ユダヤの魔術と迷信 2

ページ名:ユダヤの魔術と迷信 2

第2章 伝説の背後にある真実


ユダヤ魔術


 優れた妖術師としてのユダヤ人の伝説は、異教徒が作ったもので、タウマツルギー(魔術)の当時のパターンにあった風にこしらえたものである。だがほとんどの作り話の民話と同様に、そこにも当たらずといえども真実が含まれていた。ユダヤ人がキリスト教徒が敵意によってでっち上げた悪しき妖術師で無かったとしても、彼らはなおも古代の名誉ある魔術の伝統を保有し、熱心に養っており、やがて中世に入るとその発展の最高の段階に到達していた。その秘密主義によりキリスト教徒の目から隠され、理解不能な言語の壁により守られて、さらに奇妙な神秘的な用語とそれ自身特有の技法*1も加わる事で、ユダヤ人の間では魔術の伝承が花開いていた。それらは非ユダヤ人社会と同様に幅広く繁栄していたが、同時にその性質と技法には明白な違いもあった。


 魔術の実践への聖書の言及は、これらが遥か古代から幅広く行われていたのを示しているが、それらを「ユダヤ」魔術と呼ぶには無理がある。これはカナン人の迷信の反映に、バビロンやエジプトからの知識の輸入で補強されたものにすぎなかった。タルムード時代の5世紀に到達しても、流入してきた様々な伝統の混ぜこぜから脱しておらず、その大部分はそれ自身が反映であったヘレニズム・グノーシス魔術の混淆主義の複製であった。ゆえに、ヘブライの伝承の信念と実践が、地中海世界全体から来ており、バビロニア ゲマーラー*2にその例があるように、古代バビロンとエジプトの典型に、ギリシア・ローマの伝統が混ぜられ、さらに新しいエジプトの発展も加わり、ヘレニズムの改訂が入り、最新のカルデアの教義が混ざっているのを見い出せる。そしてタルムード時代の次のゲオーニーム時代に入るまで、明白なユダヤ魔術の始まりを見い出せない。その起源は疑いなくより古い時代にあるものの、この時代にグノーシス主義に大きく影響されたユダヤ神秘主義が形作られた。


 ジョージ フット ムーア教授は、「神智学は常に魔術との強い関わりがあった」と述べている。宇宙の秘密の根源を探求する神秘家は、輝かしき光と有力な真理をもたらし、その実践的で自慢げな確信の態度は、俗人らに自らのより偉大な栄光と力を即座に促すように感じさせる。ゲオーニーム神秘主義は、より高次の知恵――そしてより強力な魔術の扉を開いた。より古い混淆主義の伝統と混ざり合って、この進化したテウルギア(神聖魔術、神動術)は、ドイツの地に幅広く花開き、その最奥の密儀は秘儀参入者と初学者の凝視の前にもたらされ、明かされていた。この魔術は「ユダヤの」と適切に名付けられよう。その全ては概ね外的な要素を取り込んでいて、そのグノーシス・ユダヤ体系との類似性から、非ユダヤ人からは「ノトリアの術」と誤って知られていたが、その基礎的な強調で特性を保ち続けていたからだ。


 魔術の実践の詳細は、本質的な修正を認めるには古く、普遍的すぎるものである。その一般的なトーン、全体から受ける印象のみにより、ある魔術体系を別のものと区別する事ができ、その詳細は迷信の共通語である。その意味では、中世のユダヤ魔術は明白に「ユダヤの」とみなす事ができ、その本質は固有のものである。だが非ユダヤ人の間にあった迷信の強さ、それに伴う教会の妖術への弾圧は、ユダヤの神秘主義・魔術の伝統に潜在的な影響をもたらさない事は無かった。「キリスト教徒が行うように、ユダヤ人も行う。」ドイツのユダヤ魔術は13世紀に敬虔者イェフダ(ユダ)の学派で最も繁栄した。また、この時代にはユダヤ魔術はドイツとフランスの民間伝承から多くの信念、実践、技術用語を吸収し、ユダヤ教義の本質的な性質を変える事無く、強い印象のあるものにしていた。


魔術師


 誰がユダヤ魔術師だったろうか? これが仕事だとして、この仕事へと乗り出したのは、どのような種類の人物であろうか? この術についての最良の印象を得るのに、その実践者の性質を調べるのに越したことはないであろう。


 妖術師の典型的なイメージは、ある悪意のある闇の生き物で、人道から離れ、夜の闇の時間に徘徊し、自らの邪悪な企み、自らの地獄の道具に耽り、奇妙で恐ろしい霊らと付き合い、常に不幸と破滅を企むというものであろう。あるいは、夜に箒に乗って空を飛ぶ魔女で、悪魔らの愛人であり、下劣でサタン的な狂宴に耽り、その邪眼や邪悪な呪文によって人や獣、草木に損害を与え、無垢な赤子を殺して人肉を食べる女であろう。それらが我々西洋の文献と言い伝えで人気のある概念である。中世後期の異端狩りの審問官らが育てた魔女パニックは、このイメージを大衆のイマジネーションの中に広める助けとなり、魔術という言葉でこのようなイメージを呼び覚ますようにした。


 ユダヤ人のプロフェッショナルの妖術師や魔女の明白な記録は一つも無いが、幾らかのユダヤ人やキリスト教徒の記録から、一部のユダヤ人はこれらの世間に広まるモデルを真似るのを躊躇わなかったと安全に仮定する事ができる。これらの情報源が示すのは、この一部のユダヤ人らは病や死を引き起こし、愛の情熱を起こしたり静めたり、人々を命令に従わせたり、占術や他の目的のために悪魔を召喚したりする技法に、少なくとも熟達していただろう事である。妖術師は自らの体を変身させて、狼、野兎、猿、猫の姿で森や小道で彷徨ったり、犠牲者を動物の姿にする力を有していたという信念は、ユダヤ人にもキリスト教徒と同様に存在した。また魔術師が自らの魂を肉体から離脱させて、遠い場所に知らせを伝えに行き、それから肉体に戻ったという内容もある。魔術師(と、そのまじないを受けた犠牲者)は、目玉を動かさずに固定して凝視している事で認識でき、彼らの足が地面についている間のみ、その力は留まれるという中世の一般的な信念は、ユダヤ人の書いた記録にも見い出せる。そして、あるユダヤ人の著者が冗談ではなく示唆しているのは、この理由から妖術師と対決する唯一の方法は、「彼らを天と地の間で吊るし上げる」事である!


 11世紀頃には既にあった魔女の一般的な概念は、ユダヤ人の文献でも同様に反映していたが、魔女とその活動を表すラミエ(Lamie)、ブロクサ(Broxa)、エストリエ(Estrie)という用語の使用は、それらの概念が非ユダヤの起源であるのを示している。13世紀の本では、これらの魔女は乱れた髪で夜に空を飛び、赤子や大人の血や肉を食い、悪魔の使い魔も持ち、それらは動物の姿をして魔女の悪しき企みを実行するとされている。セフェル ハシディムにある物語は、非ユダヤの魔女についての何十も書かれた内容の複製であり、ある男が猫に襲われて、戦って何とか凌いだが、翌日には大怪我をした女が来て、その命を救うためにパンと塩をくれるように頼んだというものである。1456年のドイツのヨハネス ハートリーブは似たような物語を述べ、ある子供を襲っていた猫に対して、その父が刺して追い払うと、後に同じ場所に刺傷のある女を見かけたという話である。またヤーコプ シュプレンガーも最近あった話として述べるには、ストラスブルグ司教管区のある町で、1人の労働者が3匹の巨大な猫に襲われ、持っていた杖で叩いて追い払うと、後に町の有力者の家の3人の婦人を乱暴に叩いた罪で逮捕されたという。


 メナヘム ジユニは1430年に書いた聖書の注釈書の中で、魔女の教義についてのその知識を示している。「悪魔的な能力を持つ男女がおり、彼らは秘密のオイルで全身を塗り(略)、即座に鷲のように空を飛び、海や川や森や小川の上を飛ぶが、日の出の前に家に戻る必要があった。また彼らは先に定められたルートでしか飛べなかった。そして彼らの会合場所に入った者は、大いに痛めつけられるであろう。(略)彼らは様々な動物や猫へと自らを変身させる事もできた。」これらは中世の魔女カルトの典型である。メナセ ベン イスラエルは魔女が自らの姿を変えられるのは、その崇拝対象のサタンが「彼らの体を動物の姿に似た風にするからで(略)、その証拠にこの偽狼の脚を切ったら、この魔女あるいは魔術師も、手足を失うのだ」という説明を好んでいた。また「全ての妖術師と魔女は、悪魔との契約をして、自らの魂を差し出しているのはよく知られている。」という評言は、中世の妖術の中心テーマであった。


 これらのキリスト教徒の迷信からそっくり受け取った考えは、ユダヤ人の文献にも時折現れており、その著者の多くは、これらについて述べる際にユダヤ人の事を頭に置いていない。これらの事をする「男女がいる」とあり、特にユダヤ人とは述べていない。だが一部の著者らは、そのような活動を行うであろうユダヤ人もいる事も認めていた。例えば、先詠者が病んだ魔女のために祈ったら、群衆は「アーメン」と応じてはならなかった。また、ある女らが人肉食の疑いがあれば、彼女らがシナゴーグに来たら懲罰を受けるであろうという警告がなされた。子供を食べていたエストリエが埋められる時には、その口が開くかを観察する必要があった。もし開いていたら、大地に完全に埋められるまで、彼女は別の年にも吸血鬼として行動するだろうからだ。これらの内容は、ユダヤ人共同体の心の中にも魔女の存在への疑いがあったのを示している。


 だがヘブライの文献と、キリスト教魔術の発展へ影響した要素の研究は、この魔女や妖術師のイメージは、ユダヤの伝統の幹に結び付いた外的な接ぎ枝であり、ユダヤ魔術師は完全に別の種類であると確信させている。第一に、ユダヤの文献はユダヤ魔術とその実践者を完全に違ったように描いている。だがそれ以上に述べているのは、ヨーロッパ魔術に属する特定の性質はユダヤ人がそれらを行うのを事実上防いでおり、一方で同様に強力かつ社会的にも認められていたユダヤの技法は、他を求めるのを不要にしていた。


 ユダヤ人は中世の妖術師と魔女の集団からは最初から除外されていた。なぜなら、これらは一般に異端の反キリスト教セクトの集団の悪名を負っていたからだ。魔女カルトの組織的な形態では、教会の儀式の様々な冒涜的なパロディーを自らの儀式で行っており、妖術師の方も同様に冒涜に耽っていて、それら自身に魔力があると見做していた。それらは(もともとキリスト教徒でもない)ユダヤ人には何の意味も無い。さらに一般的な信念によれば、中世の魔女術と妖術はサタンへの歪んだ崇拝を基にしており、個々の妖術師は悪の力の主権を意識的に受け入れ、その助けとなるように活動すると考えられていた。ユダヤ魔術は反対に、ユダヤ教の枠組みの中で働いており、そのため自然と神の最大の敵とのそのような繋がり――それが現実のものであろうとも妄想の産物であろうとも――を除外していた。このサタンとの繋がりは、ヨーロッパ魔術の中心的な特徴と考えられ、そこからその特定の性質が導かれていたが、ユダヤ人のメンタリティーの中では完全に異質なものであり、それは神学的な基盤のみならず、民間伝承ではそれ以上であった。特定の人格を持ったサタンの姿は、ユダヤの民間伝承では非常に微かで、ほとんど存在しなかったからだ。ユダヤの文献全体で、悪魔自身への服従、その意志の実行のための取り成しに拠った魔術の行動の例は一つも存在しない。


 中世のユダヤ魔術の主な原理は、善の諸力に暗黙に拠っている事で、この善の諸力はそれらの御名、神やその天使らの御名を呼ぶ事で引き起こしていた。あらゆる種類の効果は、この御名に単純に拠っており、非ユダヤの伝統で親しい他の魔術の行動全てに頼るのを除外していた。単に幾つかの言葉を唱えるだけで奇跡を引き起こせるユダヤ魔術師には、非ユダヤ人の同業者らの悪魔的な「ビジネス」の必要が無かった。サタン的な要素の不在と、神の天の御使いの御名の使用が、ユダヤ魔術を悪しき性質から一般的に遠いものにしていた。天使らは主なる神が創造した目的に反する、悪しき命令を実行すると考えられていなかったからだ。またこの原理が、ユダヤ魔術をユダヤ教の内に堅固に留める理由ともなり、キリスト教徒の同輩が行っていたような反宗教の役割を取るのを防いでいた。魔術は教会によって禁止され、異端審問官によって狩られていたが、それは魔術そのものが理由ではなく、それがキリスト教の信仰を嘲り、強力な反キリスト教の勢力となっていたからである。魔術は教会のライバルであり、自らの特有の教義と儀式を持っていた。だがこの時代のユダヤ魔術は(ユダヤ教の)会衆から離れる事は決して無く、信仰の教義に密接に従い、特定の受け入れられていた諸原理を単に拡張したり精巧にしたりしていたにすぎず、結果としてこれらの魔術師は、敬虔で神を畏れるユダヤ人であり続けた。


 だが無論、一般的な規則からの逸脱は常にある。ユダヤ人妖術師によって、天使のみならず悪魔が召喚される事もあり、両方とも悪しき目的を命ぜられ、おそらくは服従もしていた。また、霊の召喚魔術で普遍的に用いられていた多くの道具は、ユダヤ人にも用いられていた。だがこれらは例外であって習慣的な行いでは無かった。また、これらの希少さや従属性は、規則の強さを証明するともいえた。後のキリスト教魔術でカバラがなした深い印象は、ユダヤ魔術の理論と実践の特有の性質を示している。カバラは初期の技法からの斬新で深遠な発展であると認められていたからである。


 では、最初の質問に戻るとしよう。誰がユダヤ魔術師だったのか? 中世でも忠実に従っていた古代ユダヤの伝統では、女性は魔術の追求の特別な傾向があるとされた。だがこの格言は古代には事実だったかもしれないが、女性の魔術への適切な活動は、中世になると秘教の性質や、学習を基盤とした魔術が中心となる事によって、ほとんど制約されていた。


 男は(エデンの園で)女により落とされた事によって、上位性があるとされ、他の生の全ての追求と同様に、魔術でも中心の役割を果たしていた。さらにユダヤ魔術の基盤であった御名の知識は女性には到達不能であった。それらは女性のほとんどに欠けていたヘブライ語とアラム語の訓練を通じて得るだけではなく、こちらも女性には欠けていたヘブライの神秘的な伝承に浸る事も求められていたからである。


 明らかにこれらを書いた権威者らの心にあったのは、女性は迷信の諸力の矛先である事だった。つまり、彼女らは大衆のイマジネーションに奇怪な内容を植え付けて、大衆はそれらを育てた。そして、彼女らは中世のユダヤ人が没頭し保存していた全ての家庭の魔術のレシピ、薬、幅広く用いられていた御守の源であった。この面では、これらの記述者らは疑い無く正しかった、博識なラビらも、目痛や頭痛が酷くて休めない時には老婆の足元に座る(頼る)のを躊躇わなかったからであり、普及している文献の多くで女性の力に敬意を示していたのである。だが、これらの女性は民間魔術師、傷へのヒーラー、媚薬の処方者と見做すべきであるが、「魔女」では全く無かった。ユダヤ人の女性らは、魔女カルトの姉妹らのようには魔術の世界で重要性を得る事は無かった。


 さらに、ユダヤ魔術は「魔術師」の排他的な技術でも無かった――そのような実践者らを職業魔術師と考える事すらも危険であった。このユダヤ魔術師は、主な仕事としては学者、副業としては神秘術・魔術の実践者と定義する事ができよう。適切に訓練された全てのユダヤ神秘家らは、副業として魔術を実践できただろう。無論、神秘主義を深く学ぶ前に霊を召喚する危険については、何度となく強調され、秘教的伝統の教授やそれらの書は、大衆の目からは隠されたままにあり、悪用されないようにしながら、秘密のサークルの間にのみ伝えられていた。


 初期の神秘主義・魔術の伝統は、限られた口承の手段によって守られていた。10世紀にルッカからドイツへと移ってきたカロニモス家が創設したドイツ学派の秘密の伝承は、13世紀に入って敬虔者イェフダの弟子らによって始めて書物として書かれて、その中の1人であるウォルムスのエレアザルは、多作さと深淵な知識の両方で傑出していた。そしてキリスト教徒との関係が悪化するにつれ、ユダヤ人の生活はますます内面へと向かい、タルムードへの深い研究が、ほとんど唯一の知的追求となっていた。その結果、宗教的感情は律法の解釈と遵守への些細な事柄への専門主義、排他的な強調によって窒息させられ、そうなった時によく起きるように、最終的にはその詭弁的な束縛は破れて、人々は神智学の沃野での自由でエクスタシー的なはけ口を求めるようになった。この内なる必要性は、この時代にドイツとスペインで同時に始まっていた神秘的な教義(カバラ)が人気を博するようになった主な動機である。だがドイツのカバラは、スペインのカバラのような神学的な深みに到達することはなく、そこまでの影響力も持たなかった。


 さて、ここでカバラと本書の題材との関係について少し述べておきたい。この用語を適切に定義するならば、古代の伝承を基にして、中世の南欧で洗練された膨大な神智学的体系となろう。いわゆるドイツ カバラ、特にハシディズム(敬虔主義)の教義は、本質的にはこの体系とは僅かにしか関連しておらず、その本道というより、短く存在した脇道であった。そしてわずか1世紀ほどで、この偉大な教義の複雑性は失われていった。ユダヤ教の伝統では2つの種類のカバラが区分されており、一方の「理論的カバラ」(カバラ イユニト)はカバラの本道であったが、もう一方の「実践的カバラ」(カバラ マアシト)は、まさに誤称であった。この実践には、御名の招聘という最も純粋な形であっても、カバラとは僅かにしか関連しておらず、さらに古代と中世、ユダヤと外部の要素のごたまぜへと移っていくからである。カバリスト自身は御名の招聘にのみこの言葉を限定していたが、大衆はユダヤ魔術の全体の集まりを表すのに、この言葉を用いていた。


 「哲学的な訓練が欠けたドイツ(のユダヤ)人は、エクスタシー的な神秘主義と実践カバラに全ての大きな影響を与えていた。」これらの学派では、ヘブライ語の用語と文字の内なる意味合いと高い神秘的な価値を強調していた。それらには祈りの書にある言葉を失われないように数える事すらも含まれた。そしてカヴァナー、これらの言葉の内なる価値についての深い黙想によって、神秘的に約束された達成を得るとされた。ここに魔術の名前についての教えの要点を見る事ができる。これはタルムード時代に輪郭を示し、ゲオーニーム時代に発展してきたが、この学派の中で最も重視され、豊かに花開いた。本に書かれたものは、読む事のできる全ての人間の共通の財産となり、それらを理解できなくても、書かれているものを単に繰り返し唱えるだけで奇跡をなせるとされた。


 だが大衆化の一般的な宿命は、この神秘学派にも起きた。自称達人らが繁栄し、真の学者らの非難は忘れ去られた。そのため、これらを望むユダヤ人は、小さな道での僅かな魔術にしか導かれなかった。だが本を読むだけでは、この神秘的な伝承のごく僅かな部分しか得られないと一般的に認められていた。その多くは、(神秘家らの)プライベートで嫉妬深く守られた資産の中に保たされていた。この宝の番人らは、少なくとも大衆のイマジネーションの中では、中世の大魔術師らであった。それは彼らが実際に魔術師だったからではなく――それは逆説が避けられない――、彼らは学問の高名な師だったからで、ユダヤ魔術はそれらの学問の付随的な産物だったからである。これが敬虔者イェフダの父のサムエル、イェフダ自身、ウォルムスのエレアザル、カロニモスの伝承の後継者であるマインツのエリエゼル ベン ナタン、それどころか神秘家ですらないラシ、その孫のラビ タム、パリのイェヒエル、その弟子のローテンブルクのメイルといったタルムードの高名な学者すらも、中世の偉大な奇跡の使い手の伝説を持つようになった理由である。


禁じられた事、許可された事


 この主題への一般的な杓子定規な取り組み方は、中世ユダヤ魔術の議論を不毛にする逆説がある。中世の著者らは、タルムードの教えに密接でいようと努め、既にこの時代には本質的には時代遅れとなっていたラビらの教えの区分をしようとしていた。その結果、魔術についてキシュシュフ(kishshuf)とラハシュ(Lahash)の一般的な言葉が用いられていた。これらには2つの意味合いがあり、時には古代の律法の書での非難の判決の記録に現れたり、同時にこの時代でのそれほど非難されていない用語としても現れている。中世のユダヤ魔術のここでの観察の目的として我々が考える必要があるのは、それらを記す事ではなく、タルムード法に従って、それらにどれだけ罪が加えられているかを見る事である。だが(聖書の)先例を繰り返す通常の律法的な性質によって、タルムードの定義と区分は、通常は逐語的に繰り返すのみであり、現在の(魔術の)派生や形態に対しては、僅か、あるいは全く述べていない。


 聖書は妖術に対しては無条件の非難を述べている。タルムードでは、この本質的な態度を保持しているものの、ユダヤ法の明確化、区分化を進めて、全ての妖術を幾つかのカテゴリーに分割し、それらに応じた罪を定めている。禁じられた魔術は、おもに2つの種類に分けられ、「この術を行う事による」認識できる物理的効果を生みだすものと、その行動の幻のみを生み出すもの(アヒザト アイナイム、「視野を捕らえるもの」)であった。そして更なる分割として、悪魔の助けを借りずに働くものと、それらの助けを必要とするものもある。そして、第1の種類(物理的な効果を生みだす妖術)の実践者は聖書で述べているように死刑であった。第2の種類(幻を作るのみの妖術)は禁じられていたものの、そこまでの罪は無かった。また第3の種類の魔術、「始まりより許可されたもの」もあった。これは「創造の法則」の使用が含まれ、この用語は後には神と天使らの神秘的な御名を意味すると解釈されるようになった。


 そして最初から、この第1と第2の種類の違いは明白で正確なものからほど遠く、中世の著者らはほとんど理解していなかった。メッツのエリエゼルが「私は教師らにこの事について尋ねたが、満足いく返答を得られなかった」と書いているようにである。この著者らは、禁じられた「魔術」について、「ものを取って、それを操作する」や「まじないをなす」というタルムードの限られた技術的な意味合いでのみ用いていた。だがこの禁じられた魔術には、「天使の召喚」や、「悪魔の召喚」、「御名の使用」といった他の種類は含まれていなかった。この最後のものは他と区別されていて、少なくともより許可され、一部の著者らは明白に許可していたり、推奨すらしていた。御名や天使の使用に対する許可については何の問題も無かった。タルムードはそれらの使用について適法としていたからである。だが悪魔の召喚については、一般的にはそこまで感心されない行為と見做されていた。


 イェロハム ベン ムシュラムは、こう記している。「悪魔の召喚について、律法の編者らの意見は様々であった。ラマフ(メイル ベン トドロス ハレヴィ アブラフィア)は、これは禁じられた「魔術」のカテゴリーに入ると記しており、概ね他の法学者らも同意している。だが他の者らには、これは「魔術」の働きのカテゴリーが許す限りにおいて許されると考える者もいた。」それについて、メッツのラビ エリエゼルは、こう述べている。「願望を叶えさせるための悪魔の召喚は、始めから許可されている。悪魔と天使の召喚に何の違いがあろうか?(略)その行いは、ものを取って操作するのでない限り、「魔術」とは見做されない。すなわち、行いをなすものや、(死者の)霊ではなく悪魔の召喚が含まれた呪文の詠唱は、最初から許可されている。」中世の権威者らは、「魔術」のカテゴリーをお互いに違ったように解釈していた事は明らかであり、それは正しい事であろう。違いの原理について明白に述べているのは、私はモーシェ イッセルレスのものしか知らない。


 そして、この反対側の魔術についても、議論の対象となる事が多かった。そしてこの法的な困難を避けるため、これらの効果はリアルではなく、全ては幻であるとされる事もあった。だがこれ自体にも困難があった。タルムードでは、幻の魔術は悪魔の働きであり、人々を天使や御名の魔術の正しい方法から引き離すとしていたからである。簡潔に言うと、このタルムードの区分は、中世の編者らに、この時代の魔術の行いの法との関係で悪影響を与えた。そして事実上の観点からは、これらは魔術の禁止を効果的に骨抜きにする事に成功し、その結果全ての魔術の形態は、現在のユダヤ人の間にも残る事になった。


 モーシェ イッセルレスは、何が禁じられた「魔術」かの理解への手がかりを与えている。「この術(魔術)の源は3つ、神、学問、自然からである。神から来るものは、聖なる御名の使用による天の君主(天使)らの召喚の力である。学問を源としたものは、人に未来を予知させる占星術、御守を造る術、霊や星々の諸力を従わせる術といったものである。自然のエレメンツには、様々な種類の魔術の効果性が拠っており、それらは物の内なる性質から引き出されたもので全て構成され、達人はそれらによって、一見して奇妙な行いをなすのである。」この区分は、完全なものではない。イッセルレスは、悪魔を「源」とした魔術について含めていないからである。だがタルムード時代によく知られていつつも魔術として主に議論される事は無かった占星術をモーシェが含めているのは、特にこの学問、また占術全般を中世の魔術に置いているのを意味している。だが本書では、それは最も関心のないカテゴリーである。


 そして「物の内なる性質」は、魔術の働きの最も原始的で幅広く知られていた概念であった。万物の中にはオカルトの性質と諸力があり、共感や反感の性質をお互いに持ち、自然のものを単純に操作する事により、魔術の潮流を特定のエレメンツから普遍的なエレメンツへと「引き上げ」、再び普遍から特定へと落とす事ができ、それは魔術の最も一般的な形態であると幅広く信じられていた。未開種族の魔術の実践の研究をしていたフレイザー卿は、これらを2つのカテゴリー、共感あるいは模倣魔術と、接触魔術に区分した。卿はこう記している。「両方(共感と模倣)とも、共感魔術の名前の下で考えるのが都合が良かろう。なぜなら、両方とも遠い距離にある物の間に秘密の共感を通じて働くという仮定があるからである。」またこうも記している。「遠くにある物や人物の間で働く共感の影響の信念は、魔術の本質である。」


 宗教思想の進歩と、霊界の認知により、魔術の性質は宗教により近くなっていく傾向があり、宗教の霊的な諸力に、その効果をますます拠るようになった。ラビの権威らは、イスラエルでの異教徒が起源の全ての実践に対して弾圧をし、その筆頭は超自然的な助けに頼らずに「術をなす」事であり、そのため禁じられた「魔術」の実践は死刑であった。だがこれらの弾圧は魔術全般ではなく、特に「偶像崇拝的な」形態に対してであった。天使、御名、それどころか悪魔を用いる事すらも、超自然に訴え、神の上位性を認めるのが含まれているならば許可されていたが、偶像崇拝の種類の魔術は、厳格に禁止されていた。そして中世の著者らは深く考えずに、これらの古代の拒絶を繰り返していた。古代の「偶像崇拝」に対する過酷な闘争の勝利から遥か時が過ぎており、この区分はその力を失っていたからである。中世のユダヤ魔術の成功は、ほとんど完全に霊と御名に拠っていた。すぐ後に見るように、共感の使用はまだあったものの、それらの役割は二義的、付随的なものとなり、神学的なものは後継者らはより受け入れるようになった。ここに中世のユダヤ教とキリスト教の魔術の間の明白な違いがある。キリスト教の魔術では、自然の中にあるオカルトの諸力を率直に認識して用いていたが、それらのレシピはユダヤ人の実践からは背後へと退き、霊界(の存在)の召喚へと偽装していた。


 このように、善と悪、白魔術と黒魔術のカテゴリーが、ユダヤ人の考えでは異質である事が理解できる。(キリスト教徒は)魔術の目的についてで、これらを区分していたが、一方でユダヤ人は技法についてと、その合法性について議論していた。勿論、ラビたちは魔術が目指す目的について興味が無く、犯罪的な目的に対して「合法な」技法を認めていたと私が言いたい訳ではない。ラビたちは合法と認められた技法に対しても、他人を傷つけるためならば、否認を表明する事が多く、神秘の情報を信用に値しない者の手に渡す事を強く拒んでいた。だが神秘主義の学徒の学者的で敬虔な性質と、ユダヤ魔術の本質的に宗教的な性質は、この伝承が悪用される可能性を最小限にしていた。魔術の非倫理的な実践をユダヤ教が支持しない事には何の疑いも無く、そのため議論は法的な分野にのみ留まっていた。だがユダヤ人はこの非ユダヤ人の間で流行っていた区分に無知だった訳でもなく、それはメナヘム ジユニや他の者らのnecromancyの解釈で示されている。「この『Nigromancia』は、2つの言葉、ヘブライ語の『nigar』(集まる)と『mancia』(魔術師が悪魔を召喚する時に焚く香の名前)によって成っている。だが別の解釈も私は聞いている。nigreは『黒』を意味し、これはドイツ人がこの術をSchwarzkunstと呼ぶ理由である。」それからNigromanciaの一つの例として、メナヘムは「霊や悪魔を召喚する際に、適切な呪文と共に精液を提供する者たち」と引用している。


「用心するに越した事はない」


 魔術と迷信への規則一辺倒のアプローチを放棄する一般的な態度については、以下の例が完全に示していよう。ある日、私の教師の1人が散歩に出ている時に、黒猫と突然出会って、教授は神経質に退いた。それを見ていた生徒の1人が話しかけた。「先生は本当には黒猫を恐れていないのですよね!」「勿論だとも」と腹を立てつつ教授は答えた。「勿論、わしはそんなナンセンスを信じてはおらん。だが用心するに越した事はない」と。おそらく教授はセフェル ハシディムの以下の文「迷信を信じる必要はないが、なおも用心するに越したことはない」の引用をしていたのだろう。この引用した評は、一部の宗教権威者らの現在精神へ向けての最も遠くからの助言であった。その慎重に受け入れていた数えきれない迷信の行為から判断して、大衆はこの引用に心から従っていた。


 この時代精神は、最も理性的な傾向のあるラビたちをも巻き込んでいた。南欧のユダヤ人は、魔術と迷信を「愚行」や「偽り」と強硬な態度で非難する大胆な精神を持っていた。だがドイツのユダヤ人は、僅かながら魔術を蔑視する発言をしたり、迷信から自由であると明かしたりする事はあったが、そこまで大胆では無かった。宗教権威者らは、その立場上少なくとも、心にもない非難をする必要があったが、実践者はその行いを、強制的に服従させた霊や、神の怒りによって罰せられるだろう、と彼らに破滅が来ると脅す以上の事はしなかった。ラビたちの中には、ユダヤ人に蔓延る迷信と魔術が、イスラエルへの帰還を遅らせていると考える者もいた。あるラビはこう述べている。「あなたが愛や欲望からではなく背教者となったユダヤ人を見たならば、それは彼かその両親が妖術に手を出したからだと知るだろう。」


 時には、ラビたちは伝統的に受け入れられていた技法の影響に、それらはもはや相応しくないと主張する事で逆らおうともした。「自然がある場所から別の場所へ、ある時から別の時へと移り変わるのは、よく知られているからである。」と言ったり、技量に必要な基盤が失われたと見做したからである。ラビたちは再解釈によってや、宗教的な意味合いをそこに挟む事で、迷信の実践のインパクトを和らげようと試みる事も多かった。だが様々な迷信や魔術は普遍的に受け入れられており、これらを非難するラビ自身が、大目に見るように強いられる事も多かった。さらに、神秘的な教えの大衆の誤用をどれだけ激しく非難しても、魔術の「許可された」カテゴリー、特に神や天使の御名の招聘を受け入れるしか無かった。これらの招聘は、敬虔さでは疑いのない博識な達人らによって行われ、ユダヤ教の教義と調和しており、否定する事は出来なかった。この一部の承認が、宗教家らの意見の極端な無定見の原因であった。ラクダの鼻がひとたびテントの中に入ったら、ラクダ全体をもはや拒む事は出来ないという諺の通りである。大衆が魔術の真実と力を受け入れている事を、ほとんど非難できなかった。全能の神への信仰が反対の事をどれだけ教えていても、大衆は魔術師の力を信じ、畏敬を抱いていた。「妖術師と喧嘩をする者がいたら、自ら死を招くであろう。」ドイツの敬虔主義者や神秘家らの迷信と魔術の耽溺は、南欧のユダヤ人にも伝わっていき、一人ならずとも敬虔なスペイン・ユダヤ人の著者らが非難している。


 だが同時に、この時代の精神より遥かに進んだ、深遠な心理学的な真実を認める立場もあった。「迷信はそれらを信じる者のみに影響する。」信じやすい大衆を縛り付けている迷信と魔術の軛から自由にするには、中世が主張できる(あるいは今日我々が自慢する)以上の勇気と懐疑主義が必要である。本書にある内容は、ただの禁止では無知な大衆に対しては無益であり、盲者は「信じたいと願う」という多数の証拠を語っている。


 次の章からは、迷信と魔術の基盤である霊界についての信念についてまず見ていき(第3章から6章)、それから魔術の言葉と呼ぶであろうもの、すなわち魔術で最も力ある道具とされる天使や神の御名、聖書にある神の言葉に属する諸力について見ていく(第7章と8章)。第9章から13章には、医療についての議論も含めた、魔術の実際の実践を構成する様々な要素が含まれている。結論としての諸章(第14章から16章)では、魔術の実践の中でも最も人気のある一つである占術について述べている。


ユダヤの魔術と迷信 3
↑ ユダヤの魔術と迷信


*1 カバラのゲマトリアなどの事であろう。
*2 アモライーム(伝達者)らによる、ミシュナーの議論・注釈書。