ユダヤの魔術と迷信 4-2

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 4-2

インキュバスとサキュバス


 霊が完成のために人の体を必要とするという発想は、人と悪魔との間の性関係の奇妙な信念を説明するのにも用いられていた。これは先に述べたように、悪魔が自らの種を繁殖するのに人を必要とするというものである。人の豊かな想像力は、人と霊界の住人との不自然な結合と、その結果の子の可能性への思索へと導いたのだった。大洪水の前の時代で「神の子らは美しい人の娘らを見て、彼女らを妻とした。」(創世記 第6章2節)とあるように、中世でもより劣った階級の霊が自らの地上的な伴侶を選ぶ事は知られていた。インキュバスとサキュバスの伝承は、中世のユダヤの民間伝承でもその反映を見い出せる。


 ユダヤ人のこの信念は、アダムが悪魔らの親であるというミドラーシュの伝承と、中世ユダヤの全ての神秘学の典拠であるゾーハルの主張からその源を得ており、今でもこの種の繁殖は、人が寝ている間に霊との結合により続いているとされた。この結合のやり方については、人の夜の夢精は、悪魔が情欲を刺激する結果によるものが多く、その結果として悪魔との混血児が生まれると一般に考えられていた。勿論、これは人が知る事も同意もなく行われるとされた。肉体の無い霊は人との物理的な結合を得る手段が無いからであるが、悪魔は男女の人間に化けて、疑いを抱かない相手から同じ人間だと思われて結合し、その目的に達成できるともされた。


 そのような結合の子供は、本質的には悪魔の性質を保つが、霊界ではこれらは非常に高く扱われ、君主の立場を占めていた。これは悪魔が人間との結合を強く望む理由の1つとされた。


 この信念は、幾つかの興味深い倫理的、法的な問題を作り出していた。悪魔に誘惑された男女は姦通者と見做すべきだろうか? またそうだとして、そのような女を夫は「離縁」すべきだろうか? この問題は現代の我々にはグロテスクに見えるかもしれないが、それは中世世界のリアリティーの信念を我々が失っているからである。13世紀のウィーンのイツハク ベン モシェは、この問題について長く考察して、霊に誘惑された人物は、姦淫の罪には無いと厳かに結論していた。この結論の実証としてラビは、ある伝説を挙げている。昔、ある敬虔な男がいて、人の姿をした悪魔によって無分別を唆されたので悲しんでいた。だがこの男の前に預言者エリヤが現れ、それは悪魔なので、罪を犯していないと慰めた。ラビ イツハクはこう推測している。「もしこの男に罪があるならば、エリヤが来て話したり、この男が預言者と知遇を得たりはしなかっただろう。」この3世紀後にポーランドのあるラビは、悪魔との関係を持った結婚した女のケースについて相談された。この悪魔は夫の姿で現れて、別の時にはその地域の下級貴族の姿で現れた。これは姦通と見做すべきだろうか? そのため離縁すべきか? 彼女は自らの自由意志によって悪魔と結合したのではないか? このラビはそのように尋ねられた。そしてラビは彼女には罪は無いと判決し、夫のもとにいるのを「許可」していた。


 最後に、この物語のクライマックスに適しているものとして、家主と先の持ち主の悪魔の落とし子との間の最も奇妙な訴訟がある。これは17世紀末にポーゼンの町で起き、適切に立てられた法廷での厳密に法的な問題として争われた。それ自身の興味と、先の諸世紀での信念を明かす事から、この内容はより詳しく語る価値がある。


 ポーゼンの大通りに、地下室が厳密に封印された石作りの家があった。ある日、若者がこの地下室に無理矢理に入っていき、その後すぐに入り口で死体として発見された。この乱入者の行動に腹を立てた「よそ者ら」が、この乱入者を殺して、自ら上の家へと向かい、炉床で煮ていた食べ物の鍋の中に灰を入れたり、物を壁や家具へと投げつけたり、ロウソクを割ったりといった悪戯をして、その住人を苦しめ始めた。これらは家の住人を傷つけたりはしなかったが、住人はストレスと恐怖から家を出ていった。ポーゼンの町全体が恐怖に包まれたが、その地方の学識者ら(イエズス会も含む)によるエクソシズムの試みは、悪魔を追い出すには充分に力が無かったので、この時代で最も奇跡の力を持つとされたザモシチの町のラビ ヨエル バアル シェムが送られた。その強力な呪文は、悪魔らに自らを明かすのを強いた。だがこれらはこの家は自らの持ち物であるとして争い、法廷の前で証明する機会を求めた。ラビ ヨエルは同意し、法廷が召集され、その前では悪魔の原告が声は聞こえるものの姿は見えずに、自らの主張をしていた。この法廷の描写、このシーンのドラマチックな緊張、原告が激しく主張し、ベンチで白髪の3人の書記らが厳格に記録しつつも、その目を開いても恐怖の顔をした聴衆しか見る事は無いのを、なおも想像できよう。


 原告の主張はこのように行われた。この家の前の持ち主は、女悪魔との病んだ関係にあり、この悪魔は美しい女の姿で現れて、2人の関係の結果、子供たちを生んだ。そして持ち主の合法的な妻はこの不義を見つけて、大ラビ シェフテルに相談した。ラビはこの罪人から告白を引き出して、聖なる御名を含んだ御守によって、この繋がりを断つようにさせた。だがこの男が亡くなる前に女悪魔は帰ってきて、彼女とその子供たちの住処のために地下室を与えるように説得した。今ではこの男もその人間の継承者らも全て死んでおり、それゆえに我々、この持ち主の霊の子供らは、唯一の継承者として残されていて、この家の権利を主張する。それから、被告である今の住人らが反論をした。我々はこの家の全てをその持ち主から購入している。お前たち「よそ者ら」は、「人の種」とは呼ばれず、そのため人間に属する権利は持たない。加えて、お前たちの母は持ち主の男に自らの意志に反して同棲するように強制している。これで原告被告の両方とも口を閉ざして、法廷は審議のためにしばし中断され、それから判決が「よそ者ら」に反するものとして宣言された。これらの霊の住居は荒野や砂漠であり、人に属するものではなく、それゆえにこの家を有する権利は無い。それから、この判決を確実に行うために、ラビ ヨエルは自らで最も恐ろしいエクソシズムを行い、地下室とその上の家から霊らを祓い、これらが属している森や荒野へと追い払ったという。


邪眼


 この「邪眼」、最も幅広く恐れられていた悪魔的な憎悪の1つは、この「邪」眼という言葉が示唆するものとは限らなかった。これには2つの違った種類の超自然的現象が含まれており、その第1の部分のみがこの名前を適切に表していた。この迷信は、「邪」眼そのものに邪悪な力が継承され、そのような目には自然な性質であると主張していた。少なからぬ不幸な人間が(南イタリアの言葉の)ジェッダトーリとして生まれ、彼らは常にその視線を受けた者を破滅させる一瞥を投げつつも、自らはそれらの悪しき影響について気づいていない事が多かった。一部のジェッダトーリは、その特有の鋭い目つきによって認識され、他の者らは周囲に不幸な体験が頻発するまで気づかれる事は無かった。彼らはあらゆる場所で見つかっていた。教皇ピウス9世もその1人であり、この邪眼を持っていると知られていた。そのため教皇が通過する時に祝福を受けるために左右で跪いていた女たちは、スカートの中に入れた手で邪眼に対抗する仕草をしていた。この迷信は、強い人格の持ち主の目がよく放っている鋭く突きさす視線への、庶民の自然な反応から来ており、この目と同様にそれらの人格への反応でもあった。悪人がいるのと同様に、悪しき一瞥もあり、さらに迷信的なイマジネーションは自ら暴走する傾向があった。


 この邪眼の第2の種類は、ドイツ語でberufenやbeschreienと呼ばれていた。その源は、古代多神教信者の神々や霊らは本質的には人の敵であり、その喜びや勝利を妬み、意地悪く攻撃するという信念からである。「希望が逆境にある人を見捨てないように、人を破滅させる恐れも幸福にある人に常に伴う。この者は神々の妬みと、仲間である人々の妬み――邪眼――を同等に受けるからだ。」称賛の言葉や仕草は、霊の世界でも認識され、怒りを招く結果となった。この点で悪魔は人と似ており、マナセ ベン イスラエルはこう記している。「人がその敵(悪魔)の前で称賛されると、この敵は怒りに満たされ、狼狽を示す。妬みは燃える炎のようにこれらを燃やし、自らを抑えられなくなるからである。」称賛を表す一瞥もまた、発言のように雄弁であり、悪魔の怒りを引き起こした。そのような言葉や一瞥そのものは無実であろうが、邪眼の一種と見做されていて、素早い迫害を受けていた。この信念は、人が不公平の中に見い出す悪の具現化、深遠で詩的な真実の迷信の言葉への転移と言えよう。


 ラビ・ユダヤ教は両方の種類の邪眼を認めてきた。タルムード時代の何人かのラビたちは、一瞥する事で人を「骨の集まり」へと変えたり、消えた火を再び燃やす力を持つとされていた。だが第2の種類の方が主流であった。何人かの学者らが指し示しているように、正当なジェッダトーリはバビロニアの環境の影響下にあるタルムードの権威者らの手によって、ユダヤ人の考えに伝えられていたように思える。そしてパレスティナの情報源、特にミシュナーでは、妬みと憎しみの倫理的な力の表現としてのみ邪眼を見ていた。このパレスティナの観点は、後にはユダヤ人の生活で――もう片方の邪眼についても知られていたものの――主流となった。この「倫理」版の邪眼に対抗するために、幅広い場所で「主があなたを守られますように」や「邪眼は無い」「unbeschrieen(これは記されていない)」といったような予防の言葉を、あらゆる賛美の言葉に付け加える習慣ができた。中世のユダヤ人はこの実践だけではなく、お世辞抜きで称賛を表現する、よく知られていた方法も行っていた。ラシは「ある男は、自らの美しい息子に『エチオピア人』と呼ぶことで邪眼を向けるのを避けていた。」と記している。


 霊の妬みを刺激するようなあらゆる行動や状態は邪眼に属していた。集まった群衆の大きさ、保有する富を調査したり推測する事すらも、また通常はプライドや喜びの源である行動をする事も、有害な結果を引き起こすとされた。そのため息子を最初に学校へと連れていく父親は、外套で息子を覆って用心をしていた。また集会でトーラーへの祝福を唱える際にも、家族の面々はお互いに従わないように気をつけていた。また一家での2つの結婚や、同時に行われる2つの結婚もこの理由から避けられていた。動物や植物すら邪眼の影響を受けるとされた。隣人の作物の豊かさを称賛する人間は、邪眼をそれらに放っていると疑われていた。


 初期のユダヤ文献では、この現象の神学的な説明については僅かしか述べていなかった。だが中世になると、この現象は自然のものか悪魔の助けによるものかを深く考察していた古代やキリスト教の学者らの意見に、ユダヤ人も取り囲まれるようになった。例えば、トマス アクィナスは、「目は魂の強い想像力に影響され、それから周囲の環境を腐敗させ毒を与える。そのため、この(視野の)範囲の近くに来た者らを傷つけるのである。」という意見を取っていた。そして、プラハのゴーレムの創造主という高い評判を得ていたラビ イェフダー ロウも似たような意見を持っていた。「邪眼は自らの中の火のエレメントに集中すると知り、理解せよ。」そして、この火による破壊の力を放つのである。


 一方で先に引用したマナセ ベン イスラエルは、キリスト教徒の意見を反映し、セフェル ハシディムの主張とも合っていた内容を述べていた。「人の目の怒りの一瞥は、悪しき天使を呼び、その怒りへの復讐を速やかに行わせるのである。」また同書では興味深い発明もなされていた。他者を痛めつける邪眼の他にも、他者を癒す目もあるという。「悪人が他人を苦しめるために邪眼を放つと、即座に敬虔な者は犠牲者に祝福を与える一瞥を放つ事で中和すべきである。例え悪人が呪いを明白に言わずに、単に「この子供はなんと良い子だろう!」と述べるのみや、何も言わなかったとしても、敬虔な者は子供に一瞥を与える事で祝福すべきである。」邪眼に対する守護は、本質的には悪魔や悪霊を追い払う問題であり、特に全ての反悪魔の手段は効果的な守護となるとされた。


言葉と呪い


 大聖グレゴリウス1世は、著書「対話集」の中である逸話を引用している。かつてある司祭が従者を冗談めかして「来い悪魔よ。私の靴を取れ」と呼んだ。すると、司祭の靴は不可視の力によって取り除かれて、この哀れな司祭はほとんど怯えるまでになったが、幸運にも何とか平静を取り戻し、「悪しきものよ、去れ! 去れ!」と言い、それ以上悪魔と関わる事から救われたのだった。


 タルムードでは、この問題を簡潔にこう述べている。「自らの口をサタンに対して開いてはならない。」すなわち、悪口を述べるのは、悪魔を招くのと変わらない。だがこれは理想論の類であって、ほとんどの人は出来ないだろう。我々の言葉には不快さを含有している言葉に満ちているからだ。そのようなサタンを招く言葉を使う事無く、どのように口を開けようか? 危険は常にあったが、人の巧みさは、回避するための幾つかの方法を思いついている。その1つは婉曲表現であった。例えば「イスラエル」の代わりに「イスラエルの敵たち」や、「私自身」の代わりに「私の敵たち」と言う事で、不快な内容については直接的には述べずに三人称で述べていた。また悪魔を迷わせるために、病の真の性質も隠していた。例えば「マル マラント」の病は「ボン マラント」と呼び変えたりしていた。


 そして会話の中で最も避けようとする事は、自然と死についてであった。そのため、(旧約聖書の創世記での)エジプトでヨセフは兄弟たちに、父と祖父は達者であるかを尋ねた。そして兄弟たちは「あなたの僕は答えます。我々の父は達者です。彼はまだ生きています」と応えた。そしてヨセフは即座に祖父イサクは亡くなったのだと理解した。中世の時代には、死の知らせを公的に宣言する事への恐れから、死者が出た家は周囲に水を撒く事で、静かに告げていた。今日でも東欧の村では、朝の祈りの集会のために会堂管理人が家々の扉を3回ノックして伝えていた時、昨夜に会衆の中で死者が出ていたら最後の1回を省き、悲しい話を暗に伝えている。また「誰それさんが亡くなりました」と言う代わりに、「誰それさんは生きています」と言い、墓地も「命の家」と呼ばれていた。


 同様に喪について述べるのも避ける必要があった。「喪」(エベル ラバティ)への文書は、「喜びの」(セマホト)文書と呼ばれて、喪に対する作法についての書は「命の書」と名付けられ、儀礼の結びの言葉は、夢と関連した「喜びとともにパンを食べよ」(コヘレトの言葉 第9章7節)の言葉に置き換えられたが、これらのヘブライ単語の頭文字で、喪を表していたからである。また大病についても、人々が話すのを霊が聞いたりしないように3日間伏せられていた。だが公的な祈りの前に患者が亡くなる事への恐れから、秘密はそれ以上は保たれなかった。またある人が病にあれば、その罪について噂話をするのは禁じられていた。


 霊を騙すための第2の方法もあった。発言に続いて、「神は禁じられよう」「あなたに起きませんように」「神があなたを守られますように」などのフォーマルな評を加える事で無力化させていた。似たような言い回しは世界中(のユダヤ人共同体)で用いられていた。


 このような単純な方法で霊は騙され、人類の敵の自慢の巧みさをほとんど認めないという考えの中には、人の知性の上位性への揺るがない信念に説明を求めなくてはなるまい。人がその努めを果たそうとする時、神の被造物でその知恵と抜け目のなさに並ぶものは無い!


 中世の文献には「サタンに口を開く」事への警句に満ちていたが、それでも充分では無かったようで、そのような発言の悲惨な結果についての教訓話が多くあった。女たちが子供たちの前で病人についての噂話をしたら、子供にもその病が即座に罹る。少年に対して「メシュマード(背教者)」と呼ぶのは、その未来の破滅を予告する事となる。自らが持つ本らに「これらは燃やされる価値しかない」と言うのは、それらが陥る運命を見る事になる。自らの健康状態について不正確に述べた者は、速やかに病に陥る。書記はページの終わりで縁起の悪い語句を述べてはならず、学者も自らの研究でそうしてはならず、本もそのような語句のあるページを開いたままにしてもいけなかった。この警告を無視したある不用心な男が、「そしてサチュロスがそこで踊る。」(イザヤ書 第13章21節)の語句で聖書の研究を止めておいたら、自らの椅子で悪魔が踊っているのを見た。このような逸話は何十もあった。


 時には霊はタルムードの中のラビ イスラエル イッセルリンに印象づけたような聖なる働きもしていた。ある日、講義へと向かっていたラビは、歿後長く経っていた死者の霊の嘆きに出会った。それは「生ける肉には針を刺すような痛風」(サンヘドリン48b)のようであり、自らもその悲しみを受け、そのため権威者として自らの意見も述べる事にした。ラビの伝記作者はこう記している。「私がまだこの論書を完成させていなかった時、ラビは私がこれまで聞いた事のない嘆きを述べ、またそのような激しい痛みを私は見る事も無かった。ラビは『未来には、我が舌を束縛しよう』と述べた。」


 誓いと呪いは特にこれらの繋がりがあるとされた。誓い、例えば子供の命にかけての誓いは真剣なものであり、それが果たせない徴があれば、霊は懲罰をするのを喜んだ。そして呪いはそれ以上に危険を伴っていた。それは霊らに最悪の行いをなすように直接的に招く、否、命令であった。ユダヤの伝承では、「賢者の呪いは、例えそれが不適切なものであっても、実現する」とあり、事実、「一般人の呪いすらも、軽く扱ってはならない。」悪魔は人や動機で区別したりはしないからだ。キリスト教徒もユダヤ人も、真剣だろうが冗談だろうが呪いをかけたら、悲惨な結果をもたらすと信じていた。「シュプレンガー(15世紀のドイツの著者)が我々に語る話によると、短気な夫が妊娠中の妻に『悪魔に取られろ!』と罵ったら、その子供はサタンに属するであろう。多くの場合、そのような子供は5人の保母でも満足する事無く、非常にやつれているが、それでいて体重は重いのだ。」これに類する話は、ユダヤ人の文献でも豊富に見い出せる。


 呪いは区別せずに起きるとされ、時には呪う側が、時には呪われる側が、さらにそれらの子供たちにすらも起きた。そして少なくとも1つの例では無実な傍観者が値を払っていたと伝えている。そしてこれはセフェル ハシディムが呪いをかける人間の傍で住むべきではないと助言する理由である。ある著者はこれについて「私は多くの例を知っているが、読者にそれらの重荷を与えるつもりはない。」と記している。いやはや、この著者は述べる必要も無かっただろう。読者は既によく知っていただろうからだ。呪いの力は死んだ後にすら及んでいた。死者の魂は、その生前の記憶を罵られたら苦しめられていた。これを基にすれば、破門の儀式に関連づけられた特有の恐れについて理解する事ができよう。これは大罪人に対して行われ、呪いの中でも最も恐ろしいものであった。


 この恐怖はあまりに強かったので、他から聞いた、呪いを含んだ会話を直接的に繰り返すのは禁じられていた。それ自身は罪もなく語られたとしても、それでも聞いている者らに効果を及ぼすとされたからだ。聖書にある呪いの言葉すらも恐れを引き起こしていた。セフェル ハシディムにある話では、エレミヤ書の中でイスラエルへの呪いを述べていた箇所を学んでいたある学生が突然に病にかかって急死したという。そしてシナゴーグの中では、この迷信は特有の問題を生み出していた。トーラーの毎週の朗読で、時にはそのような縁起の悪い箇所も読む必要があり、それらを聞いていた霊が会衆に向けた内容だと解釈するのではと恐れられた。この理由からどのユダヤ共同体でも、先詠者は普遍的に受け入れられ助けとなる人物にするよう警告されていた。さもなければ、その敵に呪いが降りかかるだろうとされた。そして例えそれらの条件を満たしていても、人々は聖壇に登って、これらの箇所の祝福、特に申命記 第28章*1を読むのを恐れていた。この文の呪いは現在形単数の二人称で書かれていたからである。あるシナゴーグでは、「安息日で『呪いの章』が読まれる時には、トーラーの巻物が数時間ほど開いたままにするのを恥ずかしながら認められていた。なぜなら会衆の誰も聖壇に登ろうとはしなかったからだ。」という記録がある。


 何人かの著者らは、呪いのランダムな効果を占星術の要素と関連づけていた。彼らはこう説明している。「全ての時は均等では無く、人の星が警戒を解いている時に呪いが面前で唱えられたら、自らがその犠牲者となるのを見い出すだろう。(略)」だが人の防衛が弱められるのが星の離反にせよ、神の怒りにせよ、呪いを実行するのは悪魔とされた。


 呪いの達成が無くても、それは一時的に中断されているのに過ぎないので、この脅威は毒を塗られた剣が頭上に細い糸で吊るされ続けているようなものであった。このジレンマから抜け出す方法は熱烈に求められており、この必要を満たすための術式が編み出されていた。「天地の法廷の、我らが聖なるトーラーの、大小のサンヘドリンの、聖なる会衆の同意のもと、(犠牲者の親の名前)の息子(犠牲者の名前)を、全ての呪い、まじない、誓い、誓約から解放する。(略)その家で唱えられたものにせよ、この者やその家族に向けられたものにせよ、自らの呪いにせよ、他者からの呪いにせよ、他者に対して唱えられた呪いにせよ、不当なものにせよ、意図しないものにせよ、これらの出来事にせよ、その性質にせよである。神と、その天地の僕らの同意のもと、砕かれた土の器のように、これら全てが無に帰するであろう。」会衆の面前で宗教権威者らにより厳かに宣言される事で、この術式は必要な心理的な安堵を生み出していた――今や、神自身の手によってこの問題は扱われたので、もはや悪魔は恐れる必要は無かった。


ユダヤの魔術と迷信 5
↑ ユダヤの魔術と迷信


*1 15-18節の、「しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、今日、私が命じる全ての戒めと定めとを守り行わないならば、この諸々の呪いがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。あなたは町の内でも呪われ、畑でも呪われ、あなたのかごも、こねばちも呪われ、あなたの身から生れるもの、地に産する物、牛の子、羊の子も呪われるであろう。」など。