アストラル体投射 2-2

ページ名:アストラル体投射 2-2

即座に起きるアストラル体離脱


 肉体、特に頭に対して行われる暴力的な衝撃、あるいは外的なショックで無意識に陥るのは、即座のアストラル体投射の別の一般的な原因である。あなたが即座のアストラル体投射の単純な方法を試みたいならば、友達に、あるいはより良いのは敵に、野球のバットで自分の頭を叩いてくれと頼む事である!*1


 これは最も単純な方法であるが、これだとあなたは離脱中にも意識は無いだろうから、後の章で私が与える幾つかの方法に従う方が良いだろう。だが真面目に言うと、強い衝撃やショックは、しばしば速やかで短期間の分離の原因となる――犠牲者がそれに気づく、気づかないにも関わらずである。


短期的、意識的な離脱体験


 私がこの文を書いている時にも家が見える、70歳ほどの隣人は、ここで述べる意識的なタイプの短期的、即座に起きるアストラル体投射の出来事と関連している。


 この老人はある雪の降る日に仲間らを連れて、薪の束を得るために田舎へと向かって行った。その帰りには、老人は薪を摘んだソリに座っていて、軽い雪が降っていた。すると警告も無く、(道の傍にいた)ハンターが見かけたウサギに対して発砲した。これに馬は驚いて飛び跳ねて、ソリは引っ張られて、乗っていた老人を頭から地面へと投げ飛ばした。


 この出来事について老人が私に話した内容によると、地面に投げ出されるとすぐに、意識がある自らが立っていて、道に横たわって動かず、顔を雪に埋めていた別の「自分」を見た。老人は周囲を振る雪を見て、馬から湧き上がる熱気を見て、ハンターがこちらに走ってくるのを見た。これら全ては正確なものだったが、老人の最も困惑させられる事は、自分が「2人」いた事だった。この時には老人は、自らが別の肉体から出来事全てを見ていると信じていたからである。


 ハンターが近くまで来ると、視野がぼやけてきた。そして次に意識を取り戻した時には、老人は自らが地面に倒れていて、ハンターが介抱しようとしているのに気づいた。老人がアストラル体で見たものはあまりにリアルだったので、2つの肉体が無いのを信じる事もできず、自らが立っていたと知る場所の雪の跡を調べようとすらした!


即座に起きる離脱は珍しくはない


 このような例は、肉体から離れて(アストラルの)形質とその構成のみとなっても、個がいかに不変であるかを示すだけではなく、アストラル体は、地上の存在の自己そのものの構成要素であるのも示している。これは意識の座であり、個の意志により造られたものではない。多くの人々には似たような体験を持っているが、何が起きたかに無知であり、それらを解釈不能と考えるか、肉体の特別な異常として無視している。


 そのような即座に起きる離脱の持続期間は、それが原因となった震動の激しさに拠る。打撃やショックが大きなものほど、無意識の期間はより長いものとなるだろう。そして無意識の期間が長いほど、離脱の期間もまだ長くなるのは容易に見る事ができる。


 短い気絶状態は短い離脱のみを与え、多くの場合には離脱は瞬時である。実際、アストラル体の離脱と再合一は短かすぎて、意識は肉体から「出た」のに気づかないほどであり、短い眩暈を感じる程度であり、例えばその瞬間に自らが実際に立っている場所から1フィートほどずれていると信じるであろう。


 誰もが人生には一度は俗に言う「目から星が出る」ような「ショック」に出会っているであろう。ここで見る輝きはオーラであり、2つの体が分離する事でその例を見る。この輝きは、意識的な離脱、つまり事前の分離の始まりの段階から経験する事で、より長く見る事ができる。


 アストラル体はあまりに我々の自己そのものなので、いかに肉体と結びついているかを知る事ができない。我々は常にこれを用いている事に気づかない。このアストラル体が我々の生命であり、肉体から永遠に切断された時、肉体はもはや無用となる。私は読者であるあなたに、このアストラル体はあなたが未来に出会うであろう新しい存在ではなく、これは今の「あなた」である――あなたの意識、あなたを動かすものであると確信できたらと願う。


 アストラル体が無ければ、あなたの肉体は重力によって横たわる、無感覚の形質の粗雑な塊にすぎない。この霊体が肉体と合一する事で、その習性に慣れ、肉体に用いられる諸法則に従うようにさせるのである。


 この肉体との調和を揺るがす何か異常だったり不自然な事が起きたとしよう。例えば、ショック、揺さぶり、不健康な習慣、激しい心を揺るがす欲望、病――実際、完全な肉体の調和を揺るがす何であれ、アストラル体分離への衝撃となるのである。


衝突はアストラル体離脱の原因ともなる


 怪我をするほどの衝突は、しばしば作り出される即座の分離の唯一の方法ではない。予想しなかったショックや肉体の振動すらも、時には霊体を合一状態から投げ出す。


 多くの人は、これらがアストラル体の分離をもたらすという考えに驚く――だが私はあえて言うが、ほとんどの人は知ろうが知るまいが、既にこのような事はある程度は起きているのである! そしてこの離脱の極端な類は、ごく短い期間のみ続く。


 以下はこのシンプルな種類のアストラル体分離に当てはまる2つの定理である。


 1. 突然の力が肉体に予想しない形でぶつかると、その方向へと力は動きつつも、アストラル体を即座に止めたりはせず、その方向へとアストラル体も動かして、肉体との合一から離脱させる。


 2. 肉体がある方向へと動いていて、突然に予想しない形で動かない物と衝突したら、その反射方向に肉体を僅かに分離させる(アストラルはそのすぐ後に、肉体の後を追って動く)。


 だがこれらは、瞬時で短い距離の分離に過ぎない事を忘れないようにせよ。これらは瞬時に起きる――離脱者は無意識に落ちる前に経験するにはあまりに早すぎる。もっとも離脱者は、これらが起きた時には当惑を感じる事がある。


 ここでも離脱者は空中に浮かぶような、あるいは鳩尾に息詰まるような感覚を感じるだろう。いずれの場合でも、この衝突は予想しない突然の、動いている物体の通常の速度を止めるには充分な力である必要がある。


 例えば自動車を突然に止めると、中の乗員を激しく予想しない形で前方へと放り出す。これは2つの体(アストラル体と肉体)の短期間の不調和となり、息詰まる感覚の原因となる。これは真実としては、ありふれすぎているように思えるだろう。だがそう思えるのは、アストラルの自己は「私」の大きな部分だからであり、我々はこの事実を認識していない。我々は自らの事を知らない。


踏み誤りが原因となった離脱


 これは予想しなかった衝突が霊体を合一から離脱させる例である。数年前のある夜、私は我が家の階段を降りていた。私は少し前まで寝ていて、なおも眠気があった。階段は15段あり、私はこの家にずっと住んでいたので、この階段を数百回は使っていた。そして「何故」そうしたのか知らないが、私は最後の段まで降りた後にも、さらに降りようとした(我々の多くがそうした経験があるだろう)。そして、この弾みは激しく足を床へと衝突させた。


 肉体の足を床にぶつける前にすら、私の鳩尾を息詰まる感覚が走り、私は完全に意識的な状態で、アストラル体が肉体から離脱しているのに気づいた。そして、これは私が意識的だと「考えていた」のではなく、私「は」意識的という意味である。私は肉体から数フィートほど離れて立ち、肉体が床へと落ちるのを「見て」いつつも、それと同時に肉体が落ちるのを「感じた」。これを分析し、実際に何が起きたかを見てみよう。それにより我々は、アストラル体投射の根本的な法則を見い出すであろう。


アストラル体投射の根本的な法則


 意識的な心がアストラル体投射を起こすのではなく、潜在意識の意志がなすのを理解する必要がある。我々は意識的に歩く事もできるが、通常は無意識――潜在意識の意志の下――で歩く。そして肉体が潜在意識による動かされていて、予想しなかった障害によって肉体を遮られたら、アストラル体は少しの間はその方向へと動き続ける。


 意識的に進んでいたら、このような事は起きなかっただろう。階段を降りていてる時に、私が意識的だったら、踏み間違えは起きなかっただろう。だがこの時には無意識に降りていたので、潜在意識の意志の下で、障害(床)が肉体を止めたが、潜在意識はなおも降りるのを望んでいて、アストラル体を肉体との合一から実際に動かしたのである。


 同じ原理は、動かない体に動く力がぶつかる事で起きた分離にも当てはまる。動かない体が潜在意識の意志の下で立っていて、動く力が肉体にぶつかったとしたら、潜在意識は意識が動かすようにするまでは、そこに留まろうとする。そのため、肉体が衝突により投げ出された後にも、霊体はそこに留まる。


 この即座で僅かな分離を分析する事で、以下の結論が導かれる。


 1. この体(ぶつかる諸体)は無意識に動くことができる。
 2. 意識が機能している時にも、この体は無意識に動ける。
 3. 意識が機能していない(夢遊病状態)時にも、この体は無意識に動ける。
 4. この体が無意識に動く時、それを動かすのは潜在意識の意志である。


 これはアストラル体投射の根本的な規則を我々にもたらす。すなわち「潜在意識の意志が体(衝突した諸体)を動かす考えを持つようになり、肉体の部分が動かせなかったら、潜在意識の意志は肉体から独立したアストラル体を動かす。」


同じ諸原因からの意図的、非意図的な離脱


 これは離脱の根本的な法則なので、ここである疑問が沸き上がる。肉体が動けなかったり極端に受動的な状態で、どのように潜在意識の意志は自発的に動かすのか。あなたは「これは容易には出来ない事だ」と言うだろう。そしてこれは単なる考えや、半可通の試みからもたらされたものではない。もっとも、これらを達成するための肯定的で確実な技法は存在する。


 もし我々がアストラル体の非意図的な離脱を引き起こす諸原因を見つけ、離脱のために意図的に働くようにしたならば、自由に引き起こす事ができるのではなかろうか? 私の初期の離脱の全ては、偶然、非意図的なものだった。最初の頃は他人が持たない何らかの特別な力を自分は持つと信じていた。だがこれらの出来事の長い研究の末に、さらに出会った特別性の全てを考慮しないでいたら、やがては私は一見して奇跡と思えるこの現象をもたらす諸原因について見い出した。アストラル体投射を心に置いて、これらの原因を行うようにしたら、私はこの現象を望むように起こせるようになった――これは、この主題の他人の本から一言も読むよりも、遥かに前の出来事である。


 今はこれらの諸原因については深く入り込むことはせず、後の章でそれらを述べるとしよう。私は今はこの主題についての、より一般的な情報を読者にまず与えたいからである。だが、「抑圧された望み」が、非意図的な離脱を起こす最も強力な要素であると、ここで述べるのは問題ではあるまい。


 我々はこれまで、潜在意識の意志がひとたび活動へと刺激されたら、どれだけ決定的となるかを見てきた。あなたが歩き出したら、あなたの意識が止めようとするまで、歩いて、歩いて、歩いていく。そして、あなたが立ち止まっていると、あなたの意識が動き始めさせるまでは、立って、立って、立っている。


 では、抑圧された望みがどのように潜在意識の意志に、アストラル体を動かすようにさせるのか? 意識のある時に、あなたは何かを望むとする。だが、あなたはこの望みを満たせない。あなたはこれを満たしたいが、何らかの障害が途中にある。そのため、あなたは望み、望み、望む――これら全ては潜在意識の意志を緊張させる。あなたは自らと戦争状態にあるかのようにストレスが増大する。あなたは自らが望む事を潜在意識が達成しようと試みるのを感じるだろう。潜在意識の意志はあなたの意識が最良となるように、速やかに働く。


 この時には潜在意識の意志は動くように「準備ができて」、この時にはもはやあなたの意識の中で、防ごうと試みる部分は無い。そのため、眠っている間に意識はもはや潜在意識の意志に「ノー」とは言わなくなり、潜在意識の意志は体を望んだ場所へと移動させようとする。そして、眠っている者の肉体が動けなかったら、アストラル体は離脱するであろう*2


肉体が「動けない」意味


 では、この肉体が動けないとは何を意味するのか? これは単純に、肉体が潜在意識の動くようにとの命令に反応するには、充分なまでに活動的ではない事である。一般に寝ている間の肉体は、起きている時と同じ活動的な状態ではない。心拍はゆっくりとなり、肉体のメカニズム全体は通常の起きている状態に得られるレベルよりも低くなる。


 また病気にある人は、肉体のメカニズムは健全な人ほどには反応しなくなる。すなわち、病が鎮静性のものであれば、病人が弱っているほど、より容易に分離は起きる。「夢の心理学」でウェルシュ氏はこう述べている。


「ひとたび眠りが実際に始まったら、肉体の構造に特定の変化が起きる。心拍と呼吸作用はゆっくりとなり、弱くなる。血圧、体温も低下し、発汗は増大する。胃、腸、腎臓、肝臓、その他の臓器は活動しているものの、そのペースは低下する。肉体の構造に求められる働きの量が、起きている時よりも低下するので、これらは部分的に休む事ができる。消耗よりも補充が増すので、眠った後には様々な臓器は充分に回復する。」


 そのため、この「肉体が動けない」のは、病によってベッドで横たわっているにせよ、良く眠っているにせよ、極端に受動的で、潜在意識の意志が体を動かそうとしても、即座に活動できない状態を意味する。


 では次に夢遊病状態について考えてみよう。眠っていても、潜在意識の意志は――通常は抑圧された望みを通じて――体を動かそうと望む。眠っている人はベッドから起き上がり、堅固に歩く。なぜなら、潜在意識の意志が動くように命じた時には、その肉体はまだ充分には非活動的ではない(動けない状態ではない)からである。一方で、もしこの人物が極端に受動的だとしたら、アストラル体が肉体から移動して、アストラル夢遊病の状態となっていたであろう。


アストラル体投射 2-3
↑ アストラル体投射


*1 決して読者は、著者のこの冗談を真に受けないように願いたい。
*2 これは眠る前に、望む場所へと離脱したいとアファメーションを唱え続けるのを意味しているのだろう。