ユダヤの魔術と迷信 4

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 4

第4章 人と悪魔


攻撃


 これらの内容を読んでいくと、人々はその迷信に深く捕らわれていたと信じるようになろう。勿論、中世のユダヤ人がこの悪魔がはびこる世界で体験していた感情のトーン、恐怖の深さを判断するのは難しい。我々が得られる情報源は全て非個人的なものであり、それらの著者の内面もまた未知である。偶然の個人的な評を元に推測するほかなく、それらは主に律法主義的、解釈主義的な文献では極めて付随的なものである。例えばイディッシュ語のブラントシュピーゲルのような家庭的な小著、女の家事のための本、この時代のフォーマルな本よりも民衆の心理に確実に近い本には、人生で最も危険なもの、悪魔、悪霊、野獣、悪人が列挙されている。ここにはこのような敬虔な指示もあった。「夫が家から出ていったら、良き妻は悪魔、悪霊、野獣、悪人のいずれにせよ、全ての望まない出来事、危険から守られるようにと神に祈るべきである。」この種の本や家庭的な内容に満ちているセフェル ハシディムのような本にある内容や、よく付随していた格言集からは、どの場所、時、人も、霊の攻撃の恐怖や危険から免れていなかったのがわかる。だが最も明白な証拠は、中世のユダヤ人生活の隅々まで入り込んでいた、この危険を取り除くために数えきれないほど用いられていた手段にある。


 だが、人々が麻痺するまでに恐怖が圧倒していたと想像してはならない。人々の適応性は、この戦いでの最大の武器であった。悪魔の不可視性はその最も恐ろしい属性であったが、同時にタルムードが賢明にも観察しているように、それらの存在に我々が盲目なのは幸運でもあった。もし我々が襲い掛かってくるこれらを見たならば、純粋な恐怖から倒れるだろう。生の他の全ての危険、常に暗黙に自然の諸力が演じるが、稀にしか気づかず介入しない出来事のように、人はこの危険もこの世界のものとして受け入れ、自らのか細い防壁を建て、自らの生活を進めていた。生の実践的な働きでは、悪魔も安楽な生から遠い不快な特徴の1つに過ぎなかった。


 たまには悪魔の危険を最小限に見る記述もあった。ある著者はこのように書いている。「これらは人よりも神を畏れており、あなたはこれらに何故そのように傷つけようとするかを尋ねよ。これらは理由無しには他を傷つけたりはしないからである。人かこれらを怒らせなければ、何も恐れる事はない。」悪魔を主に怒らせる原因は、呪文、御守などによって自らの望みを果たすように悪魔に強制する事だった。これは悪魔の魔術に対する最大限の実践的な批判であり、これからも何度となく聞く事になるだろう――悪霊と付き合うようになった人間は、無傷のまま逃れる事はできない、と。


 ある巧みな議論では、「唯一の神への信仰無き2つの民は悪魔に攻撃される危険があるが、唯一の神を信じるヤコブ(の民)はそうではない。」とある。だが全人類への霊の執念深い妬みは、悪魔の伝承にある格言の1つであり、無数の例によるこの信念を支持する迷信がある。そして挑発していなくても霊の物理的な攻撃された多くの逸話がある。悪運に付きまとわれた人物は、悪魔の特別な獲物であった。民間医療の病因学は、主に悪魔によるものとされた。悪しき言葉や呪いによってなされた害は、究極的には悪魔によるものとされ、これは邪眼の働きもそうであった。悪魔は悪しき妖術での活動的な動者と信じられていた。この時代、人が苦しむ不幸の大半はその永遠の敵(悪魔)の働きであるという確信を、民間の信念は表現していた。


 人は常に危険にあった。近所を独りで散歩するくらいは問題は無かった。だが、居住する共同体の外では、リスクはさらに大きなものとなり、ある旅行者を見送る必要があったら、以下の様な忠告があった。「この旅行者が視界から去るまでは、背後を向いてはならない。」彼をエスコートし、可能な限り見ているようにし、それは「人が住まない場所の規則に属する存在」から彼を守るという文明社会の象徴的な拡張の類であった。似たような話として、ヨセフ ハンにより記録されている御守の話があった。ヨセフの父は旅する時には、町の門の破片を、帽子のリボンに結んでいた。「疑いなく、それは守護の御守であった」とこの息子は正しく推測している。この共同体は父の旅に間接的に伴っていたのである。旅と帰還が中断される恐怖の迷信は、この理由が基にあるのは疑いが無い。また外界の諸力は家の中にも入ってきて、悪運となるとされた。そのため、「ひとたび人が家を出てから、何か忘れ物があっても、家に戻ってはならず、外に留まって中の住人に渡すように頼む必要がある。」


 夜は特に霊の時間であった。夜の神秘的な光が大地にとどまった時、闇の住人である悪魔が活動し始める。マジキム、リリン、ルティン、ファエ、これら全ては隠れた場所から現れた。そのため一夜置いた酒や、夜に井戸から汲んだ水は飲んではならなかった。悪魔がその中にあるとされたからである。安全を保つためにベッドの下に置いた食物は、疑いなく悪霊に汚染されており、それらを食べるのはトラブルの元であった。(悪魔を防ぐ力があるとされた)鉄の覆いも、夜の侵入に対しては安全ではなかった。同様に、皮をむいてから一夜置いたニンニク、玉ねぎ、卵は、もはや食べるのには適さなくなった。


 ものの自然の秩序を保つために、人は夜には寝具をきつく締めておく必要があり、さもなければ学習に耽るようになるとされた。昼間に万物に及ぶ神の加護は、太陽が輝いている時には人も守っていた。だが、昼に起きて夜に寝る自然のサイクルを逆にして、神の捧げられていない働きを夜にしている者には、神の加護は全く失われていた。昼は人と神のものだが、夜は霊に与えられていたからである。そのため「夜明け前に独りで外へ出る者は、自らの頭が血まみれになるだろう。」とされた。さらに自らの家の中ですら安全では無かった。ラビ ヤコブ モリンは寝室でも夜には独りで起きているべきではないとし、ラビ自身も夜には自らの傍に少年を置くようにしていた。灯り無しには庭も歩くべきではなく、さもなければとんでもない事が起きる! 悪霊はこの者に襲い掛かるだろう。ある民衆向けの倫理の書の人気のある著者は、「人間の警戒は、これらに対して何の役にも立たない」とこの信念の力を証言しつつも、慰めの言葉も述べていた。「人が勉強のために夜に起きていなくてはならないならば、悪魔を恐れてはならない。むしろ、夜に独りで旅をしていて無事だった者らの数を考えるべきである。神を信じるならば、夜に起きていても何も恐れる必要はないだろう。」


 この夜の悪魔への恐怖を強めていたのは、人は寝ている間は用心をリラックスさせる事であった。さらに夜には魂は肉体を離れるとされ、この魂と肉体の両方とも特に攻撃に脆弱とされた。「肉体は家、魂はその住人のようなものであり、家主がその家を離れている時には、それを守る者はいなくなる。」そのため、多くの人々は夜に寝ている間に病となるとされた。そして、ラビ ヤコブ ウェイルは、こう告白していた。「私が午後の昼寝をする時には、まず最初に反悪魔の詩篇を唱えてからにしていた。なぜなら、全ての睡眠は悪魔のために危険だからである。」


 全ての夜で危険は大きかったが、特に水曜日と土曜日の前夜は危険とされた。この時には、特に暴れる霊の大群が世界に放たれるからである。タルムード時代には、金曜日の夜は独りで外へ出るのは特に不健康な時間とされ、ラビたちはシナゴーグで誰も残っていないようにしてから、独りで自らの祈りを終わらせ、帰宅していた。また家を傍にして、独りで帰るまでの距離も短くするようにしていた。そしてシナゴーグで最後の参加者が来るまで会衆を待たせるためにハザン(先唱者)が唱える特別な祈りも用いられていた。中世の時代には、金曜の夜にシナゴーグに取り残されるこの恐怖は、それほど書かれなくなった。ある注釈者らによると、タルムード時代にはシナゴーグは霊らが集まる野原に置かれていたが、中世には祈りの家は町の中に位置するようになり、夜遅くに自宅に帰る者らも危険に晒されなくなったからだと説明している。にも関わらず、中世のラビたちの中には、最後の人間が自らの祈りの中を通って出ていくまで待っている実践をしていた。この祈りの中を通る事によって、この人物も安全に家へと帰れるようにするとされた。また、遅れている人間が恥をかかないようにと、本を読んでいるフリをする事もあった。


危機


 永遠の用心がこの時代の合言葉だった。悪霊はどこにでもおり、人が用心を解き、襲い掛かれる時を今か今かと待っていた。だがとりわけ人生の重要な時、人の抵抗が弱まった時、その注意が逸らされた時、大きな幸福が霊界の住人の妬みと敵意を刺激した時に危険は高くなると考えられ、結果として用心が強められた。人生のサイクルで「その星が低くなる時期」、誕生、病、死、結婚での最も幸福な時が特に危険とされた。これらが霊との戦いが激しくなる時に人が最も脆弱となる時期であった。また妖術師がその悪しき働きをするのに最も都合の良い時間として選び、呪いや邪眼が最大限に働く時でもあった。


 誕生の瞬間は母子ともに残酷な時であった。自然と超自然の領域の全ての悪の諸力は、これら2人のか細い命の火花を消そうと集中していた。さらに子供が生まれた後にも危険は残っていた。ユダヤ人の信念では、生後も8日間は危険に対して脆弱とされた(この期間は、様々な場所で違っていた。例えばドイツでは、生後9日間から6週間まで幅広かった)。この期間はキリスト教では洗礼、ユダヤ教では割礼といったように、通常は追加儀礼と呼ばれている。元は社会性と迷信の混合物だった割礼は、聖書時代には特に民族主義的と、また預言者らの観点からは霊的な意味合いが与えられていた。その後の時代には、天国と地獄の明白に定義された観点が発展するとともに、この儀式はこれまでの古いものに加えて、新しい価値を得た。ミドラーシュではこう記している。「神はアブラハムにこう述べた。この割礼の利益によって、あなたの子孫はゲヒノム(地獄)から救われるであろう。割礼を受けていない者のみが、地獄へ落ちるからだ。」この信念の結果、後の時代には非割礼のユダヤ人は「来るべき世界で共にはいない」考えは極めて幅広く信じられ、中世の著者らはよく述べていた。この印象はあまりに強かったので、ゲオーニーム時代には(正規の割礼が行われる)8日前に亡くなった赤子に、墓場で割礼を行いヘブライ名を与える習慣まであった。この儀式に重要な意味合いが結び付けられたので、悪の諸力が最大限の力で割礼を妨害するのではないかという恐れが抱かれた。そのため、割礼の前夜は、男の赤子には最も危険とされた。


 婚礼の危険は、人の喜びへの妬みと憎しみを悪霊らが掻き立てられるものとされた。おそらく他にも、人の繁殖と関連する行動を自らも行いたい願いから苛立っているせいでもあった。婚礼の準備期間に集まるこれらの諸力は、婚礼の前夜に最大限の危険に達して、それから徐々に消えていくとされた。


 病人が特に疑われていた――その病気自身が悪魔の攻撃の結果とされた――のは自明であった。死にゆく人は、その周囲に悪霊らが取り囲んで襲い掛かるのを待っている姿で描かれていた。そのため付添人は、この病者がベッドから手足が出ないように気をつけていた。さもなければ、病者は悪魔らの力の下に入ると考えられていた。また病者は歓迎にきた死者の霊らも見るとも信じられていた。死そのものも霊や破壊の天使によるものだった。中世で幅広く信じられていた、亡くなった者の魂を巡って天使と悪魔が争うという概念は、まだ埋められていない死体に悪魔が憑依しようとするというユダヤ人の考えに一致するものがあった。死体そのものも恐怖の対象であった。死者が霊界に入ると、その魂は死体の上で浮かんでおり、近づいて来る者を襲う事があると考えられていた。この理由から、死者との接触は避けられており、死者が生前に用いていた衣服は「危険だから」二度と使われなかった。無論、この霊や魂への恐怖、亡くなった者を悪魔が襲うのではないかという不安は、死体を埋めないまま一夜そのままにするのを禁じた理由を説明している。死体が早く埋められるほど、生者と死者には良いとされた。


 だが埋葬の間も安全ではなかった――墓へと向かう間、死体は従う霊が伴い、葬儀には霊らが集まり、家への帰途は不可視の霊がついて来たならば危険なものとなっていた。そして葬儀が終わり、喪の期間が始まっても、危険は完全に取り除かれていなかった。亡くなった者の霊は、なおも家族の集まる場所にしばらく残っているとされたからだ。サムター氏は、生者と死者のこの最も恐ろしいエピソードについて、このように要約している。「死者は悪霊らと全ての種類の魔術から守られる必要があった。おそらくは、死そのものへの最後の分析であったろう。反対に死体は、生者に危険をもたらすとされ、それは部分的には死体について来た悪の諸力の妬みにより、部分的にはあの世での仲間を欲しがる死者の魂の望みによる。」この死と葬儀で暗黙に示す危険に対して用いられていた様々な手段は、これらを誰もが恐れていたのを示している。


霊の憑依


 人類と悪魔界との永遠の戦いは客観的なものであった。すなわち人の問題とは外部からの攻撃を払う事で、すぐに見るように、この戦いは常に負けるとは限らなかった。人は効果的な守護をする多くの魔術武器を手にしていた。さらに永遠の敵を支配し、望むように操る神秘的な学問すらあった。だが悪魔の側も策に事欠かなかった。そして悪魔が持つこの策は、現在の我々の戦いでいう「内側から落とす」もので、それにより人々の苦しみは絶望的なものとなった。霊の憑依は哀れな犠牲者の肉体を「乗り物」にして、悪魔はそれを操り、極端な方法(エクソシズム)によってのみ、悪魔から犠牲者を自由にできた。


 この恐ろしい信念は、後の時代のユダヤ人の生活で特に幅広く信じられるようになった。ルーリア派カバラによって大衆の間に植え付けられ、東欧のユダヤ人の代表的な迷信となった。だがルーリア派の概念がまだ大衆の間に広まっていなかった時にも、ドイツ ユダヤ人の間ではこの考えが花開いていたのを見い出せる。ディブック(悪霊の憑依)が最初に現れたのは、1602年に出版されたマアセの書の中であった。そしてここにある内容の起源は、出版年よりも前からあった。ここにある物語では、ある若者に憑依した霊は生前に悪事を行っていて、結果として今も平和に無い霊である。この霊は前の住居、殺されようとしていた雌牛から逃げ出す羽目となってから、この若者の体内に入った。死んだ人物の休息なき霊から憑依されるというこの信念の形態は、後の時代に大衆の間に大きく信じられるようになる。本質的には、これはスペインの古いカバラで発展してきたギルグル(魂の転生)の教義の1つのヴァージョンを表している。


 初期の時代には、霊の憑依の可能性についての信念のより純粋な形態を見い出せる――キリスト教徒の伝説と似た形態である――すなわち、悪魔は人の体の中を適切な住居にするというものである。この観点は、悪魔は安息日の前夜に造られたので肉体を持たないという言い伝えによって合理化されているのを見い出せる。全ての被造物は完成へと向けた探究に進んでおり、万物は存在のより高い段階を得るように努めているので、悪魔もまた常に人の体を欲しがり、特に人の中で最も高度な種類である学者の体を望んでいた。これは学者は特に夜には独りでいないように気をつける必要があった理由である。だが不完全である女が男との合一を通じて完全を求めるように、悪魔も自らのすぐ上にある被造物の段階である女と主に合一しようとするとされた。これは女が男よりも妖術に適しているとされた理由である。女妖術師は自らに憑依する悪魔を通じて働く者や、悪魔と密接にあり、それらの悪しき属性を得た者とされた。


 人の肉体に憑依した悪魔は完全な支配を得て、犠牲者の人格や意志は消滅するとされた。これらは、最も強力なエクソシズムによってのみ祓う事ができた。これは先に述べたマアセの書の物語で用いられた解放の方法でもあった。そのような儀式の最も詳細な内容は、1696年のニコルスブルグの記録にある。これは本書の範囲を超えており、ルーリア派の概念が既に大衆に広まっていた時代のものであるが、普遍的に用いられていた段取りを明かしている。この例での霊は極端に強情な類であり、ラビと会衆による繰り返しの努力の後に、ようやく自らの条件によって離れるのに同意したのだった。


ユダヤの魔術と迷信 4-2
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