アストラル体投射 15

ページ名:アストラル体投射 15

第15章


憑依


 そしてこれは、我々に「憑依」についての主題へと向かわせる。心霊主義者の間には、地縛霊――煉獄の霊――が生きている存在に悪しき影響力を及ぼせるか否かについて議論がある。そして本書の著者は霊の憑依の強固な信奉者である。心霊主義者とオカルティストが、善霊は生きている存在の心が良い状態ならば影響を与えられるものの、悪霊は生きている者の心が悪しき状態でも影響を与えられないと考えるのは矛盾していよう。


 現代科学は霊の憑依の教義を事実として受け入れず、いわゆる霊の影響の全てのケースは実際には心身の病であり、適切な治療が必要だと主張している。だが経験を積んだ心霊主義者は、一見しての憑依の多くのケースがそうであるが、低位の開発段階にある死者の霊による真の憑依も存在するのを知っている。また偉大な心理学者のウィリアム ジェームズ教授も、その死の直前にこう述べている。


「憑依現象には具体的な経験に基づく膨大な伝統があるにも関わらず、現代啓蒙主義の仮説として可能であるとすら認めない態度は、常に私には「科学的」なものというファッションの力の奇妙な例に思える。(略)


 デーモンの説(悪魔(デヴィル)の説である必要はない)も私の心に確実にある。「科学的」であるためには、そのような可能性についても盲目で無知である必要がある。」


 J.H. ハイスロップ教授も、著書「死後の生」でこう述べている。「このケースは、憑依、霊や悪魔の憑依、新約聖書で呼ばれているものであると断言する。この教義を受け入れるまで私は10年間抗い続けたが、その後には私は死後の生存は証明されたと確信している。」


 ここで言うケースとは、ハイスロップ教授が要約する以下のようなものである。


「ここでのケースは両親の死が引き起こした精神分裂症患者の少女で、医者が治癒不能であり精神病院に死ぬまで入っているのは確実だとした、複数の人格を持つ症状である。これはパラノイアや早発性認知症など様々に診断されたが、ある霊能ある牧師の忍耐ある努力によって治癒された。この少女は完全な健康な人間となり、後には鶏肉の大きなビジネスを行う事が出来て、彼女が住んでいる地域の鶏肉協会の副議長としても働き、知性と冷静さでその会合を主催している。(略)


 そして彼女が治癒された時の霊能者による実験が示したのは、これが霊の憑依のケースであり、彼女に憑依した者らの識別により証明された。この霊媒は悪の憑依が再発しないように力を振るい始めて、普通の健康な生活へと彼女を導いた。」


 そしてこのような信念の結論について、この著者はさらにこう述べている。「このようなケースの主な興味は、医療の分野での革命的な効果である。パラノイアと診断された数千のケースが、この種の調査と治癒で治る可能性がある。今や医学界は目を覚まして、学ぶべき時である。」


 本書の先に述べた「複製された感覚と憑依」の章の「89のケース」で、私はアストラルの霊による生きた人物の憑依についての最も奇妙なケースを述べた。聖書で言っている事が事実だとしたら、キリスト自身も悪霊の憑依の信念の提唱者であった。悪霊に憑依された人物から「悪魔を祓う」能力を少なからず示しているからだ。聖パウロも、悪霊は善霊と同様に生きている存在に影響を及ぼすと信じていた。


 一部の霊らは意図的に憑依をし、他の霊らは知らずに行っている。また「89」のケースのように、霊自身が強迫観念に囚われている事も多い。アストラル界での生きていた頃の欲望のストレスがこうも強いので、その欲望を満たすために肉体に戻ろうとする地縛霊らに数千の人々が憑依されていないのが不思議に思う。言うまでも無いが、生きている人間に憑依する知性体は煉獄の霊である。


 憑依する霊が自らが独立した存在である明白な証拠を与えている、幾つかの顕著なケースを、J. ゴッドフリー ラウパート氏の著書「心霊主義の危険」「現代心霊主義」「至高の問題」で、またピーブル博士の「霊の憑依、古今の悪魔崇拝」で見い出せる。またこの主題の独特の議論が、C.H. カーソン博士の憑依の小冊子の中にもある。他にも、幾つかの非常に顕著なケース、歴史的な現象の具体的な証拠の全てを示しているものが、キャリントン氏の観察の下である。


 その他にも、「死者と過ごした30年間」は、カール ウィックランド博士の「憑依」についての本である。また興味深い事に、ウィックランド博士はカリフォルニア州ロサンゼルスにある研究所を持ち、そこでは毎年「憑依」された患者らが――一般的な心霊主義の方法によって――治癒されている。幾らかの現代の著者と研究者らは、正当な霊的な「憑依」は事実そのものであると結論付けている。


 私がこれまで聞いたアストラル体投射に対しての最大の懸念は、霊体が肉体から離脱している間に、外部のアストラルの存在が肉体の中に入ってきて、真の所有者(離脱者)が肉体に再び戻るのを防ぐというものである! このタイプの憑依が起きる確率については、私は知らないと告白する。だが、心霊主義者がよく述べているこの議論にはある欠陥があり、なぜこのタイプの憑依が起きそうにないかの理由もある。


 もし地縛霊がアストラル体が離脱している間に肉体に入ってくるならば、毎夜に数百の人々が犠牲者となっているだろう。毎夜、数百の人々が気付く、気付かないにも関わらず離脱し、夢の体で旅をしているからだ。確かに、地縛霊がこの機会を利用して、空っぽになった肉体の占拠をしないだろうと私は言う事はできない! だが多くのいわゆるアストラル体投射の危険は、大きく誇張されているのは疑いない。


 心理学者は全ての二重、さらにそれ以上の人格の分裂や「霊ら」を、患者自身の精神によるものとしているが、多くの著名な心霊主義者は、そのようなケースの多くは単に霊の憑依の例にすぎないと論争している。私自身の考えでは、心霊主義者はこれまでのところ勝っているように思える。彼らはどこからこの外的な意識が来るかについて論理的な説明をしており、どこでこの意識が発展しているかを示す事ができる。だが心理学者は、どのようにこの二次的な意識が発展してきたかについて、常に満足いく説明を与えられないように思える。そして一部の説明は、全く説得力が無い*1


 無論、私は全てのいわゆる「憑依」が必然的に霊の憑依ではなく、患者自身の心が時には自らを憑依する事も知っている。


アーカシック レコード


 ひとたび人が肉体から離脱して諸力の界、アストラル界へと来たら、過去と未来の両方を見る能力を瞬時に得ると幅広く信じられている。だが私の全ての意識的な離脱では現在のみを見ている――この文を書いている今、現在のみを見ている(もっとも過去は覚えている)ようにである。


 この諸力の界の何処かに、これまで語られたり行われた全ての事のレコード(記録)があり、特定の条件下で離脱者はこのレコードを「読む」事が出来るという主張がある。私はこれら――アーカシック レコードと呼ばれている――を「意識がある時には」見た事は無く、未来も見た事が無いが、部分的に意識がある時にアストラル体で、まだ肉体では起きていなかった出来事を体験した事はある。この事についてはこれから語るつもりであるが、その前にまず最初に、このアーカシック レコードについて他の者が述べている事を要約させてほしい。


 アーカシック レコードは何らかの大きな本の中に含まれるものではなく、これまで起きたあらゆる言葉、情景、行動の印象が、普遍的なエーテルあるいは「アストラル光」の中に刻まれている。だがこれは驚く事ではない。我々は自らの記憶の中にこの例があり、その何処かに過去のレコードが蓄えられているからだ。脳を調べても、あなたは我々が「記憶」と呼ぶ痕跡を見つけられない*2。だが、あなたが過去の出来事を思い出すたびに、この隠された不可視のレコードがどこかにある証拠がある。では、どこに記憶があるのか? アーカシック レコードはあなた自身の記憶と同じほどに神秘的ではなかろうか?


 天文学では光速は秒速186,000マイル以上であると教えている。だが数千年前に放たれた光がようやく今地球に届く距離の恒星もある。我々はこの遠い恒星を見るが、その今の姿や、どこに現れたかを見る事はできず、数千年前に光が放たれた時のものを見ている。


 この事について、キャリントン氏はこう記している。
「光がこの広大な距離を旅するのに、たとえ秒速186,000マイル(これは1秒で地球を7周半する!)をもってしても、相当な時間がかかる。そのような計算によれば、太陽から我々のもとに光が届くのには約8分かかるという。


 では、あなたが太陽を見たら、(一見すると)今の瞬間のものを見ているように思えるが、実際は今の太陽を見ているのではなく、8分前のものを見ている。そのため太陽で競馬の馬がいたとしても、あなたは8分後にこの馬がレースに勝利するまでは見る事が出来ないだろう!


 理論的に、太陽がさらに遠くにあり、あなたがなおも見る事が出来たとして、その光が我々に到達するのに8分のかわりに1年かかるとしたら、あなたは1年前にそこで起きた事を見るだろう。そして、恒星の中にはさらに遥か遠くにあり、秒速で186,000マイル進むとしても、その光が我々に届くまでに何十万年もかかるものもあるのだ!(天文学者らは「光速」と呼ぶもの――つまり、光が1年に旅する距離――によりこの距離を計算する。そしてこれは計算の「単位」なのだ! 恒星の中には光速で50万年ほども離れているものもある!)


 これら全てはこの点へと導く。我々の地球で何かが起きたとして、宇宙で充分に遠くにいる者が、1年前にここで起きた事を見る――つまり我々の地球の表面からの光が宇宙空間を旅していき、今から1年後の宇宙のその場所へと到達するだろう。結構! あなたがある行動をしたとして、この理論的な外部での観察者は、その行動を1年経ってから見る――つまり、今から1年後のレコードがそこにある――あるいは、数十万や百万年後かもしれない――それらは、この観察者がどこに居るかに拠っている。


 そのため、あなたが宇宙で「充分に」遠くにいたとしたら、理論的にはエーテルにあるレコードから、その行動を見る事が出来よう。そのため、大ピラミッドに置かれた全ての石も、今そこ――宇宙での特定の距離――で見るだろう。世界の「創造」も、その空間――特定の距離――で今見るだろう!」


 我々は数百年前に滅びた星々のレコードも今なお見ている。長い前に放たれた光が、その源が滅びた後にもなおも存在している! アーカシック レコードはそれ以上に神秘的なものだろうか? この普遍的なエーテルは、存在する全てのものの真のレコードだと言われている。そしてインド人らは適切に霊性開発したならば、これらのレコードを見る事が出来るだろうと述べている。


 アストラル体投射の達人と言われているスワミ パンチャダシ*3は、こう述べている。
「四次元でこの場所へと旅をすると、あなたはここで地球のあらゆる場所の過去から現在までの歴史の動画を観たり、その流れを逆向きに観る事もできよう。


 またあなたはアストラル界、通常の空間次元を旅して、望むならば特定の時での地球の全ての場所で起きている事を同時に見る事も出来るだろう。


 だが厳密な事実の問題として私はあなたに伝えなくてはならないが、過去の真のレコードはアストラル界よりも遥かに高次の界に存在し、あなたが見たものは、オリジナルのレコードではなくて(事実上完全なものではあるが)その反射に過ぎない。


 このアストラル光での反射を見るだけでも、高次のオカルト開発が必要である。(略)だが通常の霊視能力者も、これらのアストラルの写像を垣間見れる事は多く、過去に起きた事を充分に説明できよう。」


 本書の著者が観察する喜びが無かったアーカシック レコードについては、これくらいにしておこう!


夢の体で未来の出来事を演じる


 我々は、(過去に起きた)出来事を、離脱の夢の間にアストラル体で再演する事について先の章で学んでいる。だが、未来について考える心が、(離脱した)夢見る者に、まだ物理世界では起きていない出来事を演じさせることも多い。


 無論、夢の体がそのような行動をしない予知夢を見る事もある。だが、アストラル体が「参加する」予知夢を見る事は(特に離脱への傾向のある人物には)多い。私自身そのような多くの体験がある――夢で意識を取り戻して、自らがアストラル体で行動していたのに気づくというものである。以下にあるのは数年前に起きた単純な例である。


 私はその時、自宅の正面玄関から外へと出て、学校への道を歩く夢を見ていた。学校へと行くには、私は2つの道のいずれかを通る必要があった。1つは直線コースで、住宅街を通り抜けるもので、もう1つは商店街を通り抜けるものである。昼食後に学校へと戻る時には、私は常に――より短く、直線ルートの――住宅街を通っていた。


 この夢の中で私は学校への道を歩いていたら、誰かが呼んでいる声が聞こえて、周囲を見渡すと、私の友人を見た。彼は私の家から数件離れた場所に住んでいて、私の学校のクラスの一員であり、こちらへ向かって走ってきた。そして我々は道を歩きながら、午後の授業の問題について議論していた。


 やがて我々は街路が分かれる場所へと到着した。片方は商店街へと向かい、もう片方は住宅街へと向かっていた。私は住宅街のルートを進むと述べて、友人も一緒に行くと思っていた。だが彼はこう述べた。「おいおい、町の方へと行こうぜ。俺たちには、まだたくさん時間があるんだしさ!」


 そのため我々は商店街へと向かう道を進んだ。そこで私は商店のウインドウを見る為に立ち止まり、そこで気に入った靴下があるのを見つけて、店に入ると購入した。それから我々はまた歩き、学校へと向かっていった。そして公園へと進んだ頃に、ある少年を見た。少年が我々の方へと近づいて来ると、それが誰であるかに気づいた。我々が会うと、この少年は私に近づいてきて、私の靴に唾を吐きかけて、変な仕草とともに「へへっ」と言ってから逃げていった。この少年は現実でも悪戯っ子だった!


 この場所から学校まではすぐ近くだったので、我々は歩き続けた。そして徐々に私は意識を取り戻していて、完全な意識を得る前にすら、私が実際に公園を歩いている事に気づいた。私はアストラル体で意識を取り戻して、実際に行動している事に気づいた。だがそこにいた人物らは溶けていき、私は自らのアストラル体でそこに一人でいた。


 この数週間後に、現実世界でもこれらは実際に起きた。全ては夢の中で起きたのと同じ順番で起きていた。私は学校への道を進み、私の友人と出会って、我々は分かれ道まで歩き、そこで彼が町へ行こうと私を説得する。それから店のウインドウで靴下を見て、購入する。我々は公園を進んでいき、そこで小さな少年――私が夢で見たのと同じ少年――と出会う。そして少年は近づいてくる中で、私は友人に「この子は僕の靴に唾を吐くつもりだ」と言った。そしてこの少年はそれを行い、「へへっ」と言ってから逃げていった。


 この例であなたは、数週間後まで物理世界では起きなかった出来事をアストラル体が演じるのを見る事ができよう。また別の例も挙げてみよう。


 1927年の春のある夜、私はアストラル体で意識を取り戻し、自らが奇妙な場所にいるのに気づいた――奇妙に魅惑的な公園である。私は周囲を見渡して、その性質を観察し、その一般的な様相だけではなく多くの特別な要素にも気づいた。私は特に高い岩壁と、川を通る2つの小さな橋にも気付いた。


 私はこの場所を訪れた記憶も無く、ここが何処であるかも知らなかった。また私の肉体に戻る道も覚えていなかった。そして2ヶ月後に友人と旅をした時、私は自分の家から50マイルほど離れた町の中の公園に偶然入り、そこが私がアストラル界で前に訪れたのと同じ場所であるのを見つけた!


 私はこれと似た多くの事を述べられるが、それらは無用だろう。事実、未来への夢を見ずに1週間も経たない事はほとんど無い。時には、夢の中で意識を取り戻して、自らが夢の体で演じているのに気づいていた。


 私が未来の離脱の夢では、ほとんど常に何らかのルーチンの行動から始まっているのを観察している。つまり、夢は何らかのルーチンの行動から始まり、別のチャンネルへと入って行ったり、夢を見る者が日々の習慣を行い、それから「また起きていない」その行動の特有の様相を見たりする。例えば私が先に述べた体験では、最初に日々のルーチン――学校へと行く――から始まり、それからまだ起きていない特有の出来事の夢を見ている。


 通常、そのような夢を体験した翌日には「実体化」する。だが先に述べたケースのように、アストラル体が演じてから数週間後に現実で起きる事もある。また私が知らない多くの未来の夢もアストラル体は演じているであろう。常に見た夢を覚えているわけではなく、離脱者が夢の中で意識を取り戻す訳では無いからだ。我々が自在に未来の出来事を夢で見る方法を見つけられないのは残念な事である!


 時には離脱の夢で、離脱者が奇妙な場所にいて、「ほとんど」意識を取り戻し、その場所で起きる事について見る。だが肉体で目覚めてからも、その出来事が起きた場所を確実には知らず――それら全てを覚えていたとしても――夜の幻覚と見做す。この出来事が「実際に起きた」のを聞く事がなく、この夢が幻覚以上のものであるのを知る事がない*4


アストラル体投射 15-2
↑ アストラル体投射


*1 キャリントン注。古典的な心理学者や、最も科学的な研究者すらも、一般的な心理学的説明の充分性に時には疑いを持つ事は覚えておくべきである。これに関して、ワトセカの放浪(ルナシー ヴェンヌム嬢)のケースについての本で、ホジソン博士はこれは「心霊主義のカテゴリー」だという自らの意見を述べている(S.P.R.ジャーナル 第10巻103ページを参照)。またウィリアム マクドゥーガル博士も、ビーチャムのケース(モートン プリンスの「人格の乖離」を参照)での「サリー」は「霊」であると渋々結論する羽目になっている。博士の「ビーチャムのサリーのケース」への議論については、S.P.R.会議録の第19巻 410-431ページ、特に430ページを参照せよ。
*2 現代の脳生理学では記憶は海馬、大脳基底核、小脳が司っているとされる。
*3 このインド人(?)も、実際はウィリアム ウォーカー アトキンソンのペンネーム、分身の一つである。ちなみにアトキンソン自身は体外離脱は出来なかった様である。
*4 キャリントン注。これと関連して、W.J. ダンの興味深い著書「時の実験」を参照せよ。この本では本章と関連する幾つかのケースを述べるだけではなく、著者が予知夢を望むように得た方法についても述べ、読者も同様に得るだろうと述べている!