アストラル体投射 13

ページ名:アストラル体投射 13

第13章


隠れた意識の心


 あなたがこの受動的な意志の方法を用いる時、アストラル体を肉体から動かすのは表層意識の意志ではなく、無意識の意志である事に無論気づくだろう。この受動的な意識の意志がこれほど強力な要素である理由は、この意志は極端であり、極端な「ストレス」を潜在意識の心に植え付け、この潜在意識あるいは無意識が自ら離脱をもたらすからである。


 支配する知性についても、通常の潜在意識は理性を持たず、無意識のある部分が理性、分析をして導くのである。一部の者らは、これを「超意識」の精神と同一視するか、少なくとも支配する知性が超意識だと考えている。


 この無意識の部分には、表層意識に自らの意志があるように、それ自身の意志もある。この無意識の部分には、表層意識の全ての性質があり、表層意識のように自らの意志もあるので、私はこれを「隠れた意識(crypto-conscious)」の心と呼び、その意志については、(説明を簡略化させるために)潜在意識の意志と呼ぶ事にしよう。


 本書のこれまでは精神の様々な部分についての説明は不要であり、私は単に潜在意識の心と意志についてのみを述べてきた。だが今では、これらの現象の様々な興味深い様相をより完全に説明するために、この区分を理解するのが不可欠である。そして、アストラル体投射を制御している知性は、「隠れた意識」の心であるのを忘れないでほしい。


 ひとたびあなたがこの術を学び実践したならば、隠れた意識の心が全ての問題を自らの手で行う傾向がある。つまり、離脱(一見して何の理由もないとしても)の計画を立てて、自らの独立した意志を用いる。よって、離脱者は突然に自らが離脱の犠牲者であり、彼が内なる知性を制御しているのではなくて、内なる知性が彼を制御しているのに気づく!


 そのような自発的な離脱が起きたら、離脱者がそれを防ぐ事はほとんど出来ない。あるオカルティストはこの状態の意味合いを理解し、以下の様に書いている。「アストラル体の開発の間、それは自らの意志を得たかのように思え、本人が気付かないうちに素早く離脱する事もある。」


 そのため、これはいわゆる自発的な離脱――事実上の自動的な離脱の別の原因である。この隠れた意識の心がアストラル体投射を自動的に行ったなら、通常の離脱に属する諸法則――ストレス、肉体の無能力など――は僅かな影響しかないように思える。アストラル体を離脱させる力はそれほど強いからである。私がこの種のアストラル体投射を体験した時には、肉体の「無能力」は無く、昼間の光が満ちていて、環境は静かでは無く、うつ伏せで寝ていたのだった!


 前の章で何度か、アストラル体投射の間に制御する知性はそこ――空中や、アストラル ケーブルの中や、私が知らない場所(最初の体験を参照)――にあるように思えると私は述べている。この時には離脱者は意識があるものの、彼を望むように動かす知性に対して何の制御も出来ない事が多いように思える。


 隠れた意識の心はアストラル体を動かし、硬直状態にしたり解放したりし、体を空中で旋回させ、外側へと移動させ、立った姿勢で置いたり、それらの様々な動きを行わせる知性である。隠れた意識の心はアストラル体に、無数の器用で驚異的な動きをさせる事ができ、催眠術師が被験者になすように動かす。それでいて興味深い事に、これら隠れた意識の心の影響下の全ての間で離脱者は意識がある事もある。


 隠れた意識の心は、これをなすために強力で微細な力に働きかけて導く。この知性が導く力、動力は、我々が殆んど知らない要素であり、疑いなく我々全てが持っている。ひとたび我々がこれを発見し、説明し、その構造と性質を理解できたならば、多くの超物理現象、たとえばラップ音、テレキネシスなどの解明に大きな前進をする事だろう。


隠れた意識の発現は、死者の霊とされることが多い


 多くの霊媒の中で、隠れた意識はこの隠された力に働き、物理的な発現をなすなどの奇妙な事柄を行う。この力は霊媒の中にあり、隠れた意識の心に導かれるが、それによる超常現象は「霊」のしわざとされる事が多い。霊媒自身すら、この発現の背後にある知性が隠れた意識の心である事を知らない。


 私はこの隠れた意識の知性ほどに機敏に働くものを知らず、アストラル体を制御下に置いたならば、極めてコミカルな事すらも行う。私の考えでは、この隠れた意識の心は(降霊会の)観衆が望むような効果を生み出し、また幽霊屋敷に住んでいる人が「発現」を見たり聴いたりしたいと望むように、「ラップ音」などを起こす。これら全ては「ただの幻覚」ではないとあなたも理解しよう。


 生者が自ら住んでいる館で幽霊屋敷現象を起こす事もある――彼らは物理的な発現を見たり聴いたりし、それらを「霊」のしわざと考えるが、実際には自らの隠れた意識の心が、この隠れた「力」に働いた結果なのである。そして彼らはこう述べるだろう。「我々はこれらの発現を行ったりはしておらず、そのため他の霊がこれらをなしたに違いない」と。だが欺かれてはいけない。霊もまた似たような発現――幽霊屋敷現象などを行えるが、我々は亡くなった方に全てを押し付けるべきではない!


 また私が信じるに、「霊の友ら」から霊媒が得たとされるメッセージの多くは、実際には霊媒の隠れた意識の心からである可能性が高い。さらにこのメッセージを与える隠れた意識の心が、亡くなった友のフリをしているというのも言い過ぎではあるまい。


 最も優秀なオカルティストらは、多くのサイキック現象は霊媒の内なる知性より生み出され、ある生命力を操って起こされるが、その他の多くの現象は霊によって起こされると考えている。そしてこの隠れた知性、このように賢明に働くものは隠れた意識の心である。これはアストラル体の離脱の背後で制御する知性であり、微細な力を操作し、望むようにアストラル体を動かしている。


 事実、このアストラル体の優れた操作は、完全に意識のあるアストラル体投射を初めて行った者を驚かせる――確かに、驚かせる――印象を与えるものの一つである。私はこれを最も驚くべき知覚とは言わないが、二番目には驚く事である。一番驚くことは、常に知っている自らの肉体の外にいても生きていると、ほとんど唖然としながら悟る事である。


 この意識的に離脱してから――自らの死んだような抜け殻を見ると――それが事実であると受け入れるには驚きが強すぎて、ほとんどエクスタシー状態へと投げ込む。この最初の驚くべき認識から回復してから、第二の見える奇跡は、制御する知性の機敏な働きである。


心が働く様々な方法


 では次に、アストラル体が離脱する始めからコードの活動範囲の終わりまで、それからコードの活動範囲外までに心が働く様々な方法について考慮するとしよう。


 まず最初に、深い睡眠でストレス――欲望や習慣による――が通常の潜在意識の心の表面に浮かび上がり起きる意図的、あるいは非意図的な離脱について考慮しよう。この「ストレス」は無意識の心、私が隠れた意識の心と呼ぶ部分により働く。つまり、無意識の心が自らの内側で働く。


 隠れた意識の心は、このストレス、この問題について考え始めて、推論のプロセスによって、このストレスを取り除いたり減らしたりする方法を決め、それにより通常の潜在意識がアストラル体を離脱させ、このストレスを満たすべく働かせる。


 この隠れた意識の心は夜に我々が寝ている間にこれらを行っているように思える。なぜなら我々が昼間に起きている間には表層意識がそれに介入すると、隠れた意識の心は知っているからだ。つまり、隠れた意識の心は表層意識が多くの場合で、これらのストレスが働くのを縛ったり防いだりし、そのため我々が無意識にある間は容易になると気づいている。いずれにせよ、隠れた意識の心は微細な「力」を制御し、導き、離脱を起こす。


 アストラル体が離脱している間、離脱者の意識は以下のいずれかのようになる。


 1. 無意識のままにある! この状態では、隠れた意識の意志は、アストラル体の動き全体を支配しており、アストラル界のあちこちへと動かし、習慣を行ったり欲望を満たしたりする。


 2. 意識があり、その表層意識の意志が、アストラル体の内外の動きの制御に影響を与える。だが離脱者は霊体の離脱や再合一のルートを変化するよう、制御する知性に影響を与える事は出来ない。この活動――霊体が旅をするルート――は常に安定している。


 例えば離脱者が意識がある(そして空中で横たわっている)時に上昇するように示唆をしたら、制御する知性はその示唆に反応して、アストラル体をさらに上昇させるだろう。あるいは、立った姿勢にある時にまた水平になるように示唆をしたら、そのようになるだろう。


 そのため、離脱者は「時には」コードの活動範囲内であったとしても、隠れた意識の心を制御している。実際、これはほとんどの場合事実である。


 3. また時には、離脱者に意識があるものの、意識的な示唆によって隠れた意識の心に影響を全く与えられない事もある。これは隠れた意識の心が自らによる非常に決意をした意志を持つ時に起きる。この場合の最良の行いは、それが選んだ行為を行うに任せる事である。実際問題、いずれにせよ何も防ぐ事は出来ない。隠れた意識の心が他の意識から独立して、自らにより離脱を「作り上げ」――ほとんど自動的な離脱である――たならば、離脱者に意識があったとしても、コードの活動範囲の終わりまで、場合によってはそれを超えてからも、隠れた意識の意志の完全な制御下にある。


 だが一般的に、コードの活動範囲の末端に到達したら、離脱者は通常は選択の力を与えられ、望むように体を動かせるようになる。だが内なる力はいつでも介入することが出来る。これについて、コードの活動範囲の外でもこの精神はどのように働くかについて述べるとしよう。


 ではコードの活動範囲の外側に離脱者がいて意識があると仮定しよう。言い方を変えれば、離脱者はアストラル体の中で通常の意識にあり、彼の体は表層意識の心の完全な制御下にあり、肉体で常に行っていたように歩くことができる(あなたはこれを、通常の旅する速度だと思い出すだろう)。そして次に離脱者は隣の家へと行きたいと望むが、そのために足を動かす努力をしたりはせず、即座に前進し始めて――あらゆる物が自分の側へと近づいて来て、通り抜けて、通り過ぎていくように見える。離脱者には意識があり、何を行っているかに気づいているが、自らの足の動力を用いたりはしない。これは中間の旅する速度であり、コードの活動範囲内で離脱者が制御する知性に示唆をして反応される状態と類似している。


 次に、離脱者が10マイルほど離れた友人の家に行きたいと望んだら、即座に自らがそこにいるのに気づく事もある。これは超現実的な旅する速度であり、この時には常に無意識にある。この友人の家に到着したら、離脱者は望むように、通常のように歩いたり、中間の速度で移動したりできる。私がこれらを述べたのは、我々の内なる心がアストラル体の離脱の間に、いつでもそれぞれ介入するやり方を単に示すためである。またアストラル界に住む霊らにも、これらは事実である。また以下で述べる体験も、これらを示している。またこの体験は、私が得たものの中でも最も非現実的なものの1つであった。


超意識による離脱


 私はこの体験を「超意識にある離脱」と呼ぶが、その理由については、あなたもこれを読んだ時には明らかとなるだろう。それは1924年の夏、ある奇妙な月光の夜の事で、周囲の景色はこの奇妙な光に包まれていた。私は夕食後少ししてから家を出て、村へと向かった。その夜には何も興味深い事はないように思え、言葉に出来ないような孤独な感覚があった。


 ある道を、それから別の道をと私はしばらく歩いていて、やがてはあるガレージの前にあったベンチに座った。そこで私はしばらく人生の「道や理由」について呆然と考えていて、上空の月から放たれる光を何度も見上げて、それらが全くわからない自分自身に怒りを覚えた。やがては嫌気とともに私は家へと帰り、自分の部屋に戻ると扉を閉めて、ベッドに飛び込んだ。


 外では雨が降っていたが、すぐに私は冷たい風のようなものが自分の中を通り抜けるのを感じて、我が腕や足は鈍くなっていくように感じた*1。私は手を動かして尻を少しつねったが、何の感触も無かった。次には腕でもやってみたが、これも感覚が無いように思えた。この時にはたとえ針を私の肉に刺しても、何の感触も無かっただろうと私は確信している。


 すぐに私は動くことが出来なくなった。私の動力は今では私を去り、私は(意識があって)この状態で数分ほど横たわっていた。それは非常に不快な状態であった事は否めない。私は意識があったが、見たり、聴いたり、感じたり、動いたり出来ないのだ。私は意識のみが自分に取り残されているように感じた。だがそれは私には未知の体験ではなく、これから何が起きるかを知っていたので、私は心を静かに落ち着かせて、我がアストラル体の別の意識的な離脱に備えた。


 私は空中へと(アストラル体で)浮かび上がり、それから10フィート(約3メートル)ほど外側へと移動した。そこで私の視覚は再び機能を取り戻した。このような時によくあるように、最初は全てのものは曖昧に見えて、部屋は半透明の蒸気か白い雲に満ちているように見えた。それは半透明のガラス窓を通じて曖昧になった外の景色を見るようなものである。だがこの状態は一時的なものである――事実上全ての意識的な離脱で、一般的に1分ほどで終わる。


 そのため今はアストラル体で私は通常のように見る事ができた。ここから私は制御する知性によって立った姿勢へと移動させられ、両足は部屋の床へと触れた。また前に何度も述べたように、コードの働きを通じての揺れる感触もあった。そしてコードの活動範囲外へと出ると、私は再び自由で通常の状態となり、家の中を短い間歩き回ってから、家の外の道路へと向かった。


 私が道へと出るとすぐに、目の回るような感触があって、気が付くと自分が見知らぬ家の中にいるのを知った。私は自分が超速度で旅をした事にすぐに気づいたが、なぜそうしたのかは分からなかった。そのため私は周囲を見渡して、ふと内なる知性が何らかの目的で自分をここに飛ばしたのかと訝った。部屋の中には4人の人物がいて、その1人は17歳ほどの娘だった。


 だが私はまだ自分がここにいる理由が分からなかった。アストラル体で離脱している間に自らの表層意識の意志を用いなかったならば、潜在意識の意志が体を制御するのを体験上知っていたので、このように起きたのではないかと考えた。「自分がここにいる理由について考えたり探したりはしまい。単に隠れた意識の心がここに移動させたのに過ぎないのだろう」と。そのため、私は心をリラックスさせ、この奇妙な場所、奇妙な人々の間に私を連れて来た理由について考えを向ける事にした。


 私がそう決めるとすぐに、私の体は自分の側では何の努力もせずに、若い婦人の前へと移動した――ちなみに、この婦人は黒いドレスに縫い物をしていた。なおも私は自分がここにいる理由について分からず、再び部屋を見渡して、そこにある様々な物を心に留めた。だが私は自分の家――それがどこにあるにせよ――に帰る事しか望まずにいた。私が知る限り、この飛行には何の目的も無い様だったからである。


 私が肉体へと戻ろうとする直前に、この場所の内外を最後に一瞥し、そこは農家だったのを見た。即座に私は自分の部屋へと再び戻り、まだベッドで横たわっている自分の肉体を見下ろした。離脱した際には常に少し慎重にしているように、私は肉体へと戻ると単に意識するのみで戻る事に決めた(実際、肉体に近づきすぎたら、再合一を防ぐ困難もあるからである)。


 それから6週間が過ぎ、私はほとんどこの体験を忘れていた。それは他の遠い距離への離脱とあまり変わらなかったからである。だがある午後の日に、私が家へと戻ろうとした時に、ある娘が運転していた車から出て、隣の家に入って行くのを見た。即座に私は彼女が、6週間前の夜にアストラル体で離脱していた際に農家で見た、若い婦人であるのに気づいた。


 私の好奇心はすぐに湧いてきた。私はその家の前をぶらぶらと歩きつつ、彼女が出てくるのを待った。私は彼女がそこに住んでいないのを知っていたからだ。やがては彼女は家から出てきて、自らの車へと歩いて行ったが、私は彼女に話しかける時間を無駄にする事なく、ほとんど遠慮なしに言った。「すみません、あなたはどこに住んでいますか?」


 それに対して彼女は「そんな事あなたには関係ありませんですわ」と答えた。彼女は勿論、私が無遠慮で失礼な奴だと考えていた。


 だが私は彼女と話すのには成功し、その間に私は彼女に以前見た事があり、彼女の家も知っていると述べ、その説明すらもした。その結果、彼女は私がそこに「いた」と確信させた。私の説明は完璧なものだったので、それを聞くと彼女は心を許して、より自由に語るようになり、私にこれら全てを語ったのは誰かと不思議がり、私が彼女が住んでいる場所を知らないのに、どうしてそうも詳しいのですかと尋ねた。


 そしてこれが出会いの始まりだった! 私は彼女を好むようになっていった。それから彼女と何度も会うようになり、私の家から15マイルほど離れた場所にあった彼女の家も見た(意識的な離脱で見た時と同じであった)。私は彼女に、アストラル体投射は可能であると納得させすらした。彼女は自分の部屋へと離脱した私を見たりもしたからである(まさに先の章での実験で述べた彼女の事である)。彼女は今では事実、私の親友となっていて、離脱の多くの実験を彼女と共に行っている。


自動的な離脱


 私は「自発的な離脱」は存在しないと以前に述べているものの、隠れた意識の心が刺激される事なくアストラル体投射を起こす事があるのも事実である。これは「隠された心の自動的な離脱」と名付けられるだろうが、自発的な離脱と考えられるものでは全くなく、外側の示唆無しに表層意識の心が考えた行動と何ら変わりがない。


 そのような離脱が起きた際には、我々のこの内なる知性が意図的な離脱での表層意識の心のように働くのは興味深い。我々が意図的な離脱を引き起こした際には、肉体の受動性が非常に重要な要素であるのを知っており、心拍の制御によってそれを引き起こす。またそうする事で、我々は「冷たい波」が自分を通り抜けるのを感じて、無感覚となる事が多い。


 そして隠れた意識が自動的に起こすアストラル体投射で、始まりから意識がある場合、その最初の明白な症状の1つは、この「冷たい波」であり、それから四肢が鈍くなり(感覚の離脱)、痛みを感じないまでになる。


 次には、離脱者はこの内なる力が彼から動力を奪っているのに気づくだろう。これは意図的に引き起こす「無能力」と似ていないだろうか? アストラル体を離脱させる際には、我々は意図的に肉体の完全な受動的な状態を作り出すが、それは隠れた意識の心が作り出すものと似ていなくも無い。


 だがアストラル体の離脱のプロセスの間での心の働きについて私がこれまで述べてきた全ての事は、不変の真実という訳では無く、実際問題、心の様々な部分は概ねお互いに影響を与えていて、独立して働く事もあれば、共同して働く事もある。


 心の様々な部分がどう働くかを、たとえ研究と体験によって、これらの不可解な領域での多くの重要な働きを知ったとしても、「正確に」述べるのはほとんど不可能だろう。


 たとえ一つの意識的な離脱のみでも経験したら、その人は隠れた意識の心の上位性を確信するだろう。だが、この心がある時には完全に制御していたとしても、別の時には他の心からの印象によって影響されるのも気付くだろう。それらを完全に説明すると、


 1. 隠れた意識の心はアストラル体の隠れた意識の自動的な離脱を起こす事ができ、離脱者はこの時には無意識である――制御する力はアストラル体を望むように動かし、他の外側の印象から独立している。


 2. 隠れた意識の心は通常の潜在意識の心からの「ストレス」により働く。この心はアストラル体を離脱させ、通常の潜在意識の印象により影響される。これはよくある事である。


 3. 隠れた意識の心は表層意識からの示唆を直接受け取り、アストラル体の離脱を起こす。これはよくある事ではないが、時には、特に受動的な意識の意志を用いる事により可能である。


 4. 隠れた意識の心はアストラル体を制御下に置いて(離脱者はこの時には意識がある)、表層意識からの示唆を受け取ったり、それを無視したりする。


 5. 隠れた意識の心はアストラル体を制御下に置いて(離脱者はこの時には意識がある)、通常の潜在意識の心からの示唆――習慣の「ストレス」として――を受け取る。そのため、もしこの心が表層意識からの示唆を拒否し、通常の潜在意識からの示唆に注意を向けるならば、離脱者はたとえ意識があっても、――ストレスとしてあった――その習慣を行おうとしたり、欲望を満たそうとする(彷徨う霊はこの状態にある事が多い)。


 これらの内容はあなたに、この「心」が働く多くの違ったやり方を知らせるだろう。だが一般的に、意識のある離脱のほとんどの場合では、自らの表層意識の意志が、制御する力に影響を与えられるだろう。事実、この制御する力は通常は離脱した後には離脱者を自由にする。だが無意識での離脱の場合は、我々は何が起きているのかに気づいていないので、何の違いがあるだろうか? この隠れた意識の心は疑いなく、すぐに私が述べるつもりの多くのサイキック現象の原因である。その前にまず私に、別の体験について引用させてほしい。


死の床でのアストラル体の離脱

アンドニュー ジャクソン デイヴィスの霊視による


アストラル体投射 13-2
↑ アストラル体投射


*1 マルドゥーン注。この冷たい風や鈍い感触は非意図的な離脱の前によく起き、これらは隠された意志が起こす「無能力」の一種である。