アストラル体投射 12

ページ名:アストラル体投射 12

第12章


意識的な離脱は稀である


 アストラル体の離脱者が、その始まりから終わりまで「完全に」意識を持っている体験をする事は稀である。私はこれが、自分自身の体験からだけではなく、私が本で読んだ離脱者らの体験からも事実だと知っている。アストラル体投射のほとんどの場合、離脱者は自らが肉体の外にある新しい体にいるのに気づく所から始まる。つまり、離脱者は肉体からある程度の距離、すなわちコードの活動範囲外へと離脱するまで意識を取り戻さない。


 一部の離脱者らは、どのようにそこに行くかを知っていると主張している。他の離脱者らは、なぜそこにいるのかわからないと率直に認めている。だが一つだけ私が常に疑問に思う事がある。どのように行うか知っている、本当にこのプロセスを「理解」している離脱者らは、なぜそれを公表しないのだろうか? 私はこのプロセスを何年も理解しており、オカルトの全ての学徒も概ね理解していると思っていた。


 だが、この主題について書かれた本に注意を向けると、このプロセスは結局のところ一般的に理解されていない事に気づいた。ひとたびアストラル体を離脱させたならば、人々に何が起きたかを語るのは容易である。だが、何が離脱の原因となったかを語るのは別の問題である。


 この「危険な」知識を広めると、「破滅的な結果」となるため、ほとんどの達人らがするように、「私はこの実際に分離するプロセスを明かしはしまい」と言うのは容易である。だが、これらの賢者らが誰も離脱の詳細なプロセスについて述べないのは、彼らがこの情報に含まれている危険について心配しているからではなく、単に知らないからだと私は結論付けた。


 彼らはアストラル体の離脱を促進する特別な実践については知るが、これらの実践が「なぜ」望む結果を生み出すかは知らない。彼らは肉体の外で目覚めた体験はあるが、なぜかは知らない。そして彼らはそれは「才能」だとか「自発的」に起きると述べる。そして意識的な離脱の話のほとんどは、アストラル体が肉体から離脱した後に始まっている事は、初めから終わりまでの完全に意識のある離脱は極めて稀であるのを指し示している。


 そして実際、完全に意識のある離脱は稀である。私は先に述べたと信じているが、ほとんどの場合で、既に離脱した後に意識を取り戻している。そしてこれは、意識を取り戻すもっとも望ましい方法でもある。初めから意識があったら、離脱者はコードの活動範囲内で起きる特定の不快な働きも体験するからだ。


 だが私はそのような(ごく最初から意識のある)離脱を何度かは起こしており、意図せずにしたこのタイプの離脱も何度か体験している。あなたは、私の最初の離脱の体験は始めから意識のあった事を思い出すだろう。


 このタイプの離脱が起きる時はいつも、睡眠に入ってから何時間か経ってからである事に私は気づいた。私は通常は午前1時から4時頃に目を覚まして、私が再び眠りに入ると共にアストラル体は「起き上がり」始める。だが別の場合には(先に述べた最初の体験の時のように)、離脱は眠りから起きようとする頃から始まっている。


 これらのそれぞれで何が起きるかを要約すると――(1)眠りから覚めようとしている時の状態、(2)眠りに入ろうとする時の状態――である。


 先に述べた私の最初の体験は、眠りに入った後の睡眠状態で起きた意識的な離脱の例である。離脱者はゆっくりと目覚め始め、自分がどこにいるのかを知らないものの、どこかに「いる」事は意識する。あなたが両眼を閉じて、両耳を塞いだら、離脱が「起こる」直前の状態について幾らかは知るだろう。


 意識はやや強く取り戻していき、まだ見たり聴いたりはできないものの、自分がベッドに横たわっていると気づく。また後頭部で振動があるのもはっきりと認識するだろう。これは心拍と同調している。これはごく最初に気づく事で、自分がベッドで横たわっていると理解する前にすら認識する。


 また離脱者は自分が動けない事にも気づく。そして離脱者がアストラル体の離脱を望むならば、肉体を動かそうと望んではならず、空中へと浮かぶと考えなくてはならない。だが努力して試みる事で、空中へと浮かぶ事は出来ないだろう。それは実際には肉体へと戻す力が介入するだろうからだ。この時には、静かに横たわり、感情を持たずに、上へと浮かぶと考えるだけに留めるようにする。


 最初、離脱者は1トンの重みがあり、ベッドに縛り付けられているかのように感じるだろう。だがやがてはこの自らを縛り付けていたものは取り払われて、自らがアンカーを取り払った気球となったように感じて、上へと浮かんでいく。そして浮かんでいる感触が起きるが、それはアストラル体が「実際に」浮かんでいるからである。この時に離脱者は、完全に静かな心で横たわり、この浮かぶ感触を楽しみ、上と外へと移動する事のみを考えるようにする。


 一般的にコードの活動範囲外へと移動するまで、離脱者は強硬症にあるが、時には(アストラル体が浮かんでから)コードの活動範囲内でも強硬症から解放される事もある。だがアストラル体が水平の姿勢の時には強硬症から解放される事はない――離脱者は水平の姿勢から解放されずに留まるだろう。


 またコードの活動範囲内の全ての間で、離脱者は後頭部に心拍を感じるだろう。それは何らかの形で常にあり、また先の章で述べた奇妙な諸現象も、コードの活動範囲内では起きるだろう。だがひとたびコードの活動範囲外へと出ると、霊体は自由となり、説明出来ないような機敏さと高揚感を持つだろう。


 そして意識的な離脱を体験したほとんどの人々は、この辺りで最初に意識を取り戻している。そのほとんどの内容は、「ひとたび私が肉体の外へと出ると、説明出来ないような自由な感覚を味わう」といったものである。ここが意識を取り戻すのに、もっとも望ましい場所だろうか? 確実にそうである! このような活力のあり、完全な自由な感覚とともにアストラル体の離脱をした場合、不快な要素は何も無い。


 だが、第二の入眠状態(眠りから目を覚まそうとする時期)に意識的な離脱をした場合、離脱者は2つの体の分離を感じるだろう。だが第一の入眠状態(眠りに入ろうとする時期)に離脱が起きたら、アストラル体の上昇は容易なので、離脱者は上昇している事にほとんど気づかず、やがて突然に自分が外にいると気付く。聴覚を最初に取り戻した時には、音は遠くからするように感じる。そして目が最初に見えるようになると、全てはぼやけて白っぽく見える。そして音がはっきりと聞こえるようになると共に、視覚も徐々に明白になっていく。また離脱した直後に、霊体が通過するとともに意識がある程度失われていく場所もあり、それから通常に再び戻る。


 私は毎回、この場所を体験している。アストラル体が肉体を離れるとともに、意識はすぐに鈍くなり、それから再びはっきりとしてくる。これは電球を点けたら、まず鈍くなり、それから輝くのに似ている。この場所は意識を保つのが最も難しく、そこは肉体に密接していて、静けさの領域の中にある事を忘れないでほしい。


 アストラル体の完全な意識的な離脱を行うのは、非常に微細で困難であり、肉体が最も深い「無能力」の状態にあり、感情が絶対的に静寂でない限りは、通常はその試みは失敗する。


 そのような場合、潜在意識の「ストレス」は不要である。潜在意識の意志は表層意識からの直接的な上昇の示唆を受け取るからである。一般的に離脱者が数時間寝てからでしか、このような完全に意識のある離脱が起きない理由は、肉体をより大きく「無能力」にしなくてはならないからである。


 夜中に突然にいわゆる「夜の麻痺(金縛り)」が起きる事は珍しくは無いが、これは実際にはアストラル体の強硬症であり、アストラル体の離脱をするには最良の機会である。この時には適切な示唆と感情の静けさのみで行えるからである。


 私は完全な意識のあるアストラル体投射は、数時間ほど寝てから、場合によっては夜の間ずっと寝ていて、朝の7、8時頃に起きる事に気づいた。これらでは一般的に、毎朝ほとんど同じ時間、6時や8時に突然かつ定期的に起きて、アストラル体の離脱の体験をしていた。


 6回ほどは2時頃に私は突然に起きて、15分ほど横たわったまま目覚めていて、それから再び眠りに入っていた。またこの時にアストラル体投射の体験をしていた事もある。この場合、時には眠りから目覚めて、時には再び眠りへと入っていた。


受動的な意志


 あなたは何かを得たり行う激しい望みを持ち、真夜中に定期的に起きて、その事以外は考えられなかった体験はないだろうか? そして、これらを体験した後に、望みが果たされた事が多いのではないか? この事について考えてみると、あなたの望みを果たすために、自分の中のある何らかの影響力があなたを目覚めさせたと思えないだろうか?


 これは私には常に現れている。そして3回の違った機会で、私が強く望んで、私の日常の意識では絶対的に到達不能と考えていた事が達成された事がある。あなたもこれらを分析すると、最も不可能な事と思えるものも、真夜中に目覚めて、それらについて考えるならば、昼間の考えでは行えるとは決して思えなかった事も行ったり得たりできるであろう。それらについては、以下の例を参考にしてほしい。


 ブラウン氏は収入を増やしたいと望んでいた。氏はしばらくこの望みがあったが、上司に給料を上げてくださいと尋ねるのは躊躇っていた。そして深夜にブラウン氏は「もっと金を」という考えと共に目を覚ました。完全に意識のあるまま、氏はそこで横たわり、上司の元へと向かって、「重要な事があります」と言い、あれこれをなそうと自己に言い聞かせた。だが翌日の朝には、この強い意志、この強い決断はどこかへ消え去っていた。


 そしてブラウン氏は昨夜に眠いものの意識があった時に、この決意をした事を思い起こし、なんと馬鹿げた事を考えたものかと思った。だが次の夜中にもブラウン氏はまた目を覚まして、同じ事――もっと金を、と考えていた。そして、そこで横たわりつつ――意識がありつつも静かで眠気がある――この強い意志があった。それは昼間にはほとんど馬鹿げているように思えたが、上司に「重要な事があります」と言って、もっと金を要求するという意図は、この時も完全に正気で理性的であるように思えた。


 我々全てにこのような体験はあるだろう。我々は深夜にふと目を覚まして、物事を考え、計画し、何かを得ようと決意する。そして翌朝に思い返すと、これらの決意は極端で、空想的で、意志を遠くへと向けすぎているように思える! この夜の想像(意識的な想像)でリアリティーの「神経」を持っていたとしたら、我々は果たしてこうも勇敢であったろうか?


 あなたは先の章で、意志とは行動を定め、我々に何かを――精神的に――なし、ある事に注意を向けて、残りの全てを背後に退かせるものだと学んでいる。そしていわば、「受動的な意志」と「能動的な意志」の2つがある。そして受動的な意志はより強く、より決意があり、我々が深夜に目を覚まして、空想的な事を計画する時の意志である。私はこれを受動的な意志と呼ぶが、それはこの意志を用いる時には、受動的な状態にあるからで、夜にこれらを意志する時には、意識があるが眠い――受動的だからだ。


 そして昼間に概ね用いている意志は、「能動的な意志」と呼ぶが、その時には我々の肉体と精神は能動的だからである。昼間に用いる意志は、昨夜の受動的な意志の決意や思考を思い起こす意志であり、それらは今では極端すぎると考える。


 受動的な意志は想像的な意志であるが、決意をなしており、その意志は極端である。にもかかわらず、受動的な意志が働いている時には、その人は堅固に確信していて、その根拠は理性的なように思える。では今度は受動的な意志と能動的な意志の別の例も出すとしよう。それら全てはこれから知るように、アストラル体投射をなすには重要だからである。


 私が思い出すに、まだ小さな子供だった頃、私の兄は10ゲージのショットガンを持っていた。私は友達らに、この銃を撃ったら、その「反動」がどうだったかなどを語りたいと常に望んでいた。ある日、私の隣の家にいた子供が、もし私がこの銃を撃ったら、反動で君は倒れるよと語り、試みる「勇気」はあるかと言った。私はこの銃を扱える能力があると述べたかったが、私の中でもしこの銃を撃ったら、倒れるのではないかと恐れていた。


 何夜も私は夜中に目を覚まして、この大きな銃を撃つ事を考え、横たわったまま、この行いをすると決意した。私が自らこれを行い、隣の家の少年がそれを羨ましげに見ているのを想像した。この夜にて10ゲージの銃を撃つのは完全に理性的に思えて、何度も「ぼくは撃とう」と呟いた。


 だが翌日になって、この銃を見ると、私の受動的な意志、想像的な意志の決意――昨夜には理性的に思えた決意――は、馬鹿げていて、空想的とすら思えた。もっとも今なら、受動的な状態で同じ決意をする意志、同じ極端な意志があったならば、私がこの銃を撃つことに何のためらいも無かっただろう。


 勿論、能動的な意志と受動的な意志は、互いに結び付いていると言えよう。だがここでの目的のために、区別される受動的な意志、想像的な意志と、区別される能動的な意志――両方とも意識的である――があると仮定しよう。


 だがあなたは勿論、この受動的な意志は夜の間に起きた時にしか現れないと見做すべきではない。この想像的な意志は意識がある時にはいつでも働けるからだ。また能動的な意志と受動的な意志は同時に働くこともある。つまり、能動的な意志により導かれた行動をしつつも、同じ時に受動的な意志は何か別の事を望むのである。


受動的な意志の方法により離脱をする


 我々が白昼夢にある時には、この受動的な意志を用いる事が多い。我々は想像をしつつも意志をしない事もできる。また、想像無しに意志する事もできる。だが、我々が極端に想像をし、深夜に目覚めて何かを行う事を考え、それは昼間には馬鹿げているように思えるが、その時には完全に理性的に思える。そしてあなたが「これをしよう」や「あれをしよう」と自らの想像力に語りかけるなら――あなたは自らの潜在意識の心に超強力な印象を与える。


 あなたが、何をすべきかの示唆に真剣であり、行おうとする意図の働きが極端ならば、潜在意識の心に植え付けられた印象は、それらに比例して強力となる。潜在意識の心は、それらの示唆がどこから来るかに関わらず真剣に受け取る事を思い出してほしい。そのため、自らが望む事に受動的な意志――想像的な意志、極端な意志、決意のある意志――を用いるならば、潜在意識の心は決意があり、極端な示唆を受け取る。これは能動的な意志からは受け取れないであろう類の示唆である。


 おそらくあなたはこう言うだろう。「あなたは私に何を信じさせようとするのか? 単にできると想像する事で離脱できるのか?」


 ある意味では、それはあなたが考えるよりも事実である。だが私は、想像力によってのみアストラル体投射ができると主張するつもりはない。そうではなく、受動的な意志、想像的な意志がアストラル体投射を起こせると主張する。潜在意識の心は全ての示唆を選択無しに受け取るので、受動的な意志――極端な意志――からの示唆も、問題無く受け入れるだろう。


 では上司にもっと給料を上げて欲しいと望んでいたブラウン氏の例に戻って考えてみよう。ブラウン氏が深夜に横たわっていて、受動的な意志の影響下で、自らの望みについて考え、自らの上司のところへ行き、高い給料を要求するとイメージする。これら全ての間、想像的な意志の下で、ブラウン氏はこれは理性的だと考え、この時には熱心に「あれをしよう」や「これをしよう」と言ったりすらするだろう。氏の潜在意識の心は同様に影響されて、この極端な決意の「ストレス」は大きなものとなる。


 そしてブラウン氏がこの極端な意志を用いるのを続け、望む事の想像をし続けたとしたら、示唆を受け取った潜在意識の心は、昼間でもそれらを保持し続けるだろう。そしてブラウン氏の表層意識が「眠る」事になっても、潜在意識はこの受動的な意志のストレスを保ち続けるだろう。


 そして、これこそがアストラル体投射を生み出すためのあなたの作業の基となる原理である。つまり、夜中に起きて、離脱したいという受動的な意志の下で再び眠りに入り、この極端で決意のある意志はなおもあなたの心の中に留まるだろう。


 私は先に、意識のある離脱の前に、夜中の2時にいつも起きていた事を述べた。毎回私が起きるたびに、私の内側にある何らかの力が、それにより私がアストラル体の投射について考え望むようにと、意図的に起こしているように思えた。この時には離脱に関して一見して不可能と思える事を想像し、それでいてこの受動性の状態では、それらは全く可能であるように思えて、私はよく「私は始めから完全に意識のある離脱をする。以前に自発的に起きたが、今それを再び行える。私はあれこれの場所へと行く」などを言って、我が想像力には常に完全に理性的であるとして受け入れるようにしていた。


 だがやがては、私は告白するが、我が意志に「私は始めから完全に意識のある離脱をできるだろう。私はあれこれの場所へ行けるだろう」と修正し、私は先にそれらを行えたとしても、意図的に再び行えるかに疑いがあった。だがやがては受動的な意志、想像的な意志はより強い意志であり、その時には理性的に思えた、これらの真剣で極端な想像は、我が受動的な意志が強制的になすように、潜在意識の心に根付くと私に気づかせた。そしてこれにより、最初の意識的なアストラル体投射を行う事ができた。


 私は何日も深夜2時に起きて、それから意識的な離脱をしていた事や、起きている時に離脱の事のみを考え続けていたが、それでも完全な意識的な離脱の真の原因は何年も知らずにいた。


 だが私は今では、この夜に起きた時に受動的な意志を用いて、既に心にあった離脱への欲望を超活性化させたと知っている。確かに、欲望そのものは既にあり、離脱への我が知識と欲望により活性化され、その欲望のストレスが私を深夜に起こしていたが、このストレスに受動的な意志を用いて、それを超活性化させ、後には始めからの意識のある離脱を起こしたのである。それから毎夜に起きた時から完全に意識のある離脱が始まったのだ。


 実際問題、欲望の「ストレス」があなたを夜に起こすほどに充分に強いなら、受動的な意志によって超活性化させずともアストラル体を離脱させるだろう。だが毎夜に起きて、受動的な意志をこのストレス、欲望に用いて、実際にこのストレスを超活性化させるなら、初めから――眠りから覚める時からや、再び眠る時から――意識のある離脱を引き起こすだろう。


 心のこのストレスが強くなったら、以下の3つのいずれかを行う。(1)眠っている者を起こす。(2)夢遊病にする。(3)アストラル体を離脱させる。このストレスがあなたを深夜に起こすなら、あなたの受動的な意志をこれに用いることができ、より強くこれまで以上に活性化させる事で、別の夜の時には意識が無い時に潜在意識の意志がアストラル体を動かし、やがて意識を取り戻すだろう。それはアストラル体を離脱させた直後だったり、ある程度の距離を既に離脱した後だったりであろう。


 ここであえて宣言するが、アストラル体を離脱させる受動的な意志、想像的な意志は、離脱の大きな秘密の1つである。あなたが望むならば、これは単なる想像力のプロセスと呼んでもよい。だが、これは単なる想像力ではなく、想像力「プラス」その想像を実行する意志である。


 あなたは受動的な意志を強制する事はできない。あなたが受動的な意志に何かを強制しようとすると、それは能動的な意志となる。あなたは単に離脱の欲望を充分に強くする事で、それは受動的な意志を作り出し、その意志は今度は欲望のストレスを作り出し、潜在意識の心にあなたが想像する離脱のヴィジョンは完全に理性的で可能であると確信させる。


 昼間には、おそらくは能動的な意志の下で、あなたは自らが離脱するのを考えるが、それが出来るかに疑いがあろう。だが夜に目を覚まして、自らが離脱するのを想像したら、あなたは出来るという信念があるだろう――それは私が深夜に起きた時には自分がショットガンを撃てるという信念があったが、昼間の能動的な意志の下になると疑いを持ったようにである。深夜に起きて、意識があるが眠気がある時の、この決断する意志、極端な意志は、アストラル体を離脱させる意志である。結果を得るためにそれを用いるのだ!


 特定の時間――たとえば深夜の3時――に起きるように試み、あなたの離脱への欲望が充分に強いならば、あなたの想像の意志はその欲望を叶えるだろう。意志を強制しようと「努めて」はいけない。ただこの離脱への意志と想像力に自ら行うに任せて、このプロセスの間に再び眠るのだ。これを毎夜続けていたら、すぐにこの時に奇妙な事が起き始めるだろう!


アストラル体投射 12-2
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