ユダヤの魔術と迷信 6

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 6

第6章 善の諸力


御使いの天使


 中世ユダヤ魔術の明白な特徴は、天使、神の使者に割り当てられていた働きにあった。天使の魔術的使用は無論、世界はこれらに満ちていて、自然の中で重要な働きをしているという仮定から来ている。その数の仮定は単に10万から496,000の無数まで幅広く――しかもこれらは部分的な推測に過ぎない。地上の万物、生き物もそうでない物も、人から鳥、獣、木や小川、ガラスの欠片に至るまで守護する天使がいると知れば、この数も容易に信じられよう。これは天使伝承の要点である。家や町、風や季節、月や時間、日、天の星々から足元の塵に至るまで、自然や想像の概念にあるもので、そのメムネ(複数形はムメニム)、天の「御使い」(文字通りの訳では「割り当てられた者」)から独立して存在するものはない。これらの「御使い」は動者であり、これらを通じて世界は働いている――事実、世界の働きはこれらの活動の反映以外の何物でも無い。「地上の国々で、その天の『君主』がまず最初に没落するまで滅びる事が無いのは、よく知られている『神秘』である。」さらにこの信念には、各人にはその存在を司る星と共にあるという占星術の概念も伴っていた。そのため時には我々には二重の存在、天使、人の星の「使者」がおり、その人を導き、守護しており、その究極の責任は、天使の側にあるとされた。「人がこの地上で出会うあらゆる出来事は、まずその星の天使によって天で示される。」


 これらの天使は地上の存在の天の法廷での代理、弁護人であると同時に、地上での活動の誘因であった。鳥や動物、悪人の「御使いの天使」は、神の御前でその弁護をなし、悪人への懲罰が少なくなるようにする。同様に、「場所、石、木」を司る天使は、人がこれらにより転んだり落ちたりするなら責任を持つ。「義人が死にそうになると、その星の御使いはすぐに死なないように懇願する。この御使いはその死の責任があるからである。」人の祈りが応えられるとしたら、その星の天使はまず最初に、(神の)栄光の御座の御前にてそれらを伝えるとされた。同様に、日々の生活での幸運は、人の御使いの天使の介入の結果であり、この御使いは「人の心」に入り、その利益のなるように動かすとされた。そして家を建て替える時には、先の章で述べた悪魔のように「御使い」も住んでいる事を考慮し、ドアや窓の場所を変えないように慎重である必要があった。さもなければ、両方の怒りがその頭に下るであろうとされた。「これは『アモリ人の禁忌の実践』にとても似ているが、にも関わらず実践が許可されていた。」と13世紀の書にはある。後の時代のある著者はこの警告を、新しい家に住む際の恐怖についての内容で用いていた。


 この概念は、中世のユダヤ魔術の主要な理論的基盤を構成していた。遍在し全能の「御使いの天使たち」は、妖術師がその必要な秘密の知識と技量を得ていたら、人や自然に対して自らに従うように影響を与えるための完全な媒体となった。妖術師が造る御守や行う儀式は、その時に特定の「御使い」を支配下に置き、望むように影響を与えるのを意図していた。「大地ではなく海の上で働く呪文もあり、その他は大地を司る御使いのための呪文もあり、それらは海の上では何の効果も無い。」セフェル ラジエルのような魔術書にある長いリストは、その時点の状況を制御している風、日、時間、場所などのメムニム全てを操るために、初心者が学ばなくてはならない困難な訓練の証拠となっている。さらに、御使いの司る領域は、その性質によって定められているので、妖術師は自らが望むのに適しており、自然そのものを変える効果を持つ、別のより良い御使いに替える方法を知る必要があった。


 我々はこの「御使い」の魔術が働く方法の、一部は明白ではないものの、詳細な説明を得た。ある魔術師が呪文を唱える事で盗人を見つけるのに成功したら、それは召喚したメムネが目の前に現れて説明したのではなく、盗賊の場所の事実に集中して、自らの思考を魔術師の思考へと「混ぜた」からだとされた。盗人が誰かは知っていても、その隠れ場所を知らなかったら、盗人の「御使い」を召喚する事で、より直接的に見つけられたであろう。敵の蝋人形を造ったり絵を壁に置いて、ピンや釘で刺してその箇所に傷をつける呪いも、似たような線で働いていた。魔術師の「御使い」は、この打撃を犠牲者の天使へと送り、この天使は次いで自らが司る犠牲者に伝えるとされた。時にはこのプロセスに対して、第3の媒体、「御使い」の像や絵が加えられる事もあった。望んだ夢を見るのも、そのために召喚された夢を司る天使によって起こされていた。このように魔術の道具のレパートリー全体を通じて、妖術師が魔術によって望むように服従させた天使、「御使い」の媒介によって、全ての魔術は成功するとされた。


 この体系はプラトンのイデア主義の初期カバラの神智学的な用語への転換である。もっとも、これを「体系」と呼ぶのは、持ってもいない秩序と論理による過大評価であろう。この体系は中世ユダヤ思想で流行っていた哲学的、神秘主義的概念を基盤とした、自然と魔術の効果の一方的な理性化による、偶発的な試みを通じて形作られていった。さらにこれは13世紀ドイツ ユダヤ人の思想と限定する事もできよう。この世紀と場所で、この概念は洗練され、最大の人気を得ていたからである。セフェル ハシディムと、ウォルムスのエレアザルの諸書は、この教義の影響をほとんど全てのページで示している。この理論により生み出された、13世紀ユダヤ天使学の特徴である並ぶ者がない豊富な発明は、一見してこれらが伝統的なユダヤ教の信念からの逸脱に見えるように思える。だがユダヤの天使伝承の発展史を概観するならば、以前からこれらのオーソドックスな神秘主義があったことを示している。


 聖書では天使らを天の宮廷の御使い、神に仕えて賛美する者、時には地上へと神の意志を伝える使者として送られたり、その意志を実行すると記している。後期ダニエル書の著者は、最初に個々の天使を区分し、名前と称号を与えていた。タルムード時代になると、聖書の天使学は3つの分野で洗練され強化されていった。天使の職階は聖書の文から推測する事が多かったが、聖書自体では何の記述も無く、そのため人と神との間にあるとして、天使の概念は幅広く考えられた。天使の個性はそれらの説明の中でより明白に描かれ、より重要な者らの名前が付けられ、その特有の影響力も考えだされた。こうして、火、雹、雨、夜、海、ヒーリングなどの「君主たち」を我々は得ている。そして最後に、人の日々の生活に伴っている守護天使も考えだされた。


 エッセネ派は特によく発展した天使伝承を有していたと言われる。またグノーシス主義の影響を受けたエノク文献にも、これらについて多く書かれており、自然、人、未来を操っていると仄めかしている。これら2つの神秘教義の源泉は、ユダヤ思想で正当に認められる事は無く、事実ラビの権威者たちからは眉を顰められていたが、学外の神秘家らに深甚な影響を与えていた。これらの拡大する教義は、この時代には体系的に纏まったものでは無く、後の時代にも流動的で纏まりがない状態のままだった。だがこの初期の文献には後の時代に育つ種が幅広く含まれており、ゲオーニーム時代には高度に秘教的な教義が育ち、その一部はラビ アキバのヘハロト オティオトや、セフェル ラジエルの部分などで示されている。


 天使学の洗練とともに、その実践的な結論として天使の魔術的使用も発展していった。タルムードでは天使の出現の話は多く書かれているものの、悪魔の召喚と区別される天使の召喚については何も語っていない。タルムード時代にはせいぜいが、危機にある時に神の御前との間にある天使に呼びかけて祈る実践はあったようである。ゲオーニーム神秘主義でも、この点では変わらなかったが、後期には天使学の発展とともに、最近モントゴメリー氏により出版されたアラム語の呪文の文書や、カスター氏の編集による「モーセの剣」のような魔術書が示すように、タルムードの祈りの文は魔術の呪文へと明らかに変換している。これは13世紀ドイツ ユダヤ神秘主義が建てた天使魔術の堂々たる構造の基盤であった。天使の「御使い」への初期の引用は、詩篇についての後期ミドラーシュの中で、おそらくは10世紀の南イタリアで編纂されたラビの情報源にある。この本には疑いなく、それ以前の時代の内容を含んでいるが、タルムード文献のこの概念の欠如や、この時代に東方のユダヤ神秘主義が南イタリアを経由してヨーロッパに入っている事実から考えて、ゲオーニーム神秘主義の思索の産物であるのを示している。


 カロニムス家により真の神智学として導入されて、初期のユダヤ天使学の全ての要素を吸収していったドイツのメムネ教義の拡張は、ゲオーニーム時代の発展の歴史的、論理的な帰結であった。だが13世紀の出現と大衆化は、この時代のヨーロッパの圏での最も高まった迷信の時期と見るべきである。10世紀よりキリスト教会に蔓延っていたグノーシス・マニ教の異端は、古代の神秘的な伝承の種を広く深く植え付けていた。そしてユダヤ思想も、これほど近くで起き、これほど高尚な神秘的な感性から影響を受けない事は無かっただろう。より密接に教義が関連しているのならば尚更である。このキリスト教社会を揺るがしていた波は、ユダヤ人共同体も同様に氾濫していた。


天使の属性と働き


 この豊富な天使学を持ちつつも、北欧のユダヤ人は天使の起源は何か、どのような要素でこれらは構成されているのか、その外見は何かといった幾つかの疑問が起こった。それまでこれらは単純に天にいて、栄光の御座の周囲に散らばっていたり、地上で天の命じた役割を行っているとされ、疑問を尋ねられる事は無かった。ウォルムスのエレアザルのこれらについての説明は、「風のように希薄な形質で造られ、見る事が出来ない」程度でしかなかった。


 だがこの天使の概念は形而上的、実践的な性質の困難を作り出していた。天使が純粋な霊であるならば、言い伝えが記していたり、魔術が要求するような物理的な効果をどのように作り出せるのだろうか? 常に不屈の理性主義者であったマイモニデスは、天使の物理的な表れと、天使魔術が行うとされた客観的リアリティーの効果の可能性の全てを否定し、それらは自己欺瞞や視野の幻覚とした。だがこの強硬な意見は僅かな信奉者しか得られなかった。スペインの哲学者ナフマニデスとイェフダー ハレヴィは、天使の現れのリアリティーは認めていたが、それには見る側の視野に特別な明晰さが必要と記した。だが北欧のユダヤ人は、この条件すらも不要としていた。天使は人間(や動物)の姿に変わり、人間社会で完全に物理的な存在として現れる力を持つとされた。実際、そのような変身はよくあるとされ、「人の星の君主」は自らが司る人間の姿を取って、天から地上へと降りてくるとされた。そしてどのように霊から物質へと転移できるのかの説明を求められたら、答えは実にシンプルであった。「これは大いなる『神秘』であり、それにより聖天使たちは神の意志や自らの望みに従い、地上で人や他の生き物の姿で現れるのである。これらは天の堆積の下にある土を幾つか取り、この土の塊を身に纏ってから、人々と飲食するために地上へと降りてくるのだ。」


 特に天使のある特徴は、それが多く記されている事と、宗教、魔術儀式での実践的な重要性から注目を集めていた。神への懇願は天使の仲介によって行われる事が多く、全能の神は無論、全ての言語を理解できたが、その天の宮廷でのオフィシャルな言語はヘブライ語とされ、そして天使たちはヘブライ語しか話せないとされた(あるいは他の言語も知っていたかもしれないが、それらで対話をしようとはしなかった)。この原理はタルムードではさらに発展し、当時のユダヤ人はアラム語が日常の言語だったので、祈りでアラム語を用いる事への警告は特に強調された。そして病室のみがヘブライ語以外の言語を用いれるとされた。なぜなら、そこにはシェキナー(神の臨在)が病者の頭上に浮かび、祈りを直接受け取ると信じられていたからである。


 この信念は中世になっても続き、週の祈りの儀式、特にカッディーシュ(最後に唱える頌栄)でアラム語の祈りをしていたのが見つかったら、ヘブライ語に言い換えるようにするための説明に用いられていた。それらは天使らには理解できずにウンザリさせたり、ユダヤ人の強い信仰を妬ませたりするだろうからである。またこの信念から、ユダヤ人は世俗の名前とは別にヘブライ語の名前も持ち、宗教儀式でのみ用いるようにした。天使は世俗の名前では個を認識できないからである。葬儀においても、この原理は用いられていた。北欧のユダヤ人によく用いられていたカバラの教義、ヒブット ハ=ケヴェルでは、死の天使に打ち負かされ、葬儀から3日間、死者はヘブライ名を用いる必要があった。そうでないならば、死者の霊に災いが落ちるとされた!


 無論、この考えは多くの反論にも出会い、タルムードの元の文に対しても、一部の中世の注釈者らは永遠に取り除くべきだったと言い返されていた。「人の心の奥底に隠されたものすら天使たちは知るのに、アラム語は知らないとは!」だがこの皮肉は、この概念の人気を弱める事はほとんどできず、天使たちは語学者としては低評価のままだった。さらにこの概念は宗教儀式に限定されていなかった。中世ユダヤ魔術の実践で、これは学問的な重要性以上のものが充てられていた。魔術書は現地の話し言葉、アラム語やイディッシュ語などで書かれていたが、護符そのものや、天使に聞かれるのを意図した魔術の命令文は、通常はヘブライ語で書かれていた。原理的には反オーソドックスでありつつも、魔術は最も伝統に縛られた文化的形態であろう。ユダヤ妖術師は、公的なユダヤ教の精神からどれだけかけ離れていたとしても、自らの技法に直接的に関連したこれらのオーソドックスな伝統から自由にはなれなかった。15、16世紀の魔術書で、イディッシュ語が用いられた呪文があったとしたら、それは通常はドイツ語から直接的に翻訳されたものだった。


 特に天使的な働きや姿がある個々の天使たちは、中世のユダヤ人の生活に密接に入り込んでいた。古代の規範はそのままだったが、天使たちは中世の書のページに遥かに多く現れていた。これらの主な働きは、神を崇めて仕える事には変わりはなかったが、その仕えるのに人々とより多く接触するようになった。ウォルムスのエレアザルは「天使たちは神の使者である。神は自らの意志をこれらに伝え、自らの任を果たすべく送る。」と記し、この任は天使たちを常に忙しくさせ、新しい任が常に待っており、今の任を終わらせるべく急ぐ必要があると説明していた。エレアザルが言うには、これらは自らの意志で何も行えず、神の命令でのみ働く――この観点は、伝統的な信念では真実であったが、中世の魔術での天使の役割とは一致しなかった。魔術では天使は神の意志からある程度独立しているのを暗に前提としていたからである。


 さらに主要な意見は、あるゲオーニーム時代の返答文に見い出せる。「上からの指示無しにも天使が自らの意志で行える事は多数ある。そのため、天使たちに特定の事柄の助けを得るために、御守が書かれたり名前が呼ばれたりする。」だがこれらが主なる神の使者として送られている時には、その任のみに専念していた。これらの多くには特定の働きや活動の領域があり、勿論その範囲内の命令がこれらに割り当てられるとされた。


 神の意志はこれらに、自らの領域全体を開いていた。中世のユダヤ人は、人間生活の詳細に至るまで司る神の摂理があり、天使たちを通じて働くと信じていた。これらは天の命令を行い、神の法に反する者を罰するために人間や動物の姿を取ったり、自らの思考と人の思考を「混ぜて」、人をそれまでの考えに反した決断をさせたりする事が多いとされた。


 この観点では、天使は神が自らの世界と密接に接するためのメカニズムであった。だがこれらの天使の仲介者たちは、メッセージを上にも下にも運ぶとされたので、神に直接祈るよりも天使たちを呼ぶ古代の実践は、この時代に幅広く行われた。無論、神秘主義ムーブメント(カバラ)全体で、祈りの言葉の文字と言葉に隠された秘密の値は、天の宮廷(の神)の耳に最も効果的に到達できる天使たちへと送られると強調していた。最後に、天使たちの天の立場は、これらに神秘の伝承の泉へと接触できるようにし、神秘家たちが望む秘密の知恵の源となった。神秘家がこれらにインスピレーションを向けて、博識にして敬虔であり――そして時には魔術の技量もあれば――その知恵の探求は報われない事は無いとされた。ラジエルの書は、この題名の天使からアダムに伝えられたと信じられていた。ちなみにウォルムスのエレアザルはこの書を持っており、様々な天使たちと親密であるのを自慢していた。数世紀後には、オストロポルのサムエルという名のカバリストは、「日々天使が訪れて、トーラーの神秘について教えた」と言われる。多くの偉大な神秘家たちが、このような天の教師の教えを受けたという評判があった。


 だが我々はまだ、個々の天使については、これらの名前と働き以上の事を僅かしか学んでいない。これらを記した魔術書の著者たちは、天使について魔術の目的のため以外には興味が無かった。時には、神秘の言い伝えから幾らかの情報が伝えられる事もあったが、それらは学者的な物知り顔の口調と共にであった。例えばメタトロン、古典的なユダヤ神秘主義のデミウルゴスは、その名前が神の御名の1つであるシャダイ(全能者)と数値的に同等である事のみで重要とされた。サンダルフォンは「同輩たちよりも、500年の距離*1ほど背が高い」とされたが、その重要性は神自身の傍に密接に立つ事にあった。死者の領域を司るドゥマフは、破壊の天使とされ、タルムード時代から知られる他の天使たちも、それらの姿が造られていった。死の天使は人の世の諸事で特別な役割を保っていた。大天使たちは、中世の神秘的な伝承でも居場所があったが、それらとの諸惑星との繋がりは、かつて持っていたであろう個性を喪失させる事になった。


 名前(の魔術的使用)は天使を飲み込んでいた。天使の御使いが神秘的思弁と魔術の実践に占めていた立場は、現在から見る定義で中世ユダヤ天使学を曖昧で不明瞭なものにしていた。理論上はメムニムは無論天使であり、そのため全ての天使の姿の属性と、古代の文献で記されている特徴や働きも有しているとされた。だが実際には、これらは中世のユダヤ人にとって、識別するための名前以上のものだったかは疑問がある。


 これらを用いるために、魔術師はどの天使が特別な条件に含まれるかを知る必要があった。そしてこれは事実上、これらの天使の名前を知るという意味である。名前はその本質を表すとされたからである。中世ユダヤ魔術の実践に伴って、天使の名前が膨大に増えた結果、その天使の性質は曖昧となる傾向があり、最終的には名前そのものが主な考察対象となった。既にゲオーニーム時代で、モントゴメリー氏はこう記している。「天使は神の属性や活動の招聘、その源のみで役割を演じるようになっていた。そして最終的には、天使は御守と同義語にすぎなくなった。」天使はこの実践を説明するための理論であった。


 そしてこの実践はある疑問を引き起こした。何時、天使がただの名前以上になるのか? 例えばラジエルの書にある無数の天使の名前のリストには、天使そのものとの真の関係を我々に伝えず、中世の読者にも定義された生き物の姿を心に浮かばせたりはしなかったのは言うまでもない。これらの数えきれない天の軍勢、幻想的な名前を付けられる事が多かった生き物について考えると、文献の研究からは、私はここでは2つのカテゴリーを扱っている印象を受ける。一方のカテゴリーでは、伝承が描く真の天使たちであり、もう一方のカテゴリーは、天使として表されている膨大な神秘的な名前である。理論上は停止した天の大群で、個々の天使の要素をいわば引き起こせると見做されていたが、実際には、その名前自身に含まれた神秘的な諸力のみを意味していた。


ユダヤの魔術と迷信 7
↑ ユダヤの魔術と迷信


*1 ここでは、人が500年歩く距離という意味。