アストラル体投射 6-2

ページ名:アストラル体投射 6-2

コードの活動範囲外で霊体は自由となる


 ひとたび霊体がコードの活動範囲を超えると、自由となり自らの意志に従えるようになる。この上位の場所に立ったら、もはや奇妙な情景、アストラル体の不安定、その他の混乱は起きない。


 これらの混乱は即座に消え去るわけではないが、アストラル体が進むとともに徐々に消えていく。そしてアストラル体が特定の点に到達すると、ケーブルはその最小のサイズへと減少し、長い蜘蛛の糸のようになって、もはや活動性を示さなくなる。


 コードは一見して死んだように緩むものの、動くアストラル体から、動かない肉体への宇宙エネルギーの流れが、この内部にある。だがこの力の流れは、この地点に達するまでのものとは、その量において比較にならない。


長い離脱


 遠く長い離脱のタイプでは、肉体は死体のような相を示す――受け取る宇宙エネルギーがその量で乏しくなるからである。離脱している最中、死んだと思われた人々もいる。勿論、これは稀ではあるが、肉体の全ては死者のように見えるだろう。この種類のタイプの離脱をしたら、動かない肉体の体温は信じられないほど低下する――冬眠中の動物のものと多く似た状態となる。


離脱者は死んだりはしない


 あなたはこれ(離脱)は危険な実践かどうか、霊体はひとたび自由となったら、自ら死んだりはしないか、遠くで長くいすぎたら肉体は滅びたりはしないだろうかと気になるだろう。だが一般的に潜在意識の制御する力は、何が行われているかを正確に知っている。潜在意識は表層意識よりも体の状態を遥かに良く認識している。


 この自由な状態――コードの活動範囲外――へと離脱して、意識がそこでもあり、意図的に肉体に戻るのを拒否したら、肉体が死ぬのに任せると、あなたは考えるだろうか? 一度も離脱した事のない人は、自然とそう考えるだろう。だが、肉体から長く離れすぎていたら、意識を保てなくなるのを見い出すだろう。


 一部の権威者らは、離脱者は体外離脱中に死ぬこともあると信じているが、これは事実ではない。また同じ権威者らは、アストラル体は未知の場所へと意志の努力によって到達できると、あなたに語るだろう。これは事実であるが、離脱者が死なないのも事実である。いつでも「望む」事で、肉体へと戻れるからである。


 潜在意識は瞬きするほどで霊体を即座に、どれほど遠い場所からもコードの活動範囲へと戻す事ができ、そこから肉体へと引き戻せる。事実、潜在意識の力は霊体を遠い場所へと送ったり戻したりでき、意識はこの瞬間も失ったりはしない。離脱者は完全な意識を保ったまま、コードの活動範囲外へと歩いていると、突然に自らが潜在意識の制御下にあり、再合一のために肉体へと動くのに気づくだろう。


 このように、離脱者がコードの活動範囲外へ出てから何をしても問題なく、自由であるのを、あなたは知っただろう。この人はなおも潜在意識の意志の働きの下にある。離脱者は肉体から離脱してから、アストラル界のいずれかの未知の場所へと意識があるまま彷徨っていて、肉体の住居へと戻る道を知らなくなるのではという意見をあなたは抱くだろう。だがこれは不可能である。潜在意識の意志は肉体へと瞬時に戻せる――意識がそれに気づくよりも前にである。あなたは意識はそれ自身が強力であり、速やかに考えたり行動できると考えるだろうが、ひとたびあなたがアストラル体で意識を持つならば、潜在意識の超知性と比べたら、意識はカタツムリのように遅いと悟るだろう。あなたがアストラル体投射を出来るようになれば、アストラル界で死ぬのではという恐怖を抱く必要はなくなるだろう。


離脱中に肉体はどのように充填されるか


 また私はこの自由な状態で様々な状況で、肉体という「殻」の傍にあろうとも、遠くにいても、瞬時にコードの活動範囲内へと戻されると、肉体は激しく呼吸をし始めるのを観察している。潜在意識は肉体の状態やその他の全てを見ているのは明らかである。そして宇宙エネルギーのコンデンサー――霊体――は、ケーブルを通じて肉体を充填するために引き戻され、この2つの体が近づくにつれてコードは太くなっていき、より強い力の線となる。


 キャリントン氏は著書「Higher Psychical Development」で以下のように述べている。
「アストラル体の投射の問題は非常に重要である。まず最初に、これは全てのサイキック実験の中でも最も興味深いものだからである。そしてある意味では、全ての3つの学派――ヨーガ、オカルト、サイキックの達成である。これら全ては同じ結果に違った方法により到達する試みである。そしてこれらは、自己意識の違った段階で到達する。


 ヨーギが完成の段階に到達したら、アストラル体を自由に離脱できるようになり、遠い距離を移動し、遠い場所の出来事を見たり聞いたりできる――これは遠い距離で起きた出来事を知るヒンドゥーの聖者の超能力や、土の中などでの長い期間の埋葬*1が可能な事――その間、アストラル体は肉体から離脱している――についてを説明している。


 肉体の感覚が完全に失われ、この時には肉体は、ある意味では生きていくのに充分な生存機能のみが保たれる。だが、この説であなたも見ているように、アストラル体から常に流れている命の流れによって肉体は養われていて、ヨーギが意識を取り戻してトランス状態から回復すると、一見して「死んだ」ように思える期間に起きた出来事についての経験を思い出していると主張している。」


 コーラ L.V.リッチモンド夫人は、優れた著書「我が体外離脱体験」で、「肉体はなおも呼吸をしているが、守護霊や人間の生で亡くなった友らによって世話されていて、息を吹き込まれているのに私は気づくようになった」と述べている。


 これらから我々が学ぶ(そして真実である)のは、この不可視の領域の友らは、離脱した霊媒を助ける事ができ、多くの場合には実際に行っている。これらは自然と、この段階を乗り越えるための大きな助けとなる。


 だがリッチモンド夫人の証言には一つだけ矛盾がある。それは彼女の守護霊は、感覚無き肉体に「息」を吹き込んでいると述べているが、呼吸を規則化させる力は、アストラル コードを通じてアストラル体から肉体へと送られていると我々は既に学んでいる。肉体に命を注ぎ込むのは、このアストラル コードの究極の目的なのである。


 この不可視の世界の友らも、助けとなる事については疑う余地はない。だが呼吸の力はアストラル ケーブルを通じて来る。リッチモンド夫人は自らを見る友を見て、彼女が述べたのが事実であると確証したのであろう。アストラル体離脱は「霊」に拠るものでは全くないが、これらの霊が助けになる事はある。もっとも離脱は肉体の近くにある生者や霊とは関係なく起きるし、それらを導く力は自らの内側にある。


 この守護霊が呼吸のプロセスの原因であるとリッチモンド夫人は見做しているのは明らかである。だが霊体が自由な状態へと離脱している間、肉体を充填するためにどのように引き戻されるかは既に述べた通りである。さらにリッチモンド夫人の体験を調べていくと、彼女は結局のところ、この2つの体の間の力の線についても気付いている事が明らかとなる。それは彼女が別の箇所で「私が注意を惹いて、肉体を訪れる時期は短いものだった――この生命の火花が保たれるのに充分なだけだった」などと述べているからである。


 この段階を試みる学徒は、一見して奇跡を働くような超知性は、自らの内にある事を決して忘れてはならない。この開発を行う間に、何らかの――生者にせよ霊にせよ――意識的な知性に自らの命を任せる必要はまるでない。もっとも、他者から与えられた助けに対しては感謝は抱くべきであろう。


 自らの内にある超知性がこの状況を扱っており、霊などの他者に依存しなくてはならないという考えをあなたが持つようになったら、自らの目的に到達出来なくなるだろう。そのため、結果に到達するためには、自らの外側を求めずに、内側へと向かうべきである。聖書では「私は妬む神である」と述べているが*2、あなたの内なる神はそのようなものである。そしてもしあなたが、この神の知恵に拠らずに、それが外側の「霊ら」に見い出せると信じるならば、この内なる神は恩恵をもたらさないであろう。


死んでおらず、眠っているのだ!


 無論、あらゆる規則には例外があるが、生の通常の流れに従うならば、我々は例外ではなく普遍的な流れに拠っている。潜在意識は離脱の間、全能の威厳により、ほとんど過ち無く行うが、時には混乱する事もある。この制御する知性はたまに過ちを犯すが、それを行うのは外的な影響によるものである。


 そのため霊媒が不幸な結果、死ぬ事すら起きたという記録があるが、それらは例外によるものである。コーラ C.V. リッチモンド夫人は、アストラル界に何日も滞在する事ができたと言われる。「若いエジプト人のファキール*3」ハミッド ベイは、西洋世界で心が肉体を超える力を奇跡的に示してきたが、何度かの長い地中への埋葬も行っている。


 このファキールは、ジョージア州アトランタで1時間、ニュージャージー州イングルウッドで3時間、カリフォルニア州サンディエゴで7時間、その他の場所でも埋葬されている。これらでは懐疑的な新聞記者らの前で、棺桶を使ったりはせずに、その顔と体に直接に土で埋められていた。これらの埋葬の記録は新聞報道されているので、興味のある読者は読む事も出来るだろう。


 これらのパフォーマンスは平均的な観客にほとんど信じられないほど衝撃を与えるだろうが、このような事は東洋では珍しくも無く、何百もの似たようなケースが、インド、エジプト、その他の東洋の諸国から帰ってきた旅行者らによって報告されている。これらの埋葬の多くは、優れた条件で、懐疑的な観察者らによって執り行われている。


 何年か前に、インドのラホール地方のある高名なファキールが、マハラジャのランジャート シングと英国総督クルード ウェイド卿の監督下で30日間埋葬された。このファキールは――強硬症に入った後に――大袋の中へと入れられて、堅固に封印がされた。それからこの大袋は箱の中へと入れられて、箱は鍵がかけられて、その鍵は英国総督によって保管された。


 それから箱は煉瓦造りの地下室へと置かれて、その扉は封印され、その鍵はマハラジャが保管した。そして1人の英国兵士が地下室の前を日夜警護した。この30日間が過ぎると、地下室が開けられて、箱と大袋が開かれると、このファキール――非常にやつれていたが、なおも生きていた――が友らによって救われた!


 この種類の離脱が、全能の知性によって完全に制御されていなかったとしたら、肉体は確実に無視され、異常な介入があり、アストラル体が肉体を充填するためにコードの活動範囲内に戻ったり出来なくなり、死が自然な結果となろう。


 この長い離脱の間、肉体は死体の性質があり、体温は極めて低下するのは明らかである。そのため、誤解した人々が、この離脱者を「死んだ」と宣言する事すらある。私はこの主題への研究の結果、心臓は実際に鼓動を打つのをしばらく止めるが、アストラル コードはなおも切断されていないと結論付けた。だがコードが「切れる」前に、この状態は自然と長くは持たないだろう。最近の新聞記事でアメリカ医学協会の議長が、一見して死んだ人物も4時間後に蘇生させる事は時には可能と述べている。


 キャリントン氏は「死」に関する本を何冊か書いていて、この早すぎる埋葬の多くのケースを要約している。この権威者はこう書いている。「過去数世紀で、何百人もの人々が、生きたまま埋葬をされたのは疑いが無い。早期埋葬予防協会という組織すらイングランド、アメリカなどで設立されている。トランス状態、肉体の強硬症、不動などは、我々のより進んだ診断方法が確立する前には、死と誤解されていた。」


 霊から帰還したという歴史的な記録や証言――証言者があり得ると受け入れられたとしたら――は、アストラルの「力の線」は、一部の人間には他よりも死んでも切断されるのが遅い事を示しているように思われる。我々は医師が死を宣告すると、「死体が冷えないようにせよ」という諺のように、埋葬を早く行いすぎていたようである。


 また死を宣告されてから生き返った人々の、多くの記録もある。それらは例外的ではあるが、アストラル ケーブルがなおも繋がっていたら可能性がある。離脱を長く続けていると、肉体は死体のようになり、この長い離脱を終わらせる前に、防腐処置人が仕事を完了しているだろう。


 ある本で高名な心霊主義者が保証する内容では、ある霊の肉体が「埋葬」されたが、数ヶ月はこの肉体と細い糸で繋がっていたと主張している。この話にどれだけ真実があるかは私には知らない。


 聖書では生き返った人間の話が幾つかある。例えば、キリストが友人のラザロを蘇らせた内容を見てみよう。ラザロが実際に死んでいて、アストラル ケーブルが切断されていたとしたら、キリストは奇跡を行った事になる。だが、ケーブルがなおも繋がっていたら、一見して奇跡ではあるが、この復活は実際には単なる蘇生である。


 キリストは優れたオカルティスト、見霊者、霊媒の仲間、ラザロの友であった。そのためラザロがアストラル体離脱者であった可能性は無かったろうか? ラザロが実際に死んでいたかどうかについて、弟子らの一部に誤解があったように思える。キリストはまず弟子らに対して、ラザロは死んで「いない」と述べている。「この病者は死んではいない」と。次にキリストはラザロは眠っているのだと述べている。「我が友ラザロは眠っているが、私は行って彼を眠りから覚ます」と*4


 次にキリストはラザロが横たわっている墓へと行った。そこは洞窟で石で入り口を止められていた。キリストは石を取り除くように命じて、大声で「ラザロ、起きなさい!」と叫んだ。すると死んでいたラザロが生き返った。これは今日でも、催眠術師とアストラル体離脱者の間で似たような事が行われていないだろうか?


 別の聖書での復活の例は、キリストがある会堂司の娘を蘇らせる話である*5。「そして会堂司の家に来ると、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆の者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所に入って行かれた。そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。」


 このような幾つかの奇跡を演じた事により、キリストは死者を蘇らせられる者という評判を得た。だがこれら全てでイエス自身は、相手が死んでいるのではなく眠っていると述べている。もしこの人々が文字通りに死んでいたとして――力の線が実際に切断されていたとして――なおもキリストが復活させられるとしたら、このような復活の例はもっとあっても良くないだろうか? 確実に当時は他の者らも愛する者と再び会いたいとキリストに懇願していただろう――子供らは母のために泣き、恋人は死んだ愛する者を蘇らせてほしいと懇願し――、それでいて僅かのみをキリストは復活させているのだ!


 これら蘇った者らが、なおもアストラル界にあると信じるに足りる多くの証拠がある。だが一見して死んだ者が奇跡的に蘇る例を探すために、聖書の時代まで遡る必要はない。あらゆる時代でこれらはたまに起きている。これらを知っていたフランス人は、死を宣告された死体が埋葬される前に、しばらくは霊安室へと置いて、早すぎる埋葬を避けるようにしていた。


 ごく最近にも、アイオワ州のある小さな町で、ある女性の葬儀が執り行われていた。死者は教会墓地に置かれて、彼女の友人らが最期の挨拶をしていたら、死体の鼻から血が流れて、この女性は蘇り、その後も何年も生きていたという! この話を記した著者は信用のおける人物であり、この出来事が事実であると誓っている。


 これら全ては勿論、アストラルの現象と直接的に関連している。ひとたびアストラル ケーブルが肉体から切断されたら、塵から生まれた肉体は塵へと還っていく。この章でこれまで述べてきた内容に、アストラル体離脱を試みようとする学徒は怖れる必要はない。潜在意識が「間違える」可能性はごく僅かである。


 生が不確実となるような重い病で、これまで述べてきたような事が起き、この場合には離脱が自発的にもたらされる。これらの病はアストラル体の離脱の誘因とはなるが、長い離脱を試みる時には、このような肉体の異常な状態にあるべきではないと言えるだろう。


アストラル ケーブルは臍の緒と似ている


 これまで離脱と「死」とを比べてきたが、次は「誕生」と比べてみるとしよう。このアストラル体とアストラル コードは、新しく生まれた赤子と臍の緒に似ていないだろうか? そして結局のところ、このプロセスはより神秘的ではなかろうか? これらのプロセスの背後にある知性について理解すると、両方とも同じカテゴリーにあるのだ!


 懐疑家が誕生を自然なものとし、アストラル体投射を超自然とし、さらにいずれも説明できないのを見ていると、私には常にこれらが矛盾するように思える。我々が「自然」と呼ぶものは、単にそれらに親しんでいるからであり、この「自然」は説明不能であることが多いのだ。


 この懐疑家はアストラル体投射の現象には親しんでいないので、不信者はこれらを超自然的なものとして嘲っている。それでいて、臍の緒の末端で存在する肉体の誕生は自然なものとしているが、それは親しんでいるからであり、離脱よりも神秘的で無いからではないのだ*6


 だがそのようなのが人の心の考え方なのだ! 超自然的なものは疑いなく存在しない。親しんでいないものが、超自然と呼ばれる。砂の粒は惑星と同じように神秘的なものである。肉体はアストラル体と同じように神秘的である。臍の緒はアストラル コードと同じように神秘的である。そのため我々がこの驚異的な生体――アストラル コード――と、その命を保つ働きについて考える時、このアストラル コードと臍の緒が非常に似ているのを知ると、幾らかな満足――あるいは不満足――を抱くであろう。


アストラル体投射 7
↑ アストラル体投射


*1 これは土の中の地下空間に自ら数日から数週間埋まってる行で、ヨーギの達成の「証明」としてインドでたまに行われている。通常は酸欠状態となって危険であるが、サマーディと呼ばれる瞑想段階に達したヨーギは呼吸をほとんどしなくなるので大丈夫とされている。
*2 出エジプト記 第20章5節。
*3 狭義ではイスラームのスーフィー行者だが、広義では大道芸人や超能力があるとされるヨーガ行者もそう呼ばれる事もある。
*4 ルカによる福音書 第10章38-42節など。
*5 マルコによる福音書 第5章38-43節など。
*6 キャリントン注。「胎盤によって受精卵は、完全に分離された新たしい生命を形成できるが、それ自身が充分に超自然的な事にように考えられよう。」A.S.P.R.ジャーナル、1928年1月号、43-44ページより。