アストラル体投射 2-3

ページ名:アストラル体投射 2-3

意識とは何処にあり、何なのか?


 意識の構成要素は何なのか? どこにこれは存在するのか? 意識が無意識となった時にはどこにあるのか? これらはオカルト哲学者らの中で最も賢者も答えられない疑問である。そしてこれらは、推論の対象であり続ける事も疑いない。我々は意識の境界、性質、場所すらも知らない。


 だが我々は自らが意識を用いる事と、(一見しての)無意識に陥る事もあるのを知っている。だが無意識の時にどこに意識はあるのだろうか? これは良い質問である! 意識は気絶している時に即座に消え去ると信じるのは、それが我々が気付くことなく留まり続けると信じると同じほどに馬鹿げている!


 では、意識が気絶している間は「無」となることは可能だとして、気絶から覚めた時に、無からどのように完全に復元するのだろうか? 一方で気絶している間もなおも存在するとして、気絶している間は、意識が存在している場所に、意識が無いのをどう考えられるのか? そして、どこに意識は「存在する」のか?


 この謎を証明するたびに、それ以上の証明が必要となる。これらについて考えていくと、最も度し難いエゴイストすらも、自らの事を結局はほとんど知らないのを認めざるを得なくなる。意識があるのは自明であるが、気絶の時にどこにあるかは、なおも不可知である!


 一部の者らは、気絶しているのは感覚であって意識ではないと考え、感覚の働きが無ければ意識はないだろうと結論している。だが、感覚の性質は意識の性質よりも定義可能だろうか? 感覚とは何か? どのように働くのか? 何が感受性を作るのか? 感受性は無意識の間にどこにあるのか? 神秘を別のもので言い換える事で解こうとする試みは、解くべき神秘を増やすだけである。


 他の者らは、気絶している間には意識はアストラル体の中へと離脱していて、そのため肉体は無意識となっているという意見を持っている。だがこれが事実だとして、気絶の間にアストラル体に離脱しているのに常に気づかないのは何故だろうか? 我々が寝るたびに起きているのか? 夢遊病者の意識はどこにあるのか? これには「私は知らない」としか答えられない。


 眠っている間の意識を、扉を開けるまでは出られない牢の中の囚人と比べられよう。我々自身が意識への扉を開けるか閉めるかを決められないならば、一部のアストラル体投射では意識があり、他のでは意識が無い理由も定められよう。さらに我々は、これまでのように当たりはずれの経験では無く、無意識に離脱した霊体を常に意識的にする方法も見い出せるだろう。


催眠、神経症、睡眠状態*1


 意識が離脱の最初の段階からあるならば、エーテル体の離脱は、意識と無意識の狭間である催眠状態で始まる。この催眠状態について、ウォルシュ氏はこう述べている。


「眠りに陥る前に、我々はまず半分起きて半分眠っている、催眠状態と呼ばれる段階を気づかないままに通過する。また起きる時にも同じようなプロセスを通過する必要がある。通常はこの催眠状態は数秒程度で終わるが、15分ほどまで伸ばす事もできる。これは眠っている状態から起きた状態へと移る時の方が、逆の場合によりも長くなる傾向がある。


 眠りに陥るとともに、沈む感覚を経験する事がある。これは時に起きる筋肉の系の全体的なリラックスにより起きる。また催眠状態にある時に精神を乱されたら、起きている状態から眠った状態やその逆でも、明白に不調和となる。


 意識は完全に目覚めても、筋肉の諸センターはそれよりもゆっくりと起きる。これは手足や発言能力の一時的な麻痺(金縛り)の原因となり、結果として動いたり話したり出来なくなる。この麻痺は、一部の著者らは「夜の麻痺」と呼んでおり(本書の著者は、アストラル強硬症と呼んでいる)、自然と目を覚ました後に起きる事がある。


 一般的にこの麻痺は短い期間のみ起きる。そして引き伸ばされたら、より多くの心の不安を引き起こす。疲弊、神経症、一般的な不健康が引き起こされる事もある。」


 これらの引用は、肉体の共同作用の欠如は、離脱にとっては良い要素であるという私の信念を強めている。エーテル体が強硬症にあると、肉体から僅かに出る傾向がある。なぜ疲弊、神経症、一般的な不健康が、いわゆる麻痺(金縛り)を引き起こすのか? それは、身体内の各所に集中する神経のエネルギーを不足させるからである。事実、これは正確に神経過敏の状態、つまり肉体内にエネルギーを保てない状態である。


 エネルギーは普遍的で、臨在している。エネルギーはエーテル体を出入りして流れており、この体はその真のコンデンサーである。またこのエーテル体が肉体との合一から少しずれたら、普遍的なエネルギーを合一していた時よりも受けやすくなるのを私は見い出している。そのため不健康の人が経験する麻痺はアストラル強硬症であり、これは常に離脱の第一段階である。またこれは、潜在意識がエーテルのコンデンサーがより自由に「充填」できるように、これらの体を分離させようとするのが原因である。


 この現象は毎夜数百万の人々が経験しているが、意識がある場合にのみ、これらの麻痺、強硬症を認識する。眠っている時に起き上がり、霊能者によって見られるものは、「オーラ」だと一般に考えられているが、実際にはこれは数インチほど肉体から離れたエーテル体である。一般に通常の人間は、この現象が起きる前に意識を失う。


 完全な意識的な離脱を望む場合、この催眠状態が離脱を始めるには最良の場所である事を理解するのは困難ではない。意識のある中での強硬症は、眠った状態から起きた状態へ移行する時期の方が、その逆よりも多く起きている。何度も試みるならば、確信するだろうが、潜在意識が僅かな分離を起こした後に、意識が少し強く働くならば、眠った状態から起きた状態への似たような条件で起きる事よりも、霊体は再び合一しようとする。


 言い方を変えると、ほとんどの離脱は睡眠から「起きる」時の催眠状態で始めるならば、より――意識的に――成功するだろう。目を覚ました時に、自らがアストラル強硬症――あるいは「夜の麻痺」と呼ばれる――で力無き状態にあるのに気づいたら、通常は一番最初に起こすのは、恐れの感情である。再び肉体が活動するのを望み、自由となるべく苦闘する。これは意識から潜在意識の意志への示唆以外の何物でも無く、意志はすぐに反応する。


 だがこの心の動揺を取り除き、精神を落ち着かせているならば、肉体が再び活動するようにと、支配する潜在意識へと示唆する事は無い。そして、この人が天井へ向かって上がる、上がる、上がると考え、自らの上の空中に浮かぶと示唆するならば、潜在意識の意志は離脱のプロセスをさらに続けさせ、完全に意識があり遠くへの離脱の結果となるだろう。


 そのような時には、肉体は大いに無能力となる。潜在意識の意志は既にアストラル体にその力を及ぼしている。霊体がなおも離脱を続けるか、再び肉体と合一するかは、潜在意識の意志に何を示唆するかに単にかかっている。


 これは歩く状態と正確に同じである。あなたが歩き出したなら、潜在意識の意志は制御を行う。そしてあなたが止まるようにと意識的な示唆するならば、止まるだろう。あなたがアストラル強硬症で意識があり、再び肉体が活動するようにと示唆するならば、それが結果となるだろう。


 おそらく、この事について私の友人が以前に言ったように、あなたもこう反応するかもしれない。「自らが目覚めて、金縛りにあっているのに気づいた時に、驚かないような奴を見てみたいものだ!」 だが私はこれを行った事があり、誰にせよ目覚めてから自らが金縛りにあるのに気づいた時に、感情を静めて、正しい示唆をするならば、意識的な離脱を行えると私は請け負う。これは行うしかなく、離脱の本質的な法則である。これは日々、我々が歩いている時に意識の示唆によって歩く力を制御しているのと同じ法則である。


 この超自然的な状態、特に自らがそれらに掴まれている時に感情的になるのを防ぐのは、確かに容易な事ではない。だが他の全ての超自然な事と同様に、慣れて来たならば意識的な離脱はすぐにその恐れを失うだろう。


離脱の様々な段階でのセンセーションと感情


 霊体が離脱するどの段階で意識を取り戻すかによって、最初の考え、経験するセンセーションが自然と決まるだろう。分離の様々な段階に応じて、違ったセンセーションが生み出される。催眠状態で最初に微かに意識を取り戻し、潜在意識の意志が離脱を起こそうとするならば、最初に考えるのは、自らが「どこか」に存在する事である。


 それから数秒後にさらに意識を取り戻すと、「縛り付けられた」状態、あるいは金縛りが、最初の印象となるだろう。さらに後に意識を取り戻したならば、空中に浮かんでいる感覚があり、その後ならば、震えたり、ジグザグするなどの経験をする。霊体の分離段階での活動あるいは場所によって、最初に意識に浮かぶ考えは決まる。そして、この最初の考えは非常に重要である! この時には、離脱者は感情を静めて、上昇するように示唆すべきである。


 ほとんどの意識的な離脱の試みは、霊体の活動が不快なセンセーションをもたらし、それによって感情的になるだけの事で台無しとなる。以下の規則はこの現象に良くあてはまるだろう。「不快な感情、警戒感、恐怖などは、通常の状態、肉体へと合一するのを望むという、潜在意識の意志へ全くの示唆である。」


 そのため最初の考えは、その直後の出来事や関連する思考へと影響を与える。そしてこれらの活動が通常の肉体の状態となる事への感情、望みを引き起こすものだったら、即座にそれらに従い、潜在意識の意志への示唆はその効果をもたらすだろう。


 霊体が空中へと移動する前に、あるいは無動機や夢遊病状態で上へと離脱した後に、最初の考えが現れるならば、意識的な離脱はより成功するようになる。これらの間の段階は、より不快な感情を引き起こしがちだからである。離脱者が熟達していて、この段階を実践していたならば、最初の意識的な考えでは、動揺する代わりに即座に空中へと上昇しようと本能的に考え、その後に起きている出来事全ての間、自らの思考を静めようとあらゆる努力をするだろう。


 ひとたびこの経験をしたら、これらをなすのがいかに容易となるかには驚かされる。まるで飛行機に乗るのを恐れていた人のようである。この人が突然に目を覚まして、自らが離陸中の飛行機の中にいるのに気づいたら、即座に「では飛ぼうじゃないか! これは奇妙な経験になるだろうが、やってみよう」と言うだろう。


 霊体の活動が感情に影響を与え、また感情が霊体の活動に影響を与えるのは、パラドックスに思えるかもしれない。だが、まさにそういうものなのである。また神経質な状態は分離に都合の良い要素であるという意見と、この感情は静めなくてはならないというのは矛盾しているように見えるかもしれないが、これもまた事実なのである!


 だが離脱を引き起こすのに、このような不自然な条件が含まれていなかったとしたら、誰もが行っていただろう。意識的なアストラル体投射は、自らの感情を制御できない者には、決して達成できないだろう。


アストラル体投射 3
↑ アストラル体投射


*1 ヘレワード キャリントン注。催眠状態についての詳細な報告については、S.P.R. 会議録の35巻287 - 411ページにある、F.E.ラーリングの記事と、そこに含まれる参考文献を参照せよ。