ユダヤの魔術と迷信 3

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 3

第3章 悪の諸力


中間の世界


 ユダヤ魔術の基盤には、物理世界でも純粋な霊界でもない、広大な「中間の世界」の信念がある。無数の悪魔や天使はこの世界に住み、これらの取り成しを通じて、魔術の諸力は働くとされた。ヘブライ語で魔術についてもっとも多く使われる言葉は、ハシャバアト マラヒムと、ハシャバアト シェディム、天使や悪魔の召喚であった。天使の特有の役割は、地上の全ての現象の天での反映であり、また神の直接的な従者にして使者であり、神の耳に最も近い存在として、これらを望むように動かす秘密を知る者に力を与えていた。一方の悪魔は、原始的でアニミズム的な大衆のイマジネーションが思いつける恐ろしい力全てを持ち、天使と同様に、これらに及ぶ魔力を持つ者に富と名声を与えるとされた。


 タルムード時代のユダヤ人は、高度に洗練された悪魔学を有しており、それらは個々の悪魔の階級のみならず個体についてもであり、さらに悪霊らの性質、目的についての詳細な情報を有していた。それらの要素は、大衆の豊かなイマジネーションから自然と育っていき、霊界のリアリティとして確信され、主にエジプト、バビロン、ペルシアの民間伝承から伝わった豊かな伝統で補強されていた。この伝承は2つの必要性、すなわち悪魔らを制御する力の媒体となるのと、それらから自己防御するために仕えていた。だがラビたちは一般的に悪魔魔術に反対し、それらは共感魔術に対してのように厳しいものではなかったものの(最も高名なタルムードの権威者らの中にも、時にはこれに頼る者もいた)、強い不承認を述べる事が多かった。中世においてすら、少数のラビたちは許可をしていたものの、古代の「禁じられているが、死刑というほどでもない」非難は、影響を与え続けていた。


 古代から中世の間の宗教精神の増大は、悪魔は完全には追放されず、大衆の中で幅広い恐怖はなおも続いていたものの、ユダヤ教の中に適切な居場所はないというフィーリングを与えていた。「不浄な霊」と当時によく呼ばれていたが、これらは人類だけではなく宗教生活の追求にも敵対すると考えていたユダヤ人とは反目していた。一方で御名の魔術は、初期の形態から大きな発展をしていた。そのため悪魔の召喚は、中世のユダヤ魔術ではごく僅かな場所のみを占めていた。そして悪魔はほとんど占術のみに用いられていた。


 結果として、ユダヤ悪魔学は中世でも僅かしか発展せずに、タルムード時代の初期の形態を保ち続け、新しい部分は主にフランスやドイツの情報源から借りてきたものであり、それ自体が魔術での悪魔の価値が低い事を示していた。悪霊に対する関心は主に、それらの悪意のある性質と人への執念深い妬みから、これらに対する最良の防御の方法の必要についてであった。


 悪霊の存在とリアリティーへの疑いの声を聞く事は少ない。タルムード文献、アガダー伝承とハラハーの両方とも、悪魔を自明のものとして認めていた。この文献を読んでいた中世の人々が、もはや悪魔に疑問を抱かなくなったのは容易に理解できよう。カバラでは、悪魔は宇宙のデザインでの統合された部分であり、その右と左(の柱)は、世界に満ち、聖なる者とその敵対者の間を分割する純粋と不純な諸力の対立する流れである。中世のユダヤ人全体で、この迷信に対して声を上げる者は僅かであった。一部のカライ派*1は、悪魔を積極的に否認し、「単なる人間の想像」と見做していた。マイモニデス*2やイブン エズラ*3も似たような強い意見を持っていた。だが、彼らは南欧のムスリムの地の学者たちであり、北欧のユダヤ人はその言葉をほとんど聞く事は無かった。北欧のユダヤ文献はタルムード時代が行ったのと同じだけ悪魔を認めていた。一部の書、特に敬虔者イェフダの学派からのものは、ほとんど全てのページで、それらの働きを記していた。ラシは、(大洪水でのノアの)箱舟に入れられた「あらゆる生き物」には、悪魔すらも含まれるというミドラーシュの伝承を繰り返していた。


 タクのモシェの説を信じるならば、イブン エズラは、大胆にも悪魔の存在を心から拒絶していたという。「イブン エズラは、『この世界には悪魔は存在しないという保証の書を書いていた!』確かに、イブン エズラはこの問題を誤っていた。これらは常にイブンの傍におり、その存在を示していたからだ。イブンが死んだ地であるイグラント(イングランド?)の民から私が聞いた話によると、かつてイブンが森の中を旅していると、黒犬の集団と出会い、それらはイブンを不吉に睨みつけたという。疑いなく、それらは悪魔である。そして、それらの中を通過する際に重い病にかかり、その病によりイブンは亡くなったのだ。」この出来事は、ラビ モシェには充分な証拠であったが、これが起きたとして、強い意見を持っていたイブン エズラには充分であったかには疑問がある。


 17世紀半ばにマナセ ベン イスラエルは、中世の思考について要約した書を書いている。その中で悪魔は存在するという自らの意見を述べた後に、言い伝え、理性、感覚の3つの基盤によるその証明を述べ、それからユダヤ文献の中にある適切な文の長いリストを引用している。そして結論として「全てのユダヤの権威者らは、聖書の霊への引用は文字通りに解釈すべきであるという意見を持っていた。」マナセは、マイモニデスのそのような迷信への非難はほとんど無視し、似たような者らも聖書の啓示への信仰を損なう、哲学者の理性と経験の証言への偏向によって、悪魔に「誘惑された」からだと述べている。マナセ ベン イスラエルは、単に自らの意見ではなく、ユダヤの民間の信念の判断を述べていた。


用語


 この悪魔学の詳細について考える前に、ユダヤ文献で用いられている用語について幾らか述べるのも無駄ではあるまい。ここで最も多く出会う用語は、ユダヤの古代の文献でもよく出てくるものである。マジクは「損傷する、破壊する」を意味する語源から来たものである。シェドは古い言葉であり、聖書では複数形(シェディム)で用いられ*4、タルムード文献では、「悪魔」の意味合いを得るようになった。またルアフは「霊」であり、ルアフ ラア、「悪霊」で用いられる事も多かった。これらの言葉は、学者の間では中世でも変わる事はなかったタルムードの記述を基盤として区別しようとする試みがなされる事があったものの、一般的にこれらの3つの用語は区別せずに使われ、1つの文の中でも同様に用いられる事も多かった。


 似たような天使のリストとバランスを取るために、悪魔の10のカテゴリーのリスト*5を生み出す事となった図式化の努力により、後には7つの新たな用語も付け加えられる事となったが、それらは一般的な文献では僅かしか見い出せない。だが、それらの1つのリリンは、リリス(夜の悪魔)の複数形と見做され、タルムード文献でも用いられていたが、時にはリリオスの名でもよく現れていた。


 また、私はここでマラヘ ハバラ「破壊の天使(あるいは悪魔)」についても述べるとしよう。これらはタルムードでまず現れ、中世でも消え去る事は無かった。そしてこれらの名前にペー(פ)の文字が加えられた事も付け加える必要がある。ユダヤ教のシナゴーグでの日々の祈り、18の祝福、ヨゼル オルの中にこの文字が無い事は、この祈りがこれらの破壊の天使に対する守護となっている証拠と見做されていた。


 ルーリア派カバラでは、古くからあるものの僅かしか使われていなかったケリパー、元は「鱗、殻、皮」の意味合いの言葉を一般に使うようにした。これらは初期の神秘主義の書やゾーハルで使われていたものの、中世の文献では僅かにしか現れていない。ルーリア派によってこの言葉は有名となり、有名なポーランドの神秘家、イサイア ホロウィッツ(1555年 - 1630年)の書によって、ユダヤ悪魔学の新たな発展となるが、それらは本書の範囲を離れている。


 これらの伝統的な用語は、一般的な現象を表す時にのみ用いられていた。これら全てが中世で、世界中のユダヤ人の民間伝承で単なる悪魔の種類を離れて、特別な意味合いを得なかったのは興味深いものがある。だがその説明は難しくはない。ほとんどのユダヤ人がよく知っている聖書や祈りの書でのヘブライ語は話し言葉ではなく、タルムードでも同様であるからだ。これらはユダヤ人の生活に強く影響していたので話し言葉となり、これらの書にあった言葉は人々の日常の言語へと入っていったのは確かであったが、これらのとても古く、伝統的な意味合いが新しい型に入るのは困難であった。これらは一般的な用語となるには充分であったが、特別で区別され当時の特有の(悪魔についての)用語に対しては、ユダヤ人はこの時代の話し言葉を用いていた。特別な種類の悪魔はユダヤの民間伝承でも欠けてはいなかったが、それらは非ヘブライの名前、ドイツ語とフランス語から借りてきた言葉を用いていた。ユダヤ人の信念と迷信への非ユダヤの影響に多くの光を投げかけている、この興味深い主題については、これから考慮する事になろう。


悪魔の起源


 世界に存在する悪魔の数は莫大であった。あるキリスト教徒の著者の調べでは、地上にいる人間の数以上だと推測していた。だがユダヤ教の文献では、そのような保守的な数をも拒絶し、これらは数えきれず、表すのに用いられている数の単位は少なくとも無数を用いていた。


 この悪魔の大群の起源は何かという疑問は、自然と中世人の心の中に浮かんだが、特にユダヤ人には興味があった。世界の全ては万物の創造主によって無から造られたのに、悪魔のみがその誕生日の記録が無かったからだ。創世記の第1章はこれらについて沈黙している。だがタルムードの伝承ではある手がかりを与えており、それは中世にも伝えられていた。最初の安息日の前の夕方に、神が自らの大いなる創造の作業を完成させるべく、自らの手をこれらの存在の創造へと向けていった。そして悪魔も存在する計画に含まれていたものの、最後に行うように留めておいた。そして神はこれらの魂を形作るまでしか行わなかった。既に近づいていた安息日によって、この休息の日を聖なるものとするために、神は自らの労働を全て止めなくてはならなかったからだ。そのため悪魔には肉体がなく、全てが霊によって造られるようになった。


 だがこの説明は全ての疑問に対して満足のいくものではなく、中世のラビ イェヒエルは、ユダヤ人の背教者についての議論の中で、この主題への興味深い補足を述べている。これらは別のカテゴリーに留まり、これまでのラビの説では説明されておらず、非ユダヤの名前でユダヤ人には知られており(この論争家のラビは、特にルティン(Lutin)とファエ(Fae)について記している)、魂と肉体の両方を有している。これらは明らかに、伝統的な説明以上のものを要求しており、このラビ イェヒエルはそれも与えていた。イェヒエルはあるラビの伝説を用いた。それは、エデンからの追放から130年の間、アダムは妻のイヴと死別してから女悪魔たちと関係を持ち、その悪魔の子供たちを生み出していったというものである。この肉体のある悪魔のグループについては、タルムードのラビらは知らなかった。そしてルティンやファエとして我々が知る霊らは、この不自然な結合によるアダムの子供たちであるとラビ イェヒエルは述べていた。


 また別の種類の悪魔のカテゴリーもあり、墓場に最近埋められた死体から日々新たに生まれるとされた。これは死霊や吸血鬼として悪魔の軍勢に雇われ、世界を彷徨う死者の霊という一部の学徒に人気のある説ではない。反対に、死者の霊らは生者となおも密接にあり、生前の関心に留まり、なおも生きている血縁者や友人らにシグナルを送る事も多いと信じられていた。挑発されたら、これらは敵に対して反撃するであろう。だが一般的に死者の霊は悪ではなく、骨が埋まっている墓の周囲を彷徨う物欲しげで無害な影と見做されていた。だが邪悪な者の霊らは、正真正銘の悪魔となり、悪魔の軍勢を常に満たしていた。これらの悪性は強く、特別な警告が述べられていた。これらが与えた傷は、人間の手段によっては癒す事ができず、神の手のみによってしか癒せないとされた*6


 さらに加えて、キリスト教徒の著書で多く出会う、悪魔は異教徒の神々であるという概念は、中世のユダヤ人の書でも同様に見い出せるが、大衆の信念では働く事は無かった。


 最後に、これら悪魔全ては悪ではあるが、なおも神の被造物であり、その意志に従い、その神性を重んじ、実際には天使らに服従していた事は記す必要がある。ユダヤ教には(中世キリスト教の神とサタンのような)二元論は無い。世界を善と悪の2つの対立する諸力に分けていたカバラ神秘主義ですら、それらを支配する立場から神を追い出してはいなかった。特別に深い信仰に浸っていたドイツの神秘家らも、そのような異端説に向かう事は無く、北欧のユダヤ文献のいずれにも、悪魔の世界の権威者についての示唆は見い出せない。


悪魔の属性と働き


 これらの悪魔はどのような姿をしていたのだろうか? 感受性の強い動物には存在は認知できたとされるが、人には不可視であったので、これらの見た目の主要な概念は、これらそのものと同様に曖昧で未定義であったのも驚く事ではない。


 タルムード時代のラビたちは、特定の悪魔の属性について仮定をしており、それらは中世でも常に留まっていた。「悪魔らは、それらの起源に従って、天使と人との中間に位置する。これらは天使のように翼を持ち、地上の端から端へと飛び、これから何が起きるかを知っている。だが同時に人間のように、これらは飲食をし、自らの種族を繫殖し、死ぬ。」「これらは、自分たちを除いては不可視である。」「また、これらの肉体の欠如の結果、影を落としたりもしない。」タルムードの権威者らが疑いないとするこれらの性質は、中世の概念でも常にあった。そして幾つかの新しい要素も加えられたものの、残念ながら悪霊をより認識する助けになるには不足であった。


 ラシもまた、幾つかのタルムードの記述を基に、区分化を試みた。「悪魔(マジキン)の様々な種類の中で、シェディムは人の姿をし、人のように飲食をする。霊(ルヒン)は完全に姿が見えず、形が無い。リリンも人の姿を持ち、また翼も持つ。」このラビの観点は、悪魔界全体に一般的に当てはまるが、論理的な精神の持ち主には(受け入れるのに)困難を与える。15世紀のある権威は、これらの霊の生き物が、人の特有の行動を真似る理由について説明をしている。これらが飲食をするのは、この権威者によると、火、水、風、スライムを舐めたり舌を巻きつける行為以外の何物でも無いという。またこれらが死ぬのも、我々の通常の感覚で理解するものではない。「これらが(保つ形質が欠ける事により)乾燥したら、これらの原初の状態に戻る。これがこれらの死の形である。」だがこの著者の巧妙な説明は、繁殖の問題になると降参し、悪魔が肉体を持つ事について、こう述べるしか無かった。「これらが性交する時には肉体を持つが、第三者の悪魔や人がいる時には行わない。」


 これらの悪霊の姿については、それ以上は僅かしか述べる事はない。ある文献では、悪魔の頭に存在しないものを述べている――髪を! 「男の悪魔は、その頭に髪があるが、女の悪魔には無い。」これは(ルツ記で)ボアズが起きた時にルツが足元にいるのに気づくと、その手を頭に置いた理由である。そしてボアズはルツに髪の毛があるのを見つけると、(彼女は悪魔ではないと知ったので)「お前は誰か?」と尋ねたのだ。だが悪魔は一時的に肉体の姿も取れるとされた。あらゆる時代と場所でそうであったように、中世の民間伝承でも、人、動物、霊の世界の間に決定的で通過不能の線は無かった。天使や悪魔が人や獣の姿を取ったり、人が猫、狼、兎の姿になったりしていた。先にも霊らが犬の皮をかぶる話を述べている。ボアズは悪魔が女の姿を取っているのではないかと憶測したのである。


 これと関連する中世の伝説で、ある敬虔なラビの体に入る企みをした悪魔が髪の毛に変身して、ラビの食物と共に飲み込むだろうと考えたというものもある。悪魔が変身できるものは無限にあった。中世の文献にある多くの悪魔が、容易に人や動物の肉の姿を取って、そのフリをしていた。そして髪の毛があるかどうかを試す事のみが、これらの悪の企みに対して我々が知る唯一の手掛かりであり、それすらも悪魔界の(男の)半分には効果が無かったのである。


 天使のように、悪魔にも特有の場所や働きがあった。例えば、ある人が悪魔に襲われたら、この人物とその家族は永遠にこの場所を避けるようにしなくてはならなかった。悪魔がそこに留まり、別の機会を待っているとされたからである。また家の扉と窓をきつく締める事で、どこにでもいる悪魔を閉じ込める事も望ましくないとされた。これらの出入りする道は、その働きとともに定められており、その自由な移動を妨害する事は不快を招くとされたからである。だがさらに賢いのは、ドアや窓に小さな穴を開けて、これらが自由に移動できるようにしておく事だった。


 悪魔は人の住んでいない場所、荒野、森、野原、不浄な場所によく住んでいた。便所は特に悪魔が住んでいると信じられており、タルムードにはこれらの場所に行く時に守護天使の守護を起こす特別な呪文が記されていた。この規定は中世の権威者らもよく繰り返していたが、便所に関連づけられていた悪意は、消え去っていった証拠があり、この唱える呪文も伝統的な慣習の儀礼的な痕跡に過ぎないものになっていった。この理由は、タルムード時代には便所は村の外側の野原に位置していたが、中世には村の中の家の傍に置かれるようになったからである。


 悪魔と不浄な場所との繋がりは、重要な衛生上の結果となった。時には「不浄な霊」と呼ばれた悪霊は、かつてはバト メレフの名前と同一視されており、洗わない手に留まるとされ、それらが手にする食物を汚染させ、その食物を食べる者を危険に晒すとされた。そのためユダヤ人の生活には、手を洗う(その結果、悪魔を滅ぼしたり追い出す)儀式を必要とする7つの機会があった。その中で最も重要なものは朝に起きた時であった。夜の間には霊の汚染が起きやすいとされたからである。何も体を洗ってはならないとされたヨム キプル(贖罪の日)すらも、朝には手を洗う必要があった。洗わない手で目、耳、鼻、口に触れるのは、トラブルを招くとされ、悪霊がこれらの入り口から肉体に入ると恐れられていた事は疑いない。(Plus ça change plus c’est la meme chose(言葉は変われども内容は変わらない)。感染症について語る際に、我々の言葉はより「科学的」ではあるが、その意味合いは同じである)。不浄の悪魔が目から入ると、その一瞥によって、それを見た無実な者にも致命的な結果が起きるようにするとされた。それは記憶を失わせたり、最終的には精神を完全に失わせるとされた。


 既に霊がいる場所に住むようになった人間には危険があった。悪魔は自らの居住権とプライバシーに嫉妬深く、押し付けには怒りを招くからだ。かつてあるユダヤ人の集団が、ハンガリーで人の住んでいない場所に居を構えると、彼らの死亡率が目に見える形で突然上昇しているのに気づいた。このユダヤ人らは断食と祈りをしたが、何の効果も無かった。ある日、この共同体の長が、巨大な集団に出会った。その頭領は獅子に跨り、馬勒として蛇を用いていた。この長は即座に、これらが通常の人間の集団ではなく、悪魔の集団であるのに気づいた。この頭領は、侵入してきたユダヤ人らに即座に退散するように要求した。部下の霊らがこの場所を会合場所として先に決めていたからである。言うまでもないが、ユダヤ人らは即座に従い、彼らの死亡率は再び通常のものに戻った。この出来事は、ある建物が住人に不幸をもたらし、明白な原因もなく次々と死者が出る理由を説明している。そのような時の唯一の解決法は、即座に出ていく事で、侵入した事で怒った悪魔は、それによってもはや傷つけられなくなる。通常は効果のある敬虔な行い、断食、祈りは、この場合には何の助けにもならないとされた。


 勿論最良の策は、自ら新居に移る前に、適切な注意を払う事である。まず人けの無い場所に家を建てたりせず、どうしてもしなくてはならない場合は、石造りの家を建ててはならない(石の家は安定した空気があり、それは悪魔を不快にさせるからである)。木造の家すらも、これらの環境では疑惑があった。新居が古い家と同じ場所にあれば、大工は窓とドアを先にあった家と同じように置くように慎重である必要があった。そこに住んでいた悪魔は前の流儀を好むようになっており、新しい発明を好まないからである。最後に、新居には最初から一切移らず、売り払うのが賢明である。これが出来そうにないならば、しばらくは住まないようにするか、懐疑的な友人にしばらく住んでもらう必要があった。人々は新居に住むために、実際に金を払っていたのだ!


 悪運は場所、人、家族から離れないというのが一般的な規則だった。なぜなら、ひとたび霊がこれらを特別な獲物として選んだら、もはや取り外せないからである。若いうちに死んだ子供のいる家や町、よく先立たれる家族、何人もの夫に先立たれた妻、これらはペストのように避けられていた。この悪運が続くという信念の力を示すのに、ある逸話を引用するとしよう。ある不妊だった女が敬虔者イェフダに相談に来た。そしてこの神秘家は、それまでの治療が無力だったのに成功した! イェフダはこの女に、大地に腐る死体のように忘れ去られる以外は何も助けとならないだろうと語った。そしてこの治癒のために、イェフダは彼女の子供たちを彼女を埋めた墓場へと連れて行き、そのために雇った武装した男たちによって、突然に攻撃させた。子供らは怯えて走り去り、完全に母の事を忘れた。それから女は墓から新たに生まれた者として起き上がり、しばらくしてこの治療の効果が証明された。この象徴的な土葬と再誕生は、これまでの不幸から彼女を救った。


 悪魔は木の陰や、月が放つ影の中にいるのを好んだ。事実(月の光によるとされた)狂気に陥った子供は、それらの病の悪魔的な源を決定的に示している。この子供の熱や寒気は、月の影に住む悪魔が火と雹によって構成されている事から来ているとされた。またセフェル ハシディムでは、ロウソクの蝋のように滴る滴を持つ木についての話を記してある。ある男がこの木を切ろうとすると、賢者に「自ら死なないように気をつけよ! この木を揺らす事すらするな! お前がここにいる者らを怒らせたら、確実にお前を痛めつけるだろうからだ。この木の中には、リリオスらが共にいるのだ」と警告された。ナッツの木は霊らの会合場所として、人々から特に避けられていた。


 また嵐や渦巻と悪霊の間にも特別な繋がりがあった。これら全ての家は北方であり、これはまた全ての悪の源ともされた。ある著者は、自らが知っている世界の最北端であったノルウェーが悪魔の家であるとすら記していた。悪魔と嵐との間の密接な関係のほとんど普遍的な信念は、雷は悪魔が放つ稲妻であり、嵐の間に二つの敵対する集団に分かれた悪魔たちが投げ合っていたという考えで表現されていた。一部の人間は特にこれらの稲妻に打たれやすく、魔術によってのみ癒されるとされた。


ユダヤの魔術と迷信 3-2
↑ ユダヤの魔術と迷信


*1 旧約聖書のモーセ五書のみを認め、後に書かれたタルムードの権威を認めないユダヤ教の一派。
*2 1135年 - 1204年。ヘブライ語ではモーシェ ベン マイモーン、ラテン語ではマイモニデス。略称のラムバムとも呼ばれる。スペインの中世最大のアリストテレス、新プラトン主義のユダヤ人哲学者であり、カバラにも多大な影響を与えた。
*3 アブラハム ベン メイール イブン エズラ。1090年 - 1164年。スペインのラビ、学者、詩人。多くの分野での著作があるが、特に聖書解釈ではその黄金時代を開いた。
*4 原注。申命記 第32章17節、詩篇 第106篇37節の「悪霊」である。ヘブライ学者のゲゼニウスは、この言葉を「偶像ら」(語源の「支配する事」から、異教徒の「主ら」)と解釈し、それは後の時代での悪魔との繋がりをなすと考えた。だが、この言葉は実際にはアッシリアのセドゥと関連しており、モントゴメリーは「シェドの意味合いは、バビロニアのセドゥ リムヌ『悪しきセドゥ』と関連している」と記している。後のユダヤ悪魔学では、シェディムは悪魔の勢力のある階級、ホブゴブリンのようなものとされた。これらはギリシア語では、δαιμόνιαであった。
*5 10のセフィロトと関連した10の大天使のリストと、それに反するクリポトの10の魔王のリストの事である。
*6 原注。ギンズバーグ(Legends V, 109)はこう記している。「ヨセフス(Bell.Jud VII,6.3)やフィロ(De Gigant, 6-8 とDe Somn.x.133-36)の書では、悪魔は悪しき魂が再び蘇ったという観点を見い出せ、カバラ(ゾーハル 3, 70a)でも同様である。これらはキリスト教徒の情報源から得たもので、初期のラビ文献では完全に未知であった。」だが実際には、この概念はキリスト教徒の情報源を必要としない。セフェル ハシディムとゾーハルが描く神秘的な伝統にその源があり、死者の霊は、少なくとも死後しばらくは、地上に留まると一般に信じられていた概念の自然な発展である。後のカバラでは、「人の罪はその骨に『書かれて』いて、死後には罪が多く刻まれた骨は悪魔へと変わる」という観点が見い出せる。