ユダヤの魔術と迷信 5

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 5

第5章 死者の霊


 人と自らの家や家族との繋がりは消え去る事はない――死すらも、これらを切り離せなかった。肉体の方は亡くなってからかなり経っていても、霊はなおも生前の場所へとしばしば行き、知り愛していた世界との微かな繋がりを保っている。これは人が死について最初に考えた時から保っている概念であり、概ね現在にも残っている。ユダヤ人の間では、魂の不死の教義によりこの霊の概念が追い払われる事は無かった。結局のところ、中世に流行っていた人の中の多魂主義に従い、人は幾つもの霊魂を持つとされた。


 魂、ネシャマーは死後には創造主の元へと向かい、ネフェシュとルアフはなおも地上に留まる。後者の2つには、言い伝えが示唆するような半地上的な働きをなす能力があった。ネシャマーは死後すぐに天へと向かうが、ネフェシュは埋葬されてから1週間ほど、生前の家と墓の間を侘しくも行き来し、それから旅立つ。だがそれはまだ永遠にでは無かった――生前の肉体への渇望から墓に何度も戻ってくる事もあるが、1年ほどすると最終的に離れる。ルアフは死においてすら肉体を完全に捨てる事はなく、死体に永遠に留まり続ける。だがこの体系は曖昧な事も多かった。この3つの用語は同じように用いられる事も多かったからだ。そのため、引用するものが、天の「魂」の事なのか、地の「霊」の事なのか分からない事も多かった。だが明白な事もある。死体が墓に入れられてから長く経っても霊は地上に留まり続けて、生者と接触しに来るのも多かった事だ。


 死後なおも続く地上の霊の生活の形態の信念については、数えきれない逸話や言い伝えが証明していた。中世のユダヤ文献は、幽霊物語には欠けていなかった。これらの内容から、霊たちは夜に月の光のもとで1つの場所に集まると推測できよう――ウォルムスのラビ エレアザルによると、霊は火に似ており、「これは夜の墓地で鬼火がよく見られる理由である。」霊らは生前のようにお互いに話したり、自らの研究を追求したりしていた。新参者と古い住人との間の争いを解決するために霊の協議会が召集される事もあった。新月やホシャナ ラバの日(仮庵の祭の7日目)、さらに他の夜にも同様にあった可能性もあるが、これらは祈りの会合をして、生者の良い生活を望んでいた。


 幾らかの夜には、これらはシナゴーグでも集まり、ゴーストのような祈りのショールを着て、これら自身の奇妙な祈りを行っていた。ある時、シナゴーグで寝てしまった男がいて、会堂管理人がまだ中に人がいるのを知らずに扉を閉めた。そして男が目を覚ますと、そのような霊の会合の只中に自分がいるのに気づいた。そしてまた生きている2人の男の姿もあるのを見て驚いた。そしてまさに、この2人はそれから数日で亡くなった。また、第1次十字軍でのマインツのユダヤ人共同体への弾圧の直前に、2人の男がそのような幽霊の祈りの会合を見たという。彼らの話は、来るべき破滅の徴と解釈された。朝にシナゴーグに入る前にドアをノックする習慣は、おそらく祈っている霊らに退去の時間だと告げる意図があったのだろう。


 時にはより不幸な霊らと遭遇した記録もあった――これらは生前の罪への様々な形での償いをしていた。その1つの話では、ある男が月夜に独りで旅をしていると、幾つものカートの長い連なりの列を見た。それらは人々の一部が引いており、残りの者らはカートに乗っていた。これらが近くまで来た時に男は尋ねてみると、これらが死者の霊であるのに気付いた。カートを引くのは生前の行いへの懲罰であり、今カートを引いている者らが疲れたらカートに乗って、乗っていた他の者が代わって引いていた。セフェル ハシディムにも似たような奇妙な物語が含まれている。また昼にも生者らの間に霊が現れる事も知られていた。ウォルムスの町のある葬儀屋が朝にシナゴーグに来ると、その入り口のステップで最近墓に埋められた死者であるはずの男がいるのに気づいた。驚いた葬儀屋の質問に対して、この男は生前の敬虔な生活の報酬として楽園へと送られたと答えた。ここに来たのは、単に友人らに自らの幸運について告げるためだという。そしてこの男が頭につけている花輪は、エデンの園にあるハーブから造られたものだと説明し、「この世界の臭い匂いを中和するため」だという。この男は去ったばかりの世界を、このように軽蔑できた!


 生者が出会った霊の多くの記録では、「霊はその生前の姿を保っている」という内容があるのに気づく。さらに、これらは生前の礼節と慎みも保っているようである。いずれにせよ、これらは通常は夢の中で生者へと近づいてきて、生者による扱いの悪さについて、特に墓が変えられたりしたら、不満を述べていた。だがより一般的で全ての中で最も嘆かれていたのは、衣服についてだった! ある少女が亡くなった時に父親が貧しすぎて、白布を与えられずにいた。そしてこの少女は他の霊の会合に参加できず、衣服を着るようにと懇願された。埋められた時にスコップによって白布が裂かれてしまった他の霊は、「他の者らの前で恥を受けていた。他は完全な白布を着ているのに、この者のものは裂けているからである。」そして墓が開かれて、白布が直されるまで、会合のたびにこの事は繰り返されていたとある。


 同様に生前の関係は死後も続いていた。霊は友人たち、少なくとも同郷で同じ性質の者たちの間にいるのを好んだ。創世記 第47章30節で、ヤコブが先祖らの墓に埋められるのを望んだのは、このように説明され、悪人の死体を義人らの間に埋めたりせず、「常習的な罪びと」を「並みの罪びと」の間に埋める事すらしないのも一般的な慣習であった。「義人は死後も良き隣人を喜ぶのは疑いないからである。」また生前の争いは、死によって消えたりもしなかった。「敵だった2人を隣同士に埋めてはならない。これらは共に安息を得られないだろうからだ。」好ましくない隣人を持つのに気づいた霊は、その復讐に生者にも災厄をもたらすとされた。敵同士の片方が先に亡くなったら、残された方は不幸が続くとされた。霊は長い記憶を持つからである。セフェル ハシディムでは、こう助言している。「瀕死の者に不信の者がいないように非常に慎重であるべきである。死者は確実に復讐を求めるからである。」タルムード時代には既に、墓で10人の男たちの前で、生前になした悪行に対して死者に許しを請う習慣があり、この実践は中世を通じて続いていた。霊の怒りと向き合うよりも、告白して許しを得る方が遥かに良かった。


 タルムードでは死者は生者が知っている出来事に気づいているかについて多くの議論があり、この点で強い肯定の意見があるのを示していた。中世ではこれはもはや問題にすらならなかった。自らに影響する事柄に自然と最も興味はあったものの、霊からは何も隠す事はできないとされた。ある男が棺桶に使った木材の残りで楽器を造ろうと決めたら、夢の中で死者の霊にやめるように警告された。だが男がそれを無視して続けていたら、重い病にかかった。そして男の息子が不快になった霊の墓の前で、問題の楽器を破壊して破片を残しておくと、ようやく父の健康は回復したのだった。


 死者は地上で語られた全ての事に気づいていた。これらについての称賛や中傷に応じた報酬や懲罰があった。霊は人間の行動に注意を払っているので、これらのための祈りや寄付、苦行、ロウソクに火を灯すといったような敬虔な行いは、その純粋な儀式的な意味合いの他にも利益があるとされた。これらは死後の世界にいる魂に多くの助けとなり、霊に「喜び」を与えるとされ、応報がない事はないとされ、一方で霊の方も「生者の幸福を祈る。」そして死者の利益に直接的に意図しない行いも、ある息子が「トーラーと律法の道を進み、義にして善をなした」時のように、これらの名誉を反映しているならば、霊たちを喜ばせた。


 明らかに霊たちは生者を助けるだけではなく傷つける事もできた。これらは多かれ少なかれ天の法廷に直接的に繋がっていて、これらの取り成しは、悪しき判決を免れさせたり、慈悲を与えたりできるとされた。ここでは地上の「霊」よりも、天の「魂」の方が働くとされていた。言い伝えでは、義人は天に到達したら1つだけ願いが叶えられるとされたが、これらについての大衆の実践は、それよりも多くの影響を与えていた。古代では、そして無論、今日でもオリエント(のユダヤ人共同体)では、天の恩恵を得る一般的な方法は、聖者や賢者の墓を詣でて、これらの者を通じて願いを伝える事とされた。例えば、パレスティナのメロンの町にあるシモン バル ヨハイの墓の参拝者は、この聖者の助けを得るための多くの嘆願文がその墓の周囲に積み重ねてあるのを見るだろう。だが聖者崇拝はユダヤ教の部分であった事はなく、中世ヨーロッパの間に、この習慣はいずれも廃れていった。


 にも関わらず、亡くなった親族や有名な学者の墓に、幸運を懇願するこの古い実践は続いていた。敬虔者イェフダーによると、「1日に2度墓を訪れるべきではない。1度の会合で重荷を下ろし、それから明日までは戻るべきではない。」という。また、これらの個人の訪問の他にも、毎年の決まった期間での会衆全員による墓の修復の習慣も育っていった。これらの時期は、7つの「雨の祭り」や、ティシュアー ベ=アーブ(エルサレム神殿が破壊されたのを悼む祭日)、新年の日と贖罪の日の前夜であった。「それにより、死者は我々のために(神に)慈悲を嘆願するであろう。」少なくとも1つの記録では、この習慣の普遍性を反映したリベラル主義を示していて、「近くにユダヤ人の墓が無いならば、キリスト教徒の墓へと我々は向かった。」とある。


 多くのラビはそのような訪問に動揺していた。大衆がこうも熱心に行うのを止める事ができないので、少なくともこの行いの精神を洗練させるよう試みた。あるラビはこう記している。「(墓に来ても)地に住む義人の利益のためには、そこに横たわる死者に集中するのではなく、神自身の慈悲へと祈りを向けるべきである。」ここに暗に含まれた批判は、これらの儀礼の大衆の解釈についての充分な証言となっている。


 死者の霊は他の方法によっても生者に有用となれた。未来に起きる出来事は超自然の領域の住人には明白であり、天使や悪魔と同様に、死者の霊も天の法廷での最新の裁き(これから地上で起きる事)を立ち聞きする機会があった。「これらは世界を通じて、何が宣告されるかを聞くのに適している。」それからこれらは親密な生者へ、夢や個人的に現われる事により告げに来るとされた。時には、これは生前の契約によって行われる事もあった。だが一般的に、霊界は未来の秘密に対して出し惜しみをしていて、魔術的な手段によってのみ明かすとされた。天使や悪魔と同様に、神秘的な呪文、オカルトな儀式は、死者の霊を魔術師の意志に従わせるのに効果があるとされた。そのため降霊術(ネクロマンシー)はこの分野に特化した妖術とされた。


 だが同時に死者の霊は恐れられていた。これらは通常は生者に対して慈悲深かったが、それでも未知で不可思議な霊界に属しており、無限の力――幸運や不幸を起こす力――を有しているとされた。そして悪人の霊は、悪魔の一員に取り込まれて、人類の宿敵となる事もあった! いずれにせよ、これらの慈悲を乞い、命令に従い、安泰を祈る事で、これらを味方に付けておくのが最良の態度であった。愚か者に訪れた懲罰の例は無数にあった。その不服従によって、病になったり死んだりする者らもいた。ある男は生前の敵に許しを請うのを無視していたら、その敵が夢に現れて、「お前は死者には痛めつける力が無いと思っていたのか?」と修辞的な質問を尋ねられた。そして男が知恵を絞って返答しようとする前に、霊自らが答えを与えた。男は「太腿の筋肉」がねじられる痛みを感じた。だがそれは夢の間だけではなかった。以後、この男は常にこの部分に痛みを感じ続ける事になった。この霊と接触した夢は全くのリアルに思える。そのため、夢の中で現れた霊を受け入れたり、接吻したりしてはならないとされた。だがそれ以上に、死体に接吻してはならなかった。さもなければ、悲しみの発作により死者の手に捕まれ、墓に共に来るように望まれるからだ。これは事実上、「自らを死に導く」とされた。


 時には霊は生者に共に来るように招く事もあった。この同意は、自らの死の召喚状に著名するのと同等であった。このような恐ろしい招きを受けた者は、その霊の墓を修復してから、靴を脱いで墓地に横たわり、「神の意志と我が意志により、あなたや他の死者と共に行くつもりは無い。あなたやその使者は、私や我が愛する者たちに近づかないでくれ。我が望みはこの世界で生きている事で、他の世界では無いからだ」と3回叫ぶ必要があった。また、この出来事で霊が生者を脅していたら、このようにして死者をエクソシズムするのが勧められていた。「天地の法廷の同意により、さらに天地の神の御名、全ての聖なる御名により、私はあなたにどの人間も、男であろうとも女であろうとも、大人であろうとも子供であろうとも、近くであろうとも遠くであろうとも、追求するのを思いとどまるように命令する。それにより、あなたの体、霊、魂が痛めつけられる事は無いだろう。あなたの体は復活の時まで墓で休み、あなたの魂は属している場所で休むであろう。私はこれらを呪いと誓いと共に、今と永遠に、あなたに命じる。」このような呪文の力を理解できるだけの感受性のある霊ならば、以後は生者を平和なままに留めると信じられていた。


 タルムード文献では僅かにしか述べられていなかった、ある奇抜な表現が、後の時代には充分な重要性を持つようになった。安息日の聖性と重要性を強調するために、古代のラビたちはこの休息の日は悪人がその罪の償いをするゲヒノム(地獄)にすら行われると記していた。安息日には、地獄の火は静まり、その拷問は止められ、そこにいた霊は地上をうろつくように解放されるとされた。悪人の魂すらも、毎週1回の平和と休息の日を楽しんでいた! だがこの日の夕暮れ*1には、地獄の獄卒の任にあった天使ドゥマフは、次の週の拷問の日々へとこれらを呼び戻し、霊たちも渋々ではあったが従う必要があった。


 この説話から、後の時代には迷信の堂々たる構造が立てられた。中世の時代には、安息日の悪人の霊は死者の霊の出現でも最も重要な役割を演じると信じられた。安息日の祈りが終わるまで、悪人の霊は今しばらく自由を得て、ゲヒノムへと戻らないようにと懇願する(これはゲオーニーム時代に既に唱えられていた)事が多かったのは慈悲によるとされたが、その背後にあるのは主に恐れによるものであった。悪霊、タルムードによる金曜の夜の影の民は、悪人の魂以外の何物でも無いという意見は一つならずあった。これらはシナゴーグに侵入する事すらあると知られていた。マフゾル ヴィトリは、遅れた参拝者が会衆に間に合うようにと金曜の夜に行われた特別な祈りについてのユニークな説明を与えている。通常の説明では、これらは独りで帰宅する危険を防ぐためとされたが、マフゾルの著書によると、この自由の夜に、霊が祈りの家に訪れようと決めた時に、シナゴーグに残された方に危険があるためとしていた。


 だが最大の恐怖は、安息日の終わり、霊が贖罪のために引き戻される時に集中していた。一部の霊は復讐の天使から逃れ――ごく僅かな時間であっても――、無実で予想もしていない人間に対して八つ当たりする可能性は常にあった。タルムードは特に火曜日と金曜日の夜に、悪魔は最も恐れられる時期と記していた。そして後のある補遺では「安息日の終わりも」と加えられていた。


 この信念と恐怖の結果は様々であった。安息日の祈りの終わりに、幾つかの守護のための文が付け加えられたが、その主なものは詩篇 第91篇「悪魔に対する詩篇」の文であった。新しい週の始まりを示すハブダラーの儀式では、長い間その特徴の1つとして、鋭いスパイスの匂いが含まれていた。この儀式の説明として、上記の伝説を述べるのが習慣となっていた。「安息日が終わり、ゲヒノムの火が再び灯されると、恐ろしい悪臭が放たれる。そのため我々は、これらのスパイスの匂いを嗅いで、地獄の悪臭から守るのである。」(別のよくある説明では、安息日に住んだ「追加された魂」が去る際に、それらに対してスパイスは肉体を強めるからであった)幅広く行われていた、土曜の夜にあらゆる形の労働をするのを放棄していたのは、これらの霊への恐怖によってであった。イスラエル イッセレインは自らが土曜の夜の労働を避けるための言い訳として、あるグロテスクな物語を述べている。ある写字生は安息日が終わるとすぐに、自らの忙しい仕事を片付けていた。そして夜に仕事を止めた時に、「この写字生のために本を完成させる者が来た。」だが、この異邦人が用いていた羊皮紙が切れた時、哀れな写字生の背中の皮を剥いで、その上にペンを走らせていた。この物語が暗に含んでいるものは明らかである。


 この信念の別の奇妙な落とし子は――その歴史をここで詳細に述べるのは煩雑すぎるので割愛するが――安息日の夕暮れに水を飲んだり食物を食べるのは、「死者から盗む」事だという考えである。この考えの元の源は、後期ミドラーシュの文に見い出せる。そこでは天使デュマフは夕暮れに管理している霊らを解放するとあり、この霊は悪人のものだけではなく、亡くなってから1年以内、まだ永遠の住処を与えられる前の全ての霊で、これらは野原をはしゃぎまわり、木々から果実を食べ、川で水を飲んだ。「そのため、夕暮れに水を飲むのは、死者から盗む事になる。」中世の時代、ドイツと北フランスでは(プロヴァンス地方、スペイン、イタリア、イングランドでは、この実践は未知であった)、この文は安息日で休む霊の概念と関連づけられ、安息日の夕暮れにのみ飲食を控えるようになった。一部の場所では、この禁止は誰もが行っていたが、ほとんどの場所ではこの年で親族を亡くした者に限られていた。この概念はさらに後には派生があり、金曜の夜の禁止に変えられる事もあった。その説明として、悪人の魂が解放されるとすぐに、灼熱地獄から体を冷やすために、川に飛び込むからだとされた。


 この最後のヴァージョンは、この実践全体の説明の糸口を含む可能性が高いように思える。この「死者から盗む」物語は、この複合体全体の内容の説明のためには確実に不自然すぎる。明らかに2つの違った要素がここでは混ぜられている。1つは安息日の始まりと終わりの重要な時期に、霊に汚染されたものを食べる事への恐怖であり、もう1つはこの迷信に適するには捻じれすぎているミドラーシュの説話である。この習慣で第2の要素から導かれた唯一の部分は、最近死者を出した遺族のみに限られていた禁止である。だが、初期の情報源では、これらは誰もが行っており、川と井戸の水は特に避けられていたと述べている。ともあれ、霊への哀れみよりも恐怖が、この慣習の背後にあるのは否めない。


ユダヤの魔術と迷信 6
↑ ユダヤの魔術と迷信


*1 ユダヤ暦では、1日の始まりは日没から数えるので、安息日(土曜日)は実際には金曜の日没から始まり、土曜の日没で終わる。