アストラル体投射 7

ページ名:アストラル体投射 7

第7章


どこでアストラルの「力の線」が、2つの体と繋がっているのか


 この主題についての探究が示すのは、アストラルの「力の線」が、2つの体と接する場所について、権威者らの意見に対立があるように思える。私が知る、少なくとも私が知る限りにおいては、多くの条件が含まれ、この主題の様々で混ざり合った観察があるので、自然と実験が到達する結論は他者のものとは違ってくる。


 ある権威者はアストラル コードは肉体の胃の背後に位置する太陽神経叢と繋がっていると述べている。別の者は、額の下部の目の間にあるという意見を保持している。さらに別の者ら(そして、彼らは多数派に思える)は、接する点は延髄にあるという信念を保持している。私は最後の意見が真実であり、その証拠は他の全ての証拠を超えていると信じている。


 全ての主張が正当とするならば、矛盾はこれらの主張者らの意見の間にのみある。実際、ケーブルは体の様々な生命の諸センターのどの部分からも拡張する事ができる。斯界の並ぶ者無きある権威者、その言葉に重みがある方は、アストラル コードは肉体の太陽神経叢と接していると固く信じている。だがこれが事実だとしたら、どこでそれはアストラル体と繋がっているのだろうか? 離脱したアストラル体の太陽神経叢とも繋がっているのか? もしそうならば確実に、意識のある離脱者は、コードの活動範囲内で自らが扱いにくい状態にあるのを見い出していただろう!


 我が体験が明らかにしているのは、私はケーブルが肉体の太陽神経叢と繋がっているのを見た事も無いが、頭の前面、側面、背面にあるのを「観察」している。だが私には、このアストラル コードのもう片方の末端は、霊体の延髄の部分に常に接している。私が思うに、太陽神経叢で接しているという実験者は、そのように示唆して開発していったのではなかろうか。


霊体はどのように合一するか

霊体が離脱してコードの活動範囲内にいて、否定的な要素(感情、騒音)が起きたら、

霊体は「後ろ向き」で空中に水平の姿勢へと引かれ、肉体の直上に来てから降りていく


 またアストラル ケーブルが肉体の頭の様々な場所で繋がっている理由も、離脱した時の肉体の頭の位置からであろう。アストラル体と肉体が合一している際に、肉体が横たわっていると、アストラル体も横たわっている。肉体が水平の姿勢で仰向け(上向き)ならば、アストラル体も仰向けになっている。その時にはアストラル ケーブルは肉体の額、目の間から伸びていて、霊体の後頭部――延髄の場所へと繋がっている。さらに付け加えるに、これは離脱にとって理想的な姿勢である。


 一方で肉体が水平に横たわりつつも、うつ伏せ(下向き)の姿勢ならば、アストラル体は下向きで離脱する。その場合、アストラル ケーブルは肉体の延髄から直接にアストラル体の頭頂を巡ってから、その延髄へと繋がる。この姿勢で離脱した時に意識があるならば、アストラル コードがアストラル体の自らの頭を巡っているのを感じるだろう。それは柔らかいホースのような触感があり、規則的に鼓動している。私は何年か前に、これらを示している以下のような体験をしている。


空中で旋回する


 この体験で私が最初に感じたのは、我が頭が下へと降りていき、顎が胸につくまでになって、何かが頭頂部と後頭部で打つ感覚があった。その直後に私はアストラル体で意識を取り戻して、我が頭が下へと向いていて、我が顎は胸に付けられていた事である。


 頭を打つものは、アストラル ケーブルの振動によるものだった。この状態のまま私は空中の天井近くに横たわっていた。私は動くことができず、抑えつけられている感じがした。私の肉体はうつ伏せに横たわっていて、アストラル体も同様であった。そしてアストラルの「力の線」が我が頭を下へと引いていて、それが我が頭頂から下へと降りているのを感じていた。それは庭のホースのような感触があり、我がアストラル体の後頭部に繋がっていて、頭を引っ張り、胸へと付けるようにしていた。そして常に鼓動を感じた。


 この体験により、アストラル ケーブルは常にアストラル体の「延髄」に繋がっていると私に結論付けた。他の場所に繋がるために、これ以上に良い機会はないだろうからだ。ここで繋がっていた場所は、その理想的な状況では無かったからだ!


 しばらく私はこの姿勢のままにあったが、やがて自らの体が旋回しているのに気づいた。私は自らの頭が体からねじられると考えた! この「旋回」の動きは続いていき、やがて私は仰向けの姿勢にあるのに気づいた。ひとたびこの姿勢となると、制御している力は私を立った姿勢にするため、外側と下へと移動させ始めた。なぜ支配する知性は、離脱を完成させる前に私を空中で仰向けにする必要があると考えたかは、私は知らない。


 肉体と再合一する際にも、同じプロセスが逆向きに行われた。私はまず最初に肉体の直上で水平の姿勢へと引かれていき、その際には私は仰向けになっている。それからゆっくりとうつ伏せへと旋回させられて、ベッドでうつ伏せになっている肉体に向かって降りていった。この体験が典型的と見做せるならば、「仰向け」が離脱には理想的な姿勢であるように思われる。


人の4つの脳


 無論、どこでアストラル ケーブルは頭と接しているように見えるかと、どこで実際に末端があるかは2つの違った問題である。ケーブルは離脱者には肉体の延髄、前面、側面の中心と繋がっているように見え、それらは離脱時の頭の位置に拠っている。だがそれは見えるだけであり、私が知るには、実際にはケーブルの末端は頭の内部の松果体と繋がっている。


 肉体には4つの大きな神経、サイキックの諸センター――時には人の4つの脳と呼ばれる――大脳、小脳、延髄、太陽神経叢がある。さらにこれらに加えて、脳下垂体と松果体もある。アストラル体投射は、ある程度はこれらの諸センターの1つやそれ以上の集中に拠っているので、私はこれらを簡潔に述べるとしよう。


 大脳は2つの半球に分けられ、頭蓋骨の中の前面にあり、小脳はその背後と下にあり、この2つは中脳と呼ばれる短い軸により繋がっている。太陽神経叢(腹部の脳とも呼ばれる)は、腹部の胃の背後にあり、他の2つの脳を構成するものと似た物質で構成された複合体である。


 延髄は脊柱の上端から伸びた球状の脳であり、頭蓋骨の中へと拡張して、小脳の下にある*1。ここは、隣の2つの生命の諸センターを繋げている神経節を制御する働きがある。またこの延髄の中には、呼吸の働きを制御している神経があるのは良く知られている。ここがアストラルの「力の線」と繋がる事で、呼吸の「力」を運ぶのに理想的な場所かどうかについては、私は読者の判断に委ねるとしよう。


松果体


 また脳の中には、特別な器官、松果体もあり、これはごく最近まで神秘の源であった――もっとも東洋人は長い間、この腺のオカルトと関連する重要性を知っていた。松果体は、その生理学的な重要性の他にも、今では多くの西洋のサイキック学徒からも東洋人と同様に、物理世界と霊的諸世界とを繋げるリンクと見做されるようになった。


 インドのスワミ バクタ ヴィシタはこう述べている。「松果体は脳の中の頭蓋骨の中心近く、脊柱のほとんど直上にある神経叢である。これは赤っぽい灰色の、小さな松ぼっくりのような形をしている。そして、小脳の前面にあり、脳の第3室に結び付いている。


 松果体には砂のような物質を少量含んでおり、それは一般に「脳の砂」と呼ばれている。松果体という科学用語(pineal gland)は、その松ぼっくり(pine-cone)に似た形から来ている。東洋のオカルティストらは、この松果体の神経細胞小体の特有の配置と、僅かな脳の砂は、精神波動の送受信の特別な形態と密接に関連していると主張している。


 西洋の学徒は、この松果体とワイヤレス電信で用いられる受信機の特有の部分との類似性に驚いている。後者はまた、松果体の「脳の砂」とよく似た小さな粒子も含んでいる。」


脳下垂体


 脳下垂体は、松果体の前面、下に位置し、オカルトの重要性のある別の器官である。松果体と脳下垂体の間には繋がりがあり、これらの間で微細な力が働くとされている。W.H.ダウワー博士はこれについて以下のように述べている。


「松果体の中の分子の動きは、霊的な遠隔透視の原因となるが、この遠隔透視が世界を照らすには、脳下垂体の火が松果体の火と合一する必要がある。そしてこの合一は第六感、第七感が一つとなるのを意味し、言い方を変えると、個の意識は高次の精神性、霊性へと引き寄せられて合一する。」


 これらの生命の諸センターの重要な働きから、霊体が離脱している最中に、アストラル ケーブルはこれらのいずれかへと「命の息」を運び、このエネルギーが適切に分配され、肉体のメカニズム全体を通じて神経系全てが調節されると仮定しても問題あるまい。


 一部の権威者らは、松果体への集中(勿論、適切に集中された思考である)は、アストラル体の離脱を促進する事に気づいている。もっとも、この集中した場所で力の線が作り出されるという説には少し疑いがある。この力は肉体の神経センターによって「作られる」ものではなく、肉体の神経センターが「この力によって」働くのである。


宇宙エネルギー


 先に述べた肉体の器官の全てが、それらに働く力を作り出したりはしない。これらは分配し、修正し、転移させるものに過ぎない。この複雑な分配の働きによって、生命エネルギーは体全体に伝わるのである。これらの肉体器官が破壊できるという事は、肉体の背後にあるこの力を破壊できるのを意味するのではない。それは電球を破壊できる事が、そこに働くエネルギーを破壊できるのではないのと同じである。


 手術でこれらの脳の一部を取り除かれても、副作用が無く生きている人々がいる興味深い事実がある。ゲレー氏は著書「無意識から意識へ」で、戦争中にフランス軍兵士に行われたそのような手術の多くの例を引用している。


 生理学者は生命エネルギー――意識、感受性、動性――は肉体から離れて存在できるとは信じておらず、肉体自身がこのエネルギーを「作り出す」と信じている。これらの信念の主な理由は、肉体がこのエネルギーを作れないと証明出来ないからだ。だが、肉体がこのエネルギーを作れるという証明もまた出来ない。そのため、この信念には何の基盤も無い。


 肉体自身は、生命エネルギーを保つ事すらできず、エネルギーはアストラル コンデンサーに蓄積され、離脱の間に力の線によって注がれて、肉体のメカニズムの生命センターへと伝わっていく。アストラル現象――命そのものすらも――を、その背後にあるこのエネルギーを無視して議論するのは、基盤も無しに家を建てる事や、電気製品について、それらに働くエネルギーを無視して議論するようなものである。


 おそらくは、あなたが用いているエネルギーが普遍的であり、どこにでもあるとは考えた事もないだろう。これはあなたによって作られたものではなく、あなたによって引き寄せられ、あなたのアストラル体に蓄積されたものである。そしてあなたも学んだように、これはあなたが寝ている間に充填され、アストラル体投射をもたらすのに重要である。また食料や食事も、アストラル体の分離現象の重要な要素を作り出す事にも、あなたは気づく必要がある。


 このエネルギーに対する一般的な考えでは、これは肉体によって「作られる」もので、食料を食べるほど、エネルギーを作り出せるというものである。この考えが正しいとしたら、我々は容易に睡眠を食事へと取り換える事ができ、疲れたり、弱くなったり感じたら、単純により多くの食事を摂ればいいのであって、睡眠は全く必要ないであろう。だが科学研究では、この多食は病者をさらに悪化させるに過ぎないのを発見している。食物は肉体のように物質であり、宇宙エネルギーがそこに働くので肉体は強められるのであって、それ自身によってエネルギーを作り出すのでは無いのである。


アストラル体投射 7-2
↑ アストラル体投射


*1 キャリントン注。この延髄の働きの詳細については、ベリー博士の「脳と精神」の158-193ページを参照せよ。