アストラル体投射 14-2

ページ名:アストラル体投射 14-2

アストラル体の性


 私は何度か人々から――良く知っているはずの心霊主義者らからすら――アストラル体には性器が残っているのかを尋ねられている。それは確実にある! 結局のところ、私は肉体の全てが複製されると言っているので、この事を述べるのは時間の無駄に思える。だが私はここで繰り返すと、アストラル体は肉体のあらゆる細胞に至るまでの「正確な複製」である。


肉体とアストラル体の内なる関係


 肉体は物理的な法則により形作られ影響されており、この法則に我々が従う必要があるのはよく知られている。これが事実である(そしてアストラル体は肉体の正確な複製である)ならば、肉体がアストラル体の真の形を与えているのも明らかである。おそらくはこれが肉体の存在する理由――霊を形作る――であろう。キリストは「肉体は霊の宮である」と述べた*1。またアンドニュー ジャクソン デイヴィスも、似たような考えを持っていたようである。著書「調和的な哲学」でこう書いているからだ。


「人の体は全ての有機的自然の果実であり、霊体は外側の体(肉体)により形作られる。肉体は全ての形質の結節点であり、霊は全ての諸力の有機的な組み合わせである。(アストラルの)形質の全ての分子の表現は、究極的には人により作られる。霊体は肉体によりもたらされた結果である。それは霊が創造されたという意味ではなく、その構造が外側の体により形作られたという意味である。


 心そのものも肉体による創造や究極化ではなく、心の構造は肉体の精練の結果である。肉体の骨を用いる事で、霊の骨は造られ、肉体の筋肉を使う事で、霊の筋肉が造られる――これはエッセンスではなく、形である。(略)一方で肉体の耳は霊の耳により動かされる。簡潔に言うならば、外側の体の全ては不滅の存在(霊)の現れなのである。」


 またディヴィスは別の箇所でもこう述べている。「霊は形質であり、物質と似たように、重力の法則に従う。あらゆる人の体験が、霊が形質であるのを完全に示している。なぜなら、我々の中で霊は体をある場所から別の場所へと動かすからである。霊は考える事無く動かす事すらあるが、それは隠れた霊の原理は全ての生命の諸力により構成されるからである。人の霊は、自らの通常の発現によって、微細に自らを示している。


 人の霊には形質、重さ、弾性、可分性、その他物質の様々な究極の性質を有しているものの、通常の重力や知られている物理的な諸力を超えた法則に従っている。事実、人の存在は二重である。人には2つの目、2つの脳(右脳と左脳)、2本の手、2本の足、2つの肺がある。人の心臓は二重であり、他の器官も同様である。


 この可視の二重の構造は、不可視の二重の諸原理、すなわち男と女のものから来ている。これらは相互に働き、人体の全ての活動を規則化させている。片方が縮まると、もう片方が拡張する。これら二つの原理は共に組み合わさり、一つの活動を二重の系へと参与させる。(略)霊は動かない体とは違い、肯定的、否定的な原理に働き、それらの性質によって霊は肉体を保ち、肉体は霊を保つ。(略)


 霊の器官が形質であるなら、形質として幾らかの重さがあるだろう。霊が肉体から離脱したら、霊体は1ポンドの16分の1ほどの重さも無い。だが霊は不可視の風のエレメントを吸収し続けて、やがては比較的重くなり、重力を得るだけではなく、それを超える力も得る。(略)霊的な教義は、人の最奥にあるのは霊であり、我々の神経の感覚を通じて流れると教える。(略)そして霊は考え、理性があり、その周囲にある形、諸力、物よりも、より良く感じ、より高貴で、純粋な感情を持つ。また霊は知性と心に、その周囲にあるものよりも高次のものを認識させるよう教える。これは可視の人間の中の不可視の神の臨在なのだ。」


 これらの中で、肉体とアストラル体の内なる関係へのデイヴィスの考えを読者も見る事ができよう。肉体は物理的な諸法則によりその形が影響される。そしてアストラル体が肉体の正確な複製ならば、アストラル体もまた同じ物理的な諸法則により影響されるであろう。ところで、この説は成熟する前に死んだ幼子の霊の形については述べていない。そのため、我々は肉体から独立して形作られるアストラル体の説についても受け入れる必要があろう。


アストラル体の構成


 また体外離脱体験について聞いた人々の多くから私がよく尋ねられる別の質問、「アストラル体は何によって構成されるのか?」もある。そして私がそれについて知らないと告白すると、彼らは常に冷笑するのだ。


 だが私が自らのアストラル体の構成について知らない事は、私がこれまで述べた事を否定する事にはならない。実際、私は自らの肉体の構成すら、それについてはアストラル体よりも無限に学ぶ機会があるのに知らないのだ! なぜアストラル界への旅を短期間行うだけの離脱者が、あらゆる神秘を解決する――未知の全てを説明する――と期待されねばならないのかは、より大きな謎である。特にセアンスで呼ばれた「霊の科学者ら」が、アストラル界に何年もいたとしても、それらについて我々に語っていないのにだ。


 無論その必要はない。私がアストラル体の構成について説明できない事は、私がこれまで述べた事の一つといえども否定する事にはならない。アストラル体を構成するものを見つけられない事は私の最大の失望の一つであった。だが他の誰も知らないようなのだ! 一部の研究者はこれを「流体的な複製」と呼び、ロッジ卿は「エーテル」と呼ぶ。一般的な信念では、この体は物質のものと似てないなくもない――違いはその分子の配置にのみあるとされ、これは私の考えでもある。これについてヘンリー リンドラー博士が述べる事を読んでみよう。


「この生命力は、全てのエネルギーの主要な源である――ここからその他のエネルギーの類や形が導かれている。電流がガラスの電球やそれらを通じて熱や光を生み出すカーボンの糸から独立しているように、これは肉体や飲食から独立している。白熱電球を破壊する事で光を消す事は出来るが、その背後にある電流を消す事は出来ない。


 似たように、肉体がいわゆる「亡くなる」としても、この生命エネルギーは霊的物理的な体を通じて働く力と働き続ける。この体は肉体の正確な複製であるが、その形質の分子と粒子は遥かに洗練されたものであり、肉体のものよりも遥かに大きな速度で振動している。これは単なる推論ではなく、自然科学が示す事実なのだ。


 聖パウロが「肉の体があるように、霊の体もある」と述べた時、この使徒は自然の実際の事実を述べていた。無論、死後に人が、その意識、記憶、理性機能の容れ物、物理的な働きのための道具としてのある種の物理的な体が無ければ、存在し続けると考えるのは不可能であろう。


 そのため、人が死後も生き続けるのが自然の事実であり、不死への到達が可能であるならば、それには霊的物理的な体が必要である。


 オリバー ロッジ卿は霊的な体の形質はエーテルであると述べている。これは私には考えられない。エーテルは実体が無く世界に臨在しており、現代科学が知る限りにおいて、原初の普遍的な元素で、全ての物質の構成の中を貫き、入っている。だがエーテル単独では物質を構成したりは出来ない。様々な元素の原子は、プラスの電子の周囲を回っているマイナスの電子により構成されるが、これは物理的な物質だけではなく霊的な形質でも疑いなく事実である。この2つの唯一の違いは、霊的な形質の原子や粒子は、物質の原子よりも遥かに洗練され、高速度で振動している事である。


 霊体の感覚器官はこれらの高次で洗練された振動に合うように調整されている。そのため我々の肉体の感覚器官が物質に行えるように、霊的な形質を現実で実体を持ったように見たり触れたりできる。


 先に述べた事からの結論は、現代科学は2500年前のピュタゴラスの知恵、すなわち全ての物質は3つの要素――形質、動き、数により構成される事を確証している。現代科学によれば、ピュタゴラスがいう「形質」は普遍的なエーテルと、「動き」は電気と、「数」は原子の中で振動する電子の数、また分子の中にある原子の数とそれぞれ対応している。」


 これがリンドラー博士のアストラル体の構成の観点である。今はまだ、アストラル体の「正確な」構成については確実に知る事は出来ないが、多くのオカルティストらは近い将来に科学はこの興味深い問題を解決するだろうと考えている。だがこれは多くの人々が考えているような、単に離脱者が意識的に離脱して探究するのではなく、肉体の性質について知るにも、外側から観察して感じるだけでは不可能であるように、実験室で解決されねばなるまい。


アストラル体の重量を計測する


 数年前にパリの心霊主義者の国際会議で、人の霊はノミの毛ほどの重さしかないとユーモアをもって語られた事がある! オカルティストらの間でも、アストラル体の重量についての意見は分かれている。私自身は、人の「複製」の重量を確実に知ることができるとは信じられない。


 アンドニュー ジャクソン デイヴィスはこの重量を1オンスだと信じていた。他の者らは霊に重量は無いと述べている。だが形質のある存在である以上、アストラル体には何らかの重さがあるだろう。これと関連して、2人のオランダ人物理学者――ハーグの町のマルタとザアルベルグ ヴァン ゼルスト博士らの、アストラル体の構成と構造を確証する実験について見てみよう。


 彼らは極めて複雑な性質の機械を作り、それを「ダイナミストグラフ」と呼び、この道具を用いれば(彼らが主張するには)霊媒を一切必要とせずとも霊界との「直接」交信が可能となるという! 具体的には彼らはこの機械を部屋の中央に置き、隣の部屋から壁に開かれた小さな窓を通じて機械を観察する。そして、機械は霊的な知性体と思えるものにより動かされて、その上にある文字入りのダイヤルによって長い「対話」がなされるという。


 フランスで「死の神秘」と呼ばれる本があり、そこではこの実験について長い内容を述べている。キャリントン氏はその内容を著書「現代サイキック現象」(の「霊界との道具を使ったコミュニケーション」の章)の中で要約している。この記事の中から、アストラル体――これらの実験によりその実在が確証されている――を扱った幾つかの節を引用するとしよう。


 彼らは物理学者としてこのように述べている。「この体の正確な物理的、化学的構造について――その分子構造と活動について――調べ、可能ならば我々が肉体について知るように、その正確な構成についても発見しよう。」それから幾つもの長い実験を繰り返してからの彼らの結論については、私は要約する事ができないので、そのまま引用するとしよう。


「この体は意志――つまり、アストラル体の意志――の働きの下で収縮や拡張が可能である。拡張すると、約1.26mmあるいは自らの体積の1/40,000,000ほどになる。収縮するとさらに大きくなる――すなわち、約8mm、あるいは自らの体積の1/6,250,000ほどになる。その重量は約12.24 mgs、水素よりも軽く、空気よりも176.5倍は軽い。


 意志はこの体に機械的に働き、拡張(上昇)や収縮(下降)を起こす。そのためこの体も重力の法則の影響下にある。またこの体の分子を共に保っているx力(未知の力)がある。この体を構成する分子は極めて小さく、広く拡散していて、重い。この体の内部の濃度は外側の空気のものとほぼ同じである。この体の外側の空気の圧力が増大したら、正確な比率でこの体の内部も増大するだろう。(略)この体の重量も算出し、それらが約69.5 gr――概ね2.25 ozであるのを見つけた。」


 これらの結果については、数年前にマサチューセッツ州のヘーバリルでダンカン マクドゥーガル博士が行った実験と概ね一致しているといえる。この実験では結核で亡くなった直後の患者らの重量を計測した。患者を載せた簡易ベッドが慎重に調整した秤の上に置かれて、その死の瞬間には秤が突然動いたという。


 それから失った重量が算出され、6人中の4人のケースで、それらは2 ozから2.5 ozの間だったという。これはオランダでの実験を興味深くも確証しているように思える。またアストラル体はある意味では、物理的な存在でもあるのを示しているように思える――非常に希薄であろうが、それでもなお、ある意味では物質なのである。


アストラル体の分子構造

マルタとヴァン ゼルスト博士らによる。小さな黒点はこの体の分子を表している


服を着た霊体


 死者や生者の霊体は生きている者らから多く見られている。そして懐疑家らが用いる(否定的な)議論の1つは、霊体が服を着ている――見霊者は通常そのように霊の姿を説明する――ので、(懐疑家らが言うには)それらは妄想以外の何物でも無い。肉体と対応する霊体があるとしても、物理的な服には無いだろうからだ――結果として(多くの懐疑家が主張するには)霊体が現れたとしてもヌードであるはずだ。


 懐疑家がこのように議論を進めて、信奉家に説明を求めるのは完全に自然である。そして信奉家は懐疑家にこう言うであろう。「赤ん坊が生まれたら、どこでその衣服を得ただろうか? 衣服は赤ん坊に与えられたのではないか?」懐疑家はこれには同意をすると、信奉家は霊体の衣服も同じように与えられていると主張する。


 私はこれまで何度も、霊体の衣服についてどう考えているかと尋ねられているが、ごく僅かしか知らないと認めざるを得ず、自らの観察に基づく事しか言えない。そして衣服の「創造」については、自らの肉体やアストラル体の創造について以上の事は知らない。


 だが私には一つの事は明白である――霊体の衣服は「創造」されたもので、物質の衣服の複製ではない。だが私の心に次の疑問が浮かぶ。どのようにそれらは創造されたのか? 離脱の時に服を着ていた時には、この服の素材は何か、どこから来たのか、どう来たのか、どのような見た目かと私は常に自らに尋ねる。


 私は抑圧する夢と、その結果として離脱した時のアストラル体の抑圧が無いように、軽い衣服で寝るようにしていると先に述べたと思っている。逆に言うならば、離脱の機会が起きた時には私はパジャマで寝ている。アストラル体の複製が確立するやり方は実に巧妙であり、10回中の9回は私がアストラル体で意識を取り戻した時には全ては完全に複製されていて、動いて周囲の(物理的な)物に触れるまでは、自分が肉体の外にいるのに気付かないほどである。


 死者の霊が与える証言を信じるならば、その多くは死んだ後にアストラル体で意識を取り戻した時にも自らが肉体にいると考えていた! これはアストラル界の中で、どのように物理世界が完全に複製されているかを我々に示している。無論、これら全ては我々の内側にある超越的な知性が支配している。


 我々の生に特有の全てのものが、アストラル界でも我々のために存在している。これはアストラル界の神秘の一つである。群衆から離れて孤独に生活している人は、アストラル界で意識を取り戻した時には似たような環境に自分がいるのに気づくだろう*2。私の人生の多くは群衆から離れているが、アストラル体で意識を取り戻した時にも同じ状態――滅多に他人に出会わないのに気づいている。これは読者には奇妙に感じるかもしれないが、にも関わらず事実である。


 これは生涯続いた習慣がアストラル界でも継続される一つの例にすぎない。加えて、離脱(一時的なものにせよ永遠のものにせよ)の時には複製が確立していて、意識を取り戻した時には全てが複製されているのに気づく。この(複製の)カテゴリーの中に、霊体の衣服も含まれる。


 私が先に述べたように、一般的に肉体で特有の衣服を着て離脱した時にはアストラル体でも同様の衣服を着ている。私は「一般的に」と述べたが、これには多くの例外があり――支配する知性の風変わりさを示している! 時には肉体がある衣服を着ていても、アストラル体は別の衣服、つまり薄くて白く透き通るものを着ていたりする。これは全く珍しくなく、おそらく「ゴースト」が白い衣服を常に着ているのを見られている理由であろう*3


 時にはアストラル体の衣服は見る者から「オーラ」と間違われて、時にはオーラの方が白い衣服と間違われる。これらには違いがあるが、アストラル体で裸となると、オーラは衣服のように働くだろう。実際、アストラル体の衣服はオーラにより造られていると私は信じている。時にはオーラは通常よりも濃くなる事や、体のある部分が別の部分よりも濃度が高くなる事もあり――それは霊体を染みだらけの姿にさせ――まったく醜くする。無論、これは見る側にのみそう見えていて、離脱者の真の姿ではない*4


 アストラル体で目覚めた時に自分が裸なのに気づいて恥ずかしくなるのではと心配する必要はない。そのオーラが身を包み、その衣服について考えるよりも先に、自らの思考が既に実体化しているのに気づくだろう。アストラル界では思考が衣服を「創造」し、その中にあると他者には見えるようになる。事実、アストラル界全体は思考により動かされている。


 ある時、私は肉体から数フィートほど離れた際に、自らのアストラル体を取り巻くものにより衣服を造り、その衣服は私の肉体を覆っていたものと正確に同じであるのに気づいた。別の時には、私が意識を取り戻した際に自らが中間の速度で移動して、非常に濃厚なオーラが自らを包み込んでいるのに気づいた。それは事実、自らの体を見る事が出来ないほどに濃いものであった。それは霊体が止まるまで包んでいて、止まった時には私は典型的なゴーストが着るような衣服を着ていた!


 離脱者はアストラル体で無意識から目覚めた時に、既に衣服を着ているのに気づく事もある。これは複製を造った潜在意識が、同じように衣服もアストラルの形質から造り出す証拠である。(意識による離脱を体験した者なら)表層意識の心が霊体の衣服を造るのに必要ではない――考えられるだけ多く造られる――のは明白である。


 この衣服が「創造」される事について何の疑問も無い。それは思念体が造られるように、内なる心により――表層意識の心によってすら――造られる。実際の創造のプロセスについては、物質がどう造られる事のように、私は何も知らない。だが私が観察する限り、それはアストラル体を取り巻く色のあるオーラから造られているように思える。つまり、離脱者が衣服を見ると(そして、それはほとんど即座に行われる)、それは非常に濃くなったオーラによりアストラル体を包み込んでいるように見える。


 私は肉体から離脱した直後に、アストラル体が衣服を着ていた幾つかの例を覚えている。また私の母は離脱した私のアストラル体を何度か見ているが、その中で私自身が意識があって、私を見ている母を見ている事もあった。別の時には深夜に私が家の周囲を歩いているのを見て、その事には私自身はまったく気づいていない、つまりアストラル体で無意識にあった事もある。


 母は常にそれらでは衣服を着ていたと説明し、先に述べたように霊体は通常は肉体が着ているものを複製して着ているが、その時には多くの場合で私が着ていたパジャマについて母は知らなかったにも関わらず、後にそのように見たと確証している。私は自分の家で起きた体験や実験の全てを母に語ったりはしておらず――そのほとんどは私自身によって準備していない、言い方を変えると、私が「見られた」時には自発的な離脱をしている――それはアストラル体投射とは「期待と示唆」によって作られた妄想であるという全ての可能性を取り除いている。


 一部の人々はヌードの霊は存在しないと主張しているが、それは馬鹿げている。霊の衣服は生きている頃の住んでいた場所の習慣に拠っている。そして我々の地上でもヌードや僅かな衣服の民族がいるように、アストラル界でもそれらの人々はいる。


 霊の衣服について、ある著者はこう記している。「キリストが死から蘇った時、その衣服をどこから得たのだろうか? 聖書では、兵士らがその衣服をくじによって分け合ったと明白に書かれているのだ。」


 ちなみに霊体の衣服についての私自身の観察は、キャロライン D. ラルセン夫人の著「霊界への我が旅」での同じ主題についての箇所と一致している。この書で夫人はこう述べている。


「アストラル体は肉体の正確な複製であり、男女は霊界でも同様に男女である。全ての性質、特定の男性や女性の性質は変わりはなく、霊も人間のように衣服を着ている。(略)その衣服は以下の様に影響されている。全ての霊は強いオーラ、疑似的な燐光を放っており、このオーラは心により完全に動かされている。この形質から、霊体の衣服は形作られている。


 死後すぐのほとんどの場合では、この形成は無意識の働きである。霊が肉体から離れるとすぐに、たとえそれが白布の類に過ぎないにしても、何らかの衣服を着ている。だが心が自らの制御を得るとともに、衣服を着る働きは意識的なものとなり、霊が着るファッションは個々の好みによるものとなる。


 そのため、死の直後で霊の心が完全に地上の考えや習慣にまだ支配されている時には、一般的に生前に着ていた衣服のファッションに影響される。そのため最初のアストラル界の訪問で私の目を引いたのは、地上の衣服を着た霊らがあちこちを歩いている奇妙な光景であった。


 霊界では、オーラの色は霊の質を定義している。全ての暗い色は霊性開発の低い段階を表しているが、霊が向上するとともに、オーラの色は輝くようになっていく。これらのオーラの色は無論、霊の衣服の色も決める。そのため、霊の特徴、性質、開発段階は衣服の色によっても表される。」


人が考えるゆえに


 これら全てについて、私は別の点――おそらく、アストラル体投射の現象についての全てで理解するのが最も困難な点を指し示そう。すなわち、アストラル界の全てのものは、思考により――離脱者の心により支配されているように思える。人は心で考えるような人となる!*5 私がこれが意味する事を伝えようと考える時、絶望とともにほとんど諦め、自らを表現する能力の無さに気づかざるを得ない。だが私が唯一言える事は、離脱者がアストラル体にある時には、自らの心にあるものがリアリティーとなる。


 あなたが意識的な離脱を学んだならば、あなたの思考に従う反応に驚く事だろう。ほとんど常に、自らが考えるよりも早く見る事だろう。アストラル界にしばらく滞在したならば、これらを乗り越えられると私は考えている。だがほとんどの場合では、あなたが思考を終える前にすら、考えていたものを既に得ている事だろう。


 コーラ L.V. リッチモンド嬢は、自身の対外離脱体験について語っている箇所でこう述べている。「肉体の感覚の枷から解放された私の「全体」が、あらゆる疑問の――たとえそれが思考を完全になす前にすら――解答を知覚し、受け取れる事に、徐々に気づくようになった。」


 ほとんど信じられないであろうが、潜在意識の意志は表層意識の考えが終わる前にも結果をもたらす事がある。例えばあなたが友人の家へ向かおうと考えると、この考えが終わる前にも、あなたは既にそこにいるのだ! 潜在意識の意志は自然と、ほとんどの場合で離脱者を動かす。だがより多く離脱する――これはより長くアストラル界に留まるのも意味する――ほど、表層意識の意志が自らの支配を再び取り戻すようになる。


 離脱者がアストラル体で家が並ぶ街路を歩いていて、ふと「この家の内側に何があるだろう?」と考える。すると即座に自らが内側にいたり、内側を単に「観たり」、勝手に中に入ったりする事がある。これはアストラル界の全てがいかに不確実であるかの例の一つである。誰も何が起きるかを語る事はできない!


アストラル体投射 14-3
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*1 実際にはコリントの教会への手紙一 第6章11節。
*2 マルドゥーン注。幽霊屋敷や霊の出現する場所の記録から、隠者が地縛霊となるケースが非常に多いように思える。
*3 無論、日本でも幽霊は白装束で現れるとされている。
*4 キャリントン注。エリオット オドンネルの著書「Ghostly Phenomena(幽霊現象)」の4ページでは、著者がかつて見た「ゴースト」は「大きくて平坦な顔をして、3ペニー硬貨ほどの大きさの黄色く醜い斑点で覆われていた」と記されている。裸のアストラル体も、似たような斑点で覆われていよう。
*5 箴言 第23章7節。