アストラル体投射 5-3

ページ名:アストラル体投射 5-3

感覚の複製と強迫観念


 では再び、肉体からアストラル体へとケーブルの媒体を通じての感覚の伝達についてに、少し話を戻すとしよう。事故死をした、特に痛みを伴う死をした人の霊がすぐに霊媒によって呼ばれると、その多くは肉体で死ぬときに感じた痛みがなおも残っていると不満を述べている事は長く知られてきた。


 ほとんどの霊媒はアストラル体は痛みを感じないと信じていて、そのような苦しむ霊に対話する際に、霊らはもう死んでおり、痛みを感じない体へと移っていて、そのアストラル体のエゴが苦しむ痛みは純粋に想像によるものだと伝えている。だがこれらの彷徨う存在は、そのケーブルが「切断」されてから長く経っても、この考えの強迫観念を保ち続けるにせよ、始めのこの苦しみは、単純な想像によるものではない。


 このような場合に何が実際に起きているかは、以下のようなものである。死の際に霊体は肉体からコードの活動範囲内で離脱し、私が犬の重みが側面にあるのをアストラル体で感じた時のように、感覚は肉体からアストラル体へと転移している。


 痛みは死ぬ経験による混乱とともに死者へと伝えられ、実際に狂気へと導き、ケーブルが切断されたかなり後にまでこの強迫観念は続く。霊体を苦しめるのは、単に精神の状態によるのではなく、「力の線」を通じて、実際の痛みの感覚が伝えられる。この狂気のまま、死者は死の経験から長く――数ヶ月すら――この状態を保つ事が多い。言い方を変えると、死者は死んだときの痛みを経験し続ける。これを示すある体験談について引用するとしよう。M.E.ヒース夫人は著者の個人的な友人で、イリノイ州のラサールの町で強迫観念患者への療法家をしているが、夫人が述べた以下の内容を、私はこのように呼んでいる。


「89」のケース


 ある患者――35歳ほどの婦人――が、ヒース夫人のもとに連れてこられた。患者は蒸気機関車(のエンジン)と自分では思い込んでいて、自らがエンジンだと考える騒音を作っていた。彼女は家の中を――ポッポッポッと音を立てながら――歩いていき、それから蒸気を発する音を真似て――それからホイッスルを鳴らして――想像上の町々を繋げる線路に従って歩いていた。


 調査の結果、ヒース夫人はある霊がアストラル体で、この女性に常に従っているのを見つけた。さらにこの霊は蒸気機関車のエンジニアだった。次にヒース夫人はこの霊と対話をして、霊は自らが作っていた89番エンジンで事故死をしたのを学んだ。実際、この霊は自らを89と呼んでいて、あまりに苦しかったので、自らがこのエンジンの傍になおもいると思っていた。この霊は自らがもう死んでおり、アストラル体にあるのを理解できなかった。


 だがこのエンジニアの母親――既に死んでいた――の霊もここに連れてくる事で、この霊はやがては自らが既に死んでおり、もはや体は全く傷つけられていないのを悟った。しかし、この痛みは始めから単純な想像のものではなかった。この「89」氏は、実際のアストラル体での意識で、コードの活動範囲内で複製された感覚が存在し、自らの肉体にぶつかるエンジンを感じて、その痛みも伴っていたので、狂気へともたらされたのである。


 あなたは、これらのアストラルの犠牲者らは、みな狂気に陥って、強迫観念者となると考えるだろうか? そのような体験が精神を似たような状態へともたらすだろうか! だが幸運にも大抵の人間の死んだときの諸要素は、常にこのケースのように不幸なものではない。意識は常に同じ時と場所で目を覚ます事はなく、感覚は常に3つの器官(肉体、アストラル体、アストラル ケーブル)で同時に循環するわけでもなく、死は常に暴力的、破壊的なものでもない。だがこのケースが示すように、一部の霊らは現世に留まり、なおも体験している痛みについて不満を述べ――それらは単なる想像以上のものであるのは、結局のところ理由があるのである。


 このアストラル体での痛みは幻影だとは少しも考えてはならない。これは「リアル」である。この感覚は2つの体が合一していた時の感覚と同じである。アストラルの霊体は物質を感じたりはしないが、肉体での感覚から――ケーブルを経由して――痛みを得たならば、それは現実の痛みであり、ケーブルが切断された後にも、心により治癒されるまで留まる。肉体の神経から離れつつも感覚を受ける事があると他者に納得させるのが困難であるのを私は見い出している。だが、あり得そうにないというだけでは、出来ないと決めつける理由にはならない。


 おそらく、これは一部の手足を失った人々が、根元が癒された後に、手足の感覚がある(幻肢)と主張する理由をある程度は説明するであろう。先に肉体の腕が占めていた空間を、アストラル体にある感覚が感じているのではないだろうか? ヘレワード キャリントン氏は著書「Psychical Phenomena and the War」の中で、この「89」のエンジニアのケースと似たようなケースについて引用している。私はこれを、以下のように呼んでいる。


痛む銃剣のケース


 1916年の正月に3人の友人らが降霊会をして座っていたら、1人の兵士の霊が「来て」、(この霊を殺した)銃剣がなおも自らの体(アストラル体)に残っていて、痛みを与えると不満を述べ、これを取り除いてほしいと願った。このアストラル体と3人の座っている参加者が多く対話をした結果、霊――彼はカナダ人だった――が、ロンドンの近くのハーン・ベイに住んでいたウェストン夫人の女コック(その名はアリスであった)の夫である事や、他の詳細についても知った。


 だがこの霊が主に気にしていたのは、銃剣が自らを傷つけていて(この霊は生前のクリスマスの日にドイツ兵に刺されたのだ)、これを取り除くのを望んだ。座っていた参加者の1人が答えた。「あなたは自己欺瞞をしています。あなたが死んだのならば、(アストラル体という)新しい体に今はあります。銃剣は古い体に刺さったままかもしれませんが、今ではあなたに全く刺さっていませんよ」


 すると霊は「少しは自らで試してみろ」と怒って答えた。このアストラル体は、痛みに完全に意識が向いていて、座っている参加者らが銃剣を取り除くまでは、幻覚とは認めないように思えた。どうしてこの兵士は痛みを感じているのだろうか? 意識がある中で、アストラル ケーブルを経由して肉体から移ってきたのである。最終的には心によって取り除かれる事は、この痛みが存在しない証明とはならない。


 だがあなたはこう反論するかもしれない。「銃剣についてはどう考えているのか? 明らかに霊のアストラル体に銃剣は刺さっていないぞ」だが、実際にはあるのだ! 無論、物質による銃剣ではなく、霊の心により作られたアストラルの形の銃剣がである。私は後の章で、どのように心が自らの環境を作り出すかについて述べるつもりである。


複製され移る動力


 アストラル ケーブルの中では膨大な「力」が働いている。ケーブルが接する事が出来るならば、この力でどれだけの重さの物質が動かせるかを測るような、物理的な計測手段があればと望む。


 私は離脱をしてコードの活動範囲内にあり、私が物質の物を「掴める」ならば、このコードからの力がその物を動かせるだろうと強く信じている。たとえこの物が1トンあったとしてもである!


 私の経験上、この「自由な」ケーブルは、肉体の外へも拡張できる、つまりアストラル体が終端に無くても外へと出せて、自由なケーブルは押したり引いたりする活動があり、「動力」を移す事ができ、特定の条件下ではラップ音を出したり物を動かせると信じるに足りる良い理由がある(この方法、アストラルの「力の線」の手段により、遠隔透視は容易になると言われている)。


 これを事実と仮定すると、「力の線」に沿って、この動力を肉体の外へと「移動させる」のも可能であろう。この時にはその人自身は力を無くすが、アストラル体はなおも肉体と合一していて、意識がある。「ラップ音」が起きた時には、霊媒が力無き状態にある事はよく報告されている。


霊体が離脱し、コードの活動範囲内で立つ

アストラルの力の線の押し引く力は、霊体を不安定にする


力の外延化の間に、望むように作られる「ラップ音」


 実際、私自身がこの状態にある時に、「ラップ音」を作っている。記憶にあるのは、ある朝に私は明白な意識で起きたが、体が動かせないのに気づいた! 私は自らの動力が外側へと拡張されていて、今では意識があるので、「ラップ音」を作り出せるのではないかと考えた。そして私はラップ音がタンスから来ると「意志」した。するとラップ音が作られた! だが一般的には、この動力の外延化の状態に入ったら、そのような事を行うと考えるには興奮しすぎるようになり、自らの動力を外側へと向けるよりも、それが帰る事のみを心配する!


 アストラル体が力の線の末端へと離脱していて、物を動かそうとしても、特定の条件下ではこれも行え、私は後の章で詳しく述べるつもりである。今私が述べたい点は、感覚のように動力もアストラル体を「シフト」できる。このシフトは速やかだったりゆっくりだったりする。


 また、アストラル体投射の間(コードの活動範囲内で)、ある程度は複製する動力が存在する。これについて私は確信している! これが起きた時、力の線の末端の(アストラル体の)あらゆる動きに対して、肉体の動きも反応する――通常は、僅かな動きであり、存在する動きの総量に拠っているが、僅かなものである。


 この複製される動きの状態で、アストラル体の腕の動きは――犬が夢を見ていると、その足が震えるように――肉体の腕も震わせる。


 この複製される動きは、複製される感覚よりも遥かに珍しく、一部の人は他よりも起きやすいようである。また意識のある状態よりも、無意識や夢の中の方が起きやすい。また私には真実だと知っているが、深すぎる神秘もここにはある。それは、ある人が夢の中で物を動かせるが、現実世界では2秒後になるまで物は動かない。私自身がこの種類の経験もしている*1


 これら全てはオリヴァー ロッジ卿がエウサピア パラディーノが作り出した現象についての議論の中で述べた事を私に思い出させる。卿はこのように述べている。


「事実、この霊媒の体の共感的、照応的な動き、あるいは震えは非常に啓蒙的で興味深いものがある。時には彼女(霊媒)は離れた場所の物を(念力により)押す時に、その肉体の手を少しだけ、その方向へと押す動きをした。それからすぐに対象物は動いたのである。我が啓明のために、部屋の隅にあるタンスで常にこれは行われた。


 6から7フィート(約180から210センチ)ほどの(物を押したり引いたりする)間の時間は、2秒ほどであった。またアコーディオンが演奏されると、霊媒の指は適切な形で動いていて、このプロセスは私に、犬が野兎を追っている夢を見ていると思える時に、その肉体の足が震えるのを思い出させた。エウサピアはこの楽器を指で動かす間に、この楽器が実際に演奏される夢を見ているようであった。


 犬が野兎を追う夢のように、このエネルギーにより、遠くにいる野兎は霊の犬によって真に捕まり殺された。これを見た時には奇妙であり、このような推測は無価値に思える。このような事の原因を探るのは、今のところは半可通程度しかないと私は告白する。多くの哲学者らは、自然の理想的な条件では思考はリアリティーであり、物質の基盤は思考の結果に過ぎないと考えている。


 それらは少しだけであるが、ここでも現れている。これはあたかも、いわばトランス状態にある人の夢で、それは周囲の環境に物理的に影響を与えるのに十分なだけ鮮明であり、実際に客観的な結果を作り出す。これは通常の物に現実で恒久的な動きを起こすだけではなく、一時的に外的な物へと物理的な粒子を集める――これらの集まりは感じ、聴き、見るのに充分なだけの客観性があり、それらが残っている間には写真に撮る事すらも出来るだろう。」


 夢の中で物理的な物を動かして、それは2秒後まで動かないと私が言うのは、常識が否定するにも関わらず、文字通りの意味である。(おそらく、この特性は未来に測られるであろう)夢を見ている間に肉体が痙攣する事の多くは、夢の体が動くからであり、複製される動きが肉体も動かすのである。


 寝ている間に霊体は肉体の上で横たわる事もあり、勿論、複製される「不随意の」動き、つまり肉体での神経の震えやその他の無意識の動きが起きる。


 アストラル体が力の線と共に離脱している時よりも、合一している時の方が、自由な力の線により物理的な物を動かすのは容易である。合一している時には、この点に動力は「集中」していて、一方で離脱している時には、動力はアストラル体を動かすのにも必要となり、動力がそちらにも用いられると、対象物への動力は拡散されるからである。


 私は肉体と再合一する時には、力の線により膨大な引く磁力があるのを、何度も述べてきた。この「引く」力は、実体化した霊がキャビネットへと戻そうとする力と酷似しているのは興味深い。そして多くの著名な実験が示すように、実体化した霊体に起きた出来事は、キャビネットの中の霊媒の肉体にも反応する。言い方を変えると、霊媒の肉体と実体化した霊との間には力の線がある。


 この理論をさらに発展させると(少なくとも多くの場合には)、実体化した霊媒のアストラル体は、キャビネットの外で霊媒の複製された肉体により構成される。これが起きたら(そして起きている)、懐疑家は何を言うだろうか? 懐疑家はこの実体化はインチキであると述べ、霊媒の肉体を調査するように主張するだろう。そして自らの説を証明するために、実体化した霊の胸に留め針を刺してみて、無論これはキャビネットの中にいる霊媒の肉体にも反応があろう。さらにこの傷は、霊媒が「インチキ」をした証拠とされよう(少なくとも、反響やその反応について知らない懐疑家には)。私は全ての霊媒が正当であると言うつもりは無いが、この方法では正当な霊媒も貶められる可能性がある。


 もしアストラル体を離脱している最中にサイキック ケーブルが切断されたら、肉体の死が結果となる。これは一部のセアンスで、霊媒のアストラル体であると証明される「体」を取り押さえようとした時に、起きているように思える。これによって、アストラル体が肉体へと戻るのを防いでいたからである。一部のケースでは――私が信じるに、記録されている――霊媒がキャビネットの中で死んでいた事すらある。


 また、私が良く知っている老オカルティスト、カール プール氏が以前に私に述べた事だが、ある霊の実体化が行われていたセアンスの部屋の外で、ハンモックで寝ていた少女がいたが、彼女のアストラル体が会場に現れて、参加者の1人の娘であると宣言している――この参加者には同じ年の亡くなった娘がいた。だがその姿は、部屋の外でハンモックで寝ている娘のものであり、彼女が主張する娘とはちっとも似ていなかった! さらに、ハンモックで寝ていた少女は、起きた時には何も覚えていなかった!


 思考がアストラル体の形に影響を与える事もできるのを私は知っており、そのため現れるのを望む霊が、霊媒の無意識のアストラル体に影響を与えて自らの姿を取らせて、それを通じて語っている可能性もある。だがこの詳細は、今は述べるべき時ではない。私はこの動力の複製について本章で長く述べてきたが、それには価値があると私は信じている。


アストラル体投射 6
↑ アストラル体投射


*1 著者の手紙でのメトロノームの話の事である。