に御名の力と神の力があると断言する事で、この問題を脇によける事だった。「神の御名の召喚によって、神自身が召喚者の望みを行う、その御名を唱える事で服従すると言えはしまい。御名そのものが、それを唱える者の望みを満たす力を生み出すのである。」この御名は自発的な力を有している。こうする事で、神学者たちは自らの心の平静を保っていたのである。


アブラカダブラ


 魔術の発展史の一つの特徴は、天の存在を召喚する事から、単に名前や言葉によって操作するようになった事である。中世のユダヤ人は固有の超自然的な存在の名前を呼ぶ事を強調していたが、これは神学的な謙遜による礼儀以外の何物でも無かったのは明らかである。そして周辺の他の宗教で流行っていた魔術のように、ユダヤ魔術でも、この種の唯名論は名前だけではなく魔術の言葉にも用いられるようにしていた。


 特定の言葉は、それらを発展させてきた伝承や、古代や異国の民の強力な御守から来た空想から、オカルトの性質を持つとされるようになった。先に何度か述べたように、魔術はあらゆる規律の中でも最も保守的なものである――それは何世紀も過去の古風な形態に固執する法律に似ていなくもない。だがこの保守主義は、知的怠惰によるものではなかった。魔術そのものの性質が、魔術の名前や言葉のオリジナルの形に厳密に従うのを要求していた。その力は、その音節、子音と母音の中に隠されているとされたからだ――僅かでも変えるならば、その言葉から全ての魔力を失わせるだろう。だが必然的に、これほど秘密にされた口承の過程や、後の時代の間違いの多かった写字生の転写によって、言葉は徐々に変わっていった。実際、伝承の継承者がこれらの言葉を読めなくなった時代から、そのオリジナルの意味合いや発音の無知によって損傷のプロセスが進み、これらの言葉を異国風で意味のないものにする事も多かった。


 加えて「魔術儀式での神秘的に語りたがる傾向」についても考慮する必要がある。「さえずるように、ささやくように語る魔術師」(イザヤ書 第8章19節)は普遍的である。バビロニアの祭司は、一般的に自らの術式を囁いて行っていた。キリスト教の儀礼の荘厳な部分も、同様に聴かれないように発音する傾向がある。術式を意図的に曖昧にする傾向があり、この心理的な必要性は、言葉をさらに転訛させる事も多かった。魔術の特定の論理――より野蛮な言葉にすれば、より力を持つようになる――は、このプロセスを美徳にしていた。「魔術の言葉の判読性は僅かしか必要ではない。ほとんどの場合、それらは奇妙で意味がなく、異国風で理解不能な言葉であるが、それらは特に望まれていたからだ。」11世紀のラシは、以下の文の中に、この現象についての精通を示している。「ある妖術師は儀式で囁き、それが何を意味するかを知らなかったが、そのような発音によってのみ望んだ結果を得ていたのである。」チェロキー族のメディスンマンのレパートリーは、そのほとんどが何世紀も何の意味も伝えなかった古風な表現で構成されていた。インドの原住民の多くや、チベット、中国、日本の仏教徒はサンスクリット語(梵語)の祈りを唱えていたが、それらは彼らには理解不能であったが、自らの言語のものよりも力があるとされた。この現象を反映した、現代の手品師が使う「アブラカダブラ」の呪文は、我々全てがよく知っているであろう。


 この同じプロセスはユダヤ魔術でも起きた。中世の呪文は、驚くほど奇妙なものであり、まるで遠い異星人のどもったボキャブラリーから借りてきたようである。「魔術はその意図は科学的な実践であったが、かつては一般的に判読可能だったものが、今では判読不能な用語となっていると認めざるを得ない。後の時代のナンセンスの多くは、それらの儀式が造られた時代の失われた言葉の生き残りである。」時には何世紀にもわたる付着や損傷の結果、オリジナルのラテン語やギリシア語の言葉は曖昧なものになった。時には、膨大な博識やそれ以上の創作の才によって、学者があれこれの文字を彫り、新しい言葉をハンマーで叩き、自らの活用も加えて、そのような言葉の綴りを宣言して世界を驚かせた。真実を語ると、このゲームは酷いものであった。学者たちはお互いには滅多に同意せず、結果は――学者自身を除いて――その努力の価値がほとんど無いものだった。これらの言葉は魔術師には今のままなので重要であった。元の形に修復して、その意味も明白になったものは、最も大胆な魔術師も、それらで呪文を唱えるのを恥じるであろう。


 ユダヤ魔術の奇妙な言葉や名前に満ちた性質は、神秘的な伝統のある重要な要素によって、さらに強められていた。ピュタゴラス学派の数と文字の創造的な力の概念は、タンナーイーム時代(1-2世紀)にはユダヤ人にも知られていた。有名なアモラ ラブ(2世紀前後の人)は、ベザレルという人物について、「この者はそれにより天地が造られた文字を組み合わせる方法を知っていた」と述べている。ゲオーニーム時代の神秘伝承はこの教義を多く用いるようになり、セフェル イェツィラーでは、カバラの主要な柱の1つにまで高めていた。これは13世紀のドイツのカバリストに特に人気があった。彼らはヘブライ文字の中にある神秘的な諸力の存在を主張し、これらの文字の中にある潜在性を最も引き出すために、組み合わせ、再び組み合わせる洗練された術を発展させた。それ自身が多くの新しい魔術の言葉や名前の源となりつつも、この実践は魔術のボキャブラリーの中に異国の言葉を見い出すのを容易にした。


 だが言葉と名前の違いは、ユダヤ魔術について考える限り、学術的なものだった。ほとんどの大衆にとって、これは充分にリアルであった――名前は何らかの超自然的な存在に属し、言葉はそれ自身を表していた。言葉と名前が融合するプロセスが起きたとしたら、名前が言葉を飲み込んでいた。言葉に重きを置くには、ユダヤ魔術は洗練されすぎていた(私はこれを洗練と見ている。言葉そのものの効果への信念は、より原始的でナイーブな態度に思えるからである)。中世やそれ以前の時代から、全ては名前となっていた。各言葉――我々の知恵は、その謙虚な起源を見分けられるであろうが――の背後に、天の力が位置していた。時には言葉の神聖視が、後に詳しく述べるように極端なレベルに達する事もあった。例えば、ホックス ポックスは、いと高きところにいる君主――実際は、2人の君主たちであった。ユダヤ魔術の魔術書は、主に魔術の名前の集成であった。実践上では名前か言葉かの観点は重要では無く、魔術師の好みで決められていたが、理論上はユダヤ魔術は言葉を自らの範囲から除外するよう主張していた。


 これらの御名の招聘は、中世ユダヤ魔術の最も一般的な特徴であった。呪文のほとんどが、御名やその連なりで構成され、それに伴う行動があったり無かったりした。このような強力な力を無造作に扱う事の危険は認められていた――ダイナマイトを点火するように――それらは不用意な魔術師を滅ぼすとされた。「神名を不適切に唱えたならば、死が忍び寄るであろう。」魔術の実践者は、その儀式の前に意識的に準備する事を何度も警告されていた。この間、浄化の儀式によって心身を清め、女や不浄なものから禁欲し、厳格な食事規定に従い、断食する事すらあった。「聖なる御名を唱えようとする者が、その前に適切に自らを浄化していなかったならば、その努力が無駄なだけではなく、その図々しさへの懲罰も予期すべきである。」これらの御名は、悪用をしないだろう敬虔な学者や賢者にのみ伝えられていた。さらに御名は口に出して唱える事すら試みるべきではないとされた。「心の中で黙想するので充分である。」だがこの御名への恐れは明白であったが、文献が豊富に示しているように、その多用を防ぐ事は無かったようである。


 御名に含まれているという諸力には限界が無かった。自然や人の考える概念の中で、これらを超えるものは無かった。文献ではこれらに帰するのは、そのうちのごく僅かのみが選ばれていた。敬虔者イェフダーは、それらの言葉を唱える事によって、盗賊が逃れようとした窓を閉じて、この盗賊を魔法の万力に閉じ込めたと言われる。また他にも、砂の上に描いた幾つかの御名を見せる事によって、弟子に自らの全ての神秘的な智を伝えたという。これらの御名は、殺す事にも復活させる事にも用いられていた。だがその全ての中でも最も驚くべき事は、この御名によって「人の心を主への畏れへと変え、最大の悪人すらも義人となるであろう」!


ゴーレム


 魔術師が志す最大の行いは、生命の創造であった。タルムードでこの主題について議論していたラビ パパは、魔術が行える創造の力は粗雑な物やラクダのような生き物のみであり、繊細な物ではないと見ている。ラビ エリエゼルは、魔術師の力の源である悪魔は、穀物より小さな物は造れないと考えていた。これは中世の著者たちが妖術師に当てた制限であった。もっともゲマーラーでは「悪魔は実際には大きな物すら造れず、既に造られているが使われていない原始的な物質を組み合わせる事しか出来ない」と述べている。そのため創造の究極の働きは、神のみが行うとされた。人の命を通常の魔術的方法によって創造できると示唆する者はいなかった。


 だが同時にタルムードは創造の第2の方法を認めていた。それは「創造の法」を用いるのを求められており、これはおそらくは天地創造と関連した神秘的伝統の口承であったろう。これらの「創造の法」で構成された魔術の種類のみが、「最初から許された」ものだった。この方法によって「義人が望むならば、天地の(生き物の)創造ができた。かつてラバは人を創造し、ラビ ゼイラへと送った。ラビはこの者と対話をしようとしたが、それは答える事が出来なかった。そのためラビは『お前は魔術によって創造された。元の塵に帰れ!』と宣言した。ラビ ハニナとラビ オシャヤは毎週金曜日に共に座って、創造の書(法)で作業をして、3歳の子牛を創造してから食べたという。」


 この方法の説明を求めるには、我々は注釈者たちによって保たれていた伝統に拠るしかない。ラシは「彼らは天地がそれにより創造された御名の文字を組み合わせていた。これは禁じられた魔術と見做されなかった。神の働きはその聖なる御名を通じてもたらされたからだ。」と書いていた。タルムードの創造の法(後の時代の神秘的な「創造の書」とは関係ない)が現れ、それはよくある名前の魔術、中世のユダヤ魔術師の中心的実践の展示であった。だがこの困難で神秘的な主題と関連するゆえ、その中でも高度で秘教的な部分に属した。中世のユダヤ人は、キリスト教の同時代人と同様に、人間の命を創造する力を渇望しており、人には暗黙にそれをなす能力があると信じていた。13世紀の著者、オーヴェルニュのウィリアムはこう記している。「人々は通常の性交のプロセス以外の方法によって、人間の命を創り出すのを試み、成功したと考えていた。」だが非ユダヤ人が追求する方法は、タルムードで示されたものより粗雑なものだった。例えば14世紀のあるキリスト教徒の著者は10世紀のアラブ人のアル ラーズィーの方法を引用しているが、それでは馬の肥料で満たした器に、ある未知の物質を入れて3日間保てば人間を創り出せると称していた。


 13世紀のドイツのハシディム(敬虔者と神秘家たち)は、特にこの問題に関心があった。彼らから御名の魔術的招聘により造られたホムンクルスを表すものとして、ゴーレム(文字通りには、形無きあるいは命無き物質)という言葉の使用は来ており、ゴーレム伝説全体は彼らの興味にまで遡れる。このような伝説が編み出された初期の人物は、敬虔者イェフダーの父であったラビ サムエルであった。このラビはそのようなホムンクルスを1体造り、この生き物はラビと共に旅をしたり仕えていたが、喋る事は出来なかったと言われている。ヨセフ デルメディゴは1625年に「この類の多くの伝説は現在、特にドイツにある」と伝えており、信じるに足りる。


 これらの伝説の中でも、よく知られているものは、16世紀半ばの(ポーランドの)ヘウムの町のエリヤと関連していて、17世紀の間に発展していったものである。このラビはセフェル イェツィラーを用いて粘土からゴーレムを創造し、その額に神の御名を刻んで命を与えたが、喋る力は与えなかったと言われた。だがこの生き物は徐々に大きくなっていき、巨人の大きさと力を得たので、ラビは先に破壊するための方法として取っておいた、額から命を授けた御名を取り除くと、このゴーレムは塵へと崩れたという。これらの伝説は18世紀以降には、ラビ イェフダー ロウ ベン ベザレルが行ったと、何の歴史的な基盤も無いのに移っている。このラビが命をもたらしたとされるフランケンシュタインの怪物の残存物は、現在でもプラハのアルトニューシュル(旧新シナゴーグ)にある家の屋根裏部屋に瓦礫と共に残っている。


 少なくとも1人の神秘家、ドイツの神秘家全ての中でも最も偉大なウォルムスのエレアザルは、大胆にもこの術式を記録しており、後の時代には幾つかの別版も現れた。この術式の内容は、文字の組み合わせによる23の2文字の列を単に一瞥するもののようである。ゴーレムの像は、「山地で人が以前掘っていない場所の処女土」により造り、その呪文は「(セフェル イェツィラーにある)221の門のアルファベット」により構成され、ゴーレムの各器官ごとに唱える必要があった。それからよく引用される最後の詳細は、その額に神の御名、あるいはエメト(真理)の言葉を彫る事である。この生き物を滅ぼすには、エメトの最初の文字を取り除き、メト(死)にする事や、創造の組み合わせを逆向きにする事によってであった。1325年にドイツからバルセロナに来たラビ ヤコブ ベン シャロムは、破壊の法は創造の法の逆以外の何物でも無いと記しているからだ。


 だが、その可能性について疑いは無かったものの、中世のユダヤ人は一般的に死んだ物質に命を吹き込む自らの能力について懐疑的であり、そのような高度な御名の操作は自らの手に余ると謙虚に告白していた。13世紀のある著者は、ラビ ハニナとオシャヤの子牛を造る偉業を再現したと述べている者たちに対して、「彼ら自身が馬鹿な子牛だ」と小ばかにしたように批評している。1615年にアウフェンハウゼンのザルマン ゼヴィは、背教者サムエル フリードリッヒ ブレンズが書いたこの問題に対する非難への返書(Jüdischer Theriak)を出版している。ザルマンはウィット豊かにこう記している。「この背教者は、土の塊を手に取って、人の形にして、魔法の呪文を唱えると、その像が生きて動くようにしたユダヤ人がいると述べている。その返答でキリスト教徒のために書いた我が書により、この背教者がいかに馬鹿であるかを明らかにした。この者自身が粘土をこねて何の知性の与えずに造られ、この者の父自身がそのような魔法使いの類だと私は述べたからだ。この者が書くように、我々はそのような像をゴーレム(形無き生身の物質)と呼ぶが、これは「怪物的なラバ」(ゴーレムの言葉を使った駄洒落である)とも呼べ、この者を完全に説明していると私は述べたからだ。私自身はそのような行いを見た事は無いが、タルムードの賢者たちの中には、創造の書によってこれを行う力を持っていたと言われる。(略)我々ドイツのユダヤ人には、この神秘的な伝統は失われているが、パレスティナのユダヤ人には、今でもカバラを通じて大いなる奇跡をなせる者がいるという。我らが愚者たち(これもゴーレムの言葉の別の駄洒落である)は、粘土から造られず、これらの母の子宮から生まれていよう。」このラビの強い皮肉は、ユダヤ教弁護の動機から来ているのは明らかだが、この主題への一般的なユダヤ人の態度――それは行えるだろうが、我々はもはや行わない――を表現していた。


御名の魔術の発展


 「ユダヤ魔術での天使の御名の招聘は、部分的には多神教徒が多数の神々を招聘していた実践と、部分的には唯一の神の無数の(人格化された)語句やエネルギーの招聘と対比できよう。ユダヤ人の魔術も多神教徒の魔術も、神々や悪魔の名前を可能な限り集める必要については一致していた。名前を知らない事によって、呼び出した霊的存在が暴走する事への恐怖からである。」ここに我々は、宗教的信念と論理的必要性によって育てられた、魔術の自然な発展を見る事ができる。だが他にも、ユダヤ教内でのこのような発展にも帰する様々な外的な影響も一部認められる。


 古代イスラエルの文化は、古代世界を支配していた2つの文明、バビロニア・アッシリアとエジプトを強く反映していた。両方の文明で神々の御名による招聘がなされ、その魔術的な効果を強めるために、これらの御名を増やすのはよく知られ、幅広く実践されていた。これらの地での神々の増大(エジプトでは、「年の全ての月、月の全ての日、日の全ての時間に神々が割り当てられていた」と言われる)や、マルドゥーク神の50の御名のような現象に、拡張し続けるユダヤ天使学や、既に旧約聖書の中にある神の形容辞の集まりの源泉を見い出せる。


 だが魔術での野蛮な音節や言葉の使用はバビロニア魔術には稀であり、このユダヤ魔術学の入り口は、エジプトに見る事ができる。「エジプト魔術では、エクソシストたちすらも、御名の元となった言語を知らなかった。これらの言葉は原始的な形にとどまる必要があり、さもなければ力を失うとされた。イアンブリコスが書いたとされる、エジプト密儀についての書の著者は、エジプトとアッシリアの方言から取ったこれらの蛮名に、これらの言語に太古からある神秘的で神聖な性質を主張している。そのような理解不可能な言葉を用いる実践は、エジプトではかなり古代から見い出せる。」古代エジプト妖術の直系の子孫であるヘレニズム魔術でも、この現象を顕著に示しており、そこからユダヤ妖術でも反映している。これはユダヤでは比較的後期にこのような言葉の魔術が現れている理由を説明している。最初に「野蛮な言葉を用いるのを示した」はタルムードであった。


 我々の研究する時代の始まりに、これらの様々な流れが合流している。古代バビロニアとエジプトは、初期タルムード時代に共に来て、ヘレニズムと過去のユダヤ人を通じてこれらは洗練されていった。これはユダヤ教のみならず、東地中海沿岸全体で概ね反映していた。グノーシス主義、ギリシア魔術パピルス、初期のキリスト教神秘主義、これら全てが混淆主義魔術の強い開花、神秘的な用語の大きな拡張、野蛮な言葉の顕著さを示している。有名な教父オリゲネスは、言葉そのものにある力を信じていた。「ある言葉を別の言葉へと翻訳すると、その働く力は失うのは、事実から見る事ができる。」


 タルムード時代の魔術は、その働きで最も強い効果をもたらすのに、呪文の形態、すなわち言葉固有の力に主に拠っており、結果として重要な場所を野蛮な言葉が占めるようになった。御名の招聘、特に天使に対してのものは、タルムード後になってのみ明白に現れている。モントゴメリー氏などによって最近出版されたアラム語の呪文の文書には、このプロセスの中間状態を示している。タルムード時代よりも比較的豊かであったが、これらの呪文の中の天使の御名はゲオーニーム時代後期や中世ほどには洗練されていない。


 11世紀には御名の招聘の実践は幅広く行われるようになったので、北アフリカのカイロワンの善良な人々は、バビロニアのプンペディタにあったアカデミーの学長のハイ ガオンに、これについてどのような意見があるかを問いただす手紙を送った。「数えきれない御名があり、それによって達人は自らを山賊に対して不可視としたり、これら悪人を捕らえるといった奇跡的な行いをなすというのは、事実でしょうか?」だがガオンの返答は満足いくものではなく、彼らは再び手紙を送った。イタリアとパレスティナのユダヤ人の「学識あり信用できる者らが自ら見ている話では、魔術師たちがアシやオリーブの葉に御名を書いて盗人の前に投げると、これらが通過するのを防いだり、そのような御名を土の欠片に書いて、荒れる海に投げ込むと静めさせたり、人の前に投げ込むと突然に死を与えたりするといいます。」今度はハイ ガオンは長い返書を書き、その要点は世界の自然な秩序はそのような方法によって変えたりは出来ないというものだった。「愚者は何でも信じる!」とガオンは質問者たちに警告をした。だがその懐疑主義は多くの改宗者を獲得する事は出来なかった。


 ガオン自身が、著書でそのような書を幾つも記しており、それらはゲオーニーム時代のこの考えの最も高度な発展と見做されており、自らのこれらへの批評を無用なものにしていた。これらの書の1つの「ヘハロト」では、御名について多く記されていて、別の書で最近ガスター氏によって発見されて出版された「モーセの剣」では、ほとんど全てのページが神秘的で野蛮な名前と、それらの使用の説明で構成されていた。またゲオーニーム時代は、ヘレニズム妖術の特徴であった混淆主義の徴候を明白に示している。モントゴメリー氏はこのタルムード後の初期の呪文書の注釈で、こう述べている。「何と、一見して良きユダヤ教の文書に、多神教の神々の1柱も天の位階へと受け入れていた――これは中世キリスト教会が仏陀を聖人に加えるようなものだった。」


 これは13世紀のユダヤの御名の魔術のバックグラウンドだった。さらに中世なると、神と天使の両方の御名の数は増やされていき、実践妖術師に与えられ、さらにユダヤ教に多神教やキリスト教の神々や用語を入れる結果ともなかった。それらは大きく混乱して認識不能な形である事が多く、結果として魔術師には都合が良かった。中世キリスト教世界も、同じくグノーシス主義やヘレニズムの影響下の傾向にあり、同様に御名の招聘の性質と効果に精通していた。ギリシアの魔術パピルスで用いられていたヘブライの神名や天使名は特に人気があったが、疑いなくその奇妙な響きからであった。


 レア氏は異端審問官によるこれらの種類の魔術の禁止について述べている箇所で、このように述べている。「そしてノトリアの術があった。これは神によりソロモン王に伝えられ、それからティアナのアポロニウスに渡された書とされ、御名の力、神の御言葉について教えていた。それらは未知の多音節語で構成された祈りや術式を通じて働き、それによって全ての知識、記憶、流暢さ、美徳は一ヶ月ほどで得られるとされた。(略)ロジャー ベーコンはこの書を魔術師の作り話の1つと評していたが、トマス アクィナスとキルエロは、これは悪魔を通じてのみ働くと証していた。」またカロリング朝時代初期に、教会は「天使ウリエル、ラグエル、ツゥブエル、イニアス、トブアス、サブオク、シミエルの召喚を教えていた」アダルベルト司教を弾圧するのに成功した。


 12世紀の北欧では「意味のないように思える母音や、聖書の句や隠喩で構成された呪文や印章に満ちている」諸文書が広まり、1323年にはパリのある修道士がそのような本を持っていた疑いで逮捕されている。教会のこの敵意にも関わらず、いわゆるノトリアの術の書は中世後期で大衆の間に堅固に人気を集めていった。それはカバラがキリスト教知識人にもたらされた結果を反映していたが、ユダヤ人の諸書のような豊富で創造的な独立には到達しなかった。


ユダヤの魔術と迷信 7-2
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